のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ヨーロッパ肖像画とまなざし』

2007-01-06 | 展覧会
門松は冥土の旅の一里塚  めでたくもあり めでたくもなし

と いうわけで
一里塚をまたもつつがなく通過してしまいましたよ。
世の中の為になるより害になることの方が多かろうに
なにゆえいまだにのめのめと存在しているかと申せば
こんなのろでも美術館の収入に貢献することはできるからでございますともさ。

『ヨーロッパ肖像画とまなざし』/名古屋ボストン美術館 へ行ってまいりました。




肖像画で辿る西洋絵画史といった趣きでございます。
「16世紀-20世紀の顔」というサブタイトルがついてございますね。
何故16世紀からなのかと申せば、肖像画というものが大々的に制作されるようになったのが
人間、および個人というものへの関心が高まったこの時代のことだからでございます。

展示作品はオール肖像画でございますから
ほとんどが ちょっとハスにかまえてこちらを見据えている人の姿 なわけでございますが
その一様な主題の中にも(あるいは、同じ主題だからこそ)
描かれた時代描いた人によって異なる様式や個性が見て取れ、面白うございました。

以前の記事でも申しましたけれども、
時系列に沿って見てまいりますと、様式の変遷が体験的に分かってよろしうございますね。

とりわけ19世紀から20世紀にかけて、肖像画が「似姿」という役割から解放されてゆくさまは
ダイナミックで興味深いものでございました。
モデルが「依頼主」から、芸術家によって好きなように料理されうるモチーフへと変遷する、その過程は
芸術とは何かという意識の変遷や「芸術のための芸術」という概念の登場とも重なるところがございます。

それだけに、欲を申せばもっと20世紀セクションを充実させて欲しかったというのが正直な所。
この流れで見たならば、ウォーホルやフランシス・ベーコン(画家の、ですよ)の衝撃を
より生々しく感じられたことでしょうに。
また肖像画をテーマとした展ならば、モディリアーニは外してほしくなかったとも思うのでございますが
まあ本家ボストン美術館に所蔵品が無いのかもしれませんね。
それにもうじき『ピカソとモディリアーニの時代展』が梅田でございますから
そちらで心を満たすことにいたしましょう。
デパート内展覧会にしてはまあ長期間でございますが
それでも2週間ぽっちでございます。
エコール・ド・パリファンの皆様は、じゅうじゅうお見逃しのなきよう。


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2 コメント

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明けまして・・・ (Beth)
2007-01-07 22:06:07
おめでとうございます。
最近は「あけおめことよろ」という言葉もあるようですが、これは、ちょっと私的にはいただけません。
年末には「クリプレ」という言葉も耳にしました。
何故、短縮しなければならないのか、私にはわかりません。
またしても始まった~!ボヤキが!!!!!
自分の日記帳でやれ!ですよね。
すみません。。。
という訳でって、なんの訳だか、ですが。
お正月に「オルセー美術館展」に行って来ました。
残念なことに、人だかりを見に行ったようなものでしたので、とくに感想はありません。
しかし、常々思っていることなのですが、誤解を恐れずに言うと、決してイヤミな意味ではないのですが、とこの前置きの長さが小心者を物語っておりますが。
私は、その作品(作品という言葉の持つ不安定さも?ですが、あえて作品で通すとして)はその作品のあるべき場所にあってこそ、ではないかと思うのです。
今回の「オルセー~」はまさに、神戸市立博物館ではダメだったと思いました。
あんなところに置かれては、どんなに価値あるものでも、どうもその真価が曇ってしまっているように思えてなりませんでした。
オルセー美術館は、もともと駅だったものを美術館にしたわけで、まず、あのがら~~~んとしたものすごい空間があってこそ、あれらの作品たちではないのか?と、思ったのです。
いや、私はあの元は駅であったという建物にまず惚れてしまったから、よけいにそう思ったのでありましょう。
しかし、決して神戸市立博物館の建物が悪いのではないのです。
あそこで「オルセー」をやったのが間違いだったのではなかったかと、私には思えます。
ガランガランの空間なら、まだ京都市美の方がマシだったかも、なんて。

ちなみに私は「英国人」でした。
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おめでとうございます。 (のろ)
2007-01-09 08:19:22
Beth様、おっしゃる通りでございますよ!
昨今、何でもかんでも つ づ め す ぎ です。
その「縮め言葉」を聞いて、もとの言葉が分かってしまうのがまた
我ながらイヤでございます。脳が「縮め言葉」に慣れてしまっているようで。
世の中、本当に縮めていいのは「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」と
校長先生のお話くらいなもんです。

言葉は世につれ変わるものとて
オーストリア がオーストリー になるのは結構。
しかし クリスマスプレゼント のクリプレ化 は容認できません、決して。

オルセー展、うーむそれは、本当に残念でございましたね。
自分も鑑賞者の1人であることを棚に上げて申しますが
混んでいると、それだけで見る気がげっそり削がれてしまいますものね。

>作品はその作品のあるべき場所にあってこそ

そっ それを言っちゃあ~おしめえでございますよ。
しかし同じ作品を見るにしても、あのセーヌ沿いの
素晴らしい建物、高い天井、広いスペース、陽光降り注ぐ展示室で見るのと、
どちらかというと重厚な密室的雰囲気をかもし出している神戸市立博物館で見るのとでは
それはえらい違いでありましょう。
なんて、ワタクシは写真でしか存じませんのですけどね、オルセー。
開放感のある、しかしどっしりとした歴史を感じさせる建物
beth様が惚れてしまわれるのもうなづけます。
生きている間にぜひとも訪れてみたいものと思っております。
芸術の普遍性云々と申しましても、舞台設定もやはり大事でございますから
オルセーやオランジュリーあたりに行ったあかつきには、ワタクシも
「いやー、印象派最高っすよー」なんて言うようになるやもしれません。

ところで「英国人」でしたか。ああさすがは。


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