のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『Monsters vs Aliens』のこと

2014-03-30 | 映画
長らく展覧会レポがないのは、長らく展覧会に行っていないからでございます。
4月後半くらいまではこんな調子かもしれません。
その間『Monsters vs Aliens』とその関連作品について、ぼつぼつ書いていこうかと思います。

関連作品と申しましても、日本では映画『モンスターvsエイリアン』(例によって邦題では単数系となっております)しか公開されておりません。またこの映画というのが、文句無しに抜群の出来映えとは言い難いものではありました。ワタクシは映画以外の媒体から入って行ったのでございますが、そうでなければここまで好きになることはなかったかもしれません。また2009年に公開されたこの作品、劇場版としては続編が作られそうになく、2013年3月に始まったTVシリーズは今年の2月まで続いたものの、視聴率がいまいちということで打ち切り、という甚だ将来性のないフランチャイズでございます。ですから、いっそうむきになって応援してやろうと思います。

ワタクシが見た順番は、
『Night of the Living Carrots』(ハロウィン向け短編その2)→『Mutant Pumpkins from Outer Space』(ハロウィン向け短編その1)→TVシリーズ→映画
という甚だ変則的な進み方でございました。経緯はどうあれ、はまったことに違いはございません。
Wikipediaによると、映画は北米ではヒットしたものの、主要な市場とされるいくつかの国(おそらく日本を含む)では興行成績が振るわなかったとのこと。そのため上述のように、ドリームワークスCEOのジェフリー・カッツェンバーグからじきじきに「『メガマインド』同様、続編は作られないであろう」と宣言されてしまいました。

けっ。
「映画の将来は3Dしかない」なんて言う人とはやっぱ反りが合いませんや。
ちなみに『メガマインド』はワタクシ北米での公開前から楽しみにしていた作品でございました。『モンスターvs~』同様、現地ではなかなかのヒットを飛ばしたのですが、日本では劇場未公開・しかもDVDすら発売されず、吹き替え版の配信のみというなんとも酷い扱いでございます。
どうして昔からのろさんが肩入れするものは揃いも揃って短命に終わるんだろう。『恐竜大紀行』とか、『サイボーグ爺ちゃんG』とか、『魔神冒険譚ランプ・ランプ』とか。あと『爺さん大好き』とか『われはロボットくん』とか言っても果たして誰か分かってくれるだろうか。

ともあれ。
このフランチャイズにおける、ひねくれとバカバカしさ、癖のあるキャラクター、制作者のこだわりとお遊びなどなどがワタクシにはいたく気に入ったのであり、そのひねた魅力を現実逃避もかねてぼちぼちご紹介していこうと思った次第でございます。
次回から。
すみません。

JUNKFOOD JENNY

2014-03-27 | 音楽
高校生の頃好きだったミュージシャンに、「ICE」という日本のユニットがございました。
過去形で申しましたが、別にその後も嫌いになったわけではなく、住環境の変化に伴ってCDが棚の奥の方に行ってしまい、何となく聴かなくなったというだけのことでございます。彼らの楽曲の中でもとりわけ好きな曲のひとつが『JUNKFOOD JENNY』でございます。
昨今のSTAP細胞や難聴の作曲家をめぐる騒動、また劇場型政治のなれの果てとでも呼べそうな大阪市長選挙の有り様を見るにつけ、この曲のことが思い出されるのでございました。



ICE JUNKFOOD JENNY 歌詞

もちろんJennyの場合とは違って、上記の騒動は「ただのジョーク」から発したものではございませんし、渦中の人たちと「とても内気な少年」Jennyとの間には、あんまり共通点はないかもしれません。少なくとも6億円もの税金を自己顕示のために費やしたも同然の現大阪市長は、Jennyとは全く似ても似つかないと言ってよろしいかと。
しかし、実際の業績(とおぼしきもの)よりも、それをなした(とおぼしき)個人にむやみやたらとスポットライトを当てて祭り上げたあげくに、一旦彼らのいわば商品価値にかげりが見えるや否や、それっとばかりに手のひらを返して袋だたきにする、甚だワイドショー的なマスメディアの取り上げ方が何とも気持ちが悪く、この点において、何の根拠もないままにスーパースターに持ち上げられたのちに、またわけも分からず引き摺り下ろされるJonnyの物語を彷彿とさせるのでございました。

キートン in トワイライトゾーン

2014-03-18 | 映画
こんな素敵なものが。

Twilight Zone - Once Upon a Time - Buster Keaton


時は1890年、主人公は発明家のギルバート博士のもとで雑用夫として働くマリガン氏(キートン)。物価は高いし、街路は馬車や自転車が行き交って騒々しいし、やれやれだ、と今日も仏頂面でございます。外出から帰って、水桶にはまったせいでびしょぬれになったズボンを干していると、隣室で博士が「好きな時代に30分間だけ行けるタイム・ヘルメット」を発明したぞと息巻いております。博士と弟子が祝杯をあげている間に、マリガン氏はこっそりヘルメットを拝借して、もっと静かでのどかだった時代への時間旅行を試みます。しかしダイヤルをうっかり未来(1962年)に合わせてしまい…というお話。

トワイライトゾーンというとワタクシは冒頭の♪タリラリ タリラリ…の所しか存じませんで、もっとおどろおどろしいと言いますか、ホラーSF寄りの番組かと思っておりました。そうでもないようですね。ひところ日本でも放送された『世にも不思議なアメージングストーリー』みたいな感じなんでしょうか。

このエピソードの放送は1961年12月。キートンは1895年10月生まれですから、66歳の時ですね。この前年に出版された自伝ではこう語っております。

つい最近のことだが、ある友達に一生を役者稼業に費やしたことでいちばん嬉しいと思えることはなにか、と 訊かれた。あまりにたくさん答えがありそうなので私はしばらく考えなくてはいけなかったが、それからこう言った。「誰でも同じことさ、楽しい人たちと一緒にいられることだね。」
そしてこれこそコメディ役者の最高の特権であり喜びなのだ、私はそう思う-----自分がしりもちをついたりその他もろもろの道化の手管で笑わせた、これほどたくさんの楽しい人々といっしょにいられること。
(p.314)

(主治医の)アヴェドン先生は私が百歳まで生きると言っていた。私もそうするつもりだ。これほど大勢の人が、何十年も昔のこと、彼らも私も両方とも若かった時代に、自分たちにささやかな笑いをくれた凍り付いた顔(フローズン・フェイス)の小男のことを、いつでまも感謝と愛情を込めて覚えていてくれる-----そんな世界にいて百歳まで生きたいと願わない人間がどこにいるだろうか?(p.315)

(『バスター・キートン自伝 わが素晴らしきドタバタ喜劇の人生』藤原敏史訳 1997 筑摩書房)

本当に、百まで生きてほしかった所です。
キートンは1930-40年代に色々な面で不幸な時代を送ったものの、50年代以降は再評価が高まり、TVや映画に出演することも多くなりました。この『トワイライトゾーン』のエピソードにも、キートンの昔の作品、そしてキートン自身へのオマージュと感じられる部分がそこここにございます。まずもって「変なかぶり物とバスター・キートン」という組み合わせからしてそうですね。

キートンの帽子といえば、このエピソードの中でも被っている「ポークパイ・ハット」でございますが、このぺちゃんこ帽子に限らず、キートンの作品には帽子が主役のギャグがしばしば登場いたします。
中でも代表的なものは『蒸気船(Steamboat Bill Jr.)』の帽子とっかえひっかえシーンでございましょう。『荒武者キートン(Our Hospitality)』では、馬車の中でたけの高いシルクハットを被ろうと悪戦苦闘するシーンがございました。(Youtubeで見られるものも多いので、原題も併記しておきます。)
『探偵額入門(Sherlock Jr. )』では、現実のキートンと夢の中のキートンが画面上で分離したように、壁にかけてあった帽子も、現実のそれと夢の中のキートン用の帽子に分離するという几帳面なギャグが。このキートンが2人に分離するシーン、今の技術からするとたいしたことがないように思われるかもしれませんが、もちろんCGなんぞない時代のことであり、フィルムの多重露光(重ね撮りと言っていいのかしらん)によって実現した画面には、不思議な詩情が漂っております。
『西部成金(Go West)』では、着ぐるみで悪魔の扮装をしたキートンが例のペチャンコ帽子を被ろうとするものの、頭にツノがあるせいで被ることができず、逼迫した事態をよそに真剣に悩むというのがございました。

短編『鍛冶屋(The Blacksmith)』では、びっくり仰天した拍子に帽子が飛び上がって一回転しておりました。
(↓の0:45)
The Great Buster Keaton


『化物屋敷(The Haunted House)』ではキートンが気絶している間に見る夢の中で、天使じみた白い衣装を着て天国への階段を駆け上がるシーンがございますが、そんな非日常の格好でも頭にはいつもの帽子を乗せたままというのが何ともとぼけた笑いどころでしたし、途中に控えている天使たちに向かっていちいち帽子を持ち上げて挨拶しながら階段を上って行くのも、いかにもキートンが演じるキャラクターらしい馬鹿正直さが表現されていて、微笑ましいものでございました。
『船出(The Boat)』では小舟がキートンを乗せたまま粛々と沈んで行き、水面に例の帽子だけが取り残されるという、これまたキートンならではの「暗い」ギャグが。
また映画の中ではこのままのシーンはなかったと記憶しておりますが、『海底王(The Navigator )』のスチルにはこんなのがございますね。



ざっと思いつくだけでもこれだけ出て来ます。実際はもっとたくさんあるかと。

それから、「警官に追いかけられる」。
最初の遭遇ではなーんだ追いかけっこは無しか、と肩すかしを食わせておいて、あとでやっぱりやる、という構成が心憎い。ズボン無しのせいで警官に追われる→大柄な相棒の陰に隠れてやりすごす→店先のズボンをガメる、という流れは『自動車屋(The garage)』でロスコー・アーバックルと組んでやったギャグの再演でございますね。66歳のキートンは、アーバックルと短編を作っていた20代の頃に比べると少なからず横幅が増しているわけですが、それでも大男の影にすっぽりおさまってしまうという可笑しさ。
額に手をかざして遠くを見渡す、お得意のポーズも健在です。
またズボンを絞り機にかけようとして指を巻き込んでしまう場面は、キートンの実体験から派生したギャグでございますね。

再びキートン話 - のろや

実体験といえば、23:10の所で、あれがないこれがないと文句を言う男を見て「うちの姑より酷いや」というセリフがございますが、これはキートンの最初の結婚のことを暗に指しているような。
トム・ダーディスの伝記によると、姑のペグ・タルマッジは見栄っ張りな所があった上、キートンのことを教養の無い喜劇役者としていささか見下していたフシがございます。
ただダーディスの伝記は、著者がキートンを愛するあまり、キートンに害をなしたと見なしうる人物のことを悪しざまに書いている傾向がなきにしもあらずです。よって、ペグ・タルマッジがいわゆる鬼姑であったと決めつけるのも控えたいと思います。ただキートン自身、自伝の中でタルマッジ家の結束と仲睦まじさを讃えたあとで冗談めかしながらも「時には、自分はひとりの娘ではなくて家族とまるごと結婚したんじゃないか、と不安な気持ちになったこともあった」と語っているように、夫婦間のかなり立ち入ったことにまで干渉して来るタルマッジ家の人々と、その友人たちが日々詰め寄せる家庭内において、居心地の悪さを感じていたようです。

「より静かだった時代を懐かしむ人物」という設定も、トーキーの波にうまく乗れなかったとされるキートン自身の映画人生を踏まえたものでございましょう。ワタクシとしては1930-40年代の不遇時代をもたらした要因はサイレントからトーキーへの移行という問題ではなく、大手のMGMに移籍したのち、それ以前のように自由な映画作りをさせてもらえなくなったことや、離婚やアルコール依存といった心身をすり減らす問題であったという説を採りたい所でございます。

来年はキートンの生誕120周年にあたるわけでございまして、劇場での作品上映や関連書籍の再版などがあるといいなあと、ひっそり期待しております。
「午前十時の映画祭」で、『探偵額入門』か『将軍(The General)』くらいは上映してくれてもいいと思いますよ、東宝さん。

3年経ち

2014-03-11 | Weblog
3月11日でございました。

東京新聞から、胸塞がれる記事を。
原発からたった12kmの距離にある富岡町の自宅に留まって、そこに残された動物たちの面倒を見て来られた松村直登さんのお話です。

《あの人に迫る》 動物も悲惨だぞ 何も知らねえべ/松村直登 福島県富岡町民(東京新聞) - あきらめない、もう一つの命達!! - Yahoo!ブログ

この記事を読んで最もやるせなさを感じたのは、次のくだりです。

震災から1カ月くらい過ぎたころ、東電の本店さ行ったんだ。対応した社員に言ってやった。「家畜からペットから、みんな雨の中で餓死しちまうぞ。面倒見ねえのか」って。そしたら「東電は事故の収束に向けて一筋で頑張れと政府から言われている。動物には何もできません」ってよ。... (中略)...東電は被災者の心を何も理解してねえことが分かった。「俺はもうめちゃくちゃ被ばくしてる。死んだらおめえらに検体してやる」って言ったら、何て言ったと思う。「体は貴重な資料になるでしょうね」って。人間の心が分かってたら、そんなこと言わねえはずだ。


3年前の3月11日に起きた原発事故について、東電が一から十まで何もかも一切合切悪いのだ、と言うつもりはありません。もちろん東電には事故を起こした施設の管理者として、その安全性に関して重大な過失・過信があったと言わねばなりませんし、もちろん被害者への賠償責任もあります。
しかし事故が起きるまで、原子力発電所という施設への安全神話、あるいは安全プロパガンダを何となく信じて来た人たち、そして私自身を含めて、安全なわけないだろうと思いながらも何もして来なかった人たちにしても、潔白の身とは言えないからです。
あの事故が起きたのは即ち、あの事故の下地となった状況、つまりこの地震大国の上に原発を建設しまくったという経緯も、それを支える差別構造も、人々が素朴でふわふわとした「信仰」と無関心とによって容認して来たということに他ならないからです。1946年に伊丹万作が言ったように、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」のではないでしょうか。

「いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。」

伊丹万作 戦争責任者の問題

また、上記の東京新聞の記事に登場している東電社員ひとりを、ことさら責め立てるつもりもございません。
本店とはいえおそらくお偉いさんではなく、対応窓口担当の職員さんでしょう。発言内容そのものは全く擁護できませんし、憤りを覚えるのも確かです。しかし対応窓口というのは、自分には決定権はないのに、お偉いさんがたが決めた事柄について、彼らに代わって日々批判の矢面に立たされるという、それ自体がたいへんやるせない部署です。
この職員氏もきっと、松村さんの壮絶な言葉に対してとっさに返すべき言葉が見つからず、せめてそのお志は無駄にはなりますまい、という意を伝えようと、苦し紛れにこのような文句を口走ってしまったのではないでしょうか。
少なくとも、そう信じたい所です。

では、上記のくだりの何がやるせなかったのか。

「俺はもうめちゃくちゃ被ばくしてる。死んだらおめえらに検体してやる」
「体は貴重な資料になるでしょうね」

こんなやりとりは、3年前まではディストピア系SFの中だけのものだと思っていました。または「25年前のソビエト連邦」という、私にとってはSFと同じくらい遥か遠い世界に属していたものでした。それが今や現実に、この社会において交わされている。
そしてそんな現実を尻目に、こともあろうに原発を今まで推進して来た為政政党の党員が「原発事故で死んだ人はいない」と言い放ち、総理大臣はスポーツイベント誘致のために世界に向けて平気で「アンダーコントロール」という嘘をついていること。
さらにはこのろくでもない為政者連中が、松村さんと東電の職員氏が交わした腹立たしくも悲しいやりとりや、警戒区域に取り残されて飢えと乾きの中で死んで行った動物たち、住まいを、田畑を、漁場を、なりわいを失った住民の皆さん、子供たちを被爆から守ろうとする親御さんたちの苦悩や葛藤、離ればなれにならざるをえなかった友達や家族、それらすべての原因となった施設(言うまでもなく、地震と津波だけならこんなことにはならなかった)を、事故原因の充分な検証もないまま再び稼働させ、選挙前に掲げた「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立」という公約を自ら蹴飛ばして「重要なベース電源」として押し頂き、果ては恥知らずにも「世界一安全性」と称して他国に売りつけようとしている現状が、あまりのもやるせないのです。

上に挙げた数々の悲劇は、いつであれ、どこであれ、二度と決して繰り返されてはならないものです。そのためには、その原因となった原発という技術ならびに施設を、推進または黙認してきた私たちの過去を直視し、反省しないことには始まりませんし、何より私たちみんなの過ちの犠牲となった被災地や被災者のことを忘れたり、無関心でいてはならないはずです。

ところが現政権の「死んでないんだからいいだろう」、「オリンピックが来るんだからいいだろう」と言わんばかりの姿勢と方向性、これはいったい何なのでしょうか。厚顔無恥な開き直りと、被災地・被災者への無関心の現れ以外の、いったい何でしょうか。

無関心といえば、昨年 11月に福島で開催された、いわゆる特定秘密保護法に関する公聴会のことも思い出されます。
公聴会に参加した意見陳述人が全員反対したにも関わらず、その翌日に、全く何事もなかったかのように採決され、衆議院を通過しました。
はなから耳を傾けるつもりがないのなら、何のための”公聴会”だったのか。

私自身、そもそも根が薄情な人間ですから、被災地のことを我が身に降り掛かった場合ような関心を持って注視してきたわけではありません。その私からしても、今の為政者たちの無関心ぶりはあまりに酷いのではないかと思わざるを得ないのです。

震災・原発事故から3年 深まる遺族の苦悩 、無念ー「せめて原発事故さえ無ければ」(志葉玲) - 個人 - Yahoo!ニュース

沢山の被害者がいるのに、加害者がいないのはおかしなことです。これでも罪を問えないのですか? - ウィンザー通信

村野瀬玲奈の秘書課広報室 |国会答弁で2020年東京オリンピック誘致演説の嘘を悪びれもせずに説明する安倍晋三首相


薄情な上に人嫌いな私ではありますが、先日「バイバイ原発3.8きょうと」というイベントに参加して来ました。
イベントの中心的催しとして、金子勝さんの講演がありました。

バイバイ原発3・8きょうと(5) 経済学者の金子勝さん


「(今の政策は)福島の人々の避難や賠償を最優先にするべきなのに、東電の救済に税金を使っている。既に’死んでいる’東電を生き残らせるために膨大なお金を注いで、福島の除染や賠償を節約しようとしている」
「東電をまず解体・売却し、貸し手(・株主)は債権放棄をするべき。新株や旧東電の資産売却によって被災者救済の為の資金を確保すべき」

なぜ、そうならないのか。
なぜ、今の為政者・与党は、被災地や被災者ではなく電力業界の方ばかり向いているのか。
なぜ、そんな政党の推す政治家が、都知事に選ばれるのか。

つまる所、無関心と、そこから帰結する無知とが、現状をかくあらしめているのではないでしょうか。
そうであるかぎり、いずれまたどこかで、同じことがおきるのではないでしょうか。
そしてそのどこかとは、貴方の今いる場所の近隣のことかもしれないのです。

伊方原発,玄海原発,川内原発,九州電力,福岡,大分,佐賀,長崎,熊本,宮崎,鹿児島,沖縄の事故、距離、地図、住所、ライブカメラ、状況、記事、本、解説


最後に。
以前にもご紹介しましたし、ネットを活用していらっしゃる皆様はもうとっくにご存知かとは思いますが、改めてIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)の宣伝をさせていただこうと思います。

岩上安身責任編集 ? IWJ Independent Web Journal

3年前の3月11日以前は知りもせず、関心を持つこともなかったことのひとつに、マスメディアがいかにスポンサーによって縛られているか、という問題がありました。


『原発広告』(亜紀書房)著者 本間龍さんインタビュー |今週の原発|通販生活 


「原発安全神話をすり込むために、電力会社はこの40年で2兆4千億円もの広告費を使いました」
東日本大震災前までは、当たり前のようにテレビや新聞で見かけていた「原発広告」。国民に原発の「安全神話」をすり込み、マスメディアの批判力を奪ってきた広告とはどのようにして作られたのか。大手広告代理店の営業マンを経て、著述家として活躍している本間龍さんに伺いました。


「彼ら(電力会社)の機嫌を損ねて「広告を取りやめる」と言われたら、経営に響きかねません。原発に関するネガティブなニュースは、なるべく取り上げないように、マスコミ各社は自主規制するのが当たり前でした。」

電力会社が何もかも悪いと言うつもりはないのと同様、マスメディアが何もかも悪いと言うつもりもありません。特定の組織によって金銭的に首根っこを押さえられた状態では、その組織の不利になるような報道をすることは(それがいかに倫理的に正しいことであろうとも)どだい無理な話でありましょうから。

IWJは2010年12月に発足して以来、会員による定額会費とカンパによって運営を続けて来た独立メディアです。
大企業によって財布のひもを握られた「マスコミ各社の自主規制」から自由な、こうした報道機関が保たれることは、社会が同じ悲劇と過ちを繰り返さないために必須のものであろうと私は考えます。逆に言えば、現在のような為政者、そして現在のような’公共放送’のもとで、このような独立と気概を保ったメディアがなくなった時、私たちに日々もたらされる情報とは、いったいどのようなものになるのかと、考えるだに恐ろしいのです。

寄付・カンパのお願い | 岩上安身責任編集 - IWJ Independent Web Journal

ジャガーのCMほか

2014-03-05 | 映画
「午前10時の映画祭」で一番楽しみにしていた『カッコーの巣の上で』を観てまいりました。
舞台となっている精神病院の患者のひとりに、ビリーといういかにも可愛らしい若造が出て来るんでございます。
見栄えもいいし演技もいい、これ誰かなあと思っておりましたら、エンドロールで出て来た名前が "Brad Dourif" ...

おぉい!将来グリマかい!!



ううむ、何というグレっぷりだ、ビリーよ。マクマーフィもびっくりだ。

ところで『ホビット』シリーズには蛇の舌グリマ殿は出て来ないんでしょうか?ちらっとでも?
いえ、原作である『ホビットの冒険』にグリマが登場しないのは承知の上ですとも。しかしそれを言うなら、レゴラスだって原作には登場しないじゃございませんか。おまけにimdbによれば3作目には上司のサルマンも登場するらしいじゃございませんか!
サルマンが出るなら蛇の舌も出してくださいましよ!!
サルマンの側に立って陰気な顔でもみ手してるだけでもいいから!



と、いうのは
以下の記事とは全然何の関わりもない前置きなのでございましてあしからず。

そう、ジャガーのCMなのでございます。
スーパーボウルの時に流れたジャガーのCM、「英国人が演じる悪役」をテーマとしております。ひと月も前の話題になってしまったわけですが、ソーターさんことマーク・ストロングががっつりとフィーチャーされたものではあり、とにもかくにもご紹介しておこうと思います。

まずはソーターさんのみのもの。



M:絶大な権力は必ず堕落するものだと言うが...それの何がいけない?

ううむ、セプティマスとかサー・ゴドフリーなら堕落しても結構というか期待通りですが、ハニとかアーチーおじさんが堕落したら悲しいです。
ベン・キングスレーとトム・ヒドルストンを交えた完全版は↓こちら。
 


B:ハリウッド映画で悪役を演じるのはことごとく英国人であることにお気づきかな。
M:喋り方がいいのかな。
T:あるいは、より集中力があるから...それとも、より細やかなためか。
M:常に一歩先んじている。
B;スタイルと細部へのまなざし。
T:それに力への執着!(ヘリ、ジャガーにまかれる)...動じないことが肝心だ。
M:そして、ジャガーに乗ると。
B:そう、ワルでいるのは楽しいものだ。

ベン・キングスレーってそんなに悪役してましたっけ。むしろゲイリー・オールドマンとかアラン・リックマン(そして知名度は落ちますがチャールズ・ダンス)の方が「British villain」としてすぐに思い浮かぶのですが。ソーターさんことマーク・ストロングの悪役歴については、今更申すまでもございません。トム・ヒドルストンは『マイティ・ソー』のロキの人ですね。
ロキがずいぶん魅力的なキャラクターであるとう噂は聞き及んでおりますし、実際ワタクシが大好きなタイプの悪役のような気がしますけれども、ワタクシは『ソー』シリーズも『アベンジャーズ』も観ておりません。理由は以下の通り。
(1)マッチョなあんちゃんがトンカチを振り回して闘う、という絵に心惹かれない。
(2)北欧神話をアメリカナイズしている感じがなんか嫌。
(3)関連作品を全てチェックしなければならない感じが嫌。
(4)にもかかわらず、観たら悪役にどっぷりはまってしまいそうなのが嫌。

はまりすぎるであろうことが目に見えているためにあえて避けて来たものというのが、ワタクシにはいくつかございます。バスター・キートンもそうでした。『ダークナイト』もそうでした。まあ結局いつかは観てしまって案の定ズブズブにはまる上に「もっと早く観ておけばよかった」なんて思うことになるんですけれども。

CMに話を戻しますと。

これを予告編として、このキャストで、信頼と欲望と裏切り渦巻くクライム・ムービーをひとつ作っていただけないものか。
叩き上げで犯罪組織のトップに上りつめた苦労人のベン・キングスレー、その片腕として長年仕えて来て、今では組織の海外支部の運営を任されているマーク・ストロング、豊富な資金と巧みな話術で政治家や警官をたらし込み、裏社会で急速に成り上がって来たものの、パパ・キングスレーのコネと組織力に惹かれて接近して来たトム・ヒドルストン、この三者の壮絶な騙し合いっていうのがいいなあ。
長年の片腕役となると『ロックンローラ』のアーチーおじさんと被るかしらん。だったら、ソーターさんは昔パパ・キングスレーとシマを争っていた組織BのNo.2で、抗争に敗れて組織Bは解体するものの、有能さに目をつけたパパ・キングスレーに拾われ、それ以降は彼の組織で辣腕を振るっている、というのはどうでしょう。
そうするとヒドルストンは、かつて潰された組織Bのボスの三男坊あたりがいいですね。長男は抗争で死亡(ということになっている)、次男はヒドルストンが手にかけたと。ソーターさんには『スターダスト』での所行を踏まえて、ぜひとも「血を分けた兄弟を殺すとは最低な奴だ」みたいなセリフを吐いていただきたい所。
もはやジョン・ウーもデ・パルマもけっこうなお歳ですから、監督はダニー・ボイルかクリストファー・ノーランでお願いします。

と、ひと月前の話題のみで終わるのもナンでございますから、新しいCMをひとつご紹介しておきます。
ミラークァーズ社の新製品で、アルコール度高め(6.9%)のウィスキー風味のビール、「ミラー・フォーチュン」の広告でございます。



M;帰るのか。家に帰って寝る、それも結構だろう。
だが別の選択肢もある。戻って、明日のために闘うことだ。
今夜を大抵の男なら夢見る事しか出来ないような一夜に変えてやれ。
幸運(フォーチュン)はそれを求める者と共にある。


商品について言えば、ワタクシはビールはビール、ウィスキーはウィスキーでいいと思いますし、こういう中途半端なアルコール度数の飲み物は悪酔いのもとなので、その点であんまり購買意欲は湧かないのでございますけれども、CMの展開には今後も大いに期待したいと思います。

籾井勝人NHK会長らの罷免を求める緊急署名

2014-03-02 | Weblog
オンライン署名です。住所の記入は必用ありません。また、チェックをはずせばネット上に名前が出ることはありません。
ワタクシが署名したときは1000人くらいでしたが、どんどん人数が増えています。

キャンペーン | 私たちは、籾井勝人NHK会長、百田尚樹、長谷川三千子両NHK経営委員の罷免を求めます | Change.org

紙での署名も集めています。
署名簿用紙は↓こちら。

http://www.geocities.jp/hoso_katarukai/224syomei.pdf

送付先
〒196-0015 昭島市昭和町3-3-6 小滝方「放送を語る会」


忙しいのが一段落しましたので、ぼちぼちNHKの解約手続きをしようと思っております。
もう1年以上TVを見ておりませんし、これから新たにTVを買おうという気もないのですから、もっと早くに手続きしておくべきでした。