のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ミャンマーのデモこと

2007-09-25 | Weblog
タリバンによる韓国人拉致事件の際、人質解放を求めるオンライン署名に参加したところ
その後、署名を行ったNPO、Avaaz.orgから、折りに触れメールが送られて来るようになりました。
以下は今朝の5時32分に届いたメールです。(訳文の稚拙さはどうぞご寛恕ください。また誤訳を発見された場合はご指摘ください)

件名:ミャンマーの抗議デモにサポートを

何十年もの厳しい独裁政権を経て、ミャンマーの人々は今や立ち上がりました。彼らは私達の助けを必要としています。
こんにち、10万人以上の人々がヤンゴンの路上に集い、さらに多くの人が国内各地でデモを行っています。
1988年のデモの際は、軍隊によって何千人ものデモ参加者が殺害されました。

しかし今回は、そうはならないはずです---もし世界が、デモに参加する人々をサポートするならば。
今日、ニューヨークで国連サミットが開かれます。
彼ら(国連)がミャンマーの軍事政権に、弾圧ではなく対話を求める働きかけをするよう、
緊急に世界的キャンペーンを行いましょう。私達はこの働きかけを安保理のメンバーに対して行います、
とりわけ、目下の所ミャンマー軍事政権を支持している、中国の胡錦涛主席に対して。
また、今週国連に集まっているメディアに対しても。
ミャンマーの平和的抗議活動をサポートする緊急の署名にご参加ください。

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Stand with the Burmese Protesters

(↑画面左下に署名欄があります。電話番号は必須ではありません。声明は以下の通り。)

胡錦涛中国主席および国連安保理の皆さんへ:私達はミャンマーで平和的抗議活動を行う市民を支持します。
私達は皆さんが、市民に対する暴力的弾圧に反対し、ミャンマーの真の和解と民主主義をサポートするよう、強く求めます。
流血の事態となった場合は、皆さんにも責任があるのだということをここに誓言します。

To Chinese Premier Hu Jintao and the UN Security Council: We stand alongside the citizens of Burma in their peaceful protests. We urge you to oppose a violent crackdown on the demonstrators, and to support genuine reconciliation and democracy in Burma. We pledge to hold you accountable for any further bloodshed.

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ミャンマーの独裁政権は数十年に渡って、選挙で選ばれた指導者アウン・サン・スー・チーさんを軟禁し、
民主化を求める活動家たちを弾圧してきました。
地方の何千という住民を移住させ、強制労働や難民化という苦難をもたらしました。
5歳以下の子供のうち3分の1が栄養失調の状態にあり、何万もの人々が一日一食で暮らしています。

しかし先週火曜日、ミャンマーでたいへん尊敬されている仏教僧や尼僧たちがデモ行進や抗議の祈祷を始めました。
抗議活動は日に日に拡大し、今や一般市民やセレブリティ、コメディアンなども参加しています。
彼らは恐れの連鎖を断ち切り、5200万のミャンマー国民に希望をもたらしたのです。

しかしこの希望は、細い糸一本にぶらさがっているようなものです。
軍事政権は、尊敬を集めている僧侶たちを攻撃することはためらいながらも、暴力的措置をとるための準備をしていると伝えられています。
すでにデモ参加者たちは殴られたり、発砲されたりしています。

今こそ国際社会が重要な役割を果たす時です。
ミャンマーの人々と肩を並べ、圧政を解消するための光をかざしましょう。
国連参加国、特に(来年オリンピックを開催する)中国に働きかけ、
「暴力は深刻な結果をもたらす、今や変革すべき時である」ということをミャンマー軍事政権に対して警告するよう求めましょう。

ミャンマーの路上で、民衆の力は高まりつつあります。彼らに知らせましょう、国際社会は彼らと共にあるということを。

希望とともに Paul, Pascal, Graziela, Ricken and the whole Avaaz team

P.S 軍事政権が僧たちを脅迫したとの速報。関連記事The Associated Press: 100,000 Turn Out for Myanmar Protest

また、international Burma Campaignによると、軍の命令で、多数の兵士が頭を剃り、僧侶の扮装をして、おとり活動を行っているとのことです。暴力的弾圧への第一歩かもしれません。ソースはこちらUS CAMPAIGN FOR BURMA


以下、メール本文

Support the protesters in Burma

Dear friends,

Clicking below will add your name to this petition to Chinese Premier Hu Jintao and the UN Security Council:"We stand alongside the citizens of Burma in their peaceful protests. We urge you to oppose a violent crackdown on the demonstrators, and to support genuine reconciliation and democracy in Burma. We pledge to hold you accountable for any further bloodshed."

Click Here to Sign Now
After decades of brutal dictatorship, the people of Burma are rising--and they need our help. Today over 100,000 people are on the streets of Rangoon, more around the country. When protesters last marched in 1988, the military massacred thousands.

But this time it can be different--if only the world stands with the marchers. The United Nations summit starts today in New York. Let's raise an emergency global campaign, demanding they press the Burmese generals to negotiate rather than crush the demonstrators. We'll deliver it to Security Council members--particularly China's Hu Jintao, until now the military junta's protector--and to media at the UN this week. Sign our emergency petition supporting the peaceful protests in Burma--click here, then spread the word:

http://www.avaaz.org/en/stand_with_burma/a.php?cl=19977262&signup=1

For decades the Burmese dictatorship fought off pressure--imprisoning elected leader Aung San Suu Kyi and democracy activists, wiping out thousands of villages in the provinces, bringing miseries from forced labour to refugee camps. One-third of children under 5 now suffer malnutrition; millions are down to one meal a day.

But last Tuesday Buddhist monks and nuns, overwhelmingly respected in Burma, began marching and chanting prayers. The protests spread--now they're growing by tens of thousands every day, as ordinary people, even celebrities and comedians join in. They've broken the chains of fear and given hope to 52 million Burmese.

However, this hope is hanging by a thread. While hesitating to attack the respected monks, the regime is reported to be organising violence. Demonstrators have already been beaten, shots have been fired.

This is one of those moments where the world can make the difference: standing shoulder to shoulder with the Burmese people, helping to shine a dissolving light on tyranny. Let's call on powers at the UN--in particular, China (next year's Olympics host)--to warn the generals that violence will have the gravest consequences, and the time has come for change.

People power is rising through the streets of Burma today. Let the demonstrators know the world is with them. Click here to sign the petition, then tell everyone you know:

http://www.avaaz.org/en/stand_with_burma/a.php?cl=19977262&signup=1

In hope,

Paul, Pascal, Graziela, Ricken and the whole Avaaz team

PS: The government has just threatened the monks--here's an Associated Press article: http://ap.google.com/article/ALeqM5iy-MfhLN9Q7MwtQ1VlrvexLjr2dA

And we've just heard this from the international Burma Campaign: the military has reportedly ordered a battalion of soldiers to shave their heads, pose as monks and operate as agents provocateurs. This might be the first first step towards a bloody crackdown. See http://www.uscampaignforburma.org/ for more background.



よろしければ、署名にご参加くださいませ。
「暴力はもうこりごりだ」という声を、国連に、ミャンマーに、届けようではございませんか。



『ボローニャ国際絵本原画展』

2007-09-23 | 展覧会
『イタリア・ボローニャ国際絵本原画展』に行ってまいりました。

ボローニャで毎年開催されております絵本原画コンクール展の入選作品を集めた本展。
毎年この時期に、西宮市大谷記念美術館に巡回して来るのでございますが
のろはこの4、5年ほどご無沙汰しておりました。
久しぶりに行ってみると、CGを使った作品がずいぶん増えておりました。

それから今回は日本人の作品が多うございましたね。
その中で最ものろの心に残りましたのは、神野早織さんの『オムライス男爵』という作品でございました。
お昼に食べようとしたオムライスの中に、カイザー髭の男爵と愛犬(兼執事)が住んでいた、というお話。
一枚目の絵には、3分の1ほど食べられてしまったお住まい(オムライス)を背に
椅子に座って足を組み、新聞を手にしてくつろぐ男爵のお姿が。
男爵のかたわらでは、愛犬がまめまめしくスーツにアイロンをかけております。
住居の壁を食べられてしまった男爵、チラッとこちらを見やって不機嫌そうにひと言「何だね君は。ノックもせずに、失礼な」
す、すばらしい・・・
あとの4枚も同じアングルで、つまりオムライスを食べている人から見た構図で描かれております。
オムライス男爵はステッキを持ってお皿の縁を散歩したり
お皿の縁の水たまりを前にして困っているご夫人を、いかにも古風なジェントルマンらしく助けたりなさいます。
こういう「あたりまえな顔をして日常に割り込んで来るファンタジー」、ワタクシは大好きでございます。
奇をてらわない素朴な画風もよろしうございます。
素朴と申しますか、洗練されて い な い 感じ、でございますね。
これがオムライスといういかにも気取りのない、庶民的なメニュウや
男爵という、仰々しいけれど何故か笑いを誘う肩書きの持つ雰囲気とよく合っており、
ちょっと他の作品にはないような個性をかもし出しております。

さて、絵本原画と申しましても、可愛らしいものばかりではございませんで
不気味な雰囲気の作品も多うございました。
むしろそういう作品の方が好きなのろではございますが、少々気になったのは
そうした不気味テイストの作品の多くが、何となく似通っていたという点でございます。

あくまでもワタクシ個人の印象でございますし
コラージュやCGや銅版画などなど、技法はさまざまで題材もばらばらなので
何がどう似通っているのかと問われると困るんでございますが
うーむ 何と申しましょうかねえ、「このタイプの絵」とまとめてしまえるような。
あるいはワタクシの見方がずさんで、作品から受けた印象を丁寧に選り分けることをしなかったためやもしれません。
しかし技術的レベルも高く、センスも発想もいいけれどあのイラストレーターの絵にそっくりだなァと思う作品があったりすると
うーむ いいのかなァと考え込まざるを得ないんでございます。

そんな中、一人異彩を放っておりましたのがファビオ・ラミーロ・ロッシンでございます。
題材は『聖書』。
ここに描かれておりますのはキング・コング、ではございませんで、なんと山上で悪魔の誘惑を受けるキリストさんでございます。
これ以外にはエデンの園、ソドムの街、ノアの洪水の場面などが描かれておりましたが
どれもこれも不気味で毒に満ち、かつとってもポップなんでございます。
登場人物はほとんど骸骨、エデンの園のウサギさんすらこのとおり。



絵本というより、デスメタル好きのイラストレーターがアングラ雑誌向けに描いたコミックみたいでございます。
(まあデスメタルはもっとおっかない世界のようですが・・)
これを国際絵本原画展に出品する作者のセンスもステキなら、選んだ審査員のセンスもステキでございます。
ロッシン氏は1983年生まれということですから現在24歳。
これからどんなジャンルでどんなご活躍をなさるのか、大いに楽しみでございます。

最後に。
これまたワタクシ個人の印象でございますが、イラン発の作品が目立っておりましたねえ。
数が比較的多かったということもありますが、画風や色使いがどれも個性的で、印象に強く残っております。

AMEKAN-HASSAN
BEHZADI-AZAD-BEHNOUSH
BOOZARI-ALI
SHAABANIPOUR-AMIR


untitled

2007-09-19 | Weblog
ああ世の中欺瞞ばっかりさ。

それはさておき
用事ってものは無いときは無いもんでございますが
あるときはなぜかどどっと重なってやって来るもんでございますね。
ここしばらく閑人なりに忙しく、なかなか記事をUPできないでおります。
お立ち寄りくださっております皆様、申し訳ございません。

琵琶湖一周レポ2

2007-09-09 | Weblog
9/7の続きでございます。

6:00 出発。朝の琵琶湖。水平線が空に溶けております。
    湖面にカイツブリ浮いておりましたが、目を向けるとすぐさま潜ってしまいました。



6:15 朝日が上ってまいりました。今日は曇りになりそうです。

昨日は右手に湖を、左手に山並みを眺めつつの旅程でございましたが
今日は右手に湖、左手には田園風景が続きます。
まだ涼しい時間帯。雑草の茂みから秋の虫の音が聞こえてまいります。
日が高くなって気温が上がると、上の方からつくつく法師の声が降ってまいりました。

7:00 道ばたでイチジクが実っておりました。近づくと甘い香りが漂ってまいります。
7:30 彦根城に寄り道。お堀に蓮が咲いています。鴨さんぺたぺた。
    自販機コーナーで久しぶりに”あいあい傘”を発見。
    
まだ観光客が来る時間帯ではないので、人影はほとんど見当たりませんでした。
朝御飯を食べようとお城を望む広場に入って行った所、ベンチで膝枕していたカップルを慌てさせてしまいました。
ああごめんよ。別の場所へ行くさ。

天守閣は遠くから拝むだけで先を急ぎます。



8:00 彦根城近くの住宅街を通り抜けます。
    みなさん側溝がとても気になっているご様子。
9:00 ”さざなみ街道”をひた走ります。
    今回は、道の分岐点にある、この”ぐるっとびわ湖サイクルライン”のサインが折々役立ってくれました。
    しかもふと見ると裏側に   
    
    おっ 岡部さん・・・。  オグリ勝負服の南井さんだったら持って帰っていたことでしょう。

9:30 ちょっと琵琶湖から離れます。両側に田園が広がる快適な道行き。
    ずっしり重たそうに頭をたれる稲穂を眺めつつ進みます。うむ、みんな、いいコメになってくれよ。
10:00 ”さざなみ街道”をどんどん行きます。
     ところで、前回こういう場所を通ったという記憶が全くありません。
     早朝の湖北の空気が感動的なまでに澄明でおいしかったことと、関節と筋肉がひたすら痛かったことばかり記憶しております。
    一体どこをどう走ったんだろう。

11:00 ぶらこどん。 ”マイアミ浜”近く。
12:00 琵琶湖大橋付近までやってまいりました。対岸が近いです。
     あそこをずっと走って来たかと思うと感慨深いのう、無印君。
12:30 一面の蓮! うひゃー!
     すごいですねえ。夏の朝には、さながら極楽浄土のようなすばらしい光景が広がっていることでしょう。



13:00 草津市に突入。「瀬田大橋から右回り190km」のサイン。
     ところで雲行きが怪しくなってまいりましたよ。

案の定、雨が降り出しました。なかなか止みそうにありません。
しかし前回のようなバケツ3杯ひっくり返しの雨ではございませんので、平気です。
近江大橋を過ぎ、国道1号線に入りました。国道1号線、即ち三条通。
あとはひたすら西進すればのろ宅にたどり着くという寸法でございます。Go~Go~West.

13:30 国道に面した自動車整備工場に、錆びついた白いベンツが佇んでおりました。
     兄と違ってベンツマニアではないのろには、いつの年代のものやらわかりませんが
     廃車でありながら、視界に入ったとたんぐぐっと惹き付ける存在感がございます。いや、カッコいいですねえ。
14:20 えっちらおっちら山越えして、京都市街を見渡す蹴上まで帰ってまいりました。
     ご覧、無印君。もうすぐ岡崎だよ。
     岡崎といえば美術館だね。
     近美では今、麻田浩展をやっていたっけね。
14:30 と いうわけで 麻田 浩 展を観てまいりました。

1997年、龍安寺のアトリエで自死した麻田氏の没後10周年を記念する展覧会でございます。

時空が折り重なり、時に奇妙な重力が介在する世界。その中に散らばり、あるいは堆積する
水滴や、石ころや、鳥の羽根や、卵や、円錐や、トンボの羽根、木片、骨、リボン、貝殻。
あるものは時に浸食されて朽ち、地に還ろうとする過程のただ中にあり
またあるものは、今初めて生れ出たかのように瑞々しい姿を見せております。
そのどれもが、あたかも「聖遺物のように」-----これは作品のタイトルにもなっておりましたが-----
荘厳で、交換不可能な存在感をもって描かれております。

氏にとって、「絵を描く」という行為は
うつろいゆくもの、朽ち行くもの、つかの間の存在に、聖性と永遠性を見いだし
画布に上においてそれを表現する、祈りまたは瞑想のようなものであったろうかと思いました次第。

17:00 閉館アナウンスを背に、美術館を後にしました。
     夕飯用にゴーヤなど買って18:00前に帰宅。
     ちょうど36時間で出発点に戻ってまいりました。

うはー。時計くっきり。よい子のみなさんは2時間おきに日焼け止めを塗りましょうね。
のろはいいの、よい子じゃないから。

今回ひとつ気になったことは、葛がおっそろしく繁茂していたこと。
どうです、このはびこりよう。
わりかし全国津々浦々訪れている父親が「最近はどこもかしこも葛が生い茂って、他の雑草たちが駆逐されている」
と言っていたのをしきりに思い出しました。
もっとも葛にしてみれば、「はびこりすぎとか他の生物を駆逐しているとか、よりによって君らに言われたかないよ」
てな所でございましょうね。

以上、琵琶湖一周記でございました。
そのうち日帰り一周にも挑戦してみたい所でございます。


なんて思ってるうちにどんどん歳をとってゆくのだろうな。




琵琶湖一周レポ1

2007-09-07 | Weblog
琵琶湖一周自転車行。
実は学生の時にも一度やっております。もう10年ほど前になりますかねえ。
あの時の自転車はハンドルが婉曲して荷台までついている、完璧なママチャリでございました。
ま、今の無印自転車も、そうたいした違いはございませんが・・。

銀閣寺のあたりから山越えするルートを選んだために
車がビュンビュン通る歩道のない急勾配を、えっちらおっちら自転車押して上ったのも
今では良い思い出ってやつでございます。
日が沈んでから湖北あたりで道に迷って、自分がどこにいるやら皆目わからなくなったのも。
宿を取っていなかったので電話ボックスの中で丸まって寝ようと思ったら
大量に発生したなめくじ君たちに追い出されたことも。
どこぞの売店の前でベンチ寝したら、翌日身体中の関節がギコギコいったことも。
帰路で大雨に見舞われて、海から今上がって来ました状態でやっとこさ京都にたどり着いたことも。
無理矢理国道を渡ろうとして車に轢かれかけたことも。
そう、今となっては良い思い出ってやつでございます。

で、今回は前回の反省をちょっぴり生かしまして、国道1号線を通って山越えすることにいたしました。
考えてみると、この二代目無印君で滋賀へ行くのは始めてでございます。
この春にワタクシんとこに来たばかりでございますからね。



では、行こうぞ。無印君。

5:45 出発。なんでこんな中途半端な時間なのかって。5:30に出るつもりが遅れたんですよ。



6:15 山の端が明るんでまいりました。これから山越えです。
6:50 大津へやってまいりました。朝日がまぶしいですねえ。
7:00 琵琶湖と対面。
8:00 順調に進んで琵琶湖大橋の近くで朝御飯。
    波打ち際でコンビニのサンドイッチをむしゃむしゃやっていると、よく焼けた若い衆3人が海パン姿でやって来ました。
    朝から太陽が照りつけ、泳ぐにはいい日になりそうでございます。
8:30 和迩あたり。住宅地の道ばたに魚が落ちていました。どう見ても本物です。
9:00 蓬莱あたり。気温31度。暑そうな電信柱を横目にひた走ります。
9:30 モモレンジャーの子供時代発見。



10:00 近江舞子。水と戯れている人々をちらほら見かけます。気持ち良さそうです。
     のろも寄り道してちゃぷちゃぷ。砂礫がいいぐあいに足裏を刺激してくれました。ほんとは泳ぎたかった。
10:30 水妖が住まっていそうな川を渡り
11:00 白鬚神社付近で おおっ カラスが行水している! しかし残念ながらカメラを取り出す間に飛び立ってしまいました。
12:00 肩がこりました。そして眠い。ちょっとしんどいので公園のベンチでゴロ寝。
     どこかから聞こえて来た12:00を知らせるサイレンで目が覚めました。危ない危ない。

ずっと湖岸沿いの”風車街道”を走ります。整備されていて走りやすいのですが、ちと単調でもあります。

12:30 みごとな三世帯住宅を発見。しかもこんな所に。   
13:00 マキノ町あたり。湖北の山なみがだいぶ近づいてまいりました。



13:10 田園風景が広がります。

これから自販機があまり無さそうなエリアに突入するので、その前に水を買っておこうと自販機に近づいた所、
あろうことか自販機が「いらっしゃいませ~冷たいお飲物はいかがですか?」としゃべって媚びを売って来たので
何も買わずに立ち去りました。
幸い、すぐ先にまた自販機がございました。しゃべらないやつがね。
お昼ご飯は無し。動きっぱなしでお腹好きませんでしたし。のろはランチ抜いても平気なたちなんでございます。

13:30 海津大崎あたり。湖北は湖岸線が入り組んでおりますから、走るにつれてどんどん景色が変わって楽しいですね。

ここで我が『ツーリングマップル 関西』の「上から琵琶湖を望む快走路」というキャプションに心魅かれて、
つづらお展望台を廻るルートをとったのろ。ネットで調べたサイクリストたちもこのルートを辿っているようだし、
まあのろはスポーツ自転車でも何でもないけど、行けないことはなかろ・・・と思って坂道をぐいぐい上って行きました。
ええ、確かに
エンジンという機動装置がついている乗り物にはさぞかし「快走路」であることでしょう。
しかし人力車もとい自転車ライダーであるのろ、しかも切り替え無しのいわゆるシティ自転車であるのろ、
普段特別に鍛えているわけでもない一般サイクリストののろには ちょっとだいぶキツかった。
水も尽きるし、ひたすら暑いし、熱中症で倒れても数時間は誰も見つけてくれないだろうなってな場所でございます。
大丈夫かオイと思いながらも、何とか展望台に到着。

15:00 いや、絶景かな。上って来たかいがありました~。
     高い所からの眺めってな、不思議なものでございますね。
     ただ遠くまで見渡せるっていうだけなのに、何やら特別な感慨を抱かしめるではございませんか。

売店でアイスを買おうと思いきや、店員らしき人が見当たりません。「すいませーん」と声をかけると、奥からおじさんが出て来てくれました。
下界を眺め、「ソフ王」をもがもが食べながらしばし休息。
で、去りがけに自販機で水を・・と思いきや、小銭がありません。紙幣も樋口さんと福沢さんのみ。
しまった。しかし小心者ののろは売店のおじさんを再び呼び出すことがどうにもはばかられ、
結局下界に下りるまで水無しでやりすごそうと腹を決めたのでございました。人生それでいいのか。

15:40 どんどん下ります。下界が近づいてまいりました。



16:00 賤ヶ岳トンネル。賤ヶ岳の合戦の賤ヶ岳でございますよ。何やら鬼気迫るのう、無印君。
16:30 何者かが道をのそのそ横切っておりました。よくよく見ると雌のかぶと虫ではございませんか。
     お嬢さん、そんなにゆっくり歩いていたら危ないよ。
17:00 だいぶ日も傾いてまいりました。

あとはひたすら長浜へ向けて湖岸の一本道を走るのみ・・・という所ですが
ちょっとお待ち。なにゆえ路傍にマネキンの頭が。

17:50 日暮れでございます。鳥たちもねぐらに集まっているようでございます。

のろも今夜の寝床を考えねばなりません。
今回も結局宿を取らずに出立したのろ。(実を申せば”予約”ってものが嫌いなんでございます)
選択肢は
・ベンチ寝
・ネットカフェ寝
・ビジネスホテル
の3つを考えておりましたが、展望台ルートで予想以上に身体を酷使したことから
気兼ねなくストレッチできる場所&身体を伸ばして寝られる場所が欲しいなと思いましたので
ビジネスホテルに転がり込みました。
のろもヤワになったもんさ。

ホテル近くの平和堂(そう、滋賀でスーパーといったら平和堂ですね)でおにぎりとサラダと枝豆と発泡酒を買い込んで
本日の旅程は終了。


次回に続きます。





琵琶湖一周

2007-09-06 | Weblog
昨日の朝5:45に
愛車の無印自転車(二代目)にうちまたがり
三条通を東へ東へひた走り
琵琶湖を一周して今日帰ってまいりました。
写真入りレポートは明日以降にUPさせていただきます。

蛇の舌のこと

2007-09-04 | 映画
なんとなく9/2の続きでございます。
注:『指輪物語』完全ネタバレ話

蛇の舌 グリマ。
老国王に取り入り、甘言を弄して王の心を蝕み、堕落させる(そして結果的に失敗する)
美しい姫に恋慕するも、相手からは嫌われる(しかも姫はヒーロー(=グリマの敵)に片思い)、という
それはもう 小 悪 党 の お 手 本 のような奴ばらでございます。
その風貌は、原作の描写によると「賢人めいた青白い顔に瞼の重たくかぶさる目をした、しなびた男」。
映画ではこう ↓ でございます。



ぎゃ は は は は
素晴らしい!

ブラッド・ドゥーリフという俳優さんですが
イヤーこのかたは蛇の舌を演じるためにこの世に使わされたのだとしか思えませんね。
もちろんメイクの助けもございましょうが、実に爬虫類的な、のろごのみの顔立ちをしていらっしゃいます。
眉毛の無い青白い顔(ポイント高し)、薄い唇、とがった鼻、つり上がったまなじり、そして全身黒づくめ。
いやあステキですね、蛇の舌殿。
ちょっとお召し物のホコリなど払わせてくださいましよ。
さっさっ。
ああ、ホコリじゃなっくて フケ ですか。失礼しました。

映画が公開された当時、本か雑誌に載っていた製作秘話で、グリマの陰気な容貌を強調するために
衣装の肩口やら髪の毛やらにフケ状のものをぱらつかせた、という話を読みました。
「フケ」の素材は砕いたポテトチップだったとか。
総制作費2億7000万円の超大作も、変な所で低予算でございます。

蛇の舌、お話に登場するのはほんのちょっぴりでございます。
全7巻に及ぶ『指輪物語』における全登場シーンを数えても、
ページ数にして、せいぜい10ページにも満たないぐらいではないかと。
ストーリー上、さして重要な役割を果たすわけでもございません。
それでも、1:キャラクターが立っている 2:ゴクリについで徹底的に救いの無い人物である 
以上の理由から、蛇の舌はのろのマイフェイヴァリットなんでございます。
ああ、あと 3:容貌がのろごのみ であるのと。

1:キャラクターが立っている という点については、原作の描写を以下に引用してその証とさせていただきましょう。

階段に座っている青白い顔の男がいいました。「・・・(略)・・・疫病神殿よ、なんでわれわれがあんたのことを歓迎せねばならぬのかな」p.23

かれは薄気味悪い笑い声を立てながら、ちらと重い瞼を上げ、悪意のある目をじっと旅人たちに注ぎました。p.23

(ガンダルフ(←ぶっちゃけて申せば、善い魔法使い)がその力を示すと)蛇の舌はだらしなくはいつくばりました。p.26

二人の男の間にちぢこまって蛇の舌グリマがやって来ました。その顔はまっ蒼で、目は日の光にまぶしそうにまたたいています。p.38

「後生でございます、殿!」蛇の舌は哀れっぽい声でいうと、地面に額をこすりつけました。「殿にお使え申すために疲れ果てました者に情けおかけくださいませ。わたくしを殿のお側からお引き離しにならないでくださいまし。他にだれ一人残らなくとも、わたくしだけは殿のお側におつき申し上げます。忠実なるグリマをどこへもおやりにならないでくださいまし!」p.39

蛇の舌は次々とみんなの顔をうかがいました。その目には自分を取り巻く敵の輪の中にどこか隙はないものかと探している追いつめられた獣のような表情がありました。かれは色の薄い長い舌で唇を舐めました。p.40

蛇の舌はのろのろと立ち上がりました。かれは半眼を見開き、みんなを眺め回しました。最後にかれはセオデン(←グリマが取り入っていた老王)の顔をつくづく見入ると、話そうとするかのように口を開きました。それから不意に体を真っ直に伸ばしました。両手がわなわなと震え、眼がぎらぎらと光りました。その眼には人々がかれの前から思わず後ずさりする程の敵意が浮かんでいました。かれは歯を剥き出し、それからシューッと息を押し出すようにして、王の足許に唾を吐きました。それから身をひるがえして、飛ぶように階段を駆け降りて行きました。p.42
以上、全て文庫本第6巻より



どうです。
卑屈で、狡猾で、善きものたちへの敵意と憎悪に満ち満ちた人物像が
ありありと立ち現れてくるではございませんか。
心から王を気遣うふりをして、その実、王を思いのままに操ろうとする思惑も
慇懃でありながらトゲのある、いやらしい話しぶりに現れているのでございます。
王の元にガンダルフ一行が到着し、グリマが追い出されるまでの短いやり取りの中で
小悪党のエッセンスを凝縮したかのようなグリマの描写はみごとと言う他はございません。


2:ゴクリについで徹底的に救いの無い人物である について申せば。
ちと真面目に語りますよ。

映画では、グリマおよび彼のボス、サルマン(←ぶっちゃけて申せば、悪い魔法使い)の「その後」は描かれておりません。
愛蔵版DVDの方ではどうなのか存じませんが、少なくとも、劇場公開版では。
が、原作の方では、諸悪の根源・冥王サウロンと問題の指輪が破壊され、
とりあえず世界に平和がもたらされた後にも、グリマ&サルマンの出番は用意されているのでございます。
(以下、引用は文庫本第9巻より)

闇の勢力に組みしていた二人は根城を追われ、乞食に身を落として野をさまよいます。
サルマンは、今や唯一の手下となってしまったグリマを絶えず罵倒し、打擲します。
グリマは「あいつが憎い!あいつから離れることができたらなあ!」と言いながらもサルマンに犬のように付き従います。
彷徨の途中出会ったガンダルフに「それではあいつから離れるがいい」と言われても
「蛇の舌はうるんだ眼に恐怖の色をみなぎらせ、ガンダルフをちらと見やっただけで」結局サルマンについて行くのです。

物語の最終版、故郷のホビット庄に帰り着いた主人公たちは、再び二人に出会います。
サルマンが「栄養も充分ゆきわたり、すっかり満足そう」であるのに対し
空腹を抱え、足を引きずり、「這うようによぼよぼと」歩を進めるばかりのグリマ。
サルマンに精神的・肉体的に虐待され続けていたことは明らかです。
それでもなおグリマは、残酷な主人から離れることができないのです。

例の指輪に蝕まれ、指輪を憎みながらも離れられなかったゴクリ(ゴラム)や主人公フロドとの類似性を感じさせます。
しかし、指輪を手にした者が容易にそれを手放せないのは、指輪の力や美しさが彼らを魅了し、惹き付けるからです。
つまり彼らを指輪に執着させるのは指輪のあらがい難い魅力であり、指輪との一体感、万能感といったものです。
他方、グリマをサルマンのもとにとどまらしめているのは、そうした心地よい感情ではなく、恐怖です。

セオデン王のもとを放逐されて以降、権力の後ろ盾を無くしたグリマ。友人などそもそもいないグリマ。
「悪人」ではあるものの、その卑小さゆえに、危険人物と見なしてすらもらえないグリマ。
サルマンにくっついていても、彼の存在を気に留める者もいなければ、気に病む者もいません。
しかしひとたびサルマンから離れたなら、グリマの存在を認めてくれる人間はこの世に誰一人いなくなってしまうのです。

全世界から無視されるという恐怖に比べれば-----生きながら「いないもの」にされてしまう恐怖に比べれば、
たとえ罵倒や打擲であっても、何らかのレスポンスがある方がマシなのです。

交流分析で言うところの「プラスのストローク(愛情、承認、賞賛など肯定的な働きかけ)が得られない場合、
マイナスのストローク(叱責、皮肉、暴力など否定的な働きかけ)でもいいから得たいと思う」という心理です。
虐待されるのは辛いが、関係を解消してしまうのはあまりにも恐ろしいのです。

だからこそ、フロドから「お前はここに留まってもよい」と声をかけられた時に
ようやくグリマはサルマンから離れる気になったのでしょう。

蛇の舌は一瞬ためらいを見せましたが、やがて主人のあとについて行きました。
「蛇の舌よ!」とフロドは叫びました。「お前はかれの後について行くには及ばない。わたしの知る限りお前はわたしに何も悪いことはしていない。ここでしばらく休息と食物を取ってゆくがよい。もっと元気が出て自分の好きなようにできるまで。」
蛇の舌は立ち止って、フロドを振り返り、喜んで留まる様子を見せました。
p.304

フロドの声は、グリマに、サルマンという虐待者以外の人間にも自分の存在を認めてもらえる、
いられる場所がある、という希望の言葉として響いたはずです。

サルマンはしかし、フロドの言葉をあざ笑い、グリマがホビット(フロドもその一人である所の小人族)の一人を殺したこと、
即ち、フロドに対して「何も悪いことはしていない」わけではないことを暴露します。
殺害を命じたのはサルマンだったのですが。

サルマンは地面にへたりこむグリマの顔を蹴り上げ、ついて来いと命じて歩み去ります。
自由を得るための希望を完全につぶされたグリマは、サルマンに後ろから飛びかかり、ナイフで喉をかき切ります。
そしてその直後、自身もホビットたちに矢を射かけられて絶命します。

ワタクシはこのシーンを読んだ時ばかりは、トールキンを恨みました。

登場人物のそれぞれがそれぞれなりに英雄的な振る舞いをし、
ワルモノはワルモノなりに凶悪な力を発揮するこの作品において
ひとりグリマは、善きにつけ悪しきにつけ、ヒーロー的な所がひとかけらもない人物です。
全くもって、救いようが無いほどに小悪党なのです。

だからこそ、救われてほしかった。


ところで
こうした視点で見てまいりますと、登場時の姦臣グリマと、終盤の被虐待者グリマでは
だいぶ違ったキャラクターのような印象を持たれるかもしれませんが
彼が一貫して持っている傾向があります。
それは卑屈さと、あらゆるものに対する激しい敵意です。

映画でグリマを演じたブラッド・ドゥーリフは、グリマの性向についてこう洞察しています。
グリマは醜い。グリマ自身そのことを自覚しているし、醜さゆえにいつも人にいじめられて来た。
そうした経験の中で、自らの種族を死に追いやるほどの敵意や、
人の心理を先取りして辛い目にあわないようにする狡猾さを身につけた。

けだし、数多くの変人やサイコパスや殺人鬼(チャッキー含む)を演じて来た俳優ならではの
役柄にリアルさと深みを与える洞察と言えるのではないでしょうか。


映画でサルマンとグリマの最期が描かれなかったのは甚だ残念ではございますが
ドゥーリフ氏が役柄への理解と洞察を持ってグリマを演じてくだすったことは
のろには大きな喜びでございました。

↓ドゥーリフ氏のインタヴュー
ロード・オブ・ザ・リング

↓ギャラリー。
Dourif.net Screencap and Image Gallery - Welcome !
↓グリマのショットは主にここ。
Dourif.net Screencap and Image Gallery - Lord of the Rings:The Two Towers


ホビット忌

2007-09-02 | 忌日
本日は
J・R・R・トールキンの命日でございます。

トールキンといえば『指輪物語』でございますね。
そして『指輪物語』といえばもちろん


ゴクリ(ゴラム)でございますね。



文庫本の挿絵ではカエルと申しましょうか半魚人と申しましょうか、かなりヒトばなれした風貌で描かれておりますが
映画『ロード・オブ・ザ・リング』のゴクリ(ゴラム)は実に可愛らしいですね。
原作を読んだ時点で、ゴクリはのろの一番好きな登場人物でございましたが
映画を見てますます好きになりましたとも。
夜中に鼻歌うたいながら魚を捕るシーンなんて、ええ、そりゃあもう。

と申しましても
のろはゴクリが単に可愛らしいから好きなのではございませんで。

指輪の魔力に取り付かれ、それがために何もかも失ってしまうゴクリ、
人間的な心を完全に捨て去ることはできないまま、闇の底を這い回るゴクリ、
あらゆる者から嫌われ、あらゆる者を憎み返し、とりわけ彼をとりこにした「いとしい」指輪を何よりも憎むゴクリ、
物語が始まる遥か昔に、「他の者にだって起こりえた」悲しい運命を
たまたま引き当ててしまったゴクリが、哀れでならないからでございます。


以前にもちらと申しましたが、のろが『指輪物語』の中でゴクリと並んで愛する登場人物は
蛇の舌 グリマでございます。
彼もまた、ほんとうに哀れな奴なのでございますよ。

以下、蛇の舌について語る予定でございましたが、予想外に長くなりましたので明日に回します。
悪役ばなしってのはどうしてこう楽しいんでございましょうねえ。ヒヒヒ。