ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

スノーホワイト

2012-07-04 12:22:00 | 映画

王様は雄々しくあるべきだ。

おそらくは、古の昔より王様というものは外見が大切だったのだろう。外見が貧相でも、実力ある勇者はいたし、賢明なリーダーもいただろう。その実力を知る仲間に支えられて、権力の座を勝ち得た初代の王様ならば、外見が貧相であろうと構わない。

だが、一度権力の頂点をつかみ、その権力の座をかため、仲間ともどもその繁栄が長く続くことを願えば、そこには必然的に子供への権力の承継が起こる。実力で権力の座を就かんでも、その血を分けた子供がその実力を引き継いでいるとは限らない。

初代の王様の子供は、必ずしも実力を備えていなくても構わない。初代が勝ち得た権力構造を守ってくれれさえあればいい。極論を言えば無能でも構わない。宰相が補佐の名の下に王国を安定させればいいだけ。初代の力となり、権力の分け前を得た貴族たちが、王を守ってくれれば、それで十分王国は機能する。

ただし、二代目以降は外見が貧相では困る。やはり外国から、それなりに敬服されるだけの立派な外見であって欲しい。だからこそだと思うが、王侯貴族には見た目が麗しい者が多い。もちろん肖像画などを美化して描き残したものもあるだろう。

だが、想像するに見た目が綺麗な女性を王妃に迎えるか、あるいは王妃は有力貴族から得るにしても、後宮に美女を入れて外見が立派な王族を育成する努力があったであろう。もちろん、有力貴族たちも自らの娘を王妃にさせるため、似たような努力を重ねてきたはずだ。

私のみるところ、欧州の王族、貴族などにこの傾向はみられるが、インドの王侯貴族などはまさにこの頂点に思えてならない。男性は風格豊かで貫禄があり、女性は優美で華麗。まさに長年の美女美男子のDNA配合の成果だと思う。実際、庶民階級のインド人と、王侯階級のインド人では同じ民族でも外見が違い過ぎる。

外見は大事、それは確かだが本当に凄いのは長年にわたり培われた生活習慣や行動、態度であったりする。貴族的な優美さとは、単に外見だけを指すわけでない。それは文化の蓄積に他ならない。

話は飛ぶが、世界三大料理といわれるフレンチ、中華、トルコは、いずれも王朝文化の下で花開いた料理ばかりだ。断言してもいいが、美味しい料理文化は、王や貴族の庇護の下でしか花開かないと思う。

私は日本人だから和食が好きだが、その日本が誇る懐石料理がいささか地味なのは、日本の貴族文化が世界基準でみると貧乏クサいことが原因だと思っている。やはり美味しい食事、すなわち贅沢な食事には金がかかるのだと言わざる得ない。

色気よりも食い気の私なので、ついつい食い物に話が脱線するが、お姫様が美しいのは単なる王様の美形好きが理由ではない。外見麗しい王族を育むことが必要だからこそ、美しい女性を妻に迎える必要があったのだろう。

余談だが、某国の王子様が美しい奥様よりも、幼馴染の人妻との不倫に走ったのは、王族の義務よりも自身の本心を優先してしまった結果だろうと邪推している。既に子供も出来ていたので、一応の義務は果たしたというところなのかもしれない。

ところで表題の映画だが、白雪姫の物語を期待していると、大いに裏切られると思う。いや、物語の大筋は白雪姫そのものなのだが、換骨奪胎されて現代風の強くて綺麗で逞しいお姫様の物語に代わっている。

これも時代の流れだとは思うが、従来の白雪姫のほうがイメージ良くないかなァ。まァ二時間楽しめる内容ではありましたがね。

コメント (8)
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