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森羅万象 ~ 歩く印象派

“CD不況”はウソ! コンビニ、SA、生協…意外な場所でヒットが続出する理由 n

2010年11月02日 18時03分27秒 | Rock 音故知新
nikkei TRENDYnet 11月2日(火)11時6分配信

有名店が閉店したり、生産枚数がピーク時に比べて半減するなど、CD販売は明るい話題がないようにみえる。しかし、チャートに表れないヒット作が、ユーザーにより近い売り場で生まれている。


 8月22日、大手CDチェーンHMVジャパンの旗艦店だった渋谷店(東京都渋谷区)が閉店した。同社は7月以降、店舗整理を加速させ、9月末までに全体の約3割に当たる17店を閉店させた。ネット販売ではアマゾンジャパンや楽天市場に次いでおり、今後はこちらに軸足を置くとみられる。

 CDの生産実績が、ここ10年間で半減しているというデータもある。大手チェーンの“音楽の聖地”からの撤退は、音楽流通がCD販売から配信へとシフトする象徴的な出来事として、大きく報道された。

 しかし、隠れたヒットCDが、CDショップ以外の場所で生まれていることはあまり知られていない。これらの大半は、ヒットチャートには反映されないが、数十万枚規模で売り上げている作品もあるのだ。

音楽ソフト生産規模は32年前の水準に

チャートに載らないヒット作

 08年にデビューした男性2組インストゥルメンタルユニットの「→Pia-no-jaC←(ピアノジャック)」は、演奏にピアノとカホンという打楽器のみを用い、オリジナル曲のほかクラシックの名曲をカバーした作品なども発表している異色アーティストだ。オリコンの週間チャートでの最高位は60位だが、これまでのアルバム4枚の合計は35万枚を超える。そのほとんどは、個性的な品ぞろえで定評のある雑貨・書籍チェーンのヴィレッジヴァンガードで売り上げた。

 彼らが所属するピースプロダクションの加藤圭一社長は、「ヴィレッジヴァンガードは宝探しに行くところ。人に教えたくなるような彼らの音楽は、来店客との相性が良いと考えた」と話す。

 ヒットの原動力となったのは、店頭で目を引く映像や販促ツールの作製と、インストアイベントでの直接販売だ。

 特に後者は、「呼ばれたら必ず行く」という姿勢を徹底。同チェーンが出店している郊外のショッピングモールなどでの無料ミニライブは、年間200回を超える。あえてメディアや一般CD店には売り込まず、同チェーンでの販売をメインに据え、アルバムを発売するごとに各地を回る。併せて、店頭では旧作品を含んだ長期的なプロモーションを実施し、ロングヒットにつなげた。

 CDアルバムには7曲程度を収録し、1枚2000円という価格設定にもこだわりがある。「ターゲットは音楽マニアではない人。店舗や無料ライブで耳にして気軽に買える金額を重視した」(加藤氏)。

雑貨店

新しもの好きの客が飛び付く

 全国約300店のヴィレッジヴァンガードでは、実際に曲やプロモーションビデオを流し、CDの脇に店員の推薦文が添えられる。インストアライブも積極的に開催し、売り場とライブの両面からCD購入を促す。

撮影協力/ヴィレッジヴァンガード下北沢店(東京都世田谷区)

 

ファッションブランドとコラボした“雑誌サイズCD”がヒット

 音楽業界の価格設定の慣習にとらわれず、雑誌サイズのCDという形で参入したのが宝島社。4月15日発売の「MY LITTLE LOVER×kitson ハーモニー」は、新曲を収録したCDにブックレット、ブランドのストラップまでが付いて1200円。書店やコンビニで初版20万部を発売し、好調のため 10万部を重版した。「想定されるユーザーの値ごろ感から価格を決めた」(宝島社編集3局の河上 晋氏)。

 雑誌の付録で実績のあるファッションブランドとのコラボレーションなど、音楽業界にはない発想で、パッケージ化を進めている。

書店

雑誌付録の実績をCD販売に

 宝島社が書店でのCD販売に参入。全国5万8000店の出版流通を使ったオリジナルCDの発表は業界で初めて。付録同梱雑誌のノウハウを生かし、A4サイズで製作。雑誌に近いイメージで表紙を作製している。

撮影協力/天牛堺書店光明池店(大阪府堺市)

 

コンビニ、サービスエリアも販路に

 一方、大手レコード会社も、CD店以外での販路を模索する。ユニバーサル ミュージックは6月、マイケル・ジャクソンなど海外有名アーティストの代表曲4曲を収録した「コンパクト・ベスト」シリーズを、1枚500円で発売。CD ショップのほか、全国のローソン500店舗でも販売した。

 また、ソニー・アソシエイテッドは、J-POPの代表曲をリミックスしたCDの販促時、実際のDJが、東名高速の海老名サービスエリアで“実演販売”する施策を行った。ドライブに最適とアピールしたのが功を奏し、シリーズ4作の累計は25万枚を超える。

コンビニ

500円で“ついで買い”を誘う

 ユニバーサルが6月、4曲入り500円の洋楽CDを全国500店舗のコンビニで販売。1万枚を超えるヒットとなった。ワンコインの手軽さを強調してライト層を狙う。

 

サービスエリア

ドライブ向けが局地的に売れる

 特販ルートと呼ばれる高速道路のサービスエリアでは、中高年男性層には懐メロの歌謡曲やフォーク系のオムニバス、若年層にはノンストップCDが売れ筋。

 

生協

割安価格で女性客が支持

 定価より5~10%安く、食品と一緒に注文できる手軽さで、主婦層に人気。クラシックやオムニバスがよく売れる。右奥写真は、パルシステム生活協同組合連合会のカタログ。

 

市場縮小のなか、店舗数伸ばすタワーレコード

 ユーザーにより近いチャネルでCDを売る動きは拡大傾向にある。ただ、そうしたルートで売れる作品は、ライトユーザーが購買層のメインになるため、すでに実績があるアーティストか、ヒット曲のオムニバス作品が多い。言い換えれば、新人アーティストを一から育てるには向いていない。

 音楽業界の活性化のためには、音楽の楽しさを伝え、アーティストのファンを増やす必要がある。その役割を担うのはやはりCD店だ。市場が縮小するなか、大手のタワーレコードは店舗数を増やすなど注目を集めている。

市場縮小下で拡大を続けるタワーレコード

大手らしからぬ手作り感

 タワーレコードの大きな特徴は、店員による売り場を埋め尽くすほどの自作のリコメンド文やオブジェだ。大手CDチェーンでは、本部が販促ツールを一括で作り、各店に配布する例が多い。しかしタワーレコードのポップには、レコード会社から配布される宣伝資料の複写ではなく、自分の耳で作品を聴いたうえでのお薦め情報がぎっしりと書き込まれている。

 「来店客にとって自分の意思とは関係なく、初めて聴くサウンドや新しい情報と出合えるのが、リアルショップの楽しいところ。その内容を信頼いただいているのでは」(タワーレコード)。

 レコード会社と協力して1枚500円の限定CDを販売するなど、新人アーティストの発掘にも力を入れる。「1枚から10枚に伸ばすほうが販売効率は良いが、最初の1枚を売ることにこそスタッフのモチベーションがある」(タワーレコード)。発見のある店舗づくりがタワーレコードの好調の秘密だ。

CD専門店は…

売り場づくりの工夫で本領発揮

店員独自の提案で、店舗ごとの独自陳列

 全国に83店舗を展開するタワーレコードは、他店に比べると旧譜の品ぞろえが圧倒的に豊富。各店独自の売り場づくりが店舗全体を活気づけている。コーナーごとに店員独自の視点で書かれたリコメンド文やオブジェのような販促ツールを置き、アーティストへの愛情があふれている。近年は、CD売上枚数の 47%を占める洋楽だけではなくアニメ、韓国ポップス、落語などにも力を入れている。

 

音楽需要は衰えず、“ライト層”の開拓に期待

 09年の音楽ソフト生産額は、ピンクレディーが大ヒットし、YMOがデビューした78年の水準。その規模でも当時の音楽市場は十分活気にあふれていた。 CDの登場で音楽を手軽に買えるようになり、“CDバブル”が生まれたが、現在はそれが崩壊しただけともいえる。街を歩く携帯音楽プレーヤーのユーザーの多さを見ても、音楽に対する需要は依然として多いはずだ。

 音楽流通が配信中心となる流れは止められないだろう。ただ、CD店以外の販売ルートには、配信と同様に、ライト層を開拓する役割が期待できる。音楽市場の拡大のためには、コアユーザーを満足させ、持続的な音楽ファンを育てなければならない。それには、アーティストや音楽自体の魅力が直接伝わるCD店の活用が不可欠だ。

(文/つのはず 誠・写真/加藤 康)

干し草の塊の直撃受けELOメンバー死亡

2010年09月07日 04時49分44秒 | Rock 音故知新
2010年9月7日 朝日COM

 英人気ロックバンド、エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)の元メンバー、マイク・エドワーズ氏(62)の運転する車が英国南西部デボンで約600キロの干し草の塊に直撃を受け、同氏が事故死したことが5日、分かった。3日午後、同氏が運転する車が田園地帯のデボン付近を走行中、約5メートルの丘の斜面を転がり落ちた干し草の塊が車の屋根を直撃。重さで屋根はぺちゃんこになり、運転席にいた同氏が死亡した。丘の上では農家のトラクターが作業中で、英警察当局が関連を調べている。71年結成のELOはロックとオーケストラを融合し、5000万枚以上のアルバムやCDを売り上げている。初期メンバーの同氏はチェロを担当していた。

ビートルズの名曲、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が首位=米誌

2010年08月26日 07時16分49秒 | Rock 音故知新
 8月25日、米ローリング・ストーン誌が、ビートルズの「グレイテスト・ソング100」を発表。写真は2007年1月に英国で発行されたアルバム「レット・イット・ビー」の特別切手。Royal Mail提供写真(2010年 ロイター)

2010年8月26日朝日COM
 [ニューヨーク 25日 ロイター] 米ローリング・ストーン誌が25日、ビートルズの「グレイテスト・ソング100」を発表し、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」(1967年)が1位となった。

 2位は「抱きしめたい」(1963年)が入り、ジョン・レノンが英リバプールでの子ども時代を回想し作ったとされる「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」(1967年)が3位にランクインした。

 今回のランキングは、ビートルズの最後のスタジオ録音アルバム「レット・イット・ビー」(1970年)のリリースから40周年を記念した同誌の特別編集版の企画として発表された。

 トップ10の曲は以下の通り。

 1.ア・デイ・イン・ザ・ライフ

 2.抱きしめたい

 3.ストロベリー・フィールズ・フォーエバー

 4.イエスタデイ

 5.イン・マイ・ライフ

 6.サムシング

 7.ヘイ・ジュード

 8.レット・イット・ビー

 9.カム・トゥゲザー

10.ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス

桑田佳祐が初期の食道がんで手術へ

2010年07月28日 17時41分11秒 | Rock 音故知新
産経新聞

サザンオールスターズの桑田佳祐(54)の所属事務所は28日、桑田が初期の食道がんを患っているとして手術を受けることを明らかにした。10月から予定されていた全国ツアーをキャンセルし、同月20日発売予定のニューアルバムの発売も一旦、延期する。

 事務所によると、桑田は検診の結果、初期の食道がんが判明。「早期発見により初期段階での治療で済む状態」と説明しているが、手術と治療のためしばらく療養するという。8月25日発売予定のニューシングル「本当は怖い愛とロマンス」は予定通り発売される。

 桑田は公式サイトに「この度はご心配をおかけして本当に申し訳ない気持ちです。(中略)しばし治療と静養に充てるお時間をいただきて、また改めてみなさまにお会いできる機会を、心より楽しみにしたいと思っております。(中略)どうかご心配なさらず(そんなのムリか!?)待っていてくださいね」とコメントしている。

P・マッカートニー、オバマ米大統領から生涯功労賞

2010年06月17日 06時52分37秒 | Rock 音故知新
6月3日、オバマ米大統領(右)が元ビートルズのポール・マッカートニーさん(左)に生涯功労賞を授与。2日撮影(2010年 ロイター/Kevin Lamarque)

6月3日17時39分配信 ロイター

 [ワシントン 3日 ロイター] オバマ米大統領は2日夜、ポピュラー音楽への貢献をたたえ、元ビートルズのポール・マッカートニーさん(67)に生涯功労賞を授与した。
 マッカートニーさんは、米議会図書館がポピュラー音楽で功績を残した人を表彰するガーシュイン賞に選ばれ、ワシントンで行われた授賞式に出席。オバマ大統領はマッカートニーさんについて、歴史上最も成功したソングライターだと称賛した。
 ポール・サイモン、スティービー・ワンダーに続く3人目のガーシュイン賞受賞者となったマッカートニーさんは、授賞式のイベントで、ファーストレディーのミシェル夫人を前に「ミッシェル」などを歌った。

ポール・マッカートニーを街で見かけたら…

2010年06月16日 22時50分41秒 | Rock 音故知新
5月21日8時46分配信 BARKS

ファンからのサインの求めすべてを拒否することにしたリンゴ・スターにくらべ、ポール・マッカートニーはもうちょっとゆるやか。時と場所によっては、1対 1でお喋りもしてくれるそうだ。

ファンの対応に「ルールをもうけた」というマッカートニー。『The Times』紙にこう話している。「僕も大人になって、ようやく自分には(ノーと言える)権利があるってことを悟ったよ。だから、レストランにいるとき “サインください”って言われたら、“本当に悪いんだけど食事しているときはできないんだ。わかってくれるといいんだけど”って答える。“握手やお喋りはいいよ”って。一個人として1対1で話するのは好きだからね。でも、有名人扱いされると、そうじゃないフリをする。99%の人は理解してくれるよ。プライバシーってものをわかっているから」

が、買い物中はそれも無理だという。DIYショップで出くわした場合、こうなるそうだ。「買い物中は別。こう言うよ。“本当にゴメン。買い物中なんだ。買い物中の男がどんなだかわかるだろ。よかないよ。釘を探してるんだ。3インチじゃなきゃダメなんだよ。君と話してたり写真を撮っていたら、見つけられないだろ?”ってね」

以前、公共の交通機関を使用すると話していたマッカートニーは、1人でショッピングや映画に行くのを好んでいるという。

とはいえ、マッカートニーを街で見かけるチャンスはそう多くない。が今週、世界のどこにいようとも彼とチャットできる滅多にない機会ができた。マッカートニーは木曜日(5月20日)、初のライヴ・ウェブ・チャットを行なうという。イギリス時間の午後5時(日本時間25時)から Ustream.tv/paulmccartney、もしくはFacebook.com/paulmccartneyにてお喋りができる。

Ako Suzuki, London

「イージー・ライダー」デニス・ホッパー氏死去 74歳

2010年05月30日 14時32分20秒 | Rock 音故知新
2010年5月30日13時6分

 【ロサンゼルス=堀内隆】体制に抵抗しながら生きる米国の若者を描いた映画「イージー・ライダー」(1969年)で知られる米国の俳優、デニス・ホッパー氏が29日、前立腺がんの合併症のためロサンゼルス近郊の自宅で死去した。74歳。米メディアに対し友人が明らかにした。

 米カンザス州に生まれ、高校時代から演劇活動で活躍。55年に初出演したテレビドラマで才能を見いだされ、ワーナー・ブラザーズと契約を結んだ。「理由なき反抗」で映画デビュー、主演のジェームズ・ディーンに強い影響を受けた。

 監督が指示するせりふや演技を拒否するなど製作側と衝突する問題児ぶりを発揮、ワーナーに契約を切られてハリウッドからニューヨークに移り住んだ。

 脚本を書き、監督・主演した「イージー・ライダー」は、コカインで大金をつかんだ2人の若者がオートバイで自由な旅を続ける中で米国の様々な現実とぶつかる物語。体制批判に焦点を当てた「アメリカン・ニューシネマ」の代表作になった。

 自身も80年代初めには薬物とアルコール中毒に沈んだが、リハビリを経て復帰。「勝利への旅立ち」(86年)でアカデミー助演男優賞候補に挙がった。カメラマン、画家、美術コレクターとしても知られる。

音楽誌スイングジャーナル休刊へ 戦後ジャズ文化をけん引

2010年05月17日 20時33分51秒 | Rock 音故知新
2010年5月17日 19時21分 共同

 戦後の日本のジャズ文化をけん引し、63年の歴史がある月刊音楽誌「スイングジャーナル」が6月19日発売の7月号で休刊することが17日、分かった。広告収入の減少が主な原因。三森隆文編集長は「何とか復刊を目指し、努力したい」と話している。同誌は海外の大物ジャズミュージシャンのほか、渡辺貞夫さん、日野皓正さんらを特集するなど、日本のジャズ文化を広げる中心的な役割を担ってきた。

清志郎さん、デビュー直前の音源 高校時代の恋人に贈る

2010年04月23日 06時56分39秒 | Rock 音故知新
 忌野清志郎さんが高校時代の交際相手に贈った録音テープ。絵も歌詞カードも手書きだ

2010年4月23日3時0分朝日COMより

 ロックシンガーの忌野清志郎(いまわの・きよしろう)さんが昨年5月2日に亡くなって、間もなく1年。清志郎さんが高校時代の交際相手に贈った自作の歌のテープが確認され、このほど内容が分かった。初期のRCサクセションのメンバーとスタジオ録音した本格的な内容で、デビュー直前の清志郎さんの原点をみずみずしく伝えている。

 曲は古いオープンリールテープに録音されていた。清志郎さんの手元を離れて以来、贈られた女性以外で聴いた人はいなかったという。ノンフィクション作家の神山典士(こうやま・のりお)さんが昨年つきとめ、このほど内容を確認した。

 録音は1968年、清志郎さんが都立日野高校に通っていた2年生の冬とみられる。プロデビュー(70年)の直前だ。全7曲で約36分。初期RCサクセションのメンバー、破廉(はれん)ケンチさんと林小(りんこ)和生さんと3人で演奏している。

 最初のシングル曲「どろだらけの海」やセカンドシングル「涙でいっぱい」、92年にソロ名義のアルバムに収めた「ぼくの目は猫の目」などが録音されている。未発表曲も3曲あった。

 曲は全編、ドラムズなしの生楽器による演奏。清志郎さんの歌唱の代名詞ともなった「ガッタガッタ」というソウルフルな叫び声も、すでに聞こえる。神山さんは「RCの原点が分かる貴重な音源だ」と話している。

 テープを持っていたのは、日野高校時代に清志郎さんと交際し、交換日記をつけていた同級生の女性。同校は、数多くの名曲の舞台となった、清志郎さんの青春の地だ。

(忌野清志郎さん)

 テープの箱には、美術好きの清志郎さんらしく自画像が描かれ、自筆の歌詞カード、全曲解説がついていた。「もう戦わなくてもいい」という曲には「失恋の歌を作るつもりだったけど詞を書いていたら反戦歌になっちまった」と解説した。「2時間35分」では、交際相手と長電話をした体験がベースになったと告白。「しかし、後半、たいへんなヒヤクがありますね。気を悪くしないでチョロピンポロポロ!」と、ちゃめっ気が顔をのぞかせている。

 私家録音の曲について一般に公開される予定はない。発見の経緯などは、28日発売の神山さんの「忌野清志郎が聴こえる 愛しあってるかい」(アスコム)に紹介されている。(近藤康太郎)

セックス・ピストルズの元マネージャー、マルコム・マクラーレン(64歳)がんで死去

2010年04月10日 01時09分14秒 | Rock 音故知新
ORICON STYLE - 04月09日 11:23

 英・パンクバンド、セックス・ピストルズの元マネージャーとして知られるマルコム・マクラーレンさんが8日にがんで亡くなったことがわかった。New York Times紙が「Malcolm McLaren, Seminal Punk Figure, Dies at 64」と伝えたほか、複数のメディアが報じている。それらの報道によると死因はがんとされ、享年64歳だった。

 マクラーレンさんは、過激で反社会的なスタンスのバンド、セックス・ピストルズを1976年にメジャーデビューさせ、後の“パンク”と称されるスタイルを知らしめたプロデューサーとしての功績で知られる。ヴィヴィアン・ウェストウッドとともにアパレル業を展開しファッション界でも活躍。また、自身がアーティストとしても活動しており、世界の音楽史を語る上で重要な人物の一人とされる。


ロンドンに生まれたマルコム・マクラーレンは、1971年にファッション・デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)とともに後に伝説となるブティック「Let It Rock」を開店。その後アメリカでニューヨーク・ドールズのマネージャーを短期間務め、パンク文化の影響を強く受け帰国した。

イギリスでもパンクを流行らせようと考えたマクラーレンは、ブティックの店名を「SEX」と改め、ボンテージファッションを展開。さらに、当時店に出入りしていたアマチュアバンド「ストランド」に新たなメンバー、ジョニー・ロットン(Johnny Rotten)らを加えて“セックス・ピストルズ”と名付け売り出した。