のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ばたばた×3

2015-03-18 | 
4月から別の職場で働くことになりまして、気分的にちとばたばたしております。


それとは全然関係ないことですが、今月から、ワタクシが翻訳させていただいた『The Bone Folder』という作品がNPO法人 書物の歴史と保存修復に関する研究会のHPで順次公開されることになりました。

「製本家と愛書家の架空対話集」である本作、原作は1922年にドイツで出版されたものでございます。それを米国在住の製本・修復家であるPeter D. Verheyen氏が2010年に英訳し、Web上で公開されていたものにワタクシが偶然行き当たったことから、この度の日本語訳公開の運びと相成りました。全くの無名&見ず知らずのワタクシごときの申し出に快く応じて下さり、色々とご協力いただいているVerheyen氏には厚く御礼申上げる所でございます。

書物の保存・修復のための研究室 laboratory for preservation, conservation, restoration

お読みいただいた皆様、対話にしてはいやに文章が堅苦しいなとお思いんなったかもしれません。言い訳を言わせていただければ、もともとの原文が「書かれた時代の作文傾向を反映して、魅力的ではあるがいささか堅苦しい教科書調のトーンで書かれている」(Verheyen氏いわく)のです。しかしもちろんワタクシの悪文力のせいが大きいことは否定しようがないのであって、その点、原作者ならびに英訳者に対してまことに申し訳ない思いでおります。ちなみに原作者のErnst Collinについては、最終回にご紹介する予定になっております。英文でお読みになりたいかたはVerheyen氏のサイトでどうぞ。

で、翻訳は一応全部できているのですが、一緒に掲載する画像の準備がそれなりに大変だったりして、これまたちとばたばたしております。


それとはまた全然関係のない話なのですが、何故かこのタイミングで青空文庫の入力作業に携わることになりました。何でだ、何で今なんだのろ。だって思い立ってしまったんですもの。というわけで水滸伝ファンの皆様、じきに弓館芳夫の痛快名調子に小杉放庵の飄逸な挿絵のついた70回本『水滸伝』がWeb上で読めるようになりますによって、乞うご期待のこと。

『新釈』なるもの

2014-05-24 | 
久しぶりにジュンク堂へ行きまして。
ロシア文学の棚を見ましたら、『新釈 悪霊』なる分厚い本があるじゃございませんか。
手に取ってぱらぱらめくってみましたら、何ですこれ、ドストエフスキーの『悪霊』の登場人物と設定をそのまんま使った二次創作じゃございませんか。
スタヴローギンにキリーロフのことをわざわざ「アリョーシャ」と呼ばせたりして、さらにはおっそろしく通俗的な別れのシーンなんぞを書いたりして、作者はさぞかし楽しかったことでしょう。
どんな罰当たりがこれをお書きになったのかと憤慨して調べてみましたら、三田誠広さんというかたでした。
恐ろしいことに『新釈 悪霊』はシリーズ3作目であって、すでに『罪と罰』と『白痴』で同様のものが出版されているとのことで...

ぐはあっ
病気療養中のラゴージンに代わってワタクシが叫んでおきましょう、

ナスターシャに寄るんじゃねえ!!

まあ叫んだってもう遅いんですけれどもさ...
うう...

まあこれはあくまでも、ワタクシの個人的かつ感情的なぼやきでございます。
誰しも権利保持者の権利を侵害しないかぎりで二次創作をする自由はあります。

と思ったら、三田氏は著作権の保護期間を70年に延長せよというろくでもない施策を支持してらっしゃるかたのようで。
ドストエフスキーはもう死後120年くらい経っておりますから、50年の保護期間がが70年になろうが80年になろうが、ご自身の創作には支障ないってわけでございます。

三田誠広氏批判 日本文芸家協会への公開状

活字中毒R。漱石と鴎外と太宰と藤村の「著作権ビジネス」

しかし驚きましたのは、氏が著作権保護期間延長を論ずる中で「文学はWikipediaではない。書き換えられては困る」と発言していらっしゃることです。

三田誠広氏発言集 - 万来堂日記3rd(仮)

↑のブログさんから発言を引用させていただきますと。

「孫子のために財産を残したい、という訳ではない。これは著作物の人格権を守るための議論だ。例えば谷崎潤一郎の保護期間がもうすぐ切れる。切れてしまえば、谷崎の作品を書き換えてネットで発表するようなファンが出てくるだろう。もっとエロくしようとか、もっと暴力的にしようとか。文学はWikipediaではない。書き換えられては困る」

あのう、「著作物の人格権を守るため」だとすると、作家の死後70年までは書き換えしてはダメだけど120年経ってたら書き換えてもいい、という理由はどこにあるんでしょうか。あるいは「作品を書き換えてネットで発表するようなファン」はけしからんけれども、プロの作家である自分が書籍として発売するのはOK、というお考えなのでしょうか。しかしプロの作家を名乗るのも、作品を発表するのも、別に資格がいるようなことではございません。実際にご自身が書き換えを行っている以上、三田氏は他者に対しては禁じるべきと主張してらっしゃる表現の自由を、ご自身ではしっかり享受していることになります。

さらに驚いたことには、ご自身で「例えばサンテグジュペリ(1944年没)は欧米では権利が続いているが、日本では勝手に翻訳が出せる。野蛮な国と見られているだろう」と語っておきながら、『星の王子さま』の著作権が切れたとたんにさっそく自ら翻訳を出されたということでございます。

こちら↓から引用いたしますと。
日本文藝家協会が著作権保護期間延長の働きかけを再開 - Togetterまとめ


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ちょっと言行不一致がひどいのではございませんか。
どうもこの方の言ってらっしゃることとやってらっしゃることを並べてみますと、「自分は有名で素晴らしい作家だからあれもこれもやってもいいけど、みなさんはどうせ酷いものしか生み出せないんだからダメだよ」という特権階級的なお考えの持ち主ように思えてなりません。そんなかたに権利を云々されたくないものでございます。

ちなみに三田氏訳の『星の王子さま』をワタクシは読んでおりませんが、↓のブログさんによると、他の翻訳には一切出て来ない、三田氏の創作と思われる部分がかなりあるとのことです。

「星の王子さま」 三田誠広 訳|MARIA MANIATICA

腹が立つので色々置いときます。

三田誠広先生の論文について - 大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

三田さん、無断撮影はやめてくださいね。: Library & Copyright

保護期間延長は既にある著作権には何の創作的インセンティブも与えない - @sophizmの上から涙目線

[三田誠広氏への反論]記事一覧 - Copy & Copyright Diary

それにしても出版業界ではいつから「二次創作」を「新釈」なんていうご大層な名前で呼ぶようになったのでございましょうか。
昨今流行りのニュースピークの一種でしょうか。
放射性物質だだ漏れ状態のことを「アンダーコントロール」と言ったり、事故から3年経ってもいまだにどうして壊れたのか分かっていない施設に「世界一安全」という称号を冠して売り出そうとしたり、よその国での人殺しに加担することを「集団的自衛権」と呼んだりするみたいな。

『おーい、でてこーい』他

2013-11-21 | 
すみません。
一応まだ生きているのです。残念ながら。
世の中が色々と酷すぎて、ブログを更新する気にもならないでいるってぇだけです。
そりゃもうこんな感じ。

Ugh Whatever. - Cheezburger

だー。

ことのついでにお気に入り動画をご紹介しておきましょう。
困った時のyoutube頼み。

おーいでてこーい


星新一は10代の頃ずいぶん読みましたが、一番印象深かった作品をひとつ挙げるとすれば、この『おーい、でてこーい』でございます。
その他に今も強く心に残っている作品をざっと挙げますと、以下の通りになります。

『鏡』
ある男が13日の金曜日に、合わせ鏡を使って小さな悪魔を捕まえる。
悪魔は非力で何もできないが、いくら虐待しても死なない。
それをいいことに、男も、男の妻も、日常の鬱憤ばらしに捕まえた悪魔を虐待し続けるが…。

『最後の地球人』
カップルの間に一人しか子供が生まれなくなった未来。
原因は不明のまま、人類は粛々と滅亡に近づいて行く。
最後に残った2人の男女はアダムとイヴのように暮らし、やがて人類最後の子供を授かり…。

『囚人』
何の罪も犯していないのに収監されている、一人の「囚人」。
塀の外から毎日、彼を狙って、飢えた民衆が押し寄せて来る。
人口爆発によって食糧難が続く世界の救世主ともなりうる彼を狙って…。

『生活維持省』
戦争もなく、渋滞もなく、人口密集もなく、何もかも美しく整った世界。
主人公は今日も相棒と共に仕事に乗り出す。
やがて無邪気な女の子を狙ってレーザー銃を構え…。

『凍った時間』
仕事中の事故のせいで、脳以外はサイボーグの身となった主人公ムント。
彼の身体に奇異のまなざしを向ける社会を避けて、地下でひきこもり生活を続けていた。
ある日異変に気づいて地上に出てみると…。

『冬の蝶』
全てが電化された未来都市で、猿をペットに快適な生活を営む夫婦。
真冬のある日、突然大停電が起き、暖房も衣料も温かい飲み物も供給されなくなる。
人々は寒さの中でなすすべもなく息絶えていき、翌朝…。

などなど。
こう振り返ってみるとディストピアものが多いなあ。
昔は、ディストピアってのはお話の中だけのものでございました。少なくとも、そうであってほしいと思っておりました。ところが気がつけばオーウェルの『1984』そのままの世界を生きようとしているではございませんか。なんじゃあこりゃあ。


↓最近よく読んでいるブログさん。正直、タイトルとトップの絵には尻込みしましたが、内容はごく真面目です。

村野瀬玲奈の秘書課広報室

最後にこれも星新一作品から、せめてもの慰めに、ほっこりするものをひとつ。
アニメーションも独特で、なかなかの味わいです。

星新一 ショートショート 海





国際稀覯本フェア

2012-03-27 | 
いやはや。
N響アワーが終わってしまったではございませんか。
湿原!キューバしのぎ!ある晩ベルク!祖父とクリーム!
いやしかし、『芸術劇場』は去年潰してしまったし『美の壷』はBSにしまい込んでしまうし、何考えてんでしょうかNHK。来年あたり『日曜美術館』もBSプレミアムに収容ですかね。けっ。


それはさておき
京都市勧業館みやこめっせで開催されていた2012国際稀覯本フェア in Kyotoへ行ってまいりました。

小さなパーチメントに金泥で文字を記した15世紀の手書き時祷書の断片を見ては、書物がとんでもなく貴重なものであった時代に思いを致し、ペーター・シェーファー*1の工房で印刷された挿絵入りインキュナブラ*2をハハーと拝み、ニュートンの初版本には「このページををヴォルテールがめくったかもしれん」と妄想力を発揮してワクワクし、18世紀フランスらしい小口装飾や華麗な金箔押し(中には盛大にひん曲がっているものも)に職人の手作業ということを思い、19世紀の出版界を彩るカラー挿絵本の数々に目を楽しませ、さらには整理券を持っていなかったのに和紙についての興味深い講演に潜り込むこともでき、まことにおもしろくってためになる展示会でございました。

フェアというからには、販売目的の催しでございます。一応、薄っぺらい財布を普段よりも膨らませて乗り込んだものの、目玉商品が小口絵本コレクション(14点セット420万円)や『種の起原』初版(600万円)や嵯峨本『徒然草』(上下巻5000万円)であることからもお察しいただけるように、おおかたワタクシのような貧乏人に手が出せるものはございません。
小口絵本を出品していた雄松堂書店のお姉さんは商売っけのない大変いい方で、いかにもお金持ってなさそうな風体のワタクシに対しても熱心に説明してくださり、高価な商品を手に取らせてもくださいました。しかしワタクシとしては買えないことがはなから分かっているので長居するのも心苦しく、会話もそこそこに早々とブースを離れてしまいました。気が小さくていいことなんか一つもございません。

で、結局何も買わずに帰ったのかと申しますと。
おお、実はそうではございませんで。



1493年にその初版がアントン・コーベルガー*3の工房で印刷・出版された『ニュルンベルク年代記』*4の一葉でございます。たった一葉ではございますが、これが何とまあ、ワタクシでも手の届くお値打ち価格で売られていたのでございますよ。錦絵や植物図譜の図版ページ、きれいな青色で描かれたラフカディオ・ハーンの肖像(木版画と見えました)など、一枚もので比較的手頃なお値段の印刷物が並べられたワゴンの中、大したものでもなさげにひっそりと置かれていたこの一葉(とその値段)を発見した時、緊張のあまり動機は早まり頭に血が上り口の中がからからになりましたですよ。まあコート着っぱなしで暑かったせいかもしれませんけど。

時は西洋活版印刷術の誕生間もない頃、アルドゥス・マヌティウスがヴェネチアに印刷所を構えたり、ダ・ヴィンチがミラノで人力飛行を夢見たり、サヴォナローラがフィレンツェで焼かれたりしていたその頃の書物の一片、『美しきカントリーライフ』展でワタクシに深い感銘を与えたインキュナブラのお仲間が、急に手の届く所へ現れたのですから、そりゃ緊張もしようってもんでございます。
とはいえ、ずいぶん迷ったのですよ。こんなよいものを、のろさんのようなペーペーが持ってしまってよいのであろうか。もっとふさわしく学識ある人や、それなりの保存設備のある機関に買われるべきなのではなかろうかと。

残りのブースを一通り見てまた戻って来ますと、ハーンの青い肖像はもうございませんでしたが『年代記』は相変わらずひっそりと、他の小さめなペラもののを重ねた下に安置されておりました。
おお、おお、ワタクシが一回りしている間に、確かにそれなりの数の人々がこのワゴンを覗いて行ったに違いない、そもそもワタクシが会場に来たのは開催二日目の午後も遅くなってからだ、なのに誰もこの『年代記』を発見しなかったというのだろうか。

というわけで、これも何かの縁だろうというごく曖昧な言い訳に基づき、またこういうものを持つことによって気合いを入れようという気持ちもあり、えいやっと購入いたしました。
お店のかたはどちらかというと面白くもなさそうな様子で「本当は10万くらいしてもいいものなんですが...」とつぶやいてらっしゃいましたが、やっぱりのろみたいなペーペーに買われるのは嫌だったのかしらん。それなら初めから10万の値札をつけて、額縁にでも入れておけばよろしい。



16世紀になると銅版画の発達に伴って、書物の挿絵もそれまでの板目木版画から、より緻密な表現が可能な上に版の摩耗も少ない銅版画にとって代わられるわけでございますが、ワタクシは素朴さの残る15世紀の木版挿絵の方が魅力的に思えます。図像そのもの以上に、凸版の魅力というのもございます。

この圧力。

むかって右肩のFo CCXXVIII(=228)はページ数ではなく、折丁の数なのだそうで。

ああワタクシはがんばろう。
こういうよいものを手に入れたからには、その持ち主たることに恥じないよう、しっかりしなくてはならない。
はずだ。

*1ペーター・シェーファー(1425?-1503)
グーテンベルクの助手で、のちに資産家ヨハンネス・フストと提携して印刷・出版事業を行った。
と言うと聞こえはいいがその経緯は、活版印刷術の開発のためにフストからの投資を受けていたグーテンベルクが、その借金を返せなかったために抵当である印刷機や活字を差し押さえられ、そうした印刷用具一式をそっくり手に入れたフストが、娘婿であり印刷技術にも通じていたシェーファーと組んでグーテンベルク抜きで活版印刷業を始めた、というわりと生臭いお話である。とはいえ商標としてのプリンターズ・マークや奥付を初めて導入し、色刷りの『マインツ聖詩集』をはじめとした美本を印刷・出版するなど、出版界におけるフスト&シェーファー功績は大きい。

*2インキュナブラ(初期刊行本、揺籃期本)
西暦1450年前後の金属活字の開発以降、15世紀の終わり(1500年)までにヨーロッパで刊行された印刷物。

*3アントン・コーベルガー(1440年代-1513)
ニュルンベルクで製パン業を営む裕福な家庭に生まれ、1470年、同地に印刷所を開設した。コーベルガーの名が記載された最初の出版物である1473年の『哲学の慰め』以降、没するまでの40年間に、神学書を中心に、確認されているだけで236種の書物を発行した。コーベルガーの工房から出版された聖書13種のうち12種はラテン語、残りの一種はドイツ語で印刷されており、後者はニュルンベルクで印刷された最初のドイツ語聖書とされる。バーゼルやリヨンなどの印刷業者と提携し、パリやヴェネチアやブダペストといった主要都市に、出版物の販売と手稿の入手のために代理店を出すなど、国際的かつ大規模な営業を行った。最も景気のよい時には植字工、校正係、印刷工、彩色師、製本師など100人を超す熟練工を擁し、24台の印刷機を稼働させており、当時のヨーロッパで最も成功した出版人の一人であった。コーベルガーの死後は甥が商売を継いだが、出版業界の競争が激化したためか、はたまた二代目に創業者ほどの気概と商才がなかったためか、代替わりしてからわずか13年後の1526年に廃業した。

*4『ニュルンベルク年代記』
人文主義者で歴史家であったハルトマン・シェーデルの著作。フォリオ版(全紙を二つ折りにした大きさ)でラテン語版とドイツ語版の二種類が刊行された(拙宅に来たのはラテン語版)。約600ページに渡る本文は大小の挿絵で飾られ、限定版は挿絵に手彩色が施されている。単に『年代記』あるいは『万国年代記』とも呼ばれる。聖書の記述や聖人伝にもとづく世界史や欧州各地の地誌、自然誌などを記し、最終章には世界の終わりと最後の審判の概要まで描かれているというスグレモノである。挿絵の数は全部で1809点にも上るが、使われた版木は645枚であり、要するに同じ版木がキャプションのみ変えて何度も使い回されている。挿絵を提供した画家ヴォルゲムートのもとには1486~1489年の間、当時10代後半であったアルブレヒト・デューラーが徒弟入りしており、『年代記』の挿絵制作に参加していた可能性もある。ちなみにアルブレヒトの名付け親はデューラー家のご近所さんであったアントン・コーベルガーその人だったりする。

ノート製作

2012-02-06 | 
政治のショー化がよいこととは全然思いませんけれども、毎度毎度アメリカ大統領選に見られる熱気というのが、実はいささか羨ましくなくもありません。熱狂できるということは、少なくとも託せるだけの希望があるということであり、「どーせ何も変わらんし無駄無駄」という実験動物のような無気力状態よりはまだしもマシなもののように見えるからでございます。

それはさておき

2004年から使っている鑑賞記録ノートがそろそろ残り少なくなってきたので、新しいのを作ることにしました。
↓左端が今のノート。8年の間にクロスの紺色が随分褪せてしまいました。

まず本体を作ります。今のノートに使ったのと同じ無地の紙を折丁にして重ね、折丁同士を繋ぐための支持帯を背に渡しつつ綴じていきます。写真(上段中央)は綴じ終わった本体の両側に緑の見返し紙を貼り、背の丸み出しをしたのち寒冷紗を貼った所。

せっかくなので少しは凝ったものを作ろうという気になり、表紙で遊ぶことにしました。普通ハードカバーの表紙には2ミリ厚の板紙を使うのですが、今回はまず約0.7ミリ厚の厚紙を使います。表紙サイズにカットして、色々な大きさの窓を切り抜くとこんな感じ。



切り抜いた部分のエッジがツンツンしているので、へらで押さえて落ちつかせます

表からエンジ色のクロスを貼って窓の部分で折りこむつもりなのですが、何しろやったことのない作業ではあり、隙間から厚紙の白が見えてしまわないか心配な所。そこで隙間にあたりそうな角の部分に、クロスの色と似た暗色を塗っておきます。
下段右端はクロスを貼った所。

クロスに切れ目を入れ、織り込み、表から見るとこんな感じに。



さてここで取り出したるは、くだんの0.7ミリ厚紙を2枚貼り合わせて、表紙大にカットしたもの。窓から見える位置に端切れを貼ります。これを上の窓つきクロスでくるむと、標準通り約2ミリ厚の表紙が出来上がるという寸法です。背表紙の部分にも芯として紙を貼り、丸みを出しておきます。
こんな感じで表紙の準備もできた所で、本体にはしおり、花ぎれ、クータを貼付け。

あとは本体と表紙を接合させて完成。



まあまあ悪くないものができたような。
こうした手作業のよい所は、どんなネガティヴな雑念や無気力の嵐に見舞われようとも、ともかく目の前の作業をひとつひとつ自分でこなして行かないことには何も進まないということであり、またそれをひとつひとつこなして行けば(ほぼ)確実に完成へと近づくということ、さらにはその進捗具合がはっきりと目に見える、という点でございます。
この点、自転車のいい所にもちょっと似ているなと思います次第。


ウォルシンガム本新刊

2011-10-20 | 
届きました。



改装ウォルシンガム本3でもちらっとご紹介した、The Queen's Agent: Francis Walsingham at the Court of Elizabeth I でございます。
表紙カバーのタイトル部分は赤銅色のメタリック印刷およびエンボス加工が施されております。



裏表紙には賭けトランプに興じる貴人たちの図と、スペイン無敵艦隊の航路を記した海図、そしてエリザベスの署名入りの文書2点があしらわれております。折り返し部分の説明書きによるとこの文書、一枚は北部諸侯の反乱に加担したノーフォーク公トマス・ハワードに対する死刑執行令状(当ブログでの記事はこちら)であり、もう一枚は例の、エリザベスが散々渋って先延ばしにしたのちにウォルシンガムへのシビアな皮肉を吐きつつ署名した、メアリ・スチュアートの死刑執行令状-----メアリのみならず、哀れなデイヴィソン君の運命をも決した例のアレ(当ブログでの記事はこちらこちら)-----ということでございます。後者の令状にはもちろん、ロンドン塔近くの自宅でこれを受け取ったウォルシンガム本人の指紋がついているに違いございません。きゃっ。

さておき。
英Amazonのレヴューでは☆3と低めになっておりますが、これは「ウォルシンガムが主人公の小説かと思って買ったのに、やたら細かい歴史的事実ばっかり書かれてるし、学問的すぎて全然おもんなかった」といういささかお門違いな文句を垂れているレヴュアーが☆1をつけているからでございます。
ワタクシはもとより小説を買ったつもりはございませんし、やたら細かい歴史的事実こそまさに知りたい所でございますので、大いに楽しめるものと期待しております。この所用事が立て込んでいる上に購読紙が溜まりまくっておりますので、せっかく届いたのにしばらくは読めそうにないのが悔しい所。

カバーをはずすとこんなデザイン。


うーむ、なかなか渋い。
中ごろにあるカラー図版には、ケンブリッジ・キングスカレッジの正面図や、ロンドン郊外の別荘バーン・エルムスとおぼしき屋敷の絵など、今まで目にしたことのない資料も含まれております。紙質はまあまあといった所。文字の大きさも余白もちょうど読みやすいくらいのあんばいで、巻末にはきっちりと索引がついております。

ただ一点、どうしても苦言を呈したいことがございます。
例によって、造本のことでございます。
ハードカバーかつ丸背という立派な外観にもかかわらず、これが無線綴じ(糸綴じをせず、接着剤で背をくっつけただけの製本)なのでございます。しかも日本のハードカバーではよく見かけるアジロ綴じ(無線綴じの一種だが折丁ごとにまとめられており、開きがいい)ではなく、ペラものをホットメルトでバシーッと接着しただけの、要するに文庫本や新書やペーパーバックと何ら変わらないつくりなのでございます。



しかも、紙が横目。
これは本当に腹が立ちます。
本というのはテキストが判読できればそれでいいというものではないのですよ。綴じ方、製本方法、素材、字体から表紙デザインまで全てひっくるめて、その時代の精神を反映するものなのです。なりは立派なのに中身は早くて安上がりな上に壊れやすい製本で済ませるってどんな時代精神だ怒。後世に対して恥ずかしいことではございませんか。国王の身の安全のために病身を押し私財を投げ打って働いた人物の伝記がこんなことでいいのかイギリス怒。

といっても、かの国は産業革命のおかげをもって、世界に先駆けて粗悪本の大量生産ということをやりはじめたお国ではありますから、製本に対する無頓着さという点では伝統があると言えるかもしれません。
ウォルシンガム本人も「テキストが判読できればそれでいい」てなことをあっさり言いそうな御人ではありますしね。いや、何となく。


『ヴォルテールの世紀』

2011-07-16 | 
この所リアルな夢を一晩にいくつも見るのでさっぱり寝た気がいたしません。
先日など、「”寝た気がしない”をキーワードにネット検索した所、どうでもいい広告やツイッターばかりヒットして来るのでひたすらイライラしている」という夢の途中で目覚めました。もうなんなんだか。

それはさておき

保苅瑞穂著『ヴォルテールの世紀 -精神の自由への軌跡-』が面白くて面白くて。



帯の文言
激しくも伸びやかなる「精神」
18世紀に燦然と輝く「自由」への軌跡
権力や盲信との闘い。農奴解放のための奔走。そして、共同体の建設。啓蒙の世紀を代表する作家を稀代の政治家でもあらしめたのは、この時代のヨーロッパでこそ生み出されえた「精神の自由」を目指す行動と言葉の力にほかならなかった。膨大な書簡とともに激動の後半生を描く本書は、その力を甦らせる。

18世紀を代表する作家、啓蒙思想家、または本人の自嘲的な言葉によると「ヨーロッパの宿屋の主人」ヴォルテール。
『ヴォルテールの世紀』は彼の名を後世に残すことになる歴史的事件や、このいささか喧嘩っ早い啓蒙の闘士をめぐる興味深いエピソードの数々を時系列に描き出しつつ、それらの事件の歴史的意義、またその顛末や人々の反応によって表現されている18世紀ヨーロッパの時代精神が綴られております。

ハードカバーで470頁という大著でありながら、これがたいへん読みやすい。慎ましい文体の中にもヴォルテールの才能や、皮肉屋でもあり熱血漢でもあり、またどこかいたずら小僧のようでもあったその人柄への愛着と敬意がしみじみと感じられる文章でございまして、読んでいて楽しい。読み終えてしまうのが残念なほどでございました。

また帯の文言にもあるように、本書にはヴォルテール自身や彼の友人たちの書簡が多く引用されております。これがまた読みものなんでございます。

この世は幻想を持たずには生きていけないものです。そして、すこしばかり生きてみると、あらゆる幻想は飛び去ってしまいます。 p.95

といった言い回しなど、『カンディード』の作者の面目躍如たるものがございます。
いたる所に散りばめられた軽妙かつ辛辣な悪態にも思わず笑ってしまいます。

身体のことをいえば、私はかれの脳みそが心配になる。 p.244(←「かれ」とはルソーのこと)

口では人間なんてラララなことを言いながらも、本当は人間大好き!人生大好き!なヴォルテール、寸鉄人を刺す毒舌を吐き、「あまり人間というものをあてにしてはいけない」などとうそぶく一方で、広い人脈を最大限に生かして冤罪事件の被害者救済に力を尽くし、農奴解放に奔走し、異国の大災害のニュースには心からの同情を寄せ、戦争を憎悪し、宗教的不寛容と全力で闘うかたわらで権威を笑い飛ばし、文芸や社会的活動を通じて思想・信仰の自由を訴え、ひいてはフランス革命へと通じる精神的土壌を築いたのですから、なかなか壮大なツンデレぶりと申せましょう。言葉巧みな人ではありますが、決して口だけでは終らず、ガンガン行動していく所がすごい。

本書のおかげですっかりにわかヴォルテールファンになったのろ、中公文庫の『寛容論』に続いて中公クラシックスの『哲学書簡・哲学辞典』に取りかかっております。『哲学書簡』、別名イギリス便りはイギリスの風俗を面白おかしく紹介するエッセイを装いながら、その実フランスの現状を批判する内容でもあったので、出版後ただちに発禁処分ならびに焚書の栄誉に浴し、ヴォルテールは官憲の手をかわすため、愛するパリからすたこらホイと脱出しなければならなかったのでございました。ちなみに『ヴォルテールの世紀』には、この『哲学書簡』発禁にまつわる興味深い逸話も紹介されております。

すいすい読める『ヴォルテールの世紀』と違って、『哲学書簡』には注の助けを借りないと背景や含意が分からない部分もありますが、簡潔な文体の中に鋭いユーモアと風刺をこめるヴォルテールの書きぶりに触れるだけでも大いに楽しめます。
宗派対立の馬鹿馬鹿しさを一文で表現した三つか四つの宗派が神の名のもとにはじめた内乱 p.21 といった言い回しや、肩書きをむやみに重んじる社会への腹立ちを諧謔たっぷりに綴った次の文など実に痛快でございます。

(イギリスでは商人が卑しまれてはおらず、例えば有力な貴族の肉親が普通のあきんどとして暮らしていても、そのことは何ら恥にはならない、という点について)
自分の「古い家柄」を後生大事にしているドイツ人にはそら恐ろしく思えるらしい。ドイツでは誰でも彼でも王侯貴族であるのに反して、イギリスでは貴族の子息がせいぜい金持で有力者の市民でしかないのが、ドイツ人にはどうも納得がいかないのであろう。彼らの国では同じ名前を名乗る殿下が三十人もいるが、その全財産といえば、家の紋章と傲慢な態度だけである。
フランスでは、なりたければ誰でも公爵になれる。そしてむだづかいしてよい金と、アックとかイーユとかで終わる名前を持っていて、辺鄙な片田舎からはるばるパリにやって来る者は誰でも、「わしのような者は、わしのような身分の者は」と言うこともできれば、商人を虫けらのようにばかにもできる。商人自身が自分の職についてしょっちゅうばかげた口調で話されているのを耳にしているので、愚かにも自分の職業を恥じて顔を赤らめてしまう。しかしながら、この両者のいずれが国家に有益であるかは、私にはわからない。頭に念入りに髪粉をふりまいた貴族は、国王のお目覚めとおやすみの正確な時間を知っており、また大臣の控えの間でさも偉そうな顔をしながら、やっていることは奴隷のような役柄であるのにたいして、商人のほうはその国を豊かにし、その事務室からスラットやカイロに指令を送って、世界の幸福に寄与しているのである。
 p.75

人間に与えられる運命の過酷さを嘆き、また人間同士が互いを迫害し合うのにうんざりしながらも、思想・信条の自由を何よりも重んじ、全ての人間が人間らしく生きられる社会の実現を夢見たヴォルテールが今の世に生きていたら、いったいどんな箴言を吐き、どう行動したかしらん。
2007年(日本では2008年)出版の『ヴォルテールの現代性』も気になる所でございます。

そんなわけで
原発関係以外のあらゆるものを読むことが罪悪のように感じられる今日この頃ではございますが、片目を21世紀に注ぎつつ、もう片方の目ではもうしばらくこの18世紀の賢人の追っかけをしてみようかなと思っております次第。


改装ウォルシンガム本3

2011-06-20 | 
6/18の続きでございます。

本書を改装した一番の目的は、開きのよさを確保することでございました。よって背表紙は本体の背に接着せず、本を開くと本体と背表紙の間に空間ができる「ホローバック」としました。しかし今回使ったのはたいへん柔らかい羊革でございます。背表紙が開くたびにふにゃふにゃするようでは、ちとかっこ悪い。上にタイトルラベルを貼る予定なのでなおさら、閉じても開いてもそれなりにパリッとした形を保っていてもらわねば困ります。そこで表紙をくるむ前に背表紙にあたる部分に和紙を一枚貼り、背表紙の芯としました。あまり固い紙を貼ると今度はコードの出っぱりを出しづらくなってしまいます。
↓芯の上端に貼ってあるのは麻紐。背表紙の天地を補強し、形を整えるためでございます。
角の部分は3方向から折り曲げることに。



再び水ときでんぷん糊をたっぷりと塗って、天地→左右の順で折り返します。薄く漉いてある縁の部分は水分を吸ってよく伸び、皺ができてしまうため、湿っている間によくよく馴染ませ、凸凹を落ちつかせます。

折り返し部分が乾いたら、縁を切りそろえ、段差を小さくするためやや厚手の紙を貼ります。
その紙もすっかり乾いたら、表紙側の見返し(きき紙)を貼ります。



折丁に巻き込んだ部分は、隣のページに貼付けず遊ばせておくことにしました。なにせ本体の紙質が良くないので、負担をかけそうなことはなるべく避けねばなりません。
角はきれいに納まり、背表紙の折り返しもなかなか上手くいきました。

さて、仕上げにタイトルラベルを作ります。
紙コレクションをひっくり返した所、楽紙舘で買ったものと思われる、ネパール産の手漉き紙が出てきました。厚みといい色合いといい本書のラベルにはぴったりでございます。
黒一色の地味な装丁にした分、タイトルラベルくらいにはささやかな装飾を入れようと当初は計画しておりました。主題と副題の間にワンポイント入れるとか、まあ、その程度の。しかしまたも脳内クライアントからダメ出しをくらったので断念して,結局文字だけのラベルを作ることにしました。

うちのphotoshopで使えるフォントを全て試してみたのち、ふたつに絞り込んで印刷。実際に背表紙に当ててみて、パラティーノというフォントの方を採用することにしました。後で知ったのですがこのフォントの名前は16世紀イタリアの書家ジャンバッティスタ・パラティーノに由来するものなのだとか。おお、図らずも同時代人ではございませんか。当時のイングランドとローマの関係は険悪であったものの、ウォルシンガムは若い頃にイタリアに滞在していたことがありますし、イタリア語にも堪能であったことですから、かの地由来の書体を使っても、きっと許していただけるでしょう。

思ったよりも綺麗に印刷されたました。こすると表面がほほけてくるので、全体を鑞でコーティングしてから貼ります。実際に貼ってみると、狙い通りにパーチメントのような風合いに仕上がりました。よかよか。



革の乾燥に伴って装飾のラインがぼやけたり板が反り返ったりするのではないかという懸念は、幸いなことに杞憂に終わり、開きの悪さも大幅に改善されました。もとは開いたまま置いておくこともできなかったのですよ。
反省点は、コードに使った麻紐が細すぎたということ。全体的に軽い本なので強度の点では全く問題ないと思われますが、16世紀イングランド風にしては背のでっぱりが少々大人しすぎるように思います。ヴォリュームを出すためにコードの上に細く切った和紙を貼ったのですが、革をかぶせたら結局シングルコードにしか見えなくなってしまいました。

しかしまあ、全体的には、自分でもそれなりに満足のいく出来に仕上がりました。及第点といった所でございます。



というわけで
完成しました、国務長官殿。

えっ
もっと社会の役に立つようなことに時間と労力を費やせって。
ああおっしゃるとうりでございます。しかしワタクシは自転車操業的に何か作っていないと駄目なのですよ。

ところでこのElizabeth's Spy Masterが出版されたのは2007年の春でございまして、同年夏にはSir Francis Walsingham、秋にはWalsingham、その前年にはHer Majesty's Spymaster、また2009年にはThe Elizabethan Secret Servicesと、ここ数年なぜか立て続けにウォルシンガム関連書籍が出版されております。
さらに今年の秋にも、350ページのハードカバー本The Queen's Agent: Francis Walsingham at the Court of Elizabeth I: The Life of Sir Francis Walsinghamが出版を控えていたりして。

そもそも近年ドラマや映画でテューダー朝を舞台としたものが流行しているらしいので、ウォルシンガム本ラッシュもその流れの一環かもしれません。あるいは、とりわけ2007年夏に世に出た本の”A Courtier in an Age of Terror”(テロの時代の廷臣)という副題が物語っているように、情報網を駆使して冷徹に、しかも献身的に、国内外の難局に対処した国務長官殿の姿に、今の時代に求められる政治家のあり方を見いだそうという試みでもありましょう。

正直、現代の政治家にウォルシンガムの権謀術策メソッドを真似していただきたいとは全然思いませんけれども、私利私欲を廃した仕事への情熱や現状分析の冷静さ、広い視野、そして芸術文化に対する理解といった点は大いに見習っていただきたい所でございます。

改装ウォルシンガム本2

2011-06-18 | 
6/16の続きでございます。

花布(はなぎれ、本の背の両端についているアレ)を作ります。
これも16世紀っぽく、麻糸を折丁の端に縫い付けつつ芯にぐるぐる巻いていく、頑丈ながらも見た目はごく簡素なもの。表紙は黒服をイメージして黒一色で装丁すると決めていたので、花布は白いひだ襟のイメージで光沢のある糸を使おうかとも考えておりましたが、セント・ポール大聖堂の地下あたりから「派手になるからやめて」という厳命が飛んで来たのでやめました。
本を作ったり改装したりする際、本文を構成している作品の作者や、作品の対象となっている人物を念頭に置いて「こうしたら喜んでいただけるだろうか」と考えながら素材やデザインを決めていくことがしばしばあります。いわば彼らは仮想のクライアントといった所でございまして、クライアントであるだけに、時々注文をつけてきます。



本体を綴じ終えた所で、ホームセンターで9ミリ厚の杉板を買ってまいりました。これで表紙の芯を作ります。
本当はもう少し固くて目の密な木材が望ましかったのです。しかし固さ・大きさの条件を共にクリアするものがなかなかございませんで、またカットサービスをしていない店舗であったので、自転車で運べる大きさのものを選ばざるを得ず、妥協のすえ手頃な大きさのこの杉板に落ちつきました。
ともあれ、9ミリではちと分厚すぎるので、6ミリ厚まで削ります。
ここでのろの大好きな可愛い可愛いかんなが登場。片手にすっぽり収まるサイズで、押しても引いても使いやすい。刃は3カ所に付け替えられ、取り付ける場所によって湾曲面や角の部分も削れるつくりになっているスグレモノでございます。その上デザインが可愛いときたもんだ。ちなみにネーデルラントもといオランダ製ですよ、国務長官殿。ちょっとデ・ステイルじみた配色もいいですね。

さて鋸でおおまかに切り出した板の4辺を面取りしてヤスリをかけます。
実際に作業してみると、やはり材がかなり柔らかい。ワタクシの腕のせいもあるでしょうけれども、面取りが終った時点で、へこんだりささくれが剥けたりで、小さな陥没部分があちこちにできてしまいました。そうした箇所にはかんな屑を詰めた上でヤスリをかけて平らにします。

どうやら形が整ったのち、ノド側に穴を空けてコードを通し、本体と接合します。



ここでちと変則的なことをしました。革表紙に装飾を施す場合、表紙を革でくるんだのち、押し型やローラーを使って箔押しなり空押しなりをするのが普通でございます。ワタクシはそういった道具を持ち合わせませんので、表紙の芯にあらかじめ凹刻をしておいて、その上に革を被せることにしたのでございます。(一般的ではないというだけで、こうした装丁が全く行われていないというわけではありません)
ところが上述のように材が柔らかく目が粗いので、正確な図案を刻むことはかなり困難であると予想されました。そこで0.8ミリ厚ほどの厚紙を表面に貼り、その厚紙を切り抜いて凹凸をつけることにしました。後で板が反ってしまうのではないかと少々心配な所ではあります。
これはこれで、けっこう大変な作業ではありました。つけっぱなしのラジオからは『フィガロの結婚』のライヴ録音がずーっと流れております。これからは「恋とはどんなものかしら」とか聴くたびにこの作業を思い出すんだろうなあ。

さあ、いよいよ革を被せます。革は全体を薄めに漉き、エッジ部分はさらに薄く漉いた上で、全体に水で溶いたでんぷんのりをたっぷり塗ってえいやっと一気に被せます。装飾の線がきれいに出るように、革が湿っている間にへらでしっかり押し込んでおかねばなりません。というわけで、ここは写真を撮っている暇がございませんでした。

どうにかこうにか装飾の格好がついた所で、今度は背のコードのでっぱりを形状記憶させるために、麻紐をぎっちりと巻き付けます。拷問しているわけではないのですよ。
このまま乾かすと本当にぎっちりとコードの出っぱりがついた本になります。しかしワタクシとしては革に縄目が残るのが嫌であったのと、イングランド的野暮ったさを残したいということがございましたので、生乾きの状態で紐をはずしました。

英国が野暮ったいとはこれいかに、とお思いのかたもいらっしゃるかもしれませんが、英国は産業革命に伴って綴じ機やら製本用クロスやら色々と便利なものが発明されるまで、製本先進国であったことは一度もございませんでした。

↓16世紀イングランドの本

CILIP | Rare Books and Special Collections Group

binding Ahd2

↓同フランス

Yessiree Books ? French Binding of the 16th Century

Binding of Henry II, King of France, from Gellius, Aulus: Noctes Atticae | Flickr - Photo Sharing!

Bodleian Library Shop French Bookbinding

↓同イタリア

16th Century italian Bookbindings


というわけで野暮ったさ維持のため、革を漉くにあたっても、端や角の部分以外はあまり薄くしすぎないよう気をつけました。分厚いだけに装飾の凹線部分にまんべんなく押し込むのに少々苦労したものの、その分厚さのおかげで線のエッジが優しく落ち込み、直線のみで構成されたデザインにもの柔らかな印象を付与することができたと思います。
まあ、それについては完成作を見ていただくとして。


次回に続きます。

改装ウォルシンガム本1

2011-06-16 | 
ペーパーバックをハードカバーに改装しました。
ウォルシンガム話12で、「紙質は悪くカバーデザイン最悪でノドの余白も大きくないくせに横目で製本されているという、ちょっぴりがっつり怒りたくなるような造本」とご紹介したElizabeth's Spy Master : Francis Walsingham and the secret war that saved Englandでございます。

「横目」というのは、紙の繊維が紙の短い方の辺と平行に走っているということでございます。
逆に「縦目」の紙は、繊維が紙の長い方の辺と平行に走っております。
本は各ページが縦目になるように製本するのが機能的にも構造的にも、また美的にも望ましいのであって、ありがたいことに現在日本で出版されている本は、文庫・新書といった安価な本や語学テキストのように一時的な利用に供されるものまで、ほとんどが縦目で製本されております。ところが、のろの知る限りのことではありますが、洋書のペーパーバック(特に英国のもの)は妙に横目製本の確率が高いのでございます。

横目製本の短所はといいますと、縦目と違って紙のしなる方向が横向き(本の背に対して垂直)であるためページがめくりにくく、当然ながら開きが悪い。また開きの悪いものを無理に押し開くため背に負担がかかり、開くたびに背表紙にめりめりと縦じわが刻まれて壊れの原因となります。さらに空気中の水分を吸収することによって前小口に波うちが生じやすく、それに伴ってノドには横皺が刻まれ、開きの悪さを助長する上に美観も損ないます。
長所はといいますと、ありません、多分。

その上に装丁もまずいとあっては、まるっきりいいとこなしでございます。
文化芸術のパトロンでもあった国務長官殿の伝記が、こんなお粗末な作りであっていいわけはございません。

というわけで
まず本体と表紙を分離し、1ページずつばらします。



ご覧下さいまし、この見事なまでの横目っぷり。
バラバラにした各ページのノドを縦目の紙で接いで、4枚1折りの折丁を作ります。
八木重吉詩集で使ったのと同じ中国の手漉き紙を細長く割き、幅の広いものを外側、狭いものを内側にして両側からページを挟んでいきます。1枚目と8枚目、2枚目と7枚目...という順番で繋いでいくので、途中で並びがおかしくならないように注意しつつ作業を進めます。



乾いたのち余分な紙を切り落とし、4枚ずつ重ねて折り、背に綴じ穴を空けます。
16世紀っぽくダブルコード-----折丁同士を繋ぐ支持帯(コード)を、ひとつの綴じ穴につき2本ずつ渡す-----で綴じることにしました。



見返しには黒のラシャ紙と銀・赤・グレーを基調とした現代的なマーブル紙の2種類を使い、最初と最後の折丁に見返し紙を巻き付けて一緒に綴じる「巻き見返し」としました。
見返しを本体と一緒に綴じつける場合、細かい部分は別として、綴じの時点で本全体のデザインを頭の中でおおむね完成させておく必要があります。
振り返れば今回は「総革・16世紀風」という基本方針は変わらなかったものの、技術的・デザイン的な要請からこの「細かい部分」の変更が少なからずございました。

次回に続きます。


『本をなおす、本を残す』展および『魔の山』

2011-03-18 | 
そのかたわらで
日常は続く。


先週8日から来週21日(月・祝)まで、奈良県立図書情報館NPO法人 書物の歴史と保存修復に関する研究会の共催で、情報館にて『本をなおす、本を残す、もうひとつのエコ 』が開催されております。

修理・修復事例や西洋書物構造史の年表、現代製本・古典製本のサンプルほか修復に用いる道具や材料についてのパネル展示等のほか、NPOの教室生らによる作品の展示もございます。
のろが出品したのは去年個展に先立って制作した豆本3点と、『魔の山』の改装本。



中身は岩波文庫でございます。花布と見返しの接続部分には同じ革を使いました。背のタイトル部分のプレートははアルミ缶を切り、手芸用ニードルで引っ掻いて文字を入れたもの。



上巻(白い方)はこの作品の主な登場人物の一人で、陽気な人文主義者セテムブリーニ氏、下巻(黒い方)はその論客である陰鬱な神学者ナフタ氏をイメージしました。二人は共に主人公のハンス・カストルプ青年を自らの陣営に引き入れようと、物語の後半を通じて熾烈な精神的バトルをくり広げるのでございます。

ナフタは近代文明や民主主義を嘲笑い、一握りの宗教的エリートが絶対的命令と恐怖政治によって愚民たちを統治するべきだと唱える全体主義者で、ワタクシは大嫌いでございます。しかし一方をセテムブリーニ装丁にした以上、もう一方をナフタ装丁にしないわけにはいかないのでございました。そしてセテムブリーニ氏のイメージを取り入れずにこの作品を装丁することは、ワタクシには全く問題外だったのでございます。

セテムブリーニさん。彼は色々な点で滑稽な人物であり、彼の主張には承服しかねる所も少なからずございます。とはいえハンス・カストルプ君が言うように、少なくとも彼は善意の人ではあり、生を愛し、人間全般を(おおむね)愛する人であり、その論旨にいささか無茶で楽観的で理性信仰に過ぎる所があるにしても、ワタクシは彼を嘲笑う気にはなれませんのです。

「ああ、-----そんなことをわたしはお話しようと思ったのではありません」と、ゼテムブリーニは眼を閉じ、日に焼けた小さい手を空中に振りながら遮った、「それにあなたは天変地異を混同しておいでです。あなたが言われるのはメシーナの地震です。わたしが言うのは、1755年にリスボンを見舞った地震のことです」
「それは失礼しました」
「そのときヴォルテールはそれに反抗しました」
「と言いますと.....どうしたんです?反抗したんですね?」
「ええ、反抗しました。かれはその残忍な運命と事実とを甘受できなかったのです。これに屈服するのを拒みました。繁華なこの都市の4の分3と、幾千という人命とを破壊した自然の恥を知らない暴虐に対して、彼は精神と理性の名において抗議しました......。びっくりされるんですか?微笑なさるんですか?びっくりされるのはご随意ですが、微笑なさるのは、失礼ながらご遠慮ねがいます!」


筑摩書房世界文学大系61 トーマス・マン p.187


これに続けて「これこそ精神の自然に対する敵愾心、...(中略)...自然とその邪悪な非理性的な暴力に対する高邁なる主張です」なんて言い出すから滑稽になってしまうんだろうなあ、この人は。
精神と理性にはもっと建設的な使い道があるはずですし、ヴォルテール自身だって、数々の災厄に見舞われたカンディード青年に、最終的にこう言わしめているではありませんか。「しかし、ぼくたちの庭を耕さなければなりません」と。









ジーザスさんの誕生日

2010-12-25 | 
思いがけずクリスマスカードをいただきました。
何の甲斐性もないのろごときに、勿体ないことでございます。

2000年も前に生まれた人の誕生日を今もって、しかも世界中でお祝いするのは、生まれたその人が偉かったからなのか、それともプロモーターたちが優秀だったからなのか、どうも今となっては判然といたしませんが、多分その両方なのでございましょう。

さて昨日、近くの図書館でちくま哲学の森シリーズの『悪の哲学』をぱらぱら読んでおりましたら、たまたまその中の一編『ベルガモの黒死病』にイエッさんについて書かれた一文がございました。
黒死病に襲われて風紀の乱れた街に巡礼者の一団がやって来て、街の人々に向かって曰く、
「お前さんたちはイエスが人類の罪をあがなって死んでくれたと思っとるんだろうが、実際はそうじゃなかったのさ!人々のひどい態度に憤慨したイエスは「お前が神の子なら、そこから降りてみな」と言われた時に、本当に十字架から降りてどこかへ行っちゃったのさ!だから人間はみーんな罪深いままで、誰も罪の肩代わりなんかしてくれないのさ!ははん!」

さてもクリスマス・イヴに読むには結構な内容だなあ、のろよ。
贖罪や復活といったことを信じておいでのかたは大いに眉をひそめられる所ではございましょうが、ワタクシはこっちのお話の方が好きですよ。だってイエッさんは随分いい人だったみたいじゃございませんか。それがはりつけにされて、槍で突かれて、「わが神、わが神、どうしてお見捨てになったのですか」なんて言い残して苦しみながら死んでいったなんて、あまりにもやるせないじゃございませんか。それより、あんまり酷い目に遭わされた神の子は「あ~、やめたやめた。こんなのもうやってらんねー」とか何とか言いながらサッサと十字架を降りて、ぽかんとしてる人々を尻目にどこかへ行っちゃいました、って話の方が痛快でよろしい。リチャード・バックの小説『イリュージョン---退屈している救世主の冒険』の救世主ドンみたいにね。

ええと、私は自分が好まない道は歩くまいと思うのですよ。私が学んだのはまさにこのことなのです。だから、君たちも、人に頼ったりしないで自分の好きなように生きなさい、そのためにも、私はどこかへ行ってしまおうと決めたんです。
『イリュージョン』1981 集英社文庫 p.21

まあそんなわけで
皆様メリークリスマスなわけでございますよ。

佐野 元春/Christmas Time In Blue



鑞板

2010-08-25 | 
唐突ですが鑞板を作ってみました。

鑞板とはジュード・ロウを板状にのしたものではございませんで、木や象牙などで作られた枠の中に鑞をひいた書字板のことでございます。一方の先を尖らせた細長い骨片や金属で、鑞の部分を引っ掻いて文字を刻みます。紀元前6世紀のギリシャではすでに用いられていたという便利道具で、ポンペイでは紀元1世紀のものとされる鑞板とスタイラスを手にした女性の絵が出土しております。パピルスや羊皮紙と違って、鑞を継ぎ足せば再利用することができ、経済的であるため、近世に至るまでメモや下書き用に活用されていたとのこと。
二枚の鑞板を金属または革ひもの蝶つがいで繋げてノート状にしたものはディプティクと呼ばれます。今回作ってみましたのは、このディプティク。

作業工程
1.ホームセンターで5×120×600mmのアガチス材の板を購入。適当な大きさに切って面取りしたのち、彫刻刀で中央を掘り下げる。
2.湯煎で溶かした鑞を流し込む。足りない部分に蝋燭や鑞の削りかすでつぎ足しをする。
3.表面を削って平らにする。



とまあ、これだけのことなんでございますが、実際にやってみますと2と3の行程にはけっこうな手間がかかりました。鑞が流し込む端からどんどん固くなるため、なかなかきれいな平面になってくれないのでございます。表面張力で盛り上がった部分を指でならし、へこんだ部分には鑞を継ぎ足し...という作業を何度も繰り返さねばなりませんでした。鑞の削りかすまみれになりながらつぎ足しては削り、削ってはつぎ足しの行程を繰り返し、やっとこさ平滑な板面が出来上がりました。



スタイラスは割り箸で製作。スタイラスの尖っていない側は、鑞を削り取り、または押しつぶして文字を消す際に使われます。
早速使ってみますと、ペン先がするすると滑ってなかなか快適な書き心地。しかし「書く」というよりは「刻む」と言ったほうが正しい性質のものであるだけに、ここでもやはり細かい削りかすが発生するのでございました。

作って使ってみた感想。
繰り返しになりますが、とにかく枠の中に鑞を均等に詰めるのが難儀でございました。書き消しができる、再利用ができるといっても、その行程で生じる手間はいやはやどうして、馬鹿になりません。それでもなお10世紀以上の長きに渡ってこの道具が使われ続けたという事実は、けだしパピルスや羊皮紙といった書字材料がいかに高価であったかを示すものでございましょう。


カフカ忌など

2010-06-03 | 
本日は
カフカの命日でございます。

パレスチナへの移住を夢見ながらも結局果たせずに亡くなったカフカ。現在かの地でなされていることを知ったら、憤りと羞恥のあまり、寝苦しい夢など待たずぽっくりと虫になってしまうかもしれません。

さておき。
先日広報させていただきました個展でございますが、去年出品したものに加えて、新作3点を出せる運びとなりました。



左端の黒い本はカフカの短編「夢」。ゴム版一色刷りで製作しました。
カフカを社会的に読むつもりが毛頭ないワタクシにとって、カフカ作品の多くは「自分からさっさといなくなるべきなのにその事に気付きもせずのうのうとこの世に居座り続けて周りの皆様に我慢してもらっている甚だ察しの悪い野郎の話」というまことに身につまされる物語であり、とりわけこの短編にはそうした要素が、文庫本にしてほんの3ページほどの中に凝縮されておりますので、昔からたいそう好きな作品なのでございました。



自らが掘った墓穴に、立派な墓石つきで埋葬されるという幸福な夢を見ているヨーゼフ・K。
最後のページの絵は死んだフリをしているブラックウッド卿の顔を参考にさせていただきました。
どうでもいいですね、はい。

ときに準備というものは時間があればあるだけ費やしてしまうもので、結局搬入が済むまでは普段の生活に戻れそうにないのでございました。

『創造都市のための観光振興』

2009-12-29 | 
『町家再生の論理』に続いて、また表紙イラストを描かせていただきました。有り難いことでございます。



使っていただいたイラスト



採用されなかったラフ



こういうものを臆面もなくブログに出してしまうあたり、実に未練がましいですね。
しかしまあ、歳をとるにつれ、だんだん自分の性格にもあきらめがついてきました。
まったく申し訳ないことでございます。