のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『月に囚(とら)われた男』

2010-05-25 | 映画
秀作でございました。
レイ・ブラッドベリ作品のようなもの悲しいSFでございまして、観賞後にはしみじみとした余韻が残ります。
チラシなどの雰囲気からてっきりバッドエンドに違いないと身構えていたのろには、意外にも希望の感じられるエンディングは嬉しいものでございました。ついでに申せば作品の雰囲気と内容をよく表している邦題も、近年まれに見る秀逸さではないかと。(現題は単に”Moon”)

月に囚(とら)われた男 - オフィシャルサイト

SFといっても視覚的な派手さはなく、ほとんど密室劇のような展開。しかも出演者は実質的に主人公ひとりだけ、という超ミニマル映画でございます。舞台装置はいたって地味でありながら最後まで飽きさせないのは、求心力のある脚本と主役を演じるサム・ロックウェルの熱演のなせる技でございましょう。

出演者ひとり、とはどういうことかと申しますと。
主人公のサム・ベルはとある企業の従業員で、資源採掘のため3年の任期で月の裏側に単身赴任しております。採掘作業は機械化されているため、基地にいるのは積み込みと発送作業にあたるサムひとりっきり。会社のお偉いさんは「いや~君はわが社の誇りだよ~」なんて言ってくれるものの、通信の不具合についてはほったらかしで、なかなか直してしてくれない。そのせいでサムは地球にいる妻や娘との会話もままならず、話し相手といっては人工知能搭載のロボット、ガーティだけ。

このガーティを含め、機器や内装のデザインはいかにも実用第一といった感じの無機質なもので、心なごませるような所がちっともございません。そこに何とか人間的な空間を演出しようとして、サムがこまごまと努力しているあたりがリアルでもあり、哀しくもあるのでございます。植物を育て、写真を貼りまくり、故郷の街の模型を作る。そして今日で何日経過というカレンダーをトイレの壁に記していく。囚人がやるように。

そんな淋しく単調な3年間もあと少しで終わり、いよいよ地球に帰れるぞという時に採掘現場で事故を起こし、基地で目覚めたサム。妙な胸騒ぎに導かれて事故現場に行ってみると、そこには何と事故車両に埋もれたままの自分の姿が。
こいつは誰だ?
いやいや俺は誰だ?
・・・

「月に囚われた男」予告編



とまあこんな具合でございまして。
ふたりサムの謎はわりかしあっさりと解明されるのでございますが、謎が解けたところで、それだけではなんら解決にはならないというのがミソ。
しかも会社から派遣された船が刻一刻と近づいているのでございます。このタイムリミットがあるおかげで、初めは淡々と進むかに思えた物語は終盤へ行くに従ってずんずん緊張感を高めてまいります。のろはラスト10分ばかりは、両手を握りしめて うおーがんばれサム~ちゅーか急げ~ と心の内で声援を送っておりました。

サム・ロックウェルはたいへん好演でございまして、外界から遮断された空間で自分の分身?と付き合う、というまことにうっとうしい状況に追い込まれた男のいらだちと、真実を知ってしまったことから沸き上がる悲哀がひしひし伝わってまいります。後者については描き方が少々ウエットすぎるような気もいたしましたが、泣いている観客もいらっしたのようですので、まあ好みの問題かもしれません。

サムの唯一の話し相手である人工知能ロボット、ガーティの声を担当するのはケビン・スペイシー。何せ飄々としたくせ者を演じたら当代随一のけびんさんでございましょう。こいつ絶対何か隠してるに違いない、と初めから不信感満々で観ていたんでございますが、 ガーティ君、意外といい奴でございました、人間味があって。

人工知能に人間味もへったくれもあろうかって。いやいや、ここもまたミソなのでございまして。「サムを守る」というプログラムの指令に従って優しい選択をするガーティ、利益のためなら人を人とも思わない大企業、そして、二人のサム。彼らのありようは「人間らしさ」とは何だろうか、というシンプルな問いへと観客を導きます。

社会批判や人間性への問いを底流に据えながらも、哲学的な方向にに深入りすることはございませんので、「2001年宇宙の旅」のラストでものすごい置いてけぼり感を味わったのろでも、最後まで楽しく観ることができました。
CGによる派手なドンパチ映像が隆盛を極めております昨今、エイリアンと闘うでもなく、地球の危機を救うでもない、こんなにもヒロイックな要素の無いSF映画は珍しいのではないかしらん。とはいえ自らの運命を受け入れ、かつそれを自分の手で変えるべく一歩を踏み出すサム・ベルの行動はささやかながらも英雄的であり、このあたり、ちょっと「ガタカ」と通じるものがございます。

監督・脚本をつとめたダンカン・ジョーンズは「デヴィッド・ボウイの息子」という重たい称号を背負った人でございます。プレッシャーが無いわけはないと思いますが、それに潰されることなく、これからも創作を続けていただきたいものでございます。


豆本生活

2010-05-13 | 展覧会
今年も京都の町家を舞台としたイベント、楽町楽家 の開催が近づいてまいりました。
ドン・キホーテからマイケル・ジャクソンまで、面白そうな催しが盛りだくさんでございます。

去年までポスターイラストを担当させていただき、勿体ないことに個展までやらせていただきましたのろ。実は皆様のご好意により、今年も個展をさせていただくこととあいなりました。



会場は今回のイベントからギャラリーとして開業されるNORDさん。
ただ、甚だ心苦しいのございますが、展示内容はほとんど去年と同じなんでございます。詳細は↓リンク先の下から2番目の項目をご覧下さいませ。

楽町楽家’10 イベント内容 見る

せめて1点なりとも新作を出さねばと思い、常のごとくネガティブな独り言をつぶやきながら鋭意製作中でございます。


製作中。

とにもかくにも、これが完成するまでは、滋賀県美のドゥシャン・カーライの超絶絵本とブラチスラヴァの作家たち展も、サントリーミュージアムのレゾナンス 共鳴展も、兵庫県美の写真家 中山岩太「私は美しいものが好きだ。」レトロ・モダン 神戸 展もおあずけでございます。

そうさ。これが終わったら、部屋を掃除して、冬物をしまって、展覧会に行って、たまった本を読んで、The Long FirmのDVDを見て、それからせめてもう少しよい人間になれるよう努力を始めるんだ。
最後のは今すぐにでも始めろって話でございますが。

『バッド・ルーテナント』

2010-05-08 | 映画
強烈な睡魔と格闘しながら働いている夢を見ました。寝た気がいたしません。

それはさておき

前々回『Kick-Ass』の話をいたしましたが、ニコラス・ケイジと言えば『バッド・ルーテナント』の感想レポを書きかけでほったらかしていたのを思い出しました。

「バッド・ルーテナント」 予告編


「彼が向かったその先にあるものとは...」ったって、色々あったその先に感動のエンディングや衝撃のどんでん返しが待っているような映画ではございません。タイトルには堂々と「バッド」などと銘打っているくせに、そこはヘルツォークでございまして、観客はあれよあれよと善悪の彼岸に連れ去られてしまうのでございます。
つまり

綱渡りのロープがどんどん細くなっていくよヒャッハー!
落ちれば地獄さ!進むも地獄さ!しょうがないからラリったれ~アラヨイヨイ!
とか言ってたらどうにかこうにか渡りきったよ!
たどり着いたのはもとの場所だけどね!

てな感じの作品でございます。
どんなだ。

主人公テレンスは優秀な刑事である一方、ドラッグまみれでフットボール賭博中毒、遊び人どもを脅してクスリを巻き上げては、高級娼婦である恋人と真っ昼間から仲良くたしなむ悪徳警官。その上物語が進むにつれ、賭博でこさえた借金はどんどん膨らむわ、街の権力者には目をつけられるわ、麻薬ディーラーとの裏取引に手をそめるわ、どんどん悪徳スパイラルに堕ち込んで行くのでございます。かてて加えて事件の捜査は善意の老婦人に邪魔され、コーヒーテーブルの上にはイグアナが寝そべり、アル中の実父からは犬を押しつけられ、腰は痛いし、ろれつは回らないといった何ともトホホなとトラブルが複合して、公私に渡ってテレンスを悩ませます。
要するに主人公がひたすら四面楚歌に追い込まれて行くという何とも救いのない展開なのでございますが、悲愴感はまるでございません。もはや髪の毛ひとすじほどに細くなった綱の上を、猫背でヨロヨロ躍りながら渡って行くテレンスの姿はいっそコミカルですらあります。

どうにかこうにか綱を渡りきってハッピーエンドと呼べなくもない終幕を迎えても、テレンスが送る綱渡り人生の根本的な問題は何ひとつ解決されないままでございます。それでいて観賞後に残る奇妙な爽快さは、ある種の民話や昔話の読後感にも似ております。
ある種の、と申しますのは、キリスト教や仏教といったメジャーな宗教の説話として脚色されていない民話のことで、例えばずる賢いトリックスターや単に運のいい男が一人勝ちして終わる、という教訓もへったくれもない話のことでございます。そもそも人間は道徳という便宜的な枠の中には納まり得ない、複雑かつ滑稽な存在のはずであり、そうした存在をいいとも悪いとも言わずつき離した視点で、とはいえいささか暑苦しいモチーフで語る所がああとってもヘルツォーク。

サントラは出ていないようですが、アイスランドのバンド、シガー・ロスの曲が使われているという話をどこかで読みました。おそらくコップの中の金魚や、銀のスプーンの思い出語りのシーンで流れる音楽でございましょう。透明感のあるハーモニーが、悪徳渦巻くテレンスの世界にふと舞い降りるとてつもなく美しいひとときを演出しており、大変よいものでございました。

ニコラス・ケイジの狂いっぷりは素晴らしく、前歯むき出してヒャッハッハと笑うイカレ野郎の演技がものすごくはまっております。ニコラス・ケイジって、まともな人間よりちょっと壊れた人役の方がだんぜんよろしうございますね。『フェイス・オフ』でも悪役を演じている時の方がよっぽど輝いていたっけ。思えばあの作品は悪役ケイジと悪役トラボルタを見られるという大変美味しい映画でございました。そうさジョン・ウー、あなたは魅力的な悪役を描くのが得意だったはずなのに.......いえ、何も申しますまい。

ともあれ
ヘルツォークの作品は「ボーゼンとうち眺める」というのが正しい鑑賞の仕方であろうという思いを強くしたのろでございました。カントクとニコラス・ケイジ、なかなか相性がよさそうでございます。これを皮切りにヘルツォーク&ケイジ映画が作られていくことになったら。ううむ、それはそれでちょっと嫌だ。






『革装本の現在』展

2010-05-03 | 展覧会
本日から9日(日)まで、京都市国際交流会館の展示室にて、東京製本倶楽部の展覧会が開催されております。

東京製本倶楽部へようこそ

現代の製本作家たちによるユニークかつ美的センスに溢れる作品もさることながら、ワタクシが何より楽しみにしておりますのは、かのジャン・グロリエ本が出展されるということでございます。

ジャン・グロリエ、ルネサンスを生きた愛書家の鑑。図書館というものが存在しない時代に、その時代の最良の図書を集めて学者や友人たちの利用に供した人。美しい装丁にこだわり、16世紀の革新的出版人アルドゥス・マヌティウスの支援者でもあったグロリエさんの本をこの眼で見られるとあれば、どんな用事を押してでも、ぜひとも出向かねばなりますまい。
今しも京都は新緑の季節、屋外にいるだけで気持ちのいい時候でございます。近隣にお住まいの皆様はこの機会に、お散歩がてら、ぜひ足をお運びんなるようお勧めいたします。