のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

漆間時国の息子忌

2007-01-25 | 忌日
本日は
法然房源空の命日でございます。(旧暦)
法然房源空、まあ要するに法然さんでございます。

いわゆる鎌倉仏教の始祖さんたちの中では、のろはこの人がいっとう好きでございます。
なにしろバリバリの凡夫でございますので、ワタクシ。

しかし本日は、思うところもございますので
法然自身ではなく、この人のおとうちゃんのことを語らせていただきたく。

法然が出家の道へと歩んだきっかけは、父親の死でございます。
押領使(荘園内の治安維持など、地元の兵を取りしきる役職)であった法然の父、漆間時国 うるまのときくに は
ある夜、以前から不仲であった近隣の預所(領主に代わって荘務を執行する役職)
明石源内定明 あかしげんないむしゃさだあきら の奇襲によって命を落とします。
臨終にあたってこのおとっつあんは、跡取りである法然、もとい勢至丸くんに対してこう言い遺すのです。

「私を襲った敵を恨んで仇を討ってはならない。
 もしおまえが仇を討てば、またその敵の子がおまえを恨み、仇を討つことになるであろう。
 そのように遺恨をはらすのに遺恨をもってするならば、この世に恨みが尽きることはない。
 それよりも俗をのがれて仏門に入り、私の菩提を弔ってくれ」


いやあ
学習まんが 少年少女日本の歴史 でこのエピソードを読んだ時
のろはコドモごころに、いたく感動いたしましたよ。
もちろん今もって、これはじつに感動的な遺言であると思っております。

何がよいかと申しますと
まずもって、これが達観した宗教者の言葉ではなく
仇討ちがあたりまえであった時代に夜襲を受けて
今まさに死なんとしている一家の長が発した言葉である、という点でございます。

離れた場所からは、きれいごとがいくらでも言えるものでございます。
しかし自らが事件に巻き込まれ、大きな損害を受けたときに
相手を恨むな、それはより悪い結果を生むだけだ、と説くことはそうそうできるものではございません。

さらにのろの心を動かしますのは、このおとっつあんが
家のメンツがやビジネスが傷つくことよりも
憎しみと暴力の連鎖が起きることをより恐れた
という点でございます。

某国の長が、えっ らく狭義に捉えた「美しい」という言葉を連呼なさっておいでですが
自家のメンツや勢力の維持よりも、暴力の連鎖を止めることこそ肝要であるとした
漆間時国の遺言の精神には、時間、空間、宗教の如何にかかわらぬ、
ファンダメンタルな、言ってみれば全人類的な美しさがあると
のろは思うのでございます。


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