のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

長野行その4(川本喜八郎人形美術館)

2016-10-01 | 展覧会
うわあああイザベルううう

それはさておき
長野行その3の続きでございます。今回で終わり。


年に何度か展示替えを行う川本喜八郎人形美術館、今回の展示テーマは「黄巾の乱〜三顧の礼」ということで、『人形劇三国志』の冒頭から半ばまでに登場した人形たちが主に展示されておりました。実際に人形を目の前にしてみますと、十常侍や張角兄弟といったほんの少ししか出番のない人形たちまで非常に「丁寧に」作られていることに、改めて感嘆いたしました。丁寧に、といいますのは、いかにもその役柄にふさわしい表情やいでたち──衣装の色合いはもちろん、素材まで含めて──が与えられているということでございます。

展示室の中央には、ホールのミニチュア人形よろしく、三顧の礼の一場面が再現されておりました。三度目の訪問でやっと捉まった孔明先生、しかしお昼寝中の所を起こしてはいかん、と黙って目覚めを待つ劉備、それを見て呆れる関羽&張飛、というアレ。
思わず笑ってしまったのは、大人しく待っている劉備(何故か髭がない青年Ver)の後ろで、草廬に火をつけて叩き起こしてやると騒ぐ張飛の腰帯を関羽が冷静に掴んで引きとめているポーズ。アホ犬と飼い主の趣きでございます。



その向いでは左側に劉備ファミリーと五虎将そろい踏み(&なぜかここにくい込んでいるお使い男・孫乾)、右側に曹操、董卓、袁紹といった主君クラスがずらずら居並ぶ贅沢展示。展示ケースの向かって左端に関羽、右端に曹操という配置なのですが、これって…



やっぱり「あんなにちやほやしたのに結局振り向いてくれなかった関羽を未練がましく見ている曹操とそれを飽くまでも無視する関羽の図」という解釈でよろしいでしょうか。

袁術は手に玉璽を持っているのですが、底がちゃんと赤く汚れているという芸の細かさ。まあそれ以上に、ワガママぼんぼんがそのまま大きくなりました感が漂う袁術の「ダメなおっさん顔」が実に見事で、まじまじと見入ってしまいました。
近くでよく見て気付いたことといえば、衣装のくたびれ具合もございます。特に趙雲は、鎧の胸元を締めている紐の端がかなりボサボサになっていたり、衣装の所々にほつれが見えるなど、劣化が目立ちました。思えば趙雲は早い段階で登場して最終盤まで活躍する一方、時々は鎧を脱ぐ関羽や張飛と違って完全に着たきり雀でしたから、衣装の傷みが激しいのも無理はありません。

その奥の呉コーナーには太子慈や甘寧といったTVには出て来なかった面々も並んでおりました。太子慈は早死にしましたし、孫策との絡みで若武者のイメージがあったのですが、人形の顔はわりとおっさんでした。甘寧は吊り上がったまなじりに張り出した頬骨、曹操顔負けの三白眼で、水賊上がりらしい不敵な面構え。
ここで周瑜や魯粛殿に会えなかったのは残念でしたが、孫父子3人が一緒に並んでいるという珍しい光景を見られました。セルリアンブルーで所々彩られた孫策兄ちゃんの衣装の何と爽やかなこと!とっても顔色悪いけど!TVで見ていた時は何とも思いませんでしたが、比べて見ると孫権はもちろん、病弱貴公子の劉琦よりも顔が白い。おまけに髪や眉毛の色も薄い。衣装の色合いと相まって、はかない印象すら与える人形でございました。かたわらの孫権が100まで生きそうなギラつき加減なので、いっそう。

そして、そして、そう、そして、展示室の一番奥には、いらっしゃいましたとも、黒装束の孔明先生が。
このひとに会いにワタクシは来たのです。

『人形劇三国志』の諸葛孔明といえば、黒い長衣の下に、黄土色の襟のついたライトブルーの衣を着てらしたはずですが、青い部分はかなり色あせており、ほとんど白に見えました。思えばちびっこのろが毎週土曜日夕方に、ブラウン管の向こうでのご活躍を見ていたころから、30年以上も経ったのです。対面したらそれなりに感慨があるだろうとは予期しておりましたけれども、実際にあの羽扇を胸元に構えたポーズの孔明人形を目の前にし、またとりわけ熱い思いの感じられる解説パネルの文を読みましたら、我知らず涙が出て来てしまいました。

『人形劇三国志』の孔明人形は衣装も冠も黒を基調とし、配色の点で他の人形とは一線を画しております。長衣の上から腰帯を締めないストンとしたシルエットも、主要キャラクターの中では孔明と龐統のみ。最初の登場シーンでは晴耕雨読の書生らしい地味な布衣をまとってらっした孔明先生が三顧の礼を経て出廬を決め、この黒い衣装で現れた時、子供心に感じたものです。「ああ、今、主役が替わったのだ。げんとくさんから、この人に」と。
諸葛孔明といえば道士のような白衣姿というのがオーソドックスないでたちでございますが、ワタクシにとって諸葛孔明という人物/キャラクターとの出会いであった人形劇のインパクトはとにかく大きかったのであり、今でも小説などで孔明先生登場シーンを読むと、頭の中に浮ぶのはこの人形劇の姿と立ち居振る舞いであり、声はもちろん森本レオでございます。

人形の顔を見ていると、劇中の色々な表情が思い出されます。眉毛の動く張飛や瞳が左右に動く曹操などとは違って、孔明人形は物理的には無表情ながら、見事な人形操作と声の演技のおかげで、それは様々な表情を見せてくれたものです。もちろんこれは他の人形にも言えることですけれども、孔明人形はもともとの静かな面持ちのためか、ふとした「表情」の変化も胸に迫るものがあったのです。
自らの読みの甘さを恥じて目を伏せ、張飛との和解を喜び微笑みかけ、降服論を唱える呉の群臣をはったとねめつける。天を仰いで呵々大笑したこともありましたっけ。
数々の名場面を思い出しながら対面しておりますと、今にも人形が動き出しそうな気がして来るのでございました。TVの中でよく見慣れた、あの身振りで。

閉館間際になって外へ出ればそろそろ街灯が灯ろうという黄昏時。美術館向かいのスーパーで夕食を買い、歩いて「ホテルオオハシ」に向かいます。素泊まりor朝食付きで6500円という普通の(のろ規準では少しお高めの)ビジネスホテルなんでございますが、ここは朝ご飯がとっても美味しかった。普段は納豆ご飯と汁物一椀だけで済ますのろさんも、小松菜の胡麻和え、茄子とピーマンと玉ねぎの味噌炒め、焼き鯖にきんぴらごぼうと色々いただいてしまいました。

チェックアウトをしてからも8時過ぎの電車まで時間があるので、周辺をぶらぶらしながら駅へと向かいます。

駅周辺とそれ意外の所ではかなりの高低差がある模様。



消防署の横になぜかSLが。



地図で「並木通り」という名前を見た時はケヤキでも植えられているのだろうと思いましたが、さすが長野といいましょうか、リンゴ並木でございました。町なかにリンゴの実がなっているという風景が新鮮でございます。



飯田市は「人形の街」ということで売り出しているらしく、駅の案内板の上にピノキオめいた可愛いのが座っておりました。バス乗り場の上にも。



このあと電車に揺られること3時間弱。線路沿いで早くも穂を延ばしているススキや、ホームの端で慎ましやかに咲いている月見草、山並みの上のまぶしい雲、みんなして向こうを向いているひまわり、白い丸石のごろごろしている河原と水遊びの子供たち、木々の合間にふと現れる雑草の箱庭、低い家々の間にそびえ立つイオン、実り始めた水田、そして遥かに山を越えて行く送電線の鉄塔などを窓外に眺めているうちに、諏訪湖にほど近い岡谷に到着。
岡谷では武井武雄のイルフ童画館を訪ね、ついでに下諏訪まで足を伸ばして諏訪市美術館で詩情あふれる小杉小次郎─窓辺物語を、北澤美術館でパート・ド・ヴェール -秘められたるガラス技法-を鑑賞し、さらについでに湖上花火大会の屋台で中華杏仁ソフトとじゃがバター(バターつけ放題)と焼餅(シャーペイ)を買い食いなぞしてから岡谷駅に戻り、駅の連絡通路から遠くの花火をちょっとだけ眺めてから予約した宿のある宮木へ。20時前にまさかの無人駅に降り立ち、真っ暗闇の中を15分程とぼとぼ歩いて天竜川沿いのビジネスホテルへたどり着き、ホタルの絵があしらわれている浴衣(正直ちょっと別の黒い虫を連想させる意匠)をはおって眠りについたわけでございます。

いいかげんこの記事も長くなりましたので、もはや詳しいレポートはいたしませんが、北澤美術館に作品が展示されていたルイ・ダームズというガラス作家がめっけものでございました。優しく品が良い色合いに親しみ易いデザイン、作品は全て小ぶりで両手にすっぽりと納まるくらい。持って帰りたくなってしまいます。解説パネルによると、非常に薄くてもろい作品が多いので、現存しているものは多くはないのだとか。

そんなこんなで長野行。翌日、塩尻→中津川→名古屋経由で帰って来ました。天気がよかったので中津川で途中下車し、木曽川を渡って「天空の城」苗木城跡まで行ってみました。写真を色々撮りましたけれども、この旅行レポもいいかげん間延びしてしまいましたので今回は割愛いたします。最後に、自分用のお土産をひとつ御紹介。



多分、虎。

長野行その3(川本喜八郎人形美術館)

2016-09-17 | 展覧会
長野行その2の続きでございます。


ホールのミニチュア人形たちを満喫し、満を持していよいよ展示室へ。
人形たちを太陽光や外気から守るため、展示室入口には窓のない自動ドアが設けられており、通路からは中の様子が窺い知れません。
憧れの大スターに会いに行くような心地で、いささか緊張しながらほの暗い展示室に足を踏み入れますと...
いきなり呂布&貂蝉!
ダウンライトを浴びて暗闇の中に寄り添い立つ呂布&貂蝉!
やっほう!

というわけで以下、怒濤の呂布語り。

さてひと口に三国志演義ファンといいましても、登場人物の好みはまちまちでございましょう。ヒーローすぎる劉備・孔明は嫌いだという人もあれば、義人とはいえ傲慢な振る舞いもある関羽はいけ好かないという人もおりましょう。悪役の曹操が嫌いだという人や、張飛は粗暴すぎて嫌だという人もおりましょう。しかし「演義」ファンの中で、呂布が積極的に嫌いだという人はいないのではないだろうかと、ワタクシ何となく信じております。何故ならば「演義」の呂布は、全話を通じて最強と言ってもいい程の武勇を誇るとんでもなく勇猛な武将である一方、あらゆる人間的な誘惑に屈するとんでもないバカでもあり、要するに憎めない奴だからでございます。

うちの呂布。(海洋堂出身、身長6cm)

装束の色合いは実物と若干違いますが、とてもよくできております。

バカ、といっても頭が悪いということではございません。天下無双の名馬に釣られて義父(兼主君)を裏切り、傾国の美女に釣られて次の義父(兼主君)も裏切り、目の前の城に釣られて協力者を裏切り、かと思えば口のうまい輩には簡単に丸め込まれ、妻に泣きつかれれば軍師の献策を踏み倒し、進退窮まっては酒に溺れ、ついには部下に裏切られ、捕らえられた後も潔く死ぬでもなく、最後の最後までじたばたしたあげくに処刑される、とまあ人間的弱さの見本市のようなキャラクターであり、行動がいかにも大人げないという意味での「バカ」でございます。しかもこれだけトラブルの種をまき散らしながら「俺は争いごとが嫌いな性分なのだ」と自分が裏切った当の劉備に向かって言い放つ無神経さ。

とはいえ呂布には、金銭にがめついだの地位にしがみつくだのといったいやらしさは見られません。また何かをいつまでも根に持つといったな底意地の悪さや、先々のためにこっそり根回しをする、表と裏の顔を使い分けるといった陰湿な側面もございません。ひたすら目の前の「いいもの」に釣られてあちらにぶつかり、こちらによろけ、その過程であらゆる信頼関係を破壊しながら突き進む様は、むしろ妙に子供っぽさすら帯びております。また一騎当千の猛者であり「人中の呂布、馬中の赤兎」ともてはやされながらも、短絡的な選択を重ねて自ら滅んで行くその姿には、一抹の悲哀が漂います。

単純脳筋野郎と見られがちなキャラクターではありますが、実際はそんな爽やかなものではありませんし(笑)、爽やかではない所が呂布の魅力の一つであろうとワタクシは思います。直情型でも張飛のような愛嬌はなく、勇猛でも許褚のように素朴ではなく、千人並みの武勇を誇りながら精神的にはひどく脆弱で、猛々しさと子供っぽさと悲劇性を併せ持つ英雄。こうした複雑な魅力が、川本人形の呂布には見事に表現されております。緑と赤を基調にしたいとも華やかな衣装も、天下の名馬・赤兎にうちまたがり無人の野を行くがごとく戦場を駈けめぐる猛将のイメージにぴったりです。声を担当した森本レオの演義も素晴らしかった。

ところでTV画面で見た時、呂布は他の人形たちと比べて大きく見えたものでございます。しかし実際に貂蝉と寄り添って立っているのを見ますと、少し背が高いくらいで、それほど甚だしい違いはございません。おそらく他の武人系人形と同じ程度の大きさかと。おそらく両肘を張ってのしのし歩く歩き方や、横目で睨みつけながら顎を反らすゼスチャーなどの傲然とした身振りが、実際よりも人形を大きく見せていたのであり、人形遣さんの巧みさの現れという所でございましょう。

そうそう、人形の動かし方なんですけれども。
展示室内に衣装を着ていない状態の人形が置いてありまして、何とこれを、来館者が手に取って動かしてみることができるんですぜ。持ってみて驚いたことには、人形の腕を動かすための棒が意外に重い。ピアノ線製なのだそうです。人形遣いさんは片手で人形の支柱を持って首の角度を変えるレバーを操りつつ、もう片方の手で支柱を支えながら人形の手首に接続している2本の棒を動かさなくてはなりません。これがまあ、やってみると実に大変で、人形の腕がすぐ変な方向へよれてしまいます。


実際の棒はもっと長かったです。

展示室に出されていたのは一番簡単なつくりの、首と腕が動くだけの人形でしたので、目を動かす時はどうするのかとスタッフのかたに尋ねた所、さっそく奥から目用と口用とレバーがついた人形を出して来て実演してくださいました。他にも衣装は人形の体に縫い付けてあるとか、三国志人形の中で一番の衣装持ちは劉備である(17着もあるんですって!)とか、色々と教えて頂きました。


需要の有無に関わらず次回に続きます。

長野行その2(川本喜八郎人形美術館)

2016-09-09 | 展覧会
9/5の続きでございます。


長年の念願かなってやって来ました川本喜八郎人形美術館。入ってすぐのロビーには、名文として名高い「出師の表」を背にして、サイズの大きめな孔明人形が佇んでらっしゃいます。ワタクシとしてはどうしても、劇中で使われていた、頭部が大きめに作られた人形のイメージがあるものですから、この7頭身の孔明人形にはとりわけ感慨は抱きませんでした。そう、ワタクシはちょっとよそよそしい「この」孔明人形ではなく、水色の衣に黒い背子をはおり、いつも心持ちうつむき加減で、水が流れるようにさらさらと歩を進める「あの」孔明人形に合いに来たのですから。とはいえ衣の陰影が実に美しいので横からもパチリと。展示室内は撮影禁止ですが、ここは自由に写真を撮ることができます。


ロビーの片隅、展示室へと向かう階段のふもとに、美術館スタッフが作ったというミニチュア人形たちが並んでおりました。こちらは期間限定の企画のようです。

ウェルカム人形展とすてきな世界の人形劇ポスター展 2 | 飯田市川本喜八郎人形美術館 | お知らせ

今回の展示テーマ「後漢末〜三顧の礼」に合わせたのでしょうか、三顧の礼の一場面が再現されております。


午睡中の孔明先生、黙って目覚めを待つ劉備、怒る張飛となだめる関羽。隅っこの方についでのように超雲がいるんですが、なぜか槍先に血糊がついてるYO!


(←左)城壁の外には妖しい道士ズ。左の白い方は左慈ですが、右の方は于吉か管輅か、はたまた紫虚上人でしょうか。


ワタクシは人形劇三国志が本当に大好きです。子供の頃は毎週放送を楽しみにしておりましたし、10年ほど後に再放送されたものはことごとくビデオに録画し、好きな話は何度も繰り返し観たものです。しかし、こんなワタクシにしてもどうしても擁護できない点が3つございます。即ち、

1.左慈が出しゃばりすぎる
2.呂蒙の扱いがひどすぎる
3.龐徳の声がせんだみつお

そう、左慈がですね、やたらと出張って来るのですよ。劉備の所にまで現れて幻術で惑わそうとするわ、曹操を催眠術で操ろうとするわ、もうやりたい放題でございます。左慈は他の人形たちと違って眼球が入っておらず、代わりに妖術を使う時に眼が赤く光るなど面白い所もあったのですが、あんまりしつこく出て来て幻術の大盤振る舞いをしやがりますので、しまいには「もういいよ」という気分になってしまいました。これが『水滸伝』だったら別に構わないのですよ、ええ、杖の一振りで狂風が吹きまくろうが、派手に幻術大会やらかそうが。最終的には公孫勝先生が出て来てエイヤッとやっつけてくれますしね。でも、三国志ではちょっとねえ。

(→右)呉コーナーは「碧眼紫髭」の孫権がいるのでそれと判りますが、孫権の横の周瑜以外はちょっと誰が誰やら判りかねます。後列のもみあげ延ばしてるのは闞沢かなあ?

(←左)こちらは魏コーナー。白面に三白眼の曹操が中央におります。向かって左の眼帯姿は夏侯惇に違いありません。右のひねくれた表情をしているのは曹丕でしょうか。

(→右)曹操の後ろにいるのは曹操以上に目つきの悪い司馬懿。

(←左)一番手前には董卓・王允・貂蝉・呂布の「連環の計」カルテットが。この4体、他と比べていやに作りが丁寧な気がします。再現度も素晴らしい。王允の首の突き出しようといったら。

(→右)手前の人たちは誰だかちょっと判りませんが、奥で悲しそうに空箱を抱えているのは荀彧ですね。その横は周瑜に一杯食わされた蒋幹でしょう。顔が実物の人形にそっくりです。
荀彧は正史でも、また正史を下敷きにしたフィクションである『三国志演義』でも、若い頃から曹操に使えた重鎮でございます。しかし人形劇での荀彧は、主君である曹操から空箱を贈られるという嫌がらせを受けて憂悶のあまり自殺するというエピソードのためだけに登場する老臣であり、正直「ポッと出」感が否めません。この人形劇では悪役である曹操陣営の参謀たちはたいがい性格悪そうな顔立ちに造形されておりますので、宦官の横暴に対抗する清流派の名士であり容貌も勝れていたという、要するに気骨ある美男子イメージの漂う荀彧のようなキャラクターは出しづらかったのかもしれません。不品行であったという割には真面目そうなイケメンに造形してもらった郭嘉とも被ってしまいますしね。


長野行レポ、さくさく進めるつもりが案の定川本喜八郎美術館の所でとどこおっておりますが、途中でやめるのも何ですので次回に続きます。

『ホドラー展』1

2015-03-13 | 展覧会
野良上がりのデブネコたちがごろごろしている所でロッキンチェアをゆらしているキアヌ・リーブスの膝に乗って人生相談めいたことを話している、という夢を見ました。いやそこはむしろヒューゴ・ウィービングでお願いしたいんですが。

それはさておき

フェルディナント・ホドラー展  兵庫県立美術館へ行って参りました。
展示室に入ってすぐの壁面には、画家自身や同時代人の言葉とともに写真が掲示されております。その内の1枚に、山高帽を被り、小太鼓を肩からぶら下げ、ばちを高々と構えた画家のおどけた姿が。どういう状況で撮られたものなんだかサッパリわかりませんが、なんとも微笑ましい。こんなお茶目な方だとは思いませんでしたとも。

冒頭に展示されているのはアルプスの夕景色を描いたドイツロマン派っぽい風景画でございまして、ええとホドラー展でしたよね,とちょっと戸惑いますけれども、これは土産物用の風景画工房で働いていた頃の作品なのだそうで。お茶の間のフリードリヒとでも言いましょうか、ご家庭の居間や書斎に飾ってありそうな観光絵葉書風の作品で、後年のホドラーを予感させる要素はほとんどございません。
しかしそこから振り返ると、向かいの壁には小品ながらすでにかなりホドラーホドラーしている『小さなプラタナス』tが。澄明な青空を背景にパキッと切り抜いたように描かれたか細いプラタナスと、遠近がある筈なのに妙にフラットに見える地面。坂崎乙郎氏のお言葉を借りれば「自然を描きながら、どこかしら非自然を感じさせる作品」(『夜の画家たち』p.79 平凡社ライブラリー)でございます。

その後リアリズム寄りの人物画や風景画を経て第三室へ進みますと、いきなり『傷ついた若者』やら『オイリュトミー』やらが現れまして、これよこれこれホドラーさん来たああ!と一気にテンションが高まります。


『傷ついた若者』(1886年)

陰鬱な岩山と野原を背景にパキッと切り抜いたように描かれた若者像。この人、のちの作品『夢』分離派展のポスターにも、なんとも唐突な感じで登場なさいますね。

右足の下に陰がなく、不自然なほどくっきりと内股のラインを見せているせいで、体の右半分が地面から浮いているように見えます。画家がそれに気付かなかったわけはないと思うのですが。いや気付かないどころか、右足と地面とが接しているきわの部分が、ことさら双方の境界を縁取るかのような筆致で描かれているのを見ますと、あえて不自然さを醸し出そうとしたのかとすら疑われる所です。
不自然と言えば、正面からフラッシュでもたいたような陰影の浅さもちょっと不自然。それに若者のかたわらに描かれていて、この絵の文脈を説明するはずだった「よきサマリア人」の姿を、画家はわざわざ塗りつぶしてしまったというのです。

その結果、絵としてのまた現実の風景としてのリアルさも、物語性も剥ぎ取られた「頭から地を流して草原に横たわる裸同然の若者」という奇妙な絵が成立することになりました。この絵の向かいには、「さまよえるユダヤ人」という物語性と「苦難の道を歩み続ける芸術家」というとりわけこの時代にありがちな象徴性とを背負わされた作品、『アハシュエロス』が展示されているのですが、この二作品、モチーフもその料理の仕方も、同じ年に描かれたとは思えないほど対照的でございます。


だらだら書いてまた途中で挫折しそうな雰囲気になって来ましたので、ここで一旦投稿します。

『月映(つくはえ)』 田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎 ―木版にいのちを刻んだ青春

2015-02-26 | 展覧会
このところ、やりかけたものの途中で力つきるということが非常に多くなっております。

それはさておき
和歌山県立近代美術館で開催中の『月映』 田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎 ー木版にいのちを刻んだ青春へ行ってまいりました。

いやあ素晴らしかった。こんなに充実した展覧会が、コレクション展を含めてたった510円で鑑賞できるなんて。まあ行き帰りに3000円くらいかかりましたけどさ。和歌山近美は建物も結構ですし、内容・点数ともに充実したいい企画展をやってくれますので、ワタクシ大好きな美術館です。それにしてもいつ行ってもガラガラと言っていいほどお客さんが少なくいので、いくら県立といえども経営状態が心配になります。近隣諸県の皆様、日帰り小旅行に和歌山近美、お薦めですよ。向かいに和歌山城もありますし。

それもさておき
タイトルにある『月映(つくはえ)』(大正時代に田中・藤森・恩地が発行した版画と詩の同人誌)のみならず、友人同士であった三氏のやりとりした直筆画入りのハガキや、『月映』の前身とも言える回覧雑誌『ホクト』や『密室』まで展示されておりました。いや眼福眼福。
浮世絵や木口木版のようなごく繊細なものは別として、木版画は技法がプリミティブであるが故に、それならではの素朴さや力強さがございます。西洋中世の木版画などを見て感じることですが、この木版画独特の素朴さ・力強さは、時には(とりわけ狙っているわけでもなかろうに)作品を妙にユーモラスに見せ、また時には(やはり狙っているわけでもなかろうに)怖さというか、得体の知れない、底の深いおどろおどろしさを醸し出すものでもあります。それは他の技法に比べて、線の荒さ、掘り残しや刷りのかすれ具合、紙に加えられた圧力の可視性といった、必ずしも制作者の意のままにはならない要素が大きく働くからではないかと思うわけですが、近代以降の、芸術作品として制作された木版画の場合、その不如意な部分をかえってうまく利用した表現がなされており、本展でもそうした奥深い表現の数々を見ることができました。

三者の中で最もよく知られているのは、おそらく萩原朔太郎と絡みのある田中恭吉で、その次が装丁家としても活躍した恩地孝四郎、そしてただ1人Wikipediaにも項目がないというありさまの藤森静雄はあんまりメジャーではないようですが、ワタクシはこの三者の中で一番好きです。


藤森静雄『自然と人生』

シンプルで大胆な画面構成、てらいのない線と面で表現された量感や明暗、モチーフも描写もぎりぎりまで切り詰めた寡黙な画面は、その優しい色調にもかかわらず、尾崎放哉の句のように心にぐさりと突き刺さって来ます。藤森に比べると他の2人は自分の心象を表現してやろうとがつがつしすぎなように感じられるのですが、これは個性の違いであって作品の良し悪しという問題ではありません。それに恩地は完全に抽象表現に移ってからは、饒舌さがなくなってカッコイイのです。

ところで1914年以降の藤森の作品には、ベックリンの『死の島』からの援用とおぼしき人物像がしばしば登場します。↓の作品の中では、『夜』『あゆめるもの』『水平線』『我はつねにただ一つの心のみ知る』などがそうです。

独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索

ベックリンは時にぎとぎと描きすぎて悪趣味に陥ることもないではなかった画家ですが(これとか、これ)とか、その対極とも言えるほど静かで内省的な藤森の表現に影響を与えたとすれば、なんとも面白いものです。
その登場頻度から見ても、作品中の位置づけから見ても、この人物像は作中における藤森の分身であろうと思われます。結核が猛威を振るった明治大正時代のこと。藤森自身は1943年、51歳まで長らえましたが、1914年の末には17歳の妹が、その翌年には盟友である田中恭吉が23歳で世を去っています。死を身近に感じながらひとり歩む身の不安や孤独、それでも歩まねばならないという決意を、このシルエットに託したのでございましょう。

大正時代はデカダンな一方で芸術に対する真摯な熱もあり、斜に構えたようでいてまっすぐな、悶々としつつも柔軟な、華やかなようで影のある、何かこう「青年」じみた雰囲気がございますね。その時代にまさに青年時代を送り、版に命を刻み付けるように表現した三人の作品展、本当にいいものを見させていただきました。

コレクション展も見ごたえがありました。寄贈コレクションの中には鴨居玲の「LOVE」シリーズの一点が。LOVEという標題でありながら、むしろムンクのいわゆる『吸血鬼』を連想せずにはいられない、鮮烈で不気味な作品でございます。今年は画家の死後30周年にあたるわけですが、また回顧展でもやっていただけないものでしょうか。

現代日本の若手作家が集まったコーナーでは、大西伸明さんの蚊取り線香の美しさに打たれました。

ART遊覧: 大西伸明展

まあそんなわけですっかり鑑賞レポートが遅くなってしまったわけですが、次回展『和歌山と関西の美術家たち リアルのリアルのリアルの』もかなり面白そうです。近隣諸県の皆様、和歌山近美、お薦めですよ。

2014年度『日展』

2015-01-12 | 展覧会
相変わらずやる気のなさMAXで記事の投稿が遅れまくりでございます。

それはともかく
京都市美術館で開催中の『日展』へ行ってまいりました。

印象に残った作品と作家さんをメモ的に挙げておきます。
日展のサイトで作品が見られるものはリンクを貼りましたが、実物と比べてがっかりするほど平板で、色彩的な魅力も乏しい画像になってしまっております。

・村山春菜「記憶:KYOTO」(日本画)
こちらで見られます。→公益社団法人 日展(日本美術展覧会)- 主な作品
村山春菜さんの絵は大好きなのです。2009年の日展で初めてその作品にお目にかかって以来、毎年楽しみにしている作家さんの一人です。
勢いと執拗さが渾然となった、ゴトゴトと力強くてちょっと猥雑な感じがたまりません。
同時代ギャラリー 村山春菜

当ブログ内での関連記事はこちら。
『日展』2 - のろや
2009日展2 - のろや

・鵜飼雅樹「椅子」(日本画)
こちらで見られます。→公益社団法人 日展(日本美術展覧会)- 主な作品
白い背景に椅子のシルエットが3つだけ。
ものすごくよかったのですが、どういいのか言語化するのが難しい、切り詰めた詩のような作品でした。

・上田とも子「ときめく街へ」(日本画)
上田さんの作品も以前の記事でご紹介したことがありました。
2009日展2 - のろや
都市特有の幾何学的な美、というモチーフ自体は現代日本画ではわりとよく見かけますけれども、上野さんの作品はものやわらかな押さえ気味の色彩がとても美しく、かつ描写に妙なてらいがないところが大きな魅力でございます。人間が作り、行き交い、生活していく場である「都市」というものの体温、そして視覚的な面白さを、冷静に、かつ愛情を込めて表現してらっしゃる感じがなんとも。
Art Annual online 上田とも子「美しき街」

・生島潔「It goes on-時間は続いてゆく」(日本画)
こちらで見られます。→東信ジャーナル[Blog版] | ◆「日展」2014「改組新第1回日展」 生島潔さん(56)が日本画で特選!=長野県上田市浦野= リンゴを見つめる自身の姿を描く!
象徴的な作品ながらあれこれ語りすぎない所がよろしいと思います。量感のある描写、虚をつかれたような男の表情、落ちかかるリンゴの鮮烈な赤に目を奪われる作品でした。


・李暁剛「井」(洋画)
こちらで見られます。→公益社団法人 日展(日本美術展覧会)- 主な作品
日展で目にするスーパーリアル系の人物画は、実を言うとそんなに心惹かれないものが多いのですが、これはグッと来るものがありました。早朝あるいは夕方の斜めに差し込む日差しの中、異国の女性が井戸で水汲みをしております。鈍く光る金属のバケツを片手に腰を屈め、巻き上げ用のハンドルに手をかけた女性の、その姿勢の確かさ。日常の中で何度となく繰り返されてきたであろう動作を、その繰り返しの日々ごと描き込んだような誠実な描写がとても美しく、胸を打つ作品でした。
李暁剛(リシャオガン)の世界

・森田隆司「どこに行く?」(陶芸)
これは...「ザムザ氏の散歩」へのアンサー陶芸でしょうか。イソギンチャク的、ナマコ的、あるいは巻貝的な形状の、ヘンテコリンな物体が、やさしい乳白色のからだをくるりんと外巻きに丸めて、そっくりかえっております。ぱらぱらと放射状に伸びた足(?)のリズム感が心地よく、仰々しさはまるでなく、何だかとぼけていて、変に可愛らしい。展示室内を移動しながらもたびたび振り返って見てしまう可愛らしさ。日展の会場ではあまりお目にかからないタイプの作品であったように思います。
森田 隆司 | 京都山科・清水焼の郷 清水焼団地


・坂本健「奪われた十の言葉」
こちらで見られます。→公益社団法人 日展(日本美術展覧会)- 主な作品
どこかエル・グレコの描いた人体を連想させる像でございます。極端に大きく反り返った姿勢、力なく垂れ下がる両腕、ふくらはぎから鋭く細まった痛ましくも強靭な足首、天を仰ぎながらも閉じられたままの瞳。大声で泣き叫ぶのでもなく、苦痛に顔を歪めるのでもない、深く激しい苦悶の佇まい。


そんなわけで
よい作品と巡り会うことのできた今回の日展ではございましたが、毎年楽しみにしている古澤洋子さんの作品が展示されていなかったのは、実に残念なことでした。出品はされているのに、何故京都に来なかったんだろう。







『野口久光シネマ・グラフィックス』

2014-11-30 | 展覧会
京都文化博物館で開催中の野口久光シネマ・グラフィックス展へ行ってまいりました。

氏のポスターデザインがとりわけ好きかと問われれば、実を申せばそうでもないのですが、膨大な作品のひとつひとつに各々の映画の魅力や見所を端的に表現するための工夫がこらされておりまして、実に見ごたえがございました。もちろん取り上げられているのは古い映画ばかりでしたので、中にはタイトルすら知らないものもありました。けれども親切なことに、ポスター作品には全てにその映画の概略と見どころを記した解説文が付けられておりましたので、知っている映画はそうよそうよと頷きながら、あるいはハテそうだったかのうと首を傾げながら、そして知らない映画はそうかそうかと興味をかき立てられながら、じっくりと鑑賞できました。

やっぱりパネルでの解説って重要だと思うのですよ。あってもどうせ読まないという人はまあそれでいいとして、プラスαの情報が欲しい人や、他者から提供される情報を加味して改めて作品を見直したい人だっているわけです。解説があるとそれだけで作品を見た気にさせてしまう、あるいは作品の見方を限定してしまうという懸念があるのも分からないではありませんが、そもそも解説ばかり読んで作品そのものにはチラッとしか目をくれないような人は、解説がない場合でもじっくり作品と向き合ったりはなさらないものです。というわけで「作品と玄人向けの解説だけ出しておけばいい」という姿勢は美術への間口を狭めることにしかならないと思いますよ京都国立近代美術館様。

さておき。

また会場内では、野口氏が宣伝部に勤めていらっした映画配給会社、東和映画の25周年を記念して制作されたという短編フィルムや、往年の名作が日本で劇場公開された時の予告編なども見ることができまして、これまたなかなかのお宝でございました。今では外国映画の予告編には日本語のナレーションが入っているのが普通でございますが、昔は技術的な問題があったためか、音声ではなく「乞うご期待!」や「美男美女が勢揃い!」といった予告用の字幕が画面いっぱいに踊るという形式だったようでございます。そのせいで、絶世の美男子ジェラール・フィリップのご尊顔の上にデカデカと宣伝文句がかぶさるというけしからぬ事態も起きておりましたが、まあ時代というものでございます。

時代といえば、ポスター作品は年代順に展示されておりますので、時が移るに従っての変遷が見て取れるのも面白いことでございました。戦前のものは横書きの文字でも右→左という進行方向で描かれているので読みづらいったらないのですが、色彩は淡く上品なものが多く、色の点から言えばこの時代のものがワタクシは一番好きでした。
時代が下ると「テクニカラー」という謳い文句が登場する一方、カラー映画であることを強調するためか、ややどぎつい色彩が使われるようになったという印象を持ちました。さらに進むとキャサリン・ヘップバーンやブリジット・バルドーといった比較的なじみ深い名前が出てくるようになり、最後にトリュフォー監督も愛したという『大人は分かってくれない』のポスターと対面しますと、戦前の『制服の処女』からヌーヴェルバーグまで、映画も世の中も野口氏もはるばるやって来たものだとなかなかに感慨深いものがございましたよ。



『上村松篁展』

2014-06-23 | 展覧会
クローゼおめでとう!
ひゃっほう!
と朝の5時から1人で大騒ぎだったのは昨日のこと。

それはそれとして

実を言いますと上村松篁氏の作品にはあまり心惹かれないのでございますが、同僚に「金魚の絵がいいから」と薦められましたので、やや重い腰を上げて上村松篁展 へ行ってまいりました。

近美のトイレが劇的に改善されていたのに感動したのはさておき、金魚を描いた作品は、確かにどれものろごのみでございました。他の花鳥画のように装飾的な方向へは持って行かず、写実に徹しているのが、ワタクシにはずいぶん好もしく思われました。

それから所々に展示されているスケッチが、たいへんよろしかったのですよ。
スケッチというものは、せめぎ合いのような所がございます。描く対象がよく動くものである場合は特に。
描こうとする者にはおかまい無しに、かたちをどんどん変えて行く対象、それを捉えようとする眼差し、そして紙の上に定着させようとする手。眼差しは対象のかたち、構造、動き、表情を必死で追いかけるわけですが、手には眼差しが捉えたもの全てを再現する時間がないため、「白紙」と「完全な再現」の妥協点として、少なくともこれだけは絶対にはずせない、という線だけを引いて行かねばなりません。手はその「絶対にはずせない線」を引くために、対象の本質を的確に捉えることを眼差しに要求しますし、眼差しは手に対してスピードと正確さを要求します。そうしたせめぎ合いの軌跡が、松篁氏のスケッチには臨場感満点で現れており、実にエキサイティングでございました。

翻って本画の方は、やっぱりあんまり心惹かれるものがございませんでしたけれども、前半の、いわば「インド体験」前の作品には、のろごのみな作品も散見されました。
例えば花咲くモクレンと雀たちを描いた『鳥影趁春風』。全体はほとんどグレーのモノトーンに押さえられた色調で、その中にすっきりと現れる白いモクレンの花も、静謐な画面にごく慎ましく動きを添える4羽の雀も、たいへんよろしうございました。
それからご自身のお子さんたちを描かれた『羊と遊ぶ』(モチーフはどうも山羊のようでしたが)。立った少女を中心に、片側に山羊、片側にしゃがんだ少年を配して三角形を形成する、安定した構成といい、てらいのない、おっとりとした描写といい、たいへん心なごむ作品でございました。ちなみにここに描かれている少年は敦之さんでございまして、御本人を知る人によると、激似なんだそうです)

というわけで、華麗な花鳥画より、こういう方向に進んでくれたらよかったのに、と無い物ねだりなことをつらつら考えた展覧会ではあったのですが、敬遠していた画家の別の側面を見ることができたのは、まことに有意義なことでございました。




『アンドレアス・グルスキー展 』

2014-04-24 | 展覧会
ジョディ・フォスターが同性婚なさったとのこと、おめでとうございます。
メル・ギブソンのコメントが聞きたい所ですな。

それはさておき
国立国際美術館で開催中のグルスキー展へ行ってまいりました。

ANDREAS GURSKY | アンドレアス・グルスキー展 | 東京展 : 2013.07.03-09.16 / 国立新美術館 | 大阪展 : 2014.02.01-05.11 / 国立国際美術館

巨大な作品ばかりかと思いきや、モチーフもサイズもコンパクトなものも展示されておりました。
例えば、初期の作品である『ガスレンジ』

対象に近づき、意味や文脈を排されたただの「もの」、そしてそこにある美を、黙々と写し取ったミニマルさがたまりません。
この即物的な美への視点は保ったまま、グルスキーは以降おおむね対象から引いて行く方向に進んで行くわけでございまして、引いて引いてひたすら引いたカメラによって捉えられた光景はその規模のあまりの大いさや密度、そして人工的な規則性ゆえに、ものによっては抽象絵画と見まごうほど「現実離れ」した絵となっております。

『ベーリッツ』

『バーレーン』

『香港、上海銀行』

その画面と対象の巨大さ。振り返って私たちはいったい何という世界で暮らしているのだろう、とあきれかえる一方、その大きさゆえに、かえって世界の一部分を写真で切り取るという試みの無謀さが表現されているようでございました。
見る人によっては、そこに何か社会的なメッセージを読み取ることも可能ではありましょう。しかしモチーフが証券取引所の喧噪であれ、ピョンヤンのマスゲームであれ、大空港や大規模農場であれ、写真そのものがとりわけ批判やメッセージ性を発しているということはございません。
むしろ対象が何であれ、写真家の目にハッと飛び込んで来たものの構成的・色彩的な美を追求している作品群かと。画像の組み合わせとデジタル加工といういとも非報道的な手法を用いて作られた作品もあることですし、少なくとも写真家自身の最初の意図としては「社会的なものを撮影しよう」というのはなさそうでございます。

ときにワタクシは例えば『99 セント』や、以前にもご紹介した、同じくドイツのロレッタ・ルクスの作品のように、これは何か加工を施しているなと一目でわかるような写真作品は好きですが、『オーシャン』シリーズのように、素の記録写真のようにしか見えないものをデジタル加工によって作り上げるということには、あまり積極的な意味を見いだせません。こういう手法でしか実現できない画面であるということはまあ理解できますけれども、「写・真」ではないのかという裏切られたような気分が先立ってしまい、美しい絵として素直に楽しむことができません。頭が固いんでしょうかね。

ともあれ。
始めに申しましたように、展示作品の中には小ぶりなものもございました。サイズは小さくとも印象は強烈でございまして、とりわけワタクシが
心打たれたのはゴミ捨て場(『スラムドッグ~』に登場するようなものすごい規模のやつ)を写したこの作品でございました。

『無題 XIII』

種々雑多なゴミがあきれるばかりの密度で重なり合い散乱するさまと、その上に白く広がる空の対比が素晴らしく、ゴミ山という決して気持ちがいいとは言えないモチーフであるにも関わらず、作品としては部屋に飾っておきたいほど静謐な美しさを放っております。なんかポロックのドリッピング作品みたいな写真だなあと思って振り返りますと、ちょうど向かいの壁にはポロックのドリッピング作品を写した大判の作品が展示されておりました。

さて、写真そのものにはメッセージ性はなさそうだと申しておいてナンではごいざいますが、山をうねうねと切り開いて作られた道路に小さな点としか見えない人々が散らばるツール・ド・フランスの風景やら、人とモニターと散らばる紙くずが渾然一体となったシカゴ証券取引所の様子やら、ほどんど曼荼羅のようなスーパー・カミオカンデの内部の写真やらを見ておりますと、よくも悪くも「人類ようやるわ」とつぶやきたくなるのでございました。

そしてまた、なんかもうそろそろ滅びどきだよなあ、なんてことも思わずにはいられないこってございましたよ。



『山口薫展』

2014-01-21 | 展覧会
何必館で開催中の山口薫展へ行ってまいりました。

山口薫というがかの作品を始めて見たのはいつのことであったか、定かではございませんが、画家の名前と作品をはっきり覚えたのは氏の作品2点が展示されていた2007年の『天体と宇宙の美学展』(滋賀県立美術館)においてであったかと。
2点とも、氏が晩年によく描いたという、太陽あるいは月の下に、画面の方向を向いてたたずむ馬たちをモチーフとした作品でございました。その寂しくもあり、どこか温かくもある、磨りガラスのような感触の表現に、ワタクシはいたく心を動かされたのでございました。

何必館にて昨年11月から開催されていた没後45周年展、美術館自体が小さいこともあってか、展示されている作品数は決して多くはございません。しかし卓上の静物を描いた小品から、抽象表現にぎりぎり近づいた詩的な風景画、牛と少女のいるおっとりとした叙情漂う作品から、愛犬を描いた素描など、いろいろな作品を見る事ができまして、晩年の油彩画しか知らなかったワタクシには貴重な機会となりました。

それに、何といっても絶筆「おぼろ月に輪舞する子供達」が見られただけでも、足を運んだかいがあったというものでございます。(↑一行目のリンク先トップに掲載されています)

何だかたまらない絵なのです。たまらない気持ちになるのですよ。
透き通っていて、しらじらと冷たいような、茫洋として温かいような、明るくて悲しい、何か。かそけさ。
子供たちのすぐ側まで降りて来たように大きなおぼろ月、月と同じかたちになって踊る子供ら、それを静かに見守る馬たち、真ん中に集められたやさしい色合いの花々(だと思う)。全てが、何と言ったらいいか、やはりたまらない、としか言えないのでございます。

この絶筆に限らず、山口氏はワタクシにとって、その作品の魅力を言語化するのがたいへん難しい類いの画家であるということを、今回つくづく思いました。それでもあえて言うならばその魅力は、例えば果物のほのかな香りのようなものでございます。
技量を誇るわけでもなく、何がしかのメッセージを強く主張しているわけでもなく、これといって特別ではないモチーフを扱いながらも、目に触れたとたんに、ふと胸を突かれて深々と吸い込みたくなるような何かが、そこにはあるのでございます。

そんなわけで
残り香を楽しむような心地で美術館を後にし、南座向かいの駐輪場へと自転車を迎えに行ったらば、1時間そこそこしか停めていないのに200円請求されたショックで残り香の大半は吹っ飛んでしまったわけでございますが、とにかく年初めによいものを見せていただいたものよ、としみじみする展覧会でございました。



『竹内栖鳳展(前期)』

2013-11-09 | 展覧会
辺見庸がうちにやって来てトイレの貯水タンクをなおしてくれる、というわりとわけの分からない夢を見ました。

【時流自流】作家・辺見庸さん「現在は戦時」 -- 神奈川新聞社

それはさておき

どうも身体の具合がかんばしくないわい、と思いながらも
京都市美術館で開催中の竹内栖鳳展へ行ってまいりました。

竹内栖鳳展 近代日本画の巨人/2013年9月3日(火)~10月14日(月・祝):東京国立近代美術館/2013年10月22日(火)~12月1日(日):京都市美術館

スケッチや下絵がもっと見られるかと期待していたのですが、そういうのは別の展示室で開催中の京都市美術館 > 展覧会案内 > 京都市美術館開館80周年記念展 下絵を読み解く ~ 竹内栖鳳の下絵と素描で展示中のようでございます。
こちらには後期展示の際に寄ることにして、いざやと会場へ入って行きますと、平日にも関わらずけっこうな人出でございました。

さもありなん。
可愛らしく心なごむ小品から、その構成力と描写の巧みさに圧倒される大作、そして誰もが一度は目にしたことがあるであろう有名作品まで、各種取り揃えのたいへん充実した内容で、美術好きな人ならずとも見ておいて損はなし、そして美術好きならば行かずには死なれまいというほどのものでございました。
ただ展示作品の量的な充実度ゆえのことではございますが、展示空間に余裕が鳴く、特に後半はややせせこましい見せ方にになっていたと思います。屏風などの大きな作品も含めてあれだけの数を、あの限られたスペースに並べるために、京都市美術館の皆様が相当骨を折ったであろうことは想像に難くはございません。よって文句を言うつもりはないのですが、作品ひとつひとつが素晴らしいだけに、窮屈そうな展示はなんとも勿体ないような気はいたしました。

さて市美や近美のコレクション展示でも、栖鳳作品がひとつでも出ているとたちまち嬉しくなってしまうのろさんではあります。初対面時の衝撃と感動が今も鮮やかな『雄風』(←リンク先一番下の絵)や『驟雨一過』(←リンク上から3番目の絵)、そして見るたびにほっこりする、とはいえ筆さばきの巧みさや鋭く徹底した観察眼にうならずにはいられない、『若き家鴨』『清閑』といった思い入れのある作品にも会うことができて、そりゃもうニコニコでございます。

また思い入れがあり、かつ初対面の作品というのもございました。
即ち栖鳳の代表作のひとつ『鯖』でございます。



高校生の折、美術の副教材の日本近代絵画のページに、福田平八郎の『波』と並んで載っていたこの作品を見て、ワタクシはそりゃもう大感動したわけでございます。あんまり素晴らしいので、サバという魚自体が好きになったくらいでございます。まあそれ以前にも別に嫌いだったわけではありませんけれども。
ブリッと引き締まったいかにも新鮮そうな姿を、最小限の筆致で描き出す技量、ハッとするほど鮮烈な青と絶妙なにじみ、誤摩化しのない籠の描写など、この絵を構成する全てが、高校生のワタクシにはほとんど奇跡のように思われたのでございました。
むろん実物のサバはここまで鮮やかに青くはありませんけれども、それがいったい何でありましょう。会場では多くの人が、この絵の前に立ち止まっては「うまそう」とつぶやいておりました。

そう、だって、サバでございますよ。
そのイメージは美的ななにごとかよりもむしろ「食」に直結している、とても卑近なモチーフでございます。例えば栖鳳がよく描いたライオンのように立派なイメージもありませんし、これまたよく絵にしたスズメや犬猫といった小動物のように可愛らしいわけでもございません。繊細とか風雅とか雄大さといった形容ともほぼ無縁でございます。そのサバを(しかも何の象徴性・物語性を持たせることもなく)ただただサバとして描いて、ここまでものすごい作品ができるというのも、冗談抜きで衝撃的なことでございました。

というわけで長年の憧れであったこの作品と、今回初めて実物にお目にかかれて、まことに感慨深いものがございました。これで体調が万全ならもっとよかったのですが。
幸いこの作品は11月24日まで展示されているとのことですから、後期展示に行った折にもう一度まみえることもできましょう。
素描展もとっといてあるし、いやあ後期も楽しみだ、とわくわくした気分で家路についた…

のでございましたが。
帰宅後、耳-首-顎にかけてリンパ腺がどわわっと腫れて、普段の貧乏顔が嘘のようにおたふく状に膨れ上がり、顔・首・手・腕には痒いけれどもアトピーともヘルペスとも明らかに違う正体不明の発疹がぶわわっと吹き出し、あまりのしんどさに仕事を2日間休まねばなりませんでした。
さてははしかか風疹かと疑い(もしそうならもう何日か休めるかしらん、とちょっぴり期待しつつ)病院へ行ったものの、熱がないのでそら違う、とそこはあっさり否定され、とりあえず薬を貰って帰って来ました。おかげさまで大分楽にはなったのですが、まだ病原が身体のあちこちを移動しているようで、ここかと見ればまたあちら、と渚のシンドバッド状態で腫れと発疹が出ます。痒さのあまり夜中に目が覚めるというのも、アトピーが一番酷かった高校の時以来のことでございます。
何なんでしょうか。高校時代リバイバル月間なんでございましょうか。
だったら「キッチュのバーチャルプレイゾーン」がネットラジオで復活、とか、橋爪功の朗読による吉川英治『三国志』の再放送とか、レニングラード・カウボーイズ来日とか、木城ゆきとが無印『銃夢』の頃のような濃密な作風に戻るとか、そういうのがあったら嬉しいんですが。

あと消費税も3%に戻るといいなあ。…..



当ブログにおける竹内栖鳳関連の記事は↓こちら。もっとあるかと思ったのですが、二つだけでした。
のろや 竹内栖鳳




『泥象  鈴木治の世界』展

2013-08-12 | 展覧会
東電幹部の皆様が「気温40度くらいまで猛暑になれば、議会、世論ともに再稼働容認になるだろうとか、つい期待して」「あがれ、あがれと新聞の天気図に手を合わせて」いらっしゃる効果でしょうか、このところ猛暑が続いておりますね。(しかし今年はちっとも電力足らん足らん言いませんなあ)
驚愕! 東電幹部 原発再稼働へ向けて猛暑を念じ、経産省幹部へメール(dot.) - goo ニュース

ワタクシ暑いのは好きな方ですけれども、何せ育ちが北国なので、最高気温37℃ととか38℃と聞くとちょっとひるみます。
で、避暑がてらにという軽いノリで『泥象(でいしょう) 鈴木治の世界』へ行ってまいりました。
軽いノリで出かけたのではございますが、これがまた、たいへんいい展覧会でございました。

京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyoto

避暑がてらなら涼しいうちに行っとけばいいのに、なんだかんだで結局いいかげん日が高くなってからおうちを出ることに。のろさん絶対こうなる。風景がゆらゆらする中、正午前ごろに美術館に到着し、哀れな自転車君を炎天のもとに残して館内へ。コインロッカー室でdakara500mlを一気飲みしてひとまず涼を取り、汗がひくのをしばし待ったのち、いつもののごとく白い階段をとんとん上がってまいります。

3階の展示室入り口に立ちますと、一見して展示作品数がかなり多いこと、しかもバラエティに富んでいることがわかります。その上に遠目から見ても心惹かれる、面白そうなかたちたちが大勢いらっしゃるじゃございませんか。チケットを切っていただきながらあたりを見回して、ああ来てよかった、と早くもほくほくしたものでございます。

冒頭を飾るのは1950年代、即ち鈴木氏20代~30代半ばの作品でございます。それぞれ作風はかなり異なるものの、「まだまだ実験中」という未熟な感じはいたしませんで、それぞれの方向で完成の高いことに驚くわけでございます。植物などの具象的なモチーフを描いた色あいも肌あいも優しい花器もあれば、ポロックが絵付けしたようなジャジーな柄の壷もあり、八木一夫に通じる軽やかさのあるオブジェもあり。そのどれもがいいんですな。
お父上が千家御用達のろくろ職人で、早くからろくろ使いの手ほどきを受けられたとのこと。陶芸家を志したころにはもう技術を充分身につけていらっして、そのぶん初めから自在な表現が可能であったということでございましょうか。

さらに進んで行きますと、仮名を模様として扱った作品や、洗練された土偶や埴輪を思わせるヴォリューム感のある作品、「走れ三角」といったユーモラスなオブジェもあれば、吸い込まれそうな色合いの青磁の茶碗といった直球な作品もあり、なんとも多彩でどんどん楽しくなってまいります。
ときにこの「走れ三角」、造形的にものすごく優れているというわけでもないのですが、不条理なタイトルも、短いパイプみたいな”足”でえっちらおっちら走る三角錐というヘンテコなモチーフも、たまらなくのろごのみな一品でございました。青磁でなかったのはちと残念でしたが、もう少し小さかったらひとつ机上に欲しいぐらいでございました。
持っててどうするんだって。眺めてにこにこするんですよ。



ところで本展で特筆したいことは、展示の構成やライティングがとてもいいということでございます。全体を見ても部分を見ても、空間的なバランスや色の対比がとても心地よく、ワタクシは移動するたびに立ち止まってぐるりを見渡したり、展示室間を行ったり来たりして、視界が変わった時のハッとする感覚を味わったりしたのでございました。

部分ということで言えば、例えば「寿盃(じゅっぱい)」と題された青磁の盃セット(もちろん全部で10個)。別の展覧会のチラシですが、作品の写真をこちらで観られます。
普通のぐい飲みサイズから、リカちゃんのサラダボウルぐらいの大きさのものまで、少しずつ大きさの違う、マトリョーシカみたいな盃でございます。本展ではこれをただ一列に並べるのではなく、一番大きい盃を中心として、だんだん小さいものへと、くるりと螺旋を描くように並べてあるんでございますね。これが各々の盃の表面につけられた、ゆるく旋回する縦方向の溝に呼応しておりまして、作品の清楚な魅力をいっそう高めているようでございました。

全体ということで言えば、例えば、大きめの陶作品を展示室の片側に集めた、思い切って広々とした空間の次に、101個もの手のひらサイズの青磁たちが迎えてくれる小部屋が控えておりまして、これなどは思わず、わあ、と声を上げたくなるような素敵な演出でございます。

さて、展示後半になると作品の抽象度、といいますか削ぎ落し度、が高くなってまいります。もの柔らかな輪郭、温度を感じさせるグラデーション、おおらかなヴォリューム感に、円みやトンガリの風情など、ちょっと絵本『もこ もこ もこ』でおなじみの元永定正氏の造形を彷彿とさせます。
いかにも前衛陶芸という感じがするわけですが、その一方で酒器や香盒といった実用品も作ってらっしゃるのですね。息抜き的に細作されたものか、遊び心が感じられるものも多く、実にかわいらしい。
また、ずっと作品を見てまいりますと、こちらも鈴木氏の造形言語に慣れてくるわけです。そうすると展示も後半になりますと、ほとんど抽象にしか見えないような形態をした作品でも、あ、これは鳥ですね、こちらは蝉ですね、とモチーフを判じるのが容易になっているんですね。これまたなかなか面白いことでございました。

”「使う陶」から「観る陶」、そして「詠む陶」へ”という本展のコピーが語る通り、後半へ行くに従って、氏の作品はほんのり文学的な様相を帯びてまいります。といっても文学作品がテーマに掲げられるということではございませんで、作品そのものが、語られない物語をはらんでいるような、あるいは前後の時間の流れ、即ち来し方・行く末を含んでいるような、ひそやかな文学性でございます。あんまりひそやかで、藤平伸氏(奇しくも同じく京都五条坂出身)の静かな詩情と比べてさえ、寡黙すぎるくらいなものでございます。藤平作品が宮沢賢治の『やまなし』あたりだとすると、鈴木作品は八木重吉の四行詩あたりになりましょうか。

第一室の眺めからは、どういう方向にでも進みうる人と見えましたが、振り返ってみますと、ほのかに文学性をまといつつ抽象と具象のあわいを行くかたち、というのは、この上なく自然な着地点のように思われるのでございました。
着地点といっても、そうした表現形式がもとから確立されていたわけではなく、八木一夫らと共に戦後の現代陶芸を牽引していらっした鈴木氏が、模索を経て開拓されたものでございます。
しかし氏の作品を前にしますと、牽引とか開拓といった大仰な言葉は、いかにも似合わないような気がいたします。
それは簡潔に、しかし暖かみを持って造形されたかたちたちが、寡黙な表層の奥から、ほんのりしたユーモアや、ひそやかな詩情でもって、観る者に親しく語りかけて来るからかもしれません。

『ボストン美術館展』3

2013-04-25 | 展覧会
4/22 『ボストン美術館展』2の続きでございます。

さて、目的であった絵巻を見てしまうと、一仕事終わったような心地になりまして、狩野さんの金屏風やら長谷川等伯の竜虎図やらを眺めつつぶらぶらと進んでまいります。
こういう散漫な見方をするのはたいへん勿体ないことでございます。しかし年々歳々、一目見て気に入らなかったものにはそれ以上の時間とエネルギーを費やしたくない、というけちくさい心性が強まっておりまして、パッと見てグッと来なかったものの前ではつい歩みが速くなってまうのでございました。
こういう鑑賞方法は実際、省エネではあるのですが、毛嫌いしていたものを改めて見直すとか、自分からその作品や作者に歩み寄ってみるとか、せめてどうして嫌なのかという点をじっくり考える、という機会をはなから放棄しているということであり、とても誠実な鑑賞態度とは申せません。
いつまでも生きられるわけではないからには、せめて好きなものに時間とエネルギーを集中させるべきか。
あるいは、いつまでも生きられるわけではないからこそ、せめて今目の前にあるものとできるだけ誠実に対峙するべきか。
てなことをうだうだ考えている間に死んじまうんだろうなあ。

さておき。
そんなぐあいでちょっとだれて来た所へ颯爽と、ではなくむしろ飄々と、いとうさん登場。
のろさんがいとうさんと言ったら伊藤若冲さんのことでございます。



いとうさんの生き物愛をひしひしと感じる、なんとも可愛らしい鸚鵡図でございます。
くく~っと立ち上げたトサカの固いような柔らかいような質感もさることながら、尾羽の付け根にふさふさとかぶさる下腹部分の羽の繊細な描写がたまりません。
ボストン美術館はいとうさんの作品もけっこう持ってらっしゃるようで、鸚鵡図といえば、本展には来ておりませんけれどもこんなのもございます。
きゃっ。
もう卒倒しそうな愛らしさ。
やっぱり、いかに華麗でも想像で描かざるをえなかった鳳凰の絵なんぞより、実物の観察に基づいたこういう作品の方がずっと魅力的だと、ワタクシは思いますよ。

今回来日しているのはこの一点だけかと思いきや、何と珍しい、人物画(羅漢図)があるじゃございませんか。

しかし主役の羅漢たちよりも、添え物である木の描写がのびのび&独特すぎて、ついそちらの方に目が行ってしまいます。
いとうさん、絶対人物よりも楽しんで描いてるでしょう。わかりますよ。

後半の展示品の中では、宗達派の絵師による『芥子図屏風』も印象に残りました。
これが左隻、こっちが右隻
金地の背景にポポンポンポンと心地いいリズムで芥子の花が立ち上がり、赤、白、緑のミニマルな装飾性が醸し出す味わいは、セリのおひたしのように爽やかでございます。
あまりにも後味爽やかなので、いっそこのまま帰りたい所ではございました。ところがどっこい、この後には怒濤の蕭白部屋が控えているのでございます。

さあ、東の蕭白、西のルーベンス。
何の番付かって。
「すごいけど好きじゃない画家番付」でございます。ちなみに大関は梅原龍三郎とウィリアム・ブレイクあたり。
それでも中盤あたりで鑑賞できたら、もっとじっくり向き合う気になれたと思うのですが、今回はそろそろほうじ茶でしめたいタイミングでビーフストロガノフ バターライス添えを出されたような心地であり、ぐったり疲れて早々に退散してしまいました。
大作ぞろいだったのに、なんてもったいない。こういうことをすると5年越しくらいでじわじわと後悔が押し寄せるんでございます。そうはいっても、あの押しが強くアクも強くケレン味も強い作品群にぐるりを囲まれるのは、おしくらまんじゅうの中心でぎゅうぎゅう押しまくられるような感じで、なかなかにしんどかったのでございますもの。

そんなわけで
例によって昼食抜きで夕方まで入り浸っていたわけでございますが、気分的には芋粥をよばれた五位のごとくお腹いっぱいで、とはいえ五位とは違って幸福な満腹感とともに美術館を後にし、食後酒代わりにピーター・バラカンさん著『ラジオのこちら側で』を読みつつ、いい気分で帰路についたのでございました。



『ボストン美術館展』2

2013-04-22 | 展覧会
BBC World Service でボストン爆破事件の続報を聞いておりましたら、ウォータータウン在住の記者が「これは普通の発砲(ordinary gun shooting)ではないと思って外に飛び出し...」と言っておりまして、ああ、アメリカには「普通の発砲」と「普通じゃない発砲」というのがあるんだなあと、ぼんやり思ったことでございました。


それはさておき
4/19 『ボストン美術館展』1の続きでございます。

大阪市立美術館は、ワタクシがあまり足しげく通う美術館ではございません。
ロケーションにも建物にもいまいち馴染めず、地下鉄の空気も苦手なため、行き帰りだけでなんだか疲れてしまうからでございます。
そんなわけで、大規模な展覧会があっても、よほど魅力的なものが出ていないかぎりは足が向きません。
本展におけるよほど魅力的なものとは何だったかと申しますと、『吉備大臣入唐絵巻』と『平治物語絵巻 三条殿夜討巻』でございます。
冒頭の仏教美術セクションが終わった所で、満を持してのご登場。

小さい画像ですが、展覧会の公式HP↓で絵巻の一部(解説付き)をスクロールで見ることができます。
第二章 海を渡った二大絵巻|特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝

いやっ
もう、
すごかったですよ。
何がすごいって、7世紀以上の時を経ても色あせない娯楽性と芸術性がでございますよ。
娯楽要素が強いのは『吉備大臣入唐絵巻』の方でございまして、登場人物のユーモラスで生き生きとした表情や動作は、まるっきり漫画でございます。ご老体がエッチラオッチラ階段を上がるのを手伝っている人物には「さあ爺さん、上がった上がった」、口を開けて眠りこけている従者には「ムニャムニャもう食えません」てな感じで、思わず吹き出しをつけたくなります。

楼閣の上に閉じ込められた吉備真備の前に表れる幽鬼(どう見ても赤鬼)が実は先輩遣唐使である阿倍仲麻呂の亡霊でした、という展開は、ちょっと仲麻呂さんが可哀想すぎるような気がいたします。でもまあ、その後は吉備大臣を助けて超能力ばんばんの大活躍をなさいますから、まず当の仲麻呂さんも絵師たちをたたったりはなさらず、草葉の陰で苦笑いするくらいで許してくだすったことでしょう。
いつの時代であろうとも、主人公のサポート役というのはなかなかおいしいポジションでございますもの。

笑いどころ満載のこの絵巻において、ワタクシにとって一番ツボであったのは、唐の偉いさんたちから与えられた難題を吉備大臣が楽々とクリアしたために「帰り道で驚きのあまり自ら傘を持ってしまう使者」でございました。
キャプションがなければ気づかない所ではございましたが、確かに少し前の、吉備大臣のもとを訪れた場面の絵ではこの使者殿、大きな日傘を従者に持たせているんでございます。それが帰り道では使者自らが傘をさし、呆然のていでぽくぽく馬を進めております。

ちなみにこんな絵。



いえ、もちろん吹き出しはありませんでしたが。
おそらくは傘持ち係だった従者の「えっ俺どうしたらいいの?」と言いたげな表情もナイスでございました。

さて”吉備大臣の大冒険 ☆ in China”の絵は内容に即してわりとユルめであるのに対し、『平治物語絵巻』の方はそりゃもう文句なしのうまさでございます。黒をたくみに配する引き締まった色彩センス、場面の緩急、自然な群像表現、当時の風俗を伝える精緻な描写、まさに国宝級というやつでございます。国宝なるものがどういう基準で選ばれているのかは存じませんけれども。

とりわけ燃え上がる三条殿の表現は圧巻でございました。
国立国会図書館のサイト↓で全巻見ることができます。かなり拡大できます。

国立国会図書館デジタル化資料 - 平治物語〔絵巻〕. 第1軸 三条殿焼討巻

絵巻物なので場面は右から左へと展開してまいります。
事件を聞きつけて、左へ左へと馳せ参じる牛車や検非違使や野次馬たち。実際の事件が起きてから絵巻が描かれるまでに、約100年の隔たりがあるのでございますが、不安げな視線を交わす人々や、飛ばされないように烏帽子を抑えて走る人物など細部の描写には、報道写真のような迫真性がございます。
激しい動きを伴って右から押し寄せて来た群衆は、画面左端に表れた規則的な縦のラインと涼やかな緑色の御簾によっておだやかにせき止められ、事態は一旦落ち着くかに見えます。


© 2012 Museum of Fine Arts, Boston

...と、画面の左上に、かすかな白い煙と火の粉が。
続いて炎の先端がちろちろと桧皮ぶきの黒い屋根の上を這い回ると見るや、その黒色はたちまちもうもうと吹き上げる煙の黒と混ざり合い、気づけば画面はもう半分以上が炎と煙とに覆われております。さらにその炎煙の下では武者たちが火の粉をかぶりながら、馬上で矢をつがえたり、逃げ遅れた官人の首を切ったり、隠れている者はないかと床下を覗き込んだりと、生々しい襲撃シーンが繰り広げられております。

さらに左へ進みますと、火の粉まじりの赤黒い煙と爆発のような激しい炎が建物を舐め尽くして地獄絵図のような様相を呈してまいりまして、おいおいこれどう収拾つけるのよ、と不安になって来た頃合いにふと炎がとぎれ、漂う黒煙の中からダダっと駈け出て来た二人の騎馬武者が左方向への推進力を引き取った所で、火事の場面は終わり。
炎や煙の向きから、風が左から右へと吹いていることが分かるので、ここで炎が急に途切れることには何の違和感もございません。
クライマックスで吹き荒れる炎の激しさは、武者たちや逃げ惑う女房たちの騒然とした動きに引き取られつつ次第にフェイドアウトして行き、拉致された上皇の牛車をかこむ群像によって今一度、やや穏やかな盛り上がりを見せた後、黒馬に乗った一人の武者(源義朝?)へと自然に集約して終幕を迎えます。
なんと見事に構築されたスペクタクルではございませんか。
引いて見ても寄って見てもすごいの一言。まさに至宝というべきでございましょう。

また保存状態が素晴らしく、つい最近描いたかのような鮮やかさは驚くばかりでございます。大正12年(1923年)に売りに出されるまでは、どこの誰が所蔵していたのか確実には分かっていないようですが、昭和7年(1932年)にボストン美術館に購入されてからは、同館で適切に大切に保存していただいているようです。しかしこの大傑作に9年も買い手がつかなかったとは。その間に変な所へ流れて行ったり、「死んだら一緒に棺桶に入れてくれ」なんてことを言う個人の蔵に収まってしまわなくて、本当によかった。
ブログ等を見ますと「日本に返してほしい」というご感想をしばしば見かけますけれども、別に強奪されたわけではないのですから、「返して」というのはちょっと違うのではないかしらん。


次回に続きます。

『ボストン美術館展』1

2013-04-19 | 展覧会
大阪市立美術館で開催中の特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝へ行ってまいりました。

狩野派も曾我蕭白もさして好きではないワタクシにとっては、見どころが前半に集中した展覧会でございました。
しかしその傑作密度の濃いことといったら。

まずのっけから、本展の目玉のひとつである『馬頭観音菩薩像』が三面六臂に憤怒の形相でお出迎えくださるわけです。仏画のよさがあんまりわからないのろさんにしても、これはもうBOSSの名作CMのごとく「ガツンと!」来るものがございましたとも。



描かれたのは平安時代末期とのこと。貴族社会の趣味を反映してか、真っ赤な身体に恐ろしい風貌でも、荒々しい印象はございません。
菩薩の顔や身体をふちどる強靭な輪郭線に対して、光背や蓮台や衣の装飾はなんとも繊細優美で、剛柔併せ持つ荘厳さを醸し出しております。強いシンメトリーを手や足の表情でわずかに崩しつつ、菩薩の胸部を中心として何重もの円を描くよう配慮されたポーズや、赤・金・緑を効果的に配した色彩のバランス、どこを切り取っても画工のセンスと力量の高さがほとばしる傑作でございます。

そのちょうど向かいに展示されていた、平安~鎌倉時代作の『毘沙門天像』もたいへん結構なものでございました。
炎をなびかせ衣をひるがえし邪鬼を踏んづけて颯爽と立つ、いわゆるドヤ顔の毘沙門さんも、一人一人個性的な顔立ちをした取り巻きの夜叉たちも、表情豊かで面白い。向かって左下の吉祥天はまあ普通の、無個性な美人さんでございますが、夜叉たちは身近な人をモデルに描いたのではないかと想像されるほど個性豊かで、愛嬌がございます。
絵本『かいじゅうたちのいるところ』でモーリス・センダックがしたのと同様に、約700年前にこの作品を手がけた絵師もまた、何食わぬ顔で親戚のおじさんやおばさん、あるいは同僚の顔を化け物風にアレンジして描いたのかもしれないと思うと、祇園精舎の鐘がごんごん波の下にも都がございますぼちゃんぼちゃんでいいくにつくろうの時代もぐっと近しく感じられるのでございました。
腰紐が蛇だったり、居眠りしている奴がいたり、踏んづけられた邪鬼が困り顔をしていたりといったディテールも楽しい。装束や持ち物にはそれぞれ象徴的な意味があるのかもしれませんけれども、そうした仏像ウォッチングの知識がなくても、充分楽しめる作品でございました。

さて仏教美術が続きます。
狩野さんたちの良さが分からないのと同じくらい、金ぴか大耳しもぶくれな仏さんのありがたさもいまいち分からない、ばちあたりのろではございます。しかし、なんだなんだこれはやけにイイじゃんかと遠目にも惹き付けられ、寄ってみたらば快慶の作でございました。

Miroku, the Bodhisattva of the Future -Kaikei, Japanese, active 1189?1223 | Museum of Fine Arts, Boston

衣の表現の流麗なことといったら。少し身体から浮かせてあるあたりがニクイではございませんか。また肩から腕にかけての写実性がものすごく、特に右腕は今にも動き出しそうでございました。
ほんの少し反らした指先、ほんの少し踏み出した右足、緩やかなS字を描く体躯、いやもう気品の極みでございます。色々な角度からじっくり見られるよう、独立した展示ケースに収められているのも嬉しい。
「現存作品中で最初期の作品」なのだそうで。最初期というのが何歳ぐらいのことなのか分かりませんが、こういうのを見ますと、やっぱり天才ってはじめから天才なんじゃろうなあと思わずにはいられません。


次回に続きます。