ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

アラビー ジェイムズ・ジョイス

2010-05-24 13:13:00 | 
自分がもどかしい。

思い出すと、もどかしくて仕方がない。なにがって、異性への想いだ。私は女性の多い家族に育ったので、異性というものを自覚することに鈍かった。もちろん、男と女が身体的に違うことは、当たり前のように知っていた。

知ってはいたが、分ってはいなかった。まあ、家族のなかの異性だと、その程度の理解でも問題はない。しかし、一歩家を出ると、そうはいかない。

だから、自分が特定の女性を女として強く意識していることに気がつくと、自分に戸惑わざる得なかった。とりわけ第二次性徴が始まった頃から、自身の内側から湧き出る奇妙な衝動には悩まされた。

いささか不謹慎ないい様だが、触りたい、撫でたいから始まる肉体的衝動には困惑せざる得なかった。だが、それ以上に悩んだのが、言いたいことが言えない理不尽さ。

心のなかではいくらでも言えた。ところが、いざ本人を前にすると言えなくなる。それどころか、まったく逆の事が口から出る。

その結果として、当然に褪めた、あるいは興ざめした白々しい雰囲気に自己嫌悪が重なる。なんど膝を抱え座り込み、あるいは布団に潜り込んだことか。

だからこそイベントは大事であった。行事にかこつけて自分の気持ちを相手に素直に伝えたいと目論んだ。ところが、これが上手くいかない。

思わぬ邪魔が入ることも多いが、それ以上に自分の期待とは異なる進行に、時機を失して呆然と佇む失敗だらけ。今にして思えば、経験不足であり応用力不足なだけだ。つくづく、自分には才能がないと自覚せざる得なかった。

そんな苦い記憶を思い起こさせてくれたのが表題の短編だ。ジョイスの短編集「ダブリン市民」に納められている一編であり、それほど有名な作品ではなく、若い頃は読み過ごしていた。

いや、読み過ごしたというよりも、無意識にスルーしたのだと思う。もう一度、あの頃に戻れたのならば、きっともう少し上手に出来たと思うのだけど、それは叶わぬこと。

なお、難解で知られるジョイスの「ユリシーズ」は私が挫折した数少ない名作(・・・と絶賛されている)ですが、初期の短編集「ダブリン市民」は比較的とっつきやすいと思います。機会がありましたら、どうぞ。
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夏の日のUFO

2010-05-21 12:26:00 | 日記
子供の頃、母に連れられて茨城の国民宿舎に泊まったことがある。

小奇麗な宿舎ではあったが、飾り気がなく、そっけない印象が強かった。もちろん、夏の海水浴に行ったわけで、太平洋の荒波が打ち寄せる海岸は、伊豆や房総の海に比べて荒々しかった。

そのせいか、あまり砂浜で泳いだ記憶がない。ただ、どうしても忘れ難い思い出がある。あれは宿舎に泊まった夜のことだった。

母と妹たちはTVの前でなにやらお喋りをしていたようだが、私は一人ベランダに出て暗い海を眺めていた。星空と海の境目辺りに漁船の誘魚灯がキラキラと煌き、飽きもせずに眺めていた時だ。

なぜか誰かに見られている気がして辺りを見渡すが、別になにもない。だが、上を見上げると数十メートル上空に、なにやら暗い塊が浮いていることに気がついた。

気がついた瞬間、背筋がゾッとした。

おそらくは数分間、凍りついたように上空を眺めていたと思う。互いににらみ合っているような緊張感が、私の動きを奪った。すると背後の窓扉が開いて、妹がジュースがあるよと声をかけてきた。

振り返って妹の手からジュースを受け取り、改めて空を見上げると、そこには星空が広がるばかり。

気のせいか?いや、たしかになにかがあったはずだ。

だが証拠はなにもなく、口にするのもはばかれた。暢気な私は、その後風呂に入り、さっぱりして寝てしまい、翌朝にはすっかり忘れていた。ところが思い出さざる得ないこととなった。

翌日は、少し南下して犬吠崎近くの民宿に泊まった。少しボロい宿だが、賑やかであり、また海も泳ぎやすく、楽しい夏の一日を過ごせた。

その夜、皆で花火をやり、松の防風林がまばらな夜の砂浜を散歩して、民宿に戻った。交替で風呂に入り、湯上りのほてった身体を冷ますため、部屋のベランダから夜空を眺めていると、突如として妙な飛行物体が目に飛び込んできた。

数百メートル離れていたと思うが、その飛び方が妙だった。直線に飛んだと思うと、ユラユラと彷徨い、再び高速で飛び去る。私の視界から消えたと思いきや、ふと上空を見上げると、いつのまにやら遥か頭上に浮遊している。

すぐに昨夜の暗い塊を思い出したが、こちらは光を放っていた。なによりも緊張感がなかった。根拠はまったくなかったが、なぜか私はこの物体は敵ではないと感じていた。むしろ、私を見守っている印象さえあった。

多分、時間にすれば数分だと思う。私には何が起きているのか、さっぱり分らなかったが、昨夜の暗い塊と無縁だとは思えなかった。

すぐ後ろの部屋の中には、妹たちがお喋りをしているのが聴こえた。現実と非現実の間に佇むが如き、奇妙な感覚に包まれた。昨夜の塊はともかく、その夜目にした飛行物体が、いわゆるUFO(未確認飛行物体)であることはすぐに分った。

でも、分らないものが存在していることが判明しただけで、なにがなんだか分らなかった。

だから、この日も私は黙り込んだ。理解できないものを無理やり分ったかのごとく振舞うのは私の趣味ではない。分らないからといって、別に困ることもないようだ。だから、ほっておくことにした。悩んでも無駄なことは、悩まない、考えないが私のポリシーだ。

あれから40年あまり。私の人生においては、怪奇現象とか不思議な体験はそう多くはない。UFOに関してならば、この夏の旅行のときだけだ。

写真などの証拠はないが、未だに忘れ難い思い出でもある。人間、生きていれば、分らないこと、不思議なことの一つや二つあってもおかしくない。きっと、誰の人生にもあることだと思う。

それにしても、あの二種類のUFO、いったいなんだったのだろう。想像を逞しくすれば、SF小説のネタになりそうなんですけどね。
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日本はアメリカの属国ではない ビル・トッテン

2010-05-20 12:17:00 | 
言葉というものは、使い方次第では怖い。

自由貿易の自由とは、強者が自らの欲望を自由に行使する意味での自由だ。決して誰もが自由に売り買い出来る自由ではない。

規制緩和とは、大企業が零細企業を守る規制を排除して、売りたい商品を大規模に売りさばくためにある。

そしてグローバリズムとは、多国籍企業がアメリカという覇権国の権威を利用して、その貪欲さを満たすための方便である。

アメリカは、かつては健全な中産階級に支えられた国であった。だが、古きよき時代は過ぎ去った。20世紀後半は、アメリカがよき働き手であった中産階級を切り捨て、人件費の安い国で製品を作らせ、それをアメリカに還流させて多額の利益を得る時代でもあった。

そのために規制緩和はなされ、自由貿易が推進され、グローバリズムは推し進められた。末端の労働者の数百倍の高収入を誇るCEOと、金のためだけに経営者を選ぶ株主により、アメリカは格差社会となった。

果たして、その経営戦略はアメリカを幸せにしたのだろうか?

例によってアメリカの後を追った日本の今の現状は、まさにそのとおりの惨状を呈している。勝ち組と称される品のない拝金亡者と、ワーキングプアと蔑まされる希望なき貧困者たちに二部されつつある。

それでも、まだ日本は労働格差はアメリカほどはひどくない。だが、若者が希望がもてない暗く陰鬱な未来しか見えてこないことも事実だ。

ごく一部の金持ちと大量の貧民で作られた社会が幸せなのだろうか。

アメリカで生まれ、日本で長く働く著者は疑問を呈さざる得なくなった。強者の貪欲さを満たすことを主たる役割としているアメリカ政府に疑問を抱き、そのアメリカに無自覚に追随する日本にも疑問を呈する。トッテン氏のようなアメリカ人は、きわめて珍しく、奇特といってもいいが、或る程度納得せざるえないのが悔しい。

今の日本は巧妙に仕組まれたアメリカの新・植民地ではないかとの見解は一読に値する。私も日本をアメリカの属国とみている。形式的には独立国であるが、中味は属国に過ぎない。だいたい、首都を外国の軍隊に包囲され、敵味方識別装置を外国から輸入して、しかも中味をいじれない独立国なんて茶番に過ぎない。

アメリカへの反感にそそられるが、それでも貿易立国である日本はアメリカに追随せざるえない。七つの海を支配するアメリカの軍事力が健在である限り、屈辱ではあってもアメリカの思惑に乗らざる得ない。

それが現実であり、他に選択肢があるとも思えない。

それでも、せめて現実を直視する勇気だけは持ちたい。今はアメリカに追随するしかないにせよ、日本が日本であり続けるためにも、今は屈辱に耐え忍び、その屈辱をおかしな自虐観や安易な反米に逃げる誤魔化しは避けるべきだ。

石原のように口先だけで反米を唱えるか、はたまた鳩ポッポように駄々をこねるのでは未来はないと思うね。
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番線 久世番子

2010-05-19 12:11:00 | 
一日最低一回は本屋に足を運ぶ。

この習慣は十代の頃から延々と続いている。20代の長期入院の最中も、動けるようになって最初にしたことの一つが、病院を密かに抜け出して近所の本屋に行くことであった。

しかし、だからといって本屋の内情について詳しいわけではない。表題の「番線」という用語は、本屋さんの識別コードのことだという。まったく知らなかった。

これだけ本屋に通い詰め、大量の本を読み、また購入しているにもかかわらず、その本が如何に作られているかも知らない。そんな本屋や出版業界の事情を体当たりで取材した作品が表題の漫画です。

言葉だけは知っている「写植」とか、「校正」の実態。また日本で出版される書籍のほとんどを収容する国会図書館のレポートなどは実に楽しい。

でも、なによりおかしく、また共感せざる得なかったのは、本好きの人が皆、共通して持つ悩みについてだ。

やっぱり皆さん、本の置き場所には悩んでいるのですね。まったくもって他人事ではない。私の部屋の本棚は、既に本で溢れ、二段置きはもちろん、禁断のスライド部分にまで本が詰まっている。(スライド意味なし)

おまけに本棚はゆがみ、棚の一部は破損して応急処置で誤魔化している。それでも増える一方の本どもは、ついには床を占拠しはじめ、万年床の周囲は本の壁に覆われている。

でも、正直白状すると、床に積み重ねられた本に囲まれて眠るのは気持ちいい。なにせ、目を醒まして手を伸ばせば、そこに必ず本がある。地震がくれば大変なのは分っているが、この禁断の快楽を知ってしまうとなかなかに抜け出せない。

これは活字中毒患者の末期症状だと思うが、それでも憧れるのは部屋中、書棚が据付けられた家に住むこと。多分、皆さん共通の憧れだと思う。

この夢、叶うかな?
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プロレスってさ ロード・ウォーリアーズ

2010-05-18 14:22:00 | スポーツ
こんな奴らの傍で酒は飲みたくないな。

そう思わせるのが、映画「マッド・マックス」から抜け出してきたような異様なコスチュームを着込んだ危ない二人組、ロード・ウォーリアーズだった。

黒い革ジャケットに鋭いスパイクを埋め込み、顔面にはペイントで模様を描いて、口から舌をベーと出して観客を嘲る。観客のブーイングをものともせず、コスチュームを脱ぐと鍛え上げられた筋肉が観客を黙らせる。

試合が始まれば、殴るは蹴るはの大暴れ。巨体にもかかわらず動きは俊敏であり、ボディビルで鍛えた怪力で相手選手を持ち上げて投げ捨てる。リングのなかは、二人の暴れん坊がやりたい放題、好き放題。

二人が立ち去った後のリングは、台風が通り過ぎたが如きの惨状で、相手選手ばかりかレフリーまで倒れている有様だ。決してベビーファイス(善玉役)ではないが、それでも全米で絶大な人気を誇った二人組み、それがホークとアニマルのロード・ウォーリアーズだった。

私が一番印象に残っているのは、試合よりもインタビューであった。司会者から「子供たちから大人気ですね」と言われると、司会者をギロリと睨みつけ、TVに向かってホークがどすの効いた声で答えた。

「俺たちに憧れるのはイイ。でも、俺たちが育った環境には憧れるな、あそこはクソだ」

二人はボストンの下町で生まれ、スラム街で暴れていた幼馴染みだという。ボディビルのジムでスカウトされたことを契機にプロレス入りした変り種だ。

実際、プロレス技がどうのこうのというよりも喧嘩が強かった。弁の立つホークは試合ぶりもスマートだったが、私から見ると無口なアニマルの喧嘩巧者ぶりが印象的だった。

正直言って、アスリート(運動家)としては大いに疑問の残る二人であった。なにせ筋肉増強剤を使っていることを公言してはばからず、酒場での乱闘も隠す気もない。しかし、怪力と巨体に見合わぬ俊敏な動き、そしてなにより暴力の匂いが漂う危険な雰囲気は、プロレスラーとして屈指のものであった。

ただ、早く金を稼いで長閑に引退したいとぼやいていたことが、なによりも印象に残っている。スラム育ちの二人にとっては、プロレスは手っ取り早く金になる商売に過ぎず、余生を郊外で静かに暮らしたいと願っていたらしい。

このあたりは、典型的なアメリカ人だと思う。実際引退後にプロレス雑誌の記事で、閑静な郊外の庭で子供たちや友人を呼んでバーベキューをしている姿は、別人かと思えるくらい穏やかな表情をしていた。

プロレスラーとして活躍した期間は短かったが、その鮮烈な印象が強く記憶に残っている。まさに太く短くを地でいく暴れん坊であったと思う。
コメント (7)
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