のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『新釈』なるもの

2014-05-24 | 
久しぶりにジュンク堂へ行きまして。
ロシア文学の棚を見ましたら、『新釈 悪霊』なる分厚い本があるじゃございませんか。
手に取ってぱらぱらめくってみましたら、何ですこれ、ドストエフスキーの『悪霊』の登場人物と設定をそのまんま使った二次創作じゃございませんか。
スタヴローギンにキリーロフのことをわざわざ「アリョーシャ」と呼ばせたりして、さらにはおっそろしく通俗的な別れのシーンなんぞを書いたりして、作者はさぞかし楽しかったことでしょう。
どんな罰当たりがこれをお書きになったのかと憤慨して調べてみましたら、三田誠広さんというかたでした。
恐ろしいことに『新釈 悪霊』はシリーズ3作目であって、すでに『罪と罰』と『白痴』で同様のものが出版されているとのことで...

ぐはあっ
病気療養中のラゴージンに代わってワタクシが叫んでおきましょう、

ナスターシャに寄るんじゃねえ!!

まあ叫んだってもう遅いんですけれどもさ...
うう...

まあこれはあくまでも、ワタクシの個人的かつ感情的なぼやきでございます。
誰しも権利保持者の権利を侵害しないかぎりで二次創作をする自由はあります。

と思ったら、三田氏は著作権の保護期間を70年に延長せよというろくでもない施策を支持してらっしゃるかたのようで。
ドストエフスキーはもう死後120年くらい経っておりますから、50年の保護期間がが70年になろうが80年になろうが、ご自身の創作には支障ないってわけでございます。

三田誠広氏批判 日本文芸家協会への公開状

活字中毒R。漱石と鴎外と太宰と藤村の「著作権ビジネス」

しかし驚きましたのは、氏が著作権保護期間延長を論ずる中で「文学はWikipediaではない。書き換えられては困る」と発言していらっしゃることです。

三田誠広氏発言集 - 万来堂日記3rd(仮)

↑のブログさんから発言を引用させていただきますと。

「孫子のために財産を残したい、という訳ではない。これは著作物の人格権を守るための議論だ。例えば谷崎潤一郎の保護期間がもうすぐ切れる。切れてしまえば、谷崎の作品を書き換えてネットで発表するようなファンが出てくるだろう。もっとエロくしようとか、もっと暴力的にしようとか。文学はWikipediaではない。書き換えられては困る」

あのう、「著作物の人格権を守るため」だとすると、作家の死後70年までは書き換えしてはダメだけど120年経ってたら書き換えてもいい、という理由はどこにあるんでしょうか。あるいは「作品を書き換えてネットで発表するようなファン」はけしからんけれども、プロの作家である自分が書籍として発売するのはOK、というお考えなのでしょうか。しかしプロの作家を名乗るのも、作品を発表するのも、別に資格がいるようなことではございません。実際にご自身が書き換えを行っている以上、三田氏は他者に対しては禁じるべきと主張してらっしゃる表現の自由を、ご自身ではしっかり享受していることになります。

さらに驚いたことには、ご自身で「例えばサンテグジュペリ(1944年没)は欧米では権利が続いているが、日本では勝手に翻訳が出せる。野蛮な国と見られているだろう」と語っておきながら、『星の王子さま』の著作権が切れたとたんにさっそく自ら翻訳を出されたということでございます。

こちら↓から引用いたしますと。
日本文藝家協会が著作権保護期間延長の働きかけを再開 - Togetterまとめ


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ちょっと言行不一致がひどいのではございませんか。
どうもこの方の言ってらっしゃることとやってらっしゃることを並べてみますと、「自分は有名で素晴らしい作家だからあれもこれもやってもいいけど、みなさんはどうせ酷いものしか生み出せないんだからダメだよ」という特権階級的なお考えの持ち主ように思えてなりません。そんなかたに権利を云々されたくないものでございます。

ちなみに三田氏訳の『星の王子さま』をワタクシは読んでおりませんが、↓のブログさんによると、他の翻訳には一切出て来ない、三田氏の創作と思われる部分がかなりあるとのことです。

「星の王子さま」 三田誠広 訳|MARIA MANIATICA

腹が立つので色々置いときます。

三田誠広先生の論文について - 大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

三田さん、無断撮影はやめてくださいね。: Library & Copyright

保護期間延長は既にある著作権には何の創作的インセンティブも与えない - @sophizmの上から涙目線

[三田誠広氏への反論]記事一覧 - Copy & Copyright Diary

それにしても出版業界ではいつから「二次創作」を「新釈」なんていうご大層な名前で呼ぶようになったのでございましょうか。
昨今流行りのニュースピークの一種でしょうか。
放射性物質だだ漏れ状態のことを「アンダーコントロール」と言ったり、事故から3年経ってもいまだにどうして壊れたのか分かっていない施設に「世界一安全」という称号を冠して売り出そうとしたり、よその国での人殺しに加担することを「集団的自衛権」と呼んだりするみたいな。

『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』

2014-05-17 | 映画
「1992年に『エイリアン2』の真似をしてお前の指に穴を空けたろ」


流行った!それ流行った!
みんなナイフじゃなくてシャーペンでやってたけど!
と、膝を打って叫びたい所でございました。

いうわけで
『ワールズ・エンド 酔っ払いが世界を救う!』を観てまいりました。

故郷のパブめぐりが転じてエイリアンとの対決に至ってしまうという、サブタイトルが示す通りの壮大なバカ映画で、非常に楽しかったのですよ。そして以外ときちんとした作りの映画でございました。
きちんと、とはどういうことかと申しますと、視覚的にもお話の運びにも「おバカコメディなんだからこの程度でいいよね」という手抜き感がなく、それとなく張られた数々の伏線も見事で、パロディもあるけれども元ネタを知らなくても楽しめる、などなど。むちゃくちゃな話のようでいて、実はたいへん丁寧に作られたコメディ映画という感じがいたします。

映画『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』予告編


”敵”の首や手足が文字通りポンッと取れるシーンなどもありますが、何しろ相手はロボットもどきなので、例えば『キック・アス』のように残虐な絵になることはなく、そういう点でも安心して見られる作品でございます。(『キック・アス』といえば少し前に続編の『ジャスティス・フォーエバー』が公開されておりましたけれども、前作のラスト、麻薬を売りさばいた金であがなった兵器を使って、ギャングとはいえ何人もの人を問答無用で殺している時点で、主人公はもはやジャスティスとは呼べないと思うのです。人が死んでも笑えてしまうコメディというのはありますけれども、『キック・アス』については、主人公の当初の動機がわりと真面目なものであっただけに、後半の過剰な暴力は笑えませんでした。)

また主人公ゲイリー・キングの、清々しいまでのダメッぷりがいいんですね。膝まで届くロングコートにシルバーアクセサリーじゃらじゃら、というふた昔前にカッコ良かったファッションでいまだに身を固めた四十路男、というだけなら人畜無害でございますが、人の話は聞かないわ、都合のいい事しか覚えてないわ、借りた金は返さないわ、得意顔で下らないジョークを飛ばすわ、まあ本当にどうしようもない奴でございまして、あまりのイタさにいっそ見ていて愛おしくなってくるぐらいの代物でございます。ゲイリーと他の登場人物との、テンポはいいのにひたすら噛み合ないやりとりがすごく可笑しいんですけれども、字幕をつけるのは大変だったのではないかと思います。
一歩間違えばうるさくてめんどくさいだけの不快なダメ男になりかねないゲイリーを、一抹の哀愁と否み難い愛嬌を備えたそれなりに魅力あるダメ男に仕上げているのは、演じているサイモン・ペグが上手いんでございましょうね。
『ホット・ファズ』は見逃し『ショーン・オブ・ザ・デッド』はスルーしたワタクシは、サイモン・ペグというと『スター・トレック イントゥ・ダークネス』のスコッティしか知らないんでございますが、あれも大変よかったですね。あの作品で一番オトコマエだったのは、スポックさんでも船長でもなくスコッティですよ、いや本当の話。この2作品だけで、ワタクシすっかりサイモン・ペグ・ファンになりましたとも。

で、そのペグ演じるゲイリー・キング、20年前はイケてる若者だったのですが、その栄光の時代から全く抜け出せないままでおっさんになってしまいました。予告編では「悪ガキ5人組が帰って来た」と言っておりますが、悪ガキ気分なのはゲイリーだけであって、他の4人はそれぞれ家庭を持ったりキャリアを築いたり、まあ順当な社会人生活を営んでおります。そこへ90年代で時が止まっているゲイリーが押しかけ、あの時達成できなかった連続パブ巡りをやろうぜ、と強引な招集をかける所から、人類の命運を(結果的に)賭けた酔っぱらいツアーが幕を開けるのでございました。当然ゲイリーひとりがノリノリで、あとの4人はシブシブ。しかし何だかんだで酒も入り、思い出話も出て来、また事態が抜き差しならない状況になるにしたがって、かつての悪ガキ仲間の感覚が徐々に戻って行くさまは、なかなか微笑ましいものでございました。



あくまでもコメディなのであんまり湿っぽくなることはございませんが、しんみりとする場面もあり。世界のマクドナルド化ならぬスターバックス化への皮肉もあり。そして、これ昔よくラジオでかかってたよなあ、と懐かしくなる楽曲あり。とにかく総合点が高く、たいへん楽しめる作品かと。
ラストはまあ、力技ではございましたけれども、話が大きくなるにつれ、これどう収拾つけるんだろう、まさか夢オチではあるまいな、とちょっと心配していたワタクシとしては、それなりに納得のいく着地点でございました。何より、「ダメ男がダメなりに頑張ったら世界が救われた」のではなく「ダメ男がダメさをどこまでも貫いた結果、なんか世界が救われちゃった」という展開が実にアホらしくて爽やかでございます。

ただこの作品、ひょっとするとワタクシはおうちで一人でDVD鑑賞した方がもっと楽しめたかもな、とは思いました。冒頭に掲げた台詞をはじめ、手を叩いてぎゃっはっはと思いっきり笑いたい所が、ずいぶんありましたので。

歩きスマホ

2014-05-09 | Weblog


歩きスマホの皆様。
あなたが今まで道で誰にもぶつからずに来られたのは、あなたが常に周りに気を配りながらゆっくり歩いているからではありません。
周りのみんながあなたをよけて歩いてくれているからです。
そのことにどうか気づいてください。
そして足腰を弱くされたお年寄りや、視覚障害をお持ちの方や、左折して来たスマホ運転車両にぶつかって、自他に怪我をしたりさせたりする前に、その悪い習慣から足を洗ってください。

天国的半睡

2014-05-01 | 音楽
のろさんが音楽カテゴリの記事を書くのはたいていの場合、他のネタが間に合わなかった時です。

それはさておき

目覚ましの補足として、ラジオのタイマーをセットしております。
今日は収入源のお仕事の方は休みでございましたが、タイマーはいつも通りに作動し、枕元から何やら天国的な響きが聞こえて来るわい、と半分まどろみながら聴いておりました。

あとで調べてみたらば、この曲でございました。

スペインのフォリアと12の変奏曲 フランシスコ・ペトリー二


あらためて聴いてみると、ずいぶん物悲しげな曲ではあります。
まあのろさんの天国にはこのぐらいがちょうどいいのよ。
Francesco Petriniの名前で検索してみても、ネット上にはたいした情報はございませんでした。こちらによるとハープ奏者兼作曲家であった人物で、メクレンブルク-シュヴェリーン(現在のドイツ北東部)で宮廷仕えをしたのち、1769年にパリへ赴き、作曲や執筆にいそしんだとのことです。こんなに美しい曲を作曲(編曲?)したのに、あんまり有名ではないのですね。そんなもんか。

この勢いで、作業用BGMとしてyoutubeでハープの曲を聴いていたらば、超有名作曲家がマイナーな楽器で出てまいりました。

ええ、「鼻から牛乳」でございます。

トッカータとフーガニ短調


パイプオルガンの荘厳で強靭な音色も結構ですが、この今にもパリンと砕けそうな、危うく張りつめた響きもいいですね。