フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月30日(木) 曇りときどき雨

2006-11-30 23:59:59 | Weblog
  朝、いつもより早い時刻に目が覚める。「キャー!」という妻の叫び声で。な、なんだ?! 居間のレースのカーテンにびっくりするほど大きな(全長5センチ!)スズメバチがとまっていて、それに飼い猫のはるが飛びかかろうとしているのであった。どうやらベランダに干していた洗濯物を取り込んだときに一緒についてきたのではないかと思われる。ゴキブリが出現したとき同様、こういう場合の対処は夫の仕事ということになっている。伝統的な性別役割分業である(私だって、ゴキブリは苦手だし、スズメバチは怖いんですけど…)。とにかくスズメバチを興奮させてはならないので、まず猫を現場から遠ざける。そしてレースのカーテンをたぐりよせてそっとスズメバチをくるむ。これで飛び回ることは阻止できた。近くであらためて見ると、個々の部位が大きく、色鮮やかで、まるでフィギアのようである。これに刺されたらショック死することもあるのも肯ける。カーテンをベランダに出し、サッシを閉める。これで室内にいる妻と猫が被害に遭うことは防げた。後は私が無事帰還できるかどうかである。映画、「アルマゲドン」を思い出す。ベランダが地球に接近する彗星の表面のように思える。カーテンをそっと開く。スズメバチがむき出しの状態になる。ベランダの隅に退避し、スズメバチが自主的に飛び去ってくれうのを待つ。しかしなかなか飛び立ってくれない。しかたないので、いやだが、本当にいやだが、近づいて、カーテンをパタパタと揺らしてみる。スズメバチがやおら羽音を立てて飛び立つ。しかも私の方に向かって来るではないか。ギャッ! 絶体絶命か、と思ったそのとき、スズメバチはくるりと方向を変えて、空の彼方に飛んでいった。かくして地球は救われたのであった。
  午前11時から進学の基礎演習のガイドブックの件でT社のK氏と打合せ。昼はシャノアールでサンドイッチと珈琲。午後1時からA新聞社のH氏と出版企画の打合せ。午後3時からフリー・ジャーナリストのS氏からの取材(清水幾太郎に関する)を受ける。午後4時半から卒論演習の最終回。ところが報告書の一人であるF君が欠席。どうしたんだと思いつつ、研究室に戻ってからPCのメールを開いたら、F君からメールが届いていて、今日は都合で欠席しますが、来週の報告はちゃんとやりますと書いてあった。あの~、来週はもうないんですけど…。今度の土曜日に個人指導の時間を設けるから来るようにとメールを返す。メルシーで夕食(毎度お馴染みチャーシュー麺)をとり、7限の授業(社会人間系基礎演習4)に臨む。今日は「宗教」をテーマとしたグループ発表であったが、発表をする側も聞く側も、テキスト(ギデンズ『社会学』)の読み込みが不十分。だからディスカッションが「社会学的な」次元で展開できていない。この点について苦言を呈する。

11月29日(水) 晴れ

2006-11-30 01:52:07 | Weblog
  小春日和の一日だった。昼間は自宅で読書と午睡。夕方、散歩に出る。ジャケットだけで全然寒くない。シャノアールで持参した清水幾太郎『現代思想入門』(1959年)を読む。清水についての原稿を書き上げたばかりなのに、飽きもせず、まだ清水のものを読んでいる。あるテーマについて原稿を書き上げた直後というのは、そのテーマについての関心のテンションが高いだけでなく、関心の構造化というか、探求すべきポイントがはっきりと見えている状態なのである。鉄は熱いうちに打て。いま読めば、どんな著作でも、そこで清水の言わんとしていることをきちんと理解できるような気がするのである。要は、清水の著作をたくさん読んだ直後というのは、思考回路が清水仕様になっているということなのである。

      
                   黄昏のシルエット

11月28日(火) 曇り

2006-11-29 09:50:30 | Weblog
  午前中から大学へ。10時半から新学部の基礎演習のワーキングの会議。12時半から現代人間論系の会議。2時から新学部の論系・コースの委員長会議。夕方、会議から解放されて、生協文学部店へ。ぶらぶら見て回っていたら、店の奥にレンタルの袴のコーナーがあった。私の学生の頃は卒業式に袴を着用する女子学生はそれほど多くはなかったが、いつからかそれが主流になった。成人式は振り袖。就活はリクルートスーツ。卒業式は袴。結婚式はウェディングドレス。それが定番になった。儀式とはお約束である。奇を衒わず、型通りに振る舞ってみせることが、儀式に臨む場合の王道なのである。ただし、型どおりに振る舞って、その立ち居振る舞いが周囲から美しく見えるためには、いくらかの知識と訓練を必要とする。たとえば歩き方一つをとってもそうである。成人式の晴れ着姿の女性たちが普段よりもかえって幼く見えてしまうのは、和服を着たときの身体所作を身につけていないからである。…そんなことを考えながら、レンタルの袴のコーナーでしばしたたずんでいた。「場違い」というのはこういうときに使う言葉であろう。
  あゆみブックスで加藤周一『「日本文学史序説」補講』(かもがわ出版)を購入。帰りの電車、および蒲田に着いてシャノアールで読む。加藤の『日本文学史序説』が「朝日ジャーナル」に連載されたのは、1973年の1月からであるが、毎週一節のペースでの連載に、当時大学生であった私は驚愕したものである。連載時を振り返って、加藤はこう述べている。

  -かなりの枚数だが、あれだけの内容を毎週連載するのは相当厳しかったのでは?
  相当厳しい以上で、ちょっと生活の破壊に近くなっちゃった。友達にも会えないし、映画の一本も観ることもできなかった。つまり眠ってないときと食事をしていないときはあれを調べているか書いていました。締切が一週間だと、一日抜けると相当痛手を受けるわけ。ほかのことは何もできません。

  -なぜ週刊誌を選んだのか。月刊誌とか書き下ろしの単行本にしなかったのは?
  それは週刊誌が多くの読者を持っていたことと、編集者が非常に熱心に支えてくれたからですね。こちらの都合だけじゃなかった。それと、一種の自発的強制なんですよ。(笑)書き下ろしとか月刊ならもう少し余裕があるわけですが、そんなに毎日、あらゆることを一度にやるということはできない。だからそういうふうに自分で強制したんです。
  そうでないとなかなか終わらない。書く材料はいくらでもあるけれど、作家の名前は絞りに絞ってああなった。主な著作を読めば全部いれたくなるし、参考書は無限にあるし、どの程度まで読むのか、どこかで見切り発車しなければあの本は終わらないですよ。たとえば鴎外なら鴎外を今週書くのなら、何があろうとそれで終わりとします。何が何でも一週間で書く。週刊誌ならそういう強制力がある。研究を待っていたらキリがない。鴎外の研究を一生やってる人もいるんですから。(笑)一人の作家だけで一生かかっちゃう。どこかであきらめないとね。
  週刊誌は強制的に書かせるということと同時に、見切ることも強制します。ここで考えることはやめて、ここから書くと。一週間ですから、四日調べて三日書くか、三日調べて四日書くことになる。

  こういう「創作秘話」ないし「創作余談」はとても興味深い。しかし、私にとって一番興味深かったのは、戦争と知識人の問題を語っているときに、清水幾太郎に触れた部分である。

  -大きく変わっていった知識人のひとり、清水幾太郎さんについて。

  清水さんはオポチュニストではないと思います。初めはリベラルで、戦争中も戦争を支持しないで、戦後はリベラル左派として大いに活躍した。反戦運動をずっとやりましたが、突然、極度に右翼的な立場に転向しました。彼は改憲して日本は核武装すべきだという立場に変った。この最後のオチは粗っぽいし粗雑だと思う。私は彼の立場に反対でしたが…。
  あれだけ頭のいい人がどうしてそんな粗雑な考えに変ったのか、そこのところがよくわからない。ただ、清水さんの場合、様子を見てこっちのほうが都合良さそうだから、みんながぞろぞろ動く方向に動いたというのではないでしょう。おカネで買収されたのではない。彼は本当にそう思ったのじゃないかしら。
  …(中略)…
  一度、もし軍事力は必要なんだという立場をとれば、なしくずしに第九条解釈をごまかしながら少しずつ軍備を増強していく姑息な手段ではなく、もし独立の軍隊を本当に欲するんだったら、核武装も検討すべきでしょう。その点は清水さんははっきりしていた。検討して、彼は必要だといった。私はかならずしも必要だとは思わない。むしろ必要ではないというほうに傾くけれど、議論の余地はあります。議論はオープンだと思います。
  …(中略)…
  しかし清水さんという人は汚くない。私は彼が間違っていたと思うけれど、間違っていたということはかならずしも薄汚いといことにはならない。カネで買われるやつは他にたくさんいるでしょう。

  学生時代、著作を通して私が一番影響を受けたのは、加藤周一と清水幾太郎である。両者に共通なのは明晰な文体。しかし、二人の政治的な立場は左と右に分かれていた(ある時期までは二人とも左だったが、私の学生時代はすでに分かれて久しかった)。おそらく二人は互いの力量を認め合っていて、それ故、相手について正面から論じる(批判する)ことをしたことはなかった。私の知る限り、そういう文章を書いたことはないと思う。だから、今回、加藤が清水を(とくに晩年の清水を)どう見ていたかを知ることができたのは予想外の大きな収穫だった。

11月27日(月) 曇り時々雨

2006-11-28 01:38:17 | Weblog
  朝から机に向かう。原稿の細かな修正作業を、昼食と昼寝を間にはさんで、夕方まで続ける。
  夜、娘の誕生日(25日)と妻の誕生日(28日)のお祝いを兼ねて、母も含めて一家5人で、銀座アスターで食事。  
  帰宅して、「のだめカンタービレ」を観てから、机に向かい、ようやく原稿完成。400字詰原稿用紙換算で77枚。日付が変わる前にメールに添付して編集担当者に送る。やれやれ。来週から次なる原稿に取りかかるが、いまは、しばしの休息を味わいたい。何か音楽でも聴こうとCDの棚を見回すと、ちょうど今夜の「のだめカンタービレ」で千秋が選曲したブラームスの交響曲第1番の入ったCDがあった。演奏はベルリン・フィル、指揮はフルトヴェングラー、1952年の録音である。しかし、この緊張感の漂う名演は、やれやれという気分で聴くには不向きだろう。というわけで、ミッシャ・マイスキーのチェロ名曲集のCDを聴きながら、今日のフィールドノートを書いている。

11月26日(日) 曇り

2006-11-27 02:51:23 | Weblog
  ようやく原稿が仕上がりそうである。本論は書き終え、引用文献の一覧も整えた。後は注とサマリーを作成し、誤字脱字等のチェックをすれば完成である。
  とはいっても、注をどうするかは、本当は難しい問題である。私は注というものは本来少ないほどよいという考えをもっている。本当に必要なことがらは本論に含めるべきで、わざわざ注に回すべきではない。重要ではあるが、メインストリートの議論からは外れることがらを注に回すというのが一般的な考え方かと思うが、病的なまでに注を付けるのが好きな人というのがときどきいて、そういう人の書いたものを読むときは、本文を読み進みながら、頻繁に注のページを参照しなくてはならないので、ペースが一向に上がらず、辟易する。注を飛ばして読めばよいのであるが、しかし、それはそれで何が書かれているのか気になってしまうのである。「注文の多い料理店」ならぬ「注の多い論文」は悩ましい。
  サマリーというのも、本当は、私は書きたくない。とくに論文の冒頭にサマリーを載せるというのは味気ないことだと思う。たとえて言えば、小説を読む前にその小説の粗筋を読ませるようなものである。それでは小説を読む楽しみが半減(いや、それ以上だろう)してしまうのではないか。もちろん論文は小説とは違う。しかし人文科学の論文というものは広い意味での文学に属するというのが私の考えである。そして文学にとってレトリックは非常に重要なものだ。サマリーはそのレトリックを削ぎ落として、言いたいことを手短に言うとこういうことだと示すものである。けっ、味気ないったらありゃしない。