のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

もろもろ

2011-08-30 | Weblog
京都市美術館で開催中の『フェルメールからのラブレター』展ですとか、青春18きっぷで行って来た『レンブラント展 光の探求/闇の誘惑』、『フェルメール<地理学者>とオランダ・フランドル絵画展』、『安野光雅の絵本展』、『棟方志功 祈りと旅』、また映画では『エッセンシャル・キリング』、『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』、『メタルヘッド』など、鑑賞レポをするべきもの及びするべきであったものは色々あるんでございます。
しかし向こう2ヶ月ほど暇人なりに多忙を極めそうでございまして、そもそもから滞りがちである当ブログの更新もますますもって遅くなることと思われます。日々覗いてくだすっている皆様、まことに申し訳ございません。

ちなみに上に挙げた映画3点のうちどれかを観ようと思っておいでのかたには、『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を断然お勧めいたします。他の2つも悪くはございませんが、『イグジット~』は軽いノリを装いながらも、表現とはなんだろうか、現代アートとは何だろうかという問いかけと、ストリート・アートすらも取り込んで売り物化してしまう現代アート市場への痛烈な皮肉とをこめた快作でございます。しかも、文句無しに面白い。

その他の諸々のことも記事をちびちび書きためてはUPしていければと思っております。が、2週間ほど放置されていても「もしや死んだのでは」とご心配いただくには及びません。まあ要はそれが言いたかったのでございます。
2ヶ月経っても何にも動きがなかったら、くたばったと思ってくだすって結構でございます。

なんて言ってもどうせ死ぬほどには頑張らないんだろうなあ。
本質的に怠け者だから。

ホンダホンダのこと

2011-08-25 | 音楽
ええっと

福島原発ではもうどうにもとまらない状態の核燃料氏がメルトスルーからメルトアウトに向かってずんずん進行中で
北海道ではダントツで癌死亡率が高い泊村では沖合15キロの海底にマグニチュード7.5以上の大地震をひき起こしうる活断層が高い可能性で存在するという研究結果を無視して原発の再稼働が決まっていて
次の首相になりそうな皆様は脱原発をはっきりと打ち出す気など毛頭ないようで
ああそうですか
もうどうにでもなれ

というわけで
あまりにもやる気がないので
出しっ放しのCDの片付けでもしようかと思ったわけです。
そんなわけで
「ホンダ ホンダ ホンダ ホンダ」なMADNESSのCDをどけたら


すぐ後ろでカルロス・クライバーまでが

「CITY!」
とやっていて、ちょっと面白かったのでございます。
面白かったので結局そのままにしておくことにしました。
そんだけ。

一定年齢以下のお若い方は何のこっちゃとお思いのことでございましょう。
こんなこっちゃでございます。



今見ても素敵に馬鹿馬鹿しくて、不思議とカッコよく、実に愉快なCMでございますね。当時じゃりんこであった兄もワタクシもこのCMが大いにお気に入りだったわけでございます。貰い物かもしれませんが、実家にはレコードもありました。

ちなみに↑のクライバーはもちろんシティ!と言ってるわけではございませんで、1989年のニューイヤーコンサートの「ラデツキー行進曲」で観客に向かって「ハイ手拍子!」と指示を出したとこでございます。

これ。


楽しそうだなあ。
おおっと、演奏中は鬼の形相のコンマス、キュッヒルさんまでも笑っているではございませんか(0:42)。

やっぱりどうにでもなれなんて考えてはいけないかしらん。
でもなあ。


『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』のこと

2011-08-17 | 映画
今一番公開が楽しみな映画といったら、『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』でございます。
本国イギリスではちょうどひと月後の9月16日封切り。USでは11月18日、日本での公開は未定ということですが、まあおそらく、来年3月くらいにはなるこってございましょう。待ち遠しいことこの上ありません。

監督は『ぼくのエリ 200歳の少女』のトーマス・アルフレッドソン。この作品は陳腐な邦題にげんなりして結局観に行かずじまいでしたが、評価を見聞きするかぎり、監督の手腕にはそこそこ信頼を置いてもよさそうです。『ティンカー~』のトレイラーを見るかぎり、映像センスにも期待できそうでございますね。

しかし何と言っても注目したいのは、演技派俳優で固めた豪華俳優陣でございます。
主人公である元英国諜報部員、ジョージ・スマイリーを演じるのはゲイリー・オールドマン。
彼の”戦友”であり、今は実質的に諜報部内ナンバー2の座を占めるビル・ヘイドンにはコリン・ファース。
組織内の「もぐら」(ソ連側への内通者)の存在を嗅ぎ付ける老獪な諜報部チーフ、コントロール(管制塔)にはジョン・ハート。
コントロールの後釜に納まった野心家パーシイ・アレリンには、一度見たら忘れられない風貌のトビー・ジョーンズ。
スマイリーと共に「もぐら」を追う若手幹部ピーター・ギラムには、BBCのドラマで現代版シャーロック・ホームズを演じて一躍脚光を浴びたベネディクト・カンバーバッチ。
自信家でいささかお調子者の工作員リッキイ・ターには最近”That guy”俳優道から脱しつつある(ような気もする)トム・ハーディ。
そして、ええ、辛い過去を封印して小学校教師として生きようとする元工作員、ジム・プリドー役には、ソーターさんことマーク・ストロングでございます。

That guy actor...演技力はあるものの、器用すぎるために俳優としての名前を覚えてもらえず、「あ~この顔絶対どこかで見たことあるんだけど誰だっけ。ほらあれ、◯◯に出てたあの人」というかたちで記憶される俳優。

Tinker Tailor Soldier Spy - Official Trailer [HD]


どうです、そうそうたる顔ぶれではございませんか。
ゲイリー・オールドマンはスマイリーにしてはちとカッコよすぎるような気もいたしますが、冷静沈着、頭脳明晰、だけど見た目は全く冴えないおっさんであるジョージ・スマイリー氏をゲイリー・オールドマンが演じるということの意外性も含めて、どんな演技を見せてくれるのか楽しみな所でございます。
意外と言えば、てっきりピーター・ギラム役と思っていたコリン・ファースがビル・ヘイドン役にキャスティングされているのも意外でございました。「話を、本質だけにとどめようではないか?」火を噴きそうな語気で、ギラムがささやいた。(ハヤカワ文庫p.91)なんて、コリン・ファースにぴったりの演じどころではないかと。しかしまあ、年齢をはじめ諸々の条件を考え合わせると、やっぱりこの配役がベストかと思い直しました。

逆にこれ以上ドンピシャなキャスティングはあるまいと思ったのが、トム・ハーディとマーク・ストロングでござます。具体的にどうドンピシャなのかはネタバレに繋がってしまいそうなのであんまり申せませんが、とにかく映画化決定のニュースを聞いてから慌てて原作を読みはじめたのろは、暇を見つけては読み進めながらつくづくと思ったわけでございますよ、そうそう、こういう役にこそソーターさんを呼んでくれなくては、と。

と申しますのもこの所、ソーターさんには出演オファーが悪役-----しかも人物としての複雑さや深みの描写をあまり要しない単純な悪役-----に偏りすぎではないかと、少々危惧していたからでございます。ブラックウッド卿しかり、サー・ゴドフリーしかり、フランク・ダミーコしかり。もちろん悪役loverであるのろとしては、それはそれで大いに楽しめますし、『The Eagle』や『The way back』(どちらも日本未公開)における、よりマイナーな役においては、中立的な人物を演じておいでではあります。しかし極悪非道かつナイーヴな悪党ハリー・スタークスや、真意も深慮も計り知れないヨルダン情報局長ハニ・サラームや、凄腕なのに情緒不安定な殺し屋ソーターといった複雑なキャラクターを、充分な説得力で、しかも魅力的に演じるだけの力量を持っているマーク・ストロングが、悪役専門俳優として安易な使われ方をするのはあまりにも勿体ないことよ、と心配していたのでございます。ご本人はインタヴューでそのことについて「別に心配してないよ~」とおっしゃってはおりましたが。
とまあ昨今のタイプキャスト傾向はさておき、武骨で孤独で軍人肌でありながらも「懸命に隠している優しさ」を結局は隠しきれないでいるジム・プリドーを演じるのに、目下の映画界においてマーク・ストロングほどうってつけの役者はないさと思います次第。

ううむ、いつの間にかソーターさんばなしになってしまいました。
話を映画そのものに戻しますと。ひとつ心配なことは、ヴォリュームのある原作を2時間に収めるためには当然いろいろと細かい点を削ぎ落とさねばならないわけですが、ディテールを省略することによって、ただ原作の筋を追うだけの話になってしまわないかという点でございます。こうしたことは映画化の宿命とはいえ、とりわけ『ティンカー~』は登場人物のちょっとした言動によって物語の背景にリアルな広がりと奥行きを構築している作品であり、そうした背景や心理描写こそが、「もぐら」探しのスリル以上に、このスパイ小説に特別な魅力を与えているからでございます。
公式サイトを開いてみてもトレイラー↓が表示されるばかりで、レヴューもまだないに等しい現状においては、原作のどういった部分にとりわけ重点が置かれているかもはっきりとは分かりません。
繰り返しになりますが、とにもかくにも監督のセンスと力量に期待したい所でございます。

トレイラーその2
Tinker Tailor Soldier Spy - Official Trailer *NEW


ああ楽しみだ。楽しみだ。
でもあと半年後ぐらい待たなきゃいけないんだろうなあ。


8月6日

2011-08-06 | KLAUS NOMI
本日は
クラウス・ノミの命日でございます。

ここ数年80年代リバイバルがなんとなく進行中なのだそうで。ファッションにせよ音楽にせよ、ひと昔前のものはダサいだけですが、ふた昔前ともなるとティーンの皆様にとっては未知の世界であり、それ以上の人々にとっては懐かしい時代ですから、振り返るにはちょうどいいだけの時の隔たりなのかもしれません。

アート界でも振り返り現象が起きているのか、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館ではこの9月から『ポストモダン:様式と破壊 1970-1990』と題された展覧会が開催されます。
ここで何と、ノミのマネキンが展示されるらしいのですな。

Designing Postmodernism, Part 1: Concept Drawings | Victoria and Albert Museum
↑ The page you are looking for is temporarily unavailable.(一時的に見られない状態です)と突っ返されるかもしれません。時間をおいて試してみてください。

ああ、ものすごく売れたというわけでもないアルバムをたった2枚残して逝ってしまった人が、80年代を飾るアイコンの一人としてこうして取り上げられるなんて、嬉しいではございませんか。キュレーターさんの慧眼に、熱い拍手をさし上げなくては。
ところで80年代アートといえば最近ネット上で「ジャン・ミシェル・バスキアはクラウス・ノミとロマンティックな関係にあったが、バスキアがノミに何度も淋病をうつしたので関係が悪化した」という情報をしばしば見かけるんですが、本当なんでしょうかね?!

さて音楽の方ではくだんのDJヘル氏が、この5月に発売されたコンピレーションアルバム『Coming Home』で『Cold Song』を取り上げてくだすっております。記事にする順番が前後しましたけれども、そもそも『TEUFELSWERK』を買うはめになったのはAmazonで『Coming Home』をチェックした際、お勧め商品として紹介されていたのが目に入ったからでございまして、つまりは”ついで買い”させようというAmazonのもくろみにまんまと引っかかったわけでございます。



ジャーマン・ニューウェイヴの楽曲を集めたこのアルバム、いきなりクラフトワークの『Ohm Sweet Ohm』から始まって、かなりポップな曲の合間にニナ・ハーゲンの雄叫びや、いとも厳粛な『Cold Song』が挟まり、愛らしいシャンソン風の『Gute Nacht Freunde』から切れ目なくクラウス・キンスキーのライヴ・パフォーマンス(一人芝居?)に突入し、フェードアウトで幕、という何とも変態的な構成でありながら、これが意外と聴きやすかったり。ニナ・ハーゲンの所は少々音量を下げないといけませんけれどね。さもないと「隣室から異様な叫び声が聞こえる」って通報されそうなので。

ニナ・ハーゲンといえばドイツのポップデュオRosenstolzとオープンゲイの英ヴォーカリスト、マーク・アーモンドと一緒に『Total Eclipse』をカバーしておいでですね。そのPVがYoutubeで見られなくなって久しい...と思ったら、こちら↓で見ることができました。

nina hagen + rosenstolz + marc almond + - total eclipse on melcebu's Videos - Buzznet

終末的でたいへんよろしいですね。恐いです。いやほんとに。

ノミにリスペクトを捧げる、あるいはヤツからインスピレーションを受けるアーティストも、主に音楽とファッションの分野において、年に一人以上の割合で継続的に見受けられます。
昨今話題のレディ・ガガさんについては言わずもがなとして、今年メジャーデビューなさったらしいBLITZKIDS mvt.というドイツのバンドはヴォーカルの女性がNomiと名乗っており、ファッションもメイクも明らかにヤツを意識したものとなっております。童顔に眉無し恐顔メイクかつ無表情というのがよろしい。お人形さんのようでございます。

しかし残念ながら、楽曲や歌唱にはそれほど際立った個性は感じられません。決して悪くはないのですが、ノミの後継者をもって任ずるならば、もっとガツンとはじけた個性を打ち出してくれなくては。曲が耳に残らないというわけではない、しかしそれは心に残る一節があるとか、歌唱が印象的であるという理由からではなく、むしろ単純でキャッチーなフレーズが何度も繰り返されているからであり、またファッションも、奇抜ではあるけれども飽くまでも安全圏内での奇抜さという感じがいたします。以上の二点はガガ嬢にも当てはまることとワタクシ思うのですが。

えっ
クラウス・ノミと比べたらそりゃ誰でも安全圏内に見えるだろうって。
まあ、そうなんですが。そもそもヤツは大気圏外のひとでございますしね。

BLITZKIDS mvt.は2曲目シングルの『Water』で歌詞を確信犯的に無意味なもの(◯◯も◯◯もいらない、ただ水がほしい...の繰り返し)に切り詰め、かつPVでは前作よりもいっそう無表情になっているあたり、なかなかイイではないかと思います次第。このままずんずんロボット的な方向に邁進していただきたいものよと期待をかけつつ、これからの展開を見守りたく。

またファッションにおいてはZarah VoigtというジュエリーデザイナーがNomi collectionというシリーズを売り出しておいでのようです。

Zarah Voigt - NOMI Collection

おお、ノミっぽい。
そう、スリー・ポイント・ヘア、目もと、唇、ボウタイ、プラスチックタキシードの上下そしてトンガリ靴と、頭から爪先まで、モノクロームの三角形が大きさを変えながら縦に反復するヤツの”正装の火星人”ルックは、実は「かたち」としてはとてもカッコイイと思うですよ。
もちろん、変な衣装に変なメイクをまとって裏声で歌う男性、という点のみに注目すればヤツはいたって奇矯な存在ではあり、またその奇矯さがどうしても目につきがちであるということは否めません。しかしただただ奇矯なだけだったら、あるいは、その表現様式が80年代といういち時代にのみ訴えるものであったなら、これほど継続的に、また多くの表現者に、インスピレーションを与え続けることはございますまい。80年代リバイバルが起きているといっても、80年代のあらゆるものがやみくもに再興しているわけではないのです。

バイエルン出身のアーティスト、クラウス・スパーバーは1983年の今日、亡くなってしまいました。それはどうにも否定しようがございません、残念ながら。
しかし宇宙から落ちて来た歌う変異体クラウス・ノミは、少々ひねた人々のためのエンターテイナーとして、そして創造的な人々のためのインスピレーションとして、表舞台からは一歩退いた場所で-----例えるならばお客が出払ったあとのオペラ座、貧乏アーティストが集う安アパート、あるいは街路灯を浴びる夜の雪だまりの上で-----生き続けてまいりましたし、これからもきっとそんな、わびしくも輝かしい場所で、生きていくことでございましょう。


TEUFELSWERK

2011-08-03 | 音楽
めったにしないジャケ買いなるものをしてしまいました。
だって、こうですよ。



しかもタイトルが『TEUFELSWERK』(トイフェルズヴェルク:悪魔の仕業)ですよ。

ぱりっ。


アーティストはミュンヘン出身のDJヘル。今年のフジロックに来ていらっしたようです。
ノミ好きクラフトワーク好きながらジャーマンテクノに詳しいわけでは全くないのろ、はて何者だろうかと検索してみますと、
「エレクトロクラッシュ番長」
「エレクトロクラッシュの総帥」
「ジャーマン・エレクトロ・シーンの帝王、元パンクスで肩書きジゴロの変態DJ 」
と、何とも素敵な肩書きが付されておりました。

反復。


NIGHTとDAYの二枚組でございますが、もっぱらNIGHTばかり聴いております。
Electronic Germanyなんか実に涼しくて、いいですね。

Dj Hell - Electronic Germany


かなーりクラフトワークではありますけれども。

『モホイ=ナジ/イン・モーション』2

2011-08-01 | 展覧会
7/27の続きでございます。

ブダペストからベルリンに出てきて抽象表現に目覚めたのか、あるいは抽象に目覚めたからベルリンに出て来たのか、「ベルリン ダダから構成主義へ」と題された第2セクションでは肖像画や風景画は影をひそめ、というか全く跡形もなくなりまして、ひたすら平面構成の世界が展開しております。
四角や三角や直線や半円が交錯し合うほとんどモノクロームの画面は一見単純なようでいて、いとも絶妙なバランスの上に構築されており、またひとつの形と別の形の重なり、そこから生まれる新たな形、さらにはそのずらしと反復によって、見れば見るほど奥深い構成が立ち現れてまいります。



うーむ、たまりませんね。

ここまで見ますと、この後はバリバリ抽象表現な方向に進むんかな、という感じがいたしますが、これまた全然そうはならないんだから読めない人でございます。

写真、そして映画という新しい表現メディアに注目したモホイ=ナジ、1923年からバウハウスで教鞭を取り、写真を使ったさまざまな表現手法の授業を基礎カリキュラムに組み入れるかたわら、自身の作品にも写真を積極的に取り入れます。

写真術そのものが発明されたのは19世紀初頭のことですが、19世紀末ごろからカメラの小型化や機材の改良、規格化、低価格化などによって普及が進み、それに伴って20世紀初頭には単なる記録媒体あるいは絵画の代わりという以上の、写真独自の表現可能性が追求されるようになりました。

このころ制作されたフォトプラスチック(フォトモンタージュ)の作品、これがまたよろしくて。
「運動するとお腹がすく」だの「どのようにして私は若く美しいままでいられるか?」だの、ちょとふざけたタイトルも楽しいのですが、「軍国主義」のように重いテーマを扱った作品でもとにかくシャープで洒脱、かつ軽やかな画面でございます。

四角や円や直線が主役だったベルリン時代と異なり、ここでは人物写真がメインに使われておりますが、幾何学的な形を扱ったのと同様に、ひとつの同じ形-----同じポーズの人物像-----を重ねたり、階調を変えたり、ずらしつつ反復したりすることでリズムとバランスを生み出しているのが興味深い。
幾何学的形状とのおつきあいで培った構成理論を、人物と具象的なテーマに対して応用したという所でございましょうか。

応用の幅は書籍デザインにも及んでおり、同セクションではモホイ=ナジが装丁したバウハウス叢書も全巻展示されております。これがまたカッコイイのですな。この叢書を全部所蔵しておきながら、一冊残らず表紙カバーをひっぺがして捨ててしまっているバカヤローな大学図書館もございますけれどもまあどことは申しますまい。

後半の風景写真などを見ても思う所でございますが、この人においては文字も人体も幾何学的形体も、風景も建築もまた光線そのものも、世界のあらゆるものが構成のためのパーツであり、視覚の実験室における素材であったのでございましょう。

振り返れば、写真、映画、平面構成、立体、舞台芸術、装丁、タイポグラフィ、著述に教育と、51年の人生においてよくこれだけのことを、しかも器用貧乏に陥ることなくできたものだと感歎いたします。
モホイ=ナジの細君によると彼は「教育に携わるために芸術家としてのキャリアを犠牲にした」とのことで、確かにクレーやグロピウスと比べるとモホイ=ナジという名前はマイナーでございます。それだけに、芸術家としての彼の仕事をまとめて見られるの本展の開催はたいへん幸いなことでございました。
デザインに興味のあるかたならまず行って損はない展覧会でございます。ワタクシは幸いなことにこの間招待券をいただきましたので、展示替え後にもう一度行こうと思っております。

それにしても今年はクレー、カンディンスキー、そしてモホイ=ナジと、バウハウスに関係した人物の展覧会が何となく続いておりますね。この流れで来年あたりオスカー・シュレンマー展などやっていただけたらワタクシとしてはとっても嬉しいのですが。