のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

字幕枠の将来

2010-08-31 | 映画
ヒックとドラゴン、その妻と愛人

すみません。

さておき
結局『ヒックとドラゴン』も、京都では吹き替え版しか上映しなかったのでございました。
3D上映というシロモノが大々的に復活して以来、外来アニメ映画枠の多くは字幕か吹き替えかではなく、3Dか2Dかの選択になってしまいました。『シュレック』の4作目も3Dと聞いております。前作『シュレック3』で少なからずがっかりさせられたのろではありますが、全シリーズを劇場で鑑賞していてそれなりに愛着のある作品でございますので、出来はどうあれ観に行ってやろう思ってはおりました。が、他のアニメ映画同様に吹き替え版しか上映しないのであれば話は別でございます。残念ながら『ヒック~』や『コララインとボタンの魔女』と並んで、10年来の付き合いということになるこの作品もまた、のろの旧作レンタル待ちリストに加わることになりましょう。

まあ、アニメーションの声はどっちみち「吹き込み」なので、吹き替えで観たっていいといえばいいんでございますが、せっかくならオリジナルの語調や音感も楽しみたいのでございます。とりわけ『シュレック』の場合は吹き替えの酷さに定評がございますし。

3D映画がより隆盛になったら、実写映画でもこうしたこと、即ち3D吹き替えか2D吹き替えの二択のみで字幕枠はなし、という事態が生じるのではないかと心配しております。実際、今年の前半に公開された『アリス・イン・ワンダーランド』などは字幕よりも吹き替え上映の方が多かったのだそうで。
「若者の字幕離れ」という言葉も目にする昨今ではございます。最近の若い者は字幕が読めない、という説が正しいかどうかは存じませんが、この言葉をここ数年のアニメ映画の上映状況や、猫も杓子も3Dな世の中の趨勢と並べてみますと、のろの心配もあながち杞憂とは言えないような気がしてくるのでございました。




川本喜八郎さん

2010-08-27 | Weblog
お亡くなりになったとのこと。
訃報をお聞きして全身から力が抜け、へたりこんでしまいました。
ご高齢でいらしたとはいえ、本当に残念でございます。

訃報:川本喜八郎さん85歳=人形アニメ作家 - 毎日jp(毎日新聞)

人形を少し動かしてはコマ撮りするストップモーションアニメにおいても優れた作品をたくさん制作された川本氏でございますが、ワタクシにとって川本喜八郎さんといえば、何と言っても『人形劇三国志』なのでございます。

NHKで人形劇三国志の放送が開始された時、ワタクシは6歳でございました。もちろんストーリーをきちんと理解できたはずはございませんが、よく分からないながらもとにかく面白く、毎週欠かさず見ておりました。子供ながらに贔屓の登場人物もおりましたし、顔も衣装も様々な人形たちがたくさん登場するのが楽しかったのでございます。

10年ほど経ってのろが中学生か高校生の時分に再放送がございまして、この時はまずもってストーリーに(相当無茶な部分もありますが)引き込まれました。また、声優陣の名演に伴われて人形たちが見栄を切ったり、泣き崩れたり、呵々大笑するさまを見て、人形でこんなにも繊細な表現ができるのかと感歎いたしました。全部ビデオに録画しておりましたので、放送が終っても好きなエピソードは繰り返し鑑賞したものでございます。諸葛孔明が登場する「三顧の礼」から、赤壁の戦いを経て劉備が荊州の大守に収まる「風雲 南郡城」までのあたりは、台詞をひとつひとつ覚えるほどに繰り返し見ました。それだけ見てもちっとも飽きなかったのでございます。

それからまた十数年経ち、職場のかたからお借りしたDVDで鑑賞した時は、カメラワークや演出の見事さ、そしてそれ以上に、人形それ自体の素晴らしさに、今更ながらぶったまげました。
三国志の登場人物は挿絵、イラスト、漫画、映画、ドラマ、切り絵、彫像などなど様々な媒体で造形化されてまいりました。しかし川本人形の孔明さんを超えるものには、ワタクシは今までお目にかかったことがございません。
いや、曹操しかり、関羽しかり、趙子龍しかり。あるキャラクターが担っている性格や、物語におけるその人物の役割といった分かりやすいイメージを体現する一方、単純に善・悪と割り切ることのできない人間的な複雑さと深みを内に秘めた人形たちは、まさしく芸術品でございます。

1993年から約1年に渡って放送された『平家物語』も、三国志ほど一体一体の際立った個性はなかったものの、野心とバイタリティ溢れる平清盛、いかにも腹に一物抱えていそうな後白河法皇、威厳はあるものの恐ろしく冷たい眼差しの源頼朝、そしてほれぼれするほど凛とした、しかしどこか幸薄そうな九郎義経と、主要な登場人物の造形はまことに素晴らしいものでございました。

川本さん、結果的に遺作となった『死者の書』のあと、項羽と劉邦を題材にした作品を構想中という話を小耳に挟みましたが、完成を見ぬままお亡くなりになったのでございましょうか。いずれにしても氏の逝去が惜しまれることには違いがございません。

今さらこんなこと言ったって何にもならないけれど

川本さん、本当にありがとうございました。
人生の折々で貴方の作品に触れられたことは、私にとって大きな財産です。
かくも多くの、かくも美しいものを世に出してくださって、本当に、本当に、ありがとうございました。

人形劇 三国志 テーマ曲 "Sangokushi (Romance of the Three Kingdoms)"




鑞板

2010-08-25 | 
唐突ですが鑞板を作ってみました。

鑞板とはジュード・ロウを板状にのしたものではございませんで、木や象牙などで作られた枠の中に鑞をひいた書字板のことでございます。一方の先を尖らせた細長い骨片や金属で、鑞の部分を引っ掻いて文字を刻みます。紀元前6世紀のギリシャではすでに用いられていたという便利道具で、ポンペイでは紀元1世紀のものとされる鑞板とスタイラスを手にした女性の絵が出土しております。パピルスや羊皮紙と違って、鑞を継ぎ足せば再利用することができ、経済的であるため、近世に至るまでメモや下書き用に活用されていたとのこと。
二枚の鑞板を金属または革ひもの蝶つがいで繋げてノート状にしたものはディプティクと呼ばれます。今回作ってみましたのは、このディプティク。

作業工程
1.ホームセンターで5×120×600mmのアガチス材の板を購入。適当な大きさに切って面取りしたのち、彫刻刀で中央を掘り下げる。
2.湯煎で溶かした鑞を流し込む。足りない部分に蝋燭や鑞の削りかすでつぎ足しをする。
3.表面を削って平らにする。



とまあ、これだけのことなんでございますが、実際にやってみますと2と3の行程にはけっこうな手間がかかりました。鑞が流し込む端からどんどん固くなるため、なかなかきれいな平面になってくれないのでございます。表面張力で盛り上がった部分を指でならし、へこんだ部分には鑞を継ぎ足し...という作業を何度も繰り返さねばなりませんでした。鑞の削りかすまみれになりながらつぎ足しては削り、削ってはつぎ足しの行程を繰り返し、やっとこさ平滑な板面が出来上がりました。



スタイラスは割り箸で製作。スタイラスの尖っていない側は、鑞を削り取り、または押しつぶして文字を消す際に使われます。
早速使ってみますと、ペン先がするすると滑ってなかなか快適な書き心地。しかし「書く」というよりは「刻む」と言ったほうが正しい性質のものであるだけに、ここでもやはり細かい削りかすが発生するのでございました。

作って使ってみた感想。
繰り返しになりますが、とにかく枠の中に鑞を均等に詰めるのが難儀でございました。書き消しができる、再利用ができるといっても、その行程で生じる手間はいやはやどうして、馬鹿になりません。それでもなお10世紀以上の長きに渡ってこの道具が使われ続けたという事実は、けだしパピルスや羊皮紙といった書字材料がいかに高価であったかを示すものでございましょう。


『ボストン美術館展』2

2010-08-21 | 展覧会
8/18の続きでございます。

肖像画のセクションでいきなり待ちかまえておりますのはヴァン・ダイクでございます。


『ペーテル・シモンズ』

つい数年前ヴァン・ダイクの作品であることが確定されたというこの作品、左下に手を描きなおした跡がございます。どうでしょう、修正前の左手を伸ばしているポーズの方がどっしりと安定した画面になりますけれども、胸に当てている方が画面が引き締まりますし、矜持あるポーズと申しましょうか、颯爽としてカッコよく見えると思いませんか。「お客様にご満足いただけるよう勤めております」という画家のつぶやきが聞こえてまいります。

それにしてもヴァン・ダイク、この人に依頼すればどんな人物でもそれなりの威厳と気品を備えた肖像画に仕上げてくれそうでございますね。もしものろがあの世で肖像画を描いてもらうことになったら、レンブラントに頼もうか、ヴァン・ダイクにしようか、大いに迷う所でございます。フランス・ハルスにはうっかり変な顔した瞬間を描かれそうなので敬遠。ちょっと恐いけどベラスケスもよろしうございます。いやしかしモディリアーニもレーピンもいるし、ほんとに迷うなあ。さんざん迷ってやっぱりシーレにしようっと。

何の話でした?
ああ、ヴァン・ダイク。

稀代の肖像画家によってその名と風貌とを後世に残すこととなったシモンズさん。
この人誰かに似ているぞ、と絵の前に陣取って考えることしばし。
やや面長の輪郭、ひゅーんととんがった鼻、秀でた額に眠そうな吊り目。
そうです。プーチン首相でございます。



こう思ってしまうと、もはや「口ひげのあるウラジーミル・プーチンの像」にしか見えなくなってしまいました。
まあそんな次第でプーチン首相の視線を背中に感じつつ、展示室をぐるっと廻ってたどり着いたのが


マネ『ヴィクトリーヌ・ムーラン』

マネの迷いのない筆致、それだけでも充分目に楽しいものでございます。肖像画としては不自然なほど強いコントラストに、ばさっ ばさっ と置かれた絵具が描き出しているのは、くっきりとした小振りの唇、丸みのある鼻、大した関心もなさそうにこちらを見つめる二重まぶたの目、即ちオランピア草上の昼食でお馴染みのあの顔でございます。
ヴィクトリーヌを描いた最初の絵とされるこの作品においても、マネはこのモデルを美化するでもなく、性格や内なる感情を表現するでもなく、極めて即物的に描いております。 青いリボンと片耳に輝くイヤリングは真珠の耳飾りの少女を思い起こさせます。しかしフェルメールの作品とは違い、ヴィクトリーヌは微笑みを浮かべることもなく、顔をはすに構えてただただこちらを見つめるばかりでございます。

マネのお気に入りモデルとして今に知られる彼女でございますが、モデルというのは決して一般的に受けのいい職業ではございませんでした。エコール・ド・パリの花型モデル、多くの芸術家たちのミューズとなり、女王と謳われたモンパルナスのキキにしても、その晩年は悲惨なものでした。若く、そこそこに美しく、物怖じしない視線を画面の外に投げかけるヴィクトリーヌは、どんなふうに歳をとり、どんな生涯を送ったのでございましょうか。
のっぺりとした背景の中、鮮烈に浮かび上がる白い顔を眺めつつ、そんなことを考えたのでございました。

印象派も風景画もそれほど好きではないのろにとっては、この肖像画セクションが本展のメインでございました。とは申せ、額縁の向こうに広々と横たわるコンスタブルの田舎風景や、二年前のコロー展でもお見かけしたコローの人物画、色彩の調和に満ちたファンタン=ラトゥールの静物画などなど、この他にもため息ものの作品がたくさんございました。

これだけ色々貸し出してくだすったのはボストン美術館が改修中だからなんだそうで。そういえば神戸でもボストン美術館収蔵の浮世絵展を開催中でございますね。何にしても、海外の名品をいながらにして拝めるのは有り難いことでございます。来年はアムステルダム国立美術館あたりが改修工事してくれないかしらん。



『ボストン美術館展』1

2010-08-18 | 展覧会
朝目が覚めると「生き延びたか...」と思う今日この頃。
京都市美術館で開催中のボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たちへ行ってまいりました。

目玉が飛び出るほどの名品というのはなかったんでございますが、もちろん全体に高水準ではあり、点数も多いので楽しめました。特に肖像画のセクションでは、ファン・ダイク、レンブラント、ハルス、ゲインズバラ、そして小品ながら存在感ありまくりのマネとベラスケスが一室に展示されているという濃厚さ。また、時代ではなく主題によってセクションが分けられているので、同一の主題に対するアプローチの違いを比べることができる構成となっております。
その中からとりわけ印象に残った作品を取り上げさせていただきますと。


『笞打ち後のキリスト』 ムリーリョ 

ムリーリョの宗教画って往々にしてファンシーすぎるのでワタクシ苦手な方なんでございます。しかしこの作品は、地味な画面から滲み出る精神性にハッとさせられました。

キリストの笞打ちというとカラヴァッジオ、ピエロ・デッラ・フランチェスカをはじめ、まさに笞打たれている真っ最中を描いたものが普通でございます。笞打ち後、しかも床に這いつくばるという威厳もへったくれもないポーズのイエスを描いた作品というのはずいぶん珍しいのではないかと。失礼ながらこのポーズ、ウィリアム・ブレイクのネブカドネザルを連想してしまいました。
あざだらけの体の所々に血をにじませ、黙々と衣に手を伸ばすイエっさん。眉間に皺を寄せてはいてもその表情は穏やかで、頭にはかすかに光輪が輝いております。その痛ましい姿と、笞打ちを受けている真っ最中ではなくその激しさを鑑賞者に想像させる場面設定によって、自らに課された過酷な運命を甘んじて受け入れる受難者としてのキリストが表現されております。

ごく簡素な道具立てのもとに描かれた受難者イエスの姿は(傍らで見守るいやに人間的な天使たちはともかく)、聖書の一場面と言う枠を超え、運命の仕打ちを耐え忍ぶ人間の姿を象徴するかのようでございます。
もっともカトリックにあらずんば人にあらずであった17世紀のスペインにおいて厳しい運命を耐え忍ばねばならなかったのは、絵の中のイエスを見て手を合わせる人たちではなく、流浪の民やイスラム教徒たちであったわけでございますが。

ちなみに目録によるとこの作品が描かれたのは1665年以降ということでございますが、その30年ほど前にはベラスケスが同じ主題で、少なからず似た構図の作品を描いております。


*展示作品ではありません*

宮廷画家ではなかったムリーリョにこの作品を目にする機会があったかどうかは、浅学なのろには分かりかねる所でございます。あるいは「キリストの笞打ちと見守る天使たち」という主題が当時のスペインにおいて流行していたのかもしれませんね。


次回に続きます。

『インセプション』

2010-08-14 | 映画
『ダークナイト』をDVDで鑑賞して、劇場に足を運ばなかったことを後悔したのろ。
今回は見逃さじと、ノーラン監督の新作『インセプション』を観てまいりました。

うーむ、面白い。ちと長いけれども。

長いといってもダラダラ無駄な長さではございませんで、色々なことを丁寧に描いた結果、長尺になってしまったという感じ。色々なこと、というのは、夢世界における仕様であったり、夢に侵入して埋め込みをするための綿密な計画であったり、ターゲットである大会社の御曹司とその父親との関係であったり、主人公デカプリオが抱える葛藤であったり。
予告編ではSFアクションや犯罪映画といった印象でございますが、実際は人間ドラマとしての側面も色濃い作品でございました。こうした諸々のことをばっさり刈り込んでしまえばスカッと100分アクション映画ができたかもしれませんけれども、突っ込みどころも倍増していたことでございましょう。単なるSFアクション映画以上のものを作りたい、という監督の志あってこその148分かと。

インセプション予告編


長尺ながらも各シーンは緊張感が続いてだれることはなく、夢の中の映像も見ごたえがございました。ブルースクリーンを一切使わずに撮影されたというのが信じられないほどの迫力、かつ、なかなかに独創的な絵でございます。ワタクシが特に気に入ったのはパリの街頭で、ごく平穏な様子の人々をよそに、店頭のものや窓ガラスが次々に砕け散るシーン。壮麗でございました。

夢に侵入してアイディアを盗む・埋め込む、という筋は、それに伴う細々とした設定も含めて楽しめましたし、登場人物もチームリーダーのコブ(デカプリオ)、冷静沈着な相棒アーサー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)、イージーゴーイングな「偽造師」イームス(トム・ハーディ)、フツーの女の子と思いきや「設計士」として凄腕を発揮するアリアドネ(エレン・ペイジ)と、一人一人の個性がつぶ立っていて魅力的でございます。
おおっ今気付いた!イームスって『ロックンローラ』のハンサム・ボブかい!そういえばあの にへっ とした笑いには見覚えがあるや。ごつくなってて分からなかった。ごつくなってといえば、デカプリオは相変わらず童顔で損をしているような気がいたします。『ワールド・オブ・ライズ』でもそうでしたが、タフな感じの体格を作ってもいまいち説得力に欠ける所があるというか。あとターゲット役のキリアン・マーフィ、この人は控えめな演技がたいへん上手いですね。『プルートで朝食を』のはじけた演技も結構でしたが、本領は本作のような地味めな役ではないかと。

ケンワタナベもかっこよかったですよ。わざとらしかったけれども。まあ、わざとらしくならざるをえないような役ではございましたし、監督から「007のように演じてほしい」という注文を出されていたそうなので、あれでいいんでございましょう。そして一番かっこよかったのは、ケンワタナベよりもデカプリオよりも、無重力状態の中で孤軍奮闘するジョセフ・ゴードン=レヴィット。あれはいい。イームスとの掛け合いも楽しうございました。それにしてもマイケル・ケインやピート・ポスルスウェイトをチョイ役で使うとは、何と贅沢なキャスティングでございましょうか。いやピートじいちゃんはそもそも端役が多いか。



夢の中ではコレをこうするとこうなるよ、というこの作品独自の世界設定がある上、2層、3層と夢の深部に降りて行き、それぞれの層において遂行されるミッションが同時進行で描かれる、しかもそこにコブの過去がからんでくるという複雑な構造ゆえ、ついて行くのが大変な所もございましたけれども、その複雑な展開をどうまとめるのかもひとつの見どころ。夢の階層を一つ降りるたびに仲間が一人減って行き、時間の流れは遅く(←訂正。時間の流れ自体は速くなるのでした)なり、最終的にあの人とこの人だけが荒涼とした無意識の最下層で対面する、という落とし方には、ううむナルホドと唸りましたですよ。 

ただ、ワタクシが迫力ある映像とスピィーディーな展開に目を奪われつつも、時間を忘れるほどにはのめり込めなかったのは、上述のようにワタクシの頭がついて行けない部分があったのと、どうしてもノーラン監督の前作『ダークナイト』と比べてしまう所があったからかと存じます。『ダークナイト』はジョーカーという突出したキャラクターはもとより、観る者の倫理観に揺さぶりをかける展開が素晴らしかったので、つい同じような揺さぶり型の展開を期待してしまったようでございます。

ともあれ、話も映像も人物造形も完成度が高い作品でございました。話がしっかりしているので、劇場で観ないと面白さ半減という類のものではございませんが、あの迫力はぜひとも劇場の大スクリーンで体感することをお勧めいたします。

8月6日

2010-08-06 | KLAUS NOMI
本日は悼む日でございます。

もちろん1945年の広島の劫火のただ中で、そして黒い雨の下で、地獄を見ながら死んでいった人たちを。
そして1983年のニューヨークの隔離病棟で、謎の病に蝕まれてひっそりと死んでいったアーティストを。
前者については世界中の皆様に悼んでいただきたい。後者については、ほんの一握りの危篤な方々に悼んで頂ければ結構かと存じます。そして今これをお読みんなっているあなたもその一人であるならば、ワタクシはとても嬉しい。

本日は
クラウス・ノミの忌日でございます。

このごろ版画づいておりますのろ、ノミで蔵書票を作ってみましたよ。
今年はワタクシにとって映画『ノミ・ソング』の鑑賞5周年でもあることですし。



絵具の固さを調整するのが難しく(なにせこの暑さでたちまち乾いてしまうのです)、残念ながら多色刷りの方はあまり綺麗にできませんでした。もう少し涼しい時期にまた挑戦してみようかしらん。
ともあれ、比較的うまく刷れたものをさっそく『完全演技者』に貼ってみました。



うっとり。

さて、当ブログにて、ヤツの半生の映画化企画について取り上げたことが何度かございました。
その後この企画はヤツの親友であったジョーイ・アリアスが進めているようでございます。

Klaus Nomi Movie In The Works! - New York News - La Daily Musto

ノミ役にはやはりアラン・カミングを念頭に置いているとのこと。企画が持ち上がった時点ですでにノミの年齢をこえていたカミング氏、そうこうしているうちにもう45歳になってしまったわけですが。去年かおととしにDVDで『ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ』を観た時は、ジョン・キャメロン・ミッチェルって理想的なノミ候補ではないかと思ったのですが、この人も今や47歳なのでございますね。ワタクシとしては以前にも申しましたように、ドイツ語、ギョロ目、そしてデコの高さからキンスキーJrを推したい所。またデコという点で言えば『The Long Firm』で男娼を演じていたロバート・ボウルターという若いのも、なかなかよいデコの持ち主でございました。



どうです。
しかしまあ、この中で最も抵抗なくノミを演じてくれそうな人はアラン・カミングでしょうね、やっぱり。

それから、なんとフランスでもミュージカル化企画があるようでございます。

Klaus Nomi! - Tartuffe's Folly
A biographical musical fantasy, “You Don't Nomi”, is currently being developed and written by French playwright Baptiste Delval with no information about when it should hit the stage.

現在、フランスの劇作家Baptiste Delvalによって伝記ミュージカル・ファンタジー“You Don't Nomi”の企画が進行中。しかし目下の所、いつ舞台にかけられるかについては情報がない。


いつになるかは未定とのことですが、映画とあわせて2013年に完成・公開されるといいなあと、のろは思っております。
なぜって、2013年はヤツの没後30周年にあたるんでございますもの。
ヤツを追悼し、改めてそのぶっ飛び加減と美しさと愛らしさを評価するのには絶好の年ではございませんか。

ぶっ飛び加減と美しさといえば、最近こんな素敵なブログ記事と巡り会いましたですよ。

What Power art thou, who from below...:・葡萄庵 道草双紙--l'annexe--:So-netブログ
dido's lament:・葡萄庵 道草双紙--l'annexe--:So-netブログ

ヤツのことを真面目に語ってくださっている文章と出会うのは、本当に嬉しいことでございます。まあ、真面目であろうとなかろうと、語ってくれるだけでもありがたいんですけれども。特に浅学なのろは音楽を語る言葉を持ち合わせませんので、こちらさんのようにヤツの音楽性について延べておられる記事に出会いますと、ナルホドと感服する一方、ヤツがこの評価を聞いたらさぞ喜んだであろうに、てなことを思わずにはいられないのでございました。


ゴールパフォーマンス

2010-08-03 | Weblog
yahooのトップページで紹介されておりますので、すでに御覧になった方も多いことと存じます。あまりにもツボでございましたので、当ブログにも貼らせていただきたく。yahooの方は削除されてしまったようですし。

The Salmon Fish Celebration | Best Goal Celebration Ever? Halldor Orri Iceland League 2010


コメントで「5番の人は友達いないのか,,,」と言われているのにも笑ってしまいました。
こういう何の役にも立たないことを一生懸命やる人たちって。
実に素敵でございますね。
アイスランドには経済が火の車のお国というぐらいなイメージしかございませんでしたが、これでいっぺんに好きになりましたとも。