のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『若冲展』

2007-05-24 | 展覧会
夜の間に
見ず知らずの人の
自転車のタイヤに
画鋲でぷすぷす穴をあける人というのは
いったい他にストレスの発散方法が無いんでございましょうかね?

この10日ばかりの間に2度目でございます。
自転車が日常の足であり薄給でもあるワタクシには、これは痛い。

チューブ交換および交通にかかる費用も馬鹿になりません。
何より、直してもそのうちまたやられるのかと思うと
憂鬱至極でございます。


さておき

若冲展 承天閣美術館 へ行ってまいりました。

いやはや、おそろしい混みようでございました。
あちらこちらで扇子がはたはたとはためき
全然進まへんわー交通整理してあげたいわーとマダムが露骨に愚痴り
スタッフの「なるべく立ち止らずにお進みくださーい」の声にも
疲労感と苛立ちが色濃くにじんでおりましたが

それでも、ええ、よろしうございましたねえ。

メインである『釈迦三尊像』と『動植綵絵』の他、水墨画もいろいろ展示されておりました。
イトーさんの水墨画はどれもこれもほんとに瑞々しいですね。
生きとし生ける物はすべからく体内に水分を宿しておりますが
イトーさんの水墨画に描かれた鳥や魚や野菜や草花もまた、
しばしば装飾的であるにもかかわらず、その体内に水源を宿しているように生き生きとしております。

水墨画その他のセクションを出て(再入場はできないようです)
廊下をずっと辿っていくと『動植綵絵』の展示室が。↑のリンク先から、室内の様子が見られます。

おお、動植綵絵。
イトーさんがどっちも得意とするところの装飾性と写実性が
他に類を見ないような仕方でひとつの画面上で統合されており
鮮やかな色彩と相まって、独創的でただならぬ空間を生み出しております。

「過剰なまでに緻密」という形容がぴったりの本作。
その過剰さと緻密さに先立ってあるのは
ひとつひとつのモチーフにイトーさんが注ぐ眼差し、
敬意と愛情のこもった、かつ形態の捉え方においては鋭く客観的な眼差しです。

なにせ大根を仏陀に見立てて ↓ 涅槃図を描くお人でございます。(本展では展示されていません)


果蔬涅槃図

イトーさんにとって、絵を描くということは
「すべてのものに仏性が宿る」ということの表現であり、
鳥や魚や野菜や草花、即ちこの世にある全ての「仏」たちに対して
「ありがたい」と祈りを捧げる行為だったのでございましょう。
その祈りは『動植綵絵』において、この上なく高い密度で結晶しているのでござました。




以上の文を午前中に書いて
さて午後からの仕事に出かけようと
駐輪場に降り立ったところ

またやられておりました。

何だかもう
何もかもどうでもよくなってまいります。


『福田平八郎展』

2007-05-21 | 展覧会
はいはい
通年五月病のくせにいけずうずうしくもまだ生きておりますよ。
何のためかは存じませんけどね。
ほっほっほ。

さておき

福田平八郎展 京都国立近代美術館 へ行ってまいりました。

初期作品から絶筆まで総勢約80点。
代表作である『漣』『雨』『新雪』『水』などがそろい踏みである上に
スケッチ帳まで展示されているというのは嬉しいではございませんか。

上に挙げた代表作はみな、一見抽象画ともとれるほど対象を単純化した具象画でございますが
初期の作品はたいへん緻密な写実的表現がなされております。
モチーフに固有の美、牡丹なら牡丹というものの、茄子なら茄子というものの持つ美を
見極めようとしているようでございます。

『牡丹』のように、むせ返るほどの緻密さで描き込まれた作品も
『朝顔』のように、すっきりとした澄明な作品も
対象を見て、見て、ひたすら見て、執拗なまでの観察と写生を重ねたのちの作品であることが伝わってまいります。

後年になると、画家の興味はモチーフの「かたち」としての面白さに
絞られていったように見受けられました。
鯉を描くにあたっての、「漢時代の銅器のようなところに狙いを持っていた」という画家の言葉からも
そんな傾向が伺われると思うのです。

お好きな画題であったのか、鯉を描いた作品はずいぶん多うございました。

のろは一般に魚というものが好きなんでございますが、鯉はちと苦手でございます。
ぱっくんぱっくんと開く口の感じや、大きく重々しい体型でありながらすいすいと泳ぐ様子が
何やら怖いような生命感を発していて、気圧されるんでございます。

へいはちろうさんの初期の鯉には、あの怖いような生命感がしっかり表現されておりまして
のろにはやっぱりちと怖いものでございました。
後年に描かれたものは、鯉という魚の持つ生命感よりも
ごろっとしたずんどうなかたち、整然と並んだ大ぶりの鱗といった
かたち面の表現に重心が移っているためか、鯉の静的な美しさが表現されており
まことに結構でございました。

かように
初期の写実的な作品と、のちのより装飾的な、抽象に近いような作品とは
画風も雰囲気も異なっているのでございますが、どの時期に描かれた作品においても
本画に先立つひたすらな観察と写生という点において、一貫しているのでございました。

本展には、美術館による作品解説パネルの類はございませんでしたが
所々のパネルで紹介されている、へいはちろうさんご自身の言葉からは
画家の素朴でおだやかなお人柄が伺われ、またこれが何よりの鑑賞ガイドとなっておりました。
ワタクシもそれにならって、これ以上くだくだしく言葉をならべるのはやめて
最後に『漣』についての画家の言葉をご紹介いたしましょう。

「波の形は瞬間の動きでまことに掴みにくいものです。その写生にはいろいろな試みをして実態をつかむのに苦心しました。結局よく見ることが何よりのたよりとなるものです」


『北斎・写楽・歌麿』

2007-05-13 | 展覧会
ほくさいさん
今さらこんなことを申し上げるのも何でございますが
やっぱり天才でいらっしたのですね。

今さらこんなことを申し上げましたのは、先日ようやく
ギメ東洋美術館所蔵 浮世絵名品展 大阪市立美術館へ行ったからでございます。

会場は 春信と錦絵 → 写楽と役者絵 → 歌麿と美人画 → 北斎と風景画 → 広重と花鳥画
という構成になっております。

「春信~」セクションには初期の浮世絵も展示されておりまして
これもなかなか面白いものでございました。
洗練されてはおりませんが、大雑把で軽妙な表現には大津絵のような趣きがございました。

春信の作品は可憐で優しげで、いかにもとっつきやすく
錦絵(多色刷りの浮世絵)の流行に貢献したというのもうなづけます。

春信およびその系譜に連なる、お行儀のいい感じの作品をずっと見てまいりまして
いきなり写楽が現れた時の衝撃といったら
そりゃもうねあなた、
ぬわぁーーーーーーーーーっ でございますよ。

それまでの展示作品にファッション写真のような心地よさ、親しみやすさ、それなりの安心感があるのに対し
写楽の大首絵は、土門拳の肖像写真のように強烈な印象を持って迫ってまいります。
(念のため申し上げますが、ファッション写真を馬鹿にしているわけではけっしてけっしてございません。
 また、ファッション写真が常に心地よく親しみやすいものであると申しているのでもございません)
その異様なまでの迫力もさることながら、既存の美的表現からは明らかに逸脱した作品を
あえて世に問うた東洲斎写楽という人物の心意気が、強く胸を打つのでございました。

写楽の次には歌麿ときれいなおねえさんたちがぞろぞろでございます。
ちょうどここらが展覧会の中盤となっております。
会場の始めの方では、ひとつひとつの作品の前に足を止めていたお客さんたちも
疲れてきたためか、さらさらと流すように観る方が多くなってまいります。
だがしかし ああだがしかし だがしかし
そんな流れに乗ってはいけません。
人波に押されて、次の展示室をさらさらと流れて行ってしまっては、あまりに勿体ない
いや、人生における大きな損失でございます。
なんとなれば、休憩スペースを挟んで次の展示室にていよいよ
画狂人北斎、満を持してのご登場とあいなるからでございます。

有名なちょうちんお岩さん ↓ や最晩年の肉筆画をはじめ、20点ほどはあったでしょうか。



その中からひとつ挙げるとすれば『千絵の海 総州銚子』でございますね。




サイズはせいぜいB5といった所で、案外小さいんでございますが
非常にダイナミックで、スピード感と迫力が画面からほとばしる素晴らしい作品でございます。
そらもうね、打ち寄せる怒濤が頭の中で鳴り響くんでございますよ。
どっ ぱーーん ざざざーーーーーー   とね。

波打ち際を大胆にクローズアップした構図。
左から右上にかけて次第に急勾配になっている岸壁のラインによって
画面は手前と遠景とに仕切られております。
その仕切りラインに向って、向こう側からは激しく打ち寄せる波が真っ白いしぶきとなって砕け
手前では、これまたおそろしい勢いで引いていく波が
ダイナミックな動きを見せております。
すっきりとした船腹を見せる小舟と、背を丸めて櫂にとりすがる漕ぎ手たちの姿が
波の容赦のない、荒々しい印象をさらに強めているのでございますが
青を基調とした色彩がなんともさわやかで、大変清々しい印象の作品となっております。


他の作品ではのたりのたりと幕のように波うつ海面を描き
また他ではなんとも奇想天外な滝の表現をして見せるほくさいさん
水の描き方ひとつ取ってもスゴイお人でございます。

ゆっくりじっくり観ておりましたら
たちまち閉館時間が近づき、その後の安藤広重はさらさら流さねばなりませんでした・・・

皆様、どうぞ時間には充分な余裕を持ってお出かけなさいませ。

ヘロデちがい

2007-05-10 | 美術
おお
ヘロデ王の墓ですって。

asahicom:ヘロデ王の墓見つかる ヘブライ大学発表 - 国際


恥ずかしながら
ワタクシは嬰児虐殺 ↓ のヘロデ王と



「サロメ」 ↓ のヘロデ王は




同一人物だと思っておりました。
今日調べてみて初めて別人と知りました。いやはや汗顔でございます。

今回墓が特定されたのは嬰児虐殺を命じた(と、されている)ヘロデ大王で
サロメに乞われて洗礼者ヨハネを殺害した(と、されている)のは、その息子のヘロデ・アンティパスなのだそうで。

ヘロデ(父)は権力者にわりとありがちな建築マニアでいらっしたそうですが
世界の美術史上により大きく貢献したのはヘロデ(息子)の方でございましょう。

なんとなれば
旧約聖書に物語られたヨハネ殺害のエピソードに着想を得て
モローさんはかの『出現』 ↓ を描き




拡大画像はこちらに。

この作品に触発されてオスカー・ワイルドは戯曲『サロメ』を書き
それに当時まだ無名のビアズリーが
挿絵を描き
以降さまざまな分野においてこのモチーフが料理されることになるからでございます。

躍るサロメ、首を持つサロメの姿は古くから描かれておりましたが
モローさんの独創的な解釈は、のちのサロメ像に決定的な影響を及ぼしました。
これを源泉としてあまたの妖しく退廃的で耽美なイメージが紡ぎ出されて今日に至っているわけでございます。

聖書でまるっきりワルモノあつかいされているようでございますが
これだけ芸術家のインスピレーションの源として活用されているからには
ヘロデ親子もそう悪い気はしないのではなかろうか
などと思ってみたりして。
スティーヴン・バーコフの舞台『サロメ』なんてその存在感からして
ヘロデが主役みたいなもんでございましたよ。(演出を手がけたバーコフが白塗り&スキンヘッド&タキシードで熱演)

ともあれ
今回特定されたお父さんヘロデのお墓から
いったいどんなことが判明するのやら。
破壊や盗掘を経ているため、遺骨などは無いだろうとの見解が既に発表されておりますが
歴史に新たな角度から光をあてる発見があってほしいものだと
最近ふたたび歴史熱が高まっているのろは思うのでございました。

Aチーム

2007-05-08 | 忌日
昨今
道行く人に「ハンニバルといえば?」と尋ねたならば
返って来る答えのまず98%は「レクター博士」であるこってございましょう。
残る2%のうち1.9%は「カルタゴ」であろうと思われます。
そして残る1%の人はきっとこう答えてくれるはずでございます。

ハンニバルといえば
特攻野郎Aチームさ!

本日は
「Aチーム」のリーダー、ハンニバルことジョージ・ペパードの命日でございます。
Aチームをご存じない方のために申し添えますと
映画『ティファニーで朝食を』でヘップバーンの相手役をつとめた俳優さんでございます。

Aチーム、大好きでした、ワタクシ。
当時はガキンチョで、TV占拠権があまりございませんでしたから
自らチャンネルを回すというよりも(そう、かつてチャンネルは「回す」ものでした)
兄が見るのでワタクシも見る、といった具合ではございましたがね。

ベトナム帰りの4人が、冤罪のため世間から身を隠して
弱きを助け強きをくじく(報酬はもらうけど)、神出鬼没の特殊部隊を結成 という
まあ言ってみればアメリカ版「必殺仕事人」みたいな話でございます。

物はさんざん壊れても人は死なない、ひたすら明るく豪快な、胸のすくシリーズドラマでございました。
お話も面白いんでございますが
なんといっても主人公である4人(のちに5人)が、四者四様に魅力的なんでございます。
詳細は上のリンク先の「登場人物」項をご覧下さい。
ちなみにのろがいっとう好きだったのはクレイジーモンキーです。ええ、もちろん。

G・ペパード演じるハンニバルは、常に余裕しゃくしゃくで
すっとぼけていながらもヤルときゃヤル、いかしたおっちゃんでございます。
葉巻をくわえてニカッ!と笑う、人懐っこくてふてぶてしい表情に
羽佐間道夫氏の吹き替えが、いやはやなんともベストマッチ。

のろは基本的に悪役loverでございますが
こういうすっとぼけヒーローは いいなあ~ と思いますね。
こちらブルームーン探偵社のブルース・ウィリスなんかもね。
どこか飄々としていて、間が抜けているんだけれども最終的にはカッコイイのですよ。

などと思っておりましたら
B・ウイリスをハンニバル役に据えて
「Aチーム」を映画化するってぇプロジェクトが進行中らしいじゃございませんか!
ジョージ・クルーニーがやっても似合うとは思いますが
「オーシャンンズ11」と ちと かぶりそうなので、このキャスティングはないでしょうね。

それで、モンキーは誰がやるんです、モンキーは?
そればかりが気がかりなんですが。


最後に「あのテーマ曲をもう一度聞きたい」という貴方。
こちらのサイトさんで聞けますよ。
うーむ やっぱり旧バージョンのほうがよいです。

『丸紅コレクション展』

2007-05-03 | 展覧会
はいはい
連休も代休もないのろですよ。
休日出勤手当?なんですかそれはじめてききました

それはさておき

丸紅コレクション 『絵画と衣装 美の名品展 』 京都府京都文化博物館へ行ってまいりました。

ボッティチェリの作品が大きくフィーチャーされておりますが
展示のメインは絵画よりも着物およびその図案でございました。
ぶったまげるほど大胆な意匠や色使いを見せるもの、意匠・製法ともに凝りに凝ったもの
またその両方の要素を兼ね備えたもの などなど
面白く、見ごたえがあり、かつ大変勉強になるものでございました。
久しぶりに図版を購入してしまいました。

中にはあまりの大胆さに
「いいんですかそれは」「着るんですかこれを」
と、ソフトにツッコミたくなるものもございましたが
その洒脱なデザインセンスたるや、脱帽の上開いた口がぽかーーん状態で
2時間ほど過ごすに足るものでございました。

本展でボッティチェリと二本柱でフィーチャーされております淀君の小袖なども
これだけバラバラの模様をしかもバリバリの補色でもって
おお、よくまあこんなに綺麗にまとめたものよのう とお思いんなりませぬか。

それぞれに素晴らしいものばかりで、「良品をピックアップ」なんてしきれませんので
のろ的に最も おもろかったもの(=うけたもの) をひとつだけご紹介いたします。




『御簾に唐子遊文様振袖』

名前が示しておりますとおり、上半分は御簾、要するにスダレ
これだけでもびっくらこんでございますが、いや、まだまだ。

下半分にはいろいろな遊びに興じる唐子の姿が刺繍されておりまして
凧揚げや楽器の演奏、踊りというのはわかりますが
おお、いったいどこの世界に



饅頭の奪い合い を着物の柄にしようって人がいますか。
何という発想。

このデザイナーさんとはぜひともお友達になってみとうございました。
もう200年くらい早く生まれていたらなあ。

絵画部門は油彩のみ46点、なかなかの名品ぞろいでございました。
例のシモネッタさんの陶器のような肌、おっそろしく描き込まれた衣装も美しうございましたが
ワタクシにはヴラマンクの峻厳な『冬景色』が印象深うございました。
またヴラマンクかよって。ええ。
それから闘牛場を描いた香月泰男の『ラ・パルマス』。
明るい色彩でありながらも乾いた悲壮感が漂い、胸締め付けるような作品でございました。

なお、衣装の保護のためと思われますが
会場はけっこうお寒くなっておりますので、そこんとこご留意の上お出かけくださいませ。