のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

(おいしい)

2007-01-31 | Weblog
いえ ね
近所のスーパーで
ナイスな商品を見つけてしまったのでございます。





ええ、もちろん
おそうざい購入は値引き品が大原則でございますとも。
しかし注目していただきたいのはそっちではございません。
そう、 (おいしい) でございます。

コロッケ(野菜) ですとか
コロッケ(肉じゃが) という表示は普通に見かけますけれども

コロッケ(おいしい) に巡り会ったのは、のろの30年の生涯において初めてでございました。

これと並んで 
コロッケ(ふつう) および
コロッケ(まずい) が売られていたならば
ああ、大喜びで全部買いましたのに
残念ながら、ございませんでした。
先に売れてしまったのでしょうか、もしかして。

水晶忌

2007-01-28 | 忌日
本日は
19世紀オーストリアの画家にして作家、
アーダルベルト・シュティフター の命日でございます。(1868年 62歳)

肝臓癌のもたらす激しい苦痛に耐えかね、剃刀で自らの喉をかき切ったのでございます。

岩波文庫から出版されているシュティフターの短編集『 水晶』 は、 1852年に出版された『石さまざま』から
『水晶』『みかげ石』『石灰石』『石乳』の4作品および『石さまざま』の序を収録したものでございます。

どの作品も、たいそう地味な装いをしております。

華麗な修辞が駆使されることもなく
絶望や愛が声高に語られることもなく
登場人物が、生きる意味について長広舌を振るうこともありません。

描かれているのは、歴史の表舞台には決して表れることのないような
ごくささやかな生を送る人々です。
しかし読み進めるうちに、こうした地味な、何でもないような外貌の下にある
結晶のように碓とした輝きが読む者の心に滲みてくるんでございます。

シュティフターが小説において描いた人々は
ミレーコンスタンブルが絵画において描いた人々のようです。

「農民」という意味ではございません。

ミレーの作品に描かれているような文化的風土を、現代の私たちは持ち合わせておりませんね。
私たちは「落ち穂拾い」をいたしませんし、晩鐘に作業の手を止めて感謝のお祈りを捧げたりもいたしません。
にもかかわらず、ミレーの作品を見て感動を覚えます。
「落ち穂拾い」が何を意味するのか知らない子供でさえ、ミレーの『落ち穂拾い』に心を動かされます。

その感動は、単に異国の牧歌的な風景に対して抱く憧れのみに帰せられるものではなく
そこに描かれている、無名の人間の、全く特別ではない生に対して
画家がよせる深く、強い肯定を感じればこそでございます。

そして無名の人の、特別ではない生を
愛情と確信をもって描き出したという点において、シュティフターの小説もまた
普遍的な輝きを放っているのでございます。


ところで
『石さまざま』の序文に、シュティフターはこんな一文をよせております。

ある人の全生涯が、公正、質素、克己、分別、おのが職分における活動、美への嘆称にみちており、明るい落ちついた生き死にと結びついているとき、わたしはそれを偉大だと思う。心情の激動、すさまじい怒り、復讐欲、行動をもとめ、くつがえし、変革し、破壊し、熱狂のあまり時としておのが生命を投げだす火のような精神を、わたしはより偉大だとは思わない。 『水晶』 1993年 岩波文庫 p.282

シュティフターが「偉大だとは思わない」と明言した
人間の激情や熱狂や破壊性といった側面を、ことさら深く探求した小説家が
奇しくもやはり1月28日に亡くなっております。(1881年 59歳)

こちらの方の作品においては
登場人物が自らの世界観について、数ページに渡る長広舌を振るいまくったり
「世界をひっくりかえすほどの」美貌の持ち主が、燃え盛る暖炉に10万ルーブリの札束を投げ込んだり
善良な青年が「神がいないなら、僕自身が神だ」ということを証明するためにピストル自殺したり
1人の女性を父親と取り合った息子が、父殺しの容疑で裁判にかけられたり
その他の人々も、両手をぱちんと打ち鳴らしたり眼をぎらぎらさせたり赤くなったり青くなったり
そりゃもうえらいこってございます。

そう、
本日はドスとさんの命日でもあるのでございました。
ロシア暦では2月9日でございますが。

淡々とした美しい風景描写の中に、点景のように無名の人物を配し
素朴な生への讃歌をささげるシュティフター。
舞台で上演される演劇のように、個性的な人物の熱い語りに読者を引き込み
人間の負の側面を根底まで掘り下げるドストエフスキー。
表現における方向性はほとんど180度違うお二人でございますが
敬虔へのあこがれや、子供への愛着、
あとニーチェが賞賛を捧げている なんていう点において、妙に共通しているのでございました。




漆間時国の息子忌

2007-01-25 | 忌日
本日は
法然房源空の命日でございます。(旧暦)
法然房源空、まあ要するに法然さんでございます。

いわゆる鎌倉仏教の始祖さんたちの中では、のろはこの人がいっとう好きでございます。
なにしろバリバリの凡夫でございますので、ワタクシ。

しかし本日は、思うところもございますので
法然自身ではなく、この人のおとうちゃんのことを語らせていただきたく。

法然が出家の道へと歩んだきっかけは、父親の死でございます。
押領使(荘園内の治安維持など、地元の兵を取りしきる役職)であった法然の父、漆間時国 うるまのときくに は
ある夜、以前から不仲であった近隣の預所(領主に代わって荘務を執行する役職)
明石源内定明 あかしげんないむしゃさだあきら の奇襲によって命を落とします。
臨終にあたってこのおとっつあんは、跡取りである法然、もとい勢至丸くんに対してこう言い遺すのです。

「私を襲った敵を恨んで仇を討ってはならない。
 もしおまえが仇を討てば、またその敵の子がおまえを恨み、仇を討つことになるであろう。
 そのように遺恨をはらすのに遺恨をもってするならば、この世に恨みが尽きることはない。
 それよりも俗をのがれて仏門に入り、私の菩提を弔ってくれ」


いやあ
学習まんが 少年少女日本の歴史 でこのエピソードを読んだ時
のろはコドモごころに、いたく感動いたしましたよ。
もちろん今もって、これはじつに感動的な遺言であると思っております。

何がよいかと申しますと
まずもって、これが達観した宗教者の言葉ではなく
仇討ちがあたりまえであった時代に夜襲を受けて
今まさに死なんとしている一家の長が発した言葉である、という点でございます。

離れた場所からは、きれいごとがいくらでも言えるものでございます。
しかし自らが事件に巻き込まれ、大きな損害を受けたときに
相手を恨むな、それはより悪い結果を生むだけだ、と説くことはそうそうできるものではございません。

さらにのろの心を動かしますのは、このおとっつあんが
家のメンツがやビジネスが傷つくことよりも
憎しみと暴力の連鎖が起きることをより恐れた
という点でございます。

某国の長が、えっ らく狭義に捉えた「美しい」という言葉を連呼なさっておいでですが
自家のメンツや勢力の維持よりも、暴力の連鎖を止めることこそ肝要であるとした
漆間時国の遺言の精神には、時間、空間、宗教の如何にかかわらぬ、
ファンダメンタルな、言ってみれば全人類的な美しさがあると
のろは思うのでございます。


Geburtstag

2007-01-24 | KLAUS NOMI
S p e r b e r 〔男性名詞〕 発音:シュペルバー  意味:ハイタカ 

ふふん
ハイタカですって。
ゲドじゃあるまいしね。
ちっとも似合いませんね。

何に似合わないかって
KLAUS SPERBER 氏にです。


本日は
KLAUS SPERBER 氏 のお誕生日でございます。
お生まれになったのはドイツ南端の町、インメンシュタット




アルプスの山ふところに抱かれた、うるわしき田舎町のようでございます。

ご幼少のみぎり。


Picture Copyright:2004CV Films|CAMEO Film|ZDF/Arte

うーむ。ドイツですねえ。いや、何となく。

見た所、ごくごく普通のコドモでいらっしゃいます。

このコドモが後年こんなことに ↓ なろうとは



親類縁者ご近所さん一同、想像だにしなかったに違いございません。
当の本人だって想像しなかったに違いございません。

「誰これ」あるいは「何これ」とお思いんなった貴方は、のろや新顔さまでいらっしゃいますね。
ようこそ、いらっさいませ。
こちらはですね、コホン(空咳)、KLAUS NOMI 氏とおっしゃいまして
バイエルン出身の火星人でいらっしゃいます。
以降、どうぞお見知りおきを。


ヤツの出身地をエッセンやベルリンとしている記事もたまにございますが
これは間違いです。ワタクシ確信を持って申し上げます。

ベルリンは、大学入学からN.Yへ渡る直前まで住んでいたというだけでございます。
そして、ヤツがバイエルン(バヴァリア)出身であることは
たいていのバイオグラフィーの一致するところでございますが
もちろんベルリンも、エッセンも、バイエルン州ではございません。

また
ご自身、子供時代のことを回想したインタヴューにおいて
「僕の住んでいた小さな町に・・」と語っておられますが
工業都市として有名なエッセンに「小さな町」という形容はあたりませんでしょう。

ダメ押しに
洋盤DVDの特典の中で、彼の叔母さんが「When he grew up in the Allgaeu...」 と言っておいでですが
Allgaeu アルガウ というのはインメンシュタットを含むドイツアルプス地方の地名でございます。

(上記の叔母さんの言葉は、英語字幕からの引用です。
 実際の証言はドイツ語です。ちなみに、前後をご紹介しますれば
「Klaus was always a beautiful child. Even when he was a baby.
When he grew up in the Allgaeu, he was always out in the fresh air...」
ですって。)

さておき。
以上もろもろのことを鑑みるに、
インメンシュタットをヤツの出身地とする情報の確証性は高うございましょう。

もちろん、のちにエッセンへと引っ越した可能性はございますけれども
さきに言及いたしましたインタヴュー内容なども考えあわせますと
少なくとも13、4歳の頃まではこちらでお育ちになったものと思われます。


まあ
KLAUS SPERBER 氏 がどこのご出身であろうとも
歌う変異体 KLAUS NOMI は、アウタースペースからやって来たんでございます。

そういうことにしておこうではございませんか。

そしてこちら様 ↓ のおっしゃるとおり、
thecandle: Mr.Nomi
今は星々の間を飛び回るのに忙しくしてらっしゃるので
地球に立ち寄ってる暇がないんでございますよ。

そういうことにしておこうではございませんか。

YouTube - The Nomi Song trailer


誕生日おめでとう、クラウス・ノミ。


Picture Copyright:2004CV Films|CAMEO Film|ZDF/Arte



ところで
おとついワタクシ、クラウス・ノミについて プーチン大統領 と話し合っている夢を見たんでございますが
・・・あれはいったい何の予兆なんでございましょうね。


忌日パレード

2007-01-23 | 忌日
本日はどうも凄うございますよ。
死神がアーティストをピックアップなさる日のようです。

1883年 ギュスターヴ・ドレ 51歳
1931年 アンナ・パヴロワ 49歳
1944年 エドヴァルト・ムンク 80歳
1947年 ピエール・ボナール 79歳
1981年 谷内 六郎 59歳
1989年 サルバドール・ダリ 84歳

ここに 220年 曹操孟徳 65歳 を入れたげてもようございますね。
のろは「短歌行」しか存じませんけれど。

その他にも
寺田屋は襲撃されるし
八甲田山では死の行軍へと出発するし
最後のニホンオオカミが射殺されるし
日本軍はラバウルを占領するし
アース製薬がゴキブリホイホイを発売するし

えらいこってございます。
「ワンツースリーの日」なんて言ってる場合ではございませんよまったく。


さむし。

2007-01-21 | Weblog
タイツを履き
ジーンズを履き
そのままスキー場へ直行できそうな保温靴下を履き

長袖を3枚着込んだ上に
厚手フリースジャケットのファスナーをてっぺんまで引き上げ
ネパール(だかどこだか)産のストールを膝にひっかけ

毛糸の帽子を耳までかぶり
湯たんぽを抱え込み
熱いコーヒーを胃の腑に流し込んでもなお

寒いときゃあ一体どおすりゃいいんでございましょうや。

いたしかたございません。暖房器具のスイッチを入れるんでございます。
ごめんよ世界。
ああ
寒がりっていいことなしでございます。

『ピカソとモディリアーニの時代展』

2007-01-20 | 展覧会
考え出すと何もできなくなるから何も考えないほうがいいのだ。
それでいいのか。よかあないのさ。

ともあれ

『ピカソとモディリアーニの時代展』へ行ってまいりました。




冒頭の解説パネルに書いてございましたが
ピカソがかのアヴィニョンの娘たちを発表したのが1907年のことなのだそうで。
丁度100年前のことでございますね。
この100年の間に、美術がいかに激しくかつ多様な展開を見せたかと思うと
感慨深いものがございます。

それ以前の時代なら、ごく大雑把に、かつ西洋に限って申すならば
15c ルネサンス  16c マニエリスム  17c バロック  18c ロココと新古典主義
19c ロマン主義と印象派・・・てな感じでまとめることはできますね。
しかし19c末以降、とりわけ20世紀の美術をひと言ふた言で概括することは
目下の所、不可能でございましょう。

本展の網羅している作品は(タイトルが示す通り)時間的にも地理的にも
わりかし限られた範疇のものでございます。
にもかかわらず、その中でかくまで多様な個性が開花しているということは
それ自体感動的でもあり、また本展には表れないものの、
デ・キリコが、デルヴォーが、マン・レイが、東方ではああ、キルヒナー
ほぼ同時代にそれぞれの場所で叫びを上げていたのかと考えますと
何やら胸に迫るものがございます。

モディリアーニはもちろんよろしうございました。
が、個人的に嬉しかったのはベルナール・ビュフェの初期作品、即ちこういった感じの
こういった感じの、そしてこういった感じの作品を見られたことでございます。
ビュフェと申しますと、60年代以降の、
強い線と華麗な色彩で、具体的な風景や静物を描いた作品がよく知られているようでございますが
のろは本展の石打ち刑に見られますように
厳しい絶望感の刻まれた作品の方がよろしいと思うのですよ。


1920年に没したモディリアーニの「時代」展に
1946年のビュフェ作品を含めるのはいかがなものか?と思わぬでもございませんが
まあ、よしといたしましょう。
「ピカソの時代展」では範囲が広すぎますしね。

そうそう、大丸ミュージアム梅田では、次回はピカソ展を開催なさるそうです。
ミュージアム窓口で、次回展と抱き合わせの割引チケットを購入できますよ。

どうも甚だ内容の薄いレポートとなってしまいました。
申し訳ございません。

オレンジバンド

2007-01-17 | Weblog
去年の12月に
信頼できそうな組織を選んで、小額ながらエイズ対策支援の募金をいたしました。
(募金という行為そのものが欺瞞だというご意見のかたもおいででしょうが、
欺瞞性を理由に自分にできるわずかのことすらしないというのもまた欺瞞であろうとワタクシは思いますので)
つい先日、募金先のNGO World Vision Japan から封書が届きまして
開けてみるとこのようなものが。



・支援のしるし、オレンジバンド・
オレンジバンドをつけて、世界の子どものことをご家族やご友人に話すきっかけにしてください。


腕に何かつけていると邪魔になる職場ではございますし
職場以外の場所で人に会うことが無い生活でもございますし
つまる所、のろがこれを身に帯びる機会はないと思われます。
代わりに、この場を借りてご紹介させていただきました。

World Vision JapanのHPは無断リンク禁止とのことですので、こちらではご紹介いたしませんが
googleでもyahooでもトップで出てまいりますので
皆様ご検索いただければと思います。

『ええほんのえ』

2007-01-14 | 展覧会
『もーちゃん えっちゃん ええほんのえ』/伊丹市立美術館 へ行ってまいりました。



チラシ ↑ からもご想像いただけると思いますが、これはもう理屈抜きに楽しめる展覧会でございます。
絵本原画展でございますから、作品が親しみやすいのはもちろんのこと。
のみならず、館内には楽しいしかけがいろいろ施されておりました。

「元永定正」「中辻悦子」という名前だけ聞いても、ピンと来ないかたも多いかもしれませんね。
実を申せばのろは来ませんでした。
しかしナンセンス絵本の大傑作『もこ もこもこ』『もけら もけら』『カニ ツンツン』の作者と
ブラチスラヴァ世界絵本原画展でグランプリを受賞した『よるのようちえん』の作者といえば
皆様 ア~ とうなづかれる所でございましょう。

ようちえんには だれもいません  
みんなうちに かえりました

そっとさんが かおをだしました  
そっとさんは きょろきょろりん

すっとさんも きました
すっとさんは すっとんとん  ・・・


と続く『よるのようちえん』。
地下にある、この作品の原画を集めた展示スペース(くれぐれもお見逃しなきよう)は
照明がかなり落とされた暗い空間で、原画のフレームだけがスポットライトで照らされております。
中央にはかわいらしい椅子がぐるりと半円に並べられ、壁ぎわにはお道具箱が。そう、夜の幼稚園なのです。
時折、暗い室内に すっとさん や そっとさん や おっとさん や もっとさん や じっとさん の
不思議でひょうきんな姿が、ぱっと現れては消えます。
こういうしかけは、やりようによってはたいそう小賢しいものになってしまう恐れがございます。
しかし本展においては、へんなものたちの生活を そっと 覗いているような
作品の秘密めいた雰囲気と相まって、なかなかに素敵な演出となっておりました。

2Fの展示室も壮観でございます。
床には絵本からこぼれ出て来たような、カラフルな「しかく」達が列をなしております。
展示室内の赤い扁平な敷物は、よく見ると
元永氏の絵本によく登場する、何だかよくわからないかたち氏 ではございませんか。

そうした演出が邪魔にならぬのも、氏の作品が演出に負けぬ強い個性を放っているからこそでございます。
もけら もけら でけ でけ で始まりずばらば で終わる
絵本『もけら もけら』(山下洋輔 文 いや、文っていうか)、
あほらしげでありながら永遠すら感じさせる『もこ もこもこ』、
小さなマルたちがひたすらころがり続ける『ころ ころ ころ』などの原画が集結し
元永氏の自由でヘンテコリンな感性が炸裂しております。

この度、『もこ もこもこ』が30年も前に出版されたものと知りまして
その時を超えた斬新さにウームと唸ったのろ。
元永氏がかの前衛美術集団具体美術協会のメンバーでいらっしたことも、この度はじめて知りました。

「他人の真似をするな、今までにないものをつくれ」がモットーであった「具体」。
のろが生まれる前のこととて、もちろん直接には存じないのでございますが
数年前に兵庫県立美術館で催された「具体」回顧展は、たいそう素晴らしいものでございました。

あそこに端を発していたのか、と思いますと
氏の作品の色あせぬ斬新さにも大いに納得がいくというものです。

と いうわけで



行ってらっさいませ。

ノミ速報3(さらに追加 1/15)

2007-01-13 | KLAUS NOMI
本日は展覧会レポートをUPする予定だったのでございます。

変更いたしまして、急を要しますノミ速報を。
まずは ↓ ご覧下さいませ。

YouTube - Classico Venture

これが何故急を要するのかと申しますと
以前、同様の映像がYoutubeにUPされた時は、一日かそこらで削除されてしまったからでございます。
今回も著作権のチェックが入り次第、削除されてしまうものと思われます。
見られるうちに見ておきませう。

眉毛問題に加えてひとこと申せば
爪は黒くしておいてほしかったですね。


(追加)ここにも ↓ いました。
Image:VentureBrosCharsSeason2.jpeg - Wikipedia, the free encyclopedia



(さらに追加)Youtubeの映像ですが、実際にはこんなセリフを喋っておいでのようです。

THE MONARCH(殴ってる人)
「Alright, I've got the one dressed like Taco! よし、俺はこっちの Tacoみたいな格好のヤツをやっつける」
(ぽかすか)
「What is this, plastic armor? 何だこりゃ、プラスチック製の鎧か?」

ノミ
「All but the bow tie! ただの蝶ネクタイですとも!」

→ ネクタイくるくるー → ばいーん。

典拠はこちら。
The Mantis-Eye Experiment - Showdown at Cremation Creek, Part II

ちなみに、このエピソードがitunesから有料ダウンロードできるらしい、と以前申し上げましたが
その後のリサーチによりますと、そのためにはUSAの住所が必要とのこと。
・・・・そんなあ・・・・。

捏造した住所でもダウンロード可能らしいのですが
そういう詐称行為に手を染めたくはございません。

限りなく がっくり でございます。
いっそ移住いたしますか・・・。

T I N T I N

2007-01-10 | Weblog
本日はタンタンの誕生日です。

今年はタンタンの作者、Herge エルジェ の生誕100年ということで
ポンピドゥーセンターではエルジェ展が開催されております。
それを受けて、あの無機質の美を誇る外観がこんなことに。
いや、洒落ておりますね。
世界各地で原画展が企画されているとのことですので
日本にも来てくれるのではないかと期待しております。

ところで 
T I N T I N が「タンタン」で H E R G E が「エルジェ」。
「ドイツ語は書いてあるとおりに読め、フランス語は書いているとおりに読むな」と申しますね。
仏語を かじったこと すらないワタクシとしては、仏語における綴りと発音の間のあまりのギャップに
「なんでそおなるの」と首を傾げざるを得ないんでございます。

「ジャック」の綴りがJA C Q U E S 。後半の”U E S”は何なのでしょうか。
「ランボー」の綴りが R I M B A U D 。最後の”D”は一体何のために。
「バロー」なんて、 B A R R A U L T ですよ。

はたから見る分にはなかなか面白かったりするんでございますが
仏語を勉強なさるかたは大変ではないかしらん と
余計な心配をしてみる今日この頃。

などと申しておりましたが、いやいや、忘れておりました。
いましたよドイツ語圏にも、ごっついお方が。




その t z s、取っちゃだめですか。

『ヨーロッパ肖像画とまなざし』

2007-01-06 | 展覧会
門松は冥土の旅の一里塚  めでたくもあり めでたくもなし

と いうわけで
一里塚をまたもつつがなく通過してしまいましたよ。
世の中の為になるより害になることの方が多かろうに
なにゆえいまだにのめのめと存在しているかと申せば
こんなのろでも美術館の収入に貢献することはできるからでございますともさ。

『ヨーロッパ肖像画とまなざし』/名古屋ボストン美術館 へ行ってまいりました。




肖像画で辿る西洋絵画史といった趣きでございます。
「16世紀-20世紀の顔」というサブタイトルがついてございますね。
何故16世紀からなのかと申せば、肖像画というものが大々的に制作されるようになったのが
人間、および個人というものへの関心が高まったこの時代のことだからでございます。

展示作品はオール肖像画でございますから
ほとんどが ちょっとハスにかまえてこちらを見据えている人の姿 なわけでございますが
その一様な主題の中にも(あるいは、同じ主題だからこそ)
描かれた時代描いた人によって異なる様式や個性が見て取れ、面白うございました。

以前の記事でも申しましたけれども、
時系列に沿って見てまいりますと、様式の変遷が体験的に分かってよろしうございますね。

とりわけ19世紀から20世紀にかけて、肖像画が「似姿」という役割から解放されてゆくさまは
ダイナミックで興味深いものでございました。
モデルが「依頼主」から、芸術家によって好きなように料理されうるモチーフへと変遷する、その過程は
芸術とは何かという意識の変遷や「芸術のための芸術」という概念の登場とも重なるところがございます。

それだけに、欲を申せばもっと20世紀セクションを充実させて欲しかったというのが正直な所。
この流れで見たならば、ウォーホルやフランシス・ベーコン(画家の、ですよ)の衝撃を
より生々しく感じられたことでしょうに。
また肖像画をテーマとした展ならば、モディリアーニは外してほしくなかったとも思うのでございますが
まあ本家ボストン美術館に所蔵品が無いのかもしれませんね。
それにもうじき『ピカソとモディリアーニの時代展』が梅田でございますから
そちらで心を満たすことにいたしましょう。
デパート内展覧会にしてはまあ長期間でございますが
それでも2週間ぽっちでございます。
エコール・ド・パリファンの皆様は、じゅうじゅうお見逃しのなきよう。

『現代の工芸 三人展』

2007-01-03 | 展覧会
『現代の工芸 三人展 ー受け継がれた伝統ー』 へ行ってまいりました。
振り返ってみると大山崎、去年は1/4に訪れておりました。




お三方それぞれに美しうございましたが
のろが一番心魅かれたのは金工の河野三秋さんの作品でございます。
金属の重たい輝きが、氏の作品の上では軽やかで温かな光を帯びています。
そして、上のリンク先で作品をご覧になればお分かりいただけると思うのですが
多くの作品に、何とはなしにほのぼのとしたユーモアが漂っております。

例えば、ちょっと想像してみてくださいまし。
30×20センチほどの、縦長の金属板があります。
銀色の表面には一点の曇りもなく、あたかもまぶしい青空のようです。
その真ん中に白銀色の雲が、ぽっかりと浮かんでいます。
雲のかたわらには、チョコレートが とろっ としたたり落ちたような、ゆるーいかたちのUFOが。
こんな作品です。
そしてタイトルは 『ここだけの話』。
よろしうございましょう?

河野氏の作品は主に新館の方に展示されておりますので、
本展においでのかたは、どうぞ新館の方も忘れずに覗いてくださいまし。

新館といえば、こちらでは通常、この美術館のコレクション作品を展示しております。
季節は冬ですし、ヴラマンクの描いた雪景色が見られるかしらん と期待していたのでございますが
今回はピカソの裸婦像一点を除いてみーんなモネでございました。
ふむ。
「日本人は印象派大好き」ってのは、アレ本当なんでございましょうか。
ふむ。
だとしたらのろはニホンジンじゃないや。
国籍占いではドイツ人だったし。やっほー。
「規律正しく堅物、でもキレると怖い」のだそうです。

さておき。
こちらの美術館へ向う時は、いつも自転車で同じルートを辿って行くのですが
(帰りは必ずどこかで道に迷うので、同一のルートをとれた試しがございません)
通るたびに首を傾げたくなる小道がございます。
即ち、




アストロ通り。




ずーっとアストロ通り。

何故 アストロ なのか、何がどう アストロ なのか。
町並みも看板も、何も語ってはくれません。
しかし、この分け分からなさが、よいではございませんか。
今さら変にこじゃれた何とかストリートや、いかにも京都っぽい名前に変更されたりせぬよう
願ってやまぬ正月3日でございました。


『いのくまさん』

2007-01-02 | 展覧会
四国は香川県にございます丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
今年は1月1日から開館しております。
元旦から美術館開けてたって誰が行くんだって。
のろが行くんですよ。

と いうわけで猪熊弦一郎展 『いのくまさん』に行ってまいりました。

お正月恒例、青春18きっぷ活用の日帰り旅でございます。
乗り換え間違いも響きまして(瀬戸内の美しい海景を4回も拝めました笑)、所用時間は片道6時間ほど。
ま、おかげで『冷血』をすっかり読み終えることができました。
昨日のうちにご報告しようと思っていたのですが。さすがに疲れきっておりましたもので。





いのくまさん美術館、
のろの好きな美術館のひとつでございます。
まずもって正面の外観が素敵でございます。↓ぜひともワンクリックで拡大してご覧下さい。
香川の観光写真集 - 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館

建物はJR丸亀駅を出てすぐ右手、ほんとうに すぐ 右手にございまして
駅を一歩出て右を向くというと、こんな素敵なモノたちがばばーんと迎えてくれるのです。
上のリンク先には、館内の写真もございますね。
展示室の中央に丈の低いショーケースがございますでしょう。
あそこに展示されているのは、いのくまさんが世界各地で集めたさまざまなモノ(かわいらしいんです、これがまた)や
無数に制作されたらしい、小さなオブジェ(かわいらしいんです、これもまた)たちでございます。

建物のつくりもちょっとユニークでございます。
エントランスから3Fまで吹き抜けとなっておりまして、
各展示室の天井も充分に高く、たいへん開放的な雰囲気です。
3Fのから2F展示室の作品を見下ろすこともできます。
広々とした白い壁面に、いのくまさんのあんな作品こんな作品が並んでいるさまは
実に心楽しくなる光景でございます。

いのくまさん作品の常設展示の他に、年に何回か企画展も催しておいでなのですが
今回の企画展は、絵本絵本『いのくまさん』を取り上げたものでございますので
全館 いのくまさん一色 でございました。
「一色」ったってそこはいのくまさんですから、多用で幅広い表現と色彩を楽しむことができます。
そこへ持って来て谷川俊太郎氏の

こどものころから えがすきだった いのくまさん。 
おもしろいえを いっぱいかいた


といった、ほのぼのトツトツとした文が大きな文字で壁面にプリントされております。
鑑賞者は、まさに絵本の中に入り込むかのように、展示室へと迎えられるのでございます。

子供向けの展示なのかって。いえいえ、そうではございません。

のろは大学で美術教育を受けたことなどもございませんし
アートとはなんぞやと常々考えているわけでもなく
要するに以下に述べますことどもも、全くのシロート考えなのでございますが
アートの いち側面 として「他者 た ち 」や「私 た ち 」のものであるこの世界から
「自分」の世界をもぎとる、という側面があると思うのです。

ちと専門家に頼って坂崎乙郎氏を引用させていただくと
「この世界のなかに、この世界と異質のものを築く」
「現実空間のなかに、自分の宇宙を築く」

(『絵とは何か』 河出文庫 1992)
てなことでございます。

そして本展の鑑賞にあたってのろの頭に何度も去来したのは、まさにこのことでございました。
本展は、カラフルで楽しげなおもちゃ箱であると同時に
「自分の宇宙」を築こうとするいのくまさんの戦いの軌跡でもあります。
同一人物の作品とは信じがたいほどに大きく変化する表現スタイルや
常設展示の方にある、かなりマチスっぽい肖像画なども考え合わせると
その戦いが決して容易ならざるものであったことは、想像に難くはございません。

いのくまさんの生み出した楽しい形や鮮烈な色彩で目を楽しませながらも
いま、ここにいる、自分、の、表現 を求め続けることにかくも熱心であったいのくまさんの情熱を
のろはひしひしと感じたのでございました。

とはいえ、独自の表現を希求する情熱と同じくらい、いやそれ以上に
描く喜びに満ちあふれたいのくまさんの作品に、正月元旦からどっぷり浸かって
のろはこの上なくおおらかな気分で美術館を歩み出て
また6時間かけて我が家へと帰還したのでございました。