のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『Kick-Ass』のこと

2010-04-27 | 映画
『アリス・イン・ワンダーランド』の帽子屋は『オリバー・ツイスト』でマーク・ストロングが演じた悪党トビー・クラキットのなれの果てに違いありません。



トビーさん、もともとちょっといかれた奴ではありました。



とまあこんな具合でございまして
去年の秋に『リボルバー』を観て以来、ワタクシの中ではソーターさんことマーク・ストロングが大流行しております。少なくとも向こう一年ぐらいはソーターソーターうるさいことと存じますが、どうぞご容赦くださいませ。何しろこれからさ来年の夏にかけて、ソーターさんが出演する新作映画が7本も控えているのでございます。しかもそのうち少なくとも4本は悪役ときたもんだ。きゃっほう!

海の向こうではついこの間、ソーターさんをニューヨークの麻薬王(もちろん悪人)に据えたアクションコメディ『Kick-Ass』が封切られました。観客からも批評家からもなかなかの好評を得ているご様子。まことに喜ばしいかぎりでございます。
『Kick-Ass』はアメコミの映画化作品でございまして、ごく普通の冴えない高校生が自作のコスチュームに身を包み、自称スーパーヒーローとして奮闘するというお話。

Kick Ass New Extended Movie Trailer [HD]


うーむ、こりゃ面白そうだ。アメコミ好きで有名なニコラス・ケイジをキャスティングしているのもご愛嬌。マシュー・ヴォーン監督は前作『スターダスト』でも、息子たちに王座を競わせる狡猾な王にピーター・オトゥールを配役したりと、いい感じにメタパロディのセンスを発揮してくれております。

リチャード一世忌 でも触れました映画『冬のライオン』では、オトゥール演じるヘンリー2世の息子たちが王座を廻って骨肉の争いをくり広げます。



これまで敵対者を火だるまにしたり、兄弟を塔のてっぺんから突き落としたり、ジョージ・クルーニーの生爪をペンチでひっぺがしたり、いろいろと素敵な悪逆行為をやっていらしたソーターさん、今回はスーパーヒーローのコスプレをした11歳の女の子をボコボコに殴り倒して頭を踏んづけたりなさるんだそうです。いやあ、ワクワクしますね。
ちなみに実際のマーク・ストロング氏は子煩悩な二児の父であり、インタヴューにはユーモアを交えて丁寧に答える人当たりのいいナイスガイであり、また御本人の談によれば、デリに寄るのが好きな方向音痴のサッカーファンでございます。

ティーン向けっぽいのに、暴力表現とFワードてんこ盛りのせいで見事にR-18指定をくらった本作。よい子の皆さんはDVDを待ちましょう。というか日本で劇場公開していただけるんでしょうか、これ。


『美しきカントリーライフ』展2

2010-04-20 | 展覧会
4/16の続きでございます。

静まる水底のような新館から、打ちっぱなしコンクリの明るい階段をとんとん上がって地上へ。青空のもと、咲きはじめたかりんの花や瑞々しい若葉をひとしきり愛でたのち、本館へと進んでまいります。

さてチョーサー著作集、と行きたい所でございますがその前に、思いもかけぬ凄まじい逸品が控えておりました。
ひとつの額に納められた、5枚の手彩色木版画でございます。
↓展示されていたものの画像ではございませんが、雰囲気としてはこんな感じ。
Augustine - Falvey Memorial Library
LiNE Zine - Issue 1 - Incunabulum
Woodcut of Circea in a German translation of Boccaccio's De claris mulieribus, Ulm ca 1541 - Freebase

展示パネルには「14-16世紀 インキュナブラ ドイツ」と。
インキュナブラとはマインツでグーテンベルクが世界初の印刷本を出版した西暦1450年頃から、次の世紀の入り口である1500年までの約50年間に印刷された書物、即ち初期印刷本のことでございます。
ハテ、文章が一切無い、絵だけの版画作品も「インキュナブラ」と呼ぶのかしらん?と思って眼を凝らしますと、恐ろしい事実が判明いたしました。紙の裏側から、重厚なゴシック体の文字が漉けて見えているではございませんか。つまりこれはそもそも両面印刷された本の挿絵であったのが、何者かによって切り取られて今のかたちになったということでございます。ギャーー!
こういう不埒なことをする輩は、あの世で存分に鞭打たれかし。

ああ、まったく、今やちっぽけな紙片として額に納められているこれら木版画のもともとの姿、即ち書物としての姿がどんなものであったろうかと考えますと、心痛のあまり気が遠くなるようでございます。が、それはそれとして、裏側からも見て取れる金属活字の確とした圧力たるや、それだけでも感動ものでございます。
手漉き紙の風合い、木版画独特の素朴な線描に、鮮やかで丁寧な彩色。いつまで見ても見飽きません。展示ケースに貼り付くようにして、気付けば小一時間も過ごしておりました。

素朴とは申しましたが、人物はいたって写実的に描かれております。麦畑の中の戦闘を描いたものでは小さな画面の中に、剣を振り上げる者、矢をつがえる者、叫び声を上げながら倒れる者、角笛を吹くもの、祈る者など一人一人の人物の顔や装束が丁寧に描き分けられており、まことに見ごたえがございます。隣の展示ケースには18世紀フランスで制作された、これも木版手彩色のタロットカードが展示されておりますが、こちらの絵はかなり拙い。比べて見るとインキュナブラの方のクオリティがよく分かります。

こういう「もの」としての圧倒的な存在感-----ワタクシはこれを「もの感」と呼んでおりますが-----を持つ作品は、意味とか思想といったものを踏み越えた問答無用の肯定感を発しております。ワタクシには、それが何より有り難い。つまり、根っからの愚か者であるのろはどうせ何もかも滅んで行くこの世界で何かを作ったり、直したりすることに一体何の意味があるのかということをいつも考えてしまうわけですが、こういうものに出会いますと、やっぱり、ものがある、何かが存在するというのは、それだけで素晴らしいことではないか、などと思うわけでございます。

ちと軌道がそれました。
ともあれ、こうしたものは生活と労働が(産業革命以降の世界ほどには)分離しておらず、身の回り物すべてが手工芸品であった時代の、美しき遺物でございます。ここに見られる素朴な手仕事の美こそ、ウィリアム・モリスや彼の賛同者たちが目指したものでございました。

振り向けばそのモリっさん渾身の『チョーサー著作集』が、柔らかな照明の中、緑のビロードの上に鎮座しておりました。
ありがたいことにここの展示ケースはかさが浅い作りとなっております。つまり表面のガラスから展示物までの距離が近く、「世界で最も美しい本」をそれはもう舐めるように見ることができるのでございます。

↓こちらで美麗画像が多数見られます。
ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』 

ケルムスコット・プレスの本、特に『チョーサー~』は、本やWeb上で縮小された画像を見ますと、美しいという以前に装飾過剰でいささか息苦しい印象を受けますけれども、実物を前にいたしますと、大きな版面を埋めつくす唐草模様や空間恐怖的な挿絵の必然性がしかと感じられるのですから不思議なものでございます。
A3はあろうかという大判のページは、その一枚一枚が特製の手漉き紙でございます。その上に整然と並ぶのはモリス自身がデザインしたゴシック活字と、親友で志を共にする画家バーン・ジョーンズがデザインした挿絵。本文を包むのは、小口のチリにまで瀟洒な金箔押しが施された革表紙。おのおのが濃厚なこれらの構成要素が互いに重力をかけあって、モリスが目指した総合芸術としての書物を作り上げております。
モリスが目指したのは手仕事の復権であり、労働に対する誇りと喜びの回復でございました。それはとりもなおさず、短時間でじゃんじゃん生産されては市場に流れ出て行く粗悪品への対抗であり、「手間をかける」、「こだわる」ということへの再評価でございます。ケルムスコット・プレスの重厚さは、みっちり詰め込まれた「喜ばしき手間」の帰結であると申せましょう。

本館にはこの他、手作りのテーブルセットや羊皮紙に描かれた楽譜などが展示されており、手間の美を堪能できる構成となっております。

「理想郷への回帰と旅立ち」という展覧会のサブタイトルにはちと現実逃避的なイメージがございますけれども、アーツ&クラフツや民芸運動は、大量生・産大量消費へとひた走る世界に対して異議を唱えた、いわば19世紀のカウンターカルチャーでございます。単に理想の田舎生活へと逃げ込むのではなく、理想郷を自ら作ってやろう、よいもの、価値あるものを自らの手で作り、発信していこう、とした人々の心意気が、「もの」を通して伝わってくる展覧会でございました。

何です。
理想郷を自ら作るなんて所詮金持ちの道楽じゃないかって。
ええ、まあ、そこがアーツ&クラフツの限界であり、問題点であったわけでございますがね。

『美しきカントリーライフ』展1

2010-04-16 | 展覧会
アサヒビール大山崎山荘美術館で開催中の美しきカントリーライフ~理想郷への回帰とたびだち~ へ行ってまいりました。
別にカントリーライフに憧れているわけではなく、ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』を見るためでございます。ところで「蹴る息子ッと」って変換するのはちょっとどうかと思うのだよmacさん。

さておき。
大山崎山荘は小さな美術館でございます。
京都からも大阪からも少し離れております。
しかし小規模だからこその細やかさ、そしてこのロケーションだからこそ映える企画といった「ここならでは」の展示に心を配っていらっして、いつ訪れても好もしい印象を受けるのでございます。

今回の企画展では、受付で「(大人も楽しめる)中高生向け解説シート」なるものをいただきました。中高生向けと銘打っているだけあって文章はごく平易でございまして、美術史に興味の無い人も含めて、全ての鑑賞者に語りかけようとする美術館の熱心な姿勢が伺われます。いかにもWordで作ったらしい噴き出しやクリップアート入りの文書がごく普通の紙に白黒印刷されているという、手作り感溢れる鑑賞ガイドでございますが、あなどるなかれ、とっつきやすい一方で内容はしっかりしておりましす。
解説シートではフランスのバルビゾン派からイギリスのアーツ&クラフツ運動へと続く「芸術家村」の系譜やその社会背景を解説しつつ、展示されている作品の鑑賞のツボが示唆されております。これを片手に展示室を廻ると、19世紀半ばから20世紀初頭に工業化社会へのアンチテーゼとしてとして形成された芸術運動のつながりが、実際の作品を目の前に置きながら概括できるという趣向となっております。しかもこういうヨーロッパの芸術運動の影響が日本に波及・展開した結果としてできたのがこの建物(大山崎山荘)ナノヨ、という入れ子状のオチがついていて面白い。

順路に従ってまずは新館へと下りてまいります。磨りガラスの自動ドアが左右に開くとちょうど正面に出迎えてくれるのは、澄んだ陽光をたたえたコローの「大農園」でございます。



新館中央には白い壁で囲まれた3メートル四方くらいの空間がございます。ここにはコロー、ミレー、ドービニーの小品が展示されておりました。毛糸を紡ぎながら田舎道を行く女性や、巨木がこんもりとした枝を空に延べている農村風景のエッチングが、慎ましい表情で並んでおります。晴れておりましたので、天窓からは明るい春の陽が降り注ぎます。のろは別にバルビゾン派ファンではないのでございますが、しつらえの妙とでも申しましょうか、こういう空間でこういうものを見られると、ひしひしと幸福感がこみあげて来るのでございました。


次回に続きます。


核兵器廃絶のこと

2010-04-11 | Weblog
gooメールがリニューアルしてから何だか見にくくなりました。まあ、無料なので文句は申せません。

それはさておき

Avaazから昨日届いたメールでございます。
(和訳文責:のろ)

Dear friends,

数時間前、オバマ大統領とロシアのメドベージェフ大統領は核管理についての新たな条約を締結しました。

これはしかもきわめて重要な、かつ時宜を得たステップです。ワシントンでは来週にも核安全保障サミットの開催が予定されており、この会議は核という恐ろしい兵器をなくすことへの第一歩ともなりうるからです。

専門家らは、核兵器を廃絶しなければ大惨事のリスクは免れないということを各国政府に訴えています。それに対して政治家達が引き合いに出すのは、人々がこの問題について示す関心の薄さです。ならば請願書で、私たちの意見を政治家達に示そうではありませんか。「グローバル・ゼロ」宣言への署名にどうぞご参加ください。署名はサミット参加国の首脳達に直接届けられます。

Global Zero: Stop the Nuclear Threat

(のろ注:署名のしかた、請願のメッセージなどは当記事の*****以下をご覧下さい)

世界には2万3千発以上の核兵器が存在し、核保有へと乗り出している国は13ヶ国にも上ります。核兵器を使った紛争やテロ、事故による大災害の危険性から考えて、このままでは世界はもたないというのが専門家の見解です。ただひとつの実効的な解決策は、全ての国が核兵器を捨て去ることです。

私たちAvaasが設立に携わってきたグローバル・ゼロ運動は、多くの元国家元首や外交官、国際安全保障の政府顧問たちによって支持されています。去年、この活動の影響力が明らかに示される出来事がありました。11万5千人以上の署名が集まり、米ロの核軍縮条約を後押ししたのです。

しかし中東の核武装レースが加熱し、朝鮮半島やパキスタンでの緊張が高まり、軍やテロリストによる核兵器使用の脅威が続いている今、いっそう強くかつ全世界的なアクションが必要です。

米ロの大統領はグローバル・ゼロの基本理念には合意しましたが、この合意を実行に移せるかどうかが問題です。ワシントンでのサミットは、彼らに約束を守らせる絶好のチャンスです。グローバル・ゼロを求める力強い声を各国の首脳らに届けるため、請願書への署名をお願いします。

With hope,
Luis, Ricken, Pascal, Ben, Alice, Raluca and the entire Avaaz team.

以上。なお、グローバル・ゼロ運動に関しては↓こちらを御参照ください。
『核兵器はなくせる』 有識者によるグローバルゼロ運動 - フィーチャー - Hiroshima Peace Media Center

*****
送られるメッセージ
私たちは、私たちの子孫と人間の文明を核の脅威から守るため、全ての核兵器の廃絶が必要と考えます。そのため、具体的な目標期日に向けて核廃絶が行われるよう、全ての国が参加する法的規制と実証的な合意を求めて、私たちは活動しています。

(以上)

リンク先画面右側に出ておりますピンク色のバーと数字が、現在署名に参加している人数です。のろがこの記事を書いている時点で、17万500人が参加しています。

署名のしかた
水色のバーで出ております Sign the Petition 欄

以前にも署名したことがあるという方は一番上のAlready Avaaz member?の空欄にメールアドレスを入れてピンクのSEND:送信ボタンをクリックしてください。
初めての方はその下に、
Name:お名前
Email:メールアドレス
Cell/Mobile : 電話番号(必須ではありません)
Country:国籍(選択)
Postcode:郵便番号
を入力の上,右側のYour personal massage欄にあるピンク色の Send:送信ボタン をクリックすると参加できます。

入力したアドレスにはご署名ありがとうメールが届きます。
その後も署名を呼びかけるメールが随時届きます。
それはちょっと...という方は、送られて来たメール本文の一番下にある go here to unsubscribe.(青字)という所をクリックして、移動先の空欄にメールアドレスを入力→SENDをクリックすれば登録は抹消されます。

リチャード一世忌

2010-04-06 | 忌日
本日は
イングランド王「獅子心王」リチャード一世の忌日でございます。

獅子心王リチャードと聞いてワタクシの頭にまず浮かぶのは、1968年の映画『冬のライオン』でございます。この映画での断片的な印象から、のろの中には久しく「リチャード一世=マザコン ジョン=アホの子」のイメージが定着してしまっておりました。
リチャードを演じたのは、これが映画デビューとなる当時30歳のアンソニー・ホプキンス。デビュー作でいきなりピーター・オトゥールとキャサリン・ヘップバーンという大御所と渡り合う役に大抜擢されたのは、それまで舞台で培ってきた演技が評価されたためでありましょう。近年、インタヴューの中でこの作品を振り返るサー・ホプキンスがよく語るのは、キャサリン・ヘップバーンからもらったというアドバイスでございます。即ち「演じるのはおやめなさい。ただ台詞を言えばいいの。あなたはいい肩と、いい顔と、いい眼と、いい声を持ってるんだから、他に何もいらないわ」というもの。このアドバイスのおかげで今のサー・ホプキンスがあるとするならば、キャサリン・ヘップバーンには大いに感謝せねばなりますまい。

ちなみにこの作品、のろには録画していたビデオが途中で切れたために半分しか観られなかったという、いささか淋しい思い出がございます。この間レンタル屋の歴史ものコーナーで見つけたから、そのうちちゃんと観ようっと。

さておき、歴史上のリチャードは十字軍の英雄(つまりイスラム教徒の殺戮者)であり、騎士道の華と唄われる人物でございます。
多額の国費を国外での戦争に費やし、戦費捻出のため臣民に重い租税を課した上、個人的確執のすえにオーストリア公の捕虜となり、その身柄を解放してもらうためにこれまた莫大な身代金を支出させたこの人物に何故人気があったかといえば、つまるところ、戦上手だったからでございます。彼の死後イングランドを継いで、内政においてはそれなりの才覚を示し、少なくともリチャードのように国をほったらかしにしたわけではなかった弟ジョン王に何故全く人気がないのかといえば、つまるところ、戦下手だったからでございます。

ジョン王と言いますと、中学か高校の世界史の副読本に堂々と「悪王」だの「欠地王」だのと書かれていて驚いた記憶がございます。まあ「カール禿頭王」にはもっと驚きましたけれど。

ロビン・フッドの悪役というイメージも手伝って、重税と圧政を強行して民衆および諸候から大ブーイングを受けたアホ王、というぐらいの認識が一般的な悪王ジョン。しかし、そもそも戦費捻出のための重課税を始めたのはリチャード兄ちゃんでございますし、王がその気になれば有無を言わせず臣下の領地を差し押さえできてしまうという行政機構を(それを抑制するシステムを全く欠いたままに)作り上げたのは、ヘンリー父ちゃんでございます。つまり先代の積み上げた問題がジョンの代に至って先鋭化し、民衆および諸候がこの搾取システムの酷さに気付き始めたと、そしてその不満を抑える、または誤摩化すだけの求心力がジョンには無かったというわけでございますね。

ジョン王の性格的・能力的問題がいかに甚だしいものだったとしても、失政の全てがジョン王という一個人の問題に帰せられるはずはございません。にもかかわらずこの欠地王が長年に渡ってけちょんけちょんにけなされて来たのは、アグレッシヴでいくさ上手で容貌も振る舞いも華やかだったリチャード兄ちゃんに比べて、あまりにも見劣りが激しかったということなのでございましょう。

さて、ロビン・フッドと言えばリドリー・スコット監督の新作が、海外ではこの5月に公開されますね。日本での封切りは秋になるとの事。
国家権力者に対抗・復讐するラッセル・クロウってまんま『グラディエーター』じゃんかと思いつつも、のろはこの作品を観に行かねばならないことになっております。別にリドリー・スコットのファンではございませんし、ラッセル・クロウの顔を大画面で拝まねばならないのはいささか苦痛ではありますが、それでも観に行かねばならないのは、ソーターさんことマーク・ストロングが出演しているからでございます。
「ジョン王の忠実な部下サー・ゴドフリー」役、ということはつまり、悪役でございますね。やっは~い!
トレーラーを見ると、要所要所で顔を出してらっしゃいます。うーむ、これはなかなかのご活躍が期待できそうではございませんか。

(2011.1.16追記)実際はぜんぜん「忠実な部下」ではなかったわけですが、この記事を書いた時点ではこういう情報が出回っていたのです。

↓鎖かたびらを着込んだ背の高いハゲがソーターさん。



画面のどこにいてもすぐに見つけることができて、たいへん結構でございます。



*当記事のイングランド史についての記述は主に『世界歴史大系 イギリス史1』および『新版世界各国史11 イギリス史』(共に山川出版社)を参考にしました。

本とゾンビ

2010-04-05 | 映画
とても大事なことが書かれた一冊の本を守るために、襲い来るゾンビどもを斬って斬って斬りまくるという『バイオハザード』と『ザ・ウォーカー』をちゃんぽんしたような夢を見ました。

『ザ・ウォーカー』は本が重要なキーとなっているという点と、ゲイリー・オールドマンが久しぶりに悪役に復帰したという点で、そこそこ気になっている作品ではあります。まあ「この世に残されたただ一冊の本」って、どうせあれでしょうけれど。




この本が『マーフィーの法則』でした、とかいう企画だったら、かの『ギャラクシー・クエスト』級の傑作を期待できたかもしれません。