のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

停滞宣言

2014-01-31 | Weblog
まあ宣言するまでもなく停滞しがちなブログではあるのですが。
実は向こうひと月ばかり、ちょっぴりがっつり寸暇を惜しんで働かねばならなくなりましたので、しばらくこちらの更新はできないかと。御常連の皆様には誠に申し訳ございませんが、3月初頭には復帰できるかと思いますので、それまではしばしのお暇をいただきたく。

続・70周年だというのに

2014-01-25 | KLAUS NOMI
はい、そんなわけで
1/24の続きでございます。

始めに、ノミ情報というわけでもないのですが、映画の話を。
京都シネマで2月22日から3月7日にかけて特集上映 知られざる映画の巨匠 モーリス・ピアラという企画がございます。その中で『愛の記念に』が上映されるのですよ。そう、クラウス・ノミの『Cold Song』が主題曲に使われているという映画でございます。ワタクシ「15歳の少女の奔放な男性遍歴と成長」には全くと言っていいほど興味がないんでございますが、ヤツの歌が流れるというだけでも、劇場へと足を運ぶには充分な理由でございます。
ただ、こういうものの常として、ほんの数日間しか上映されないことが予想されます。そして丁度その頃に副業が死ぬほど忙しくなりそうな気がしているという悲しさよ。

さて、では本格的にノミ話でございます。
まずミュージシャンによるノミ評をひとつ。

POZ BandsOnBands: Sworn In On Klaus Nomi - PropertyOfZack

語ってらっしゃるのは去年1stアルバムを発表した「Sworn In 」というデスメタルバンドのドラマー、クリス・ジョージ氏。クラウス・ノミについてはいろいろなジャンルのアーティストが語って来たわけでございますが、これほど手放しで絶賛したものはあんまりないように思います。嬉しいのでクリス氏の語りの部分だけ全訳しました。怒られたら引っ込めます。

クラウス・ノミほど人の心を捉えるパフォーマンスをする奴は、世界にひとりだっていやしない。誰もが彼のことを、文字通り、宇宙からやって来たエイリアンだと信じた。彼のビデオを30秒でも見れば、君もそう思うだろう。クラウスは音楽の世界に、他の誰もが夢にも見なかったものをもたらしたんだ。しかも、決して真似のできないようなやりかたでね。彼はずば抜けてた。ひとたびパフォーマンスをすれば、その場にいる者を一人残らず釘付けにした。僕らがまだバンドを組んでいなかった頃、僕らを結びつけたのもノミだったし、直接的にじゃないにしても、僕らがいつも尊敬すをこめて見上げるものという意味で、音楽的な影響も受けた。彼の音楽は僕らのとは全然違うけど、僕らがショーをやる時に、異世界的なをものを創造しようと頑張るのは、何よりも、クラウス・ノミが象徴していたものとか、音楽パフォーマーとしての彼の姿勢があったからこそなんだ。

クラウス・ノミの『シンプル・マン』の最後の2曲からも影響を受けたよ。彼のアルバムでも、僕らの『The Death Card』でも、アルバムの終盤で主人公は死を経験してから、その経験について語るために戻って来る。僕らのアルバムも、最後の2曲のタイトルは「Death」と「Return」。これは僕らがこのアルバムを作るにあたって活用したコンセプトなんだ。いわば僕らからのノミへのトリビュートでもあるし、長年彼から受けて来た影響を、僕らが世界に送り出したファーストアルバムの中で表現したものでもあるんだ。クラウスがそうしたように、僕らはできるだけ自分自身の人格を取り払って、むしろ単なる存在物になろうとしている。目の前のパフォーマーも結局は自分たちと同じような人間だ、なんて誰も思い出したくないからね。観客を飲み込んで、パフォーマーが普通の人間だということを忘れさせてしまうぐらいのショーをやらないといけないんだ。


彼らのPVをYoutubeでちょっと見てみましたが、確かに直接的にノミっぽいことはないですね笑。
しかしノミのパフォーマンスやありようを中途半端に援用したり、そのうわべだけ真似するのではなく、彼ら自身のものとして咀嚼した上でトリビュートを捧げるというのは、たいへん真摯でスマートなやりかたではないかと思います。
まあ、単にうわべだけがノミっぽいものを見ても、わりと嬉しくなってしまうのろではありますが。

お次は展覧会。

KLAUS NOMI ? 2013 ? Neuer Aachener Kunstverein

去年の9月15日~11月24日、ドイツのアーヘン新美術ギャラリーで開催されたものでございます。
「回顧展というよりも記録と視覚媒体の研究によってクラウス・ノミという現象にアプローチ」した展覧会であり、「クラウス・ノミは30年前に亡くなったが、その自己演出の手法は今もなお意義深い」と。
また、ヤツの奇抜な衣装やシアトリカルな舞台装飾は、現代のミュージシャンやパフォーミングアーティストの先触れである、と。

記録、反応、そして現代美術における位置づけという三つの側面にフォーカスしたという本展、同時代の人の証言やノミから影響を受けた人へのインタヴューがこの展覧会のために収録され、会場でエンドレス上映されたのだそうです。いいですなあ。
証言者には現代芸術家のヴォルフガング・シュテーレや2008年の舞台「Hommage à Klaus Nomi」を手がけた映像作家ウルリケ・オッティンガー Chicks on Speedというベルリンのバンドのメンバーや、写真家ユルゲン・クラウケといった名前が挙がっております。いやあ、どなたものろごのみな香りがぷんぷんと...何ですと、ユルゲン・クラウケは滋賀県立美術館で展覧会をやったことがあるんですと!?
...しかし1997年かあ。その頃はワタクシ、クラウス・ノミの存在すら知りませんでした。これをもって、どんな展覧会でもなるべく足を運んでおくものだという教訓としようと思います。

「ノミとその芸術は、自己演出とパフォーマンスという問題を巡って現在も続く議論において、重要な役割を持っている。それと対応して、本展はプロセス(過程、進行、方法)という要素を含んでいる。クラウス・ノミという現象の様々な受け止め方を提示すると共に、この現象をアートと言う文脈の中に位置づけるものである」

記事の中で何度も「クラウス・ノミという現象」という言葉が用いられておりますね。ワタクシはその表現に出くわす度ににっこりしてしまいました。「クラウス・ノミ」とはひとりの人間であると同時にひとつのアート作品でもあり、同時代のみならず時代と場所を超えて影響を及ぼして行くひとつの現象でもある、という捉え方を、きっとヤツ自身も喜んだことであろうと思うからでございます。
会期中にはギャラリーでのライヴパフォーマンスや、アンドリュー・ホーン監督を迎えての、映画館での『ノミ・ソング』の上映などが行われたとのこと。
嬉しいですね。これをきっかけに、ノミに興味を持つ人がますます増えたに違いありません。

↓「Hommage à Klaus Nomi」の映像。




最後に。
昨年末に出会って、ああ、なんだかノミみたいだなあ、と思ったものをひとつ。
傑作グラフィック・ノベル『アライバル』の作者、ショーン・タンによる小さな絵本でございます。




いえいえ、そうではありません。
主人公の頭が三方向に尖っているからではございません。

他の国、たぶん遠い所からやって来て、
普通にしていても、ちょっと変わっている。
何を考えているのかよく分からない。
たいして目立ちもしない場所に、
奇妙でささやかで素敵な贈り物を残して、
ある日ふと、帰って行ってしまう。

そんなありようが、なんだかとてもノミっぽいや、と思ったのでございます。

そんなわけで
本当にふがいないファンだけれども、せめてお祝いの言葉を言わせてください。

70回目のお誕生日おめでとう、クラウス・ノミ。

70周年だというのに

2014-01-24 | KLAUS NOMI
せっかくの70周年記念だというのに
何も特別なものが用意できていないのですよ。
ああ情けない。ああ情けない。
これでよくファンを名乗れたもんだ。

何の70周年記念って
クラウス・ノミの生誕70周年に決まってるじゃございませんか!

そんなわけで、自らのふがいなさに心がぎちぎちと痛むわけでございますが、besser als gar nichts ええつまりベターザンナッシングなのではあり、常のごとくネット上で見つけたものをご紹介することでお茶を濁すことといたします。
ああお茶を濁すだなんて最低だ。
こんなんでよくファンを名乗れたもんだ。
ああ情けない(以下、永遠ぐらい続く)

さておき。

まずはファンアート。

Klaus Nomi by ThePilgrimArt on deviantART

いやあ素晴らしいですね。
アレンジにも色彩にも高いセンスを感じるではございませんか。
後光がノミマークになってるなんてのも、実に巧いですね。クラウス・ノミの(あるいは、クラウス・ノミという)芸術の一端である、荘厳さと奇抜さ、わざとらしさと真摯さの融合という側面が見事に表現されております。


それから、こちらにはワタクシが今まで見たことのなかった写真が。

Jolly Joker`s Ohrenbalsam: KLAUS NOMI, AUSSTELLUNG, NAK, 2013

なんか普通にかっこいいノミ。珍しい。
美脚きわだつぴっちりパンツでございます。

ファッションのことを言えば、N.Y.にあるファッション・インスティチュート・オブ・テクノロジー(FIT)のミュージアムで、ヤツが着ていたあのプラスチックタキシードを展示中の模様。

↓リンク先一番下の画像でございます。
Untapped Queer Potential of Fragrance | Part Two
↓拡大図はこちら。
Klaus Nomi | Charenton Macerations

何だかドキドキしますね。レプリカではなく、ノミ本人が着ていたものですよ。ブーツがないのは残念ですが。
有象無象の中に埋もれさせないで、専用のお立ち台を用意して頂きたいもんだ...と思いましたが、マレーネ・ディトリッヒが実際に着た衣装さえも特別扱いされず他の衣装と並べて展示されたようでございますから、まあ贅沢は言えません。

プラスチックタキシードはFITの収蔵品ではなく、ノミの遺品を管理しているジョーイ・アリアスから借り受けたものであるとのこと。常設で展示されていたら素敵なんですけどね。

ああ、いつかかの地に「クラウス・ノミ・ミュージアム」が設立されないかしらん。
大仰なものじゃなくてよいのですよ。アパートの一室だってよいのです。

そこはヤツの遺品であるとか、ヤツにまつわるものものが集められていて、ちょっとしたノミワールドが展開されているのです。ガイドブックに載るほどメジャーなスポットには決してならないけれども、きっと世界中から、色々な年代の、ちょっぴりヘンな人々が、赤いバラや白いカーネーションを携えて巡礼に訪れるのですよ。芳名帳を開けば様々な書体のサインとともに、そこを訪れたノミファンたちの思いのたけを読むことができるのです。リピーターを確保するために、年に一回くらいはミュージアム主催で「ノミに着てほしい衣装デザインコンテスト」とか「Pony Flier デザインコンテスト」をやって、優秀作を展示するというのはどうでしょう。

それからミュージアムショップでは、毎年商品ラインナップに新デザインのピンバッジがひとつずつ増えて行くというのはどうでしょう。通販はしないで、そこでしか買えないようにするのです。グッズといえば、年にひとつ以上は何がしかのノミグッズ(これとか)が世に出ておりますから、そういうのを扱うのもいいですね。舞妓さん体験みたいにノミメイク体験があってもよろしいかと。白黒バージョンと、『シンプル・マン』のジャケ絵バージョンで。(ネイルは別料金。)ささやかな喫茶スペースがあって、昼はお茶とノミレシピのライムタルト、夜はイェーガーマイスターとカンパリが飲めるのです。時々ミニライヴなどがあると、なおよろしい。
スタッフは男女または中間を問わず、蝶ネクタイ着用で。そして受付には、やはり蝶ネクタイをあしらった、エイズ撲滅チャリティ募金箱があるといいですね。

とまあ、「真っ赤なバラと白いパンジー 子犬の横にはあなた」みたいな勢いで妄想は膨らむわけでございますが、まず無理だろうなあ。頑張っても採算取れなさそうだもんなあ。

ああ妄想を書き連ねているうちにこんな時間になってしまった。
日付が変わらないうちにとりあえず投稿いたします。
ああ、ああ、ほんとに情けない。

明日に続きます。



『山口薫展』

2014-01-21 | 展覧会
何必館で開催中の山口薫展へ行ってまいりました。

山口薫というがかの作品を始めて見たのはいつのことであったか、定かではございませんが、画家の名前と作品をはっきり覚えたのは氏の作品2点が展示されていた2007年の『天体と宇宙の美学展』(滋賀県立美術館)においてであったかと。
2点とも、氏が晩年によく描いたという、太陽あるいは月の下に、画面の方向を向いてたたずむ馬たちをモチーフとした作品でございました。その寂しくもあり、どこか温かくもある、磨りガラスのような感触の表現に、ワタクシはいたく心を動かされたのでございました。

何必館にて昨年11月から開催されていた没後45周年展、美術館自体が小さいこともあってか、展示されている作品数は決して多くはございません。しかし卓上の静物を描いた小品から、抽象表現にぎりぎり近づいた詩的な風景画、牛と少女のいるおっとりとした叙情漂う作品から、愛犬を描いた素描など、いろいろな作品を見る事ができまして、晩年の油彩画しか知らなかったワタクシには貴重な機会となりました。

それに、何といっても絶筆「おぼろ月に輪舞する子供達」が見られただけでも、足を運んだかいがあったというものでございます。(↑一行目のリンク先トップに掲載されています)

何だかたまらない絵なのです。たまらない気持ちになるのですよ。
透き通っていて、しらじらと冷たいような、茫洋として温かいような、明るくて悲しい、何か。かそけさ。
子供たちのすぐ側まで降りて来たように大きなおぼろ月、月と同じかたちになって踊る子供ら、それを静かに見守る馬たち、真ん中に集められたやさしい色合いの花々(だと思う)。全てが、何と言ったらいいか、やはりたまらない、としか言えないのでございます。

この絶筆に限らず、山口氏はワタクシにとって、その作品の魅力を言語化するのがたいへん難しい類いの画家であるということを、今回つくづく思いました。それでもあえて言うならばその魅力は、例えば果物のほのかな香りのようなものでございます。
技量を誇るわけでもなく、何がしかのメッセージを強く主張しているわけでもなく、これといって特別ではないモチーフを扱いながらも、目に触れたとたんに、ふと胸を突かれて深々と吸い込みたくなるような何かが、そこにはあるのでございます。

そんなわけで
残り香を楽しむような心地で美術館を後にし、南座向かいの駐輪場へと自転車を迎えに行ったらば、1時間そこそこしか停めていないのに200円請求されたショックで残り香の大半は吹っ飛んでしまったわけでございますが、とにかく年初めによいものを見せていただいたものよ、としみじみする展覧会でございました。



NSAがやって来る

2014-01-17 | 音楽
わっはっは、なんですかこれ。

The NSA is Coming to Town


気をつけなさい
スカイプはしないこと
ログアウトなさいな
そう、文字を打っちゃダメ
NSAが街にやって来る

みんなリストに載せられて
やつらに二重チェックされちゃう
あらゆる電子機器を監視する
NSAが街にやって来る

寝ている人は監視して
起きてる人は盗聴する
電話の相手もメールの相手もお見通し
だからお願い、暗号化して!

議会は暗闇、法廷も剣呑
満足な解決策は得られないまま
NSAが街にやって来る

みんなリストに載せられて
やつらに二重チェックされちゃう
あらゆる電子機器を監視する
NSAが街にやって来る
NSAが街にやって来る
NSAが街にやって来る


アメリカ自由人権協会(ACLU)というNGOが署名の呼びかけのために制作したこの動画と替え歌、昨年末から出回っていたもののようですが、ワタクシはついさっきBBCワールドで流れているのを聞いて初めて知りました。
米国民ではないので署名には参加できないようですが(郵便番号の記入が必須)、ACLUには拍手を送りたいと思います

真面目な事柄をユーモアに包んで訴えるのはセンスを要することでもあり、勇気のいることでもありますから。

もっとも、問題はとうに米国民だけのものではなくなっているわけでございますが…。

米NSA、世界中で携帯メッセージを大量収集=英紙 | Reuters
NSAが10万台のPCを無線で監視しマルウェアを送り込んでいる疑いが浮上 - GIGAZINE

ナースジョーカーさん

2014-01-12 | 映画
こんなにも本物そっくりなコスプレというものを、ワタクシはいまだかつて見たことがございません。

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『ダークナイト』版ジョーカーの格好をして、ご本人はカッコイイつもりでも実際は目も当てられない代物が出来上がっているという事例は、ネット上で少なからず見かけられます。といいますか、ほとんどがそうです。
しかし、これはすごい。本人かとみまごうほどのそっくりぶりでございます。体格はヒース・レジャーよりはやや華奢なようですが、もともとの顔立ちが似てらっしゃるのでしょうね。

すごいといえば、この方たちもたいがいですけれども。

Penguin and Joker join forces - Imgur

『鑑定士と顔のない依頼人』

2014-01-03 | 映画
うわあキュッヒルさん!
禿げたなあ!
眼鏡は?
コンタクトにしたんですか?

というわけでNHKの「ニューイヤー・オペラコンサート」を見ているんですが
そんなことはさておき。

新年最初の映画は『ブランカニエベス』にしようと思っていたのです。
しかし『鑑定士と顔のない依頼人』を見やすい時間帯に上映するのが今日までということに気づきまして、予定を変更してこちらに行くことにしました。

映画『鑑定士と顔のない依頼人』公式サイト

うーむ。
原作は未読ですが、映像的センスのある監督ならぜひとも映画化したくなるに違いない、そう思わせる筋でございました。映画としての完成度は高いと思います。
ただ、お話がいかに巧みに織り上げられていたとしても、どの登場人物にも肩入れできないような作りの作品というのは、正直しんどい。まあこれは人によりけりのことではありましょう。しかしワタクシの場合は悪玉にせよ善玉にせよ、好感を持って見ることのできるキャラクターが作中に一人でもいるかどうかが、その作品を楽しめるか否かをけっこう左右するんでございます。そしてこの作品においては、残念ながらそうしたキャラクターが一人もおりませなんだ。

とりわけ、物語のキーであり、準主人公とも呼べるクレアというお嬢さんなんですが。
ワタクシは初めから、そししてお話が進んでからも、彼女のことがまっったく好きになれず、彼女が泣き叫ぼうが失踪しようがトラウマを告白しようが、心情的にはまるっきりどうでもよいこのよっちゃんでございましたので、せっかくのミステリーにもいまいち引き込まれませんでした。役者さんが悪かったわけではございません。ただ、彼女の言動のほとんどあらゆる点が鼻について、好感はおろか同情する気にすらなれなかったのでございました。

役者といえば、主人公のヴァージルを演じるジェフリー・ラッシュはワタクシの好きな俳優の一人なんでございますが、この映画に関しては、この役はラッシュさんじゃない方がよかったんじゃないかのう、と思ってしまう時がちらほらございました。演技がどうこうではなく、役柄として。ヴァージルが鑑定士及び競売人として仕事をしているシーンは、どれもたいへんよかったんですけれどもね。そりゃもう、ずっとそればかり見ていたいくらいでございました。
いっそ彼がバリバリとそして淡々と、日々の仕事をこなしつつコレクションを築き上げて行き、あるときふと自分がいかに孤独であるかに気づいて憂鬱に落ち込むものの、やっぱり俺にはこれしかねーやと気を取り直して再び仕事に精を出しつつコレクション構築にいそしむ、といった内容の映画だったら、ワタクシはかな~り楽しめたことでしょう。

そんな話じゃ起伏がなさすぎるって。
いいんです。ジェフリー・ラッシュが埃をかぶった骨董品たちをゆったり見回しながらよどみなく査定して行くのやら、緊張感の中にも時折ユーモアを覗かせてオークションを小気味よく進行して行くのやら、相棒のドナルド・サザーランドと舞台裏で気さくな会話を交わすのやら、孤独に浸って、とはいえ心安んじて、愛おしいコレクションを眺めるのやらを見ているだけで、ワタクシは充分満足でございます。

巧みに織り上げられたお話、と冒頭で申しましたが、ミステリーではありながらもある意味期待通りに進むので、さしてカタルシスはございません。ただ、振り返ると細かい伏線があちこちに張られておりましたので、2回鑑賞するとよりいっそう楽しめる作品ではあろうと思います。

ワタクシは1回でお腹いっぱいでしたけれども。

あけましてぱぶこめ

2014-01-02 | Weblog
あけました。

新年早々こんな記事というのも嫌なんですけれども、締め切りが迫っていることではあり、今に至るまで何もして来なかったという罪悪感もあり、こんな話からスタートすることをお許しいただきたく。

皆様ご存知とは思いますが、政府は「エネルギー基本計画案」に対するパブリックコメントを1月6日まで募集中です。
ワタクシは原発いらんよ派でございますので、その見地からパブコメを書きまして、今日ネットを通じて提出しました。
反原発の見地からこの「エネルギー基本計画案」を読んだとき、主要な問題点はどこか、そしてどう問題なのかについて、↓のサイトさんがたいへん分かり易くまとめてくださっております。

認定NPO法人 環境市民 - 原発回帰にNO! パブコメを出そう 1/6(月)締切

☆拡散☆ 原発ありきの「エネルギー基本計画」素案にノーを!…問題点と状況を整理しました。パブコメの提出先も: 「避難の権利」ブログ

「準国産エネルギーである原子力は重要なベース電源」?
「世界最高水準の新規制基準の下で安全が確認された原発は、再稼働を進める」?
「核燃料サイクル政策は、引き続き着実に推進する」?
えっ!?と思ったら一行でもいいのでパブコメを出しましょう。

(上記ブログさんより抜粋)

以下はワタクシがパブコメを書くにあたって主に参考にさせていただいたサイトさんです。

原発は発電コストが一番安いって本当?

エビデンスに基づく考察 アメリカでは原発はコスト競争力に負け続々と廃炉へ

Green Action - 原発は温暖化対策になるの?

第1回 原発は温暖化対策に役立たない - 原発の不都合な真実 - 特別連載- 47NEWS(よんななニュース)


こんなキャンペーン↓もあります。こちらは1月7日締め切り。

キャンペーン | 原発回帰のエネルギー基本計画案に反対します/昨年夏の国民的議論の結果を反映し、「原発ゼロ」を明記してください | Change.org

<要請事項>

1.エネルギー基本計画に、昨年夏の国民的議論の結果を反映し、「原発ゼロ」を明記してください
2.各地で公聴会を開催してください
3.パブリック・コメントをきちんと審議してください


というわけで
しょっぱなからこんな話をしておいて何ですが、今年も楽しく呑気にもっさりと、展覧会やら映画やらについて書いていけたらなあと思っております。