のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

栗本薫氏

2009-05-29 | 忌日
お亡くなりになったと知って驚いております。

のろは中学生の時『グイン・サーガ』が大好きでございました。
重厚にまた綿密に構築された世界観と、ファンタジー好きの心をくすぐる登場人物たちに魅了され、一冊また一冊と買いそろえては読みふけったものでございました。気に入った場面を何度も読み返し、「セム族」長老の臨終シーンに涙し、乏しい想像力でグインやイシュトヴァーンの姿を描いてみたりして、とにかく随分とはまっていたのでございます
しかしそのうちに話の方向性や、あとがきに垣間見られるどこか同人誌的な栗本氏のノリに距離感を覚えて、30巻を過ぎたあたりで購読をやめてしまいました。
それでも書店で新刊が平積みになっているのを見かけると、昔の知己の消息を尋ねるような気分でパラパラとページをめくってみたものでございます。それでいいのかリンダ、まだ生きてんのかナリス、おおい何でそんなことになってるんだイシュトヴァーン!などと心中でつぶやきつつ。

外伝もたくさん出ているようでございますが、結局本編の方は完結を見ないままになってしまったのでございますね。
愛情を注ぎ込んだライフワークを半ばに残して逝かねばならなかった栗本氏、さぞかし口惜しかったことでございましょう。
が、あまり愛情をかけ 過 ぎ ずに、当初の計画どおりに100巻で完結するように書いてらっしたら、長年読んでいらっしたファンの方々を落胆させることもなかったろうになあ、と思わざるをえないのでございます。


犯罪王になりそこね

2009-05-28 | Weblog
ネタが無い時は夢の話に逃げる傾向があるのろ。

ということで

ミュージカル『キャッツ』の
犯罪王マキャヴィティ役に配役された夢を見ました。
ワルモノ大好きのろはもちろん大喜びですとも。
だってね

マキャヴィティ マキャヴィティ
悪魔のマキャヴィティ
地獄の花形 悪徳の化身


ですぜ!
その上細身で眼差し鋭く、額には深い皺が刻まれ身のこなしはまるで蛇のようってんですから、どこを切ってものろごのみのキャラクターと申さねばなりますまい。(舞台上でこう見えるかどうかはともかく)
仮面にマント姿でご登場ってのもいいじゃございませんか。このコスチュームを着るのは日本版だけのようですが、ともすればただの暴れ猫に見えてしまう他国のマキャヴィティさんよりもいいと思いますよ。

左からロシアのマキャヴィティさん→ドイツのマキャヴィティさん→ポーランドのマキャヴィティさん

ううむ、ポーランドのもいいなあ。猫には見えませんが。

ともあれのろはこの配役にとてもワクワクしていたんでございます。
きゃっほう!犯罪王!やったね!高笑いなら自信があるぜ!だけど私は成人男性をリフトせにゃならんのか!できるかなあ!
とね。
しかし惜しいかな、舞台に立つ前に目が覚めてしまいました。
残念至極。


まあ、これだけの話なんでございます。しかしこんな夢を見たちょうど翌朝に、ラジオからT.S.エリオットの”MACAVITY THE MYSTERY CAT"の朗読が流れて来たのにはちょっとたまげました。さすがは神出鬼没のふしぎ猫でございます。
”MACAVITY THE MYSTERY CAT"はミュージカル『キャッツ』の元ネタとなったエリオットの詩の一編で、この詩に曲を付けたものが劇中で歌われるわけでございます。
こんな具合に。

Macavity - the musical CATS, in HiDef


なんでも先日イギリスで行われた小学生の詩の朗読コンテストで、この詩を詠じたイラン移民の男の子が優勝したということで、彼の朗読がラジオで放送されたのでございました。

Yazdan Isfahani, 10, wins nationwide schools poetry competition - Times Online


猫の夢と申せばのろはひと頃、猫を殺す夢をよく見たものでございますが、最近はめっきり見なくなりました。
その代わりに自分が猫化する夢をみるとは面白いもんでございます。
そういえば最近ずっと日中の眠気が取れないんでございますが、もしや猫化が進行しているのでございましょうか。
そのうち『山月記』の李徴のように、闇の中から呼ばわる「のろや、のろや」という声に導かれて走って行くうちにいつしか猫になってしまった自分を発見するのやもしれませんて。
李徴は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」が災いして虎になってしまったと自己分析しておりますが、これが変身の条件だとするなら、のろだって資格は充分にあるはずでございます。
しかも虎にまでなることもできず猫止まりとなれば、これまたいかにものろにふさわしいような気がいたします。

のろ展終了

2009-05-24 | 展覧会
「ざるそば始めました」というのぼりが裏返って
「ぢるそば始めました」に見えました。

それはさておき

5/21より開催されておりましたのろの個展は、本日無事終了いたしました。
お忙しい中をお越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。
そして本展のために貴重なお手間とお時間を割いてくださった皆様、のろは有り難さのあまり何と申し上げてよいやら分かりませんです。まことにまことに、ありがとうございました。



イベントの中で一点のお目汚しになるのではないかと恐れておりましたが、幸いそれほど不評でもなかったようで、ここに至ってホッと胸をなで下ろしております。
この3年間の楽町楽家ポスターを繋げたものなども出させていただきました。
その中に勝手に描き込ませていただいたひとびとも一挙公開。



そう、フローリアン・シュナイダー、脱退してしまったのですねえ。何と。
あとの2人がどうであろうと、ラルフ&フローリアンがいればクラフトワークなんだと、漠然と思っていたのに。寂しいことでございます。
これからどうするんでしょう、クラフトワーク。というかラルフ。
いっそ新しい人を補充するよりも、ラルフ&誰か&誰か&フローリアン人形という構成で行ってはどうかと。

寂しいと言えば、のろはつい最近知ったことなんでございますが、小説『檸檬』の主人公が立ち寄った寺町通の果物屋「八百卯」、今年1月に閉店してしまったのでございますね。2005年に閉店した丸善についでまたひとつ、文学青年の鬱屈をしのぶスポットが失われたわけで、これもなんとも寂しいことでございます。



我ながらほれぼれする出来のクライバー。とても楽しい作業でございました。
ノミは本当はもっといじりたかったんでございますが、ポスター絵の中の恰好からあまりかけ離れてはいけないとも思いましたし,実際にこんな人がいたのだということをハッキリ示すためにも写真をそのまま使った方が得策と判断してこうなりました。本当は全身タイツにプラスチックタキシードを着せてあげたかったのよ。
それこそがヤツの正装ですもの。



2020年を見据えてみませう

2009-05-15 | Weblog
それでもやりたくない病


そんな病気もないんだちくしょうめ


それはさておき
再三ご紹介しております国際NPO、Avaazよりの署名呼びかけメール、今回は日本のことでございます。

以下,メール本文(和訳文責のろ)

Dear friends,
日本政府は、2020年の温暖化ガス排出量目標値を設定するぎりぎりの段階に入っています。早ければ今月中にも目標値が発表されるでしょう。日本が強い数字を打ち出したなら,行き詰まっている国際交渉プロセスの再開と、今年12月にコペンハーゲンで行われるCOP15での、より強力な協定の成立に一役買うことになるでしょう。その上、気候変動問題に関する日本の国際的評価を高めることにもなります。

しかし、目標値を低く抑えようとする圧力が高まっています。汚染物質を排出する大企業は、日本の大手新聞に大々的な広告を掲載し、公聴会には自社の職員を大量に送り込み、高官と会談しています。こうした企業の思惑が通ったなら,気候変動をめぐる国際的な対話の場において、日本という国は障害物と見なされるでしょう。世界はこの状況を注視しています。

選挙をそう遠くない時期に控えた今,日本の国民が声を上げれば,状勢は好転するかもしれません。2020年目標値についてのパブリックコメントの受付は、今週末で締め切られます。ほんの数分の手間をかけさえすれば、私達は状況を動かすことができるのです。気候科学が示している目標値は25%~40%の削減です。下のアドレスをクリックして、政府に対して、あなたがこの数値を支持することを表明してください。

Japan needs a strong climate target!

*のろ注*
↑おお、請願書が日本語で書かれております!
日本の政府に宛てているんだから当たり前ですね。しかし何だか新鮮でございます。
タイトルや文面は書き換えできます。
メッセージの送り方はこの記事の下の方、*****以下を御参照ください。

科学的分析によると、摂氏2度の気温上昇を食い止めるためには、日本や他の先進国は、1990年時点から見て少なくとも25~40%の排出量を削減しなければなりません。平均気温が2度も上昇することは非常に大きな気候変動です。日本国内はもとより、世界中の人々の健康や経済に打撃を与え、貧しい人々の生活手段の破壊にもつながります。日本の人々は、個人的レベルで温暖化ガス排出の抑制に取り組んでいますが、今や政府が立ち上がって、コペンハーゲンでの国際会議で強力な協定を締結できるよう世界をリードすべき時です。

米国の政府筋や各国の政府要人は、非公式のミーティングで「日本の2020年目標値はコペンハーゲン会議の成功の鍵だ」と言っています。日本が強い数値を打ち出すことで,交渉を再び軌道に乗せることができるでしょう。

京都議定書を生んだ日本という国は,気候風土を大切にするという誇るべき伝統を持っています。しかしもし麻生総理大臣がこの決定的な時期に企業側の圧力に屈して、不十分な目標値を掲げるにとどまるなら、よき地球市民としての評判に泥を塗ることになるでしょう。気象危機を食い止めるために、力を貸してください。そして日本は国際協定を後退させるのではなく、前進させるのだということを世界に示してください。

私達Avaazのメンバーは,草の根的な圧力がいかに日本政府に大きな影響を与えるかを今まで見て来ました。そもそも日本が2020年までの中期目標設定を決めた閣議の場では、Avaazがバリ会議の期間中に出した新聞広告が掲げられたのです。さあ、再び行動を起こす時です。気候変動をめぐる国際的な協力と進歩に対して私達が強く関心を持って関わることで,2020年の削減目標値もまた断固としたものになるでしょう。

With hope,

Ben, Taren, Iain, Alice, Pascal, Graziela, Paul, Brett, Ricken, Paula, Luis, Raj, Margaret, Milena, and the Avaaz.org team



*****

水色のバーで出ております Enter your details 欄に、 
Name:お名前
Email:メールアドレス
Cell/Mobile : 電話番号(必須ではありません)
Country:国籍(選択)
Postcode:郵便番号
を入力の上,右側のYour personal massage欄にあるピンク色の Send:送信ボタン をクリックすると参加できます。
右側に表示されている数字(*** have signed the petition)の***は現在の署名の総計です。
送信後、ご参加ありがとうページに移動します。

入力したアドレスにはご署名ありがとうメールが届きます。
その後も署名を呼びかけるメールが随時届きます。
それはちょっと...という方は、送られて来たメール本文の一番下にある go here to unsubscribe.(青字)という所をクリックして、移動先の空欄にメールアドレスを入力→SENDをクリックすれば登録は抹消されます。


*****

以上。

楽町楽家’09

2009-05-10 | KLAUS NOMI
やりたくない病
そんな病気はないんだちくしょうめ


それはさておき

今年も楽町楽家のポスターイラストを描かせていただきました。



2005年から始まったこのイベント、5年計画計画でいらっしたということでございますので、今年でひと区切りでございます。来年以降開催されるのかどうかは存じません。開催されるとしても、のろがポスターイラストを描くことはおそらくございますまい。のろには力量も引き出しも無いということがこの4年でとくとお分かりいただけたと思いますから。

ところで
毎年恒例クラウス・ノミ、今年もいるのかって。
ほっほっほ。もちろんおりますとも!
ほらっ



今年は思い切ってスリー・ポイント・ヘアにしてみたんでございますが、出来上がったポスターでは残念ながら頭頂部にロゴがかぶさって、このヘアスタイルも隠れてしまいました。
Ach, schade(あー残念)!
まあ、デザイナーさんが意識的に隠されたのかもしれません。
そもそもイラストレーターはこういう変な物を描いてはいかんのです。
しかしはっきりとお咎めがないのをいいことに、あの人やらこの人やら、密かに描きこませていただきました。

バスター・キートンとロスコー・アーバックルとアル・セント・ジョン



クラウス・キンスキーとヴェルナー・ヘルツォーク



天国からお忍び来日 フリードリヒ・グルダとカルロス・クライバー



↑ちなみに共通点は別にございません。単にのろが好きだというだけで。

この他にも鞍馬天狗さんやら川端康成さんやら東山魁夷さんやらいらっしゃいますので、暇で暇で死にそうだという方は探してみてくださいまし。




『MILK』

2009-05-05 | 映画
二者の間でだけ交わされたはずの会話が一方の知らぬ間に皆の話のネタに供されるというのは、一種の集団的暴力でございます。しかもただその場にいるだけで、否応なく共犯になってしまう。ああ嫌だ。



それはさておき

『MILK』を観てまいりました。
ううむ、これは素晴らしい作品でございました。

映画『ミルク』オフィシャルサイト

「私はここにいる」と宣言する。
「私には生きる権利がある」と叫ぶ。
ただそれだけのことをするのさえ、困難な人がおります。
その人とは、
多数派ではない人、
社会的に弱い立場にいる人、
宗教が見方や後ろ盾になってくれない人、そして
虐げられることが当たり前になってしまった人でございます。
そういう人たちに向って、ミルクは呼びかけます。

"My name is Harvey Milk and I'm here to recruit you!"

ミルクは単に同性愛者の代表というだけではなく、生きづらさに苦しむ全てのマイノリティの代表であると申せましょう。

1970年代のアメリカ。ゲイ・ムーヴメントが起こりつつあったとはいえ、同性愛者であるというだけで解雇されたり逮捕されたり、時には自殺に追い込まれる社会の中で、偏見と差別に立ち向かい、権利のために闘ったハーヴェイ・ミルク。
ミルクは決して孤軍奮闘していたわけではございません。多くの人々の声がこの「20世紀の英雄」を支えていたということ、そしてミルクという情熱的でチャーミングな人物が、人々の希望の寄りしろとなっていたということが、本作では力強く、かつテンポよく描かれております。
それまでずっと身を隠すように生きることを余儀なくされてきたマイノリティたち。
また多数派に属してはいても、公然と人権が抑圧されている現状に憤りを感じていた人々。
彼らの声と思いこそが、この映画の本当の主役であるとも申せましょう。
ミカン箱の上から通行人に呼びかける(まあミカンの箱であるかどうかは置くとして)まったく草の根の所から始めた活動は次第に大きくなり、街頭を埋め尽くすデモ行進となり、カリフォルニア州全土を巻き込んだ闘いへと発展してまいります。
人々の思いが実際のムーヴメントになってゆくさまには本当に胸が熱くなり、映画の山場である「提案6号」をめぐるスリリングな攻防戦にはまさに手に汗握る思いでございました。



「提案6号」とは、カリフォルニア州内の公立学校から同性愛者の教員、および同性愛者の権利擁護を支持する職員を排除せんとする条例でございます。同性愛者は神の法に背く悪(evil)であり、異常者であり、変態なのだから、子供たちに近づけちゃならん、という言い草。
けっ。
アンチ・ゲイの先鋒である政治家らが「神の摂理」やら「良識」はたまた「ノーマル」という言葉をお吐きんなって、分別ぶった顔で同性愛者を差別するさま-----その中には当時の記録映像もございました-----には、まことに、まことに、まことにまことにまことに、腹が立ちましたですよ、ええ。
ワタクシは宗教を否定する気は毛頭ございませんがね、他者への敵意を根拠づけるために神様が担ぎ出される、という現象はワタクシにはとても醜悪で盲目的なことに思われますよ。そりゃ、そうした言説も、ひとつの価値観として冷静に捉えるべきなんでございましょうよ。でもね、「神聖なもの」を後ろ盾にして人を差別する価値観なんぞ、ぺっぺっでございますよ。

ともあれ
度重なる落選にもめげず4度目の出馬でようやく政治の舞台へと躍り出たミルクはもちろん、この「提案6号」を廃案にするために奔走するんでございます。デモを組織し、敵の本拠地に乗り込んで討論会に臨み、暗殺の危険に身をさらして演壇に立つわけでございます。映画の原作である『ゲイの市長と呼ばれた男 ハーヴェイ・ミルクとその時代』を読むと、実際ミルクが常に暗殺の危険を身近に感じていたということが分かります。
映画の冒頭で40歳の誕生日を迎えたミルクが、僕は50歳までは生きないだろうとつぶやくシーンがございますが、これも脚本家の創作ではなく、ミルク自身が親しい人々に対してしばしば語った言葉でございました。
この不吉な予言どおりに48歳で凶弾に倒れたミルク。
政治活動を始めてから8年。公職に就いてからは、実にたったの11ヶ月。
しかし彼の存在がどれほど大きなものであったかは、実際の追悼行進を再現したラストシーンから、深い悲しみと共に伝わってまいります。

ひとつ申し添えたいことは、本作は決して、信念に殉じて命を落とすということを讃えたものではないということでございます。ミルク自身も死を予感していたとはいえ、別に死にたかったわけではございません。それどころか「生きたい、生きさせろ」と叫んでいたのに、それを許さない人々がいたのでございます。映画はあくまでもミルクの死ではなく、生にフォーカスいたします。
観客は「もしもの時のため」の遺言をテープに吹き込むミルクの回想とともに、彼の気楽なヒッピー時代から最期の日までをたどってまいります。いわば刻一刻とミルクの死に向って進んで行くわけでざいますが、じめじめ感はございません。むしろミルクと彼の支援者たち、そして街頭の人々からほとばしる生き生きとした時代のエネルギーからは、萎縮せずに自分の生を精一杯生きろ!というポジティブなメッセージが発せられておりました。

ショーン・ペンの演技は本当に素晴らしうございました。
カリスマ的な活動家、ジョーク好きの社交家、アグレッシヴな論客、sweetな恋人、そして死の影に脅かされる男。さまざまな側面を持つハーヴェイ・ミルクという人物が、一人の生きた人間として、スクリーンの中で呼吸しておりました。
また、ミルクを射殺する保守派の元同僚、ダン・ホワイトを演じたジョシュ・ブローリンも大変よろしうございました。『ノーカントリー』でユーモアの無い変な髪型の男に追いかけられた彼ですが、今回は自らがユーモアの無いちょっと変な髪型の男になっております。不満と屈辱感を溜め込んで思いつめて行く哀れな人物を、ぴりぴりとした緊張感を出しつつみごとに演じておりました。

ご存知の通り本作は今年のアカデミー賞で8部門ノミネートされ、脚本賞と主演男優賞を受賞しました。
授賞式の当日,会場の周辺にはアンチゲイの人々も詰めかけて同性結婚反対のプラカードを掲げたということでございますが、彼らはそもそもこの映画を御覧になったんでございましょうかね。受賞スピーチでこのことにもしっかり触れたのはさすがにショーン・ペンという感じがいたします。
この作品が世界各地で絶賛され,さまざまな映画賞を受賞していることも、授賞式でのペンのスピーチも、同性愛者への偏見を無くしていくことに一役買うことでございましょう。また、そうあってほしいと強く思う次第でございます。