のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『モディリアーニ展』

2008-07-30 | 展覧会
モディリアーニ展へ行ってまいりました。

姫路でもモディリアーニ展を開催中でございますね。
分散させないでひとつ所でやって巡回してくれりゃいいのに。
とは思ったものの、蓋を開けてみるとけっこうな点数が展示されておりまして、のろとしては満足のゆく展覧会でございました。

本展では22歳でパリにやって来た頃の素描から、35歳でスペイン風邪で亡くなる前年の作品まで、モディリアーニの画業を時系列で見ることができます。
素描がたくさん見られたのは意外な喜びでございました。
モディリアーニの素描といえばのろは、映画『モンパルナスの灯』の中でぐらいしか見たことがございませんでしたので。
ジェラール・フィリップ演じるモディリアーニがカフェのテーブルの間をよろめき歩きながら、カフェのお客に素描を売ろうとしては鼻であしらわれる、傷ましいシーンでございました。
あのシーンで使われていたような晩年の作品、即ち、うりざね顔にアーモンド型の目といった、いかにもモディリアーニらしい造形で描かれたものの他、まだあのようなスタイルが確立されていない頃の素描もございました。
後年の作品とは画風がまったく違っておりますが、人体のかたちと量感をできるだけ簡素な線で捉えようとする試みは既に伺うことができます。
一筆描きのような早描きの線で、同じポーズを何枚も描いております。
最もシンプルで最も本質的な一本の線を探しているかのようでございます。

モディリアーニといえば身近な人々の肖像画が有名でございます。
初期の作品には娼婦を写実的に描いた作品などもございましたが、モデルである娼婦の個性はむしろどうでもよく、彼女の姿を借りて社会の底辺で生きる「娼婦というもの」の存在を描こうとしているような感じがいたします。
こうした初期の作品や、カリアティッド(建築装飾の一種で、柱を支える女性像)ばかり描いていた頃のモディリアーニの興味は、「この人」または「かの人」という個性的な存在ではなく、無個性な「人間一般」とでも言うべきもの、あるいは人体のかたちそのものに向けられていたように見受けられました。



無個性でひたすら造形的な方向へと大きく振れていたモディリアーニの視点は、身体をこわして彫刻の道を断念してからはその揺り戻しのように、個性と感情を持った身近な人々へと向かいます。



かたちと量感の表現を身につけた画家は今や、ひとりの人間の内的・外的な個性を-----量感を追求した時と同様、できるかぎり簡潔に-----表現することに専心します。
そして「なで肩、長い首、うりざね顔、塗りつぶされたアーモンド型の瞳」といった、いわば同じ規格で描かれたような肖像画であるにもかかわらず、見る者にモデルの個性を感じさせる作品を作り上げたのでございます。
こうした肖像画があるからこそ、モディリアーニは美術史上に名を残し、今もって人々に愛されているのでございましょう。
正直、のろは思うのですよ。もしも彼が彫刻家の道を歩み続けていたなら、第二のブランクーシにはなれたかもしれないけれども、はたして人の心を強く捉える独自の芸術を生み出すに至ったであろうか?と。


「何をどう描くのか」について史上かつてないほどの自由度を誇り、それだけに皆が独自の芸術を模索してやまなかったパリ。
そのただ中で模索を続けたモディリアーニの目が、市井の人々や友人や恋人へと向けられていったことを、ワタクシは実に幸いなことと思うのでございます。




上から

2008-07-25 | Weblog
今更ではございますが
世間に「上から目線」がはびこっているような気がして久しいんでございます。
見下したもん勝ちな世の中、とでも申しましょうか。
「2ちゃんねる」は言わずもがな、ブログのコメント欄での攻撃的なやりとりや、「負け犬」「負け組」といった言葉がメディアのそこかしこで見受けられることからもそんなことを感じるんでございます。

先日、通り魔事件の犯人について「自分がうまくいかない理由を社会に転嫁しており、身勝手で甘ったれている甘え型の犯行」と書いた言説をチラと読みましたが、この一文、ワタクシはちと嫌な感じがいたしました。と申しますのも、これらの言葉には「まっとうな人間であるこの私とは違って」という話者の前置きが隠れているように思われたからでございます。即ち、俯瞰した、「引いた視点」というよりも、対象をぐっと見下した「上から目線」が。

犯人に共感しろとは申しませんが、「犯罪は(自分のような良識人とは違って)社会に適応できないダメな奴、けしからん奴が起こすもの」という見地からでは、何をどう分析しようとも、本当に社会をよくする方策には繋がらないだろうと思うのですよ。
「身勝手」や「甘ったれ」というラベルは、当の犯人への憤りや侮蔑をぶつけるにはもってこいの標識ではございますけれども、問題はその人物が------それが「身勝手で甘ったれ」な人物だろうと「真面目でもの静か」な人物であろうと「特に目立たない普通の」人物であろうと------、なぜ自分の人生や見知らぬ他人の人生を破壊する行為にまで突き進んでしまったのか?という点ではございませんか。
世の中の「身勝手な甘ったれ」(これだって程度の問題にすぎませんが)が全て通り魔事件を起こすわけではございません。犯人の人格のみを上から目線で断罪してみたところで、社会にとって有用なことが大してあるとは思われません。

槍玉にあげたような形になってしまいましたが、この話者あるいはこの記事だけが悪いと言いたいわけではございません。

ただ冒頭に申しましたように、今の世の中、見下したが勝ち的な風潮が蔓延しているような気がするのでございます。
で、そのうち自分自身が「上から目線」になっていることにも、他者の「上から目線」に便乗して何かを見下し、切り捨てて、それで何事かを分かったような気分になっていることにも全く気付かなくなってしまうのではないかと思い、ちと恐ろしくなったのでございます。


『インディ・ジョーンズ』

2008-07-20 | 映画
考えてみればハリソン君に劇場で会ったことが一度もなかったなあと思い
インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国を観てまいりました。

いや、面白うございましたよ。
ジョーンズ先生、相変わらず古代遺跡を破壊しすぎでございます。
そして相変わらずの三枚目ヒーローっぷり、素敵でございました。

ただ「インディ・ジョーンズ」に別段思い入れのない人や、思い入れがあってもごく冷静に作品を鑑賞できるかたが御覧になっても「面白い!」と思えるかどうかは、ワタクシちょっと分かりません。
まあかく申すワタクシとて「インディ」シリーズにものすごく思い入れがあるってわけではございませんが、あのテーマ曲を聴いただけでワクワクして来るという手合いではございます。
のろと共に客席に座っていた皆様も同類でいらっしたらしく、映画が終わってもエンドロールが最後まで流れて場内が明るくなるまで、誰も席を立ちませんでした。蛇が出て来ただけでみんなワッと笑ったりしてね、なかなかいい雰囲気でございました。
そんなわけで若干の思い入れ補正も手伝ってはおりましょうが、とにかく最後までおおむね楽しく見ることができましたので、多少のツッコミどころには眼をつぶることにいたします。

何たって今回はね、悪役がよろしうございますよ。
アクション・エンターテイメントは悪役が命でございます。
「インディ」シリーズはのろの中で、悪役には大して魅力が無いのに好きな映画、という特異な場所を占めておりました。
が、本作の悪役はケイト・ブランシェット姐さん演ずるソ連軍のエージェントでございます。
魅力的でないわけがございません。


いや、こんな場面はありませんが。

背筋をぴりっと伸ばし、薄い唇の端をつり上げ余裕の表情で微笑むその姿の何と美しいことよ。ロシアなまりもきまっております。細身の剣を振るってのちゃんちゃんばらばらもカッコようございました。
特に断崖絶壁でのカーチェイスのシーンがよろしうございましたねえ。
インディ陣の車を崖っぷちへと激しく追いつめつつニヤッと笑って「さよなら、ドクトル・ジョーンズ」。
うひゃー 最高。

ワタクシとしてはもっともっと執拗に冷酷に主人公サイドをを苦しめていただきたかったのでございますが、そうしたらかくも美しく咲き誇る悪の華の前に老ハリソン君や若造シャイア・ラブーフはすっかり食われてしまっていたことでしょうから、まああのくらいのご活躍で丁度いいのかもしれません。

カッコいいといえばワタクシは全シリーズを通して、ジョーンズ先生が一番カッコよかったのは『魔宮の伝説』で、今にも閉じようとする壁の隙間から手を伸ばして帽子を回収したシーンだと思っております。あの、虫うじゃうじゃシーンの直後のとこでございますよ。腕しか写っておりませんがね。
帽子ってのは「なきゃ死ぬ」ってなものではございません。しかもあの宮殿、地下でございます。日よけは無用のはず。
にもかかわらず、わざわざ危険を冒して愛用の帽子を回収するジョーンズ先生。あのダンディズムには痺れました。

そう、インディ・ジョーンズといえば帽子と鞭でございます。
今回は鞭の方はあまり活躍いたしませんでしたが、帽子は相変わらずの名小道具ぶり。
最後のシーンの帽子づかいなどは、いよっ、ファンの心を分かってるねェ、とかけ声のひとつもかけたくなるニクい演出でございました。

そんなわけで、かのシリーズの続編としてなんと19年ぶりに制作された本作、のろには充分満足のいく作品でございました。
・・・・・

とは申せ
多少のツッコミどころには眼をつぶるものの、これだけはちょっといただけないというものが一点ございます。
原爆実験のシーンでございます。
ハリウッドの娯楽作品中で原爆が使われるのは、残念ながらそう珍しいことではございません。
本作で描かれているような原爆実験は実際に行われていたことでございますから、おそらく冷戦まっただ中という時代性を強調するイベントとして脚本に組み入れられたものと存じます。
その点、原水爆をただ単に超強力な兵器としてしか扱わない他の作品ほど不謹慎なものではないと申せましょう。
ずるずると溶けて行くマネキンの顔や一瞬にして燃え上がる犬のぬいぐるみの映像を挟んでいることにも、制作者の誠意を、まあ、感じないではございません。
しかしこのシーンでジョーンズ先生は完全に被爆しております。
数日で死に至らなかったとしても、白血病や癌を発症する高い可能性を否応無く背負い込んだはずでございますが、もちろんそうした危険性が映画の中で語られることはございません。
直後に「どっぷり放射能浴びてもしっかり洗っとけば大丈夫サ」と言いたげなシーンがございます。これはおそらく核の危険性に無頓着であった当時のアメリカを皮肉っているんだろうとは思いますけれども、それこそ「原爆=超スゲー強力な兵器」という程度の認識しかない人に対してこの皮肉が皮肉として機能するかどうかは、甚だ疑問でございます。
ハリウッドにおける安易な原爆づかいを鑑みるに、少なくともアメリカにおいては、この原爆実験シーンから皮肉を読み取る人は少数派なのであろうと思わざるをえません。

スピルバーグかルーカスが、例えばドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』を観た後でもなお、このシークエンスをあえて入れたであろうか?
娯楽作品は理屈抜きに楽しむのが鉄則とは申せ、ジョーンズ先生の頭上に高々とそびえるキノコ雲を見て、こう考えずにはいられないのでございました。



壷庭

2008-07-17 | Weblog
職場にこんな無駄地があるんでございますが



これがちょっとした雑草の壷庭になっておりましてね。
よく見るとなかなか趣き深いものがございます。



ああ見守る者とてないままに生きては死に生きては死ぬるか。
世界は無意味でなおかつ完璧なんだろうと、こんなひとたちを見た時には思えるわけでございますが。

サンディ・トム

2008-07-09 | 音楽
血も涙も無い人間と思われているのか、のろがこう申しますと知人の皆さんは決まって驚くんでございますが
映画を見たり、本を読んだり、すごい夕焼けに出会ったりいたしますと、すぐ涙ぐんでしまうのでございます。
意外と思われるのはけっこうなことで、ワタクシとしてもなれるものならば人類が滅亡しても眉毛一本動かさないような人物になりたいものでございますが、なかなか道のりは遠うございます。
泣くまいぞと心構えしている時は泣かずに済む(時もある)わけでございますが、こういうものは思わぬ時に思わぬ方向から吹いて来る突風のようなものでございまして、まさかという時に襲って来る上、ひとたび捉えられたらもうアレヨアレヨなのでございます。

つい先日もアレヨアレヨと涙を拭うはめになりまして。
吹いて来たのはサンディ・トムの2ndアルバム『The Pink & The Lily』所収の「The Last Picturehouse」という曲でございます。

サンディ・トム。自宅アパートの地下室でのライブ演奏をネット配信し、それがきっかけで世界的にブレイクしたスコットランドのミュージシャンでございます。
力強く伸びやかな歌声とシンプルなサウンドがギュとつまった1stアルバム『smile.....it confuses people』(邦題『鏡の中のサンディ』)はいつ聴いても何度聴いてもいい名盤でございます。
家で一日中こればかり聴いていた雨の休日もございました。

2ndアルバムはどうかと申しますと、 ライナーノーツの言葉をお借りするならば「自分の持ち味をしっかり維持しつつ、音楽性や世界観の広がりを見せる、まずは理想的なセカンド・アルバム」ということになるようでございます。1stのシンプルさがとても好きだったのろとしては、あんまり「広がり」すぎてほしくはないものだと思っている次第。
しかしこのアルバムも聴くごとにずんずんと好きになってまいりました。



冒頭を飾る 「The Devil's Beat」は文句無しにカッコようございますし、
「恋はあせらず」のような軽快なメロディに乗せて昨今のTVの堕落・凋落ぶりを嘆く「Remote Control Me」もよろしうございます。
ケルトな雰囲気の漂う「Success's Ladder」は、心身をすり減らして大金を稼ぐ人生から足を洗い、無名の画家になったビジネスマンの物語。そりゃゴーギャンだろって。いえいえ、Success's Ladder(成功への梯子)を自ら進んで転がり落ちたジュリアン・サイドボトム・ウィリアム・スマイスは、作品にサインすらしないのですよ。

そして「The Last Picturehouse」は、閉館の日を迎えた古い映画館のことを歌った曲でございます。
曲調も内容に合わせて、映画のラストシーンで流れてきそうなものになっております。即ち、切々としてドラマチックで、ちょっと大げさ。その感じがとてもよろしい。

Born to entertain us back in 1925
So beautiful and strong enough to bring their dreams alive
Always thought it would last forever


生まれたのは1925年 私達を楽しませるため
素敵な夢を届けてくれる美しく堂々とした姿
いつまでも続くものと思っていた

よろしうございましょう。もうこの出だしだけでも
「建てられた」ではなく「生まれた」と歌っておりますね。歌の中でこの映画館は「彼」と呼ばれるのでございます。

1920年代といったらサイレント映画の黄金時代でございます。
1925年はエイゼンシュテインが『戦艦ポチョムキン』を、チャップリンが『黄金狂時代』を、キートンが『セブン・チャンス』を世に出した年でございます。(並べてみるとすごいなあ)以降何度も映画化されることになる『オペラ座の怪人』が初めてスクリーンに登場したのもこの年のこと。5~10セント程度で鑑賞できた映画は、まさに庶民の娯楽の王様でございました。

そんな輝かしい時代に生まれた「彼」、たくさんの夢や笑いや感動を街の人々に与え続けた「彼」。
しかし時代は移り変わり、観客はしだいに減って行く。街には高層ビルがどんどん建ってもはや星(スター)の輝きも見えなくなってしまった。
彼もついに取り壊される日が来る。重機が彼を brick by brick 少しずつ解体してゆく。街の最後の映画館である彼を。

Gene Kelly went singing for the last time in the rain
And one more kiss with Betty Davis before the final flame

(↑女優ベティ・デイヴィスのつづりは"Bette"なのですが,一応歌詞カードのとおりのつづりで載せました)

ジーン・ケリーが雨に歌うのもこれが最後
ベティ・デイヴィスと最後のキスをもう一度

よろしうございましょう。もうこのへんにまいりますと鼻水が止まりませんですよ、のろは。
まあジーン・ケリーよかフレッド・アステアの方が好きですけど。関係ないですね。はい。

この歌も先に挙げた「Remote Control Me」も、それから代表作「I wish I was a punk rocker」なんかはまさにそうでございますけれども、彼女の歌にはしばしば過ぎ去ったもの、「古きよき」ものに対する憧憬が歌われております。
その歌われかたがたいへんストレートで、はずかしげも無くストレートで、それがとってもよろしうございます。

自宅の地下室から一気にスターダムに駆け上がったサンディ・トム。
これからもいっそうの活躍が期待されますが、シンプル&ストレートな感覚を、いつまでも失わずにいてほしいものでございます。

再びキートン話

2008-07-03 | 映画
キートン帽 がそこそこうまくできたので、調子に乗ってまた帽子を作ってみました。



つばのストライプが斜めになってしまいましたが、形はまあまあうまいこと出来たようでございます。
モデルは『キートンの蒸気船』でキートンがかぶっていたこれ。



本当はもっとピシッとしたマリンキャップなのですが、雨に濡れてつぶれているんでございます。そのつぶれ具合がよろしい。
これを常々かぶっていたら、のろもキートン演じるウィリーのように、心優しくて一生懸命なやつになれるかしらん。無理だろうなあ。

それにしてもバスター・キートンの横顔は完璧でございます。
仮に人類がこの先千年永らえたとしても、こんなみごとなシルエットの持ち主は二度と現れますまい。


*注 人差し指が短いですね。幼少の折りに洗濯物絞り機に巻き込まれたためなんだそうでございます。本人いわく私は泊まっていた下宿屋の裏庭によちよちと出て行った。ちょうど雇い人の女の子が服を絞り機にかけていた。私はこの絞り機がいたく気に入ってしまい、つい人差し指をまっすぐ突っ込んでしまったのである。(『バスター・キートン自伝』 筑摩書房 1997 p.16)

かの淀川長治さんはしきりにキートンのことをブサイクブサイクとおっしゃいましたけれども、ワタクシはキートンの風貌を「ギリシャの若い神」のそれに例えた映画研究家のジョルジュ・サドゥールや、「キートンは私がスクリーン上で出会った最も美しい人物のひとりである」と語った語ったオーソン・ウェルズの方に賛成いたしますよ。
もちろんウェルズの言う「beautiful」は容貌の美しさだけを言ったものではないこととは存じます。また、キートンがいかに端正な顔立ちをしていたとて、それはごく瑣末なことではございます。キートンをキートンたらしめるその他の要素、即ちコメディアン、俳優、そして監督としての才能や驚異的な身体能力といったものの大いさから比べれば。

話を帽子に戻しますと。
先日のろ宅に届いた『Buster Keaton Remembered』に、例のキートン帽の正式な作り方が書いてございました。

この本はキートンの3番目の夫人で26年間連れ添ったエレノアさんによる語りおろしと、キートンのフィルモグラフィ、そして多数の写真で構成された回顧録でございます。
のろが本でもネットでも見たことのない写真がたくさんあり、しかも大判で高画質なもんですから、まったく感涙ものでございます。『ライムライト』でチャップリンと共演した時のリハーサル風景まであるんでございますよ。尊敬と愛情のこもった作品解説や撮影の裏話も、読んでいてたいへん楽しうございます。


キートン帽が舞う見返し。ナイスでございます。

キートン帽の作り方は以下の通り。
「ステットソン社製のソフト帽の裏地を取り払い、クラウンを潰して平らにする。つばを2インチ(6センチ弱)幅まで刈り込む。カップ一杯のぬるま湯にティースプーン山盛り3杯のグラニュー糖を溶かし、つばの上下からしみ込ませる。スチームアイロンでつばを平らにならし、固まるまで乾かす」
つばのピンと平らな状態を崩さないように、帽子を持つときは必ずクラウンの部分を掴んだ、とのこと。この一文を読んだとき、のろの脳裏にはキートン映画の数々の場面がわわわっとフラッシュバックで流れたのでございました。確かに、帽子を持ち上げる場面では必ず頭頂部のへこみに指をひっかけて、クラウン部分だけを持っているんでございますよ。その持ち方も含めてトレードマークにしていたのかと思っておりましたが、成程、そういう事情だったとは。

キートン帽にまつわる面白いエピソードも語られております。
映画のプロモーションでドイツへ行ったときのこと。
新しい帽子が必要になったキートンは、エレノアさんと連れ立ってホテルのすぐ横の小さな帽子屋へ。
言葉が通じないので、パントマイムで意思疎通をして、フェルト帽とはさみを出してもらうとキートン、いきなり帽子の裏地をひっぺがし、つばをジョキジョキと切りはじめる。
なにしろまだ代金を払っていなかったので、店主である小さいお爺さんは驚いて卒倒せんばかりだったといいます。
しかしキートンが変形し終えた帽子をかぶって見せると、店主さんも目の前のお客が何者で、今いったい何が起こっていたのかにようやく気付いたのでございます。

いたずら好きだったキートン。自伝の中で我々のいたずらはただ笑いのためだけだった。だから人を傷つけたり侮辱したりする残酷な仕掛けは絶対に使わない。.....我々のいたずらは、引っ掛けられた当の本人があとで一緒に笑えるようなものばかりだった。(p.120)と語っております。
この帽子のエピソードも、そんないたずらのひとつと申せましょう。
キートンと友人たちによる、情熱的なまでに手の込んだいたずらの数々は、『自伝』の中でつぶさに読むことができます。

私の顔のことではすっぱい顔、死人の無表情、凍り付いた顔、偉大なる石の顔、そして信じようが信じまいが、「悲劇的なマスク」とまで、長年のあいだいろいろな呼び方をされてきた。という語りで始まる『自伝』、そりゃもうとにかく面白いんでございます。
のろは読みながらゲラゲラ笑い、ほんの少ししんみりとし、最後にキートンが再び自身のことを「凍り付いた顔の小男」と称するくだりでは、全然泣き所ではないのにばーばー泣いてしまいました。

甚だ残念かつ腹立たしいことに、日本語版の『自伝』は現在、絶版状態でございます。
他にもキートンを主題とした書籍はいろいろあるのでございますが、日本国内で出版されたものは全て絶版。
チャップリン関連の書籍なら普通に書店の棚に並んでいるというのに。
キートン贔屓のワタクシには、全くもって納得のゆかぬことでございます。
そんなわけで若干の憤懣をこめつつ、世界の片隅でキートン愛を叫ばせていただきたく。

Viva! キートン。