のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

シーレ忌

2009-10-31 | 忌日
本日はエゴン・シーレの忌日でございます。

夏から猛威を振るっていたスペイン風邪に、妊娠中の妻ともどもやられたのでございます。享年28歳。
大成功を収めたその年の展覧会でオーストリア芸術界の新星として注目を集め、念願だった広いアトリエを借りた矢先のことでございました。

28歳という若さで命を失わざるを得なかったシーレの運命は、深い悲しみには違いないが、彼の人生、そして生涯残した作品は、比類ないほど本質的な完成を遂げている。

年老いた画家たちは若かりし日々を思い焦がれながら振り返るが、シーレは現在進行形で若き日々を体験し、またそれを卓抜した技量で表現することのできた数少ない芸術家のひとりだった。

『エゴン・シーレ ドローイング水彩画作品集』 ジェーン・カリアー著 2003 新潮社 p.447

シーレがもっと生きていたら、どんな作品を描いていただろう。
卓越した技量に「青年らしい」繊細さと荒々しさを兼ね備えたこの画家が壮年となり、あるいは老年にまでなったとしたら、どんな線を引き、どんな色を使ったのだろう。
こう考えてみることもないではございません。しかし白樺に杉やケヤキのような「数百年の老木」が存在しないように、シーレと老齢というものはどうあっても両立しないもののように思われるのでございます。

どういうわけか、シーレのように青年らしさを拭いきれない特色とする芸術家が、成人期に差し掛かる直前にその生涯を終えることが多い。だが、もしかするとそれが相応しいのかもしれない。
前掲書 同頁


だまし絵展2

2009-10-27 | 展覧会
10/23の続きでございます。

17、8世紀のだまし絵を集めたセクションから、オヤと思ったものをもうひとつ。
ヤーコプ・マーレルの『花瓶の花』という作品でございます。
(↑リンク先の画像は展示されていた作品のものではございませんが、モチーフはほぼ同じとお考えください)

奥行きの狭い石造りの台の上に、豪奢な花々を活けたガラスの花瓶と、四つのサクランボを乗せた金属の皿が描かれております。
よく見ると、花瓶の表面にはこの絵を描いている画家の姿とアトリエの風景が映り込んでおります。
なるほど、ここがだまし絵なのだな...と納得しかけましたが、さらによくよく見ると、映り込みの中ではサクランボが皿の上にはございません。台の上に、しかも狭苦しい台の上ではなく広々とした机の上に、散らばっているのでございます。
こはいかに。
花瓶が置かれているのは、すぐ後ろに壁の迫った狭い台の上という、殺風景で閉塞した空間でございます。それに対して映り込みの中には、光が降り注ぐオランダ風の窓やたっぷりとしたカーテンに飾られたやや乱雑な、そのぶん生き生きとした画室風景が広がっております。
画家がだまし絵効果を狙って描いたのか、それともアトリエで正確に描いた花瓶をそのままヴァニタス風の殺風景な背景にはめ込み、かつサクランボを描きなおすのをおっくうがったためにこうなったのか、それは分かりません。しかしおとなしい静物画の顔を装いながらその実、ガラスの花瓶の中に別の世界を閉じ込めているこの作品、何やら心地よいめまいを感じさせる魔術的な魅力がございました。

ちなみにその向かいには地味~にスルバランが。
リストには「特別出品」とありますが、何でございましょうね。
キリストの顔を写し取ったという聖顔布を描いた作品でございまして、ルパート・エヴァレットみたいなちょっと珍しい顔立ちのキリストが描かれておりました。

このセクションのあとには19世紀アメリカで突如流行したスーパーリアル画と、日本のだまし絵のセクションが続きます。
こってりと緻密に描かれた油絵のあとに見る絹本掛け軸や錦絵は、ダシとわさびのきいた麺つゆでいただく冷そうめんのような清涼感がございました。「だまし」も軽妙でユーモラスなものが多く、怒濤の20世紀セクションの前のいい箸休めになりました。

20世紀セクションの何が怒濤って、エッシャーとマグリットの二代御大に加えてダリはいるわマン・レイは出てくるわ、ヴァザルリは向こうへ行ってしまうわ福田美蘭はナナメ5度の角度で壁にめりこむわ、そりゃもう大変でございます。
セクション冒頭の解説文で、その絵画技術が思いっきり「月並み」と言われてしまっておりますマグリット。



冷静に見ると確かにそうでございまして、ものによっては下手っぴいですらあります。それなのになぜか、すごくうまい絵のような気がしてしまうんでございますよ。これも一種のだまし絵効果でございましょうか。

しかしまあ
だまし絵の御大もシュルレアリスムの寵児も差し置いてのろに強烈な印象を残したのは、パトリック・ヒューズの『水の都』でございます。新日曜美術館で取り上げられていたのでそのトリックは分かっていたのですが、それでもなお衝撃的な作品でございまして、自分の目が信じられなくなりました。

A Patrick Hughes Reverspective Painting



こう、ずっと見てまいりますと、17~19世紀のだまし絵は「現実とはこうであるはず」という送り手と受け手双方の了解にのっとった騙しかたであるのに対して、20世紀のそれは、受け手が当たりまえのものとして持っているそうした了解を裏切り、揺さぶるものとして働いているように思われました。400年に渡るトリック的な作品にまみれてその最後に現実を揺さぶるような作品がどっと待ちかまえていたものですから、あ~面白かったと満足しつつも、美術はいったいこれからどこに向かって行くのだろうとちょっと不安な気持ちを抱いて企画展示室を後にいたしました。
まあそのおかげで、天井の低い2階の常設展示室に足を踏み入れ端正な小磯良平作品に囲まれますと、いつにもましてホッ と落ちついた気分になったのでございます。





だまし絵展1

2009-10-23 | 展覧会
兵庫県立美術館で開催中のだまし絵 アルチンボルドからマグリット、ダリ、エッシャーへ へ行ってまいりました。

「作品に手を触れないでください」の表示がいつになく多かったような。気のせいかしらん。

「だまし絵」と一括りにまとめておりますが、技法も着眼点も、また「騙し」の方向性も様々でございまして、大いに楽しめました。本物と見まごうスーパーリアル絵から視覚的トリックを駆使したもの、ダブルミーニングが込められたものなどなど色々な作品がある中で、まず度肝を抜かれたのはアドリアーン・オスターデの『水彩画の上に置かれた透明な紙』。
ちと再現してみますと、こういう作品でございます。



絵の一部をわざと隠した現代アートかと思いきやさにあらず。
近くに寄ってよく見ると
よく見ると
よく見ると
いや、よくよく見ても
どこまでが絵なのかちょっと分からないのでございますよ。
オスターデは17世紀オランダの風俗画家で、市井の人々を描いた作品を多数残しております。ところが本作では、画家が得意とするはずの風景と人物が描かれた絵は、トレーシングペーパーのような薄い紙の下に8割がた隠れてしまっております。実はタイトルが示すとおり、この作品の主役は巧みに描きこまれた「透明な紙」。ごく薄い紙を指でつまんだときについてしまう波うちまでも表現されており、いやー参りましたとしか言いようのない、見事な騙しっぷりでございました。

17、8世紀の作品を集めたこのセクションでは日用品が絵の中にこまごまと描かれていたりしますので、当時の風俗の記録という側面も楽しむことができます。
そういう点で興味深かったのが、切り抜いた板にあたかも立派な大理石の彫刻であるかのように彩色したもの、要するにこういう 書き割り状の作品でございます。その隣にはあたかもレリーフ(浮き彫り)であるかのように描かれた絵なんてものもございました。こうしたものものが17世紀西欧で流行したんだそうでございます。普通に本物の彫刻とかレリーフを飾ればいいじゃんかと突っ込みたくなりますが、これが非常に人気を博したんだとか。

生活に窮する世帯がこういうものを買い求めたとは思えませんから、財力にそこそこ余裕のある家が飾ったのでございましょう。それなりに立派な屋敷内に書き割りの彫像が並んでいるのを想像しますと、何だかむなしい。騙されることの面白みがあるにしても、それを相殺して余りあるほどの空虚さがあるようにワタクシは思います。あるいはこうした奇想の作品もその深い意味合いにおいては、目の前のものが永遠ではない、全てはむなしいというヴァニタス画を生み出した時代精神の現れなのかもしれません。

次回に続きます。

Down to the last minute

2009-10-16 | Weblog
長いことAvaazからの書名・募金呼びかけメールのご紹介をサボっておりました。
怠惰ゆえのことであり、もうちっと頑張らねばと思います。

以下、地球変動枠組み条約に向けてのキャンペーンについて、Avaazからのメールを転載いたします。(和訳文責:のろ)


Dear friends,
今から10週間後、気候危機を食い止めるための国連条約に関して、コペンハーゲンで最後の話し合いが行われます。3通りの結果が考えられます。物別れに終わるか、実効性のない条約で合意するか-----、あるいはもしかしたら、破壊的な気候変動を食い止め得る世界的条約を結ぶことができるかもしれません。

国連の気候科学者は昨日、記者団に対して、話し合いの結果は「最後の最後まで」明かされないだろうと語りました。結果の見通しは希望と絶望の間を大きく揺れつつ、日に日に状勢を変えています。

こういう時こそ、人々の力で大きな変化をもたらすことが出来ます。

そこで私たちは9月21日のGlobal Wake-Up Call活動で得られた勢いを基盤に、コペンハーゲン・サミットが終わるまで絶え間ないアクションを起こす、史上最大の環境活動を計画しています。これから10週間に渡って、条約に前向きに取り組む人々には支持を、その反対者に対しては不支持を表明する即時反映広告を出します。またTckTckTckに参加している団体らと共に、前例のない規模で世界の人々の声を集約しています。そして12月12日に温暖化防止に向けた世界同時アクションを行うための準備を着々と整えています。この大規模なアクションを、世界の指導者たちは無視できないでしょう。

こうした活動はサミットの成果に大きな影響を及ぼし得るものですが、資金が必要です。この決定的な10週間のあいだ、沢山の皆さんから少額のウィークリー寄付をいただくことで、世界を変えようと高まりつつある皆さんの声をはっきりと表明することができます。(のろ注:1週間250円から参加できます。つまり10週合わせても2500円。一回だけの寄付もOK、ウィークリー寄付は途中でキャンセルもできます)下のリンク先から、この取り組みへのご支援をお願いします。

Avaaz.org - The World in Action
(のろ注:↑寄付の方法は後述。*****以下をご覧下さい)

ほんの一ヶ月前まで、条約締結の見通しは暗いものでした。ところが9月にAvaazのメンバーと仲間たちが、気候変動に対して行動を起こすよう求める電話を各国政府にかけまくった結果、彼らはようやく重い腰を上げました。日本(のろ注:京都議定書のこと)からノルウェーへ向けての、大きな前進です。イギリスのブラウン首相とブラジルのルーラ大統領は、首脳自らコペンハーゲン会議に参加することを表明しています。条約締結の可能性に、また一歩近づきました。

しかし希望が大きくなるにつれ、反対派もいっそう手ごわくなりつつあります。アメリカでは化石燃料産業のロビイストたちが温暖化防止に関する法案成立を頓挫させようとやっきになっています。ドイツに新たに誕生した保守政権は産業界からのプレッシャーにさらされています。そしてカナダやロシアが見せる強情さや、豊かな国と貧しい国のギャップを埋めるための話し合いといった微妙な問題がからんでいるため、ここ最近見られた進展も、まだまだ危ういものと言わねばなりません。

私たちの力が一番必要とされているこの時に、力及ばず失敗するなんてことがあってはいけません。史上最も洗練され、大胆な、かつ大規模な環境キャンペーンに、あなたのご寄付をお寄せください。

この10週間で、私たちは地球の歴史を創って行くのです。私たちは政府が決めることをいつもコントロールできるわけではありません。それでも彼らに影響を与えることならできます。今下される決定の影響を受けるのは未来の世代ですが、その決定を変えることができるのは、今生きている私たちだけです。もはや黙っている時ではありません。立ち上がりましょう、一緒に。

希望と決意と共に
Ben, Taren, Alice, Paul, Ricken, Iain, and the whole Avaaz team

PS:世界初の拘束力のある環境条約、京都議定書の目標期限は、2012年に設定されています。12月に開催されるコペンハーゲンでの会議は、ポスト京都議定書の目標を話し合うものです。この目標については、この3年間協議が行われて来ました。もしこの年末の機会を逸したなら、同じ位置まで漕ぎ着けるのにまた何年もかかるでしょう。今こそがチャンスなのです。


*****
寄付の方法

1 Enter your Details
One-time donation(一回だけの寄付) か Make donation weekly(一週間ごとの寄付)にチェックを入れる
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Make donation weekly(一週間ごとの寄付)を選んだ場合は以下の注意書きがピンクの字で表示されています。
あなたのご寄付は今日を初めとして2009年12月18日まで、毎週同じ日にあなたのクレジットカードに請求されます。いつでもキャンセル可能です。

3 Enter your credit card details
Type でカードを選んで、Card Numberにカード番号を入力。Verification Number にカード裏側の名前欄に印字されている番号の下3桁を入力。Expiration Dateで有効期限を選んで、その下にあるピンクのDONATEボタンを一回クリックしますと「◯◯円募金するけどいいんですね?」という確認のウインドウが出て来ます(多分)。いいよという方はOK、やっぱやめようという方はキャンセルを。

送信後、ご寄付ありがとうございますページに移動します。入力したメールアドレスにはご寄付ありがとうございますメールが届きます。



ウィリアム・ケントリッジ展

2009-10-11 | 展覧会
京都国立近代美術館で開催中のウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた…… へ行ってまいりました。
↑リンク先で会場内の様子や作品の一部分が見られます。

展示の中心はアニメーション。と申しましてもいわゆる「アニメ」と聞いて想像するようなツルッとしたものではございませんで、切り絵のシルエットを少しづつ動かしたり、紙に描かれた木炭ドローイングを描いちゃ消し描いちゃ消ししながらコマ撮りするという素朴な手法で製作されたものでございます。素朴なだけにその手間の積み重ねたるや大変なもので、展示されている原画の中には、描き消しのすえ紙の表面がもろもろに破れているものもございました。

作品の多くは社会的なメッセージが込められたものでございます。しかし素朴な手法から生み出されるやや荒削りな迫力とアニメーションならではのユーモラスな表現、そしてどこかもの悲しい音楽がかみ合って、メッセージ云々は置いてもとにかく目が引きつけられついつい最後まで見てしまう、感覚的な魅力・引力を発しております。

初期の作品は母国である南アフリカのアパルトヘイト問題を反映したもので、社会のひずみを生み出している当事者(=裕福な白人)を告発する内容となっております。そのテーマは後年広がりを見せ、国や時代に関わらず、ひずみの存在そのものを無視することに対する警鐘へと変化しているように思われました。
サブタイトルの「歩きながら歴史を考える」とは一歩一歩、歩みを進めるのにも似た地道な製作手法の比喩であると共に、刻々と位置を変えながらも今と過去に通底する問題を見つめようとするケントリッジの姿勢でもありましょう。

また、中ごろにまとめて展示されている「ジョルジュ・メリエスに捧げる7つの断片」は実に詩的で美しい、しかも思わず微笑んでしまうようなおかしみのある作品群でございました。エスプレッソメーカーがロケットになって月に飛んで行ったり、コーヒーカップが注がれてたまるかとばかりに机上を逃げ回ったり、散らばった紙がひらりひらりと手元に舞い戻ったりと、アーティストがアニメーションという媒体で遊んでいるような楽しさがある一方、作品を生み出す際に創作者につきまとう苦しみや苛立ちも、コミカルながら伝わってまいります。

William Kentridge (2003) Journey to the Moon (抜粋)



ケントリッジ自身は彼の手法を「石器時代の映画製作」と呼んでおりますが、展覧会自体は現在のテクノロジーあってこそのものでございまして、四方の壁に大きなアニメーション映像が投影された展示室にヘッドホンをつけて入って行ったり、円盤上に映し出される歪んだアニメーションを、その中央に立てられた円筒形の鏡で鑑賞するなど、面白い体験ができました。
作品を全部見るとまず3時間くらいはかかりますので、時間に余裕をお持ちんなって、かつ暖かい恰好でお出かけんなることをお勧めいたします。


スマトラ沖地震

2009-10-08 | Weblog
国際NGOワールド・ビジョン・ジャパンから、スマトラ沖地震の緊急援助募金メールが届きました。
以下に(名前の部分以外)そのまま転載いたします。

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スマトラ沖地震緊急援助募金のお願い

××様、いつも途上国の子どもたちをご支援くださり、ありがとうございます。

9月30日に発生したインドネシア・スマトラ沖地震により、少なくとも1,000人以上が亡くなり、その数は今後さらに増えると予想されています。現在も多くの方々が倒壊した建物の下敷きになっており、救出活動は難航しています。

被災の最も深刻な西スマトラ州パダンの住民たちは、「街中の家が破壊され、人々はパニックに陥っている。人々は、家族が怪我をしたのではないかという恐怖にさらされながら、必死に捜し歩いている」と語っています。


パダン最大のショッピングセンターだったプラザ・アンダラスの前で座り込む兄弟

病院を含め、500以上の建物がこなごなになりました。大通りは混沌と化し、救助隊が生存者を掘り出す作業を続けています。電力の復旧も遠く、通信や状況の連絡が極めて困難な状況です。

ワールド・ビジョンの緊急援助チームは、地震発生から24時間以内に現地入りし、被災状況がもっとも深刻なコタ・パダンとパダン・パリアマンで、10,000世帯以上を対象に水・衛生用品や、緊急に必要な家庭用品、子ども用グッズの配布を開始しました。今後は、より多くの方々に緊急支援物資を届けていくほか、被災した子どもたちのための身体的、心理的ニーズを満たすためのチャイルド・フレンドリースペースの運営、教育、保健分野での支援を行います。


ワールド・ビジョン・ジャパンの、「スマトラ沖地震緊急援助募金」に、××様のご協力をぜひお願いいたします。


被災地の様子

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ワールド・ビジョン・ジャパン公式サイトはリンクフリーではございませんので、募金をお考えの方はお手数ですが検索サイトで world vision と入力の上、検索結果の先頭に出て来る公式サイトをご覧ください。トップページの「注目の情報」という欄にスマトラ支援の記事がありますので、そこから募金フォームへとお進みくださいませ。

『マイケル・コリンズ』

2009-10-06 | 映画
ここの所「観てみたら以外と面白かった映画」の話ばっかりでございますね。
実を申せば今回もそんな感じでございます。

というわけで


を鑑賞いたしました。
「アイルランド独立の闘士」コリンズがその短かい生涯を終えるまでの6年間を通して、かの国が分割・独立に至った経緯を描く歴史ドラマでございます。のろの大好きなチャールズ・ダンスが出ているということ以外、ほとんど何の前知識もなく観た作品でございまして、セピア色がちのパッケージからして、堅実だけれども地味な映画を想像しておりました。
ところがどっこい、しょっぱなからのスピード感のある展開にぐぐいぐいぐいと引き込まれるではございませんか。
マイナーな人物の伝記映画のくせにこの面白さはいったい何事じゃと思わずDVDを途中で止めて調べてみましたら、おやまあ、ニール・ジョーダン監督作品だったのでございますね。言われてみればアイルランドだしリーアム・ニースンだしスティーヴン・レイだし。

時は20世紀初頭、所はアイルランド。独立を求めるアイルランド義勇軍(のちのIRA)の一員であるコリンズは、イースター蜂起において圧倒的な軍事力を誇るイングランドによって多数の仲間が捕えられ、殺されるのを目の当たりにいたします。こんな闘い方ではイカ~ンと発奮したコリンズ、若者を集めて暗殺テロ部隊を組織し、神出鬼没の活動で英政府を大いに悩ませます。鎮圧部隊による苛烈な締め付けもコリンズらの活動を押さえることはできず、ついに英政府はアイルランド側に独立交渉を呼びかけるのですが...。

Michael Collins - Trailer -

ううむ、トレーラーはいまいちシケておりますな。

特典のドキュメンタリーの中で、コリンズは都市型ゲリラの考案者とも言われておりました。未婚の若者たちで形成されたコリンズの暗殺部隊が英国要人を次々と暗殺して行く手際は周到にしてスピーディ、荒削りながらも鮮やかな手並みでございます。
かと言ってコリンズが血も涙もないファナティックな人物かというと、そうではございませんで。「全世界あったかみのある顔の俳優ベスト100」で13位くらいには食い込みそうなリーアム・ニースン演じるコリンズは陽気で気さくな、なんとも人好きのする男でございます。登場時26歳のコリンズがどうみても40がらみのおっちゃんというのはちとアレでございますが、溌剌とした熱演のおかげか、あまり気になりませんでした。

過激で冷酷な活動家の顔と、優しく人情味のある紳士の顔を併せ持った人物。監督はコリンズをそうした二面性を擁する人物として描くべく苦心したといいます。その試みの成果として、単純な「英雄」でもなく「冷酷なテロリスト」でもない、人間的な深みを感じさせるコリンズ像が立ち現れております。コリンズが抱く祖国と同胞への愛情は、そのまま裏返って敵(イングランド)への冷酷な暗殺テロの原動力となっているようでございました。
コリンズと友人がかわす次の言葉には「守るべきもの」を軸にすえた暴力の本質が現れているように思われます。

コリンズ「平和を守るためなら死んでもいい」
友人「殺しても、だろ」

圧倒的な力に対抗する手段として遂行されるテロ、テロとテロ対策という形で応酬される暴力、そして穏健派と強硬派の分裂のすえ味方同士の流血へと至る暴力の連鎖は、現代のテロ問題、とりわけパレスチナを思い起こさずにはいられませんでした。
(ちなみにファタハとハマスは今月中に和平文書に調印することで合意したとのことでございます)
ファタハとハマス、権力闘争終結へ

暗殺部隊を率いたコリンズがさらなる流血を嫌って英国側の妥協案を受け入れるのに対し、コリンズが要人を殺しまくっている間アメリカで政治的な活動をしていたデ・ヴァレラ(のちのアイルランド共和国初代首相)が戦争も辞さないという強硬な方針で完全独立を主張するのは、皮肉を通り越して悲劇でございます。こうして起きたアイルランド内戦という歴史的悲劇に、親友や盟友との別れというコリンズの個人的悲劇をからめて描いているのは実にうまいですね。

というわけで
面白いだけでなく勉強にもなった本作でございますが、気になったことがひとつ。
コリンズの敵対者、即ち始めは英国軍、後にはデ・ヴァレラを中心とした完全独立派が、悪者のように描かれている点でございます。まあそうした方が話が分かりやすいのでしょうし、コリンズに肩入れもしやすいんでしょうけれども、例えばデ・ヴァレラをもっと悩める人物として描くこともできたのでは、と思うと惜しい気がするのでございます。一般市民への発砲などで悪名高い武装警察ブラック&タンズも、大戦帰りで生活の糧を見つけられない兵士たちによる寄せ集め部隊だったということがひと言でも触れられていれば、お話にいっそうの深みが出たのではないかしらん。


まあ、悪者的な描き方によかった点もないわけではございません。
だってね。
「悪役」のひとり、英国諜報部のソームズ氏を、チャールズ・ダンスが演じているのですもの。医者や貴族や作家といった知的で落ちついた役も結構でございますが、この人は何たって悪役がよろしうございます。
そのダンス氏がですね、「全世界白スーツの似合う男ベスト100」で悠々ベスト3内には入るであろう人ではございますけれども、ちなみにベスト3のあと2人はジュリアン・サンズとビリー・ドラゴでございますけれども、今回は2m近い長身を黒の三つ揃えに包み、恐怖のブラック&タンズを引き連れてロンドンからやって来るわけでございますよ。丁寧に撫で付けた髪にあのギョロ目、エリート然とした物腰はいかにも冷徹な切れ者といった雰囲気でございます。
本作ではニール・ジョーダン作品常連のスティーヴン・レイがダブリン警察でありながらコリンズと内通するブロイという人物を演じております。猫背ぎみでもさもさ頭で風采は上がらないけれど「いい人」のブロイと、アングロサクソンな風貌で不気味な威圧感を漂わせる「悪い人」ソームズは露骨なほどに対照的でございますね。

自分のことを”Boy”呼ばわりするソームズに対してささやかな抵抗を試みるブロイさん。

答えるソームズさん。

この時の「何言ってんだこの虫けら」と言いたげにイラッとした表情がね、ええ、実によろしうございます。そしてもちろんこのあともBoy呼ばわりのまま。さらにはのちに拷問室にぶら下げられた血まみれブロイ君を両手ポケットで眺めつつ「アイルランド人ときたら下らんことですぐ歌い出すくせに、訊いたら何も答えないときてる」などとのたまうんでございます。ああ何て嫌な奴なんでしょう。のろほれぼれ。

というわけでソームズさんには大いに活躍していただきたい所だったのでございますが、おそらく登場から10分も経たないうちにコリンズの暗殺部隊によって射殺されてしまいました。
許さんコリンズ。

どうも話が不謹慎なことになってまいりましたが、冗談抜きでなかなかの良作でございました。
ヴェネチア国際映画祭で男優賞を受賞したニースンはじめ、俳優陣の熱演も見どころでございます。ヒロインにジュリア・ロバーツを据えた必然性はいまいち分かりませんでしたが、彼女も悪くはございませんでしたよ。