のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

交代

2009-08-31 | Weblog
...は、いいとして
正直ちょっと民主サンが勝ち過ぎかなあと。
ワタクシとしてはもう少し左寄りな皆さんにも食い込んでいただきたかったのですが。

オバマ大統領もそうなのですが、期待が大きいとコケた時の反動もまた大きいわけですし、よしんば大きな失敗がなかったとしても、何がしかの派手な成果が見られないと支持率は落ちて行くわけで、そういう点もちと懸念しているのでございます。もしこの体勢下で民主離れが起きたら、次の選挙以降また50年ぐらい自民サンの天下になってしまうんじゃないかしらん、と。

もっとも今回は自民サンを落とすためにあえて民主サンに投票したというかたも少なくないことでございましょうから、得票数がそのまま民主サンへの期待というわけでもないかもしれませんね。
いずれにしても当選された皆様には誠実にかつ冷静に頑張っていただきたいものですし、ワタクシども有権者も誠実にかつ冷静見守って行かねばならぬ所でございます。

佐川美術館2

2009-08-28 | 展覧会
嫌な人間になろう嫌な人間になろうと努めているような気がいたします。
実際はただ単に愚かなだけなのであって、いずれにしても何の慰めにもなりませんや。

それはさておき
8/25の続きでございます。

企画展示室を出て佐藤忠良館へ。
かれこれ20年ほど前になりますか、地元の美術館で佐藤忠良が開催されまして、子供であったのろも足を運びました。
瑞々しい肢体が形成するバランスの妙、小さな像からも漂う存在感に感歎しつつも、子供の目から見た忠良作品はなぜか少し怖かった。今思えば、まさにその厳しいバランスと、もの言わぬ像が発する碓とした存在感こそが怖かったのかもしれません。

展示室を出ますとミュージアムショップが。絵本原画展に合わせて絵本がらみのグッズがいろいろ並んでおります。象のぐるんぱの、ものすごく可愛いぬいぐるみもございました。ものすごく可愛いので思わずなでなでして、なでなでしただけで買いはいたしませんでした。実に嫌な客でございます。

ショップを出ると残るは樂吉佐衛門館でございます。のろはお茶道具にはあまり興味がございませんが、せっかく来たのだからと貧乏性を発揮して入ってみることに。



1:階段を下りて行くと
2:水底のような空間が広がっておりました。
3:水面のゆらめきが光のゆらめきとなって降り注ぐ中を
4:人々が影絵となって通り過ぎて行くのでございました。

展示室に入ると、細心の配慮をもって配された照明のもとにひたすら楽茶碗が並んでいるという、おそろしく贅沢な空間が広がっております。赤楽茶碗のほんのりと優しい色合いが心に残りました。

美術館を出たのが13:00前ごろ。暑いさ中、湖東の湖岸路を南下して帰路につきます。



5:空は夏らしくとも田んぼはそれなりに色づき、日差しはあるものの風も涼しく、もはや晩夏の趣でございます。今年は本当に夏が短かった。
右手に琵琶湖を望む方向で合っているはず.....とはいうものの、なにせ方向音痴をもって自ら任ずるのろのことでございますから油断はできません。本当にこの方向でいいのかしらんと不安を抱きつつひた走ります。
思うに、どんなにきつい上り坂であっても、正しい道を辿っているという確信があるときはそれほど辛く感じないものでございます。あと少しさ、あと少しさと自分を励ましつつ、周囲のちょっとした風景にことさら喜びを見いだしたり、頭の中で好きな音楽を鳴らしたりして、けっこう楽しく乗り切れるものでございます。その逆に風光明媚な快速路であっても方向に確信が持てないときは、何となく心楽しまないものでございます。
人生という道行きにおいて確実に後者のルートを辿っているのろ、あんまり長く続かないといいなあと思いつつ今日もたらたらと走るのでございました。

さておき。

どうにかこうにか近江大橋に到着。(前回の記事で近江大橋と書いたのは琵琶湖大橋の間違いでした。訂正済み)ここで湖西に渡り、無難に国道を通って帰京することにいたしました。

6:橋の途中にまた魚が落ちていました。
「また」とは何だといぶかしんでおいでのかたはこちらをご参照くださいませ。→琵琶湖一周レポ1 - のろや
その下は、国道1号線の道ばたにいらっしたとかげさんでございます。近づいて行ってもこのポーズのまま微動だになさいません。その胆はあっぱれなれどお主すでに見つかっておるぞえ。尻尾が切れて全体的に寸詰まりな体になっておりますが、なかなか立派な体格の持ち主でございます。ちょっとお腹のあたりを触ってみたかったのでございますが、彼の寿命を縮めることになりそうなので、よしました。

7:前後いたしますが、国道1号線に入る前、近いので義仲寺に立ち寄ってみました。ついででごめんよ、よしなかくん。小さいお寺とは聞いておりましたが、想像した以上にこぢんまりとしておりました。
のろはお墓や位牌に向って「安らかにお眠りください」とつぶやけるほど殊勝な人間ではございません。そしてもちろんお寺という場所は、お墓と位牌がある所でございます。よしなかくんのお墓と「巴塚」、そして松尾芭蕉のお墓が仲良く並んでおりましたが、のろはこの場で何を感じ何を考えるべきなのか分からず、ただ形ばかり手を合わせてみたのでございました。境内にいた亀やら蝶やらをカメラにおさめつつ、手持ち無沙汰にぶらぶらしつつ、案内のリーフレットに目を落とすと、いつしか自分がよしなかくんよりも年上になっていたことに気付きました。
ふと見ると「俳句みくじ」なるものがございます。竹筒の形状に誘惑されてひとつ引いてみると「半凶」でございました。

国道を辿って京都市内に入り、走りやすい御池通をひたすら西進して5:00過ぎに帰宅。

8:ふなずしパイ。草津の道の駅で買いました。なにせ鮒寿司でございます。のろは残念ながらまだ口にしたことはございませんが、くせの強いことはかねがね聞き及んでおりましたから、どんなものすごいシロモノかしらと期待して買ってみました。で、夕食後にさっそく開けてみましたら、何も凄まじいことはなく、塩気のきいたおいしいパイでございました。安ワインのおつまみにいただきました。


佐川美術館行レポートは以上でございます。
わりと無理なく行ける距離ということが分かりましたので、そのうち今回の帰路で看板を見かけた琵琶湖博物館にも行ってみようかなあと思っております次第。


佐川美術館1

2009-08-25 | 展覧会
よい人間にはなれますまい。
なれまいと思っているからには本当になれますまい。かくて無限に後退して行く。

それはさておき

自転車を駆って佐川美術館へ行ってまいりました。
国道1号線にもいいかげん飽きたので、北白川方面から山越えすることにしました。このルートをとるのは10年ほど前に初めて琵琶湖一周をした時以来でございます。

美術館の開館時間は9:30。距離からして片道3時間半の行程と見積もり、6:00に出発いたしました。
まだ車の少ない市内を快適に走って7:00ごろ北白川別当町の交差点を過ぎ、山に差し掛かる手前の駐車場で朝ご飯休憩をとって山越えでございます。



1.登り口で出会った猛犬。
2.上り坂を行くこと延々40分。途中で狐らしき動物の礫死体に遭遇。なんまいだぶ、なんまいだぶ。日が高くなるにつれて蝉たちが鳴き始めました。
3.ここから下り。いやっほぅ!左下に写っているコンクリ塀によじ上って撮ったのでございますが、とっかかりが無いので下りるのに苦労しました。ペダルを漕がずともずんずん加速する快速下り坂道なのにブレーキをかけてそこそこ安全運転してしまう意気地なさよ。何だかんだ言ってもやっぱり命が惜しいんだな、のろよ。

以前このルートを辿った時には、途中でバテてかなりの行程を自転車を押し押し歩いた記憶がございます。今回は一度も自転車から下りることなく山越えすることができました。トシをとったのに体力は増したのか、それとも自転車の乗り方がうまくなったのか。
街に出て平坦な道を走ること約1時間、弓なりになった琵琶湖大橋を渡れば目的地はもうすぐでございます。琵琶湖大橋、大型トラックが通るたびにぐわんぐわん縦揺れいたします。「私が通っている最中に壊れるに違いない」という確信めいた思いを抱き、ガラガラと崩れる橋梁と、瓦礫に打たれながら湖中に落ちて行く自分をありありと想像しながら渡橋。これだからジェットコースターのたぐいが駄目なのでございますのろは。

ともあれ9:25、美術館に無事到着。
休憩時間も含めて約3時間半、あまりにも予測どうりで何だか拍子抜けしてしまいました。
実は10年前の琵琶湖初巡りの際にも、この美術館の外観だけは拝んでおりました。中に足を踏み入れることなく立ち去らねばならなかったのは、雨に降られて全身ずぶ濡れだったからでございます。寒かったっけなあ。5月だったし。



4:無理矢理パノラマ写真。水盤の上に佇んでいるような建物でございます。
5:はり出した軒に水面の照り返しが美しい。
6:うるわしのトイレ。
7:ガマが植わっております。

順路ということで、まずは平山郁夫展示室へ。
旅先の人々や仏教遺跡をスケッチ風に描いた作品が多く展示されておりました。院展でお見かけするばかでかい作品よりも、のろはこうした力みのない小品の方が好きでございますね。

平山展示室を抜け、水の上に佇む佐藤忠良の少女像を見やりつつ企画展示室へ。
8/30まで開催されているのは「太田大八とえほんの仲間たち展」でございます。
太田さんをはじめ、『ぐりとぐら』の山脇百合子さん、「14ひき」シリーズのいわむらかずおさん、『あらしのよるに』のあべ弘士さん、そして「◯◯の」という限定を許さない天才スズキコージなどなど、だれもが一度は親しんだことのある大御所たちが名を連ねております。

太田さんの作品でとりわけ印象深かったのは「絵本西遊記」でございます。小さな画面から孫悟空の躍動感とありあまるエネルギーが溢れ出るようでございました。
力強く、かつすっとぼけた味わいの田島征彦さんもよろしうございました。さすがに原画は色が素晴らしい。展示されていたのは『どろんこそうべえ』、表情やポーズがなんとも飄逸で、話を知らないのろも絵だけで笑ってしまいました。

中でも嬉しかったのは、和歌山静子さんの原画が見られたことでございます。
和歌山静子さんといえば、そう、「ぼくは王さま」シリーズでございますね。本展には「王様」の描き下ろし画のほか、『ひまわり』の原画が展示されておりました。太陽を浴びてぐんぐん伸びて行くひまわりは実際、その周囲に輪郭線さえ見えそうな力強さでございますから、和歌山さんの画風にはぴったりでございます。
「王さま」は、ワタクシが親しんでいた頃とはほんの少し顔つきが変わったような気がいたします。ごくシンプルな線で描かれておりますから、ほんの少しのバランスの違いも目立つのでございましょう。しかしあのぐりぐりと太い線でで描かれた、真っ赤なマントの王さまや、おかっぱ頭の大臣(あの容貌のモデルはリシュリュー枢機卿ではないかと)を見られただけでも嬉しうございます。王様シリーズ屈指の名作「おしゃべりなたまごやき」の原画もございました。おお、王さま!おお、大臣!おお、兵士!おお、ニワトリ!
バルコニーでふんぞりかえる王さま、ニワトリに追いかけられる王さま、お皿をなめる王さまも間近で見られて感無量でございます。それにしても王様ときたら、お行儀が悪いんだから。そんなことでは隣の国のお姫様に嫌われてしまいますよ。

王さまシリーズの挿絵は和田誠さんや長新太さんも描いておられますが、和歌山さんの絵がベストというのがのろの思う所でございます。好き嫌いだらけでワガママで、いつも大臣に叱られているくせに威張りんぼう、それでいて時に羨ましいほど純真な王さま。好奇心おう盛なくせに飽きっぽく、大騒ぎをしてはしゅんとしおらしくなる、まるっきり子供そのままの王さまを描くには、和田さんも、チョーさんさえも洗練されすぎているように思われます。地面に土くれで描いたような和歌山さんの絵の素朴な温かみが、このワガママで愛すべき王さまを表現するのには最適ではございませんか。

次回に続きます。


福沢諭吉展

2009-08-19 | 展覧会
ゆきっちゃん、すみませんでした。
ワタクシは貴方のことを何にも存じませんでした。
ほんとにえらい人だったのですね。
えらい人なのにゆきっちゃんなんて呼んでごめんなさい。しかし初めのセクションでいきなり「メガネをしょっちゅう紛失したので、沢山買って家のあちこちに置いていた」とか「禁酒する代わりにと喫煙を始めたが、結局どちらもやめられなくなってしまった」とか「塾生から有志を募り、”散歩党”と称して毎朝6キロ散歩をした」なんてエピソードが紹介されていたもんですから、大いに親しみを感じてしまったのでございますよ。

というわけで
未来をひらく 福沢諭吉展へ行ってまいりました。

遺品をはじめ、実に300点にものぼる展示品で構成された本展。展示品のひとつひとつに丁寧なキャプションが付けられ、その品の来歴や、まつわるエピソードなどを読むことができます。ひとえにグーテンベルクの42行聖書に釣られて足を運んだのろではございましたが、おかげでゆきっちゃんについていろいろ知ることができました。そしてその人柄に親しみを覚える一方、「独立自尊」の精神を重んじ人間の平等をうたった先駆的な思想に触れ、たいそう感銘を受けたのでございました。

なにせのろはゆきっちゃんと言えば「慶応、ノススメ、咸臨丸」くらいの知識しかございませんでしたから、へぇーと思うことが色々ございましたねえ。とりわけ男女平等を主張していらっしたのには驚きました。
ゆきっちゃんが『日本婦人論』なるものを書いていたことはチラリと知ってはおりましたが、どうせ明治の男が書いた女性論なんてロクなもんじゃあるめぇ、夫の3歩後ろを歩けとか何とか書いとるんじゃろう、と思っておりました。今回展示されていた直筆原稿にはしかし、原稿用紙に端正な字で(とはいえ枡目は無視して)「結婚したら男の姓しか名乗らないなんて変な話だし、二人の姓から一字づつ取って新しい苗字を名乗ったらいいじゃん」なんてことが書かれておりました。その他にも、教育や家庭をはじめ社会全体の価値観として男女平等を進めるべきという論陣を張ったということでございます。明治という時代にあっては実に驚くべきことではございませんか。



もちろん慶応義塾関連のものも展示されておりました。
国語の教科書のように折り目正しい楷書体で書かれた祝辞は、卒業生である犬養毅が515事件で暗殺される6日前に書いたものであったり。早稲田から慶応への、野球の果たし状なんてものもございました。おお、早慶戦ここに始まれりでございます。

おおむね、心中でへぇとかほぉとか感歎の声を上げながら楽しく見られる展示だったのでございますが、心えぐられる展示品がひとつございました。
昭和20年5月、特攻隊員として出撃して亡くなった学生の上原良司氏が、出撃前夜に書きつづった文章でございます。のろはこれまた恥ずかしながら全く存じませんでしたが、「きけわだつみのこえ」で有名な方だったのでございますね。
B5の原稿用紙7枚に渡って書き遺された「所感」からは、日本が間違った道を辿ってしまったこと、日本がほどなく敗戦するであろうこと、そして自分の死が犬死にであることもはっきりと悟っていながら出撃して行かねばならない青年の思いがつづられておりました。

真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。 世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

ドイツ、イタリア(そして日本)という「権力主義全体主義国家」が敗れることで「人間の本性たる自由」の偉大さが証明されるだろうと述べ、特攻パイロットは「人格も、感情も、理性もない」機械であり、自殺者であると語る、その語り口は驚くほど冷静でございますが、自分の信念に全く反するかたちで死んで行かねばならないことへの無念さが滲みでております。
末尾に記されたこの一文には、思わず目頭を押さえました。

明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

↓で「所感」全文を読むことができます。ちょっと読みづらいとお感じの方はWikipediaの「上原良司」頁をご覧ください。
福澤展のツボ:上原良司「所感」 ――「国賊福澤諭吉」の時代
なお↑には「書き起こし文は設置しませんでした」と書かれていますが、ワタクシが行った時は現物とともに、全文を書き起こしたものがパネル展示されておりました。


おおっと42行聖書についても触れなければ。
何せ あ の 42行聖書でございますから、のろはそりゃもう拝むような気持ちで拝見いたしましたですよ。
ううむ、でっかい。
こんなにでっかかったとは。片頁だけで軽くB4くらいはありそうな大きさでございます。何という迫力。そして美しいこと。
迫力と申しましても単に大きさのことではなく、美しいと申しましても単に花ぎれや飾り文字といった装飾的な部分のみのことではございません。紙の肌合いと白さ、その上に整然と並ぶゴシック体活字の黒々とした圧力。紙の重なりがそのまま手間の重なりでもあることを感じさせる雄弁な厚み。西洋で始めての活字印刷本であるという歴史的重み。その「もの」としての存在感は実に圧倒的であり、かつて書物というものが持っていた、現在とは比べ物にならないほどの威厳を、今に伝えるものでございました。

この42行聖書は慶応が恐ろしい値段で購入したものであって、もちろんゆきっちゃんの蔵書ではございません。ゆきっちゃん自身の蔵書も、少しだけ展示されておりました。その中に、ハッと引き付けられるものが1冊ございました。正確には、本に引き付けられたのではございません。空欄の書き込みにでございます。
J.S.ミル著『功利主義』の1頁に、小さな字でこんな書き込みがあったのでございます。

世ノ中ニ悪人ハイナイモノダ 人ニ鬼ハイナイ

人々に学問ヲススメ、自由・平等・独立の精神を説きかつ実践したゆきっちゃん。
教育をはじめ政治、経済、報道など、広いフィールドに影響を与えたその思想と生き方は、人間に対する深い信頼に根ざしていたのでございましょう。

この短い書き込みの一文は、他の展示品を見ている間ものろの頭から離れませんでした。そしてこの一文に表されたゆきっちゃんのオプティミズム、「人間に優劣は無い、どんな人間も教育と修身によってよりよいものになることができるし、一人一人がよくなることによって、社会もよりよいものにすることができる」という全人類的な信頼が、その活動のあらゆる面に現れているように、のろには思われたのでございます。

最後にもうひとつ、のろが大変感銘を受けた言葉をご紹介させていただきたく。
「修身要領」と題された教訓集の26条目でございまして、これも自筆のものが展示されておりました。
(原文には句点はございません)

地球上立国の数少なからずして、各その宗教言語習俗を殊にすと雖も、其国人は等しく是れ同類の人間なれば、之と交るには苟も軽重厚薄の別ある可らず、独り自ら尊大にして他国人を蔑視するは、独立自尊の旨に反するものなり

ううむ、すごいや。
えらいやゆきっちゃん。尊敬してしまうよゆきっちゃん。
記事のどこかでゆきっちゃんという失敬な呼び方をやめようと思っていたのに、ついつい最後までゆきっちゃんで通してしまったよゆきっちゃん。語感が気に入ってしまったのですもの。でも本当にすごいと思っているのよ。
まあ、ゆきっちゃん自身は名前なんか記号みたいなもんだというお考えの持ち主だったようでございます。息子さんたちの命名なぞ、ものすごく安直でございましたし。
でございますから、こんな失敬な呼び方も、きっと許してくださることでございましょう。



妻の貌

2009-08-15 | 映画
『妻の貌』を見てまいりました。

映画「妻の貌」 オフィシャルサイト

悲劇の記録ではございません。
ある家族の、何てことのない日常の記録でございます。
それだけにいっそう「ヒロシマ」が市井の人の平穏な暮らしの中に深く爪痕を残しているという、痛ましい事実が浮き彫りになります。

私達の多くにとって「ヒロシマ」=原爆投下は60年以上前の出来事であり、毎年8月6日の前後や、ニュースで核兵器のトピックが取り上げられた時にのみ思い出す悲劇でございます。少なくともワタクシにとって「ヒロシマ」は生活とは全く別の次元にあるものでございます。生活は日常、「ヒロシマ」は究極の非日常。
しかし監督の妻であり被爆者であるキヨ子さんにとって「ヒロシマ」はあたかも体内に突き刺さった鋭い破片のように、生活の中に食い込んでいるのもの、昔々の出来事ではなく、60年以上に渡って日々付き合わねばならなかった疵なのでございます。

身体の中に、心の中に、「ヒロシマ」が突き刺さっている。それでもなお、日常を生きなければならない。

今も原爆症で苦しむ人々が大勢いるということは、もちろん言葉の上では知っておりました。しかし身近に被爆者のいないワタクシには、本当に単に言葉の上でだけ、知っていたことでございます。映画『ヒロシマナガサキ』を観た時でさえ、証言者各々のあまりに強烈な体験と、写真と証言によって甦る原爆投下時の地獄絵図にとらわれて、今もひっそりと苦しむ人々が大勢いることには思いが至らなかった。
「ヒロシマ」が突き刺さったままの日常を送るキヨ子さんの姿からは、大きく報道されるわけでもない、映画や本に取り上げられるわけでもない、ひとり、ひとりの被爆者の存在、1945年8月6日の疵を今もなお背負った人々の存在、顔も見えない名前も知らない無数の被爆者たちの存在が、静かに浮かび上がってまいりました。

原爆投下直後、家族を探すため市内に入って被爆したキヨ子さんには目立った外傷はないものの、発症以来、激しい倦怠感や輸血を要するほどの貧血や甲状腺がんと闘っています。
病院でキヨ子さんと同室になった女性は、被爆時に建物の下敷きになりやけどを負ったことから、絞った雑巾のように皮膚のよじれた右腕と、傷口からインクが入ったことで入墨のようになった左腕を持っていました。彼女の初めての子供は「紫(色)で生まれて2日目に死んだ」と言います。

彼女たちが、いったい何をしたというのか。
家族の身を案じた19歳のキヨ子さんが、そして十月十日(とつきとおか)のあいだ胎内にはぐくんで来た初子を生まれて2日目に亡くしたあの女性が、一生苦しまねばならない疵を負わされるだけの何をしたというのか。
映画はあくまでも淡々と進み、誰をも糾弾しはいたしません。しかし彼女たちがこうむったあまりにも理不尽な暴力を思うと、怒りがこみ上げてまいります。
この理不尽な暴力に対する言い訳があるとすれば、一つだけでございましょう。
「戦争だから、仕方なかった」

ふざけるな。
戦争を可能な選択肢として考える人は要するに、こうした理不尽な暴力を、自分の愛する人や全く見知らぬ他人-----顔の見えない無数のキヨ子さんたち-----にこうむらせることも「場合によっては可」としているわけでございます。その人なりの正義感と倫理観に基づいた考えなのでございましょうが、共感できません、ワタクシには。
非戦闘員への攻撃だから悪くて、戦闘員だけに対する攻撃ならいい、という話ではございません。そもそも、戦闘員と非戦闘員との間の線引き自体が限りなく曖昧なのでございますから。


本作は一人の被爆者の記録であると共に、ひとつの家族の半世紀史でもあります。
観客は映画の最終盤に、初めはよちよち歩きの幼児として画面に登場した孫娘の歩さんが晴れ着姿で成人式へと向かう場面に立ち会います。
そこには彼女を見送る、少し小さくなったキヨ子さんの姿もございました。
長男が市立中学の入学試験に合格した時「とてもうれしいのに、ふっと、弟が被爆したあの時と同じ年になったんだなあと考えてしまう」と言ったキヨ子さん。19歳で被爆したキヨ子さんは、成人した孫娘の姿を見送りながら何を思ったのか。

「平和の尊さ」という言葉は時々、どうしようもなく虚ろに響くものでございます。今現在享受しているものの貴重さを想像することの困難のためかもしれません。半世紀に渡って記録されたキヨ子さんの貌(かお)はしかし、言葉では表しきれないその尊さを、無言で語っているようでございました。


ミャンマーのこと

2009-08-13 | Weblog
国際NPO、Avaazから昨日届いたメールをご紹介します。
和訳文責:のろ

Dear friends,
今日、ミャンマーでの不正な裁判の結果、民主化指導者で現在体調を崩しているノーベル賞受賞者、アウン・サン・スー・チーさんはさらに1年半の拘束を言い渡されました。

スー・チーさんに対する扱いは、ミャンマー現政権の暴力性を示す氷山の一角です。彼らは40年に渡り、殺人、拷問、集団レイプ、強制労働を行って来ました。

ミャンマーの軍事指導者たちを裁判にかけるべき時です。Avaazは国連安保理に対し、ミャンマー現政権を人道に対する罪で取り調べることを要請します。罪が判明すれば、国際刑事裁判所に政権の大物たちを引き出すことができるでしょう。下のリンク先をクリックして、要請に参加してください。行動を求めるために国連の前に掲げる垂れ幕のデザインも掲示しています。

Burma: Help Justice Defeat Tyranny

*****

(送られる文章)
英米政府および国連安保理の皆様へ
我々はアウン・サン・スー・チーさんへの1年半の拘束延長という酷い判決に対する非難声明と、ミャンマー現政権が犯した人道に対する罪を取り調べる調査委員会の設置を求めます。

水色のバーで出ております Sign the Petition 欄

以前にも署名したことがあるという方は一番上の空欄にメールアドレスを入れてピンクのSEND:送信ボタンをクリックしてください。
初めての方はその下に、
Name:お名前
Email:メールアドレス
Cell/Mobile : 電話番号(必須ではありません)
Country:国籍(選択)
Postcode:郵便番号
を入力の上,右側のYour personal massage欄にあるピンク色の Send:送信ボタン をクリックすると参加できます。
右側に表示されている数字(*** have signed the petition)の***は現在の署名の総計です。
送信後、ご参加ありがとうページに移動します。
入力したアドレスにはご署名ありがとうメールが届きます。
その後も署名を呼びかけるメールが随時届きます。
それはちょっと...という方は、送られて来たメール本文の一番下にある go here to unsubscribe.(青字)という所をクリックして、移動先の空欄にメールアドレスを入力→SENDをクリックすれば登録は抹消されます。

*****

これからの2ヶ月間、イギリスとアメリカは国際的に強い影響力のある国連安保理事会の話し合いに参加します。ブラウン首相とオバマ大統領はこれまで、ミャンマーについて熱心に対話してきました。今こそ安保理に行動を促す絶好のチャンスです。

しかしながら、英米および他の理事国はいまだにぐずぐずとしています。ミャンマー現政権の主要なスポンサーである中国の機嫌を損ねることを恐れているのです。もし世界的な強い抗議の声が上がれば、安保理は中国の同意を取り付けるために、より努力をはらうことでしょう。スーダン(やはり中国に後援されていた)のダルフール問題について訴追を行ったように。

ミャンマー軍事政権に対する調査と訴追を求める声は高まりつつあります。その声は英米の議会でも高まっており、オバマ大統領とブラウン首相へのプレッシャーは増して来ています。ハーバード大学で世界最高峰の法学者たちが行った最近の調査によると、国連はすでに何万人という強制された少年兵や、100万人以上の亡命者や国内避難民、多数の殺人や拷問、集団レイプ、3000に及ぶ少数民族の居住区への攻撃(ダルフールと並ぶ数)などを立証しているということです。軍事政権の責任を追及する呼びかけに加わろうではありませんか。

Avaazのコミュニティはサイクロン被害の際も、2007年の民主活動家への大規模な弾圧の際も、ミャンマーの人々をサポートして来ました。今年は政治犯の釈放を求める皆様から40万を越える署名をいただきました。沢山の人が力を合わせれば、ミャンマーの最高権力者たちを国際法のもとに裁き、圧政を終わらせることもできます。署名に参加してください。そしてお友達や家族にも促してください。国連安保理に、世界は彼らにリーダーシップを発揮するよう求めているのだという明確なメッセージを届けましょう。

With hope,

Alice, Ricken, Brett, Graziela, Paula, Paul, Pascal and the whole Avaaz team.


空とお盆と妙心寺

2009-08-11 | Weblog
愛車の無印チャリを駆って職場からの帰り途。下り坂の途中で見た雲の様子があまりに素晴らしかったので、坂をまた上がったり下りたり横道に入ったりと、空を見上げつつあたりをうろついて気付けば1時間あまりも経っておりました。げにもおそるべき暇人でございます。

うろつきついでに妙心寺の境内を通りました。



本堂に手書きの灯籠がたくさん吊り下げられております。
お盆使用なのでございましょうね。



台風が近くを通ったせいでござましょう、ダイナミックなかたちの雲が陰影も鮮やかに、やたらと澄んだ青空を流れて行くのでございました。


マン・オン・ワイヤー

2009-08-09 | 映画
劇映画とドキュメンタリー映画を半々くらいの割合で鑑賞いたします。
近年はドキュメンタリーの方が多いかもしれません。思う所もございまして、当のろやの映画鑑賞レポートでは取り上げずにまいりましたが、これからぼちぼちドキュメンタリー映画の鑑賞レポもさせていただこうかと思っております。
と申しますのも先日『マン・オン・ワイヤー』を観たのでございまして。この作品、うかつに語れないような重いテーマではない上に、紹介しないのは勿体ないほどの快作でございましたので、これを皮切りにドキュメンタリーレポも初めてみようかと思った次第。

というわけで
マン・オン・ワイヤー|MAN ON WIREを観てまいりました。

いや、痛快、痛快。
息を呑むほど美しく、スパイ映画さながらにスリリングで、最後にはほんの少しほろ苦い気分になり。「史上最も美しい犯罪」の記録というだけでなく、エンターテイメントとしても申しぶんない作品でございました。
主役はフランス人の大道芸人フィリップ・プティ、通った全ての学校を退学させられ、独学で語学や芸を身につけて来た、小柄なアウトサイダー。その彼が時間と知恵と情熱を傾けて追い求めた目標とは、おお、神もご覧あれ!地上110階にして当時世界一の高さを誇った建築物、かのワールドトレードセンタービルでの綱渡りだったのでございます。



ちなみに命綱はございません。
もちろんこんな自殺的行為に許可が下りるはずはなく、許可もないのにビルの屋上に上がり込んで綱渡りをするなんぞは立派な違法行為でございます。そこでプティは数人の仲間と一緒にWTCに潜入するわけでございます。その経緯が実に面白い。身分証を偽装し、物陰に息を潜め、居眠りする警備員の前を抜き足差し足で通り抜け...という潜入作戦には思わず手に汗握ります。わざと犯罪映画風な作りにしているのも楽しい。一方、プティがワイヤーの上に一歩足を踏み出した瞬間から映画を支配するのは、不思議に軽やかな静謐でございます。彼に捧げられた「空中の詩人」という称号はまことに正鵠を穿った表現であると申せましょう。音楽の使い方も上手いなあと思ったら、マイケル・ナイマンでございました。

命綱なしで地上400メートルをしずしずと歩む人影は、あたかも空中を散歩する天上人のようでございました。実際、ワイヤーの上のプティは、私達の日常の価値観とは全くかけ離れた場所を歩いていたのでございます。

綿密に計画を立て、警備をかいくぐり、驚く人々を遥か下方に見下ろして彼がやってのけるのは、いわば命がけの遊びでございます。一銭の特にもならない。何かの役に立つというわけでもない。そして一歩間違えば無惨な死が待っている。動機は「夢」。ただ、それだけ。
そんな舞台に立ち、プティは微笑みます。自分のすべてをかけた一本の細いワイヤーの上で微笑み、ひざまずき、寝転んでみせます。その美しさといったら。

ワタクシは彼が本当に羨ましかった。
芸術的な綱渡りの技術が、ではございません。聞き手を引き込む魅力的な話し方でもございません。支えてくれる仲間がいたことでも、一夜にして築かれた世界的な名声でもございません。
ただ、「夢を持っている」ということ、それがたまらなく羨ましかったのでございます。


ちなみに
この作品、ロバート・ゼメキス監督によって長編映画化される計画があるのだとか。
ええ?ロバート・ゼメキスでございますか?

ヘルツォークが撮ればいいのに!


8月6日

2009-08-06 | KLAUS NOMI
ちと遡った話をいたしますと。
6月25日は朝鮮戦争勃発の日であり、モザンビークの独立記念日であり、サザンオールスターズのデビューの日でもあるわけでございますが、今年からはマイケル・ジャクソンの命日としても記憶されることになりました。
彼のセカンドソロアルバム「スリラー」が世界を席巻したのは1982年。その年同じくセカンドアルバムながら万人受けしそうにもないレコードを出し、世界がムーンウォークに熱狂している時にマンハッタンの片隅でひっそり死んで行ったアーティストがおります。

本日はその人の命日でございます。



クラウス・ノミもたいがいではございますが、マイケル・ジャクソンも非常につくりものめいた人でございました。
いえ、、よく取りざたされた風貌のことよりもそのステージ上のありよう、および生活の諸々が「世紀の大スター」かくあるべしとばかりに、あまりにも常人離れしていたからでございます。
奇抜な衣装にロボットのような動き、甲高い声での、ぽそぽそといかにも繊細そうな喋り方、ディズニーランドの貸し切りやネバーランドに見られるぶっ飛んだ金銭感覚、世界規模の慈善事業、そしてプレスリー嬢との結婚・離婚など数々のゴシップ。

Newsweek の追悼記事では、
He did his best to construct an alternate reality on top of what must have been an initially miserable life
惨めだったであろう子供時代の上に別の現実を築くため、彼は最善を尽くした

と書いております。別の現実。まさにそんなイメージなのでございます。マイケル・ジャクソンという人は確かにこの世に存在してはいたものの、それは「マイケル・ジャクソン・ワールド」とでも呼ぶべき異世界においてであり、ワタクシどものいる現実とはちょっとずれた場所にあるような感じでございました。スターというのは概して浮世離れした所があるものではございましょうが、この人の場合は離れようがちょっと桁外れだったように思います。

異世界の住人よろしく、生前からよくピーターパンに例えられておりましたし、本人も自身をピーターパンになぞらえる所があったようでございます。老いも汚れも知らない永遠の少年にして大スター。そんな人物の顔にはほんのわずかな醜さもあってはならず、その住まいは畢竟、ネバーランドでなくてはならなかったのでございましょう、


話をノミに戻しますと。
確信を持って申しますが、たとえノミが1983年の今日に逝ってしまわずに、ずっと長生きしていたとしても、マイケル・ジャクソンのような世界的大ヒットを飛ばすことは決してなかったことでございましょう。それでもマイコーさんのように、と言っても彼に比べたら遥かに慎ましい収入が許す範囲で、「ノミワールド」を作り続けたことでございましょう。
それはきっと、公私に渡るヘンテコなファッションやステージ上の小道具といった程度のごくチープなもので作られる世界であり、領土のほとんどを-----ビバリーヒルズやサンタバーバラではなく-----大気圏外という名の想像の世界に保有しているような王国でございます。
そして世界的大ヒットにはあえて見向きもしないような、ほんの一握りのひねくれ者たちが、マイケルファンが彼に寄せるのと代わらないほどの愛情と熱狂を持ってその王国を讃えたことでございましょう。
そうなっていたら、本人は「どうしてマイナー受けしかしないんだろう?」といぶかしく思っていたかもしれませんがね、なかなかに変な感性の持ち主だったようでございますから笑

それにしても
のろは残念ながらあの世ですとか天国ですとかそういうものを信じることができないタチなんでございますが、あの世ってのは、あったら実に面白い所でございましょうね。だって、みんないるんでございますよ。



マイコーさんがムーンウォークを始めて披露したのは1983年5月のことなのだそうでございます。
その頃ノミはすでに集中治療室に入院して(その頃のニューヨークにはエイズ専門病棟は無かったようです)、免疫系統が破壊されやせ細った身体でさまざまな病苦と格闘していたはずでございます。今や知らぬ者とてないかのムーンウォークを、ノミは見ることもなく死んで行ったのかもしれません。
「あちら」で、初めて見る奇妙な動きに魅せられているヤツの姿なんぞを想像いたしますと、それなりに心安らぎます。
げにも、「あの世」とは生者のためにこそある場所なのでございましょう。




ルーヴル美術館展3

2009-08-02 | 展覧会
7/30の続きでございます。

展示の第二室にはフランス・ハルスとレンブラントとフェルメールが一同に会しておりす。
のろはもうここだけで満足でございます。

ハルス『リュートを持つ道化師』

copyright:RMN/Franck Raux

荒っぽいまでの速描きでありながら対象を正確に捉える技術はさすがでございます。斜め上を見てにやっと笑いかける道化師の顔は、個性を持って実に生き生きと描かれております。口角をつり上げた頬や弓なりになった目元の絶妙な陰影。キュッとハイライトが引かれたひとみは躍動感のある髪と相まって、道化師が振り返ったまさにその瞬間の表情を表現しております。
全体的に荒めの筆致である中で、リュートをつま弾く右手はかなり繊細なタッチで陰影がつけられ、小指の甘皮までも描かれております。この繊細さがのっぺりとしたリュートの胴の上ではアクセントとなり画面を引き締めておりますね。


レンブラント『縁なし帽をかぶり、金の鎖をつけた自画像』

copyright:RMN/Jean Schormans

たぶん、鎖を描きたかった作品。
レンブラント26歳の自画像でございます。帽子の鎖、顔、襟元の鎖に光があたり、それ以外は黒く沈み、大きなストロークで描かれております。こうやって見せるポイントを絞るあたり、実にうまいですね。まあレンブラントつかまえて「うまいですね」もないですね。
画家は多かれ少なかれ自画像を描くものでございますが、レンブラントほど多くの、しかもしばしば非常に堂々とした自画像を残した人はいないのではないかしらん。この作品でも若い画家は身分も人格も高貴な人物のように誇らしげに胸に手をあて、顔をほとんど正面に向け、物怖じのない眼差しで鑑賞者を見据えております。
後年描かれる荒めな筆致の作品では、陰りを帯びた深い眼差し、そして本作のように若い頃に描かれた作品では、細かい筆致の明るく澄んだひとみと、レンブラントの描く肖像画や自画像はどれも奇妙に澄んだ眼差しが素晴らしく、いつまで見ていても飽くことがございません。
のろは絵に向って正面より少し左に寄ったベスト鑑賞ポイント(この絵は真正面よりもここがベストかと)に陣取り、その眼差しと視線をあわせ、彼がこれから経験しなければならない諸々の苦難-----経済的困窮、裁判沙汰、二人の伴侶と子供の死-----を思いつつ長いこと佇んだのでございました。

フェルメールでございますか。
のろの普段の信条とはまったく反対のことではございますが、フェルメールは展覧会に出かけて実物を拝むよりも膝の上に広げた図版でとっくりと眺める方が好きなぐらいでございます。と申しますのも「フェルメール来たる」=「会場超混雑」ということでございますので、押し合いへし合いしながら首を伸ばして見た経験しかないからでございます。「青いターバンの少女」が来た時なんぞは、遥か遠くの見返り少女を人の頭をよけながらチラチラ見るといった風でございまして、人気アイドル歌手のステージを最後列から見ているような気分でございました。今回はそこまで厳しい状況ではございませんでしたが、作品が小さい上に少々高い位置に展示されていることから、最前列(の片隅)から見てもまだ遠いような感じがいたしました。もっと近くでゆっくりじっくり見たかったなァというのが正直な所。贅沢ではございましょうけれども。
それにしてもフェルメールを見ていつも思うのはバランスの妙ということでございまして。色彩のバランス、空間のバランス、陰影のバランス、どれを取っても絶妙でございますね。


とまあこんな感じでここまで調子良く見て来たものの、10時半を回ったあたりから急に混み始め、気が付けばどっちを見ても押すな押すな状態になっておりました。団体さんが入っていらしたのかもしれません。そのせいにしてはいけないのでございますが、後半はすっかり集中力が途切れてかなり散漫な見方をしてしまいました。ひとつひとつの作品と丁寧に対峙できなかったのは勿体ないことでございます。
いかん、いかんよのろ。いかなる状況でも最大限に楽しめるよう努力しなくては。いやいやそうは言っても、大きな作品を引いた位置から見られないというのは、ワタクシとしてはやはりつらいものがあるのよ。

全体としては、絵そのものの美術的価値よりも文化的・歴史的な背景に興味をそそられる作品が多うございました。聖書や神話を描いた作品にしろ、ゴージャスな王侯貴族の肖像にしろ、あるいはヤン・ステーンの家族の陽気な食事のような猥雑な風俗画にしろ、ひとしく17世紀という時代の一面でございます。そういう点で、世俗的な繁栄と陰り、科学と異国へ関心、聖書と神話というセクション分けはなかなか面白いものでございました。