のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

バンクシー?

2016-03-08 | 美術
4人の科学者が地理的プロファイリングという犯罪捜査に用いられる手法を使って、匿名アーティストバンクシーが誰であるかを同定した(かもしれない)のですと。

Banksy Identified by Scientists. Maybe. - The New York Times

なんてつまらないことをしやがるんだばっかやろう!!
こんなことをする輩はみんなイリエワニに喰われてしまえ!!!


と最近ワニの抱き枕が欲しいのろさんは思うわけですよ。
ほんとに、何であえてバンクシーを狙いますかね。くそったれ。

20年その2

2015-03-29 | 美術
こちらで初めて訪れた展覧会は大丸ミュージアム京都で開催されていた『ブライアン・ワイルドスミス展』でしたが、これは確かワタクシの入学&一人暮らし準備のためこちらに来ていた母親と一緒に行ったもので、一人暮らしを始めてから行った最初の展覧会が何であったかは思い出せません。京都の大丸ミュージアムは、この頃はサッパリなりをひそめてしまいました。かつては質の高い展覧会を年に何度も催してくれたものですが。ミュージアムと言えば、郷里の函館にはこぢんまりとした市立美術館がひとつあるぐらいなものでしたから、京都では市内に美術館が幾つもあることにも、大規模な展覧会がデパートの一角で開催されることにも、いちいち驚いたのでした。

この20年で京阪神の美術館事情も大分変わりました。京都ではミュージアム「えき」京都細見美術館が開館し、まだ行ったことはありませんが、京都国際マンガミュージアム もできました。苔寺にほど近い池大雅美術館へは、自転車で2度行ってみたものの、開館している雰囲気が全くございませんで、ワタクシもたいがい小心者なので中へ声をかけることもできず、2度ともすごすご帰って参りました。そうこうしているうちに美術館は一昨年閉館してしまいまして、コレクションは京都文化博物館へ寄贈されたとのことです。

その文博も、また京都国立博物館も、近年大きな改修を経て色々と変わったわけですが、この3年ほど、年初の3ヶ月は改修工事の為に閉館してしまう京都国立近代美術館は、外観も内装も特に変わっていない様子。何でも空調設備関連、つまり見えない所の工事なのだそうで。「改修工事のため閉館」のニュースを聞いたときは、てっきりあの妙な位置にあるエレベーターを正面階段の横あたりに持って来るんだろうと思ったのですが。3階の会場へどうぞ、と案内されて、エレベーターから出たらいきなり最終展示室、ってどうしたって導線がおかしい。
お向かいの京都市美術館も大きな変化はありませんが、あの寒々としていたトイレが上下階とも改善されたのはたいへん嬉しいことです。それにしても1933年築、つまり今年で82歳になる市美は年月を経ても全然変わらないように見えますのに、1986年築で今年29歳の近美の方は、この20年でずいぶん老け込んだような印象があります。不思議なものです。

大阪では、国立国際美術館が吹田の万博記念公園から中之島に移転したのが、何といっても大ごとでございました。展示室が全て地下になると聞いたときは気に入りませんでしたが、この美術館が街中に引越して来てから、行く機会がグンと増えました。何せ万博記念公園は行くのが大変でした。
というわけで万博記念公園時代の国立国際美術館には、決して足しげく通ったとは言いがたいのですが、行った展覧会の中で一番印象に残っているのは20世紀版画の巨匠 浜口陽三展です。点数、内容ともに素晴らしく充実していて、今思い出しても幸福になるような展覧会だったのです。にもかかわらず、平日だったとはいえお客さんがごくまばらであったのは、やはり場所がよろしくなかったのでしょう。リンク先の「入場者総数」を見ますと、中之島に移転した2004年とそれ以前とでは入場者数が文字通り桁違いですもの。

それからもうひとつ、大阪美術館事情における大事件と言えば、サントリーミュージアム天保山の閉館でございましょう。これについては以前の記事で書きました。

さよならサントリーミュージアム - のろや

ここも京都から行くとなるとちょっと大変ではあったのですが、海に面したロケーションはとても気持のいいものでしたし、わざわざ足を運ぶだけの価値のある展覧会を開催してくれたものです。現在は大阪文化館・天保山という看板に架け替えて、影絵の藤城清二や人気漫画といった、お客入りのよさそうな企画をやってらっしゃる模様。5月10日までの『魔女の秘密展』にはワタクシもぜひ行きたいと思っております。企画展のラインナップを見て、何だか俗っぽいというか媚びた感じになったなあと、うっすら残念に感じた頃もありましたけれども、またあの建物を訪れることができるのは、何にしても嬉しいことです。

閉まったのがある一方で新しくできたのもあり、去年あべのハルカス美術館が開館しました。地下鉄の駅からすぐというロケーションは、まあ行きやすいと言えば行きやすい。建物まで着いてから美術館のある16階に上がるまでの道のり(というかエレベーターの場所)が判りにくくて難儀しましたが、入ってしまえば普通のビル内美術館ではあります。開館以来コンスタントに展覧会を開催してらっしゃいますし、テーマも幅広く、なかなかに意欲的な美術館なのではないかと。
ただワタクシは大阪の街中の喧噪と地下鉄の空気がどうにも苦手なものですから、おそらくこの新しい美術館はワタクシの中で大阪市立美術館と同様の位置づけ、即ち、よっぽどよっぽど見たいものが出ている時のみ足を向ける場所になるような気がしております。

街中の美術館といえばキリンプラザ大阪およびそのギャラリーの閉館も、おそらくは大きな出来事だったのでしょう。『日曜美術館』で取上げられたくらいですから。ワタクシはたった1度、『その男・榎忠』展に行ったきりですので、ここについて語れるような思い出はございません。TVのない今ではもちろん『日曜美術館』を見ることもなくなりました(何でいまだに受信料払ってるんだろう)。ちなみに桜井洋子アナ&大岡玲時代と石澤典夫アナ&緒川たまき時代が好きでした。というかずっと石澤さんでよかったのですが。

さて2002年に開館した芸術の館 兵庫県立美術館は導線が悪いともっぱらの評判ですが、ワタクシの好きな美術館のひとつです。何といってもあの、企画展示室前の階段がよろしい。まずチケット売り場斜め前の、外光の明るく差し込む階段をたんたん上り、角を曲って一転、四方を壁に囲まれた吹き抜け階段をまたたんたんと上っていくにつれ、ワクワクと期待が高まります。「たどり着くまでのワクワク感」ってのは大事なもんです。それだけに、ホドラー展を観に行った折、かつては船のデッキのような板張りで、歩くだけでも楽しかった美術館前の歩道橋が、のっぺりしたコンクリート張りになっていたのにはガッカリしました。かなりガッカリしました。木材の腐食が進んで、張り替えるだけの予算がなかったということなのでしょうけれども。


そんなこんなで20年も経ってしまいました。そんなこんなったってこんなに長生きをするつもりではなかったのですが、何せ怠惰な上に意気地がないので何となく生き延びてきてしまったわけです。何という罰当たりであろうとは自分でも思うのですけれども、何故か今日まで罰に当たりもせずのうのうと暮しております。

そんな次第です。



浮世絵マリオ

2014-08-01 | 美術
月岡芳年ファンとみた。

これはスゴい! 名作ゲームのキャラが浮世絵になった!(画像26枚) - ViRATES [バイレーツ]

うーむ、素晴らしい。
ゲームだけではなくアメコミや日本の漫画も取り上げてらっしゃいます。
どっちみちワタクシには元ネタが分からないものも多いんですけれども。
まあ、ドラゴンボールやバットマンは分かります。
人斬りジョーカーさんがとっても素敵です。
こうなると他の悪役も描いていただきたいですね。
文楽人形のスカーフェイスとか、背中に牡丹の刺青のある花魁アイビーとか、殺しても殺しても蘇るソロモン小平治グランディとか。
それから『源氏物語』にのめり込みすぎて少女誘拐を繰り返すマッド菅笠屋...なんて、冗談でも言えなくなってしまったなあ。

ヴィヴィアン・ホー

2014-04-07 | 美術
第38回香港国際映画祭のポスターのイラストがたいへん素敵でございまして、これを描いたのはいったい何者かしらんと思ったわけです。

調べてみましたら、ヴィヴィアン・ホーという若いアーティストに行き当たりました。

vivian ho

ポスターの画風からしてコミック畑の人かと思いきや、そうではございませんで。スーパーリアルな油彩画や一見抽象画のようにも見えるモノクロ作品、卑近なモチーフを組み合わせて幻想的な画面を作り上げた作品などなど、高い技術と多彩な表現様式をお持ちのかたのようです。色彩感覚も素晴らしい。
90年代生まれということですから、現在は20代前半でしょうか。こらからどう発展して行かれるか、たいへん楽しみなアーティストでございます。いずれの表現形式もそれぞれに魅力がありますので、できれば一つの方向に固定することなく、あちらこちらに手を伸ばしつつ進んで行っていただきたいものでございます。

ネットで見つけたもの

2012-09-07 | 美術
今日も今日とて新鮮なネタがご用意できない当のろや、寿司屋さんだったらとっくの昔に廃業している所でございます。それにしても海洋汚染がえらいことになっているという予測もある中、本業の寿司屋さんや魚屋さんはこの先やっていけるんでしょうか。

明日うらしま: 100:人類的犯罪フクシマ事故の太平洋放射能汚染長期シュミレーション/ドイツ・キール海洋研究所

さておき。

本日はネット上で偶然に見つけたアーティストをご紹介しようかと。

まずはMehmet Ali Uysal というトルコのアーティスト。
こんな作品をお作りんなります。

緑の大地と洗濯ばさみ。何とも爽快でございますね。

ランドスケープ・アートが専門というわけではなく、彫刻やインスタレーションを中心に制作なさっているようです。
こちら
こちらで主な作品を見ることができます。

ミニマルな造形と、鑑賞者をハッと、あるいはドキッとさせる発想、そしてそこはかとないユーモア。
こういうものに出会いますと、頭の中を爽やかな風が通るような心地がいたします。
ぜひとも金沢21世紀美術館あたりに、洗濯ばさみを引っさげて、来ていただきたいものです。

続いては
「非」とのみ名乗っておいでのかたです。本名は不明。日本在住であること、作画(あるいは、手描き原画からの加工)がPCによるものということ以外は何もわかりません。

非: Archive

何でしょうねこの、雨の日の屋内のような鈍い階調と、縁日で売られているチープなおもちゃのような色彩ときらきらしさが同居する不思議な色彩感覚。
昨今はことさら病的な表現を売りにしているようなアーティストもおり、このかたも眼帯の少年や溶けかかったような頭部など、モチーフの点ではいささか病的な傾向がありはしますけれども、「さあビョーキでござい」といったあざとさは感じられません。むしろドイツの写真家ロレッタ・ルクスの作品のように、意識的に美化された対象を微妙に歪んだパースや不自然なほどの「きれいさ」で表現することによって、素朴なほどのあこがれやノスタルジアを感じさせる作品群でございまして、その表現力と独自性は大いにワタクシの心を捉えたのでございました。

それから
英国のコミック作家であるFrazer Irvingという御人。

Frazer Irving/I - J/ Comic Art Community GALLERY OF COMIC ART
Frazer Irving
I ART FRAZER IRVING

輪郭線、色使い、陰影のバランス、質感表現、構図のメリハリ、黒の使い方、ディテールの繊細さ、時に魚眼レンズ風に強調されたパース等々、どこを取ってものろごのみでございます。1970年生まれでコミック作家としてのキャリアは10年そこそこでございますが、その人気と芸術性が認められたということでございましょう、今年はじめには画集が出版されました。表紙を飾るのは自画像...



...というか
ほぼジョーカー。
ジョーカー好きなのかしらん。さもありなん。アーヴィングさん、それはそれは素晴らしいジョーカーさんをお描きんなりますもの。
つまり、こんなふうに。

Image of Joker - Comic Vine
Image of Joker - Comic Vine
Image of Joker - Comic Vine
Frazer Irving draws a sick Joker.

Batman and Robin must Die!より

ミイラ化した死体と楽しげにダンスするジョーカーさん、ぶん殴られて血みどろ姿でにっかりと笑いながら「俺はちっとも狂っちゃいない。違ったふうにまともなだけさ」とのたまうジョーカーさん、なんてセクシーなんでしょう。いえ、同意していただかなくても結構です。ワタクシがカワイイとかカッコイイと思うものにはたいていの場合、賛同者がおりません。

それにしても意外なことには、ネット上のレヴューで見るかぎり、この”Batman and Robin must Die!”の絵についてアメコミファンの間では評価が分かれているようなのでございます。「暗いストーリーによく合っている」と肯定的に見る読者もいる一方、劇画的な臨場感以上に絵としての芸術性を優先した、どちらかというと静的なアーヴィング氏のアートワークを、物足りないと感じる方も少なからずいらっしゃるようです。
ワタクシは諸手どころか諸足も上げて絶賛したい所なのですが。だって、バナナの皮で滑ってこけるというシーンにしてこの美しさですよ。

まあそんなわけで
血みどろジョーカーさん欲しさに、とうとうアメコミに手を出してしまいました。
くわばらくわばら。
深みにはまりませんように。深みにはまりませんように。

さよならサントリーミュージアム

2010-12-26 | 美術
常々思いますのは、世界がどんなに美しいかということが本当にわかるのは、もういよいよ死ぬというその間際、ワタクシがこの世界に存在する最後の最後の一瞬間なのであろうということ。賢明な皆様におかれてはそんなことはないかもしれませんが、ワタクシはきっとそうですよ。そのときに何かを考えるだけの暇があればの話でございますけれど。


それはさておき
ワタクシを含めた関西の住人に、16年間に渡って良質なアートに触れる機会を提供してくれたサントリーミュージアム天保山が、本日をもって休館(事実上、閉館)いたしました。

最後の企画展は『ポスター天国』。エントランスには今までこの美術館で開催された展覧会のチラシがずらりと並んで、来場者を迎えてくれます。それをひとつひとつ見ながら、ああこれも行かなかった、これにも行かなかった、興味のないテーマだったけれども行っておくんだった、と悔やむことしきりでございました。



ただ作品を並べるだけではなく、いつも展示内容に合わせて素敵な展示空間を演出してくれたサントリーミュージアムのこと、たとえワタクシには興味のないテーマであっても、足を運んでいれば何かしら得られるものがあったはずでございます。そのテーマや作家の持つ新たな魅力を発見することもできたであろうに。そのことに今になって気付くとは。

ロビーやミュージアムショップの壁面にも、制作された時代も場所も多種多様な、色とりどりのポスターが所狭しと展示されておりました。少しでも多くの作品を見てほしいという美術館側の熱意が伝わって来るではございませんか。



建物やコレクションは大阪市に寄託されるとのこと。今後どのように活用されるのかたいへん気になる所でございます。水族館の隣ということで、ファミリー向け(=お子様向け)遊興施設になってしまうのではないかと、うっすら不安を抱いております。そうなったら、のろはもう二度とここには来ないんだろうなあ。



いっそもうずっと「設立準備中」になっている大阪市立近代美術館というやつを、ここに持って来るわけにはいかないんでございましょうか。せっかく展示空間としての空調やら何やらの設備が整っておりますのに、3D映画やファミリー向けアトラクションだけに使われるのはあまりにも惜しい。



ともあれ、サントリーミュージアム天保山さん、今まで本当にありがとう。
また美術館としてのあなたにお目にかかれることを、のろは切に願っておりますよ。

『くるみ割り人形』

2009-11-22 | 美術
先週11/15、国立サンクトペテルブルク・アカデミー・バレエの『くるみ割り人形』を観てまいりました。

生でバレエを観るのは初めてでございます。会場が広くないということもあってか生演奏ではございませんでしたが、そのぶん間近で舞台に接することができました。マーシャ(クララ)の可憐なことといったら、伸ばした指先からはらりはらりと花びらが舞い落ちるかのようでございました。ねずみの王さまを演じていたのはシャープな顔立ちの美女でございまして、憎々しげな表情もサマになっておりました。しっぽを鞭のように鳴らしたり、家来のねずみどもに担がれてさも得意げに舞台を横切って行くコミカルな演出も楽しい。



しかしまあ
何と申しましても
ドロッセルマイヤーおじさんでございます。
そのかっこいいことといったら。(のろ基準)



黒地に金刺繍の衣装に身を包み、くるみ割り人形を従者のように引き連れて、のっけから「何かやらかしますよワタクシは」という怪しげなオーラをみなぎらせてのご登場。ちゃちゃっと人差し指を振り立てるポーズをはじめ、パントマイムのような身のこなしはちと香具師的でございます。彫りの深い顔から下弦の月の如く突き出した鋭い鷲鼻、怪しげな身振りにひょろっとした体躯。こうした風貌にアクロバティックな踊りが相まって、魔術師の老人というよりもトランプのジョーカーじみた雰囲気でございます。
いかに(のろ的に)かっこよくてももちろん脇役なのでございますが、第一幕では主役そこのけのご活躍で、舞台狭しと躍りまくっておりました。



いやあ
のされました。参りました。王子様なんて全然目じゃないっすよ。(のろ基準)
ジョーカーじみた人が好きなのかって。そうですよ。
それはさておきドロッセルマイヤーさん、カーテンコールでも大いに客席を沸かせてくれました。

初めのカーテンコールのあとに...


この他にも、主役の二人を指差しながら感極まったとばかりに涙をぬぐったり、芸術監督のペトゥホフ氏が出ていらした時にはキャー信じられない!というゼスチャーをしてみせたり、その合間には客席に手を振ったりと、大いにサービス精神を発揮してくれました。
調べてみると,演じていたのはウラジミール・ドロヒンというかたで『白鳥の湖』では道化師を、『ロミオとジュリエット』ではマキューシオを演じていらっしゃるようです。狂言回し的な役がお得意なのかしらん。
↑リンク先の記事で"a new star"と呼ばれている所を見ると、これからの活躍が期待されるダンサーなのでございましょう。バレエ門外漢ののろは別に追っかけをするつもりはございませんけれども、極東の地から心密かに応援しておこうと思いました次第。

奈良観光

2009-11-12 | 美術
死ぬはずではなかった人たちが死んで行き、彼らの席にわたくしが居座って不当に生きているような気がいつもしております。

さておき

興福寺国宝特別公開2009 -お堂でみる阿修羅- に出かけて行ったのでございますよ。

お昼前に近鉄奈良駅の改札を出て、かの醜悪な「せんとくん」の看板を横目に奈良公園への坂道をてくてく上がってまいります。5分ほどで興福寺についてみたらば既に2時間待ちの行列が出来上がっておりました。待つのはやぶさかではございませんが、この様子では場内が「止まらずにお進みくださーい」状態であることは想像に難くはございません。わがまま者ののろはそんなコンディションで阿修羅像を拝むのは嫌でございましたので、特別拝観はあきらめて、かといってそのまま帰るのも癪なので、そこらをぶらつくことにいたしました。

構えも色どりも華やかな南円堂を見上げて


春日神社方向へぶらぶら上って行き、国立博物館前で正倉院展のために並んでいる行列を冷やかし、溝を飛び越そうとして滑ってこけ、道行く人に大丈夫かと気遣われ、ものすごく痛かったけれどもつとめて何でもない顔をして春日の森方面へと歩いてまいります。



1:しか。
ああ、帽子をかぶってぶらぶら歩いてデジカメで鹿の写真なんか撮って、まるっきり観光客みたいだ。まあ実際観光客なんですけれども。
2:春日の森を新薬師寺方面へと抜ける小径。なかなか鬱蒼としております。
3:三船敏郎が刀ぶん回しながら走り出て来そうな。
森を出ると静かな住宅地。奈良公園では夕方のムクドリのごとくわんさと群れていた修学旅行生も、ここまで来ると自由行動のグループをちらほら見かけるだけでございます。
4:民家の塀でツタが色づいておりました。傾いているのは水平をとるのを怠ったからではなく、坂道だからでございます。

新薬師寺はお堂のこぢんまりとした清楚な雰囲気や十二神将像の峻厳たるたたずまい、そして周辺のひなびた町並みと、歴史が醸成する魅力に恵まれた場所でございます。
しかしながらこのお寺には、そうした風情にそぐわぬ不粋な所がございます。
随分、ございます。
以下、独善を承知でぼやかせていただきます。
新薬師寺ファンの皆様、どうぞご寛恕のほどを。

まず「重要文化財 新薬師寺 ここ」というトタンの看板や婆娑羅大将の写真をフィーチャーした門前の立て看板。風情を損なってもとにかく観光客に入ってもらおうというなり振りかまわぬ感じが漂っていて、品がいいとは申せません。山門にはなぜか金銀一対の大きな蛙の置物が鎮座しておりまして、撫でられて頭部のメッキがすり減っている所を見るといささかの信心を集めてはいるようですが、古寺の趣を削ぐこと甚だしい。境内に雑誌『フォーカス』や新聞記事のコピーを貼り出しているのはいかにも俗っぽく、美しくございません。賛否両論のステンドグラスについてはワタクシは「賛」の方なのでございますが、「東方瑠璃光をお浴びください」などという書き付けは全くもって蛇足、余計なお世話でございます。それに暗い堂内にステンドグラスを通した光がさすという趣向でございますのに、その両脇に明々と火の灯った燭台を置いてしまっては効果半減ではございませんか。そして何より、相変わらず堂内でビデオを流しっぱなしになさっているのにはがっかりでございます。耳を閉じるわけにもまいりませんから、はなさんのナレーションが嫌でも、エンドレスで、聞こえてまいります。上映するなとは(1000歩譲って)申しません。しかしわざわざ十二神将像のうち最も緊張感みなぎり最も迫力に満ちた、間違いなく日本の仏像中屈指の傑作である伐折羅(バサラ)大将のすぐ側でやらんでもいいではございませんか。できることなら本堂以外の場所でやっていただけないものか。お茶やら湯豆腐やら頂ける所があるんでしょう。そちらでゆっくりお茶でも何でも飲みながら鑑賞していただいたら如何。

とまあ散々な感想を申しておきながら新薬師寺に足が向いたのは何故かと申しますと、やはりかの十二神将像が掛け値なしに素晴らしいからでございます。
小さな画像ですが新薬師寺のホームページで一体一体の姿が見られます。

初めてこちらの十二神将像にお目にかかった時には、伐折羅大将の総身に雷の満つるがごとき迫力にひたすら圧倒されたものでございます。今回訪れた際は、静のたたずまいを見せる摩虎羅(マコラ)大将像も心に残りました。伐折羅や迷企羅(メキラ)が火を噴かんばかりの形相をしているのに対し、摩虎羅は唇を引き結び、休めのポーズにも見える、力みを感じさせない立ち姿をしております。しかしきっと正面を見据える透徹の眼差し、四指をきっちり揃え緊張をはらんだ左手、そして胴体から少し離れて緩く湾曲する右腕は全体としてしんとした威厳を発しておりまして、神将の名にふさわしい造形でございます。他の神将像とは違ってすね当ての上からストンと垂れている下履きも、落ちついた印象をかもし出していて特徴的でございますね。

新薬師寺の十二神将像はよく「躍動感溢れる...」と形容されているようでございますが、のろはこの神将像にそれほど躍動感があるとは見えないのでございます。これを「躍動」と称したらラオコーン興福寺の金剛力士像が額に青筋立てて怒るこってしょう。
むしろ躍動を押さえに押さえた緊張感こそが、この神将たちの素晴らしさなのではございませんか。「躍動」として発散される寸前の激しい緊張をその全身にみなぎらせているからこそ、伐折羅大将のあの厳しさ、あの迫力があるのではないかと、のろは思います次第。

まあそんなことで
ばさらさんやまこらさんにいたく感動して、てくてくと帰路を辿って16:00過ぎに再び興福寺に戻ってまいりますと、依然としてチケット売り場前には「入館80分待ち」の看板が出ておりました。
ううむ興福寺さん、拝観は17:00まででしたよね。
というわけで、今回は阿修羅像とお会いすることは断念いたしました。なんでも、阿修羅さんが普段いらっしゃる国宝館は来年春に館内リニューアルを予定しているということでございます。おうちリフォームでございますね。国宝館は建物も展示方法も中途半端に無機質で、展示品の素晴らしさに釣り合わない投げやりな雰囲気がございましたので、改装は大歓迎でございます。

ヘロデちがい

2007-05-10 | 美術
おお
ヘロデ王の墓ですって。

asahicom:ヘロデ王の墓見つかる ヘブライ大学発表 - 国際


恥ずかしながら
ワタクシは嬰児虐殺 ↓ のヘロデ王と



「サロメ」 ↓ のヘロデ王は




同一人物だと思っておりました。
今日調べてみて初めて別人と知りました。いやはや汗顔でございます。

今回墓が特定されたのは嬰児虐殺を命じた(と、されている)ヘロデ大王で
サロメに乞われて洗礼者ヨハネを殺害した(と、されている)のは、その息子のヘロデ・アンティパスなのだそうで。

ヘロデ(父)は権力者にわりとありがちな建築マニアでいらっしたそうですが
世界の美術史上により大きく貢献したのはヘロデ(息子)の方でございましょう。

なんとなれば
旧約聖書に物語られたヨハネ殺害のエピソードに着想を得て
モローさんはかの『出現』 ↓ を描き




拡大画像はこちらに。

この作品に触発されてオスカー・ワイルドは戯曲『サロメ』を書き
それに当時まだ無名のビアズリーが
挿絵を描き
以降さまざまな分野においてこのモチーフが料理されることになるからでございます。

躍るサロメ、首を持つサロメの姿は古くから描かれておりましたが
モローさんの独創的な解釈は、のちのサロメ像に決定的な影響を及ぼしました。
これを源泉としてあまたの妖しく退廃的で耽美なイメージが紡ぎ出されて今日に至っているわけでございます。

聖書でまるっきりワルモノあつかいされているようでございますが
これだけ芸術家のインスピレーションの源として活用されているからには
ヘロデ親子もそう悪い気はしないのではなかろうか
などと思ってみたりして。
スティーヴン・バーコフの舞台『サロメ』なんてその存在感からして
ヘロデが主役みたいなもんでございましたよ。(演出を手がけたバーコフが白塗り&スキンヘッド&タキシードで熱演)

ともあれ
今回特定されたお父さんヘロデのお墓から
いったいどんなことが判明するのやら。
破壊や盗掘を経ているため、遺骨などは無いだろうとの見解が既に発表されておりますが
歴史に新たな角度から光をあてる発見があってほしいものだと
最近ふたたび歴史熱が高まっているのろは思うのでございました。

おお大原美術館。

2006-02-22 | 美術
本日 帰宅いたしますと
大原美術館から、のろ宛に 一通の封書が届いておりました。

1/3の記事にも書きましたとおり、新年に大原美術館詣でをした のろ。
その折にアンケートを投函して参りましたので、おそらくは美術館がそれに応じて
年間スケジュールでも送付してくれたのだろう(そんなのネットで見られるんだから、別にいらんのに)
と 思っておりました、封を開けるまでは。

ところがどっこい。
茶封筒から現れたのは手書きのお礼状だったのでございます。





ご来館 ご感想 ありがとうございます、云々、。
ええ、手書きでございます。本当です。
ルーペで確かめました。

美術館 冬の時代である今なお、年間40万人の入館者を数える
天下の大原美術館 が、ですよ。

40万分の1 であって 有名な批評家でも美術家でもない 
屁みたいな存在の のろに、ですよ

おお、手書きの文書を 送って来ようとは!

署名があったので、書き手は余人ではなくこの「大原美術館お客様ご意見承り係」ご本人の手になるものと信じます。
そりゃあもちろん、文面は 皆同じでしょう。
書き手も、同じ文章の繰り返しで もう うんざりしながら書いたのかもしれません。

それでも。
手書きの文(ふみ)を送りあるいは受け取る、ということがまったく稀になった、このご時世において
あえてあざわざ その面倒なことを行おうという大原美術館の姿勢に
「昭和5年創立」の 老舗の心意気を感じたものでございました。

ありがとう大原美術館!
また会おう大原美術館!
My love 大原美術館!!
青春18きっぷのシーズンにしか行かぬけれども!!

一戸建て美術館

2006-02-01 | 美術
最近は 複合ビルの中にある美術館 が多くなってまいりましたね。
交通の便や立地条件を考えれば、妥当なことやもしれませぬが
やはり美術館は一戸建てがよろしうございます。

まずもって 遠くから一目見ても
「ああ、あれが美術館に違いない」と分かるような
個性的な面持ちをしている、というのが よろしいではございませんか。
その、いかにも建築家がクリエイティビティを駆使したような建物へと
だんだん近づいて行く時の、わくわくする心持ちといったら。

先日取り上げました和歌山県立近代美術館を例に申し上げますと。

この美術館は和歌山城のお向かいの小高い所にありまして
南海の和歌山市駅方面から、和歌山城のお堀に沿って歩いて行きますと
ぽん と突然現れるのです。

まず なにがいいって
ひ さ し がよろしいんでございますよ。
↓HPで建物の片側だけ見られます。
和歌山県立近代美術館

のろは初めてここを訪れた時、建物の側面から
びゅうん びゅうん と可笑しいほどに長々と、楽しげに張り出しているひさしを見て
「ああ、こんな面白い顔をしたひとは、美術館氏に違いない」
と思い、嬉しくなってしまいました。

エントランスへと向かう階段も、ひさしと対応するようなぐあいで
格段のへりが張り出しております。
グレーの外観とガラスがぴしっとシャープな印象を与える一方
階段の手すりはぐねぐねとランダムに波うち これまた楽しげです。

まったく実に
この階段を上って行くだけで
ああまたここに来られてよかった
と 幸せを感じさせてくれる建物なのでございますよ。

そう、美術館は一戸建てが一番。
立地が多少、郊外になってもよろしゅうございますから
ぜひとも独立した建物であってほしいのでございます。

そうした美術館が成り立つためには、
多少、郊外であっても、足を運ぶ人々がいる という文化状況が必須です。

皆様、美術館へ、行こうではありませんか!

「ん」

2006-01-02 | 美術
あけました。
おめでたい人は、おめでとうございます。
おめでたくない人は、残念でございましたね。

今年はおせちもお餅も用意せずに年を越したのろでありますが
なんでもおせち料理に「ん」のつく食材を使うのは、「運がつく」にかけてあるんだそうで。
即ち「ん」さえあれば縁起がいいのであろうと解釈して
再びレンブラントに御登場願いました。
ブラト・ハルメスゾー・ファ・レイ

いやあ多いですねえ!めでたいめでたい。
おまけにレンブラントには、ヨアネス・ファ・ローという名の支援者がいました。ますますもってめでたいですね。

このファン・ローンさんはレンブラントントの死に接して、心痛のあまり軽い鬱状態になってしまわれました。
そんな彼に、レンブラントの思い出や、その芸術に対する賞賛の念を「全部書いて、そうすることによって発狂しないうちに、それを取り除いておしまいなさい」と勧めたのが誰あろう、若き哲学者スピノザでありました。
このことを記したファン・ローンの『レンブラントの生涯と時代』(『スピノザの生涯と精神』所収)は偽書との説もあるらしいのですが、レンブラントとスピノザが同時代人だったことは事実です。
しかもレンブラントはアムステルダムのユダヤ人街の近くに住んでいたので、2人が顔を会わせる機会が無かったとは決して言えません。
そういうわけで、レンブラントの作品の中には、ユダヤ教徒時代のスピノザがモデルなのでは、と憶測されているものもあります。
場所は違えど、フェルメールもまた同時代の人です。彼とスピノザは同年に生まれ、ほぼ同年に没しています。
フェルメールは生涯デルフトで暮らしたそうですから、まあスピノザとは何の関わりもなかったでしょうけれども
彼らが同じ時代にひとつの国で暮らしていたのかと思うと、なにやらよだれのでるような憧憬を感じるではありませんか。(その点にだけですけれども)

今年はレンブラント生誕400年周年です。
数年前に「日本におけるオランダ年」があったばかりですが
せっかくだから何か特別な展覧会でもあるといいのに と期待する年頭でございます。