のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ちょっとピンぼけ』

2006-12-31 | 
人生短いんですから
紅白歌合戦なんか見ている暇はございません。
というわけで年越しのBGMは(以下略)


さて
暮れもここまで押し迫ったというのに
今年一番の大後悔がのろを直撃しております。

即ち
5月25日 にご紹介したロバート・キャパ写真展『CAPA IN COLOR』に行きそびれたということでございます。

5月のことを何故12月になって後悔するのかと申せば
キャパの手記、ご存知『 ちょっとピンぼけ』 (初版)を、昨日読んだからでございます。

本書によって、のろの中では「偉大な報道写真家」という位置づけであり、
つまりは遥か遠い存在だったロバート・キャパがぐっ と身近に感じられ
その文才に対する尊敬の念と、その早すぎる死に対する哀悼の念がふつふつと沸き上がり
それと同時に
「どーーーして行かなかったんだぁ キャパ展!!!」
という大いなる後悔の念がのろを打ちのめしたのでございました。

後悔するものは二重に不幸あるいは無能力である。なぜなら、後悔する人間は最初に悪しき欲望によって、次には悲しみによって、征服される者だからである エチカ第4部定理54

うっ
おおせの通りです、先生。
やめます、コーカイするのは。

で。
『ちょっとピンぼけ(Slightly Out Of Focus)』。
内容の面白さもさることながら、本書の最大の魅力は、その軽妙な語り口にこそあると、ワタクシは思います。
でキャパが描くのは、第二次世界大戦下、従軍記者として戦場を飛び回る彼自身の姿です。
うっかり地雷原へと踏み込んだり、経験もないのに落下傘部隊に同行せねばならなかったり
砲弾の降り注ぐ中、泥まみれになり這いつくばってシャッターをきる、等の戦地ならではの苦労は言わずもがな
ハンガリー国籍で、英語も「およそ完全とはほど遠い」キャパは
敵国人として疑われ(ハンガリーは当時ナチスドイツに併合されていました)
何度も何度も要らぬ足止めをくわされ、不自由を余儀なくされます。

かてて加えて
雑誌の表紙を飾るはずだった写真に軍事機密が写っていたため、発売前に回収処置となったり
前線にいる時に契約先の雑誌社から突然解雇されたり
ものになるかならぬか微妙なラインの上にいる、銃後の恋人を気にかけたり
軍中のわずかな楽しみ、賭けポーカーに参加しては、ひたすら負けに負けつづけて
しばしばすっからかんになったり
とまあ、彼は常に大なり小なりエライコッチャな状況にあります。

しかしキャパはそんな自分と、彼を取り巻く状況を
ほんの少し俯瞰した、あるいは「引いた」視点から捉え、それだけに軽妙なユーモアをたたえ、
冷めた視点と温かな感受性を兼ね備えた筆致で描写しています。

そしていとも軽やかなウィットとユーモアに満ちた文体でありながらも
戦争の悲惨さを軽んじるような雰囲気は、みじんもありません。
戦争は悲惨だ、戦争はひどい、と声高に訴えはしないけれども
キャパはただ、戦地の情景を読者の前にそっと提示します。

(戦闘機が出撃して)6時間という長い間、司令塔の中で待っていると、ようやく1番機が水平線の彼方に現れた。機影が近づくにつれ、われわれはその数をかぞえはじめた。朝には美しい編隊を組んだ24機が、今は空じゅうを数えまわしても、たった17機だった・・(中略)・・昇降口の扉が開いた。乗組員の1人が運びおろされると、待ちかまえた医者に引渡された。彼は呻いていた。次におろされた2人は、もはや呻きもしなかった。最後に降りたったのはパイロットであった。彼は、額に受けた裂傷以外は、大丈夫そうに見えた。私は彼のクローズ・アップを撮ろうと思って近よった。すると、彼は途中で立止って叫んだ、
ーーー写真屋!どんな気で写真がとれるんだ!   私はカメラを閉じた。



そんな具合で
読み進むにつれのろは
ああぜひとも、ここで描かれている人々や情景に、そしてキャパが最後に撮ったインドシナの風景に
無理を押してでも会いに行くんだった、との思いを強くしたのでございました。

本書についてはまだまだ語りたい所でございますが
長くなりますので、またの機会にゆずりたいと思います。
本日は、いや本年はこれにて。

皆様、よい新年をお迎えくださいませ。


一周年の感謝をこめて

2006-12-28 | Weblog
当のろや、本日で開設一周年をあい迎えました。

ふり返ってみれば、開設2日目からすでにして
血迷いぎみな方向へと喜び勇んで舵をきってしまったようですが
ここまで続けて来られたのも皆様のおかげ、いや、
今まさに読んでくださっている、貴方のおかげでございます。

ありがとうございます。

のろや御常連の貴方、いつも本当にありがとうございます。

通りすがりの貴方も、ネット社会のこんな片隅の隅の隅にお立ち寄りいただき、ありがとうございます。

コメントをお寄せくださった貴方、まことにありがとうございます。
こんな拙い記事に対して、わざわざ文章を考え、書き込むという手間をおとりくださる貴方の存在に
のろがどんなに心励まされていることか、ああ、貴方はご存知ではありますまい。

なーにチラ見するだけよ とおっしゃる貴方も、ありがとうございます。
編集画面に表れる閲覧アカウント数、即ち「今日は◯人見てくれました」の数字だけでも
のろがどんなに心励まされていることか、ああ、貴方もご存知ではありますまい。

のろやの記事をお読みになって「何バカなこと書いてんだこいつ」とお思いんなった貴方も
思うだけに留めてくだすって、ありがとうございます。

トラックバックをつけてくだすった貴方、
のろやをご信用いただき、ありがとうございます。

わけわからんトラックバックやエロトラバを送って来る貴方、
今度やったら呪うからな。

何はともあれ、皆々様、本当にありがとうございます。
当のろや、微力ながらこれからも
映画や美術やクラウス・ノミを愛する方々のお役に立てますよう、精進いたす所存でございます。
皆様におかれましては、お気の向かれた時にまたお立ち寄りいただけたなら、甚だしき幸いでございます。

サンキュー! 
ダンケ!
ありがたう!
やっほ-!
いーはー!
(ビートルズの『All You Need Is Love』風にフェイドアウト)

クリスマスの晩にですね、

2006-12-26 | Weblog
ふと辻を曲がったら
エージェント・スミスの一団がおりまして。

一斉にこちらを振り向くんですよ。
こんなふうに。




のろはもう嬉しくなっちゃって
あっはっは~と笑っておりましたら
1人のスミスがつかつかと歩み寄ってまいりまして
「じゃあ君も」 ってな感じで、例のごとく、ワタクシの肩にズガッと手を差し込みまして
じゅぶじゅぶじゅぶっ とスミス化を遂行なさって
10秒と待たぬうちに、めでたくワタクシもスミッさんの仲間入り。
そのあと皆で記念撮影をしてから
じゃあっ てんで解散



という夢を見たんですがね。

あーあ夢かぁ と
目が覚めた時、かなーりがっかりしました。



ノミ話12

2006-12-24 | KLAUS NOMI
こんにちは。
このごろ無意識にノミっぽい動きをしているらしいのろです。
これは喜ぶべきなのか。

さておき。
ささやかながら、ごく一部の皆様への クラ じゃない、クリスマス・プレゼントをお届けいたしたく。

ほいっと。

YouTube - TV PARTY N.Y.

も いっちょ。

Achewood - September 11, 2006

のろの語学力不足のせいかもしれませんが
上のYoutubeにしても下のマンガにしても、
どういう脈絡でクラウス・ノミが出て来てるんだか さっ ぱり 分かりません。

でも、なんかいいですね。
「何の脈絡もなくいきなり登場するクラウス・ノミ」って。

Youtubeの映像は、ヤツが菓子職人をして生計を立てていた頃のものでございましょうね。

Well, of coruse, NOMI, who's probably one of the finest pastry chef in N.Y.・・・
(ノミといったらもちろん、N.Y.で最高の菓子職人の1人だが・・・)

と言われている所を見ると。
いつであろうと、生え際がやばいという点には変わりがございませんけど。

それにしても
こう紹介されたときの、ヤツの嬉しそうな顔ったらございませんねぇ。
司会者のイントロから歌い始めまでの数秒の間に見せる、ヤツの笑顔のsweetなことといったら。
一時停止してとっくり堪能することをお薦めいたします。
せっかくの美しい歌の部分を、あまりにもはしょりすぎではございますが
ま、我慢いたしましょう。こんな映像、見られただけでもありがたい。

のろはもちろんヤツの宇宙人的パフォーマンスが大好きでございますが
オフステージのヤツが見せる shyly smile もまた、 でっ 好き でございます。
ファンのお書きになった文など、ネット上で読ませていただきますと
やはり時折、かのニコニコ顔についての言及に、出くわすことがございます。
そんな時はあたかも同士を得たかのような心地になり
おお そうよな そうよな と、一人大きくうなずくのでございました。

さても皆様
よきクリスマスをお過ごしくださいまし。
BGMはぜひとも、クラウス・ノミの ↓ ” Silent Night ”で。

Klaus Nomi - Silent Night / The Hype Machine

『日曜美術館30年展』2

2006-12-23 | 展覧会
12/21の続きでございます。

前回、加山又造のコメントと共にご紹介した、横山操。
本展に出品されているのは『雪富士』という作品でございます。

実を申せば
のろは、富士山の絵がというものがあまり好きではございません。
富士山というモチーフが、すでにして、無難と権威の象徴のように感じられるからです。
富士山が描かれているというだけでもう、やや斜に構えた見方をしてしまいます。
大きい作品ならばなおさらでございます。

しかし。
この、横山操の『雪富士』は、モチーフが何であるかということすら飛び越えて
「心にぐーっと来る」鬼気迫る迫力があったのでございます。それはもう心臓にグワシと。
この感覚を何とか言語化できないものかと、絵をにらんで頑張っておりますと
年配のご夫婦がおいでになり、この絵の前で二人して足を止められました。
しばらくそこにたたずんだのち、奥さまがポツリとおっしゃいました。
「装飾の絵とは全然違うな・・・たましい、そのものや」
嗚呼、これ以上のどんな言葉が必要でありましょうか。

さて、アーティストが他のアーティストについて語る姿が印象的だった、と申しましたが
作家自身が自らの創作について語る言葉もまた、たいへん興味深いものでございました。
いっぱいメモってしまいました。

絵を描くことは新しい発見をするための手段であり、対象を「みる」ことによって感じる、その感動を表現したい-----山口華楊

「絵でございます」というような絵はつまらない。人目を気にせず自由に描かれる子供の絵が一番すばらしい。他人はもちろん、自分にさえ「何だ、こんなの絵か」と思ってしまうようなものを描きたい-----岡本太郎

また、個人的に嬉しかったのは、長年会いたいと思っていた作品にまみえる機会を得たことでございます。
その作品とは即ち、八木一夫のザムザ氏の散歩でございます。
ええ、近美の『八木一夫展』には行きそびれたもので。

体のあちこちに空いた穴ぼこや、中途半端に伸びた管から
ぷー ぷー 何やら吹き出しながら、よたよたえっさえっさと歩く「ザムザ氏」は
醜悪かつユーモラスでございます。
題名はあとから与えられたものなのかもしれませんが
何の役にも立たず、いかにも頼りなく、
でもボク存在しちゃってるんですよねアララ、という悲しげなおかしみと深刻な孤立感は
カフカの作品に通じるものがございます。

今回、八木一夫の作品は3点展示されておりますが
そのどれもが何ともいわくいいがたい おかしみ を漂わせております。
こういうユーモアは、出そうと思ったって出せるものではございません。
パネルの方には、司馬遼太郎氏の「八木さんの作品は八木さんそのものだ」というような言葉が記されておりました。
八木氏の人柄を存じないのろではございますが
彼の作品を目の前にすると、この証言はおおいに説得力をもって響いたのでございました。

そんなこんなで本展は、量・質ともになかなかのボリュームを誇っております。
そして作品と がっつり 向かい合うのは、それなりに---変な言い方をお許しいただければ---、
身体と心の体力 を要するものでございます。

ああしかし、どうか皆様、一番最後の展示室に至るまでは、この 心身の体力 を保持していただきたい。
なんとなれば、最後の最後に田中一村が控えているからでございます。





私の絵が何と批評されても、私は満足なのです。それは見せるために描いたのではなく、私の良心を満足させるために描いたのですから。-----田中一村

他の作品と並んで展示室内に静かにたたずむ、二枚の田中一村。
生きていてよかったと思うのはこんな時でございます。
しかもその前には適度なクッションのベンチが。

しばしば一村の作品には「生命感あふれる」という賛辞が冠されます。
のろには彼の描いた作品が、単に「生」を表現したものとは、ちと違うと思われるのです。
一村の筆は 死 を 含 ん だ 生 命 の、今 一 度 き り の、鮮烈な輝きを
描いているように思われるのでございます。

彼が描く小鳥の身体の中には、人間よりずっと速い速度で収縮する、小さな小さな心臓が脈打っています。
彼の描く植物は、白い根毛を土中に張り巡らし、水分と養分を貪欲に吸い上げています。
彼の絵は腐葉土の匂いがします。植物や動物や微生物がその中で朽ちてゆく、土壌の匂いがします。
あらゆる生命がそこに還元され、新たな生命がそこから芽吹く、豊かで残酷な、土の匂いがします。

いずれ死にゆく私、いずれ死にゆく貴方。
つまるところ何もかも消えてゆくんでございます。
しかしワタクシ確信を持って申しますが
今一度だけの生命の時間をほんの少し割いて、田中一村にまみえることは
貴方の生命にとって、決して無駄なことではございません。


まあ
こんなわけで日曜美術館。
今年度は司会が代わってひと安心。
のろは本展により、この番組がこれからも
高いクオリティを保ちつづけてほしいものだ、という思いを
いっそう強くいたしました。

皆様、受信料、払ってあげましょうね。
払ってください、日曜美術館のために。

『日曜美術館30年展』1

2006-12-21 | 展覧会
のろの家のTVは通常プラグが抜かれた状態になっております。
おおむね一週間に一度、一時間ほどの間しかスイッチを入れないからです。
それで何を見るかのと申しますと
『日曜美術館』です。今は頭に「新」が付きますね。

と いうわけで京都府京都文化博物館 『日曜美術館30年展』 へ行ってまいりました。

こんな褒め方もナンでございますが、期待以上によろしうございました。

「30年で紹介した番組の中から、特に印象深い作家・作品を取り上げて・・・」
と言ったって、まさか『最後の晩餐』や『アルノルフィーニ夫妻の肖像』をポンと借りて来るわけにはまいりませんから
いきおい、展示されている作品は日本国内に所蔵されているものが主でございます。
主、というか、全てそうだったかもしれません。
そしてほとんどが近現代の日本人アーティストの作品でございます。
こんな具合にちと片寄りはあるものの、
「選りすぐり」といううたい文句に恥じない、名品ぞろいでございました。
素晴らしい作品に出会うと、心臓がぐっ とそちらに引き寄せられるような心地がするものですが
本展では何度もこの感覚に見舞われましたよ。

そしてここが「日曜美術館」ならでは なんでございますが
会場の所々に、ちょっとした椅子&TVスペースが設けられておりまして
展示作品が番組で紹介された際の映像を見ることができるのです。
それぞれ、要所を押さえて10分ぐらいにまとめられておりますが
さっさか先へ進みたいというイラチなお方は、作品横の解説パネルをお読みんなるだけでも、まあよろしうございましょう。
こちらにも、番組でのゲストや作家自身の言葉や、彼らにまつわるエピソードなどが紹介されており
読み飛ばすには勿体ない、なかなかに興味深いものでございます。

即ち本展では、アーティスト自身や著名な文化人たちの肉声解説つきで、
一堂に会することはめったに無いであろう名品たちを、鑑賞できるのでございます。
♪ ひとっ 粒っ でっ 二度おいし~ ♪ とはこのことでございましょう。

もちろん、作品をじっくり鑑賞し、パネルをとっくり読み、かつ映像を見るというのがベストでございますが
どうしても時間がないという方は、せめて第二章「作家が作家を語る」セクションの映像だけでも
しかとご覧になることをお薦めいたします。
アーティストが、他のアーティストの作品や人となりについて語るその言葉は
尊敬と、憧れと、若干の嫉妬の伺える彼らの語り口も含めて、たいへん印象深いものでございました。
のろはTVの前に長らく足を止め、繰り返し流れる映像に何度も見入ってしまいました。

例えば加山又造は、友でありライバルであり、53歳で急逝した横山操についてこう語っています。

「絵が、じかに突き刺さって来る。人の心に、ぐーっと来る。すごい人だと思いますよ。・・・(横山の作品を見つつ)・・・なぁんでコレが俺に描けないんだろう。・・やっぱ描けないんだよなぁ・・」

熊谷守一について、熱く、楽しそうに、かつ目一杯のリスペクトを込めて語る猪熊弦一郎の姿からは
気さくな自由人 いのくまさん の人柄までも伝わってまいります。

「(熊谷は)虫みたいな人なんですね」 (司会アナ、思わず「えっ?」と聞き返す) 「自然そのままで、虚飾が無くって」

虫って 。(笑
来年の元旦、18きっぷで会いに行きますよ、いのくまさん!(予定)丸亀市猪熊弦一郎美術館

また、36歳で夭折した明治の日本画家、菱田春草について

「こんなものは絵ではない、という激しい非難を受けつつも自分の絵を描き続けた春草の方が、何を描いても自由な現代の私達よりも緊張感があったでしょうね」

と語る東山魁夷の表情には、憧れと苦い自戒の入り交じった、複雑微妙な感情がにじんでおりました。


ちと長くなりそうですので、一旦切ります。続きは次回。


よしなしごと

2006-12-18 | Weblog
申し訳ございません。本日はひとりごとでございます。
皆様のお役に立つような情報はおそらく何もございません。
ご報告したい展覧会はあるんでございますが、文章にできておりませんのです。即ち以下の理由から。



冬場はダメでございます。
冷血動物でありますのろは、寒くなると脳を含む身体機能が
通常時より比較して、まず85%は低下いたします。

冬至前の昨今などは、常からの無気力にいっそう拍車がかかり
生産性ゼロの単なる二酸化炭素排出装置となり果てます。
ええ、そうでなくたって大してものの役には立ちゃしませんけれどもさ。

ああこんなことでどうする。
死を想え、のろよ。そして今を生きるんだ。


さておき。



先月、そこそこ長年連れ添ったマイカメラ ↑ いくしー君が
リコール症状の末に退職を余儀なくされ(市長か何かみたいです)
今月になって、新たな いくしー800IS君 がのろのもとにやって参りました。
さっそく試し撮りをパチリとな。




窓辺のメメント・モリ。

寒い季節は苦手でございますが、切り花が長持ちするのはようございますね。
されこうべはコヨーテのもの。本物でございます。

こうやって死を想わせるものを、いつも眼に触れるところに置いておいたならば
人生をもっとこう、 がりっ と ばりっ と 高密度に生きるための
気合いや焦燥感といったものが少しは生じるかしらん、と期待したのでございますが
いけません。
生来のだらだら気質はこんなことでは抜きがたいようでございます。

ええいそれでも何もせぬよりはましだ とて
年末年始は 榎忠作品集 EVERYDAY LIFEART をじっくりと読んだり
積ん読状態の スピノザ 異端の系譜 に取りかかったり
中村彝(つね)の 頭蓋骨を持てる自画像に会いに行ったり
はたまたガレージシャンソンショーおよび泥沼楽団を聴きまくったり
『ノミ・ソング』を みっちりじっくり 鑑賞したりして(ええ、すでにさんざんしておりますけどさ)
今後一年分、いやせめてこの冬を越し得るだけの気合いをチャージいたそうと思っております。
こうやって他力本願だからイカンのかなあ。

そうそう、ガレシャンといえば
ただ今書店に並んでおります音楽365日+αという本の3月29日の所に
彼らの1stアルバム ガレージシャンソンショーが紹介されておりました。
嬉しいこってございます。ガレシャン自体は活動停止中でございますが。

以上、ほんとにこれだけでございます。
すみませんです。

『パプリカ』

2006-12-14 | 映画
パプリカ - Paprika - を観てまいりました。

いやっ
これは

めちゃめちゃ面白うございました。

ストーリーはリンク先(↑タイトル)の公式サイトをご覧いただくとして。
まずもって特筆すべきは 映 像 美 でございます。
CG技術がかくも発達しております昨今、「夢のような映像」は決してアニメーションの専売特許とは申せませんが
実写CGが往々にして、中途半端に現実的な、想像力をげんなりさせるような「夢の世界」を展開してしまうのに対し
本作の映像は、観る者をめくるめく映像に引き込む、力強い美しさを放っております。

ワタクシたちが夢を見ている時のあの感覚、即ち
「何でもアリ」なのにままならない、過去・現在・清・濁・美・醜・陰・陽のごった混ぜになった
映像がスクリーン上にみごとなまでに鮮烈に構築されております。
夢の女・パプリカの変幻自在ぶりは実に爽快でございますし
全速力で走っているのにちっとも前に進まない、とか
高い所から落ちる、とか
自分の視点と他者の視点がいつの間にかすり替わっている、といった
悪夢の中でおなじみの光景が、華麗な色彩を伴って展開されるさまは
大画面で見る価値 大あり でございます。

それに加えて、映像とベストマッチの疾走感あふるる音楽には
見ていて何度も鳥肌が立ちました。いや、ほんとに。

ジェットコースター的なストーリー展開ながらもスジはしっかり通っておりまして
幾分のナゾと、幾人かのかわいそうな人は残されるものの、
登場人物たちが各々抱えるストーリーは、エンディングにおいて収まるべき所にきちんと収まります。

そんなわけで一日中ぐずついたお天気の本日においても
観賞後は5月の青空のごとき爽快感がのろの心を満たしたのでございました。


印象的なセリフがいくつかございましたが
とりわけのろの心に残ったのは、悪役某氏(とってもかわいそうな人なのですが)の放った、
「トラウマでも喰らえ!!」 という言葉でございました。
これでも喰らえ、というニュアンスでございます。
本作の大筋は、夢を共有し、使いようによっては他人の夢をコントロールし得るマシンをめぐる戦いでございまして
共有される夢の中で、いかに主導権を握るかがカギなんでございます。
このセリフも夢の中で、追われる悪役某氏が、追う善玉:粉川刑事に向かって投げつける言葉です。

トラウマでも喰らえ。

この言葉とともに、刑事のトラウマ体験を呼び起こす映像が、実際に、眼前に、展開されるのです。
おお、なんとも恐ろしいことではございませんか。
のろが追手だったなら、このセリフ聞いただけできびすを翻してスタコラ逃げ出すこってございましょう。
トラウマに悩まされ、不安神経症を患ってパプリカの治療を受けてきた粉川刑事が
この土壇場でどんな行動に出たか?
それは映画を観てのお楽しみということで。


原作を既にお読みの方は、あるいはストーリーのはしょり方やキャラクター造形に不満をお持ちかもしれませんが
のろは原作を読んでおりませんので、映画作品としておおいに楽しめました。

京都ではみなみ会館にて上映中。
ここにしては珍しい長期間上映にて、年を越してもやっております。
行って損はございません。
皆様、年末年始のエンターテイメントに、ぜひお運びくださいまし。
そしてこの愛すべきミニシアターにどうぞお金を落としてあげてくださいまし。
ここが無くなったら泣きますよのろは。いや、ほんとに。

『クリムト』

2006-12-11 | 映画
11/15の続きといえば続きでございます。

ええ、ええ、
観てまいりましたよ、シーレ。
じゃなくて『クリムト』

キンスキーJr. 出番はほんの少しなれど、好演でございましたよ。
映画の中のエゴン・シーレは
気取った神経質な身振りの、しかしどこか無邪気で子供っぽい雰囲気の青年として描かれておりました。
実際のシーレがどんな立ち居振る舞いをする人物であったのか、のろには知る由もございません。
しかしそもそも本作は、史実に基づいたいわゆる伝記映画では 全 然 ございませんで
19世紀末の画家クリムトというキャラクターに寄託した幻想小説のような趣の映画でございますから
登場人物に求められるのは実際のグスタフ・クリムトやエゴン・シーレという人物との整合性よりも
むしろいかに「クリムト っ ぽ い 」か、「シーレ っ ぽ い 」か、ということではないでしょうか。
そしてキンスキーJr.の「シーレ っ ぽ さ」は大いに及第点でございましたよ。






無遠慮な凝視と痙攣的な手つき。
全身骨格標本や病室の大きな鏡に、魅入られたように近づいていくさまなども、よろしうございました。
ちと、作りすぎな感は無いでもございませんがね。

ニコライ君、
異母姉ナスターシャ・キンスキー同様にたくさん光を集める印象的な瞳と
大づくりな顔のわりにはえらく華奢な手の持ち主でございます。
こういう表情豊かな身体パーツをフルに生かして、ホアキン・フェニックスに続く「ひとくせある若手」として
今後大いに活躍していただきたいものです。
がんばれ。


えっ
映画はどうだったのかって。
まあ
のろは シーレあるいはキンスキーJr. という目的がございましたから
97分間がんばって座っておりましたけれども。

けれ ども。


以上。




で、終わろうかとも思いましたが
ちと語らせていただきますと。

まあ その
のろには合わなかった、ということなんでございましょう。

内田百鬼園好きでテリー・ギリアム好きでシュヴァンクマイエル好きであるのろにとっては
「現実と夢の交錯/虚と実の交錯」という、映画のテーマそれ自体は(おそらくそれがテーマだったと思うのですが)
決して馴染みの浅いものではございません。むしろ愛好するものでございます。
しかし本作はその交錯の度合いが激しすぎたのか、はたまた監督の手法にのろが馴染めなかったからか
ついて行くことができませんでした。
上映開始からほどなくして、のろはすっかり監督から置いてけぼりをくったような心地になっておりました。

いやに細かいカット割りやぐるぐる回るカメラワークなど
視覚的にもつらいものがございました。
こうした見せ方をはじめ、演出における凝り方が
のろには残念ながら、ことごとく姑息で収まりの悪いものに感じられました。
衣装や調度はいたって豪奢で、画面の色彩も美しく、かつ
マルコビッチという、ヒーロー意外は何やってもはまり役な名優を迎えているにもかかわらず
映画全体としては奇妙に安っぽい印象を醸し出してしまっているのは
こうした収まりの悪い演出が故ではないかしらん と思います次第。

まあ
監督の意図を汲み取る感性がのろに無かったというだけのことやもしれません。
貴方にはひょっとしたら、お気に入りの一品になるやもしれません。
とは申せ
やっぱり1800円払うことはお薦めいたしかねます、ワタクシとしては。




12月8日

2006-12-08 | 忌日
真珠湾とジョン・レノン。
ジョン・レノンと真珠湾。

All we are saying is give peace a chance
All we are saying is give peace a chance


理想を語る人に対して
悲観したり皮肉を言ったり無関心でいるのは
ひじょうに簡単でございますね。
彼が失敗した時には「ほらな、やっぱりな」と言えるし。

現状がひどいものであるにせよ
そこから抜け出そうともがいたりしなければ
少なくとも、それ以上落ち込んだり傷ついたりしなくて済むし。

今日のような日は
やっぱり人間、人からも歴史からもなんにも学ぶことなんてありゃしないのかな、と
結局何も変わりゃしないのかな、と
暗澹たる気分になりますよ。

だけどやっぱり理想は語られねばならないと思うのですよ。
どんなちいさな声だって上げないよりゃましなんです。



Imagine all the people living life in peace

想像してごらん、全ての人が平和に暮らしているさまを。

Imagine all the people sharing all the world

想像してごらん、すべての人が世界を分かち合っていると。







ワルモノばなし

2006-12-05 | 映画
ロバート・カーライルが、わりと好きでございまして。
のろの部屋にはギュスターヴ・モローや植田正治やジョン&ヨーコと並んで
ベグビーのポストカードが、もう長いこと貼られております。
ベグビーってのはもちろん、トレインスポッティングでカーライルが演じた
アル中&ケンカ中毒の狂犬的あんちゃんでございます。あのキレっぷりは一生忘れられません。




一見ピースサイン ↑ のようですが、とんでもございません。
こうして手の甲を向けた場合は「中指1本立て」と同じ意味合いでございます。
実にうれしそうな顔ですね。

しかし何と申しましても、この人のはまり役はダメおやじでございます。
情けないおっちゃんを演じさせたなら、彼の右に出る者はおりますまい。
あの全身から発せられる素敵なダメダメオーラに太刀打ちできるのは、そう、
ケヴィン・スペイシーくらいのものでございましょう。
ここにウィリアム・H・メイシーでも加えればたちまちダメおやじ御三家成立でございます。
あくまで役柄のお話でございますよ、役柄の。

風貌もね、たいへんよろしうございます。
とんがった鼻、とんがった耳、悲しげな眼に細い首。
そしてスキンヘッドがよく似合うんでございます。
はい、気になった貴方は今すぐ画像検索を。 → robert carlyle - Google イメージ検索

と いうわけで、ボーズ頭しかも悪役、のロバート・カーライル見たさに
先日は、めったにつけぬTVの前に腰を落ち着け
007 ワールド・イズ・ノット・イナフに見入ったというわけでございます。



れなーど、本物は ↓ こちら。
jamesbond.com / mmpr / renard

そもそも悪役大好きののろ、スキンヘッドのカーライルがどんな冷酷非道な活躍をしてくださるのかと
それはもう わくわく していたのでございますが

ふうむ。 どうも  いけません。
カーライルが悪いのではなく、お話がなってないんでございます。
せっかく「脳内に残る弾丸ゆえに痛覚を完全に失ったテロリスト、
弾丸のせいでいずれは死ぬ運命だがそれまではいわば不死身、
冷酷なやつだけど恋人には一途」という
悪役としてはこの上なく魅力的なキャラクター設定だというのに
それを生かすエピソードがほとんど無いんでございます。

なにしろ痛覚が無いんでございますから

指の2、3本ふっとばされても平気でいる、とか

相手をむちゃくちゃにぶん殴って自分の手の骨まで折れているのに
それに全然気付かず殴り続ける、とか

崖から突き落とされて全身血まみれ傷だらけ、片手ぷらぷら鼻血だらだら状態になりながらも
楽しそうにハミングしつつボンド&ボンドねーちゃんを追っかける、とか

そういう不死身っぷりを期待するではございませんか。
ところがこういうのが ほっ とーんど 無いのですよ。
類するものが ほ ーんの少しございましたけれどね、全くのパンチ不足でございます。

散りぎわだっておおいに不満でございます。
そう、悪役たるもの、何たって散りぎわが肝心でございます。
かくも魅力的なキャラクター設定ならば
彼にふさわしいステキな死にざまが、いくらでもあっただろうに。

たとえば

機関銃の一斉照射を受けて、みるみる穴だらけになっていく自分の体を
おやおや という表情でうち眺めながら息絶える、とか

ボンドの破壊工作で劇薬がざあざあ流れる中を走り回り
自分の足が溶けているのに気付いたころにはもう手遅れ、
間一髪で小型ヘリに飛び乗ったボンドを冷たい眼差しで見上げながら
劇薬の海に沈んでいく、とか。
ああ、いいなあ。

それだのに、実際に彼に与えられたのはぜんぜん面白みもなければインパクトも無い最後でございました。

だいたいねえ、(酔っぱらいの説教モードON)
劇中であんだけ「俺は一度死んだ人間だ」と言ってたら
当然、いよいよの断末魔には「・・・これで、本当に死ねるな」のひと言を期待するじゃあございませんか。
それなのに「これで」の「こ」の字も発することなく
自嘲的なそして悲しげな微笑みを、頬に浮かべることさえもなく
(こういう表情こそカーーーーーライルのお得意なのに!!)
あっさりぱったり無言でお陀仏させてしまうとは
監督は全世界の悪役loverにケンカ売ってるんでございましょうか。

それにね、この「脳みそに弾丸無痛男(じき死ぬ)」というキャラクター設定と
カーライルの小柄で骨細で、普通にしていてもどこかしら悲しげな風貌からして
「美人悪女とつるんで大事件をしかける悪玉」という役回りはしっくりいたしません。
「美人悪女とつるんで大事件をしかける悪玉に、こき使われる無口で凄腕の実行犯、実はボスの女に惚れている
というポジションこそぴったりでございます。

この場合、悪玉にはジョン・トラボルタを配したいところでございます。
アンディ・ガルシアでもまあ良しとしましょう。
のろ的には、チャールズ・ダンスならなおよろしい。

悪女は
スカーレット・ヨハンソン  は、こういう映画には出ないだろうし
レナ・オリンはちょっと恐すぎるので
モニカ・ベルッチで良しとしましょう。

ボンドと無痛男カーライルが渡り合っている裏側でトラボルタ親分が謀略を進め
さらにその裏側で悪女ベルッチがひそかに親分暗殺計画を練り
彼女に惚れているカーライルを使って、首尾よくトラボルタ親分を始末するも
結局ボンドに追いつめられて自殺
それを知らされたカーライル、ここは「ワールド イズ ノット イナフ」同様に
「うそだああああぁ!!」と叫びながら自暴自棄に暴れ回り
始めは「とある大きな経済都市の完全破壊」を目的としていた破壊計画を
「世界を道連れに俺も死ぬ」計画に変更、なりふりかまわず核爆発を起こそうと試みるけれども
もちろんボンドにスマートかつ鮮やかに阻止され
ボロボロになった自分の体をつくづくと見やりながら自嘲的な微笑みを浮かべて死んでいく

と。

うーむ 見たい。

監督はぜひともジョン・ウーで。

ああ、こんなに長くなってしまいました。
ワルモノばなしは楽しうございますねえ。

石川の浜の真砂は尽きるとも  ワルモノばなしの種は尽きまじ

本日はこれにて。

川上弘美

2006-12-03 | 
人様からお薦めいただきましたので
川上弘美を読みました。



いやあ面白うございました。
のろの大好きな内田百鬼園先生に似た香りがぷんぷんいたすぞ、と思ったら
川上氏御本人が百鬼園先生のファンでいらっしゃるようで。
(残念ながら ↑ 門構えに月の「けん」の字がPCで表示されないので、”ひゃっきえん”表記とさせていただきます)

真面目なようなすっとぼけたような、とつとつとした語り口。
とりわけ擬音語・擬態語づかいがよろしうございますねえ。

鳩というものはこれであんがい可愛いものだった。ででー、ぽぽー、と柔らかく鳴く。体に比べて小さな足でぽつぽつ歩く。窓を開ければ驚きはばたく。
そんな様子のころはよかったのだ。それが次第に態度を変えていった。最初遠慮がちだった声が高くなった。ででー、ぽぽー、だったのが、ででぽぽででぽぽででぽぽででぽぽででぽぽと、ひっきりなしになった。ぽつぽつ歩いていたのが、でしでし歩くようになった。でしでしと手すりや植木や物干しの上をわがもの顔に歩く。窓に近づいただけではばたき去ったのが、窓を開けても拍手しても叱っても動かなくなった。しまいには、布をはためかせても棒でつついても、去らなくなった。去らずに、いっぱい糞したり羽根を広げて仲間どうしでふざけあったり朝四時ごろからやってきてででぽぽを永久みたいに繰り返すようになった。

『あるようなないような』収録「鳩である」 中公文庫 p228

例えるならば
一見おおざっぱなようで実は繊細な絵付けの施された焼き物(湯飲み茶碗、普段使い)
といった雰囲気でございます。
手に取ってじっと眺めていると中で金魚がひろひろ泳いでいるのが見えたり
ざざー と潮の音がしたり、近所の大仏さんがぬっと出て来て
「そういうわけである」とひとこと言ってひっこんだりする
そういう湯飲み茶碗でございます。
のろは現代作家さんの本をあまり読む方ではございませんので、お薦めがなかったら一生手に取らなかったかもしれません。
お薦めくださったかたに感謝でございます。

WORLD AIDS DAY

2006-12-01 | KLAUS NOMI
                      本日は
                    
                 世界エイズデーでございます。     
      

        

 
                       HIV感染症

                      エイズの歴史      

   若者フォーラム:~エイズに関して偏見をもっていない、エイズとともに生きる人々を差別しない~


     エイズで亡くなった著名人たち ↓ なぜかノミ以外はみんなドイツ語表記というナゾのサイト。

             Cyber-Surfer e.V. Hamburg | Engagement fr karitative und AIDS-Projekte

       ヌレエフもアンソニー・パーキンスもエイズで亡くなったのですね。存じませんでした。




                     ↓ 募金できます。 ↓
 
                特定非営利法人HIVと人権・情報センター