のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ヤツの死んだ日。

2006-08-06 | KLAUS NOMI
本日は
このひとの命日ですよ。


このひと とはすなわち、このひとのことであって



すなわち、このひとのことであって


うーむ資生堂の広告みたいですね、

すなわち、このひとのことですよ。



そうですとも。
本日は
クラウス・ノミの命日なのですよ。

1983年8月6日
エイズによる合併症で、
逝っちまいやがりましたよ。
遺体は本人の希望どうり火葬に付され
N.Yの街に撒かれたのだそうです。

医療関係者を除いては
おそらくヤツと最後に言葉を交わした人物、友人ジョーイ・アリアスの証言を以下にご紹介します。

*注 当時エイズは治療法はおろか感染源さえも分からない謎の病気で、病院も手のほどこしようがありませんでした。
   患者は隔離病棟に入れられ、面会者はマスクや防護服を身につけねばならず、患者に触れることは禁じられました。


(病状が進むにつれ)、彼はモンスターのような容貌になっていった。
目は紫の裂け目にしか見えなかったし、体中に斑点ができて、完全に消耗しきっていた。
8月5日の夜、彼は言った。
「ジョーイ、僕どうしたらいいんだろう?病院はもう、僕を置いておきたくないみたいだ。
すっかり見放されてしまったんだ。こんなこと、もう止めなきゃいけない。僕はもう、良くはならないんだから」
僕はクラウスが回復して、また歌えるようになるんじゃないかと夢見てた。
容貌は崩れてしまっていたから、幕か何かに隠れて歌わなきゃならないけれども。
「君は”オペラ座の怪人”ってことになるね」僕は言った。「また一緒にショーをしようよ」
「うん、そうだね」彼は笑って答えた。
このアイディアは彼の気に入って、その時は本当に具合がよくなったように見えた。
これが金曜の夜のこと。
僕は次の日の朝また彼を見舞うつもりだったけれど、病院から電話がかかって来た。
クラウスがその夜のうちに死んだ、という連絡だった。


Klaus Nomi -- from ATTITUDE
Klaus Nomi, biographie romance

私のことを忘れないで 
私のことを忘れないで
だけど ああ 私の運命は忘れて

2ndアルバム 『シンプル・マン』所収『DEATH』より。

ヤツのことを書いた記事などをネットであさっておりますと(エエ何とでもおっしゃいまし)
「このひと本当に宇宙人だったのではなかろうか、
実は自分の星に帰って行っただけで、今もどこかで歌っているんではなかろうか」
といったコメントをちらほらお見うけします。

のろもそう思いたいなあ。
でもね、もう、いないんですよ、このひと。



こんなにかわいいのにね。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして。 (瑠璃子)
2006-08-06 11:20:49
こんにちは。「What's New Pussycat!?」というブログをやっております瑠璃子と申します。クラウス・ノミについて検索をしておりましたらこちらのブログに行き当たりました。イラストがとてもよいなあと(偉そうで申し訳ありません)感嘆いたしました。

クラウス・ノミ、死んでしまったんですよね…今の時代なら彼を受け入れる土壌が整っていると思うのに。私はリアルタイムでは石橋楽器のポスターぐらいしか記憶にないので、もっと知りたかったです。
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ヤツ忌 (うまお)
2006-08-06 22:40:26
1枚目と2枚目の絵にすごく見覚えのある者です。



ううぬ、やられました

「○○忌」という風にくると思いきや

『ヤツ』でしたか(笑)



ヤツ氏の最期はとても悲惨なものだったと

語り継がれておりますが、

ひとたび検索すれば「あんなこんな姿」

な、画像ばかりで想像できないと言いますか

想像するけど実感がないと言いますか。



当時の時代と、病気が病気だけに

誹謗や中傷は凄かった様ですが

実際、その「姿」をとらえたりしたような

ゴシップ写真やらが一切出ないというのも

ヤツ氏の置かれていた状況が

本当に恐ろしいものだったと言うことでしょうか。

誰も近づかない、孤独

・・それが現実だったなんて。



ヤツ氏の曲など聴きながらいつも

やりたかった事のどのくらいをできたのかな・・

なんていつも思いふけっております。
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帰って行ったと思いたい。 (のろ)
2006-08-07 21:43:19
おお、「What's New Pussycat!?」の瑠璃子様、

はじめまして。ご訪問ありがとうございます。

「What's ~」はノミ検索でお尋ねして以来、しばしば閲覧させていただいております。



ノミ、本当に今生きていてくれたら・・と思わずにはいられません。

ヤツを80’という時代のあだ花と見なす人もおりますが

むしろ、いろいろな分野の境界線が曖昧になって

アートにおいても音楽においても何でもアリな現代の方が

ヤツはよりよく受け入れられたことでしょうし、より生きやすかったことでしょう。

「来るのが遅すぎたナー」とつぶやきながら自分の星に帰って行った・・・

と、思いたい。

帰って行ったにせよ、死んじまったにせよ、

これから新たにヤツの写真や映像が生産されることは 決 し て 無 い という悲しさ。

仕方がないので、自分で生産している次第でございます。

技も無ければ芸もないへたっぴいのイラストではございますが

愛情だけはめいっぱい込めております。

ノミ話、これからもぼちぼち続けて行く所存でございますので

ぼちぼちお立ち寄りいただけたら幸いでございます。



うまお様、いらっさいませ。

タイトルは  けっ こう悩みました。(あほ)

ワタクシとしては、他の人と横並びには扱えないお方でございますから、ヤツは。



ヤツの最後の日々を記録した画像が無いのは(あるいは、公開されていないのは)

大変残念でございますね。

出歯亀的な好奇心なのかもしれませんが

ヤツがどんな姿で死んで行ったのか、ぜひ知りたかった。

間接的な接触すらHIV感染源になると思われていた時代ですから

お見舞いに行った人は、本当にわずかだったでしょうね。

決して孤独を好む人ではなかったのに、手を握ってくれる人も無く

独りぽっちで死んで行かねばならなかったなんて。

嗚呼、友人たちに泣きながら電話をかけたヤツの心情を思うと

本当に辛うございます。辛がっても何にもなりませぬが。



やり残したことも山ほどあったことでしょう。

「映画に出たいし、自分でも作ろうと思ってる」なんて言っておりますし。

http://www.kristianhoffman.com/articles/mumpspress/vintage/klaus-nomi-jul79.jpg



あるブログでは、ノミの早逝は「神に愛されたから」だと

言っておいでです。

http://d.hatena.ne.jp/chem-duck/20050606

ああせめてもの慰めに、そのように考えたいものです。
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