ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

クッキングパパ うえやまとち

2012-07-06 12:01:00 | 

目を閉じれば、今でも思い出せる。

薄暗い通路に入り、二つ目の玄関を開けると、四畳半ほどの広さの台所兼リビングだ。狭い廊下を抜けると四畳半と六畳の部屋があり、母と私たち兄妹3人の4人家族が暮らす我が家であった。

一応、鉄筋コンクリート造りの公務員宿舎なのだが、作りは古く、隣の瀟洒なマンションとは雲泥の差であった。が、あまり貧乏を感じることはなかった。周囲には団地が多く、皆似たような作りであったし、少し歩けばアパートと称するよりも長屋と言いたくなる木造家屋が軒を並べていたからだ。

大雨が降れば蛇崩川が氾濫して、辺りにドブの臭いが漂うのには閉口したが、子供たちの遊び場所には不自由しない街でもあった。案外、緑は多く公園や神社は、かっこうの遊び場でった。

遊び疲れて家に帰ると、私は台所にたってまずは米とぎをして、炊飯器の準備をしておく。母が帰宅するのは、いつも6時過ぎなので、それまでに夕食の下準備だけは済ませておく。

母に言われたから、やっていたのかどうかは記憶に定かでないが、私としては朝早く仕事に出て、疲れて帰ってくる母を手助けするつもりの米とぎであった。決して嫌々やっていたわけではない。

いや、むしろ興味津々で台所仕事を手伝っていた。ここへ引っ越す前に住んでいた祖父母の家だと、祖母が私が台所に立つことを許してくれなかったからだ。おばあちゃん子の私ではあるが、これはちょっと嫌だった。

だから引っ越して、母子4人だけとなると、喜んで台所にたった。もっとも最初は米とぎと片付けだけだった。そのうち、母と一緒にハンバーグをこねたり、餃子の具を皮に包んだりしていた。上の妹も手伝いはじめ、ただでさえ狭い台所は余計に狭くなった。

やはり妹のほうが上手いので、夕食時の料理の手伝いは控えるようになった。でも、ちょっかい出すのは長男様の特権である。おかげで、にぎやかな夕食時であったのは確かだ。そのうち小学校5年ぐらいから、自分一人でラーメンを湯でて作ったり、オヤツのゼリーやプリンを作ることも始めた。

ラーメンはともかく、オヤツはもっぱら妹たちと食べるためである。当時、私はいろいろと具材を加えてアレンジして作ることを楽しみにしていた。缶詰のフルーツを少し小さく刻んでゼリーに混ぜて固まらせるのが好きだった。

なかでも忘れがたいのがコーヒーゼリーだ。私の場合、正確にはコーヒー寒天なのだが、インスタントコーヒーの粉を溶かして、砂糖と混ぜてから寒天に溶かし込んでオヤツとしていた。まあまあの味だと自画自賛していたら、その年の夏にコーヒーゼリーが爆発的にヒットした。

ゼリーと寒天の違いはさておいても、私は自分のアイディアが盗まれた如くに悔しがった。特許でも取っておけば金持ちになれたのにと悔しがっているのを母が可笑しそうに見ていた。たぶん、味がまるで違うからだろう。

そんな訳で、子供の頃から料理することをまじかで見て育ったので、私は下手の横好きと承知しつつも料理が好きだ。でも料理教室などに通ったことはない。私の料理のメニューの大半は、野外生活で覚えたものばかり。

特に大学時代のWV部では、一年生は食事当番であり、嫌だろうと下手だろうとやらされた。ここで料理を覚えた奴は少なくない。ちなみに私が一番得意としたのは、米炊きだ。携帯型の灯油コンロで、しかも大鍋でコメを炊くのはけっこう難しい。

なぜに飯盒ではなく、大鍋かといえば、我が部では朝は男子1合、女子0,7合のご飯がノルマであり、夜は男子2合、女子1,5合である。飯盒なんかでチマチマ炊いていたら、全然足りないのだ。

もっとも「こんなに沢山のご飯、食べられません」と一年生から当初悲鳴が上がったが、合宿が始まり過酷な行動が続くと、最後にはご飯の取り合いとなる。最初はお椀一杯のご飯で満腹だと言っていた奴が、夏合宿の頃には一人で3合食べる有様である。

だから大鍋で、一気に20合近いコメを炊くこともある。これはけっこう難しい。で、私はこれを案外と得意にしていた。ポイントは匂いである。生炊きして固いご飯は、みんなから最も嫌がられるので、少し多めに水を入れて、溢れぬようこぼれぬ様細心の注意を払うが、それだけではダメだ。

私は炊きあがり直前の蒸気の匂いに注意を払った。鍋の底から少し焦げた匂いがたつ、その直前で火から下して蒸すのがコツだからだ。ちなみに、少し焦げた部分は、おこげとして人気が高く、鍋掃除の際の一年生の特権として与えられていた。

二年、三年になると、このおこげは我慢しなくてはならないとされ、一年生が美味しそうにおこげを食べるのを羨ましく見ていた。おこげは、多すぎると全体が不味くなるし、少ないと文句が出る。私はそのあたりのさじ加減が上手かったので、食事当番の大半はこの米炊きをやっていた。

おかげで大学四年間では、あまり料理のレパートリーは増えなかった。その私が飛躍的に献立の中身を増やしたのは、やはり難病に罹患しての長きにわたる療養生活の最中であった。

低たんぱく、低塩分の食事療法は無理強いされることはなかったが、私自身が薄味に嗜好を変えていたので、改めて計量器を買ったりして、薄味の献立を覚える努力をした。料理本も何冊も買って、自分で試してみて、何度となく失敗も重ねた。

表題に掲げた漫画本も、その料理本のひとつである。この漫画で取り上げられた献立を、見よう見まねでずいぶんとやってみたものだが、正直言ってあまり美味しく出来たものは少ない。

私の料理の技量が低いのが最大の原因だと思うが、美味しそうな料理が並ぶ漫画を見ながら「何故だろう?」と首をかしげたものだ。ただし、チーズ鍋なんかは上手く出来たから、献立次第なのかもしれない。

綺麗な写真で調理過程を解説している料理本は少なくないが、率直に言って写真よりもイラストもしくは漫画のほうが素人には理解しやすい。雑誌週刊モーニングに長く連載されていた人気漫画だけに、目にされた方も少なくないのではないかと思う。でも、自分でやってみた人、どれだけ居るのだろうか。ちょっと感想を聞いてみたい気がします。

コメント
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