のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

2009年に観た映画

2009-12-31 | 映画
午前3時に目が覚めて、やけに明るいので窓を開けてみたらば、それはもう鏡のような満月でございました。
雲ひとつない夜空に煌煌と冴え渡るその明るさといったら、手をかざせば壁にくっきりと影ができるほど、目を凝らせば本も読めるほどでございました。
もっとも別に電気を止められているわけではないので、そんな苦労して月明かりで本を読まんでもいいんでございますがね。

さておき

2009年もはや最終日とあいなりました。
これといって感慨もございませんが、一応の締めくくりとして、今年観た映画の中で当ブログにレポートしそびれたものを、感想付きでここにリストアップさせていただこうと存じます。

『未来を写した子どもたち』
インドの売春街に暮らす子どもたちのドキュメンタリー。カメラを手にした子どもたちのキラキラした、屈託のない笑顔、瑞々しい彼らの作品を見て、こちらも何かわくわくとしてまいります。と同時に、沈んだ表情で「もうすぐお客を取らされる」と語る少女や、学校へ通うことを夢見る、遠い眼差しの少年、彼らのおかれた悲惨な状況を思うと暗澹たる気持ちになります。何もしなくていいのか。でも何ができるというのか。とにかくこういう現実があることを、一端なりとも知っただけでも、何ごとかではあるのだ、と言い訳めいた思いを抱いて新年の京都みなみ会館を後にしたのでございました。

『ミツバチのささやき』
フランケンシュタインの怪物、毒キノコ、レジスタンスの兵士。彼ら「邪魔者」に加えられる理不尽な排斥。彼らと共にあるアナ。世界がもっとシンプルで、かつ神秘に満ちていて、その全てが自分に好意を持っていると、根拠もなく信じていた頃、あらゆるものと友達になれるはずだった、人を信じることが当然だった、そんな子どもの頃の感覚をかすかに呼び覚ます作品でございました。

『帝国オーケストラ』
ナチス政権下のベルリン・フィル、その活動や葛藤を、当時の団員の証言で構成したドキュメンタリー。
ユダヤ人の団員が亡命せねばならなかったならなかったことを回想して「音楽以外の理由でオーケストラを辞めさせられるなんて酷いことだ」と語ったバイオリニスト、その同じ人物が、戦後、ある団員がナチス党員であったという理由で退団させたれたことを、喜ばしいこと、誇るべきこととして語っている。

『沈黙を破る』
自分の安全を確保するためなら、他者の人権を蹂躙しても構わないのか。
むしろ他者の人権を踏みにじることが、自らの安全をいっそう脅かす要因となっているというのに、それに気付かないのは、自分の側の被害を身近に感じる一方で、相手の側の被害、苦しみ、悲しみ、憤りの深さを知らず、それに対して想像力を働かすことも放棄しているらなのでございましょう。

『羅生門』デジタルリマスター版
原作にはないエピソードを最後に加えたことで、人間がその「人間的」なふるまいによりいっそう醜悪であさましい、救いようのない存在にまで落とされ、そこからこれまた、「人間的」なふるまいによって高みへとすくい上げられる。ラストシーンで志村喬の見せる笑顔、「人が犬を羨ましがっている世の中」にあってなお、人間という存在への信頼と希望を取り戻すことができた、その喜びの笑顔が胸に残りました。
今さら申すまでもないことながら、普遍的な価値を持つ作品とはこういうものでございましょう。
それにしても京マチ子怖かった。

『屋根裏のポムネンカ』
純粋な子ども向け作品と思いきや、悪の復活を予感させる不穏なラストなど、なかなかどうしてチェコアニメ。
悪役のフラヴァ(ピアニストの故フリードリヒ・グルダに見えてしょうがない)が、ポムネンカを救出しに来たおもちゃたちへの対処法として「半分は水に沈め、残りの半分は新聞紙で叩き潰す」と言ったのには笑ってしまいましたが、これとて「敵の矮小化」という戦争プロパガンダの戯画かと思うと、笑いの中にもひやりとするものがございます。
陽気なT-1000みたいな、粘度ボディのシュブルトがいいキャラでござました。

『コンチネンタル』(DVD)
まったくねえ、あのラッキョウ顔なのに、かっこいいんですよねえ、フレッド・アステア。冒頭、レストランの支払いのためにやむなくタップを披露する場面なんて、本当に即興でやっているかのような軽やかさ。例によってボーイミーツガールのストーリーも、名曲「コンチネンタル」も全てはダンスの添え物。それでいいんでございます。

『リボルバー』(DVD)
謎解きや種明かしよりもスタイリッシュな雰囲気を優先させたせいで、観客に対して甚だ不親切になってしまった作品。
それでも充分楽しめましたし、好きか嫌いかと問われれば迷わず好きな方に入る映画でございます。のろはガイ・リッチーの作品もジェイソン・ステイサムの作品も観たことがございませんでしたから、「らしさ」を期待せずにすんだのが幸いしたのでございましょう。
とりあえず、ソーターさん最高。

『暴力脱獄』(DVD)
ポール・ニューマンが亡くなった時、ピーター・バラカンさんがラジオの番組内でこの名作に言及され、あの優しく穏やかな声で「史上最低最悪の邦題だと思います」と断じておられました。全くその通りかと。何やらムキムキの荒くれ者どもが鉄パイプで看守をめった打ちにしてでもいそうな邦題でございますが、実際は、不屈にして軽妙な魂の持ち主ルークの、もの悲しくも痛快な物語でございました。

『シェルブールの雨傘』(駅ビルシネマ)
全編、歌。
疲れました。

『ドクトル・ジバゴ 』(DVD)
大河ドラマとはこういう作品を言うのではないでしょうか。
歴史という大きな河の中を、浮き、沈み、もがき、愛し、離れ、巡り会い、どこへ行き着くやらも分からず、ただその頭を必死で水面に上げながら流されて行く人間の姿が、『白痴』のムイシュキン公爵のごとく善意にして無力な主人公、ジバゴを中心に描かれ、全編を観終わった後は、ああ、とため息をつくしかないような、感慨と余韻に浸されました。

『ベルリン・天使の詩』(駅ビルシネマ)
何度観てもいい。のろは生涯ベストワン映画を選べと言われたら、目下のところこの作品になるのでございます。生きてるのって、いいものだ、と思わせてくれるから。
観賞後もう一度観たくなり、翌日行きつけの大きなレンタル屋に行った所、あろうことか棚に並んでおりませんでした。まあ、そもそもが『ゴッドファーザー』シリーズをアクション映画のコーナーに置いたり『ミリオンダラーホテル』を60~70年代名作コーナーに置いたりするがさつな店なので、この物静かな傑作がなおざりにされていても驚くにはあたりません。

『火の馬』(駅ビルシネマ)
ううむ
こんなことはめったにない、というかほとんど初めてのことでございますが、起きているのがやっとだったのでございます。
おそらくコンディションが悪かったのでございましょう。勿体ないことをしました。

『ゴスフォード・パーク』(DVD)
役者さんがみんないいですねえ。特に女優陣が。不幸な女がよく似合うエミリー・ワトソン、経験の浅い召使いのケリー・マクドナルド、彼女をアゴで使うマギー・スミス奥様、辛い秘密を抱えた女中頭ヘレン・ミレン、みなみな素晴らしい演技、そしてこうしたそうそうたる顔ぶれを存分に活かしきる脚本、お見事でございます。
まあこれもチャールズ・ダンス目当てで観たんですけどね。


『ヘアスプレー』(駅ビルシネマ)
実に楽しい作品でございました。メッセージは明確、音楽はご機嫌で色彩はカラフル、何をおいても、クリストファー・ウォーケンを変なオモチャ屋の店主に配役したというのがよろしうございます。あの座ったギョロ目に、犬のウンコ型のチョコレートやパカパカ光る蝶ネクタイを売りつけようとする
人のいいおっさんを演じさせようという発想は実に素敵でございますね。

『8 1/2』(駅ビルシネマ)
『その男ゾルバ』みたいに「あ~、ま~、いっか~」と思わせてくれる作品でございました。
今さらのろごときが何をか言わんやでございますが、グイドの妄想シーンは最高でございますね。
らったったったっ たらら~ん たっ らったったったった~ん とくらぁ。

『パイレーツ・ロック』
何か軽いですねえ。でもま、いいんじゃないでしょうか。女の子がビッチすぎるという点を除いては、けっこう楽しめました。

映画『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』
おお
まさか3度も泣かされてしまうとは...
評判にたがわぬ傑作ドキュメンタリーでございました。負け犬と言わば言え、時代遅れと言わば言え!人生一度っきり、夢を追わないでどうする...というのは、ありふれたテーマかもしれませんが、ほとんどメジャーになることもないまま、それでも30年に渡って音楽活動を続けて来た彼らの言葉には、いわゆる「成功者」の言葉とは違った重みと熱さがございます。

『赤と黒』デジタルリマスター版
ジェラール・フィリップの輝くばかりの美貌、これが全てかと。単に顔かたちのことではございません、手の表情、立ち居振る舞い、全てのシーンがサマになる、まさに「銀幕の貴公子」、あんな人はもう二度と現れないのでございましょうね。


以上に加えて、先日『戦場でワルツを』を観たのでございますが、これは後日もうすこしきちんとした感想記事にしたいと思っております。



『創造都市のための観光振興』

2009-12-29 | 
『町家再生の論理』に続いて、また表紙イラストを描かせていただきました。有り難いことでございます。



使っていただいたイラスト



採用されなかったラフ



こういうものを臆面もなくブログに出してしまうあたり、実に未練がましいですね。
しかしまあ、歳をとるにつれ、だんだん自分の性格にもあきらめがついてきました。
まったく申し訳ないことでございます。

曹操墓ですと

2009-12-27 | Weblog
どぅおおおああああああ



ほほほほ ほん 本当なんでしょうかこれは!!!

河南の墳墓「曹操の墓」と断定…遺骨を確認・副葬品の数々も(サーチナ) - Yahoo!ニュース
時事ドットコム:曹操の墓、河南省安陽で発見=副葬品に「魏武王」、遺骨も-中国

い 遺骨ですよ遺骨!



心臓にズギュウゥゥンと来ましたですよ!ええ来ますともさ!


本物だといいなあ。
遺骨、きっちり全身が見つかったのでございましょうか。ちゃんと頭蓋骨も揃っているのならば、前歯が欠けているかどうかをぜひともしっかりチェックしていただきたい所でございます。

合理主義者の曹操のことですから、お墓やお骨をどういじろうとも、たたったりはすることはございますまい。遺骨を現代の科学でよくよく調べたら、持病であった偏頭痛の原因も解明されるかもしれません。

ああ、だけど「遺骨が発見」って、何だか寂しい。
これが本物だとしたら、のろのような一般人でも、いつかネットや雑誌や新聞で「曹操の骨」の画像を拝むことになるのでございましょう。
そうしたら
そうしたら

とても寂しいだろうなあ。
何か取り返しのつかないような寂しさを感じるだろうなあ。

でもやっぱり
本物だといいなあ。



さいまつの悶々

2009-12-26 | Weblog
そうこうしているうちにクリスマスは過ぎ
NHK歳末助け合い募金も終了しましたけれども
活動資金の約98%を寄付金によってまかなわれているというUNHCRはいつでもご寄付募集中でございます。

国連UNHCR協会-japan for unhcr-

今年10月の統計によると、今年の先進諸国への難民申請数は前年度の同時期と比較して10%上昇しているとのこと。世界のあちこち、そりゃもうほんとにあちこちで、4200万人にのぼる人々が明日をも知れぬ暮らしを強いられているのでございます。

こんな数字を見ますと、バリバリのプレカリアートにしてワーキングプア、即ち時代の最先端を行く貧乏人であるのろが雀の涙を寄付してみたところで、大河の一滴焼け石に水、いかほどの意味があろうかと、思わないでもございません。
ぬくぬくとパソコンの前に陣取って、インターネットでニュースを読んで、ちょっと憂いてお金を出して、それで何かいいことをした気になっているだけ、あるいは、お金を出すことでそれ以上の行動をしないことの言い訳にしているだけかもしれません。さすれば要するに欺瞞の隠れ蓑、自己満足の証明書でございます。

おおともさ!
自己満足で何が悪い!
そもそも生きてることに自己満足以上のどんな価値があるっていうんだ!
雀の涙だろうとキクイタダキ(うひゃー可愛い)の涙だろうといいじゃないか!

というわけで、のろ同様、歳末助け合いに乗り遅れたそこのあなた!
あなたも自己満足の一滴を大河に投じてみませんか?
やれやれこれで少しは善人に近づいたことだろうと、大手を振って新年を迎えようではありませんか!


ああ
もう少しましな言い方はできないのか、のろよ。
こう、「あなたの優しさを」みたいなのをさ...


ボルゲーゼ美術館展3

2009-12-23 | 展覧会
12/15の続きでございます。

面白いと言っては何ですが面白かったのが、アンニーバレ・カラッチの手による聖フランチェスコ像でございました。
右手で数珠を繰りながら、か細い十字架とこの聖人のアトリビュート(その人物を象徴する持ち物)である髑髏とを腕にしっかり抱えて思案に暮れる聖フランチェスコ。その姿を、A4サイズほどの小さな画面にかなりのクローズアップで描いた作品でございます。
何が面白かったかと申しますと、今にも泣き出しそうな、ちょっと情けないほどの表情を浮かべていたのでございます。
左手を頬にあてて頭をかしげ、眉毛を八の字にして口は半開き、目にはいっぱいに涙を浮かべて「もうワタシどうしたらいいのか分かりません!」とでも言いたげな表情でございます。聖フランチェスコは人気のある聖人で絵もたくさんございますが、こんなにも情けない、いや人間らしい表情をしたものは珍しいのではないかしらん。

残念ながらこの作品の画像は見つけられませんでしたが、同じくカラッチの描いた聖フランチェスコ像がこれ。左手の甲に見えるのは聖痕(磔刑のキリストと同じ位置、つまり両手や脇腹に現れる傷)でございます。聖フランチェスコは史上初めて聖痕を受けた人らしいのですが、そりゃ何もない所へいきなりこんな傷ができたら泣きたくもなろうってもんでございます。

冗談はさておき。
こう、思わず声をかけて慰めたくなるような聖人像が描かれたというのも、感情に直接訴えるような分かりやすいイメージを描くべし、という宗教上の要請がこの時代に高まったことの現れなのでございましょう。
そうした要請は新宗派であるプロテスタントが勃興したせいであり、プロテスタント勃興は各国語の聖書が普及したおかげであり、各国語聖書の普及は印刷術の発明なしにはありえず、印刷術の発明に先立っては製紙産業の確立が必須であり、製紙技術がヨーロッパに伝播するにはイスラム勢力によるイベリア半島支配が一役買っており...と、こう、何世紀にも渡りかつ多方面に遡りうる連鎖の帰結としてこの聖フランチェスコの泣き顔があるかと思うと、感慨ひとしおでございます。

そんなこんなで最後のセクション、「17世紀・新たな表現に向けて――カラヴァッジョの時代」へとやって参りました。青・黄緑・クリーム色・朱色と変遷してきた壁の色はここに至って暗いモスグリーンに落ち着き、控えめな照明ともどもバロック気分を盛り上げます。

で、そのカラヴァッジオの


『洗礼者ヨハネ』

前回の記事でご紹介したボッティチェリの絵にも敬虔な表情でひざまずいている小さなヨハネさんがおりましたけれども、約130年後に描かれたカラヴァッジオのヨハネ像は、雰囲気の点で言えば同じ人物を表現したとは思われないほどの違いがございます。
とろんとした目つきにけだるいポーズ、扇情的なまでに赤い衣を倒木に預け、その上に腰掛ける少年ヨハネ。首元やお腹の皺までしっかり描く徹底した写実描法と相まって、聖人というよりも男娼のようでございます。こんなん描いてちゃあ教会から怒られるのも無理ないぞいと思った次第。

頽廃的な魅力を漂わせるカラヴァッジオに対して、ぎょっとする迫力を発していたのがリベーラの『物乞い』でございます。(これまた残念ながら画像を見つけられませんでした)何もない背景に浮かび上がる物乞いの老人の姿、そのスーパーリアルな描写のものすごさ。赤黒く日焼けした肌、黒く汚れた爪、ボロボロの服、何よりもその眼差し、目を開いていながらも何も見ておらぬがごとき、絶望しきった眼差しの描写がすさまじく、絵ではなく生身の人間を前にしているようないたたまれなさすら感じたのでございました。こんな表情は想像で描いたのでもなければ、モデルに悲しげな顔をさせて描いたのでもありますまい。代表作のひとつである↑リンク先の『えび足の少年』同様、市井の貧しい人に目を向け、その生に共感を寄せたからこそ、このような眼差しを描けたのでございましょう。

同展示室で、地味ながら佳品であったのがアンドレア・サッキの クレメンテ・メルリーニ卿の肖像でございます。(←クリックで拡大します)実を申せばのろが本展で一番気に入ったのがこの作品でございました。

がっしりとした作りの椅子にもたれ、片手で本を押し広げつつこちらを見やる男性。この人物についてちとネット調べしてみたのでございますが、サッキによってこの絵に描かれたということ以外、何も分かりませんでした。
大きな絵ながら画面の大半は暗い背景の中に沈んでおります。光を反射しているわずかな部分、人物の顔と手と、椅子のてっぺんの飾りだけが細やかな筆致のもとに明るく浮き上がり、それ以外の部分はわりと荒めに描かれております。こうした表現が人物の存在感を引き立たせるためなのか、あるいは背景その他を描くのが面倒くさかったからなのか、それは存じませんが、とにかくこのわずかな部分に集中した描写が、実にいいんでございます。
穏やかな目ヂカラを発する、誠実そうな目元の表情。その温かみのある視線、そして鷹揚な手つきでページを押さえるポーズからは、教養ある人格者といった人物像が想像されます。

アンドレア・サッキはものすごくメジャーな画家というわけではございません。モデルとなったメルリーニ卿も、歴史の表舞台で活躍したかたというわけではなさそうでございます。しかしこんな風に描いてもらった人物は、そしてこんな風に人間の表情を捉えることができた画家は、それだけで幸せであろうと、ワタクシは思うのでございますよ。

振り返ってみると作品数においては決して大規模とは言い難い展覧会ながらも、50点の展示品の中にルネサンスからバロックへ至る芸術の流れ、画風の変遷が如実に表れており、印象深い作品も多く、まずまず充実した内容であったと申せましょう。



コペンハーゲンのこと(改)

2009-12-18 | Weblog
何と、昨日この記事を投稿した時、リンク先のアドレスを貼るのを忘れておりました。
記事中にも追加しましたが、ここにも貼っておきます。
Save Copenhagen: Real Deal Now!

以下、記事本文。

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コペンハーゲンサミット開催を受けて、国際NGO Avaazから署名や活動を呼びかけるメールが続々届いております。
ボルゲーゼ美術館展レポートの途中ではございますが、昨日届いた署名呼びかけメールをご紹介させていただきたく。


以下、メール本文(和訳文責:のろ)

Dear friends,
コペンハーゲンでの環境サミットはあと2日を残すのみとなり、失敗の瀬戸際にあります。

世界各国の指導者たちは今、最後の直接協議に臨んでいます。イギリスのブラウン首相がAvaazに直接訴えたことですが、2度の気温上昇という大規模な気象変動を食い止める条約に各国が合意するには、一般の人々からの強いプレッシャーが必要なのです。

下のリンク先から、条約締結を求める署名にご参加ください。このキャンペーンにはすでに1100万人もの人々が参加しています。次の48時間の間に、この署名を史上最大のものにしようではありませんか。署名者のお名前は今まさしく、サミット議場において読み上げられています。

Save Copenhagen: Real Deal Now!

(のろ注:署名のしかた、送られるメッセージなどは当記事の*****以下をご覧下さい。

コペンハーゲンで歴史が作られようとしています。若者たちの一団が議場の真ん中に座りこみ、実効性のある条約締結を求める署名に参加した人たちの名前を読み上げるデモをする一方、別のグループはカナダの首相府の前で同様の署名読み上げ活動を行いました。同様の活動が、今日さらに行われるという情報も飛び交っています。3000人のAvaazメンバーによる緊急電話協議を受けてブラウン首相いわく、

「皆さんがインターネットを通じて行っている活動は、会議の枠組みを規定する上で非常に重要な役割を果たしています。皆さんがこの48時間の間に、コペンハーゲンに来ている指導者たちに及ぼす影響を過小評価してはいけません」

Avaazのメンバーがサミット会場で徹夜の活動をする様子をテレビでご覧になった方も多いでしょう。(のろ注:平和運動家でノーベル平和賞受賞者の)デズモンド・ツツ枢機卿はその場でこう言いました。

「ベルリンでのデモは、壁を打ち倒しました。
 南アフリカのためのデモは、アパルトヘイトを終わらせました。
 コペンハーゲンでのこのデモで、実効性のある条約を締結させようではありませんか」

コペンハーゲンは今、人類が未だかつて直面したことのない危機に対処するため、空前規模の委任状を取り付けようとしています。この48時間の間に、新たな歴史が作られます。この瞬間を、私たちの子や孫たちはどんなふうに振り返ることでしょうか。彼らに伝えましょう。我々はできるかぎりのことをした、と。

希望と決意をもって。
Ricken, Alice, Ben, Paul, Luis, Iain, Veronique, Graziela, Pascal, Paula, Benjamin, Raj, Raluca, Taren, David, Josh 、そしてAvaazの全メンバーより。


*****
送られるメッセージ

コペンハーゲンサミットに参加している110カ国首脳の皆さんへ:
この危機に対処するという歴史的責務を果たすため、皆さん各々が譲歩をしていただけるよう、我々は望んでいます。先進国は公正な資金提供をすべきであり、全ての参加国は温室効果ガス削減に向けた積極的な目標を掲げるべきです。2度の気温上昇を食い止めるための公正で積極的な、かつ拘束力のある条約を結ぶことのないまま、皆さんがコペンハーゲンを去ることがありませんよう。

(以上)

リンク先画面右側に出ておりますピンク色のバーと数字が、現在署名に参加している人数です。のろがこの記事を書いている時点で、1369万2574人が参加しています。

署名のしかた
水色のバーで出ております Sign the Petition 欄

以前にも署名したことがあるという方は一番上のAlready Avaaz member?の空欄にメールアドレスを入れてピンクのSEND:送信ボタンをクリックしてください。
初めての方はその下に、
Name:お名前
Email:メールアドレス
Cell/Mobile : 電話番号(必須ではありません)
Country:国籍(選択)
Postcode:郵便番号
を入力の上,右側のYour personal massage欄にあるピンク色の Send:送信ボタン をクリックすると参加できます。

入力したアドレスにはご署名ありがとうメールが届きます。
その後も署名を呼びかけるメールが随時届きます。
それはちょっと...という方は、送られて来たメール本文の一番下にある go here to unsubscribe.(青字)という所をクリックして、移動先の空欄にメールアドレスを入力→SENDをクリックすれば登録は抹消されます。

*****

ボルゲーゼ美術館展2

2009-12-15 | 展覧会
12/8の続きでございます。

あのう
ボッティチェリの絵って気持ち悪くないですか。
優美さが過ぎてかえって硬直している、というか。何せ天下のボッティチェリでございますから、こう感じるのろの感性がおかしいんじゃろうか、と長らく思っておりました。それゆえ美術全集か何かで、ボッティチェリの描いた女性群像を「病的に優美」と形容した一文を見かけた時にはオオと膝を打ったものでございます。
背景に遠近法を取り入れる一方で人物はどこから光があたっているやら分からぬのっぺりとした陰影に包まれている、という技巧上のチグハグさも手伝っているのかしらん。いやしかしボッティチェリに少し先立つ初期ルネッサンスの画家で、のろの大好きなフラ・アンジェリコピエロ・デッラ・フランチェスカもそうした点では同じなわけで、してみるとやはりこの気持ち悪さはボッティチェリ特有の優美さに発していると思われるのですよ。この3人を比較するなら技術的に最も洗練されているのはボッティテリでございましょうが、優美さと技巧の巧みさとに塗り固められていささか息苦しいのでございます。きりりとした小鼻、つややかな巻き毛、そして繊細なポーズをとるしなやかな手と指先、何と全てがこの上なく優美な表情で、不気味に硬直していることか。



てなことを『聖母子、洗礼者ヨハネと天使』の前に長いこと陣取って、腕を組み首をひねって考えておりましたので、はたから見たらボッティチェリ大好きな人みたいだったろうなあ。
何です。
わざわざ美術館へ来て他人の観察してるヒマ人なぞいないって。
そおですよねえ。

ともあれ。

軽やかな色調のボッティチェリやラファエロのある展示室から一歩角を曲がると「16世紀・ルネサンスの実り」と題された中~後期ルネサンスのセクションでございます。向こうの壁面にはずいぶん黒っぽい絵が並んでおります。ほっほっほ。だんだんバロックに近づいてまいりましたよ。空と海を背景にやけに劇的な身振りで魚に説教している聖アントニオの姿も、来たる「やりすぎの時代」の先触れのようでイイ感じではございませんか。

ギリシャ神話の主題もちらほら混じるこのセクションでのろが目を引かれたのはアンドレア・ブレシャニーノ『ヴィーナスとふたりのキューピッド』 でございます。主役のヴィーナスはポーズも体型もミロのヴィーナスに両腕を付けて代わりに腰布をとっぱらったようでございまして、古典美大好きルネサンスの香りがふんぷん。とはいえ女神の白すぎる肌に、生気よりもまさに大理石の彫刻ような冷たさを感じるのは、この作品が描かれた1520年代において、すでに美術様式が技巧的洗練と冷ややかな歪みを特徴とするマニエリスムへと食い込んでいることの現れでございましょうか。
ヴィーナス像の常ながら、頭は格好よく結い上げておいて首から下は素っ裸ってどうなんだというツッコミはこらえて、注目したいのはヴィーナスの足下、向かって左のキューピッドでございます。ぷくぷくした幼児の姿とはいえ、キューピッドとしてはまれに見る凛々しさで描かれているではございませんか。伏し目がちの視線、引き結んだ口元、弓を軽く支え持つ指先、片足を一歩踏み出して少しひねりを加えたポーズ、どこを取っても実に端正で、きりりとした気品に満ちております。
ブレシャニーノという画家のことは全く存じませんでしたのでちとネット調べしてみましたら、16世紀前半にシエナで祭壇画などの製作を営んだアンドレアとラファエロという兄弟画家であるとのこと。それ以上詳しいことは分かりませんでしたが、検索でこの『ヴィーナスと~』が多く引っかかって来る所を見ると、この作品は彼(彼ら?)の代表作と目されているのでございましょう。


次回に続きます。




ボルゲーゼ美術館展1

2009-12-08 | 展覧会
今年の中ごろ、近所に大きなスーパーができまして、そこで買い物をすると、清算が済むと見るやすかさず店員さんがやって来て「お運びします!」という元気な声と微笑みと共に買い物かごをレジから台まで運んでくださるので、ものすごく嫌です。

それはさておき

京都国立近代美術館で開催中のボルゲーゼ美術館展へ行ってまいりました。

京都近美の企画展示室は3階にございます。
エレベーターもございますが、ワタクシはいつもエントランス正面の広い階段をたんたん上ってまいります。兵庫県立美術館も、企画展示室の手前に広々とした階段室がございますね。和歌山県立美術館や広島市現代美術館は、美術館そのものの前に階段がございます。ワタクシはこの、階段を上って美術館へ、というちょっと儀式めいたしつらえが大好きでございます。
今回、階段をたんたん上っていきますと、さっそく迎えてくれるのはベルニーニ作の


ジョン・キャンディ

ではなく、ベルニーニのパトロンであり、美術館の礎となるコレクションを作ったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の胸像でございます。実物のベルニーニ作品とはこれが初対面ののろ。
正直、見る前は ちぇっ と思っていたのですよ。初ベルニーニがおっちゃんの胸像かい...と。だってね、聖テレサの法悦の、アポロンとダフネのベルニーニでございますよ。やっぱり若者の全身像に衣がひらひら~んとまつわっているようなのが見たいじゃございませんか。

ところがどっこい、二重あごに髭を垂らした福耳おっちゃんの胸像に、のろはいたく感動してしまったのでございました。
こめかみに細かい縦皺を刻みつつあごへと垂れ下がるたっぷりとした肉付きの表現。
唇の中央をわずかに開いて今にも「さて」とか何とか喋り出しそうな口元。
傲然とした反り気味の姿勢を取りながらも、どこか人なつこそうなタレ目の表情。
振り返った右頬にできたむにっとした肉だまり、その柔らかそうなことといったら、石で作られているとは信じがたいほどでございます。
上衣のボタンのうち下から3つ目は穴にきちんとはまっておらず、ボタンにあやうく引っかかっている布の表現があまりにも見事なので、ちょいと手を伸ばしてかけ直してやりたくなります。彫刻家がわざわざこんな描写をし、モデルの方も作り直せとは言わなかった所を見るとシピオーネさん、若干ルーズなご性格だったのかもしれません。



加齢による細かな皺や肥満による皮膚のたるみを容赦なく捉えながらも、揺るぎない威厳と富豪ならではの鷹揚さを漂わせた人物として生き生きと描き出した腕前はさすがでございます。

この像の隣には2ミリ四方ほどのピースを無数に組み合わせて作られた、それは見事なモザイク画が展示されております。これまたシピオーネ・ボルゲーゼを描いたものでございますが、こちらはパトロンであった卿をギリシャ神話の詩人に譬えたもの。つまり「ボルゲーゼ枢機卿さまさま!」というヨイショ感に満ち溢れた、いささか微笑ましい作品でございます。
この作品が製作された1618年、卿は42歳のいいおっさんだったはずでございますが、絵の中では豊かな巻き毛にばら色の頬の健康そうな美青年(たぶん、意図としては)の姿で、オルフェウスよろしく、動物達にかこまれて楽器を奏でております。

芸術性ということを言うならば、断然ベルニーニの方に軍配が上がりましょう。しかしモザイク画家と彫刻家がおのおのに求められたやり方で芸術の一大庇護者を讃えたということなのであって、優劣を云々するのは野暮というものかもしれませんて。

次回に続きます。

とどこおり中

2009-12-02 | Weblog
更新が滞っておりまして、誠に申し訳ございません。
この十日ほど、昼は休みがなく
夜は職場の方からお借りした人形劇三国志のDVDを見るのに忙しく

.....忙しく、
つまりその、展覧会に行く暇も記事を書く暇もなかったのでございます。
しかしとりあえず差し迫ったお仕事は片がつきましたし、人形劇はもうすぐ
孔明さんが泣いて馬謖を斬って
後出師の表を奉じて
司馬懿と対峙して
五丈原に没するので

五丈原に没するので!!!

ほどなく夜の時間も空くことでございましょう。
そうしたらボルゲーゼ美術館展レポートをUPする所存でございます。
もうしばし、森本レオ演じる諸葛孔明の悲愴な姿に
涙はげしうすることを許してくださいまし。