のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ノミ速報

2007-08-30 | KLAUS NOMI
どぅおわああああああああああああ

なんざんす
なんざんす
なんざんすかこれは!!!

YouTube - The Long Island Four
YouTube - The Long Island Four
YouTube - The Long Island Four
YouTube - Falling In Love Again


うきゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




ノミーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


無駄に走ってみたりしてーーー



勢いでバンジージャンプだってしてしまいますとも!
とうっ







ばったり

というわけで
のろは嬉しさのあまり悶死いたしました。

ワタクシのお墓の前で泣かないでください
誰も泣きゃしねえとつっこまないでください

せんのかー ぜー にー

わはははは

壊れた

『ナスカ展』

2007-08-23 | 展覧会


はいはい
と いうわけで
ナスカ展へ行ってまいりました。

いや、面白うございましたねえ。
何が面白いって、そのすぐれてポップなキャラクターデザインがでございますよ。
もっとプリミティブなおどろおどろしさのあるものを想像しておりましたが
土器に表された戦士や楽士やよっぱらいやヤオヨロズの神々の、何とまあかわいらしいこと。




現代のイラストレーターやポップアーティスト作品と見まごうようなものも多々ございまして
「これ実はロドニー・グリーンプラットが描いたんじゃろ」
「こっちは唐沢なをきが」などと思いながら見て回っておりました。
えっ
唐沢なをきをご存じない?
ではこの機会にお見知り置きを。のろは大好きでございますよ、なをさん。
ええ、人品を疑ってくださってけっこうでございますとも。

閑話休題。
色彩がまた素晴らしいんでございます。
赤茶を基調とした土器類もさることながら、織物の華やかな色使いに目を奪われます。
ナスカ文化の担い手はみな天性のカラリストであったのかと思うばかり。

厳しい自然条件のもと、ミイラ文化を育んだ古代文明といいますと
エジプトがすぐさま想起されますが、エジプト美術に見られるような厳格さと静謐は、ナスカ美術にはございません。
むしろその対極と言えそうな混沌とゆる~い雰囲気と、さらには作り手の遊び心さえも感じられる造形でございます。
エジプトが絶対的な王の支配する王国の文化であったのに対し
ナスカは王も貴族も首都も持たない、共同体の文化であったということが
造形のおおらかさに反映しているのでございましょうか。

とは思ったものの
乾燥した気候&ミイラという共通項だけで比較することにそもそも無理がございますね。

そうそう、そのミイラでございます。
主催者側にしてみれば不本意なことやもしれませんが
数ある展示品の中で、のろが最も心魅かれたのは
冒頭↑にメモ帳スケッチをさらしております「パラカス時代のものとされたミイラ」でございました。
なぜ不本意かと申しますと、本展の目玉はむしろ、チラシにもフィーチャーされております子供のミイラでございまして
この「パラカス時代のものとされた」成人のミイラは、ずっと紀元前5~1世紀のものと考えられていたのが
本展のためにいろいろ科学的に調査した結果、14~15世紀のものだと判明してしまったというシロモノさんだからでございます。
「間接的な証拠からの判断をそのまま受け取るのではなく、積極的に新しい技術や研究結果で過去の結論を検証していくことの重要性」
を示すために展示したとの解説がついておりましたが、企画したみなさんにしてみれば
「あちゃー」という心境だったのではなかろうかと。

さはさりながら さりながら
このひからびた死体氏がねえ、たいへん美しかったのでございます。

身体を小さく折り曲げ、上半身をこころもち捻り
顔を覆った両手の隙間から白い歯を覗かせたそのポーズは
あたかも悲しみの叫びをあげているかのようでもあり
自らの存在を恥じているようでもあり
消えて無くなろうと必死に努力している最中のようでもあります。
虫食いにいろどられた皮膚は固く皺がより、むしろ身体に密着した衣服のように見えます。
頭髪はほとんど朽ち果て、ごくごくうっすらと、ミシン糸のように細いものが
縦長に変形した頭蓋にへばりついているのがようやく見て取れるのみ。
一方、手足の爪は500年以上前に死んだ人のものとは思われないほどきれいな形で残っております。
骨張った指は痙攣的なポーズでこわばったまま、しかし須田悦弘の木彫のように静謐なたたずまいを見せております。

「で、それのどこが美しいのだ」と言われると困ってしまうんでございますが。
あるいは「美しい」というのとはちと違うかもしれません。
ムンクの代表的作品やゴヤの「黒い絵」シリーズにいわゆる「美しい」という形容がそぐわないのと同様に。
これらの恐ろしい絵が人の心を惹き付けるのは、もちろん「きれいに」描かれているからではございません。
言葉では表現しきれない情念、即ち恐怖、不安、狂気、貪欲などなどのないまぜになった暗い情念、
私達みなが持っていながら(私はそう信じます)光をあてることはめったにない闇の部分が、描かれているからでございます。
それは青髭城の一番奥の部屋のように、メデューサの首のように、
アンドレーエフが描き出したラザロの眼差しのように、私達を惹き付けます。

鑑賞者は自らの内にある、言語化できない「それ」を
マドンナのかたわらでうずくまる死んだ胎児や、我が子を喰らっているサトゥルヌスに投影して
見知らぬ人が画布の上に描いたイメージを「自分のもの」として読むのでございましょう。

それと同様に、ワタクシもこの死体氏のたたずまいに
しかと言語化できない「ワタクシ的なもの」を読んだのでございましょう。

もっとも初めに見た時は、何よりもまずLORDIのギタリストを思い出したことを
こっそり白状しておきます。



クチビルのめくれ具合がそっくりだったものですから。

想像力の限界

2007-08-18 | Weblog
先日NHKで憲法9条をめぐる討論番組が放送されておりましたね。
全部見たわけではないのですが、見た範囲で思う所がございましたので、ぼつぼつ語らせていただきたく。

護憲派と改憲派の一般人および有識者が自らの意見を述べ合うという番組で、護憲派同士、改憲派同士でも見解の違いはありましたが、主張の要はおおむね以下のようになるかと思います。

護憲派...戦争を繰り返してはならない。
    軍隊と交戦権の保持を認めれば、日本が戦争に参加する危険性が大幅に高まる。
    9条という歯止めがなくなれば、日本はますますアメリカの良いように使われてしまう。

改憲派...国防のためには軍隊と交戦権が必要。
    交戦権も集団的自衛権も持たないのは現実的ではない。
    アメリカの言いなりにならないために、自国軍を持つべき。

建設的な意見もありましたが、お互いが自分の主張を言い続け、相手の要点としていることに正面きって答えることはせぬままという場面が多かったように思います。
護憲派のみなさんには、軍隊と交戦権を放棄するなら国防をどうするのか、ということについて話していただきたかったし、改憲派のみなさんには、交戦権を認めるというのなら、戦争の悲惨さについてどう考えているのかをお聞きしたかった。

軍と交戦権の放棄→国防どうする、という流れになったときは、いきなり無抵抗主義の話になってしまいました。
無抵抗主義は暴力に対抗する手段ではありますが、防衛ということになると少々話が別ではないでしょうか。
軍備だけが国防の手段ではないこと、国防手段としての外交や近隣諸国との連携について、護憲派の皆さんはもっと主張していただきたかったと思います。
また、(あたりまえのことですが)決して「交戦権の放棄イコール防衛権の放棄」ではないということも、強調していただきたかった。
「交戦権を持たないのは生物としておかしい」とおっしゃっている改憲派のかたもいらっしたので。

他方、改憲派のみなさんは「戦争」をどう捉えているのか。
防衛のためにはやむを得ないことだと言う前に、「戦争」の悲惨さについて本当に思いを巡らしたのか。
「改憲イコール戦争」ではない、とは言いますが、交戦権を認めるということは、国として公式に、戦争という行為を「場合によっては、やってもいい」と認めることです。
弱者が最大限の苦しみを受け、生命が消耗品あるいは標的でしかなくなる、人間同士の殺し合いを「場合によっては、やってもいい」と認めることです。

改憲派のみなさんは、戦争/戦場がどんなものであるか思いを致した上で、「場合によっては、やってもいい」と考えていらっしゃるのでしょうか。

私も含め、今生きている大多数の日本人は戦争を経験していません。
もし「私は戦争/戦場を経験していないが、それがどんなものかは想像できる」と言う人がいるなら、私は「それは嘘だ」と言いたい。

戦争を体験していない私たちが戦争の悲惨さを体験的に想像することは不可能です。
戦争経験のない者だけでなく、銃後に生き、戦場へ赴いたことのない人たちもまた、戦場の地獄のような状況を想像することは不可能であろうと、私は思います。


目の前の見知らぬ人間を殺さなければ、自分がこちらが殺される。
今まで隣に、あるいは前に、後ろにいた人間が、次の瞬間には血まみれの死体になっている。
または、内蔵を地面にぶちまけてのたうち回っている。
自分の手足、目鼻がちぎれ飛ぶ。
負傷者の血と膿の臭い、死体や人体の破片や臓物の放つ腐臭。

誰であれ、こうした状況を、ほんとうに、体験的に想像できようとは、私には思えません。

しかも、こうして非人間的な仕方で死んでいく人間の一人一人が(敵であろうと味方であろうと)絶対に交換不可能な個人の歴史を、思い出を、世界観を、個性を持っているということ、誰かを愛し、誰かに愛された「◯◯さん」という人間であるということ。
自分がその「◯◯さん」たちを永遠に帰らぬ人にする、その当事者となるということ。

これら全てのことを体感的に想像することが可能でしょうか。

もっとも兵器のハイテク化(なんとおぞましい言葉)が進んだ昨今のこと、戦争はもっと「スマートに」遂行され得るのでしょう。
そうであれば、戦争/戦場はますます人間の想像力の圏内から遠ざかって行きます。

体験者の話を聞けば、戦争が酷いことだということは分かります、ある程度は。
しかし想像力は、現実の戦争/戦場には決して追いつきません。

想像の試みが失敗すること。
哲学者ギュンター・アンダースは、『われらはみな、アイヒマンの息子』で、この失敗を警告として捉えることを勧めます。

私達はまさにこの失敗を通じて、最後の分岐点に到達したことを認識できるのです。まさにこの失敗によって、「見通しの利かないもの」を発動させてしまうぞと警告されるのです。 p.62

* アンダース氏は本書で、想像力と現実との落差について、「把握しきれないほどの悲惨さ」というよりも「人間を取り巻くシステムの巨大化による見通しのきかなさ=世界の機械化」という文脈で語っています。私がここで、世界の機械化という文脈抜きで本書の言葉を引用するのは、アンダース氏の論を矮小化することになるかもしれません。それでも氏の言葉をお借りしたのは、氏が述べておられる、想像の失敗ののちに何をなしうるか、という論、は一定の文脈を離れてさまざまな場面に適応し得る、と考えたからです。

この分岐点ののちに、どういう行動をとり得るか。
道は二つあります。

・「見通しの利かないもの」を検討し、あるいはそれを拒絶し、あるいは闘う。
・想像力を限界点に置き去りにして、「見通しの利かないもの」に向ってつき進む。

ユダヤ人を粛々と絶滅収容所に送り続けたアイヒマン、そして多くの「アイヒマン的人間」-----ナチス政権下の一般的なドイツ人たち-----は、後者の道を選びました。

私達もそちらへ向うべきだとは思えません。決して。
恐ろしく悲惨なことらしい、しかし想像力は決して届かない、そのような行為。
それに対して「場合によっては、やってもいい」と認める。国家として認める。
それが正しいことだとは、私には思えないのです。



追記:武力や交戦権の否定は現実的ではない、という考えがありますが、私はむしろ歴史家ジョン・ダワー氏の以下の考えを支持したいと思います。

戦後の世界で「現実的」と呼ばれているのは、ほぼ例外なく武力による紛争解決であり、鼻っ柱の強い武力行使と結びついています。
その結果、私達の世界は混沌たる状況に突入してしまいました。今の世界は軍拡競争、大量破壊兵器、武器の拡散、そして畳み掛けるように続発する紛争に苦しめられています。私達はそうした現実主義のおかげで、今日、少しでも安全な世界に住めているでしょうか。現実主義は、まったくもって非現実的であり続けたわけです。現実主義こそが我々に大惨事をもたらしてきたのです。
『映画日本国憲法読本』p.96

サイクリストとしては

2007-08-14 | Weblog
京都市が違法駐輪の取り締まりを強化なさるんだそうで。

ふむ。
トリシマリも結構ですが、その前に駐輪場を造っていただきたいものでございます。
以前はあんなにもひどかった京都駅八条口の駐輪状況は
1回150円の有料駐輪場が整備されたことで大幅に改善されたではございませんか。
わたくしどもサイクリストは決して人様に迷惑をおかけしたいわけでもなければ
路上駐輪や店舗前駐輪を熱烈に愛しているわけでもないのです。
きちんと管理された駐輪場があるなら、多少のお金は払っても停めますとも。
無料ならそれにこしたことはありあせんが。
駐輪場があり、スペースが空いているにもかかわらず路上駐輪しようとする方はトリシマリを受けてしかるべきかと存じますが
学生さんと狭い路地と交通渋滞が多いこの街、すなわち
自転車および原付がたいへん便利かつ一般的な移動手段であるこの街において
駐輪場をろくすっぽ整備せずにトリシマリばかり強化するというのは何ともいただけない話だと思いますがねえ。
トリシマリにかかる費用はむしろ駐輪場整備に回していただきたいものでございます。
いやしくも地球温暖化防止会議が開催された都市で
自転車に優しい街づくりはほったらかしで高速道路の建設が進むというのは
なんともはや、げんなりする話でございます。

『フィラデルフィア美術館展』4

2007-08-12 | 展覧会
8/3の続きでございます。

企画展で、思いがけなく顔なじみの作品と出会うことがございますね。
以前他の展覧会で出会った作品や、常から図版で親しんでいた作品に予期せぬ所でお目にかかるのは
旧知の友が前触れもなく訪ねて来るのに似ております。
うれしさ半分、とまどい半分、「おいおい来るなら来るって前もって知らせてくれよ!」という心境でございます。
驚きがすみやかに終息すればよいのですが、「こんな所で会おうとは」という衝撃があまりに大きいと
心構えができず、アップアップした状態で作品と対峙するはめになります。

こう書いて思い出すのは数年前、京都市美術館で開催された『メトロポリタン美術館展』でございます。
そこで思いがけなく出会ったのは、のろがガキンチョのみぎりから図版で親しんでおりました作品、
寝っころがり頬杖をついて幾度となくページをめくったピカソの画集の中でも一番好きだった作品、
『盲人の食事』でございました。
これはもう例えて申すならば、玄関開けたらあこがれの大スターが立っていた ぐらいの衝撃でございます。
のろはどう対処してよいやら分からず、すっかり浮き足立ちアワワワ状態で
せっかくの対面だというのに、何やら未消化な感じを抱いたまま作品と別れてしまいました。

この体験で「衝撃からはすみやかに立ち直るべし」との教訓が脳裏に刻みこまれたものか、
本展でも顔見知り作品との予期せぬ邂逅がございましたが、あわあわせずに鑑賞する事ができました。


Copyright 2007-Succession Pabro Picasso-SPDA(JAPAN)
ピカソ『道化師』
首をこころもちかしげ、頭にはぐんにゃりとした王冠のような帽子をかぶって。
目は暗く落ちくぼみ、口元にはうっすらと捉えどころのない笑いを浮かべております。
ブリヂストン美術館で始めてこの像と会った時は、とてつもなく孤独な王の肖像であろうかと思いましたが
本展ではずいぶんと印象が異なり、この像はいやに悪魔じみて見えました。
照明の具合で、影が強く出ていたせいかもしれません。

かの「洗濯船」(ピカソ、モディリアーニら貧乏芸術家たちがアトリエを構えたモンマルトルの安アパート)の名付け親、
マックス・ジャコブをモデルにしたというこの像が制作されたのは1905年、「青の時代」から「バラ色の時代」への過渡期にあたります。
「サーカスの時代」とも言われるこの年、ピカソはこの像と同じいでたちの道化師を数点描いております。
描かれた道化師たちの、遥か遠くを見つめるような表情は互いに似通っておりますが
このブロンズの道化師は、どうも彼らとは似ていないようでございます。
むしろこの像の表情は「青の時代」に描かれたあの盲人や、『アイロンをかける女』のそれにそっくりでございます。

「青の時代」の沈鬱な人物が、道化師に扮して、こちらをじっと見つめております。
彼はもはやうなだれてはおらず、社会の底辺で暮らす虐げられた人物ではございませんが
世界を外から見つめるアウトサイダー的な孤独感を漂わせております。

さきに、ブリヂストン美術館で会った時と本展とではずいぶん作品の印象が違ったと申しましたが
それは単に照明のせいだけではないやもしれません。
1904年以前の暗く感傷的な世界と、1906年以降の明るく肯定的な世界のはざまに制作された
ブロンズの道化師は、その捉えどころのない微笑みに
若い芸術家の胸中に醸成され、またされつつあった明暗双方の世界を、
今もなお二つながらに担っているからかもしれません。


さて
展覧会はこの作品で丁度なかばを迎えるのでございますが
ブログはこの調子で書いてまいりますと同タイトルの記事があと3、4つは並ぶ事になり、甚だ冗長でございます。
従って

音楽のようなクレーとカンディンスキーも、「なんでそおなるの」とつっこみたくなるミロも、
母と子、および父と子の強い絆を、べたべたになることなく、しかし余す所なく描いているカサットも
バーゲンセールにおける狂態をきらびやかな色彩で描いた、ほとんど一コマ漫画のようなステットハイマーも
こちらにずんずん迫って来るハートリーの風景画も

すべて
「よかった。」のひと言に収めさせていただきます。
ああ、なんという...いや、何も考えないんだ。

概括いたしますと、いわゆる巨匠さんたちのいかにも彼ららしい作品もあり、
この人こんなのも描いてたのかと思うものもあり(マルセル・デュシャンが普通に肖像画描いててエエェェェでございました)
今まで見る機会のあまりなかったアメリカ美術にも触れることができ、いろいろと楽しめる展覧会でございました。

ひとつ欲を申すならば
ワイエスはもっと後期の作品を見とうございました。
まだご存命なので後期という言い方もナンでございますがね。

NOMI忌

2007-08-06 | KLAUS NOMI
さあ進め、ポニーみたいな宇宙船 僕を遠くへ連れてって
僕は宇宙の放牧場で 長い一日を過ごしているよ

KULAUS NOMI "SIMPLE MAN"収録 ”Rubberbend Laser"より

1983年8月6日にこの地上を去ってから
クラウス・ノミがいったいどこで何をしているかについては、諸説ございます。
ちと例を挙げますれば以下の通り。

・自分の星に帰った
・宇宙をあちこち旅している
・天国でマリア・カラスとプレスリーと一緒にオン・ステージ
・あの世でネットサーフィンなどしながら退屈な日々を送っている
・みなさんのすぐ側で、自分の歌に対するみなさんの反応をリサーチしている

最新のものでは、先週Youtubeのコメント欄に投稿されたこんな説がございます。

Klaus Nomi is busy teaching the Angels in heaven to sing, so we will be greeted with the most beautiful music ever heard in the Universe someday.

クラウス・ノミは天国で天使に歌を教えるのに忙しくしているから、いつか私達は、宇宙でかつて聴かれたどんな音楽よりも美しい歌声で迎えられることだろう。

YouTube - Klaus Nomi Total Eclipse a Tribute with the NewestNuma touchより。

えっ のろの説でございますか?

死亡してひとまとまりの人格としてのノミは永遠に消滅、
ワタクシがどんだけ長生きしようと、あるいは今すぐ死のうと、決してヤツにお目にかかることはないでしょうよ。



でもねえ
今もどこか宇宙の果てを
巻き舌ファルセットで歌いながら
飛び回ってくれていたならどんなにいいだろうって
思わずにはいられませんですよ。

そして時折は地球に立ち寄ってくれたならどんなにいいだろうって
思わずにはいられませんですよ。

そうしたらすぐさま”輪ゴムのレーザー”でひっつかまえてやりますのにねえ!






もし今もどこかにいるなら
旅の無事を祈ってるよ、クラウス・ノミ。




* ”Rubberbend Laser"の訳について
もとの歌詞は "So Giddy on up pony flyer Take me away I'm out here on the spacd range..."
CDの歌詞カードでは「ちっぽけな宇宙船は めまいを感じさせながら ボクを運んでいく
広大な宇宙空間で ボクは長い一日を生きている」という訳がついていますが
カントリーな曲調であることから、giddy up=はいどう、進め range=放牧場と訳しました。

『フィラデルフィア美術館展』3

2007-08-03 | 展覧会
あれです
「何のためだ」って考え始めるのがいかんのです
そうさ




それはさておき
7/28の続きでございます。

前回『ルグラン嬢』を取り上げておいてこう言うのもナンでございますが
のろはルノワールがあまり好きではございません。
ど う に も こ う に も 苦手なんでございます、
ルノワールが描いた妙齢の娘たちの、健康そのもののばら色の頬や生命感ではちきれそうな肉体が。
それに彼女らがしばしば浮かべている、うっとりと自足した夢見ごこちの微笑みは
大抵、のろの心に何ひとつ訴えかける所が無いからでございます。

また、日本人がいったいどんだけ印象派好きなのか存じませんけれども
展覧会の出品作品の中にルノアールかマネが一点でも含まれていると
彼らの作品が他のあまたの良作を押しのけてポスターやらチラシやらグッズやらに取り上げられ
たとえ印象派メインの展覧会ではなくとも、タイトルに『印象派と~』とつけられる傾向があるようでございます。
(本展のサブタイトルも「 印 象 派 と 20世紀の美術」でございますね・・)
そうやって様々な媒体に優先的に取り上げられ
「よいものですよ」というフラグつきの多くの複製品(ポスターや商品)が出回ることによって
印象派=よいもの、ルノアール=よいもの、という既成事実および
その反復による刷り込みが成立してしまっていると思うのです。

「よいもの=売れるもの」「売れるもの=よいもの」という商業主義と
美術が無関係である、あるいはあった、などと申すつもりもございませんし
「複製にして見栄えのするものが傑作だ」というアンディ・ウォーホルの言葉は
美術と私達の関わり方についてヒジョーに鋭い所を突いていると思います。
ただ、ある画家やある作品が問答無用に「よいもの」である、と信じ込まされているような気がして嫌なんでございます。

ちょっと混んだ展覧会に参りますと、パネルのタイトルと作者名と、もしもあれば解説をとっくりと読んだのちに
作品に チラッ と一瞥をくれて「ああ、ルノワール、やっぱりええなー、ルノワールは」と言い交わしながら
もう隣のそのまた隣の作品あたりまで歩を進めて行かれるおじさまやおばさまがたにしばしば遭遇いたします。
本当に良いと思った作品がたまたまルノワールだったのか
「ルノワール」というブランドだから良いものに違いないと思っただけなのか
どうなのどうなのどうなのよと問いつめたくなる所でございます。

もちろんこうしたことについてルノワールには何の責任もございませんが
多分に 坊主憎けりゃ袈裟まで気質 でありますのろは、以上の理由から
彼の作品を何となく斜に構えて見てしまうんでございます。

しかし、そんなアンチルノワール傾向ののろをして
「これはスバラシー・・・」と涙ぐませるような作品が、本展には展示されておりました。(おお、何と長大な前置き)


『アリーヌ・シャリゴの肖像』

隣に掛かっている『ルグラン嬢』に比べたら
モチーフにおいても完成度においても、それほど見栄えのするものではないかもしれません。
しかしこの作品に描かれた女性の視線と微笑みは、右隣の『ルグラン嬢』や左隣の『大きな浴女』のそれとは異なり、
のろの心にさくっと直球で切り込んでまいりました。

ざっくりとした白いシャツの袖を無造作に折り返して
地味な麦わら帽子にピンクの花を刺して
視線をしっかりとこちらに向け、何の気取りも屈託もない笑顔を見せているのは
長男を出産したばかりの画家の妻です。

ごく親しい知人が日常の会話の中でふと見せるのであろう、ごくごく当たり前の、親密な微笑み。
こちらもつられて微笑みが浮かぶような自然な表情でございます。
とりわけ、目元の表情が素晴らしいんでございます。
近づいてまじまじと見ておりますと、優しい感情のこもったその目の輝きに
120年も前にこのキャンバスの前に座っていた人の、柔和な、幸福に満ちた魂を見るようで
じーんと熱いものがこみ上げてまいりました。


会期が長いのをいいことに
あと一回(たぶん)続きます。