のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

再びハイチのこと

2010-07-29 | Weblog
当のろやでハイチのことを取り上げてから半年経ちました。
この半年の間、ニュース番組などで折々ハイチの模様を耳にいたしましたが、明るいニュースが聞こえてくることはほとんどございませんでした。

先日UNHCRから届いた、ハイチ支援の呼びかけメールを以下に転載いたします。一番下に寄付ページへのリンクがございますので、金銭的に余裕のあるかたはご協力をお願いいたします。


以下、メール本文。

2010年1月にハイチ大地震が発生してから6カ月が経ちました。UNHCRはハイチに緊急支援チームを派遣し、国連機関、現地政府、パートナー機関と密接に連携しながら、緊急援助活動に取り組んできました。地震発生当初は、緊急対応としてシェルター(テントなどの仮設住居)の確保にあたりましたが、その後、ハイチからドミニカ共和国に避難した人々やけがを負った人々の支援、ハイチの首都ポルトープランスやその周辺で避難生活を送る多数の人々の復興支援に移行しています。UNHCRはこれまでに、20万人を超える被災者に対して、緊急援助活動を行ってきました。

現地では、膨大なニーズに対して支援が十分に行き届いていない状況にあり、今後解決していくべき課題はまだ山積しています。自分の家を追われ避難生活を送っていた人の数は、一時、230万人にも上りましたが、今もなお150万人の人々が避難を強いられており、その多くが、ポルトープランスを含む周辺地域にある避難所で暮らしています。こうした避難民に対する抜本的な解決策は、まだ見つかっていない状況です。

UNHCRは、国内外の援助団体と連携しながら、避難民の保護のための各種調整にあたっています。避難所の治安はまだ十分に改善されておらず、また、衛生状況もよくありません。多くの人々が、私有地で避難生活を送っているため、土地の所有者からいつ追い出されるかと不安な思いで暮らしています。中でも最も貧しい人々においては、地震の前には借家暮らしであったため、今は帰るところがないという大変厳しい状況に直面しています。

UNHCRは、極めて脆弱な立場におかれた人々や避難民を受入れているコミュニティーに対する保護を強化するために、ドミニカ共和国との国境周辺、および、ポルトープランスから離れた地域での支援活動を継続して行っています。

ハイチでの援助活動には、引き続き皆様からのご支援を必要としています

ご寄付でできること
■9,000円で、
避難生活に必要不可欠な毛布や調理器具などの生活用品1セットを配布することができます。
■18,000円で、
一家族に、当面の間生活できる丈夫なテントを配布することができます。
■900,000円で、
学校の再建
 ・教室2つ ・学校用トイレ2つ ・90人分の机
地震で崩れたり、大きなひびが入った校舎は非常に危険です。

ハイチ大地震の影響により今なお避難生活を送る人々が、一日でも早く安心した暮らしを取り戻せるように、皆様の温かいご支援をお願いいたします。

緊急支援 | ご寄付について | 国連UNHCR協会

『美術のなかの交易』2

2010-07-27 | 展覧会
さて、前回ご紹介した『世界の舞台』が出版されのが1570年。この年は地図の右隅ぎりぎりに描かれた島国JAPONで狩野内膳が生まれた年でもございました。数十年後、秀吉のお抱え絵師となった内膳が描いたのが、本展の目玉である南蛮屏風でございます。



世界で90点ほど現存しているという南蛮屏風の中でも名品として名高い本作。細密に描かれた人物・建物・船と、背景の金地とのバランス、鮮やかな色彩、そして何といっても生き生きとした人物描写が素晴らしく、ワタクシも南蛮屏風の中ではいっとう好きなんでございますが、実物を見るのは今回が初めてでございました。まずもって保存状態の良いことに驚きました。400年あまりの時を経ているというのに、金箔は曇りなく輝き顔料は鮮やかに、つい最近描かれたかのような瑞々しさでございます。

左隻には白い帆いっぱいに風をはらみ、波を蹴立てて出航する南蛮船と、それを見送る異国の人々が描かれております。建物の屋根が波のように泡立っていたり、桜色の葉を繁らせた針葉樹があったりと、絵師が想像力を絞って描いた異国の風物はほとんどファンタジーでございますが、他の南蛮屏風と比較すると、内膳の描いたものは、実際の南蛮船やポルトガル人の服装を最も正確に伝えているのだそうです。左下隅に描かれてる象も,この時代においては珍しいほど写実的でございます。

躍動的な左隻とは対照的に、右隻では長旅を終えた船が帆をたたんで入港する場面がゆったりした雰囲気で描かれております。マストの上では黒人の水夫たちが、キートンさながらのアクロバットを繰り広げております。船壁を洗う波は穏やかで、久しぶりに固い陸地を踏む人々も、それを迎える人々もみな落ちついた表情。中にはロザリオを手にした日本人の姿も見られます。イエズス会の修道士はみんな靴を履いているのに、フランシスコ会修道士の隣に描かれたイエズス会士だけ裸足なのは、内膳のうっかりミスでしょうか。もの珍しげに船を指差す子どもたちの姿もほほえましく、全体的に和やかな雰囲気に包まれております。

内膳は22歳の時に長崎を訪れており、この時異国風俗に直接触れた経験が、画家をして南蛮屏風における正確な描写を可能ならしめたものと考えられております。この異国体験は内膳に、単なる風俗見本以上のものをもたらしたに違いございません。異国の人たちを間近に見、ひょっとしたら交流することによって若い画家は、人間、顔かたちや生活文化は違っても本質的にはそんなに変わらんよなあ、という思いを抱いたのではないでしょうか。

遠い国への船出を見送ろうと馳せ参じる男たちの興奮した様子や、子どもを膝に抱いた父親、また岸辺で肩を組んで語り合う人々の親密な姿が描かれた左隻。異国からやって来た人々を和やかに迎え入れる右隻。その生き生きとした人間味のある描写からは、異国に対する素直な好奇心と、人間としての共感が感じられるのでございました。

さてこの隣には、江戸時代に描かれた屏風が展示されております。金地に色彩も鮮やかな内膳の作品と比べてぐっとトーンが抑えられ、色は淡彩、金箔はなし。桃山は遠くなりにけりでございます。しかしこれはこれで、鳥売りの軒先に鴨やキジに混じってトキがぶら下げられていたり、琵琶法師の歩き方を真似してふざける子どもが描かれていたり、お囃子の輪の中でオランダ人が一緒に躍っていたりと、風俗画としてたいへん興味深いものでございました。

この他にもフリーメイソンの紋章が入った螺鈿細工の文箱や、鼓の胴に蒔絵で鉄砲を描いたものなど、異文化の交錯から生まれた個性的な美術品が並んでおります。特別展ではないためかお客さんはめっぽう少なく、涼しくて静かな展示室で、組み合わせの意外性にエエッと驚く面白い品々とじっくり向き合うことができまして、しばしの間、外の暑さを忘れましたですよ。館外に半歩出たらたちまち思いだしましたけれど。




『美術のなかの交易』1

2010-07-25 | 展覧会
神戸市立博物館で開催中の企画展『美術のなかの交易 -南蛮屏風から長崎唐館交易図巻まで-』へ行ってまいりました。
ああ、たった200円でこんなに楽しめていいのかしらん。南蛮美術好きののろにはまったく至福でございました。
特別展というわけではございませんので、展示品の数は多くないものの、カルタの版木を組み合わせて作られたそれはもうのろごのみな重箱や、蒔絵展でもお見かけした貝貼り書箪笥などなど、史的にも美術的にも興味深いものが並んでおります。

入り口すぐに展示されておりますのが1570年に出版され、初めて世界全体を描いた地図帳としてベストセラーとなった『世界の舞台』。見開きでB3サイズほどもある、銅版手彩色の立派な本でございます。
見るとアフリカ大陸や、アラビア半島からインドにかけての地形がかなり正確であることに驚きます。北米大陸は東海岸が細かく描かれており、西や北のほうはまだまだ未開の地。南米大陸はダンゴ状でございまして、当時の西欧世界の進出度がわかって面白い。地形の正確さを欠く部分でも、河川はしっかり描き込まれておりまして、黄河は大きく北へ湾曲し、アマゾン川は内陸深く蛇行しております。ここを鎧に身を固めたアギーレが筏で遡って行ったかと思うと感慨ひとしお。



ちなみにドン・ロペ・デ・アギーレが黄金郷探索に乗り出したのは、この地図が出版される10年前のこと。翌1561年、自らの帝国をうち建てんとして母国スペインに反旗を翻し、多数の原住民や植民地の住民を男女を問わず殺害し、修道士やつき従って来た者どもや、果ては自身の愛娘も手にかけたすえ、スペイン軍によりばらばらに切り刻まれ、後代に魅力的な物語の題材を遺すこととあいなったのでございました。
詳しくはこちら↓をご参照くださいませ。
Biography of Lope de Aguirre, Madman of El Dorado


次回に続きます。


『カレル・チャペックの世界』

2010-07-17 | 展覧会
何か「真理」を信じる人は誰でも、そのために別の製造印のある「真理」を信じる人を憎んだり殺したりしなければならない、と考える。この、妥協を許さぬ憎しみに対抗する手段が何かあるだろうか?わたしには、次のような認識の中にあるもの以外は見えない。すなわち、人間は、その人の信ずる「真理」よりももっと価値のあるものだということ、信仰の相違があっても、キャベツの処理方法やヤン・ネポムツキー(14世紀の殉教者でチェコの守護聖人)についての多くの意見を互いに理解できるということ...
カレル・チャペック

立命館大学 国際平和ミュージアムで開催中の『カレル・チャペックの世界』展へ行ってまいりました。
20世紀初頭前半の激動するチェコスロヴァキアにおいて、ファシズムを批判し、科学文明の暴走に警鐘を鳴らし、作家としてまたジャーナリストとして多彩な活動を繰り広げたカレル・チャペック。その48年の生涯を、愛用のカメラやシガーホルダーといった遺品とともに概観することができます。当時の写真や書籍、そして可愛いダーシェンカの未公開写真などもあり、展示品と解説パネルとをじっくり見て行きますと、図版をふんだんに盛り込んだ一冊の伝記を読んだような充実感がございました。

冒頭の言葉は解説パネルから引用したもの。社会と人間性に対するカレルの鋭い眼差し、そしてその根底にある人間愛とが彼独特のシニカルなユーモアとともに表現されており、とりわけ印象的な一文でございました。

やんちゃな子犬を溺愛し、庭いじりに熱中し、写真や旅行にも情熱を傾けた趣味人カレル。しかし何よりも彼はその優れた洞察力を武器に、今の社会の中で何ができるのか、何をすべきかを追求し続けた表現者でございました。おかしみを交えながらも真剣に、時に痛烈な風刺を駆使してヒューマニズムを訴え続けたその姿勢ゆえ、隣の国のナチス政権からは危険人物としてマークされ、亡くなる年には国内の右翼系新聞の中傷にさらされるなど、決して穏やかな晩年とは言い難かったようでございます。

ロボット「わたくしたちは人間のようになりたかったのです。人間になりたかったのです」
ロボット「あなた方はわれわれに武器を与えました。われわれは主人にならないわけにはいかなかったのです」
ロボット「われわれは人間の欠点に気がついたのです」
ロボット「人間としてありたければ、お前達は殺し合い、そして、支配をしなければならないのだ。歴史を読んでみるがいい!人間の本を読んでみるがいい!人間でありたいのならば、支配しなければならず、人間を殺さなければならない!」
(『ロボット(R.U.R)』カレル・チャペック 1921)

カレルはナチスドイツがチェコスロヴァキアに侵攻する前年に亡くなったため、兄ヨゼフのように収容所の地獄を味わうことはございませんでした。しかし、社会を見つめ、その行く末を案じて、少しでもよい世の中、利益や支配関係よりも人間性が尊重される世の中の実現を思い描いた人が、暗さを増して行く世界を前にして48歳の若さで逝かねばならなかったのは、さぞかし無念だったことでございましょう。

さてカレル・チャペックといえば、子どもの頃に『長い長いお医者さんの話』を読んだよというかたも多いことと存じます。『長い~』をはじめ、カレルのエッセーや子ども向け作品にとぼけた味わいのある挿絵をつけたのが、兄のヨゼフでございます。
画家であり装丁家でもあったヨゼフの装丁作品を集めた展覧会『チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド』が数年前に和歌山県立美術館で開催された時、18きっぷでいそいそ出向いたワタクシは、限られた技法と色数をもって、こんなにも多彩で魅力的なデザインができるものかと、その豊かな創造性に舌を巻いたものでございました。


『チャペックの本棚―ヨゼフ・チャペックの装丁』 2003 より

本展にはヨゼフのコーナーも設けられておりまして、彼の優れたブックデザインや(いかにもこの時代の人らしくキュビズムな)画業の一端を伺うことができます。またパネルには例のとぼけた挿絵が沢山使われており、カレルのユーモア漂う文章と併せて見るとこれがいっそう微笑ましいのでございました。
生涯のほとんどを同じ家または隣り合った家で過ごした仲良し兄弟のカレルとヨゼフ、一人が言いかけたことをもう片方が引き取るということもしばしばあったという証言に、ああコーエン兄弟みたいなもんかと妙に納得。

片割れのカレルが肺炎で亡くなった翌年、ヨゼフはゲシュタポに捕えられてベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られ、解放を目前にした1945年の日付も分からないある日に、58歳で亡くなりました。
20世紀中葉の5年ほどの間に世界がこうむらねばならなかった損失の大きさを思うと、ひたすらやるせない。
それに輪をかけてやるせないのは、世界大戦、原爆、アウシュヴィッツという他者排斥の最も激しい様相を目撃した後においても、不寛容が何をもたらすかについて、人類がこの経験から充分に学んではいないらしいことでございます。むしろ冒頭に掲げたカレルの言葉は、9.11後の今の世界だからこそいっそう重みを持って響くように思われます。もちろん今も昔も不寛容と排斥には「真理」だけでなく経済的な問題等がからんでいるわけではありますが。

こんなことはのろが申すまでもなく、バビロンの昔から相も変わらず続いてきたことであるとは映画の父グリフィスが『イントレランス』において描いたとおりでございます。しかしグリフィスが人類の度重なる悲劇を描いた『イントレランス』を、そしてカレルが科学文明の行き過ぎによる人類の終末を描いた『ロボット』の終幕を、それぞれほのかな希望で締めくくったように、人間は悲観の中でも希望を抱かずにはいられない生物でもあるのでございましょう。
社会を鋭く見つめたカレルのこと、本展のサブタイトルにある「平和と人間性の追求」が決して容易な仕事ではないことは、重々わかっていたに違いございません。だからこそ、ファシズム吹き荒れるヨーロッパにおいて彼のような人物が活躍したこと自体がひとつの希望であり、この展覧会が国際平和ミュージアムにおいて開催された意義もそこにあると思うのでございますよ。


最後に、先日『ロボット』を読み返してやけに身につまされた一節を。

ドミン 「どんな労働者が実用的に一番いい労働者だとお考えですか?
ヘレナ「一番いいのですって?きっとあの-----きちんと仕事をする-----そして、忠実な」
ドミン「いいえ、そうではなくて一番安上がりのです。経費がかからない奴です」

(同上)




WC閉幕

2010-07-11 | Weblog
ドイツ~また3位かあ~。
しかし3位決定戦、たいへん面白い試合でございました。スペイン戦でもあのぐらい攻めていればなあ。

ともあれ
このひと月大いに楽しませていただきました。ダンケダンケありがとう。最優秀若手選手+得点王おめでとう、ミュラー。ラームもシュヴァインシュタイガーもすんごく頑張ってた。すっかり頼れるあんちゃんたちになったなあ。メルテザッカーの顔面ブロックも忘れられません。平気な顔しておりましたけど、本当はものすごく痛かったでしょう。高い鼻が折れなくてよかったですね。エジルさんは向こう4年の間にもっとスタミナつけて下さい。そして本当に惜しかったねクローゼ。どうかブラジル大会にも出場しておくんなまし。みんな期待しておりますによって。



若い皆さんもベテランの皆さんもお疲れ様でした。監督もタコもお疲れ様。
また4年後に会いましょう。
クローゼもね!

見られるかもです

2010-07-10 | Weblog
ドイツが負けたことよりも3位決定戦が地上波で放送されないことに落ち込んでいた不届きものののろ。
何とかweb上で見られないものかと探しておりましたら、どうやらアカウントの作成なしで見られるサイトがございました。

FootyFire - Watch FIFA World Cup 2010 Live

ATDHE.Net - Watch Free Live Sports TV

やったあ。
3時に起きようっと。
欧州選手権に続く敗戦でドイツチームのモチベーションが下がりまくっているようなのがちと心配なところ。
とはいえ、正直ここまで来たら試合の勝ち負けよりもクローゼの得点の方が気になります。
厳しいマークを受けることは必至でありましょうが、ぜひとも頑張っていただきたいものです。

あー

2010-07-08 | Weblog
ドイツ!

負けてしまいました。
いたしかたございません。
もちろん残念は残念ではございますが、勝ち負けの世界でございますからね。
いわゆるスター選手がいなくてあまり注目されない中、ここまでよく頑張ってくれました。


問題は

3位決定戦を地上波で放送しないことです。

これはつらい。
本当につらい。


ところでさっき10分ほどうたた寝しましたら、シュヴァインシュタイガーがアコーディオンで「みんなのうた」の「トレロカモミロ」を弾いてくれるという妙な夢を見ました。こんな所でサービスしてくれなくてもよろしい。第一スペインの歌じゃんか、それ。


なんと。

2010-07-04 | Weblog
試合前は「マラドーナにゃ悪いがドイツが3点差で勝つぜ」なんて威勢のいいことを考えていたのろ。
まさかこういう方向にはずれるとは思ってもみませんでした。

ドイツ 4-0 アルゼンチンですって。

いゃっほう!



クローゼも2点決めて、やれめでたいなめでたいな。久々の宙返りも見られました。
今回かぎりでの代表引退をほのめかしているクローゼさんですけれども、あと二試合(ええ、あと二試合)で二得点あげてワールドカップ最多得点の記録を打ち立てていただきたいものです。

次の試合に若手ストライカーのミュラーさんが出られないのは少々痛い所ではありますが、これまでの若い選手たちの活躍は頼もしいかぎりでございまして、ここで破れても4年後こそはという期待が持てますね。


おや、泣くな泣くな、マラドーナ。
アルゼンチンが弱いんじゃない。

ドイツが強かったのさ。