のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

みんなのうたのこと4

2013-05-19 | 音楽
悲しいとか腹が立つのを通り越して吐き気のするニュースが、昨今嫌でも耳目に入って来るので辟易しております。
何であんなどこへ出しても恥ずかしいような人物が首長をやってるんだか。

それはさておき
5/12 みんなのうたのこと3の続きでございます。

曲も絵も、初見からけっこう強烈な印象を残したのがこれ。
ラジャ・マハラジャー 【動画】

イントロから疾走感満点で突っ走る曲そのものもいいのですが、影絵のようなアニメーションが独特で、とてもきれいでございました。「まあ!まあ!」の所で出て来る猫がまた、妙に可愛かった。
色彩感溢れるおとぎ話のような歌詞もまた魅力でございます。「赤い飾りの象牙の馬車」に「銀の孔雀の羽から取った、夢から覚めない薬」、「月や星から集めた光でともす、お城のランプ」、どれもこれもファンタジー好きの心をくすぐる魅惑的なフレーズでございます。
こんな素敵な歌詞を書いたのは何者かしら、と思って調べてみましたら、岡本真夜『tomorrow』の作詞家さんなんですと。なんと、「涙の数だけ強くなれるよ」のあれですか?!曲のイメージギャップが大きすぎて、ちと驚きました。


何かわからんけどカッコイイなあと思っていたのがこれ。

種ともこ『ファット・マ・イズ・クリーニン・ザ・ルーム』


うーむ、年代を感じさせる映像ではありますが、歌は今聞いてもカッコイイ。掃除機にハタキそしてぞうきんという、いたって日常的なものを、かくもパンクに歌い上げるというのがいいではございませんか。後ろのテレビで映っているのが、みんなのうたで使われていたアニメーションでございます。「みんなお外へ行って遊んで来な」→ドラム猫、の流れがたまりません。
掃除の歌は好きでも掃除好きにはついぞならなかった。
そういうものだ。とトラルファマドール星人なら言うだろう。


さて、みんなのうたには不思議な歌も悲しい歌もございますが、これはその中でも異色の一曲ではないかと。

父さんのつくった歌 ‐ ニコニコ動画(原宿)

おそらく、音楽家だった父親が死んでしまったことを歌った曲。身近な人の死と別離を歌った曲ではあっても、『ちいさな木の実』のようにセンチメンタルではなく、『かんかんからす』のようなわびしさも、『大きな古時計』のような泣かせどころもない。暗くはないけれども『グリーングリーン』(日本版)のようなぐんぐん前向き感とも違う。悲しみと明るい透明感とが、奇妙に併存する曲でございます。

明るい曲調やボーイソプラノの澄んだ歌声。「もういないよ」という、寂しいけれどもきっぱりとした、喪失の表現。そして「父さんはもういない」ではなく「歌を作った人はもういない」という、距離感のある語り。また何より、父親が「ぼく」に遺したものというのが、この世を生きて行くためのポジティヴなメッセージといった、明確な意図と方向性を持ったものではなく、「すてきな歌」や「でたらめな歌」というより開放的なものであるという点が、この曲に独特の爽やかな印象を与えていると思うのですが、いかがでしょう。
シュルレアリスム風味の謎めいたイラストを描かれたのは上野紀子さん...なんと、『ねずみくんのチョッキ』のかたではありませんか?!これまた、ちょっと不気味な『父さん~』のイラストと、モノクロームの可愛いねずみくんのギャップが大きくて驚きました。


さても思い出しては懐かしく、新たに聴いても新鮮な名曲ぞろいのみんなのうた。
中から好きな曲をひとつだけ選べと言われたら、ワタクシのチョイスはこれになるのでございました。

まっくら森の歌


↑1:15~1;45で使われている画像は佐川美術館でございましょうね。佐川美術館2 - のろや

子守唄のような旋律に乗せて歌われる不思議な世界。幻想的なおとぎの国かと思いきや、道理が通らない悪夢の中のようでもあり、人の心の暗部を歌っているようでもあり、いずれにしてもほんの少しの怖さと、深い魅力をたたえた名曲でございます。イラストがちょっと可愛すぎるのが不満といえば不満であったのですが、のちのち知った所によると、まずコンセプトとしてのイラストが先にあり、そこに浩子さんが曲をつけたという成り立ちのようです。

ワタクシが人生で初めて買ったCDは谷山浩子作『歪んだ王国』だったのでございますが、おかしなことにその時は、彼女が『まっくら森』や、まったくトーンの違う『恋するニワトリ』の作者であることも、またタイトルも分からないままに好きな曲であった『風になれ~みどりのために~』(胃薬のCMに使われていた)の作者であることも存じませんでした。
ですから、これらの曲とラジオドラマ『悲しみの時計少女』の作者として認識していた浩子さんが結びついた時は、たいそうう驚きましたし、好きなものってどこかで繋がっているんだなあ、としみじみしたことでもございました。
逆の例で言えば、子供の頃からなんとなく気に入らなかった『アップル・パップル・プリンセス』を歌っているのが竹内まりやであると知った時は、あ~なるほど、と妙に納得いたしました。まあ曲自体は彼女の作ではないようですけれども。
ファンのかたがいらっしたらごめんなさいね。単に好き嫌いの問題でございます。

ことのついでに、みんなのうたの中で嫌いだった曲もちょっと挙げさせてくださいまし。

まず
天使の羽のマーチ 歌詞

何が嫌って、ここです。

「木登り 跳び箱 できない男の子 
 あやとり お手玉 忘れた女の子
 君にも あるのさ 天使の羽がホラ」

ここ、暗に「木登りや跳び箱ができない男の子とか、あやとりやお手玉を忘れた女の子は、基本的にはダメ野郎なんだけど」って言ってませんか。
言ってない?いいや言ってる。

それから
それ行け3組 歌詞

歌詞にもメロディにも歌唱にも溢れる、元気いっぱいポジティヴ満開みんないっしょにGoGo!感がすごく嫌でした。

そして
ありがとう・さようなら 歌詞

ええ、要するに学校が嫌いだったんです。


まあそんなわけで...

えっ
美術館へ行こうとうたっているブログのわりには、あの曲がないじゃないかって。
はい。『メトロポリタン美術館』でございますね。あれが押しも押されぬ名曲であることについては、異論はございません。しかし最後の「大好きな絵の中に 閉じ込められた」ってやつ、あれがワタクシも、ちょっと怖かったクチでございまして。

メトロポリタン美術館 歌詞

だって、色々考えるじゃございませんか。
大好きな絵ったって色々あるのに、その中のたった一枚に閉じ込められるなんてむごい、とか、いくら大好きな絵でもずっと閉じ込められていたらきっと嫌になってしまうだろう、とか、絵の中に閉じ込められたら、もうその絵を絵として外側から鑑賞することはできなくなるわけで、つまりは身動きできないまま、額の中から展示室内の様子や来場者の顔を見ることしかできなくなるわけで、それはかなり苦痛では...とか、とか。

それに、歌詞の他の部分にも、子供心にも突っ込みたい所がままございました。
冷えるから服を貸してほしいって言ってるのに、「赤い靴下かたっぽ」だけで寒さがしのげるわけないじゃん、せっかく天使の像が話しかけて来てくれたのにケチくさいなあ、とか、「目覚まし時計ここにかけておくから」って、その人(ファラオのミイラ)はそもそも起こすべきではないのでは?とか、バイオリンのケースじゃあんまり荷物が入らないと思う、とか、とか。
ああなんてつまらない小理屈を並べる子供だろう。
きっとろくでもない大人になるに違いない。
なったさ。

まあそんなわけで
こどもの日企画を月の後半まで引っ張るあたりにもろくでもなさがよくよく表れているような気がするわけですが、とりあえず今回のみんなのうたばなしはこれにて。


みんなのうたのこと3

2013-05-12 | 音楽
みんなのうたのこと2 - のろやの続きでございます。

さて、今回はみんなのうたの華にして、その問答無用の無意味さで日本の子供たちの音楽生活を彩って来たいちジャンル、即ち”ナンセンスのうた”を取り上げたく。

まずは『まるで世界』。
作詞 別役実 作曲 池辺晋一郎
そして
歌 山田康雄

ルパンですよ、ルパン!
ルパン三世が歌っているというだけでもう立派な笑い所でございます。歌詞がまたすごいんですな。
↓曲のみ聞けます。

みんなのうた 「まるで世界」 - ニコニコビューア

山田康雄さん、今更ながら、惜しい人をあまりに早く亡くしたものでございます。最高の聞き所は、二番なかばのあくびかと思うのですが、いかがでしょう。
世界そのものの信憑性を疑う、というデカルト的懐疑にある朝突然捉われた少年の心の叫び...にしては、軽い。
チャールストンなノリ、明るく屈託のない歌声、誰へともないオーイという呼びかけ、全てが朝のそよ風に舞う鳩の羽毛のごとくに軽い。
むしろ昨日まで抱いていた世界への懐疑が、今朝目覚めるとともに解消していたことを表現した、喜びの歌と解釈すべき所でございましょうか。それにしても、「どうしちゃったんだ僕は」ではなく「どうしちゃったんだ世界は」と、違和感の要因を自分ではなく世界の方に帰している所がすごい。

坊や、君は将来、大学の哲学科に進んで4回生になって初めて就職活動という言葉を耳にしてとりあえず院に進んで時間を稼いだのちに母校の専任教員の退職に期待しつつ幾つかの大学の非常勤講師をして食いつなぐ、という進路を取りそうな気がする。


お次は『へんな家』。
日本語の音源は見つけられませんでしたが、ポルトガル語版がyoutubeにありました。ミニマルにして雄弁なアニメーションが素晴らしい。




日本語の歌詞はこちら

屋根も床もなくトイレもない、小さな空間。普通、人はそれを「家」ではなく「囲い」と呼びます。
しかしそれをあえて「可愛らしい家」と呼んでいる所が清々しいではございませんか。
機能からも、地所からも、意味からも解放された「家」。この歌はそんなナンセンスな道具立てを用いつつも、孤独や不安を和らげてくれる、世界への信頼=楽天性と、それを何となく信じることができた子供時代への郷愁を唄った名曲でございます。
心配事はあるし、何もかもが上出来ではないけど、きっと大丈夫、何とかなる。
雨は降らないし、お日様は見守っていてくれるし、素敵な家はいつでも待っていてくれる。

ただ、最後に「大人には見えない 子供だけの家だもん」とハッキリ言ってしまうのはいささか蛇足ではないかと、ワタクシ思うのですよ。冒頭の「住みたかった家があった」という一節だけで「ぼく」が実際にはその家に住めなかったことは分かりますし、終盤の「0街の0番地」というフレーズで、現実には存在しない、想像の家であったということも充分に語られております。ですから「大人には~」の一節は、求めてはいなかった手品の種明かしをされたようで、ワタクシにはちょっとがっかりと申しますか、興ざめな感じがしたのでございました。


最後に、これはみんなのうたではなく「お母さんといっしょ」の中の曲でしたが、そのナンセンスっぷりがあまりに素晴らしいので、ぜひご紹介いたしたく。
↓映像付き。

しまうまグルグル - ニコニコビューア

しまうまのしまをどうやってぐるぐる取るのか、それをなぜくまやママにつけるのか、どうやってつけるのか、そもそもしまうまのしまは1本線じゃないんだから「ぐるぐる」は取れないだろう、等々全ての小理屈を一蹴する、このステキに破壊的な無意味さ。なんて爽快なんでしょう。
ただひとつ不満なのは最後の「しまそら」でございます。せっかく「しまくま」、「しまママ」と「ま」揃いで来たのですから、ここはぜひとも「しまうまの しまを ぐーるぐる取って...(中略)...島に つけたら しましま! しーましましましま しましま...」とやっていただきたかった。 


次回で終わり。多分。

みんなのうたのこと2

2013-05-09 | 音楽
5/7 みんなのうたのこと1の続きでございます。


(↓音楽ソフトで再現したもののようです。オリジナルの楽曲は見つけられませんでした)
MinnanoUta : Chameleon (1984) (カメレオン)


これ、せめて「月夜のカメレオン」とか「くいしんぼうのカメレオン」ぐらいに限定したタイトルにしないと、カメレオンという種族に対して失礼な気がするのですが。

これに「動物のうた」以外のジャンル名を付するならば「徒労のうた」となりましょう。
みんなのうたにはこの「徒労のうた」、即ちやってもやってもどうにもならない、とか、待っても待っても結局来ない、という内容のものが少なからずございます。
タイトルそのまんまの『われないタマゴ』、いつになってもまともな鳴き方を覚えない『ぼくんちのチャボ』、手袋を貸してくれた”あの子”を待ち続ける『子だぬきポンポ』。『オナカのおおきな王子様』は永遠にダイエットできそうにありませんし、『泣いていた女の子』のママは夕暮れになっても帰って来ませんし、婆さまが数珠を振って祈ろうとも、大地主の良左衛門が膏薬たんと買うて来ようとも、村中の若者どもが月夜の山で願掛けようとも『ひげなしゴゲジャバル』の切られたひげが復活するかどうかは、歌の中では分からないままでございます。

これは子供の頃から人生に対する締念を身につけさせようという目論み、ではもちろんなく、歌の中だけで話を完結させないことによって、歌われている物語に広がりや奥行きを生じさせるというワザなのでございましょう。
してみると、この『カメレオン』のように徒労を徒労のまましっかり完結させてしまうというのは、珍しいケースでございます。

カメレオンのお父さんが、おいしそうなお月様を味見してやろうと一晩中舌を繰り出し続け、明け方にようやくひとなめできたもののぜんぜんおいしくなかった、という、不毛さにかけてはちょっと他曲の追随を許さない内容は、いっそ爽やかですらあります。
その取り組みがバカバカしい分、カメレオンの奥さんの「あなた~、もうやめたら~?」という、いたって現実的なツッコミも輝いております。そりゃ、ダンナがこんなことに熱中していたら、ひとこと言わずにはいられますまい。

夜通し月の光を浴び続けたおかげで、身体が金色になってしまったカメレオンのお父ちゃん。翌朝その身体を自慢げに見せびらかしているアニメーションを、エンディングに挿入することによって、結局何もかも無駄でしたという身もふたもないしょんぼりエンドは回避されております。
しかし、一過性ならいいけれど、あんな派手な身体になってこれから彼はカメレオンとして生き延びて行けるのだろうかと、のろさんは子供心に要らぬ心配をしたものでございました。

さて物心ついた時からなぜか恐竜、爬虫類およびドラゴンの類いが好きでございました。人生で初めて劇場に二回観に行った映画は『ジュラシック・パーク』でございます。ゴジラとかガメラは、あれは「怪獣」なので興味の範囲外でございます。ドラゴンと怪獣は違うのかって。違うのです。違うったら違うのです。ですから「♪Puff the magic dragon」が「♪不思議なパフ、かいじゅうだ」になってしまうのはイカンと思っております。

ともあれ、みんなのうたには爬虫類はもとより、恐竜やドラゴンが主役の歌もほとんどなかったように記憶しております。そんな中での例外が上述の『カメレオン』であり、また『サラマンドラ』という歌詞も歌唱もメロディも壮絶にもの悲しい曲でございました。

作詞 加藤直  作曲 高井達雄 唄 尾藤イサオ

燃える火に棲みつき ひとりぼっち 星を数えて ためいきひとつ
サラマンドラ サラマンドラ 炎(ひ)の中の竜

思い出数えて ひとりぼっち 黒いからだの 幻の竜
サラマンドラ サラマンドラ 炎の中の竜

最後の夢から 一万年 仲間もいない おどけもの
夜空を鏡に ひとりごと こぼれる炎 ぐちひとつ

キバもなくした おかしな竜 誰か来て 彼と話して
サラマンドラ サラマンドラ ひとりぼっち


映像は見つけられませんでしたが、音源のみこちら↓で聞くことができます。

サラマンドラ - ニコニコビューア
 
つ、つらい。
どうです。子供向け歌番組のために作られたとは思えないばかりの、この凄まじいわびしさ。この寂寥感に比べたら「悲しきマングース」の悲しみなんて屁でもねえでございますよ。1万年以上もの長きに渡って、炎の中でひたすら孤独な日々を送って来たサラマンドラ。そもそものはじめからジャッキーを欠いたパフのごとしではございませんか。

ワタクシもちろん『パフ』も大好きでございますけれども、パフを残して遠くへ行ってしまったジャッキーが何としても許せませんでしたし、友好的なドラゴンがあんなにも辛い目にあう歌を作った見知らぬ作詞家を、恨みさえしたものでございました。
一方『サラマンドラ』では、この”幻の竜”がどうしてこんなにも孤独な生を送らねばならなくなったのか語られることはなく、しかも最後は「誰か来て彼と話して」と聞き手に行動をゆだねる恰好で終わっております。そりゃ、駆けつけてお話したいのは山々ですよ。山々ですけれども、いったいどうしろと。『サラマンドラ』においてはかきたてられた哀れみも悲しみも、どこへも持って行きようがなく、やるせなさばかりがつのるのでございました。

それでものろさんはこの歌が大好きであり、子供の頃に口ずさんだ回数としてはおそらく『パフ』よりも多いというのは、この歌における悲しみが自己完結型であり、そのぶん受容しやすいからでございましょう。『パフ』においては、幸せあるいは愛着の対象である少年ジャッキーが、パフにひとたび与えられたのちに失われるのに対し、『サラマンドラ』においては、幸せも愛着の対象も歌にはまるっきり現れません。
愛や幸福がひとたび与えられたのちに失われるのと、そうしたものがはじめから経験されないのと、どちらがより耐えやすいのか。人によって様々ではございましょうが、ワタクシには後者の方が断然耐えやすいように思われます。
仲良しだった子犬が突然姿を消す『子犬のプルー』や、その猫版とも言える『わたしのにゃんこ』(作詞作曲・矢野顕子 編曲・坂本龍一)が、メロディの親しみやすさやアニメーションの可愛らしさにも関わらず、ワタクシに何か堪え難いような印象を与えるのも、同様の理由でございましょう。


次回に続きます。

みんなのうたのこと1

2013-05-07 | 音楽
ぶり返すの「ぶり」って何なんだろう、と思ったわけです。
調べてみましたら「振り」なのだそうです。なるほど。

というわけで
10年以上まったく静かにしていたアトピー性皮膚炎が突如ぶり返し、ガサガサかゆかゆなのでございます。
何をしても身が入らないのでさっさと布団に入るものの、かゆくてすぐ目が覚めるという、関西弁で言う所の「どーせいゆうねん」状態。

そんなわけで、こどもの日とやらに事寄せて、NHKの「みんなのうた」の話でもいたそうかと計画していたわけですが、かゆかゆに妨げられて5月5日までに記事ができませなんだ。
といって新しい記事を用意する元気もございませんので、とりあえずしばらくはみんなのうたばなしをさせていただきたく。
大人になってから知った歌や好きになった歌もございますけれども、当初の企画に沿いまして、ここでは「子供の頃好きだった歌」のみに限って取り上げることにいたします。

まずは
定番のうたから。

『赤鬼と青鬼のタンゴ』 Dailymotion

↑リンク先で視聴できます。
この歌の何がいいって、きびきびとした緊張感とメリハリのある曲調に、「夕焼けピーヒャララ」だの「だんだらづのツンツン」といった何となく間の抜けた歌詞、そしてカールおじさんを思い起こさずにはいられないほのぼのイラストの絶妙なブレンドがいいじゃございませんか。
お囃子風の前半部分とまるっきりタンゴな後半部分が、何の違和感もなく繋がっているのもすごい。
あとは、まあ、うさぎにつきます。

動物のうたも色々ございますね。

谷山浩子 / 恋するニワトリ


これは曲も歌詞もアニメーションもかわいいの一言につきる歌でございました。ところが作者であり歌い手でもある谷山浩子さんは「わりとリアルなニワトリさんをイメージして曲を作ったので、アニメーションがかわいくて驚いた」のだそうです。
さすがと言おうか...この曲でリアルなニワトリを思い浮かべるのは、世界広しといえども浩子さんくらいのものございましょう。「私はここよ ここ ここよ」ってリアルなメンドリに言われてもなあ。

みんなのうた オランガタン


ユーモラスなアニメーションと、「オランガタン」の繰り返しと、単純なメロディとコーラスが醸し出すちょっとつっけんどんな感じが好きだったのですが、改めて聞いてみると、了見の狭いことをやっとらんと仲良くしようぜ、というしっかりしたメッセージのある曲だったのですね。
ちなみに、当時ワタクシの実家には、中に綿だか羽毛だかがもこもこに詰まった、裾の短い青い防寒ジャケットがございまして、形と色の類似からうちではこれを「オランガタン」と呼んでおりました。


うう。
かゆかゆなので
次回に続きます。