のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『最後のジェダイ』

2018-05-06 | 映画
なぜ唐突に『最後のジェダイ』なのかと申しますと、半年前に書きかけて放置していた記事をスター・ウォーズの日(5/4)に合わせてUPしようと思ったもののイラストが間に合わなくて今日になってしまった、というだけの話でございます。


さておき
SWに関してはルーク三部作至上主義者をもって自認するのろさん、メナス→攻撃→復讐→覚醒と鑑賞して来てその立場はますます固まる一方だったんでございますが、『ローグ・ワン』が思いのほかよかったものですから、つい新たなる希望を抱いてしまったわけです。
そんなわけで、期待と不安を胸に『スター・ウォーズ エピソードVIII 最後のジェダイ』を観てまいりました。

「うん…まあ…許そう」というのが鑑賞直後の感想でございました。
少なくとも前作『フォースの覚醒』よりはよかったです。ワタクシの中では『覚醒』が全シリーズ中最低点でございましたので、相対的に本作の評価が甘めになっているかもしれませんけれども。
古い酒の風味をなるべく損なわずに新しい革袋に入れようとする製作陣の頑張りは伝わってまいりました。また、ストーリーのためにキャラクターが犠牲になった点がないわけではないにせよ、酷評するほどのものではなかったと思います。
ただ、もはやディズニー傘下のいち商品となったこのフランチャイズに、センス・オブ・ワンダーを期待すること自体が間違っているのかもしれないと思ったのも確かでございます。

↓↓↓↓↓↓ 以下、ネタバレ話 ↓↓↓↓↓↓







よろしかった点とよろしくなかった点を挙げていきますと。

●よろしかった点

・レイアの衣装の改善
前作と違って体型を隠すストンとしたシルエットに、指導者らしい威厳と気品のあるデザイン。むしろなぜ始めからこういうのにしなかったのか。

・デス・スターが出てこない
ホッとしました。

・反乱軍の内紛
今までになかった展開で、新鮮に感じました。人命第一とするレイアの言い分がもっともである一方、危険をおかした攻撃を仕掛けて大貢献したのに評価されないポーの苛立ちもわかる。大局的には仲間なのに、戦術面で真っ向からぶつかり合ってしまうというもどかしさ。ひとつの行為が「崇高な犠牲」なのか「取り返しのつかない損失」なのか。いっそこれを中心に据えて話を組み立ててくれてもよかったのに。

・フィンとローズの冒険
レヴューを見るとけっこう不評のようですが、私は終始楽しかったです。2人とも地味ながらも素朴で好感の持てるキャラクターですし、胡散臭さ満点のデルトロもよかった。アウトローの存在って大事ですなあ。また後述しますように、細かいどんでん返しが多くて登場人物をいまいち信用しきれな所のある本作において、この2人の誠意は疑う余地のないものであり、キャラに肩入れしながら観たいワタクシにとっては一種の安心要素でございました。
ただ、最後の告白とキスは蛇足であったと思います。いくら何でも唐突すぎました。ローズがフィンのことを英雄だと思ってとても憧れていた、という所をもっとしっかり描いてくれていたら、この展開にもそれなりに感慨があったかもしれませんが。

・ヨーダが元気そうで何より
フランク・オズも元気そうで何より。

・マズ・カナタのタフババァっぷり
前作から割と好きなキャラクター。

・C3POも元気そうで何より
いかなる時も決して空気を読もうとしない彼のことを、ワタクシは心から愛しております。もっとも今回に限ってはルークの目配せに何事か感じ取って口をつぐんでいたのかもしれませんね。ルークに代わって言っておきましょう、「ありがとう3PO」。
なおこちら↓の記事によると、この目配せシーンは当初脚本になかっく、ルークはただ3POの前を通り過ぎるだけだったのだそうです。「3POは長年の相棒なのに(無視するなんておかしい)」というマーク・ハミルの指摘により、目配せが追加されたのだとか。GJでございます。
Mark Hamill insisted on changing a moment in Last Jedi

・終盤の盛り上がり
とりわけ反乱軍が基地に追い詰められてからの攻防でございます。なにせ絶体絶命感がございましたし、銀河のあっちこっちに広げた風呂敷をきちんと畳みにかかっているのもよかった。最新兵器にオンボロ戦闘機で立ち向かうという展開も熱い。それだけに主力の兵器に一矢も報いることができなかったのはいささか残念ではありました。
でも正直申しますとね、集中砲火の雨あられの跡にルークが立っているのを見た時、この映画の全てを許す気になってしまいました。のろさんもチョロいもんだ。ついでに白状しますと、R2D2がルークにあの「助けて、オビ=ワン・ケノービ…」のホログラムを見せた時は、あざといと思いながらもホロリと来てしまいました。ああ、チョロいぜ。
ルークの最期については百点満点大絶賛とは言えませんけれども、まあ、あれでよかったかなと。何かにつけて純朴でくそまじめだったルークが最後の最後でトリッキーな振る舞いをして去っていくというのも、ヨーダの教えの賜物かもしれませんて。また振り返ってみると「ヒーローの不在」というのが本作のテーマのひとつであったようですから、ルークの退場の仕方もこのテーマに即して作られたのでございましょう。

全体的に、新旧のキャラクターを共に真っ当に扱っていると感じました。前作と違って「何でそーなるの??」と思う箇所がほとんどありませんでしたから。観る側がこのシリーズのキャラ設定に慣れて来たというのもあるかもしれませんけれどね。頑張りすぎて近視眼的になってしまうレイは、評議会への不満をつのらせるアナキンやすぐイラつきがちだったルークのように「未熟な天才」の系譜を受け継いでおりますし、ポー&フィンもそれぞれ違った方向に無鉄砲ながらも成長の兆しを見せ、これからの展開が期待される所でございます。
例の問題児に関しては、のちほど。


●よく分からなかった点

・レイの出生の謎
結局「たまたま天才だった」ってことでいいんでしょうかね。誰の血筋ってわけでもなく。カイロ・レンが「お前の両親は無だ」みたいなことを言っておりましたけれども、それが事実なのか、あるいはレイの心を挫くためにテキトーなことを言っただけなのか判然としませんでした。

・スノークとは何だったのか
いやほんとに、何だったのか

・洞穴シーン
『帝国の逆襲』のオマージュでしょうか。でもよく分かりませんでした。あの洞穴の機能も、何故レイがあそこに行けば両親のことが分かると思ったのかも。


●よろしくなかった点

・小動物がでしゃばりすぎ
ポーグってんですか、あの鳥みたいの。そりゃ可愛いことは可愛いんですけれども、イウォークと違って話の筋に絡んでくるわけでもないのにやたらと画面の中央に出張ってくるので、うるさかったです。何でこんなに推してくるんだろうと思いきや、ショップにグッズがずらーりと。ああはいはい。

・演出が所々ださい
レイが「暖かさ…冷たさ…」とフォースの感覚を挙げていく時にいちいち島の自然風景を挟んでくるのですとか、レイとカイロ・レンの遠隔会話の描き方ですとか。あとスノークの司令室の「ジャジャーン!悪者!」みたいなデザイン、もう少し何とかならなかったのでしょうか。

・アクバー提督
ええっ、あんな最期?!中の人(声)の逝去に合わせたのかもしれませんけれども、古参のキャラクターをあんなにもあっさりと退場させてしまっていいのでしょうか。せめて散り際の台詞くらいは欲しかった。この点についてはHISHEの「こうだったらよかったのに」版の方がずっとよろしいと思います。いや本気で。

How Star Wars The Last Jedi Should Have Ended


・細かいどんでん返しが多すぎる
クリストファー・ノーランみたいのやりたい!という製作陣の熱い想いは伝わって来ましたけれども。Aと思いきや実はB、ところがどっこいCだった!といった展開がちょこまかと続くので、しまいにはもういいから普通に進めてくれよ、という気分になりました。また、登場人物を信用しきれない展開というのはサスペンス映画ならいいと思いますけれども、スター・ウォーズではあんまりやってほしくないことではありました。とりわけ、ルークに関しては。

・ファズマ弱すぎ
この人、いる必要あるんでしょうか?
今までのストーリーでファズマが果たして来た役割の全てを、モブキャラのそれに置き換えても何ら支障はないような気がするのですが。前作でも本作でも、彼女が特別な地位にまで上り詰めた背景を匂わせるものが全く何一つ描かれておりませんし。あのハックス・ザ・ヘタレ将軍ですらその必要性を最高指導者スノーク自ら説明してくれているというのに、ですよ。メタリックな甲冑でいかにも凄そうないでたちにしては、とりわけ指導力や統率力に優れているふうでもありませんし、前作では本拠地の真っ只中にいながら、たった数人の敵に脅されただけで抵抗も見せずあっさりシールドを解除してしまう体たらく。かといって白兵戦でとんでもなく強いのかといえばそうでもないどころか、防具のない一介のストームトルーパー(フィン)にすら勝てないことが本作ではっきりしてしまいました。目下のところ、何のためにいるのか分からない登場人物ナンバーワンでございます。ほんとの話、単に「ブライエニー(ゲーム・オブ・スローンズ)の人が出てる」という話題作りのためだけに動員されたキャラなんじゃないでしょうかね。

・同じことの繰り返しを予感させるエンディング
IMDbのレヴュー欄で『覚醒』に怒りと共に☆1を付けたファンは大勢いらっしゃいます。その中の1人がこんなことを書いておいででした。「もと反乱軍が今では支配者側で、もと帝国軍が反乱する側になってる、みたいな話の方がよかったのに。これじぇ同じことの繰り返し」
そうなのです。そうなのですよ。「シスの暗黒卿を頂く強大な悪の帝国」対「ジェダイの騎士に率いられた善なる反乱軍」という構図が変わらない以上、キャストが若返ろうがデス・スターがグレードアップしようが、結局ルーク3部作の焼き直しにならざるを得ないではございませんか。ですからこれは本作のよくない点というよりも、むしろあんなふうに話を始めてしまった前作の罪ではあります。それにしたって、もう少し何とかならなかったのかしらん。所々で旧作からの決別を感じさせる部分があっただけに、最後の反乱軍の生き残り勢揃いショットで「安心して!これからもおーんなじことやるよー!」と宣言されたような気分になりました。


で、問題のあの人。
ええ、前作でベイダーのコスプレイヤーとして華々しく登場したカイロ・レン君なんですが。本作を見てある意味すっきりいたしました。「ああ、こいつはこういう路線で行くんだな」というある種の諦めがついたと申しましょうか。



そう、見方を変えればいいのです、きっと。ワタクシがアナキン三部作を好きになれない理由はひとえに主人公たるアナキンの堪え難いうっとうしさゆえなわけですが、あれとても「かたくなな師匠とポッと出のガキンチョに振り回されるヤング・オビワンの冒険」として鑑賞すれば、結構見られるような気がしますもの。
というわけでワタクシ、どうやら「レイ三部作」と呼ばれるらしいこのシリーズのことは「ドジっ子シス見習いカイロ・レンのわくわくはらはら失敗日記」として鑑賞することにしました。奴は悪役としての素質はゼロに等しいですが、独り立ちして頑張っているのに挫折してばかりのぼんぼんとしてみれば、まあまあ悪くないキャラでございます。むしろあまりのダメさに応援してやりたくなるほど。その点、何でも割と簡単にクリアしてしまうレイより主人公向きであるとすら言えるではございませんか。

それにしてもスノークのおじいさんはあっさりと天に召されておしまいんなりましたし、カイロ君はあのとおりのヘタレでしょう。次作ではもっとちゃんとした悪役を立てていただきたいものですけれど、どうなるこってしょうねえ。
どうです、実は生きてたボバ・フェットが全ジェダイへの復讐を胸に登場とか!笑
あるいは、実はィリス・オランの身体を乗っ取った後も脳移植を繰り返して生きながらえ、ついには裏社会のドンとして君臨するに至ったビブ・フォーチュナが全ての黒幕だったとか!!
といってもあの人けっこう間が抜けているし、根が小悪党で意外と極悪なことはできないたちみたいだから無理だろうなあ。絶対ツメの甘さで失敗して死んじゃうタイプ。だがそこがいい。

冗談はさておき、次作の監督はJJエイブラムスと決まっているようですから、もとより悪役には期待できません。フィリップ・シーモア・ホフマンやベネディクト・カンバーバッチを迎えてすら、せいぜいあの程度の悪役しか描けなかったJJさんですもの。きと悪役の影が薄くてオマージュまみれで一本調子で、とはいえ無難でソツがなくてアクション満載でそこそこ楽しめる作品が出来上がって、全世界で大ヒット!グッズばか売れ!続編決定!ってことになるんだろうなあと、そして『覚醒』や『最後』に何やかやと文句を言っていたオールドファンたちも半ば義務のように劇場に足を運んで、うっかりグッズをかっちゃったりするんだろうなあと今から予想がつきます。そしてそういうファンがいるかぎり、ディズニー様は遥か彼方の銀河系からあの手この手でミルクを絞り続けるんだろうなあと、うっかり買ってしまった800円もするちゃちなボールペン(ストームトルーパーのついてるやつ)を横目に思うのでございました。

ちと横道に逸れてしまいましたが、冒頭に申しましたように、本作は色々と不満な点はあるにせよ、決してできの悪い作品ではないと思いますし、むしろ前作であれだけ酷い条件を並べられた所からよく頑張った方だと思います。「フォースは魔法じゃない!」とお怒りの方もいらっしゃるようですが、旧作から十分魔法だったと思いますよ。手を触れることなく相手の首を絞め、念力だけで宇宙船を持ち上げ、手から稲妻ビームを放ち、他人の心を操り、テレパシーで通信しって魔法でいいでしょうよ、もう。

それにね、キャストのインタヴューやら、グーグルでよく検索されているキーワードに基づいて質問に答えて行くオモシロ企画のクリップなど、本作に合わせて公開されたYoutube上の様々な動画で大いに楽しませて頂きましたので、全てをひっくるめて良しとしようと思います。とりわけマーク・ハミルのユーモアとサービス精神溢れる受け答えが最高すぎて。さすがはジョーカーさんの中の人ですよ。こういう類の動画は次作でも、またハン・ソロのスピンオフでも沢山出回ることになるのでしょうけれども、そこにマーク・ハミルが出てくることはないと思うと寂しいですね。

The Last Jedi Cast Answers the Web's Most Searched Questions | WIRED

パクシいただきました

2018-04-22 | 映画
あの……ちょっと聞いていただけます?
今日、山村浩二さんにサインしていただいちゃったんでございますよ。
そう、『パクシ』の、『頭山』の、『田舎医者』の、あの山村浩二さんでございますよ。
しかも、まったく思いがけなく。

いえね、昨日から京都シネマで『山村浩二 右目と左目でみる夢』と題して山村さんの短編をまとめて上映しているんですけれども、来週は行けそうにないので、これは絶対今日行かねばと家の用事もそこそこに出かけたわけでございます。京都シネマのHPには山村さん来場とはどこにも書いておらず、ただ「諸事情により、本編スタートとなります」とだけ但し書きがついておりました。ふーんまあいいけど諸事情ってなんだろうと思いつつ珍しく時間に余裕を持って到着。京都シネマの中でも一番小さな61席のスクリーン3の、半分弱が埋まった客席の最後列すみっこ(定位置)で上映を待っておりますと、ほどなく劇場のスタッフさんがやって来ておなじみの上映前の口上を述べられ、ついでのように「上映後に山村浩二監督と、山村監督作品の音楽を担当されてきた冷水(しみず)ひとみさんにお話をかがいます」とサラッとおっしゃるではございませんか。
のろさん内心「え?!?!』ですよ。
だって、山村浩二さんですよ。『年をとった鰐』の、『マイブリッジの糸』の…。こんな偶然みたいにお目にかかっていいものであろうか。
呆然としている間に場内が暗くなり、典雅なヘンデルの楽曲に乗ってヘンテコな奴らが次々登場する『怪物学抄』が始まりました。

ワタクシにとって山村アニメーションの魅力は、その独特な世界観もさることながら、アニメーションの根源とも言うべき「絵が動く」という不思議さと喜ばしさを感じさせてくれるという点も大きいんでございます。小学生の頃、教科書の隅にパラパラ漫画を描きましたでしょう。ええ、ワタクシ上中下三段&両面に描きましたとも。あの、自分の描いたただの絵がもじもじと動いていく楽しさと不思議さ、あれをものすごくグレードアップしたものを見ている感じと申しましょうか。
そんなこんなで短編9本の上映が終わった後、本当にというのも何ですが本当に、山村監督と冷水さんがご登場されました。口琴のようなテルミンのような不思議な音色を奏でる一弦の電子楽器ダン・バウの生演奏ののち、山村アニメーションと音楽の関係を巡って20分ほどトーク。「アニメーションにも音楽にも、がさがさしたものを入れたい」とおっしゃっていたのが印象的でした。

その後山村さん&冷水さん&観客一同ぞろぞろとロビーへと出て、パンフを買ったその場でお二人にサインしていただく流れに。のろさんの番が来た時、勇を鼓して「パクシの頃から大好きです」と申し上げたところ、何と「じゃあ、パクシ描きましょうか」と!



ふおおお!
のそのそ歩き!
ちっちゃな帽子!
おやつ大好き!
ぼくはパクシ!
ちなみにパクシのおかあさんの声をやってらしたのは冷水さんなのだそうです。「ほとんどセリフはありませんでしたが…」と。
ええ、あのアニメで一番しゃべってたのはバルタザールおじさんのような気がします。謎の歌を口ずさんでいただけではありますが。



ワタクシ、将来ホームレスになってもこれだけは手放したくないという品がいくつかあるんですけれども、これでまた増えてしまいました。
いやー困った。


マーク・ストロング映画勝手にガイドその1

2018-01-19 | 映画
日曜からずうっと『カントリー・ロード』の脳内再生が止まらないのろでございます。
もともと好きな曲ではありましたが。

それはさておき
『キングスマン2 ゴールデン・サークル』シリーズでマーリンを演じたソーターさん、もといマーク・ストロングが毎度のことながらとってもいかしておりましたので、ふと思ったのでございますよ。ひょっとして、このシリーズをきっかけにソーターさんが気になりだした人もいるかもしれないと。
というわけで、そんな慧眼なあなたのために僭越ながらマーク・ストロング出演作お薦めガイドをしてみようかと思い立った次第。
全ての出演作を観ているわけではございませんが、メジャーどころはだいたい押さえているつもりです。


さて、マーク・ストロングかっこいい、でもどの作品から見たらいいか迷っている、という方に真っ先に観ていただきたいのが『ワールド・オブ ライズ』(2008)でございます。

Body of Lies (5/10) Movie CLIP - Be a Good Muslim (2008) HD


ほら、『キングスマン』とは違って頭ふさふさの、そしてすらりとした長身にビシッとスーツを着込んだ、エレガントで渋い諜報局長が出てきますでしょう。それがマーク・ストロングですよ。ちなみに頭はカツラ。
ハニ・サラームという役名が示すとおり、アラブ人(ヨルダン人)の役でございます。アラブなまりの英語があまりに自然なので、ヨルダンの観客も自国の俳優かと勘違いしたんだとか。
中東を舞台として虚々実々の情報戦を描いたこの作品、表看板を務めるのはディカプリオとラッセル・クロウでございますが、まあ御覧なさい、ハニの存在感の前に何もかも吹っ飛びますから。監督はリドリー・スコット。手堅い作りで最後まで観客を飽きさせません。ロンドン映画批評家協会で助演男優賞にノミネート。


そりゃハニは男前である、しかし登場シーンが少なすぎる!もっとマーク・ストロングを出せ!という方には『ロックンローラ』(2008)と『スターダスト』(2007)がお薦めでございます。

Mark Strong as Archy [RocknRolla] → I'm a man.


『ロックンローラ』はガイ・リッチー監督の軽快なクライム・コメディ。お話がなかなかよくできておりますし、癖のあるキャラクターたちのやりとりも楽しい。ソーターさんが演じるアーチーは準主役、割と出ずっぱりでございます。時には非情で時にはお茶目、ヤクザのボスの有能な右腕でありつつ、愛情深い父親のような顔も見せるアーチーおじさんはとっても魅力的でございます。
またマーク・ストロングは大仰な身振りや大げさな表情なしでコミカルな演技ができる人で、例えば終始ぴりぴりとした緊張感の漂う悲劇『橋からの眺め』(ナショナル・シアター・ライヴ 2016)ですら、所々で客席の笑いを取ることに成功しております。本作ではその技量が遺憾無く発揮されており、何度見ても楽しい。同じくマーク・ストロングが出演するガイ・リッチー作品『シャーロック・ホームズ』に比べるとマイナーな作品ではございますが、ワタクシはこっちの方が面白いと思いますよ。
共演俳優も豪華で、なよっとして可愛いらしかった頃のトム・ハーディや、近年はえらいひとを演じることの多いイドリス・エルバのチンピラ姿も見ることができます。おまけにDVDのコメンタリーは何と監督とソーターさんの対談形式!役名もなく1シーンしか登場しないチョイ役の演技もきちんと褒める一方、自分が褒められた時はあくまで謙虚なソーターさん、時々危ういことを言うガイ・リッチーに対する見事なフォローっぷりをもご堪能いただけます。以前にも書きましたがマーク・ストロングのナイスガイっぷりは有名で、このコメンタリーでも言葉の端々からいい人オーラがにじみ出るようでございます。いやあ眼福ならぬ、耳福、耳福。

『スターダスト』はニール・ゲイマン原作のファンタジー映画。監督はマシュー・ヴォーンでございます。

Stardust (1/8) Movie CLIP - The Matter of Succession (2007) HD


ちなみにマシュー・ヴォーンの枕詞は「キック・アスの」でも「キングスマンの」でもなく、はたまた「時々描写がエグい」でも「微妙に悪趣味な」でもなく「マーク・ストロングをかっこよく撮る」マシュー・ヴォーン、でございますよ!その記念すべき最初のタッグがこれ。ソーターさんが演じるのは冷酷非情な第七王子、セプティマス。ライバルである兄たちを次々と蹴落とし(=殺し)て王座を狙う切れ者の野心家でございます。漆黒の衣装に身を包み、黒髪をなびかせて馬を駆るその姿の何と凶兆に満ちた素敵さよ。アイスランドを舞台にしたという素晴らしいロケーションにも目を奪われます。
空飛ぶ船や一角獣、魔女に魔法に乙女の心臓、王の宝石に呪われた姫君と、ファンタジー好きのツボを突いて来る道具立てを揃えながらも、皮肉な視点とブラックな笑いに満ちた本作、とても現代的な作品でございます。何より、デ・ニーロの弾けっぷりがいい。どう弾けているかは見てのお楽しみ。それから息子たちに王位を争わせる父王を演じているのが、御歳75歳であったピーター・オトゥールでございまして。このキャスティング、絶対『冬のライオン』のパロディですよね。
この王が臨終の枕辺に子供達を呼び寄せた時、一人娘の王女が来ていないことに気づいて…

王「セプティマ〜ス(ニヤニヤ)」
セ「何です」
王「王位を継ぐのは男子のみと決まっておるのだぞ(なのに妹まで殺っちゃったな〜この悪い子め〜ニヤニヤ)」
セ「分かってます。私が妹を殺すわけないでしょう、まだこのアホども(=兄たち)が残ってるのに」(真顔)
王「それもそうだな」

…というやりとりがもう大好きで。
なお「残ってる」といってもこの時点で生きているのは7人兄弟のうち、末っ子のセプティマスを含めてたった3人。他の兄弟たちはとっくに殺されており、頭にオノが刺さったり顔がひん曲がっていたりと、殺された時のままの姿で幽霊として物語に参加して来ます。これがまた実に傑作なんでございます。同監督の『キングスマン』がスパイ映画のパロディとしてのスパイ映画であるように、『スターダスト』はファンタジー映画のパロディとしてのファンタジー映画でございます。ファンタジーはちょっと…という方にもぜひ観ていただきたい。


もっと渋目の、演技をがっつり堪能できるようなのがいいとおっしゃる方にお薦めしたいのが『裏切りのサーカス』(2011)。

New Tinker Tailor Soldier Spy Clip - Be suspicious; be very suspicious


できれば原作を先に読んでから鑑賞した方がよろしいかと。といいますのも、原作である傑作スパイ小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の映像化はこれが初めてではなく、そのせいもあってか映画は必要最小限の語りとごくごく抑えられた演出で進んでいくからでございます。それにソーターさんが演じるジム・プリドーという登場人物、小説の方ではより詳細にに描かれるこいつが本当にいい奴でして。軍人のような無骨さと、スパイには不向きなほど暖かい心の持ち主、生真面目で嘘が下手で、「懸命に隠している優しさ」を結局は隠しきれないでいる傷ついた男、ジム。このキャラクターをマーク・ストロングが演じるのかあ、とワクワクしながら読み進めるのも、いいもんでございます。登場シーンは決して多くはございませんが、まなざしだけで全てを物語る演技は必見でございます。特にクリスマス・パーティの追憶から連なるラストシークエンスは、ジムの期待と失望、愛と孤独がほんの数十秒の展開の中でひしひしと伝わってまいりまして、見る者の胸を締め付けずにはおりません。
さらにこの映画、ソーターさんの他にも主人公スマイリー役のゲイリー・オールドマンをはじめ、ジョン・ハート、コリン・ファース、トム・ハーディ、ベネディクト・カンバーバッチと名優ぞろいの超豪華キャスト作品でございまして、視線や顔の角度やちょっとした身振りひとつで心の機微を表現する繊細な演技の数々も見ものでございます。ジョージア映画批評家協会賞、セントラルオハイオ映画批評家協会賞などでベスト・キャスト賞受賞。
当ブログの関連記事はこちら↓
『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』のこと - のろや
インタヴューwithゲイリー・オールドマン&マーク・ストロング その1 - のろや
インタヴューwithゲイリー・オールドマン&マーク・ストロング その2 - のろや

映画も演技もよかったけどやっぱりマーク・ストロング成分が足りないぞという方、そんなあなたにも絶対にご満足いただけるのが、上でも少し触れました『橋からの眺め』(ナショナル・シアター・ライヴ 2016)でございます。

A View from the Bridge at the Young Vic


アーサー・ミラーによる荘厳な悲劇。誰もが最初から何となく予想しながらも、そうならないで欲しいと願う結末へ向かって、物語はきしりながら進んで行きます。怒りとも嫉妬とも名づけがたい激情に押されて、自分が最も忌み嫌っていたはずの行動に出て破滅していく主人公エディを演じるのがソーターさん。純粋さと狂気、人間らしい苦悩と神話的な荒々しさを体現するかのような鬼気迫る演技で、ローレンス・オリヴィエ賞、シアター・ワールド賞で主演男優賞受賞。

↓☆4.3!とりわけマーク・ストロングに関しては絶賛の嵐でございまして、読んでいると嬉しくなります。
ナショナル・シアター・ライヴ 2016「橋からの眺め」 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks


次回に続きます。

クリスマスin悪役パブ

2017-12-15 | 映画
HISHEの新作。

Villain Pub - 12 Days of Christmas


この動画シリーズ、単に面白おかしいだけでなく製作陣の映画愛をひしひしと感じるので大好きなんでございます。とりわけこの「悪役パブ」はお気に入り。

12番目の日、私の憎しみが思い出させるのは
12のツノのとんがり(マイティ・ソー バトルロイヤル)
11のゾンビがむしゃむしゃ(ゾンビ映画もろもろ)
10体のダーレクの光線(ドクター・フー)
9つのロキの悪だくみ(マイティ・ソー)
8匹の奇妙な犬(ストレンジャー・シングズ)
7つの分霊箱(ハリー・ポッター)
6つのインフィニティ・ストーン(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)
5人のジョーカーたち(バットマン)
4つのロボットアーム(スパイダーマン&スター・ウォーズ)
3つの不気味な人形(チャイルド・プレイ、アナベル 死霊館の人形、デッド・サイレンス)
2人のシスの暗黒卿(スター・ウォーズ)
そして全てを統べるひとつの指輪(ロード・オブ・ザ・リング)

シスの暗黒卿の片割れがダース・モール→死にかけダース・モール→ドゥークー伯爵→両腕切られたドゥークー伯爵→アナキン→ベイダー死にかけベイダーと几帳面に代わっていくのがなんとも。
「パルパティーン、暗黒卿だんだん足りなくなってるぞ」というコメントにも笑ってしまいました。

コメント欄でも人気のようですけれども、ワタクシは5日目の「AAAL FIVE JOKERRRRS」がツボでございます。
5人で仲良く歌いながらも微妙にバラついてるあたり、いかにもジョーカーさんらしい。
もっとも、映像化されたジョーカーさんはきちんと数えると5人どころではございませんで。

Every version of the Joker ranked from worst to best

総勢25名でございます。
個人的にはアーカム・シリーズのジョーカーさん(15ページ目=10位)はもっと上位に持って来たい所。
『ダークナイト・リターンズ』のジョーカーさんも、よかったと思いますけどねえ。

そうそう、今ワタクシ口角炎と乾燥で口の端が1cmくらい裂けておりましてね、もし誰かが「口、どうしたの」と聞いてくれたら前かがみになって舌なめずりをしながら「Do you wanna know...how I got these scarrrrs?」ってジョーカーさんごっこをしたいと思ってるんですけれども、世の中うまくできたもんで誰も聞いてくれません。


今年は何だかんだでずっと忙しかった。
12月の半ばになってようやく落ち着いた感がございます。
来年は暇だといいな。

スターウォーズの日

2017-05-04 | 映画
連休は全日おうちにカンヅメでPC作業です。

それはさておき
本日はスターウォーズの日なのだそうで。
ここはひとつ、うちの可愛いビブ・フォーチュナでもご覧ください。



この「Pop!」というシリーズのフィギュアは基本的に黒目ばかりでございまして、うちのビブも最初は↓こんな顔でした。




しかしカッと見開いた赤目は奴のチャームポイントでございますので、アクリル絵具で塗り直しました。
どうです、本物に近くなったでしょう。




そもそもこの宇宙のヴァンパイアじみた風貌が好きなんですけれども、『Tales from Jabba's Palace』に含まれているこいつの外伝がまた、なかなかいいのですよ。
ハン・ソロを主役に据えたスピンオフ映画が製作中とのニュースが流れてきておりますが、果たしてビブは出るかしらと今からそればかり気にかけております。


エド・ハリス同好会惨殺事件

2017-03-13 | 映画
「エド・ハリス同好会のメンバーたちと一緒に山遊びに出かける途中で公共施設に立ち寄ったら、2日前からそこのトイレに潜んでいた『スーサイド・スクワッド』のジョーカーさんに全員惨殺される」という映画を、自分が惨殺されたまさにその施設で見ている、というのろ史上最強クラスにわけのわからない夢を見ましたので、ここにご報告いたします。

ちなみにその1
施設で休憩している時「エド・ハリス出演作で最高賞と最低賞を決めようぜ」という話になり、最高賞は意外にも『ポロック』になりました。最低賞の方は「色々あり過ぎて決めらんねえよな」という結論にあっさり落ち着きました。ワタクシとしてはここで「『チャイナ・ムーン』も今ひとつだったよね〜」と切り出して、ついでにチャールズ・ダンスの名前をみんなに覚えてもらおうと思ったのですが、速やかに決まりすぎて果たせませんでした。

ちなみにその2
ワタクシはエド・ハリス同好会の会員ではございませんし、そういう会が実際にあるのかどうかも存じません。

ちなみにその3
『スーサイド・スクワッド』は観ておりません。しかし(あるいは、だからこそ)ジョーカーさんはめちゃめちゃ怖かったです。必死で逃げているのに、木立の間からあの緑色がチラッとね…


最近眠りが浅いせいか、よく夢を見ます。
先日はロン・パールマンが出て来てくれました。
何をしに来てくれたかのは残念ながら覚えておりません。
どうせならライトセーバーぶんぶん振り回してるとか、ドラゴンの背に乗って空を駆け巡るとか、間一髪のところでバスター・キートンに助けてもらうとか、そういうのが見たいんですが。

『ゴーストバスターズ』(2016)

2016-08-24 | 映画
あ!チャールズ・ダンスだ!チャールズ・ダンスが出てるじゃないですか!
こういう「私が権威だ君は黙りたまえ」みたいな役、本当に似合うなあ!!
ちなみにチャールズ・ダンスは昔『ゴールデン・チャイルド』という映画で、本作で出て来るライヴ会場のゴーストと似たような姿の悪魔を演じたことがありますね。

↓0:47のやつね。
Ghostbusters Official Trailer #2 (2016) - Kristen Wiig, Melissa McCarthy Movie HD


だからキャスティングされたって訳ではないと思いますけれども。


というわけで
『ゴーストバスターズ』を観てまいりました。長野行レポートは次回からとさせていただきます。

いやいやどうして、面白かったですよ。前半はもたつき感がありましたが、ゴースト退治が始まるとやっぱりワクワクいたします。ガジェットが活躍する終盤のバトルも楽しいし、2丁拳銃ならぬ2丁プロトン・ガンで、襲い来るゴーストたちをバッタバッタと薙ぎ倒すシーンは実に爽っ快でございました。街を破壊する巨大ゴーストや、ジャガイモ似の大喰らいゴースト、そして足を引っ張るだけのバカといったオリジナルから受け継いだ要素も、旧作にくっつき過ぎず離れ過ぎず、上手に料理されてされておりました。旧作といえば、あの人やらこの人やらがカメオ出演しているのは織り込み済みとして、ゴーストバスターズとは多分何の関係もない某大御所ミュージシャンが顔を出しているのは何故なんでしょうか。

さておき。主人公を女性にすることで、この手のエンタメ映画でありがちな男女比と役割、即ち、抜けている所もあるが個性的で有能な男たち&可愛くてセクシーな紅一点、という構図がきれいに逆転しているのも面白い。見た目がいいだけのボンクラ男ケビン(クリス・ヘムズワース)が劇中ではっきり「観賞用」だと明言されているあたり、いっそ清々しい。
字幕が変な女言葉ではないのもよろしうござんしたね。「〜なのよ」とか「〜だわ」とか言いませんでしょう、実際。

とまあここまで誉めて来ましたが、手放しで絶賛できるかというとそうでもなく。細かくギャグを挟みすぎなせいで話の流れが寸断され、所々でテンポが悪くなっている感は否めません。怒りのビンタ一発で悪霊を叩き出すとか、心霊オタクむき出しなノリで現場に乗り込んで行くなど、キャラクターに即したことをしているだけで充分面白いので、続編があれば小ネタを詰め込みすぎずサクサク進む展開にして頂きたいと思った次第。

大丈夫かしらんレト・ジョーカー

2016-04-14 | 映画
『スーサイド・スクワッド』でジョーカーさんを演じているジャレッド・レト。
これまでも、ハーレイ役の女優さんに生きたネズミをプレゼントしたとか、カメラが回っていない時でもジョーカーであり続けたとか、いかにも「もの凄そう」なエピソードが聞こえて来てはおりました。

5 Crazy Things Jared Leto Did While Playing the Joker

そして今度は『スーサイド・スクワッド』撮影中、共演者たちに使用済みコンドームと大人のおもちゃを送りつけたというお話が湧いて出ました。

Exclusive: Jared Leto Talks Suicide Squad’s Joker | News | Movies - Empire

Jared Leto Sent Used Condoms and Anal Beads to His Suicide Squad Co-Stars (Yup, You Read That Right!) | E! Online

「ジョーカーはパーソナル・スペースや限度ってものをあんまり尊重しない奴だからね」

ええと…まあ、それはそうでしょうけど。

でもジョーカーさんって、くだらなくて悪趣味な上に凄惨ないたずら(=犯罪)を仕掛けるのは常習であっても、あからさまに性的な悪ふざけは基本的にしませんよね?『キリング・ジョーク』や『ジョーカー』は飽くまでも単発作品における例外的なケースですし、それすらも「ジョーカーさんはそういうこたぁしねえ」とファンの間で論争の的になるくらいですのに。何故あえてこんな性的に嫌悪感をもよおすいたずらをお選びになったのか、ちょっと理解に苦しむ所ではございます。

まあ、ね。
エンパイアの表紙にワニ革風コート&ウエストゴムのパンツといういでたちでご登場なさった時点で「こりゃあかん」と思いましたとも。
でも『ダークナイト』におけるあの素晴らしいヒース・レジャー・ジョーカーさんですら、映画公開前は非難ごうごうであったと聞いております。それを考えれば今回だって、蓋を開けてみたらとっても素敵なジョーカーさんでした、という可能性は充分ございます。
だからせめて、そういう一抹の期待感をも粉砕するような前情報は御勘弁願いたいのですが。
そうでなくてもハーレイ推しっぷりにちょっとうんざりしておりますのに。






新年マーク・ストロングばなし

2016-01-07 | 映画
色々としんどかった2015年最後の締めくくりとばかりに、病院が閉まる頃になって発症したウイルス性結膜炎で目をしばしばさせながら引き蘢っている間に年が明けました。

それはさておき

世界一イケてるハゲ、即ちソーターさん、即ちマーク・ストロングと、サシャ・バロン・コーエン(&ペネロペ・クルス)が共演するコメディ、『The Brothers Grimsby』の予告編が公開されております。

The Brothers Grimsby - Official Trailer (HD)


The Brothers Grimsby Official International Trailer #1 (2016) - Sacha Baron Cohen Comedy HD


強い愛情で結ばれながらも、幼い頃に養子に出されて別れ別れとなった兄弟。28年後、弟セバスティアンはMI6の超凄腕エージェントとなり、兄ノーマンはサッカー狂いの立派なボンクラに成長していた。家族や友人に囲まれて楽しい日々を送りつつも弟の行方を探し続けていたノーマン、ある時とうとうセバスティアンを見つけるが、アホ兄の時ならぬ闖入のせいでセバスティアンは重大なミッションを失敗してしまい...というストーリー。

この作品については以前の記事↓でも少し触れました。
マーク・ストロングばなしもろもろ(最後に追記あり) - のろや

心配していた通りに、いささか下品なギャグもある模様。できればそういうのは全てS.B.コーエンに引受けて頂きたいのですが。
北米では3月公開、IMDBによると日本では6月4日公開予定とのこと。
うーむ、ちゃんと劇場公開されるのかなあ。映画好きの間ではわりかし高評価な『ザ・ガード 西部の相棒』も日本では適当な扱いだったしなあ。
ともあれ、期待半分、不安半分で見守ろうと思います。

『ジュラシック・ワールド』

2015-09-16 | 映画
人生で初めて劇場に二度観に行った映画は『ジュラシック・パーク』でした。

幼稚園に上がる前からの恐竜好きであったのろさんは、ブラキオサウルスの登場シーンに涙が出るほど感激し、彼女または彼にくしゃみをかけられる子供たちに嫉妬し、ヴェロキラプトルの賢さと美しさに息をのみ、ティラノサウルスの咆哮をほとんど神聖なものを見るような心地で目撃したものでした。
そして2作目『ロスト・ワールド』では恐竜へのリスペクトを欠く展開に心底がっかりし、3作目はティラノが壁の穴からガオ~と顔を突出しているポスターからしてこりゃ駄目だと悟り、もはや観ようという気にもなりませんでした。(ちなみにTレックスという呼び方はワタクシ好きではないので使いません)

そんなワタクシが『ジュラシック・ワールド』を観てまいりました。

期待が大きかった分、ガッカリ感も大きかったとも申さねばなりません。
恐竜が沢山見られたのはよかったですよ、そりゃあもう。
けれども映画としては「ウーン、こんなもんか」といった所。
というわけで、鑑賞前の期待の大きさに比例して、以下はひたすら文句ばかりです。

まずはネット上で見つけた、わりかし共感できるレヴューをいくつかご紹介しておきます。

『ジュラシック・ワールド』 恐竜大戦争|映★画太郎の MOVIE CRADLE

恐竜好きからすると複雑 - ユーザーレビュー - ジュラシック・ワールド - 作品 - Yahoo!映画

堂々巡りなストーリー - ユーザーレビュー - ジュラシック・ワールド - 作品 - Yahoo!映画

好意的なレヴューの中には「アトラクションとして楽しめた」というご意見がけっこうあるようです。でもワタクシはアトラクションを体験しに行ったのではなくて、映画を観に行ったのですよ。アトラクションとして楽しむべし、という代物なら、映画館ではなく遊園地でやっていただきたい。

結局、『ジュラシック~』というタイトルに何を求めるのかということなのだと思います。ワタクシはあの名作『~パーク』から連なる作品に、ただのパニック映画になってほしくはなかったのですよ。
もちろん1作目もパニック映画ではありました。しかしおっそろしく上質なパニック映画だったのです。また自然を意のままにしようとする人間の傲慢さや、それにたいする警告といったテーマが、観客の心に響く形でしっかり織り込まれておりました。
本作『~ワールド』も、制作者がそうしたメッセージを打ち出そう打ち出そうと頑張っているのは分かりました。オマージュとおぼしきシーンもいくつかありました。問題はそうした頑張りのほぼ全てが空回り&上滑りに終わっていたことです。では1作目『パーク』と本作『ワールド』ではいったい何が違うのか。

サスペンスの見せかたがスピルバーグほど上手くない、というのはしょうがないとして、観客が登場人物の判断や行動に共感できるか否かが大きいのではないかと思います。『パーク』におけるそもそもの元凶は、恐竜再生という大それた事業に手を出したインジェン社のハモンド会長です。しかし、恐竜を現代に復活させるという試みそれ自体は、ハモンド翁のみならず映画の観客にとっても、とても魅力的なものでした。

少々自然の成り行きに反するかもしれないけれど、絶滅した生き物を蘇らせるのはそんなに悪いことだろうか?
逃げ出したり勝手に繁殖したりしないよう厳重に管理するなら、環境への影響だってそんなにないのでは?
生きた恐竜を間近で見られたら、どんなに素晴らしいだろう。
目の前で草を食む首長竜たち、密林を行き交うすばしこい小型恐竜たち、そしてもちろん、囲いの中にはティラノサウルスがいなくては!
ティラノなしの恐竜復活プロジェクトなんて考えられない。獰猛なのは承知の上、だからしっかり管理して…。

恐竜復活、これは恐竜好きならときめかずにはいられない、そんなにうまいこと行くわけがないと分かっていても「本当だったら素敵だな」と思わずにはいられない夢物語でございます。だからこそ、たとえ無謀なプロジェクトであったにせよ、それを押し進めてしまったハモンドを責めきれない部分がありました。つまり観客からハモンドへの共感の余地があったのです。
そのため、しっかり管理されていた「はず」の恐竜たちが囲いから放たれてからのパニック映画らしい展開にハラハラドキドキする一方、何もできずにひとりぼっちでアイスクリームを食べるハモンドの姿に悲哀を感じ、終劇に際しては単なる「めでたし、めでたし」という楽観のみならず、戒められたような粛然とした気持ちも残ったのです。

また一例を挙げれば、『パーク』では数学者マルカムがグラント博士を手助けしようとして、もう少しで立ち去る所だったティラノサウルスを自分に引きつけてしまうというポカをやりましたけれども、これなども結果的には誤りであったとはいえ、行動の動機そのものは共感できるものでした。同じ立場に置かれたら自分もああした、という人だっているかもしれません。(ワタクシは臆病者なのでしませんが。)
またマルカムは魅力的なキャラクターでしたから、観ているこちらも「あんなバカなことをして」と憤るのではなく、むしろマルカムの身を案じてますます手に汗握ることになったわけです。

ところが『ワールド』では魅力ある登場人物がそもそも少なく、なおかつ揃いも揃って共感できない行動ばかり取るので、終始ハラハラどころかイライラさせられました。子供らが無鉄砲なことをするのは仕方ないとしても、大人たち、しかもその道のプロであるはずの飼育係や重要な部署の担当者、そして施設全体の管理責任者までもが、個々の状況判断から組織的な運営といった様々なレベルにおいて「え、何で!?」と言いたくなるような愚かな行動に及ぶのです。

特に本作のヒロインであり、(それらしい描写はないものの)科学者であり、パークの管理責任者でもあるらしいクレア、これは本当に不愉快なキャラクターでした。生まれてこのかた観た映画を振返ってみても、これほど不愉快な登場人物はそうそういないという程の超弩級の不快キャラです。
恐竜たちのことを見下し、恐竜好きの部下をバカにし、目下の者にはとにかく威丈高、その上意固地で浅はかで無責任ときております。ワタクシはこの人物があんなにバカにしていた恐竜たちによって無惨に喰い殺されるのを心待ちにしていたのですが、あろうことか最後まで生き延びやがりました。

その一方で、クレアから甥っ子たちのお守りを押付けられた秘書の女性は、そのせいで(と言っていいと思いますが)とんでもなく悲惨な死に方をするのです。結婚式を目前に控えていたのに。この秘書がクレア同様に普段から恐竜を見下していたとか、実は今回のパニックの原因の一端であった、とか、密かに軍と通じて情報をリークしていた、とか、そういった描写があるならまだしも、ほとんど何の落ち度もなかった彼女を、なぜあんなにも執拗に痛めつけてから死なせることにしたのか、制作者の意図が全く分かりません。

この他にこまごまとした例を挙げることはよしますが、とにかく登場人物の行動に共感できないので、バカなことをした人物がその後ひどい目にあっても自業自得だなとしか思えず、バカなことをした人物がひどい目にあわなければ御都合主義が気になり、バカなことをしたわけでもない人がひどい目にあえば理不尽な気がして、映画にのめりこむということができませんでした。

それから、恐竜のことなんですが。
遺伝子組み換え恐竜インドミナス・レックス、あれはもう恐竜ではなく怪獣ですから、何でもありで結構です。目からビームを出そうが火を吹きながら空を飛ぼうがお好きになさったらいい。でも、ヴェロキラプトルが中盤でいきなり人間臭くなるのは何故なんですか。映画序盤では飼育員のオーウェンを喰い殺しかねない奴らだったのに、それから数時間しか経っていないはずの中盤ではすっかりオーウェンに懐いている様子。しまいにはオーウェンを守るために闘い始めるってどういうことですか。

細かい事は気にするなと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、これ、ちっとも細かい事ではございません。
細かい事というのは、いかに幼獣だからって触れ合いコーナーにトリケラトプス出すのは危ないだろあそこに出すならプロトケラトプスだろ、とか、翼竜たちは突然ねぐらを襲撃されたのに何で侵入者に襲いかかるのでも散り散りに逃げ出すのでもなく皆で食糧調達にいそしんでるんだ、とか、軍のヘリは外部からパークのある島に向かって飛んでるはずなのになんであの翼竜(ディモルフォドン?)はヘリと同じ方向に飛んでるんだ、とか、アンキロサウルスでさえあんなに勇敢に闘ったのに、野原にいたトリケラたちがインドミナスに一矢も報いずにみんな逃げ出すなんてことあり得るだろうか?!とか、そういうのです。

ラプトルたちとオーウェンに代表される、恐竜と人間との信頼関係というのは、本作の大きなテーマのひとつ、しかもシリーズの他作品にはない、本作が独自に打ち出したテーマではありませんか。それなのにこんな雑な描きかたをしてはイカンでしょう。
例えばラプトル舎での騒動からインドミナス狩りまでの間に、軍関係者か誰かの手出しのせいで事件が起きて、オーウェンがラプトルたちを命がけで助ける、それをラプトルたちがしっかり見ている、といった一幕があればまだしも説得力があったでしょうに。ワタクシとしては肉食恐竜たちには人間となれ合ってほしくなんぞ全然ないのですけれども、ストーリー上それが必要だというなら、せめて説得力のある語りをしていただきたいのですよ。

この1点に限らず、重要なテーマなのかと思いきや扱いがとても雑な「テーマもどき」がひとつならずあり、どれもこれも中途半端な印象を受けました。
ただ、インドミナス誕生をめぐるウー博士とマスラニCEOの対話の中で解説された失敗の構造については、それ以上突っ込まれることがなかったとはいえ、なかなか穿っていてよろしかったと思います。上層部がざっくりした指示だけ出して丸投げし、中間がそれを好きなように解釈し、末端の技術者らは自分の部署内でおそらくはベストを尽くし、誰もそうとは気付かぬ無責任体制の中でろくでもない代物が出来上がってしまった。でも、それもこれも、どんどん高くなる観客の要求に応えようとしたため…って、あれ、何だかこの映画自身のことのような気がして来ました。

それにしてもあのCEO、現場のことをあまり把握していないざっくり経営ではあったかもしれませんが、上述のクレアなんぞよりよっぽど責任感があり、人間もできており、若干お茶目ですらあったのに、何であんな死に方をせにゃならんのかしら。東洋人だからかしら。
ウー博士だって1作目に登場した時は全く悪人ではなかったのに、本作ではヤバい恐竜は作るわ、上層部に内緒で軍と通じてるわ、大事な胚を持ってさっさと逃げ出すわ、すっかり「悪い奴」になってしまいました。東洋人だからかしら。

↓こちらの記事によると、当初は中国人の女性古生物学者とその子供たちがメインキャラクターとして構想されていたのに、脚本見直しの過程で古生物学者はいなくなり、子供たちは白人ということになったのだそうです。

The radical “Jurassic World” we didn’t get to see: When “starting from scratch” means “starting from white” - Salon.com

また女性の描きかたについては、本国でも色々言われているようです。Jurassic World sexistのキーワードで検索しますと、反論も含めて色々出て来ます。もちろん主に取りざたされているのはクレアのことですが、ワタクシは他の女性キャラの描きかたもちょっと気になりました。
子供たちの母親なんて登場するたびにべそべそ泣いてましたし、未婚のクレアにわざわざ「子供っていいものよ!」などと言うのも唐突な上にわざとらしくて白けました。パークの女性スタッフも「死者が出た時に泣く要員」てな感じで、これといった活躍はありませんでしたし。
↓の記事が言うように、20年以上前の『パーク』の方がよほど女性をまっとうに描いていたと思います。

‘Jurassic Park’ is 100 times more feminist than ‘Jurassic World’ | Fusion


うーむ。
ひたすら文句ばかりったってこんなにも文句ばかり言うつもりではなかったのですが。
考えれば考えるほどイカン所が見つかってしまう映画のようです。
ほんと、何も期待せず「ただのパニック映画」と思って観た方がよかったのでしょうね。そうすれば、演出のダサさも、面白くもない笑い所も、無茶すぎる展開も、魅力のなさすぎるキャラクターも、笑って許せたかもしれません。
まあ、そんな心構えが必要だと始めからわかっていたら、そもそも観に行かなかったでしょうけれど。

『ターミネーター ジェニシス』

2015-07-17 | 映画
えーと

退屈はしませんでした。
アクションシーンは出来が良かったと思います。(ただし目新しさはない)
面白い映像もそこそこありました。(まあ2つ以上はあったような気がする)
所々に挟まるユーモアもまあよかった。(”笑顔”シーンは多すぎて食傷)
しかし全体的には「まあそうならざるを得ないよね…もう5作目だもんね…」という展開がずうっと続いて、そのわりにはシリーズとしてはやっちゃいけない事や言っちゃいけないことをサラッとやったり言ったりしているような気がして、頭の片隅で常にツッコミを入れながら鑑賞する羽目に。要するにあんまりワクワクはいたしませんでした。
普通のタイムトラベルSF映画として見たなら、少々の無茶には目をつぶって楽しめたかもしれません。でもこれ、『ターミネーター』なんですよね。確かに「新起動」する話ではあり、それ自体には成功しているかもしれませんが、もはや『ターミネーター』という看板は巨大すぎかつ重たすぎて、どうあがこうとも長引くほどに沈んで行く運命にあるのではないかということを改めて思わしめる作品となっておりました。

さて。
1作目のファンの方からすれば邪道ということになりましょうが、ワタクシは『T2』至上主義者でございます。
より正確に言えば、T-1000至上主義者でございます。
本作を観に行ったのだって、9割がたT-1000を見たかったがためでございす。以前の記事で申上げた通りに。

T-1000ばなし - のろや

そんなワタクシが尋常ならざるT-1000好きとしてのものすごく偏った視点から本作についての不満を述べさせていただきますと。

以下、完全ネタバレでございます。









T-1000になんて仕打ちをしやがるんだばっかやろう!

いえ、イ・ビョンホンはよかったですよ、とってもよかった。本家ロバート・パトリックにも引けを取らない、たいへん結構なT-1000でした。と言いますか、そうなり得た。
ネット上では「T-1000がアジア系である必然性がない」という妙なご意見も見かけましたが、それを言うなら白人である必然性だってないでしょうに。重要なのはT-1000らしさが引きがれていることであって、そのためには俳優がアングロサクソンかアジア系かアフリカ系かといったことは無関係です。
本作のT-1000は不気味さも狡猾さも相変らず、のみならず自らの機体の一部を小道具として扱うことを覚えたなんて!これなら怖さもしぶとさも倍増しですようふっ。

…と思ったのに。
何であんなにアッサリとやられておしまいになるんですか!!
死に方それ自体はよかったと思いますよ。あの盛大な苦しみかたも、ズダボロになってもなお追いかけて来る執念深さも。
しかしそこに至るまでの過程があまりにも短すぎます。いくらサラ・コナー側があらかじめ罠をしかけて待ってたんだって、『T2』であんなにも、あんなにも苦戦したT-1000が一直線にトラップにはまり込んでジ・エンドって、そりゃないでしょう。こんなにも、こんなにもアッサリと片付けられたんじゃ、溶鉱炉に沈んでいったT-800も浮ばれませんですよ。

ええ、わかっております。新型ターミネーターT-3000を華々しく登場させるため、T-1000にはサッサとご退場いただきたかったんでしょう。
でもね、T-3000のマシーンとしての機能って、単にT-1000の焼き直しじゃございませんか?空を飛べるわけでなし、殺人ビームが出るわけでなし、溶鉱炉に落ちたら普通に溶けそうですし、硫酸かけても普通に溶けそうですし、むしろ磁場に弱くなってる分だけダウングレードしてるんじゃありませんこと?

しかも生粋のロボットではないので、喋りも立ち居振る舞いも普通の人間すぎて全然怖くありません。その一方でお茶目さではT-1000には遥かに及ばない。いいことなしじゃございませんか。
悪役とお茶目さの関係については以前の記事で述べた通りでございます。

『スター・トレック イントゥ・ダークネス』および悪役ばなし - のろや

何より、ジョン・コナーをあんなことにしてはイカンでしょう。ジョン・コナー=人類の最後の希望、というブランドを永久に穢してしまったではございませんか。今後もシリーズとして続くからには、これからも《スカイネット/ターミネーター/機械》VS《サラ&ジョン・コナー/人類》という対立の大枠自体は維持されるのでしょう。でも、どんなにサラが奮戦したとしても、また未来世界の人類がどんなに頑張って勝利を収めたとしても、最終的にはジョンがああなっちゃうかもしれないんですぜ。

いやいや待って、最終的にスカイネットが生き残ってジョンをマシーン化することができるなら、そもそも過去に刺客を送り込む必要だってないんじゃございませんか?!するってえと1作目や2作目で文字通り身を粉にして頑張ったT-800やT-1000の努力も完全に無意味だったということに。 まあどっちみち失敗しましたけどさ。
これでは今後のシリーズのみならず、過去の作品までギロチンにかけてしまったも同然ではございませんか。こういう批判をかわすためにも別の時間軸なるものを持ち出したのかもしれませんけれども、別の時間軸とかパラレルワールドって、このシリーズでは少なくともおおっぴらには言っちゃいけないことのような気が。

もういいかげん「新しくてすごい敵」のネタが尽きてしまったというのは分かります。そこで観客の予想を裏切るアクロバットとしてジョンをターミネーター化したのでしょう。しかしここで裏切っているのは観客の予想というより期待でございます。シリーズ物においてかつての敵が今回は味方に!という展開はアリでも、その逆をやって成功した例というものをワタクシは寡聞にして知りません。
ジョンが完全にマシーン化してしまったのではなく、わずかなりとも人間の心が残っていて葛藤するとか、それを見てサラ達も攻撃をためらってしまうとか、そんなのならまだしもよかったのにと思います。その方がジョンの再人間化というこれからの展開が望めましたし。

でもそういう気配はいっさいなしで、救世主という一大ブランドを「怖くない上に磁場に弱い劣化T-1000」におとしめただけでございました。こんなことをするくらいなら、怖くて不気味でなおかつお茶目な上にちょっぴり進化した本作のT-1000をもっと活躍させていただきたかった。そもそもT-1000の使い方にはもっと開拓の余地があると思いますよ。
ああそれなのに「新しくてすごい敵」にこだわったばかりに、中途半端な悪役が幅を利かせ、過去の遺産までないがしろにして。嘆かわしい。

挙げ句の果ては液体金属の大安売りですよ。
2017年のサイバーダイン社が、あとはCPUを装備するだけの液体金属をあんなにたっぷり保有しているのは、もちろんスカイネットの知を供えたジョン・コナーが未来からやって来たせいではありましょう、でもちょっと待って、いくら未来の知識や技術を投入されたとしたって、人類は機械よりも遥かに非効率的な作業者です。その人類が2017年時点でああも潤沢に液体金属を作ることができるなら、2029年の機械世界の支配者であるスカイネットには当然それと同じかそれ以上のものを作れるはずでしょう。それなのに、何故人類との闘いにただの頑丈ロボ(失礼)であるT-800を使ってるんですか?
T-1000が20体もあれば、ジョン・コナーがいようがいまいが楽勝で人類滅亡できるでしょうに。液体窒素と溶鉱炉のセットなんてそうそうそこらに転がってるもんじゃないんですから。どうしてもジョンを消したいなら、過去にT-1000を5体くらい送り込んでおけば、サラがどんなにタフだって生き延びられはしますまい。

何が言いたいかというと、「とんでもなくものすごい技術」であったはずのものをホイホイ使うなってことです。過去作品との整合性という問題があるのはもちろん、この液体金属の件なんて、ひとつの作品の中での整合性もおかしくなっているではございませんか。1984年にタイムマシンがあるのもげんなりしましたけれども、ここは話の都合上目をつぶったとしても、液体金属の安売りはちょっと許せません。

そうそうそれと、T-800からT-1000へのアップグレード。あれもいただけません。
液体金属ターミネーターってのは、冷徹非常な殺人マシーンだからこそいいんじゃございませんか。
そしてT-800は無骨でタフな旧型だからこそいいんじゃございませんか。
なんかもう、色々とガッカリなのです。

そんなわけでワタクシはこの作品を、ワタクシの中ではなかったことにしてしまいたいのです。『ジュラシック・パーク』の2や3のように。
しかしなかったことにしてしまうには、T-1000が素敵すぎるのです。フロントガラスの割れ目からにゅり~んと出て来て足から再生!とか、壊されたT-800に自分の断片をひとたらしして再起動!とか(ラストの伏線だったのはかえって残念)、立去ったかと思ったら壁越しにグサー、とか、そりゃもうホレボレですよ。欲を言えば、『T2』ラストのサラ擬態を再現したついでに「ちっちっち」も再現して欲しかったですね。そして「ああ、ちっちっちはT-1000の標準装備なのか」とほんのり笑わせてほしかった。

新シリーズ起動というからには、数年後にはまた新作『ターミネーターうんたら』が世に出ることになることになるのでしょう。本作の出来映えを見てしまうともはや次回作には何の期待もできません。それでもT-1000がちょっとでも出て来るなら、やっぱりいそいそと観に行ってしまいそう。こういう類のファンが、この遥か昔に倒れた巨人のようなシリーズをだらだらと延命させているような気もするけれど。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

2015-07-12 | 映画
いやはや、サイコーに面白かったのですよ。
何がいいって、臆面もなく世紀末ヒャッハーな所が実にいいではございませんか。

色々すごい改造車!
ひたすら無口な主人公!
地平線の果てまでうち続く荒野!
支配者と被支配者の絶望的な格差!
凶悪を絵に描いたようなヴィジュアルの悪党ども!
地獄のような砂嵐!それに飲み込まれて粉微塵に砕け散る人や車!
火器とチェーンとスキンヘッド!そして火を吹くダブルネックギター!ぎゅわわ~~ん!

でもって登場人物が揃いも揃ってまんべんなく熱い!
タフガイが熱い!
ヘタレ男だって熱い!
女たちも熱い!婆さんも熱い!
敵のザコどもまでが、思わず応援したくなる程に熱い!
生まれつき眼球がないっぽいギター弾きだの、ヴェルディのレクイエム背負って2丁マシンガン打ちまくるイカレ野郎だの、敵ながら死んじまうのが惜しいほどのはじけっぷり。


↓は本作の魅力が3分に凝縮されたミュージックビデオ。どのトレーラーよりもよくできていて、何度でも見てしまいます。

MAN WITH A MISSION×Zebrahead 『Out of Control (MAD MAX: FURY ROAD Ver.)』


話の筋はいたってシンプルで、要するに行って帰って来るだけなのです。しかし見ごたえあるアクションとメリハリのある展開、殺伐としているのに奇妙に美しい画面、そして濃いいキャラクターたちのおかげで1秒たりとも飽きることがありませんでした。むしろ筋立てが簡素であるがゆえに、過剰なまでにヒャッハー要素てんこ盛りであるにも関わらず、全体としてはとても引き締まった印象の作品でございます。

もののデザインも、砦や車といった大物から装身具などの小物まで、いちいち説得力があって結構でしたし、本筋とはあまり関わらないような細部の演出もよろしかった。とりわけグッと来たのは、オアシス村の生き残りである婆さまの1人が、大事な植物の種をナップザックや単なる箱ではなく手提げバッグに入れて持ち歩いているという細やかな設定。まあ女性が普段使いにするようなハンドバッグよりはかなり大きな代物ではありましたが、手許でそっと口を開く手提げバッグの形態は、あのマッチョ&マッドな世界においては思いがけなくフェミニンな小物に見えました。それはかつてのオアシス村やもっと少し生きやすかった時代を象徴するかのようでもあり、婆さまの女性としての矜持を示すささやかな砦のようでもあったのでした。

そうそう、女たち。
とても意外だったのが、女性の描かれ方でございます。実質的な主人公はマックスというよりも片腕の女戦士フュリオサでしたし、他の女性たちも単なるお飾りではなく、しっかりとストーリーを支えかつ廻しておりました。タンクの蔭で水浴びする薄着の女性たちが登場した時は「あー、守られ要員か」と思いましたし、実際初めのうちはあんまり役に立たなさそうに見えましたけれども、話が進むに連れて彼女たちも本格的に闘いはじめるんでございますね。それが例えば大勢の敵の一人をフライパンで殴ってやっつけた、という程度のものではなく、彼女らと、途中から仲間に加わる婆さまたちがいなかったら、マックスもフュリオサも生き残れなかったであろうという程の実際的な活躍でございます。無駄なお色気ショットもなし。またイモータン・ジョーの砦で”搾乳”されていた女性たちがラストで果した役割も、象徴的でよろしうございました。

そうはいっても『マッド・マックス』なので、ほぼ最初から最後までバイオレンスバイオレンスヤッホーヤッホーで突き進むわけですが、目を背けたくなるような描写はございませんでした。間口の広いエンタメ映画における暴力描写の作法をわきまえてらっしゃると申しましょうか。そういう点では、軽いノリとは裏腹に残酷な描写が多かった『キック・アス』などよりも、よっぽど安心して観られる作品でございます。昔のシリーズはもっと描写がエグかったような気がするのですが、どうでしたかしら。3作とも観たわりにはあんまりよく覚えていないのですが。

さて、作品の世界観を体現するようなタフガイでありシリーズそのものを象徴する主人公であるマックスは、外からやって来てコミュニティに救いをもたらしたのち去って行く、という西部劇的なヒーローの役割を演じます。実質上の主人公であるフュリオサは、その強い目的意識によって物語を牽引し、様々な苦難を乗り越えたのちに目的を遂げるという英雄物語的な人物を演じます。象徴的主人公であるマックスと実質的主人公フュリオサが共にタフで寡黙で英雄的で感情の起伏を容易には表現しないのに対し、主要登場人物の中で唯一よく喋るハイテンションヘタレ男のニュークスは、そのヘタレっぷりと純朴さゆえに最も共感し易いキャラクターであり、それゆえにその行く末はとりわけ胸に迫るものがございました。

独裁者イモータン・ジョーを崇拝し、自らの華々しい死と栄光の来世のことしか頭になかったニュークス。些末な道化であり狂言回しであった彼が挫折と立ち直りを経て妄信を捨て、最終的には他者の幸福を願って英雄的な行動を取るに至った流れは一種の成長譚であり、その点ではマックスやフュリオサ以上に、立派に主人公していた奴だったのでございます。おバカさとイノセンスと一抹の悲哀を体現して愛すべきキャラクターに仕上げたニコラス・ホルトの演技もまた、危機にあってもデキる男のオーラ漂うトム・ハーディや飽くまでも凛としたシャーリーズ・セロン(欲を言えば二の腕にもうちょっと筋肉つけてほしかった)に引けを取らない名演であったと申せましょう。個人的に好きなシーンは序盤でマックスに一瞬協力して、マックスの拳銃に弾をこめる所。
ちなみにコミック版ではニュークスのオリジンが語られているようですが、これ見ると名前の発音は「ナックス」が正しいようです。

Mad Max Fury Road - Origin of Nux


そんなわけで大満足の作品だったわけでございますよ。
これもやっぱり3部作くらいになるんでしょうかしら。
1作目がこんなにも素晴らしいと、続編はもう下降線を辿るより仕方がないのではないかと心配になってしまいますけれども、心配しつつも首を長くして待ちたいと思います。


『セブン・チャンス』と『酔拳2』(追記あり)

2014-12-14 | 映画
昨日のことですが、京都ヒストリカ映画祭でバスター・キートンの『セブン・チャンス』とジャッキー・チェンの『酔拳2』を観てまいりました。

キートンのセブンチャンス | HISTORICA
↑紹介文の中で「道化が基本のキートンが、珍しくエレガントでカッコイイ役で登場する珍しい作品」と書かれておりますが、これには異を唱えたい所です。長編デヴュー作『馬鹿息子』でも『海底王』でも『拳闘屋』でも、そして数々の短編作品においても、キートンはエレガントでカッコ良く、しかもなお道化なのです。

10月に京都国立近代美術館で『キートンの探偵額入門』が上映された時は、音声はもちろんのこと(サイレント映画ですから)伴奏も何もない全くの無音上映といういささか異様なものでございましたが、一転して今回は何と弁士さんによるナマ活弁、そしてギターのナマ演奏付きという贅沢さ。『セブン・チャンス』は、キートンの長編作品の中ではワタクシそれほど好きな方ではございません。前半に女性たちからフラれまくりバカにされまくるキートンが不憫すぎる上に、最終盤にならないとキートンの走りも転びも見られないからです。しかし、ただでさえ上映されることの稀なキートン作品、こんな機会を逃す手はない!ということで、同僚に休日を交代してもらって行ってまいりました。
え、有給?いっぱい余ってますけど人数かつかつなんでどうせ取れませんのですよあっはっは。

さておき。
弁士さんが意外にお若い方で、実を言いますと始まる前は少し不安だったのでございます。ところがいざ語りが始まりますと、奥手で実直な青年キートンや、可愛いヒロイン、弁護士のおっさんにボーッとした下男、そしてウバ桜もいいとこの花嫁候補たちなどなどのキャラクターをしっかり演じ分けつつ、ナレーションでは字幕や台詞にはない独自の語りを加えて笑わせる、全くお見事な職人芸を聞かせていただきました。
そして時には一気に盛り上げ、時にはじわじわと緊張感を高め、群衆の動作や足並みもギター一本で描き出す、細やかな伴奏も誠に素晴らしいものでございました。ワタクシはキートンが走っている姿だけでもうグッと来てしまうのですが、今回はその上に、熱のこもった活弁と伴奏が加わるわけでございますよ。700人の”花嫁候補”たちに追いかけられるキートンが爆走しながら、友人に向かって「彼女の家で牧師と待っててくれ、7時までに必ず行くから」と言うシーンでは本当に涙が出そうになりました。弁士さんの熱演、熱い伴奏、そしてキートンのあの走り、その全てがあんまり美しくて。

それから他の観客と一緒にキートン作品を観るというのも新鮮な体験でございました。意外な所が意外に受けたり、逆に笑いどころのはずなのに反応がなかったり、また凄いアクションには思わずという感じでおお!と声が上がったり。特にラスト近くの有名な、「階段落ち」ならぬ「坂転がり落ち」シーンでは、笑いと驚愕と感嘆と若干の不安(あれ大丈夫なの?!という)が入り交じったどよめきで場内が満たされ、なんとも幸福な気分になりました。

Buster Keaton chase scene


臨場感溢れる活弁を聞かせてくださったのは2000年から活弁士としてご活躍中の坂本頼光さん、素晴らしい伴奏をしてくださったのはギタリストの坂ノ下典正さんということです。本当にありがとうございました。
イベント・ゲスト | HISTORICA

さて、午前中の上映だった『セブン・チャンス』が終わり、いったん家に帰って不在者投票などなどを済ませた後、夕方にまた文博へ。自由席券だから満員で入れなかったらどうしよう!と思って早めに参じたのですが、全然混んではおりませんでした。ちと複雑な気分。

酔拳2 | HISTORICA

『酔拳2』を観るのはおそらくこれで4回目でしたが、最後に鑑賞してからもう少なくとも10年以上は経っております。久しぶりに観たらまあ、ええ、もう、震えが来るほど面白かったです。
反目と友情、怒りと正義感、まばたきするのも勿体ない見せ場の連続に、一度はのされた主人公がとことん悪い悪党どもを死闘のすえ叩きのめすという熱い展開、そしていつまでも古びない王道ギャグ。まあアクションの凄さは言わずもがなとして、故アニタ・ムイのコメディエンヌっぷりが本当に素晴らしく、ほとんど彼女が何かするたびに客席から笑い声が上がっておりました。

(追記)エンドクレジットが終わり、場内が明るくなると同時に、客席からは嘆息とともに自然と拍手がわき起こりました。こんな経験は『エルヴィス・オン・ステージ』以来でございます。素晴らしい映画と出演者に対する敬意をその場にいる見知らぬ人たちと共有できた、貴重な瞬間でございました。
エルヴィス忌 - のろや

『セブン・チャンス』も『酔拳2』も、上映後には『るろうに剣心』シリーズでアクション監督を勤められた谷垣健治氏によるトークイベントがございました。ワタクシは『るろうに剣心』を観ておりませんので、そのへんのお話は分からなかったのですが、とにかく『酔拳2』はアクション映画の最高傑作である、というお説には諸手を上げて賛成いたしたく。
トークの中でも話に上がっておりましたけれど、これを機会にバスター・キートンや昔の香港映画に興味を持つ人が増えてくれたらいいなァと、しみじみ思ったことでございました。

『ヒックとドラゴン2』劇場公開のための署名

2014-11-22 | 映画
《パラジャーノフ 生誕90周年記念映画祭》で『ざくろの色』を観てまいりました。
パラジャーノフについてはワタクシ、以前『火の馬』を睡魔と格闘しながら観て、結局いいも悪いもよく分からなかったという前科がございます。そこで今回はしっかり目を開けていようと、前日充分に睡眠をとり、眠気覚ましにお茶を携えて万全の体制で臨んだのにもかかわらず、映画が終わる頃には6割がた寝ておりました。うーむ、相性が悪いのかもしれません。


ところで京都みなみ会館のチラシ置き場にこんなものが。



このフライヤーをお手に取っていただき、ありがとうございます。ドリームワークスアニメーション(DWA)の傑作『ヒックとドラゴン』をご存じですか?まだ見たことがないという幸運なあなたは、こんなフライヤーなど読んでいないで、レンタルでもいいので今すぐ『ヒックとドラゴン』をご覧ください。そして、1作目を気に入った方や、すでに大ファンのあなたにお願いしたいことがあります。2014年9月現在、2作目の日本公開のめどがまったくたっておらず、このまま劇場未公開になる可能性が高いのです。どうか劇場公開希望のために署名という形でご賛同いただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。(HTTYD2日本公開を求める会)

ディーン・デュボア監督にもご賛同いただきました。
目標の1万人まで折り返しました。



これまでに劇場へ観に行かなかったことを後悔した映画を3つ挙げよと言われれば、ワタクシのチョイスは『マトリックス』、『ダークナイト』、そしてこの『ヒックとドラゴン』となります。(次点で『黒猫・白猫』)
先の2作が映画史にその名を刻む金字塔的作品であることは多言を要しませんが、『ヒックとドラゴン』もまた、歴代の名作アニメ映画のどれと比べても引けを取らない傑作、いや大傑作と申し上げてよろしいかと。ストーリー、キャラクター、グラフィック、音楽、どれをとっても満点の出来映えでございます。キャラクターの静止画がいまいち可愛くないのは仕方ありません。そこはドリームワークスですから。動くとちゃんと可愛いですよ。

『ヒックとドラゴン』 How to Train Your Dragon 予告編


何せアメリカ映画ではあるので、ラスボスはサダム・フセインの象徴なのだとか、お定まりの”西洋人による自然征服”がテーマなのだという見方をする方もいらっしゃるようですが、ワタクシは単純に冒険譚、成長譚、そして異文化交流のお話として観ました。そして大いに楽しんだわけです。
あまりにも完成度が高いので、実を申せば、続編を作ってほしくはありませんでした。そうは言っても作られたとあれば観ておきたいですし、大きなスクリーンで鑑賞できればそれに越したことはございません。
というわけで、以下のブログから署名サイトChange.orgに飛び、さっそく署名に参加いたしました。

「ヒックとドラゴン2(仮)」をどうしても日本公開してほしい会

チラシの文言にあるディーン・デュボア監督の賛同文は、Change.orgのコメント欄のトップで読むことができます。

Dean DeBlois
As the writer and director of How To Train Your Dragon 2, I would be deeply honored for our film to be released in Japan, a country with a rich tradition in animation. My own work has been greatly influenced by Japanese animation, most notably, the work of my personal hero, the legendary filmmaker, Hayao Miyazaki. I am touched by the outpouring of admiration and support for our film from our fans living in Japan, and it is my distinct pleasure to add my name to this petition in support of them.

ディーン・デュボア
『ヒックとドラゴン2』の脚本家および監督として申し上げます、この作品が日本で公開されるなら、私にとって大変名誉なことです。日本はアニメーションにおいて豊かな伝統を持っている国ですから。私の作品は日本のアニメーションから大きな影響を受けています。とりわけ私のヒーローである伝説的な映画監督、宮崎駿さんから。日本に住むファンの皆さんから、私たちの作品に対して大きな賛意と支持をいただいたことに、感動しています。そしてこの署名に私自身が参加できることを、とても喜ばしく思っています。


ちなみにこの『ヒックとドラゴン2(仮)』、映画情報サイトIMDbでは10点満点中8点、RottenTomatoesでは満足度92%の高評価となっております。

How to Train Your Dragon 2 (2014)
How to Train Your Dragon 2 - Rotten Tomatoes



ついでになりますが「日本ではあまり振るわなかった名作アニメ映画」繋がりで『アイアン・ジャイアント』という作品をご紹介しておきます。
見かけは地味ながら、これまた大変素晴らしい作品でございます。日本人としては一カ所だけギョッとする場面がありましたけれども、破綻のないストーリー、説得力のあるキャラクター、確乎としたメッセージ性、そして暖かみのあるアニメーションと、全体的にとてもよくできておりまして、ぜひとも多くの人に見ていただきたいお薦め作品でございます。

アイアンジャイアント 予告編


おお、予告編見ただけで 涙が出て来た。

『ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪』

2014-09-17 | 映画
忙しいしハゲは進むしいっそのこと弁髪にしたい。ぐるりを剃るのじゃなくて、前半分だけ剃るやつ。

それはさておき

ワイヤーアクションを駆使したファンタジー活劇といえば、香港映画のおはこでございます。
ワタクシこういうものがけっこう好きでございまして、ひところはよく観たものでございますが、2002年の『HERO(香港・中国合作)』を劇場で観たのを最後に、しばらくこの手の映画から遠ざかっておりました。しかしこのたびは徐克(ツイ・ハーク)監督の最新作ということでしたし、ちょうど現実逃避がしたくてたまらない心境ではありましたし、『キネマ旬報』での高評価やポスターのいかにも感にも心惹かれて、みなみ会館へいそいそと足を運んだわけでございます。

で、どうだったかと申しますと...

凄まじく面白かったです。
約2時間10分の上映時間、終わってしまうのが惜しいくらいでございました。
こういう映画では人間が空中を疾走したり、宙返りひとつで屋根の上に飛び上がったり、剣がびゅんびゅん空を飛んだりするのは当たり前。
もとより突っ込みどころは満載です。夜のシーンのライティングはいかにも不自然ですし、特殊効果も特殊メイクも所々ちょっとしょぼい。
(訂正。しょぼいのではなく、使い方がちょっとダサいのです。マトリックスの弾除け風の動きとか)
しかし、それがいったい何であろう!

例えば同監督の『蜀山奇傅 天空の剣』(1983)という作品、これは特殊効果という点で言えば、制作当時はともかく、ワタクシがこの作品を鑑賞した1990年代の水準からするとかなり稚拙に見えたものでございます。それでも、その活劇の楽しさや問答無用でぐいぐい引き込むストーリー展開、そしてキャラクターの魅力に「それがどぉしたぁ!」と大見得を切られ、ハハーと平伏せざるを得なかったのでございます。それぐらい面白かったのであり、それだけ面白い作品であるからこそ21世紀になってもデジタルリマター版DVDが発売されているのでございます。
おまけに今回の作品では予算とCGがプラスされて、ケレン味100倍増し!やりたい邦題!!サービスてんこ盛り!!!

映画『ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪』公式サイト

映画『ライズ・オブ・シードラゴン』予告編


アクション要員ユーチ(後述)の立ち回りがより楽しめる英語字幕バージョン。


時は西暦665年、大唐帝国3代目高宗の治世。(パンフレットや公式HPではなぜか「唐朝末期」と記載されておりますが、唐王朝はこのあと250年くらい続いて23代目で滅ぶのであって、この時代はむしろ初期です。)敵国へと送り出した10万の水軍が一夜にして全滅するという奇怪な事件が起きます。花の都・洛陽では、海を治める龍王の怒りに触れたのだという噂が流れ、洛陽一の艶姿を誇る芸妓のインが龍王への捧げものとして幽閉されることに。一方、大理寺(最高裁判所)の長官、ユーチ・ジェンジンは実質的な最高権力者である則天武后から「この事件を10日の内に解明できなくば首をはねる」と言い渡され、捜査に乗り出します。時を同じくして都にやってきたのは本作の主人公たる判事のディー・レンチェ。推薦状を携えてお役所に出向く途上で、幽閉の美女インを誘拐せんとする一団に遭遇したことから、彼もまた唐王朝の存亡をかけた謎解きと戦いに身を投じることになり...。

というのはほんの導入部でございまして。ここからまあ、謀略あり裏切りあり蠱術あり剣劇あり悲恋あり復讐あり男の友情(うっすら)ありそして怒濤のハッピーエンドへと、絢爛たる映像とワイヤーアクションぶんぶんで突き進むわけです。かくも色々な要素が盛り込まれ、回想やら、画面上には現れない交戦中の敵国の話やら、色々な要素が絡んできますのに、よくぞこれだけ混乱もなく、ダレもせず、必要充分かつスピード感満点で描くことができるものよと感嘆いたします。
そして華麗なアクションと息もつかせぬ展開にいっそうの彩りを添えるのが、魅力的なキャラクターたちでございます。
まず唐王朝転覆を図る陰謀を暴く鍵となる、洛陽一の芸妓イン、彼女の壮絶な美しさといったら。






(傘を持っているなんか冴えないのが主人公。笑)

まさしく傾城、いや傾国の美女。画面に登場する度にうっとりと目を奪われる艶やかさに加えて、愛を貫こうとする一途な姿勢にも心打たれるわけでございます。本作で重要な役どころを演じるもう1人の女性、則天武后がどのシーンでも圧倒的に豪奢で華美で凝った衣装に身を包み、貫禄の美貌を見せるのに対し、インは配色もシルエットも比較的シンプルな衣装をまとっており、シンプルさゆえにいっそうその瑞々しい美貌が際立っております。いやあ美女の見せ方を心得てらっしゃますな。
心優しい薄幸の踊り子、というのはやや類型的なキャラクターではありますが、本作のようにエンターテイメントに特化した創作物においては、人物像が類型的であっても何ら問題はないとワタクシは思います。むしろ類型の中でその「型」の持つ魅力がいかに的確に表現されているかこそ問題であり、そうした表現においてツイ・ハーク監督はピカイチの腕前を持ってらっしゃるのでございます。ちなみに類型と言えば、「由緒正しいアジアの悪役」的な風貌の悪役や、泣き言を言う太っちょ、色々と強烈な爺さん(役者さんは若いらしい)などのいかにも感漂う登場人物たちもまたよしでございました。

インを演じているのはアンジェラベイビーというモデル出身の女優さんで、日本のファッション誌にもよく取り上げられているかたのようです。ワタクシはそっち方面に詳しくないので全然存じませんでした。見目麗しいだけでなく、恐怖におののく表情や、蠱惑的な流し目、そして何かを訴えんとする時の思い詰めた眼差しなんかも実によろしうございます。まあ唐時代の美人というのはもっとむっちりぽっちゃりと肉付きのいい婦人であったわけですから、本当は華奢な身体のアンジェラベイビーさんは唐美人の範疇には入らないかもしれませんけれども、そういう細かいことは抜きにして、中国文学に登場するあらゆる美女を演じていただきたいような風貌の持ち主でございます。悪女も仙女もこなせそう。

それからいかにも冷徹な切れ者といった風貌の大理寺長官ユーチ、こいつがもう

血反吐が出るほどカッコいい。

紫の長い衣をひるがえし、美しい透かしの入った三本の剣を操り、重力の法則を華麗に無視してバッサバッサと飛びまくる!斬りまくる!
それはもう、

ビシィィィィ


バシィィィィ


ドドォォォォン




というぐらいのカッコよさ。
ウィリアム・フォン/フォン・シャオフォンという俳優さんはあくまでも演劇畑の人のようで、ドニー・イェンやジェット・リーのような武術の達人というわけではございませんので、複雑なアクションは代役が務めてらっしゃるのではないかと思います。しかし役として見るならば、殺陣も立ち姿も飛び姿も、そりゃもうビシィッと決まっておりまして、ワイヤーアクションの楽しさを存分に味わわせてくれるキャラクターでございます。パンフレットの写真や↓のメイキング映像から判断するかぎりでは、少なくとも大ジャンプしたりぶっ飛ばされたりといったわりと大掛かりなシーンでも俳優ご本人がこなしておいでのようです。

Young Detective Dee


登場人物の中でこのキャラクターだけ頭髪が赤みを帯びているのは、異民族の血が濃いことを示唆しているのか、あるいは気性の激しさの象徴であるのか。まあ分かりませんが、「真金(ジェンジン)」という名前は何となく北方民族っぽいような。眼差し鋭く、武芸に秀で、頭もよく、キレッキレの隙のない男かと思いきや、インが詩を愛好すると知ったとたんに「詩を書く!(で、でも精神を養うためだからな!)」と言い出して副官をポカーンとさせ、しかも詩才が全然ないらしく一行も書けない、という微笑ましいボケをかましてくれるあたり、実にステキでございます。

主人公ディーが主に推理担当であるのに対し、ユーチはいわばチャンバラ担当であり、序盤での盗賊団を相手とした大立ち回りから、黒幕との死闘、そして巨大な海の怪物との対決まで、華やかなアクションで楽しませてくれます。まあ要するにいつもディーに先を越されて一足遅く現場に着くせいで、ちょうど鉢合わせ悪者たちと闘う羽目になるということなんですが。

このユーチにライバル視されるのが主人公のディーでございまして、「中国版シャーロック・ホームズ」という謳い文句わりとそのまんまなキャラでございました。ワトスン君もいます。といってもルームメイトではなく、たまたまそこに居合わせたせいでディーに片棒を担がされて事件に関わっていく若い医師なのですが、設定はどうあれ「巻き込まれる善人」というのはなかなか味わい深いポジションなのでございます。演じるケニー・リンの「いい人」を絵に描いたような風貌も役柄にピッタリでございます。

向かって左から、ホームズ先生、アクション要員、そしてワトスン君。



主人公に話を戻しますと。
演じてらっしゃるマーク・チャオの面長な風貌のせいもあってか、ホームズ先生に比べるとディーは何だか飄々としておりまして、一見ものすごい人物には見えません。(前作『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』ではアンディ・ラウが演じたとのことですが、今回は前日譚のため若い俳優を起用した模様)ところがその実態は、一旦頭に入れた情報を決して忘れず、様々な事実を瞬時に繋ぎ合わせ、味方に先んじ敵の裏をかく行動に打って出る、スーパー頭脳の持ち主。
実在した名宰相「狄 仁傑=てき じんけつ=ディー・レンチェ」がどのぐらい賢い人物であったのかは、この際どうでもいいことです。洛陽がなぜかえらく海に近いことも突っ込んではなりません。清廉で賢くて度胸のある主人公とその仲間たちの快刀乱麻の活躍によって、崩壊の危機にあった秩序が回復され、引き裂かれた恋人たちはお互いの腕の中に戻り、正義の人たちは笑みを交わし合ってより良き明日へと向かう、その安心感と爽快感こそが重要なのでございます。

で、そのスーパー賢い主人公ディーにいつも先んじられてむかっ腹を立てるのがユーチなわけなんですが、この「温和で飄々とした天才」と「激しやすい美男の秀才」という組み合わせ、『三国志演義』好きなら周瑜と諸葛亮を連想せずにはいられないところでございます。
もちろん、いかに無茶な話がまかり通る『演義』でも、周瑜が屋根の上を飛び回ったり孔明さんが白馬で海中を駈けたりはなさいません。
しかし、それをやってこそツイ・ハーク!
しかも問答無用で無類に面白く見せちゃってこそツイハーク!

何て申しますと無茶苦茶な話のような印象になってしまいますけれども、本作はもちろん史劇として見られるべきものではございません。そして(実際そうである所の)ファンタジー作品としてみた場合、ストーリーには何ら破綻がなく、むしろ全てが収まるべき所にきれいに収まる見事な物語となっております。ファンタジーは何でもアリだから破綻しないのが当然と思ってはいけません。制作者がそうタカをくくったためか、ファンタジーでありかつ破綻している作品というものは、残念ながら存在します。逆に言えば、登場人物の動機やお話の展開が筋の通ったものであれば、たとえ科学的法則が無視されようとも、映像が稚拙であろうとも、大いに支持され、長く愛される作品となりうるのであって、本作もそういう映画のひとつであろうと思います。

美術面のことを申しますと、中国史好きならまず洛陽の街が俯瞰で映し出されるシーンが出てくるたびにワクワクすること請け合いでございます。あんなに立派なモスクがあったかどうかはまあ於くとしても(というか多分絶対ない)。それから衣装デザインがたいへんよろしうございました。主要登場人物はもちろんのこと、ほんの一瞬しか映らないような端役に至るまで、各々にふさわしい意匠や色彩の衣服をまとって、世界観の構築に寄与しております。中でもデザイナーさんがその才能を存分に発揮した感があるのが、ほとんど出てくるたびに衣装の違う則天武后でございます。どの衣装もきらびやかでありつつも厳めしく、他を圧するような凄みがあり、演じるカリーナ・ラウの上手さも相まって「大唐帝国の頂点に立つ女」のオーラをばんばん発しておりました。
則天武后とインの衣装のデザイン画のはいくつかは、こちらで→Rise of the Sea Dragon | Tumblr見ることができます。デザイン画自体も美しいですな。

この他に褒め忘れた所はなかったかしらん。
そうそう、音楽!とりあえず盛り上がります!作曲者は日本人の川井憲次というかたで、『攻殻機動隊』や『リング』、『デス・ノート』、『スカイ・クロラ』などにも曲を提供なさってるとのこと。ワタクシは全部見たことがありませんけれども。本作でも何しろお話と映像に引き込まれっぱなしだったものですから、あまり音楽に注意を払っていたとは申せません。もしもう一度観に行けたら、その時はもう少し音楽に気を配ってみようかなと思っております次第。

えっ。
忙しいのにまた行くのかって。
行ければって話ですよう。
1日は24時間もあるんですから、2時間くらい現実からトンズラしたっていいじゃございませんか!
どうせツケを払うのは自分なんですし!!



そうそう、もしこれから観に行かれるというかたは、エンドロールが始まっても席を立っちゃいけませんよ。
なかなかのオマケ映像が待っておりますからね。