ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

二重太陽系死の呼び声 ニール・R・ジョーンズ

2012-07-23 12:37:00 | 

楽しいからこそのスペース・オペラ。

光線銃を片手に構え、美女を背中に隠してエイリアンとの銃撃戦。あげくに超光速宇宙船のアクセル踏み込んみブッ飛ばして、銀河の果てまで大冒険。空想科学小説というよりも、妄想エセ科学小説なのは明らかなのだが、それがどうした。

だって楽しいのだもの。

表題の作品こそ、そんなスペース・オペラのなかでも変り種中の変り種。ある科学者が自分の遺体を人工衛星に載せて永遠に地球を周回するよう遺言した。その遺言は忠実に守られ、その科学者の遺体は人工衛星に載って数千万年地球を周回した。

既に人類は滅び、地球も死の惑星と化した。そこへ深淵の宇宙から訪れた機械化された永遠の命をもつエイリアンがやってきて、その人口衛星を発見した。彼らの高度な技術は、既に遺体と化して氷結した人間の科学者を甦らせて、機械化させて宇宙探検の仲間に招き入れた。

死んだつもりが、数千万年後に甦えさせられた科学者はビックリ仰天。だが、もともと興味心、探究心は人より豊富な変人科学者だけに、誘われて大喜びで彼らエイリアンの仲間となって、銀河宇宙を大冒険である。

あな、おかし。

つっこみどころ満載の、奇想天外な作品なのだけど、楽しいことは楽しい。おおらかというか、楽観的というか、表現に窮するくらいに、暢気に気持ちよく冒険が進む。決して科学的とは言わない。言わないが、面白いことは面白い。

ちなみにイラスト及び表紙画は、漫画家の藤子不二雄(AかFかは不明)であり、これがまた楽しい。

ただし、この作品の発行元はあの早川書房である。例によって絶版本と化して数十年。古本屋を探しても、まず滅多に見つかることのない稀覯本と化している。アマゾンで数冊売りに出ているようだが、もし見かけたら速攻で買って欲しい。二度と手に入らぬ可能性大であるからだ。

さすがに復刻しろとは言わないが、せめて版権を解放して電子書籍として復活して欲しい。もちろんイラスト付きでね。だって楽しいのだもの。ちなみに下記の写真は二作目です。一作目、たぶん、本棚のどこかに収まっているはずなのですが、二重駐車しているので、見つけられませんでした。

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熱帯夜

2012-07-20 16:25:00 | 日記
あまりにタイミングが合いすぎると、なにかの策謀かと思いたくなる。

いや、策謀どころか呪いかもしれない。日頃、好き勝手ブログに書き殴っているので、誰かが丑三つ時に呪いの人形でも神社で打っているのかもしれない。

何のことかというと、実は梅雨明け3日ほど前に、自宅のクーラーが壊れたからだ。おかげで一週間余り、この酷暑の夜をクーラーなしで過ごしている。これはけっこうきついぞ。

ただ、元々クーラー嫌いなので、寝室にはクーラーはなく、隣の部屋との間のふすまを開けて過ごしていたので、多少は救われている。実を言えば、クーラーを付けたのは、15年くらい前で、その前の自宅療養を9年していた時は、クーラーなしで暮らしていた。

だから、クーラーなくても眠れない訳でもない。まず寝ゴザをひいておく。次に扇風機をやや上方に向けてセットしておく。直接風に当たるのは、たしかに気持ちいいが、私の場合風邪を引きやすいので、扇風機でさえ間接的な使い方をする。

よほどの熱帯夜でない限り、この程度の備えがあればクーラーは付けない。だが、近年温暖化の影響か、東京の夏の夜は熱帯夜が続く。しかも、昔とことなり夕立がないので、昼間の熱気が夜遅くまで残っている。

仕方ないので、隣室のクーラーをセットして、間接的に冷気が寝室に入り込むようにして熱帯夜を過ごしてきた。それでも寝苦しい時は、アイスノンを枕の上に敷いておけば大丈夫。ここ数年、熱帯夜の夜はそうして過ごしてきた。それだけに、梅雨がそろそろ明けようとの頃合いに、クーラーが壊れた時は、さすがに頭を抱えた。

困ったことに我が家のクーラーは、ガス・ルームエアコンというタイプで、クーラーは電気で、そして暖房はガスというタイプなのだ。何が困るかといえば、もうこのタイプのエアコンは販売されていないからだ。

仕方なく、ただのエアコンに買い替えることとした。でも、ガスの配管除去工事などをしないといけないので、費用がかさむだけでなく、工事の日程も自由に決められない。まァ、なんとか明日には工事が出来そうだと連絡があったので、熱帯夜も今晩限りだと安堵している。

それにしても、東京は今週初めに梅雨が明け、あっというまに熱帯夜続き。おかげで、毎朝暑くて目が覚める。だいたい5時半には、否が応でも起きてしまう。仕方ないので起きてしまい、シャワーを浴びて朝食を取ると、すぐに出かけることにしている。

まだ通勤ラッシュが始まる前の電車で、快適に出勤しているので、これはこれで仕事の効率が上がり良い結果となっている。でも、夜に帰宅して扉を開けた時の熱気は、やっぱり嫌だ。

幸い昨夜から熱帯夜は一休み。ただ帰宅時の熱気だけを我慢すればいいのだが、それにしても何だってこんなタイミングで、クーラー壊れたのだろうか。まったくもって困ったもんだよ。
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アメイジングスパイダーマン

2012-07-19 14:12:00 | 映画

ここしばらく、アメリカのパルプマガジンのヒーローたちを取り上げることが増えた。

多分、春先以来の激務による過労と、不況により財布の中身が寂しくなったことが影響していると思う。こんな時は、お気楽なヒーローもので心を和ませたいではないか。そんな気分なのだ。

そんな情けない理由なのだが、白状すると楽しい。なんといっても十代前半に楽しんでいたアメコミ・ヒーローたちなのだ。つっこみどころは、沢山ありすぎて困るぐらいだが、大人の余裕でそれすら流して楽しめる。

なかでもスパイダーマンは、アメリカの正義が前面に出てこないだけに、素直に楽しめる。だが、既に三作も作られているスパイダーマンを最初からやり直すが如き本作はどんなものだろう。

ちょっと不安を感じながら映画館に入ったが、思ったよりは好印象であった。なかでもクモの糸を壁や柱に絡ませての空中散歩の失敗が楽しかった。そりゃそうだ。あんなアクロバティックな空中散歩、最初っから上手くいくわけない。

失敗しながらも、少しずつ空中散歩を上手くなっていくのは、ある意味とてもリアルで、いささか内面の葛藤を処理しかねている主人公をよく描けているように思えた。もともとスパイダーマンはアメコミでも悩めるヒーローとして名高く、それをどう描くかが見ものだと思っていた。

誰だって最初は初心者だ。スパイダーマンも最初は初心者ヒーローだった。未熟で、自意識過剰で、己を客観視できずに暴走する若者そのものだ。だからこそスパイダーマンは面白い。

ただ、この作品伏線が多すぎる。これじゃァ、二作目以降が必ずあるんだよとの宣伝が散りばめられているのが見え見えだ。この点が不満だね。ヘンな後の引き方はやめにして欲しい。

アメコミらしく、すっきり、ばっちり、時間内で解決して欲しいな。余計な伏線は、むしろマイナス要因だと思うぞ。

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ヒトはなぜ助平になったか 戸川幸夫

2012-07-17 09:54:00 | 

本能に悩まされない人なんて、いる訳ないと思っている。

人である以上、三大本能といわれる食欲、性欲、睡眠欲は誰にでも必ずある。人によっては、これに権勢欲が加わる場合もあるし、一つの欲望に偏る場合もある。

私自身に関していえば、権勢欲には乏しいが、他の本能は人並みにあると思っている。ただ、若干性欲が不安定だ。性欲は種としての保存本能でもあると同時に、人間の場合は家族愛、夫婦愛にもつながる。

私の場合、家庭に関していささか消極的なので、相手が妊娠することを異常に恐れる気がある。家庭あるいは家族を嫌っているわけでは断固ないののだが、家庭に縛られたくない気持ちが強い。

昔、十代の頃に付き合っていた女性から「ねぇ、あなた・・・」と言われて、急に逃げ出したくなったことがある。今まで「ヌマンタ君」だったのに、なぜに急に「あなた」なんて呼ぶのか。過剰反応だと分かってはいたが、急用を思い出して帰ろうかと思ったぐらいだ。

ただ性欲がないわけでも、乏しいわけでもなく、やることは一応やっている。強いて言えばバリエーションには欠けているが、別に女装したいわけでもなく、痛くするのも、されるのも嫌いだし、正統派というか平凡なスケベで十分だとも思っている。

先に権勢欲には乏しいと書いたが、実のところ知識欲は強い方だと思っている。勉強が好きな訳ではないと思うが、未知の世界を知ることを喜ぶ志向は、かなり強いと思う。小学校低学年の頃の愛読書が、百科事典であったのも、そのせいだ。

この知識欲の延長線上にあると思うのが、趣味への偏重ではないか。私の場合は、主に読書だが他にも虫取りとか、プラモデル作りとかには、並みの子供以上に集中して熱中していた。今はどちらもやっていないが、プラモ作りは年老いたらやってみたいと思っているぐらいだ。

いったん集中しだすと、食べる時間も、寝る時間さえも惜しくなる。とにかく邪魔されたくない。ひたすら集中したい。しかし、狭い家に4人家族であったため、なかなかその時間は取れなかったことが、後の一人暮らしへの渇望につながったようだ。

ただ、今にして思うと、一人暮らしの時よりも、母や妹たちが騒がしいあの家に居たときのほうが、集中力はあったように思う。妹たちがどれほどお喋りに熱中していようと、面白い本を読みだしたら、一切の雑音は消え失せていたからだ。

あの十代半ばの異常なまでの集中力は、凄まじいほどで、あの力が今あったらと思わずにはいられない。ただなァ・・・あの頃は自分の性欲を持て余していたことも確かで、あれはあれで苦痛だった。

自分が何に悩んでいるか分からなかった。どうも、それが性欲に絡むものであるらしいことは察しがついた。でも、どうしたらいいか、それが分からなかった。仕方ないので、エロ本を入手してとりあえず知識だけは得て、その後友人たちといろいろ話して、ある程度分かった。

分かったけれど、それを実行に移せるかどうかは別問題。思い出すだけで、冷や汗が出てきそうな恥ずかしい時間を費やしたものだと、自分でも呆れてしまう。なんで、あんなに不器用だったのだろう。

今だったら簡単に言えるのに、あのころは妙な拘りがあって口に出来なかった。「愛している、だからSEXしたいんだ」。

身もふたもない言いようだが、これが一番正直な本心だと思う。

表題の本で解説されていたが、多くの生物にとって生殖に愛はいらない。魚などは海中に精子を放出するだけで、それを近くにある卵子が受け入れるだけ。種族愛ならあるのだろうが、個体としての愛情なんて必要ない。

ところが、知能が高等化して、集団を構成するようになると相手の気持ちが重要になる。サルのグルーミングなどは、サル同士の関係を円滑に保つだけでなく、生殖への重要な過程でさえある。

これが人間にもなると、愛なくしての生殖は難しいほどだ。しかも、その愛の表現の仕方は多彩にして多様。もっとも欲望を多様化して、しかも高技術度を必要とするようになったのは、性欲だけではない。

本能のなかでも、決して無くすことが出来ない睡眠欲だが、人間ほど多種多様なベッドをしつらえる生物はいない。食欲だってそうだ。単に栄養をとるだけでなく、美食までも求め、その食事の場所さえ工夫を凝らす。

もしかしたら、人間って地球上で最も欲望の深い生き物なのかもしれない。その強き欲望故に、地球の資源を探し求め、大量に消費することを止めない。そして、その資源を掘りつくし、使いつくし、それでも欲望を満たすための努力を止めない。

人間って生物が滅びるとしたら、その欲望の強さゆえではないだろうか。私にはそう思えてなりません。

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相続税の増収

2012-07-13 15:24:00 | 経済・金融・税制

消費税の増税は、ほぼ確定といって良いが、気になるのが相続税の増税だった。

ところがだ、消費税の増税法案は衆議院を通過したのに、またしても相続税の増税は先送りとされた。たしか継続審議なので、再び国会に提出される可能性はある。まァ、増税を望んでいるわけではないので、とりあえず一安心した。

しかし、今回で二度目の先送りだ。目立った反対運動があるわけでもないのに、何故に二度も先送りされたのか私には不思議に思えてならなかった。そんな矢先、妙な情報を聞いた。なんと23年度の相続税の納付が前年を上回っているらしい。だから今国会での先送りを了承したのだろうか。

通常、相続税の納税が増える要因は、土地と株価の高騰だ。そしてご存知のとおり、日本経済は低能・民主党政権のもとで迷走を続けている。不動産取引は低調であり、空き室、空き家が目立つほど。株価については、多少の変動はあるものの、全体としては低迷しており、売買高も低調だ。

こんな状況下で相続税の納付が増えるなんて、普通では考えられない。しかし、実際に納付額は増えている。なぜか?

実は増税こそされていないが、実質的な増税が平成21年にされている。何かというと、「小規模宅地の減額特例」の適用の厳格化だ。

これは、生活の拠点である土地を時価評価して、そのまま課税してしまうと土地の高騰により納付するための現金がなくて、結果的に住まいを売らねばならない事態に陥りかねない事を考慮して設けられた特例だ。

簡単に言えば、生活の拠点である自宅の土地の更地価格が一億円だとしても、20%である2000万円で評価することを認めている。面積制限(240㎡)こそあるが、8割の減額評価なのだから、大変ありがたい制度であった。

この「小規模宅地の減額特例」と手厚い基礎控除(五千万円プラス法定相続人×一千万円)のおかげで、相続あれども相続税はなし、といった家庭が多かったはずである。

だが、来る少子高齢化社会へ向けての財源確保の一環として、相続税を広く薄く課税することを目論む財務省が、基礎控除の縮小(三千万円プラス法定相続人×600万円)を打ち出した改正相続税法案の提出を目指していたはずだ。しかし、この法案は、二度にわたり継続審議となっている。

にもかかわらず、相続税の税収は前年を上回っているという。そうなると、やはり平成21年の「小規模宅地の減額特例」の適用が厳しく制限されたことが大きく影響していると考えざる得ない。

なにが厳しくなったかといえば、居住用とみなされるための要件だ。核家族化が当たり前になり、親と子供が同居してることは、もはや珍しい時代にあって、同居して、かつ相続税の申告期限(死後、10か月)まで継続して居住することを求めているのは、いささか非現実的だ。

細かい要件は省くが、配偶者が取得するか、同居していた子供がその家に住み続けるか、あるいは持ち家を持たない子供(配偶者も持ち家なし)がその家を相続する以外では、この居住用の特例を受けるのが難しい。

さらにおかしいのは、事業用の場合だ。つまり亡くなった親がお店をやっている場合、そのお店を引き継げば居住用の特例同様に8割減の評価特例を受けられる。小売店や飲食店ならばいい。しかし、お店の中身が親と子で違ってしまうと、この特例は受けられない。

たとえば、親が内科医で、子供が歯医者の場合、医師と歯科医師では業種が違うので、事業を引き継いだとみなされず特例は受けられない。たしかに歯医者の子供は、親の内科医の仕事を引き継ぐことはできない。

だが、もともとこの特例が設けられた趣旨は、生活の拠点を相続税の納税のため売り払うような悲劇を避けるためだったはずだ。こんなに要件を厳格化してしまうと、むしろかえって立法の趣獅ノ反するように思えてならない。

正直、私個人としては承服しかねる。だが、一方で私はプロなので、税務当局が認めないと分かっている特例適用をすることは出来ない。それは仕方のないことではあるが、顧客に特例を受けられない事情を説明する気持ちは複雑だ。

いったい、なんのために小規模宅地の特例が設けられたのか、これでは納得できないし、矛盾だらけではないか。

ただ、困ったことにこの件では世論の応援は期待しずらい。なにせ、相続税に悩むような家族は、せいぜい3%前後だからだ。実際、上記のようなおかしな適用厳格化に反発して、裁判になったケースは少なくない。しかし、大半が納税者敗訴で終わっている。

そのような裁判にかかわった方の話を聞くと、裁判官の側は金があるんだから、払えよといった態度が透けてみえるように見受けられたらしい。法令解釈にのみ固執して、立法の趣獅ネいがしろにする裁判官が後を絶たないらしい。

普通、相続に頭を悩ませるのは、人生で1~2回程度だ。そのせいで、関心を持たない人が多いのは分かるが、いざ直面してみて自分の常識が通用しない税務の世界に戸惑い、怒り、嘆く人は多い。

財務省はこの先、相続税を広く薄く課税する意向であるようなので、今後相続税に悩まされる方は増えるはずだ。私も頭が痛いぞ。

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