のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『アクト・オブ・キリング』

2014-04-29 | 映画
なかなかきちんとした感想が書けそうにありませんが、ぜひ多くの人に見ていただきたい作品ですございまので、これだけは申し上げておこうかと。

すっ ごい映画でした。

映画「アクト・オブ・キリング」公式サイト

何がどうすごいのかを説明しないことには全く説得力がないのでございますが、ワタクシにはそう簡単に説明できそうにありません。
とにかく、少しでも興味を持たれた方はぜひ観に行っていただきたいと思います。興味をお持ちでない方も引っ張って観に行っていただきたい所です。
おぞましいのにコミカルで、緊張を強いられるかと思えばえらい脱力感に見舞われ、くらくらするほどシュールな一方、所々に既視感がございます。(例えばある殺人者が自分の行為を正当化するために持ち出す「自分たちだけが悪いのではない」「そういう時代だった」といった言い分は、戦争犯罪を正当化する歴史改竄主義者の言い分にそっくりです。)
これからパンフをじっくり読んだ上、人が加害者(傍観や見て見ぬ振りを含む)となる時、いかにして加害行為と「悪」や「罪」を切り離すのかといったことについて考えたいと思います。

なお4月18日付『週刊金曜日』「闘うアート」特集号には、ジョシュア・オッペンハイマー監督のインタヴューが掲載されておりました。『くるくる総理』の風間サチコさんや風刺漫画家ラルフ・ステッドマン氏のインタヴューなどもあり、なかなか面白かったです。まあ、STAP細胞騒動を茶化した面白くもない架空対談に1ページ割くくらいなら、そのスペースでアイ・ウェイウェイを取り上げろよな、とは思いましたけれど。

『アンドレアス・グルスキー展 』

2014-04-24 | 展覧会
ジョディ・フォスターが同性婚なさったとのこと、おめでとうございます。
メル・ギブソンのコメントが聞きたい所ですな。

それはさておき
国立国際美術館で開催中のグルスキー展へ行ってまいりました。

ANDREAS GURSKY | アンドレアス・グルスキー展 | 東京展 : 2013.07.03-09.16 / 国立新美術館 | 大阪展 : 2014.02.01-05.11 / 国立国際美術館

巨大な作品ばかりかと思いきや、モチーフもサイズもコンパクトなものも展示されておりました。
例えば、初期の作品である『ガスレンジ』

対象に近づき、意味や文脈を排されたただの「もの」、そしてそこにある美を、黙々と写し取ったミニマルさがたまりません。
この即物的な美への視点は保ったまま、グルスキーは以降おおむね対象から引いて行く方向に進んで行くわけでございまして、引いて引いてひたすら引いたカメラによって捉えられた光景はその規模のあまりの大いさや密度、そして人工的な規則性ゆえに、ものによっては抽象絵画と見まごうほど「現実離れ」した絵となっております。

『ベーリッツ』

『バーレーン』

『香港、上海銀行』

その画面と対象の巨大さ。振り返って私たちはいったい何という世界で暮らしているのだろう、とあきれかえる一方、その大きさゆえに、かえって世界の一部分を写真で切り取るという試みの無謀さが表現されているようでございました。
見る人によっては、そこに何か社会的なメッセージを読み取ることも可能ではありましょう。しかしモチーフが証券取引所の喧噪であれ、ピョンヤンのマスゲームであれ、大空港や大規模農場であれ、写真そのものがとりわけ批判やメッセージ性を発しているということはございません。
むしろ対象が何であれ、写真家の目にハッと飛び込んで来たものの構成的・色彩的な美を追求している作品群かと。画像の組み合わせとデジタル加工といういとも非報道的な手法を用いて作られた作品もあることですし、少なくとも写真家自身の最初の意図としては「社会的なものを撮影しよう」というのはなさそうでございます。

ときにワタクシは例えば『99 セント』や、以前にもご紹介した、同じくドイツのロレッタ・ルクスの作品のように、これは何か加工を施しているなと一目でわかるような写真作品は好きですが、『オーシャン』シリーズのように、素の記録写真のようにしか見えないものをデジタル加工によって作り上げるということには、あまり積極的な意味を見いだせません。こういう手法でしか実現できない画面であるということはまあ理解できますけれども、「写・真」ではないのかという裏切られたような気分が先立ってしまい、美しい絵として素直に楽しむことができません。頭が固いんでしょうかね。

ともあれ。
始めに申しましたように、展示作品の中には小ぶりなものもございました。サイズは小さくとも印象は強烈でございまして、とりわけワタクシが
心打たれたのはゴミ捨て場(『スラムドッグ~』に登場するようなものすごい規模のやつ)を写したこの作品でございました。

『無題 XIII』

種々雑多なゴミがあきれるばかりの密度で重なり合い散乱するさまと、その上に白く広がる空の対比が素晴らしく、ゴミ山という決して気持ちがいいとは言えないモチーフであるにも関わらず、作品としては部屋に飾っておきたいほど静謐な美しさを放っております。なんかポロックのドリッピング作品みたいな写真だなあと思って振り返りますと、ちょうど向かいの壁にはポロックのドリッピング作品を写した大判の作品が展示されておりました。

さて、写真そのものにはメッセージ性はなさそうだと申しておいてナンではごいざいますが、山をうねうねと切り開いて作られた道路に小さな点としか見えない人々が散らばるツール・ド・フランスの風景やら、人とモニターと散らばる紙くずが渾然一体となったシカゴ証券取引所の様子やら、ほどんど曼荼羅のようなスーパー・カミオカンデの内部の写真やらを見ておりますと、よくも悪くも「人類ようやるわ」とつぶやきたくなるのでございました。

そしてまた、なんかもうそろそろ滅びどきだよなあ、なんてことも思わずにはいられないこってございましたよ。



Joker's songの歌詞

2014-04-22 | 音楽
生まれてしまったので仕方なく生きているというこのぐだぐだ感。

それはさておき

Gooブログではアクセス解析サービスが有料でございまして、ワタクシは使っておりません。しかし半年に一度くらいの割合で10日間のお試し無料期間があり、その時は検索キーワードやら、閲覧数が多かった時間帯やらの情報を見ることができます。今が丁度その期間であり、昨日のアクセス解析を見てみました所、「joker's song miracle of sound 翻訳」というキーワードで当ブログに行き当たったかたがいらっしたようです。
Joker's Songは以前の記事で取り上げましたが、せっかくなので再度歌詞付きでご紹介しようかと。
こうして展覧会レポがどんどん遅くなっていく。

なお「You'd be lost」はそのまま訳すると「お前は茫然自失になるだろう」とか「お前はどうしたらいいか分からなくなるだろう」という意味になるかと思いますが、これですと歌詞として納まりが悪いのと、もっとバットマンを馬鹿にした感じを出したいという理由から、「迷子ちゃん」と意訳しました。
また「I have studied the mind of this bat」は直訳すれば「このコウモリの精神について研究してきた」となりますが、同様の理由により「こいつの考えは分かってる」と意訳しました。

誰かの権利を侵害しているつもりはございませんが、怒られたら引っ込めます。



Music and Lyrics by: Gavin Dunne

Grinning down through the gates
にたりと笑いながら門の外を見下ろす
Watch the night suffocate
見ているのさ、夜が
All the light as it smothers the sun
太陽を覆い隠して、すべての光を窒息させるのを

I can tell by the moon
月の光で俺にはわかる
You'll be joining me soon
お前はもうじきここへ来る
As a guest in my fortress of fun!
俺の”お楽しみの砦”の客として

And I can't wait to see you
待ちきれないぜ
And once again free you
またお前を解放してやるよ
Released from your humorless air
ユーモアを欠いた空気から

Someday I will replace
いつの日か替えてやるよ
That big frown on your face
お前のひどいしかめっ面を
With a smile and a murderous glare
ニコニコ顔とギラつく眼差しに


We are two of a kind
俺とお前は同類だ
Violent, unsound of mind
暴力的で精神異常
You're the yin to my yang, can't you see?
お前が陰なら俺は陽、分かるだろ?
And if I were to leave
もし俺がいなくなったら
You would grumble and grieve
お前はうだうだ言って悲しむだろうぜ
Face it, Bats…You'd be lost without me!
認めろよバッツ、俺がいなけりゃお前は迷子ちゃんさ

You'd be lost (You'd be lost)
迷子ちゃん(迷子ちゃん)
You'd be lost (You'd be lost)
迷子ちゃん(迷子ちゃん)
Face it, Bats…You'd be lost without me!
認めろよバッツ、俺がいなけりゃお前は迷子ちゃんさ

I'm just trying to show you
お前に説明したいだけなんだよ
Just how well I know you
俺がお前をどんなによく知ってるか
I understand just how you feel
お前の気持ちは分かる

Threw your reason away
理性なんか捨てちまえ
'Cause you had one bad day
”あるひどい一日”を経験したからには
And your mind let go of the wheel
まともな精神なんかさよならだ

Still we're fated to battle
それでも俺たちは闘う宿命
You pout and I prattle
お前は膨れっ面、俺は喋りっぱなし
Don't you ever tire of this game?
こんなゲーム、くたびれないか?

But you'll not make it end
だがお前はこいつを終わらせない
'Cause I'm your only friend
だって俺はお前の唯一の友だもんな
We are opposites but we're the same
俺たちは正反対、でもおんなじなのさ

*繰り返し

We have so many wonderful stories
俺たちにはいくつもの素晴らしい物語がある
I have studied the mind of this bat
こいつの考えは俺には分かってるんだ
A hero with no praise or glory
賞賛も栄光もないヒーロー
Just his cape and his cave and his...
あるのはただケープと、洞窟(ケイブ)と...
MEOW!!! AAHHHAHAHAHOOOOHOHOHHAHAH!
ニャーオ!(げらげら)

*繰り返し

ついでにこちらもご紹介しておきましょう。
音楽は「こうもり」序曲、使われている映像はゲーム『アーカム・アサイラム』のジョーカー操作モード(と、一瞬シーザー・ロメロ)。
実によくできております。



さらについでに今年没後10周年になるカルロス・クライバーの『こうもり』序曲を。
アンコールの気楽さゆえかとってもご機嫌で、まずは客席に向かって「こおもり!」と宣言してからすかさず指揮。



おお、何て楽しそうなんでしょう。
こんなのがあるから、もうちょっと生きてみようかなんて思ってしまうのよ。


『MvA』のこと・登場人物その3

2014-04-19 | 映画
需要の有無に関わらずひたすら『モンスターvsエイリアン』について語っていくシリーズ。
『MvA』のこと・登場人物その2(追記あり)の続きでございます。

今回はリンクとボブ。

ザ・ミッシング・リンク

The Missing Link - Monsters vs. Aliens Wiki

体育会系半魚人。いわゆる脳筋というやつです。元ネタは1954年の映画『大アマゾンの半魚人』ですが、リンクはアマゾンでひっそり暮らしていたわけではなく、2万年の間氷づけになっていたのを発見・捕獲されたのでした。2万年のブランクがある割には現代の技術や慣習に難なく適応したようで、TVゲームやスポーツ観戦、車や飛行機の運転が大好きときております。TVの前のソファに陣取ってスナック菓子を食べ散らかし、一人で盛り上がりながらアメフト観戦している姿などを見ますと「絶対いるいるこういう奴」と頷かずにはいられません。

映画をご覧になったかたは「TVの前のソファ」とは何のことかとお思いんなるかもしれませんね。映画では、モンスターたちには寒々とした監獄のような場所に収容されいたのに対し、TVシリーズの方ではもっときちんとした居住空間が与えられておりますし、基地内の移動も自由で、外出もそれほど厳しく制限されてはいないようです。

”ザ・ミッシング・リンク”とフルネームで呼ばれることはほとんどないリンク、他のキャラクターと比べるとそれほど個性的とは言えませんが、ドクやボブがそれぞれ違った方向に浮世離れしており、スーザンはあくまでも良い子の規範に則って行動しようとするのに対し、リンクのみ徹頭徹尾俗っぽいというのが面白い所。エイリアンの美女を口説こうとしてそのつどボコボコにされたり、イオン反応炉(何やら分かりませんが)を日焼けマシンとして使った上、スイッチを切り忘れて基地全体に退避警報を鳴らしてしまうなど、リンクならではの騒動でございます。
チーム・モンスターの中では基本的にやんちゃな筋肉要員なのですが、映画ではその特性がほとんど活かされなかったのが残念でございます。映画の出来が全体としてはもう一つであったことについては、別の記事で述べせていただきたく。とにかくせっかくの魅力的なキャラを活かしきれなかったというのは大きいと思います。

ドク・ローチとは悪態をつき合う仲、と言いますか、リンクは基本的にドクの発明を信用しておりません(むべなるかな)。ドクはドクで、普段大口を叩いているくせにドクやスーザンよりビビリで、何かというとキャー!と悲鳴を上げるリンクにしばしば冷たい眼差しを注いでおります。それでもいざ誰かにいたずらを仕掛けるという話になると素晴らしいコンビネーションを発揮するのがこの2人であって、おかげでエイプリルフールにはスーザンが酷い目にあっておりました。

映画版の声の吹き込みはウィル・アーネット。何となくリンクみたいな顔の人を想像していたのですが、写真を見たら普通の男前でございました。TV版の方で声を担当したディードリック・ベイダーさんはちとリンク寄りの風貌でいらっしゃいます。


B.O.B(ボブ)



遺伝子組み換えトマトに化学的に加工したドレッシングを注入した結果生まれたスライム状の生物、ベンゾエイト・オスティレンジン・ バイカーボネイト、略してボブ。 ”benzoate”は安息化酸エステル、”bicarbonate”は重炭酸塩、間の”ostylezene”というのは造語のようです。
変形自在で破壊不可能、そして何でも食べます。「秀才君・暴れん坊・食いしん坊」というのは黄金のトリオでございますね。

Wikiaによると、捕獲されたのは1958年。リンクの捕獲が1961年でドクが翌1962年ということなので、チーム・モンスターの中では一番古顔ということになります。1958年というのはボブの元ネタとなった映画『The Blob』(邦題『マックイーンの絶対の危機』、TV放送時のタイトルは『人食いアメーバの恐怖』)が公開された年なのだそうで。ドクの元ネタ『蝿男の恐怖』の公開もこの年なんですけどね。何故4年も間があるんでしょう。ドクがゴキ化した日付は1962年9月12日であり、これは劇中の記録映像によってはっきり示されております。この日付が何に基づくパロディなのかは今の所判明しておりません。継続調査中でございます。

話をボブに戻しますと。
絵だけ見ると全然可愛くないけれども動いていると愛嬌がある、というキャラクターはドリームワークスのおはこでございます。中でもボブはその最たるものではないかと。WikiaNIckelodeon(TVシリーズのサイト)に出ている絵はまだしも可愛いんでございますけれども、映画の宣伝に使われた絵なんてこれですよ。これはイカンと思うの。

ご覧のように基本的にはオバQのような格好ですが、いくらでも自在に形を変えることができます。輪切りになってもバラバラになってもすぐT-1000のようにくっついて元通りになりますし、レーザービームもへっちゃら。その破壊不可能な性質に目をつけたドクによって、爆弾として利用されそうになったこともございました。
事実上不死身である上に脳みそを持っていないので、大抵の場合、ボブには分別や危機感というものがございません。そのため、押してはいけないスイッチをどうしても押したがったり、ランチとラーンチ(発射)を取り違えてミサイル発射ボタンを連打したり、「ちゃんとお風呂に入らないと気難しい奴になっちゃうよ」というスーザンの言葉を真に受けて人々を強制的に”入浴”させ、基地全体を機能不全に陥らせたりと、無邪気なトラブルメーカーの役割を果たすことが多うございます。

無邪気、というのはボブにあっては本当に字のごとくであって、いかなる相手であろうとも疑うということがなく、ずるさや悪意はもちろんのこと、面子や建前や口実といった概念も全く持ち合わせておりません。ボブがこの上なく厄介な奴でもあると同時に、この上なくよい子でもある所以でございます。またその常識はずれの発想は、時にドクから-----「genius/天才」という言葉を聞けばまず自分のことであろうと解釈するドクから-----「mindless genius/意図なき天才」と呼ばれるほどに独創的であり、チーム・モンスターには色々な面で欠かせない人員でございます。

リンクとはお互いベスト・フレンドを以て任じているため、つるんで騒動を起こすこともしょっちゅうです。とはいえ、リンクとつるんでいる時などはまだ可愛いもので、ボブに負けず劣らず何も考えていないハサウェイ大統領(後述)とつるんだ時は最悪でございます。ほぼこの2人のせいで、世界が黙示録的な大災厄の嵐に見舞われる直前まで行ったこともございました。

映画版と短編での声はセス・ローゲン、TV版はエリック・エーデルシュタインという方。声も喋り方もそっくりで、ワタクシには違いが全然わかりません。声のことでぜひとも触れておきたいのは、映画の日本語吹き替えでございます。ワタクシは基本的に、外国映画の吹き替えとして、本職の声優を押しのけて歌手やタレントが起用される風潮を苦々しく思っております。中には上手い人もいらっしゃるので全否定はしませんが。
ボブの声の吹き替えは、「バナナマン」の日村氏…といっても、普段TVを見ないので調べないとどっちがどっちか分からなかったんですけれども、アントン・シガーみたいな方の人ですね。この吹き替えは、素晴らしかったです。本家のセス・ローゲン(ちょっと野太い)よりも、ボブの無邪気なキャラクターには合っていると思われるくらいでございます。もしも短編やTVシリーズの日本語吹き替え版がでることになったら、ボブの声はぜひとも再び日村氏に担当していただきたいものでございます。


需要の有無に関わらずまだ続きます。

『ドストエフスキーと愛に生きる』

2014-04-11 | 映画
去年の『世界一美しい本をつくる男』に続いて、いささかミスリーディングな邦題がつけられたドイツ発ドキュメンタリー。原題が『Die Frau mit den fünf Elefanten(5頭の象と生きる女)』なので、分かり易さを優先してドストエフスキー云々という邦題になったのでしょうけれども、このタイトルから期待されるほどにはドストエフスキーへの言及はございませんでした。
とはいえ、作品自体はよいものでございました。教科書や年表に書かれることのない、こうした「小さな歴史/草の根の歴史」を発掘し記録していくこと自体、意義深いことでございます。

映画『ドストエフスキーと愛に生きる』公式サイト


独り住まいで古風な暮らしを営みながら、現役の翻訳家として活動するスヴェトラーナ・ガイヤーさん、84歳。
ウクライナに生まれ、ナチスドイツとスターリン下ソ連の支配を経験した彼女は「私は人生に借りがある」と語り、買い物からアイロンがけまで日常の家事を丁寧にこなすかたわら、生涯の仕事であるロシア文学の翻訳を続けています。
映画はガイヤーさんの日常や、故郷ウクライナへの65年ぶりの旅を淡々と追いつつ、激動と呼ぶにふさわしい時代を経て来たその半生を、彼女自身の語りによって振り返ります。

大粛清を受け、投獄・拷問された父親のこと。ドイツ軍がキエフにやって来た時、市民がスターリンからの解放者として独軍を歓迎したこと。彼女自身、「ヒトラーのユダヤ人嫌いはただの宣伝だと思っていた」こと。集めたユダヤ人たち-----彼女の友人とその母親を含む-----を殺すため何日も鳴り止まなかったという銃声の記憶。「非アーリア人種」である彼女に温情をかけたために、東部戦線送りにされたドイツ人官吏のこと。
大文字の歴史からはこぼれ落ちてしまう、個人としての歴史の語り、そこには単なる記録や数字に還元され得ない、体験者の証言ならではの重みがございます。

一方、日常をめぐるガイヤーさんの語りはウィットに富んでおり、聞くだに楽しいものでございます。ドストエフスキーの5大長編を指した「5頭の象」という例えも、ガイヤーさん自身の言葉でございます。
またごく若い時に始まり、文字通り彼女の生きる糧となった、翻訳という仕事についての語りも興味深いものでございました。ある言語を別の言語に翻訳するとはどういうことなのか。人は何故翻訳をするのか。その言語独特の響きとニュアンスを持った、翻訳不可能な言葉のこと。そしてレース編みの精緻さに例えられる、実際の翻訳作業の様子。どのようなレベルであれ他言語の翻訳という作業を試みたことのある人なら、頷きかつ襟を正さずにはいられない至言の数々でございました。

というわけで、色々な面において深みのあるドキュメンタリー映画でございましたが、タイトル以外の情報にあえて触れずに足を運んだワタクシとしては、やっぱりもうすこしドストエフスキーの話が聞きたかったなあというのが正直な所でございます。

ヴィヴィアン・ホー

2014-04-07 | 美術
第38回香港国際映画祭のポスターのイラストがたいへん素敵でございまして、これを描いたのはいったい何者かしらんと思ったわけです。

調べてみましたら、ヴィヴィアン・ホーという若いアーティストに行き当たりました。

vivian ho

ポスターの画風からしてコミック畑の人かと思いきや、そうではございませんで。スーパーリアルな油彩画や一見抽象画のようにも見えるモノクロ作品、卑近なモチーフを組み合わせて幻想的な画面を作り上げた作品などなど、高い技術と多彩な表現様式をお持ちのかたのようです。色彩感覚も素晴らしい。
90年代生まれということですから、現在は20代前半でしょうか。こらからどう発展して行かれるか、たいへん楽しみなアーティストでございます。いずれの表現形式もそれぞれに魅力がありますので、できれば一つの方向に固定することなく、あちらこちらに手を伸ばしつつ進んで行っていただきたいものでございます。

『MvA』のこと・登場人物その2(追記あり)

2014-04-04 | 映画
現実から逃走して『モンスターvsエイリアン』について語っていくシリーズ。
『MvA』のこと・登場人物その1の続きでございます。

今回は怒濤のドク語り。

Dr.コックローチ ph.d

こちら↓はTV版のドク。


超天才にしてマッドサイエンティストにしてゴキ男。
もとは100%人間だったのですが、ゴキの能力を人間に与えるという実験を自らに試した結果、能力の獲得には成功したものの、副作用でゴキ頭となってしまいました。今は50%人間、50%ゴキの身でいらっしゃいます。TVシリーズではゴキの割合をいっとき60%に引き上げたせいで、えらいことになっておりました。

ゴキの能力とは具体的にどんなものかといいますと、

・壁や天井を普通に歩ける
・ゴミを食べて生きて行ける
・ちょっとやそっとのダーメジでは死なない

など。
それからパタリロもまっつぁおのゴキブリ走法ですね。それほど危機感のない時は二足走行ですが、急ぐ時には四つん這いになってカサカサ走ります。低い姿勢のまま猛スピードで平行移動するさまのゴキらしさったらございません。また効果音が実に臨場感に溢れておりまして、わりとぞっといたしますよ。

変身前のドクの姿は映画の序盤でちらっと出てまいります。Dr. Cockroach - Monsters vs. Aliens Wiki←下の方にある画像ギャラリーの最上列右端。モンガー元帥(後述)は「handsom fellow/イケメン」と呼んでおりますが、微妙な所です。とりあえずワタクシには若作りなヴィンセント・プライスにしか見えませんです。
TVシリーズで明かされた所によると、ファーストネームはハーバート。密かにグレゴールかフランツであることを期待していました。そして「コックローチ(=ゴキ)」は本名なのだそうです。何と恐ろしい苗字でしょう。しかしあるエピソードで「家名を汚してしまった!」と苦悩していることから鑑みて、ご本人はこの姓に誇りを持っておいでのようです。大抵はDr.コックローチもしくはドクと呼ばれます。Dr.Cまたはドク・ローチと呼ばれることもあります。

ドクがどれだけ天才なのかと申しますと、鷹の爪団のレオナルド博士ぐらいの天才でございます。手近な材料から、スーパーコンピュターやら物質転送マシンやら、身につけると権威ある雰囲気をかもし出す香水「Air of Authority」やら、ポテトチップ1枚から際限なくエネルギーを生み出せる装置やら、色々作り上げてしまいます。手近な材料、というのは大抵の場合、ペットボトルやらピザの空き箱やら捨てられた家電やら。要するにゴミです。そこはゴキですから。
発明品の素材、またはおやつ調達のため、ゴミ缶の中に頭を突っ込んでいる場面がしょっちゅうあります。ちなみに好物は生ゴミ。そこはゴキですから。

ことほど左様にゴキであるにも関わらず、動画やファンアートの多さから鑑みるに、ドクはおそらくお子様に受けそうなボブと並んで、このフランチャイズ一番の人気キャラクターでございます。それはもう、質問サイトAsk.comに「何でDr.コックローチにばかりファンガールがつくんですか?」という質問が投稿されていたくらいでございます。あまりにもどうでもいい質問だったためか、回答はございませんでしたけれども。

さて、何故ドクばっかりそんなに人気があるのでしょうか。
人口脳や若返り光線銃を”手近な材料”から即座に作ってしまうほどの天才だから。
マッドサイエンティストらしさ満点のむわははははあ!という高笑いが素敵だから。
科学者なのにダンスがめっぽう上手く、エレキギターを弾きこなし、カクテル作りも得意な趣味人だから。
それもございましょう。
しかし何より、半分ゴキであろうと何であろうと、ドクは知的で小粋で礼儀正しく、茶目っ気がありノリもよく、プライドが高い一方で他者への優しい気遣いのできるジェントルマンであり、要するに人としてたいへん魅力的なキャラクターとして造形されているのでございます。人気があるのも当然ではございませんか。(駄洒落好きなのが玉にキズですが)

映画と短編の1作目でドクの声を吹き込んだヒュー・ローリーがおっしゃるように、ゴキというものは肯定的に描かれることがめったにない生物でございます。肯定どころか、名前自体が最大級の罵倒語として使われるほど嫌われております。ご存知のようにルワンダでは、ツチ族への嫌悪と虐殺を煽ったラジオ番組で、パーソナリティが繰り返しツチ族を「ゴキブリ」と呼んだのでした。昨今日本で行われているヘイトスピーチという恥ずべき現象においても、同じことが行われております。
かくまで否定的なものと見なされている生物に、上記のように魅力的な人格を与えるということは、大げさなようですが、罵倒語を無化するという側面がございます。
映画でもTVでも、ドクは仲間たちから全く普通に「Dr.コックローチ」、即ち「ゴキブリ博士」と呼ばれております。そんなキャラクターが肯定的なもの、「よいもの」として提示されることによって、否定的な響きしかなかったCockroachという語が、それまでとは違ったイメージを帯びるようになります。(あくまで語のイメージの話であって、実際のゴキさんを好きになれるかどうかはまた別問題)

社会通念上「わるい」とされているものを、あえてヒーロの座に据えるというのは『シュレック』や『メガマインド』とも通じるものがございます。ワタクシはドリームワークスのこういう所が好きなのですが、最初の記事で取り上げましたように、ドリームワークスのカッツェンバーグCEOは、もう当面この手のパロディ的作品は作らない方針のようでございます。いわく「『シャーク・テイル』、『モンスターvsエイリアン』、『メガマインド』はアプローチもトーンも発想もパロディと言う点で共通している。これらは国際的にはあまりいい業績を上げなかった。こうした作品はしばらく作られることはないだろう」
しかしもしひたすらディズニーのような王道を歩むようになったら、ドリームワークスの存在意義はどこにあるんでしょう。それにドル箱の『シュレック』だっておとぎ話のパロディでしょうに。ワタクシはドリームワークスの存在意義はひねくれにあると考えておりますので、CEOのこの方針によって社風まで変わってしまうのではないかといささか心配です。

ちと話が逸れました。
ワタクシはCGアニメというものがどれくらいモーションキャプチャに頼るものなのか存じませんので、キャラの動かし方についてアニメーターにどれくらいの裁量があるのかも分かりません。しかし細やかな表情や動きぶりから察するに、ドクはたいへん動かしがいのあるキャラクターなのではないかと想像いたします。
まずもって目玉が巨大ですので、瞳孔の大きさやまぶたの開き方で感情を非常に豊かに表現することができますし、感情や身体的状態を表すパーツとして触角(大写しになると恐ろしいほどリアル)を活用できるのも面白い所です。いかにもインテリらしい洗練と、ちょっと気取った雰囲気を漂わせる所作も大変結構で、作り手の愛情を感じる所でございます。胸の前で両手をグーにしたり、抱きついた時に片足が上がったりという女性的な仕草も可愛らしい。

そうそう、声についても触れておかなければ。
前にも触れましたように、ヒュー・ローリーのつんつんしていながらも明るさと気さくさを感じさせる喋り方が実に素晴らしいのです。ドクのキャラクター造形にも少なからず貢献なさったのではないかと。DVDのコメンタリによると、ドクのトレードマークであるマッドサイエンティスト笑いは、もとはローリーの即興なのだそうで。
↓この笑い。


ハロウィン向け短編2作目『Night Of The Living Carrots』でドクを演じたジェームズ・ホランは声質も喋り方もローリーと随分似ていて、これまた結構でございます。
TV版のクリス・オダウドもいい声なのですが、前の2人とはちと声質が違うこと、そして喋り方にキレとつんつん感が足りないのが残念でございます。とにかくローリーの吹き込みがあんまり素晴らしいので、それと比べるて聞き劣りがするのは仕方のないことではございます。

ドクの元ネタは、言わずと知れた『蝿男の恐怖』あるいは『ザ・フライ』。TVシリーズでは物質転送装置も登場いたします。ただし『蝿男~』では蝿と人間が融合してしまったのに対し、こちらの場合は「マッドなドク」と「サイエンティストなドク」の2人に分離してしまうという事態に。
このエピソードでもそうでしたが、映画からTVシリーズまで一貫して、ドクは自分が「マッドサイエンティスト」であるという点に高い誇りを持ってらっしゃるため、サイエンスという語を自分に関連づけて発する時には必ず頭に「マッド」が付きます。
ついでに半ゴキであることにも誇りを持ってらっしゃるようです。ゴキ頭になったことは、はたから見ると悲劇ですが、ドクにとっては彼の実験につきものの「miner side effect(些細な副作用)」のひとつにすぎないのでございましょう。実際はあんまり些細ではない場合が多いにしても。

(追記:2014年4月14日の現時点でWikipediaにはドクが「頭脳明晰で発明家としては独創的だが、マッドサイエンティストではないと主張する」と書かれておりますが、この記述の後半部分は誤りです。上の動画でのヒュー・ローリーの台詞にあるように、「I'm not a quack! I'm a mad scientist. There's a difference 私はインチキ博士ではない、マッドサイエンティストだ!一緒にするな」というのがドクの信条であり、むしろ自らがマッドサイエンティストであるとはっきり主張しております。劇中ではこのすぐ後に、「どうして誰も分かってくれないんだろう」と言いたげに、ちょっと悲しげな表情になるのが実によろしい。)

普通ならマイゴッドとかジーザスクライストとか言う場面で、ガリレオやホーキング博士の名前が出て来るドク。ギョロ目に白衣に高笑い、怪しい発明に天まで届くプライドと、正しいマッドサイエンティストの条件をかなり満たしているドク。自らも「私は不可能性のエキスパートだ(=不可能だと思うことなら私に任せなさい)」と豪語しますが、その割には、面倒な事態に直面した時には現実逃避に走りがちでございます。一度などはエピソードの初盤で「こういう時は目をつむって、太陽の降り注ぐアカプルコにいるフリをするといい」とのたまい、結局そのエピソードが終わるまで脳内アカプルコから帰って来ませんでした。

とまあ全エピソードを語り出しそうな勢いですので、ここらで切り上げようと思いますが、パロディに発したにも関わらずオリジナルな魅力に富んだドク・ローチ、このフランチャイズにおける他のキャラ共々、できることならもっと多くの作品で活躍していただきたいのでございますよ。NickelodeonでのTV’シリーズの放送は終わってしまいましたが、他局での復活。またはドリームワークスがせめて季節ものの短編だけでも作り続けてほしいものと、ワタクシは願ってやまない次第でございます。

と、こう願いながらも昨日ドラッグストアでホウ酸ダンゴを買って来てしまった。
今年も彼らと対決せねばならないのかしらん。例年にも増して心が痛むぞなもし。



他の記事を挟むかもしれませんが、続きます。


『MvA』のこと・登場人物その1

2014-04-01 | 映画
『Monsters vs Aliens』のこと - のろやの続きでございます。
原題も邦題も、文字にするとちと長ったらしうございますので、TVシリーズのオープニングにならって省略表記としました。
以前の記事で申しましたように、ワタクシは恐怖のゴキ男もといドク・ローチが好きでございますので、基本的にドク贔屓で語ってまいります。ご了承くださいませ。

では、早速キャラクター紹介から始めたいと思います。

スーザン・マーフィ(ジャイノミカ)
映画版のスーザン
TV版のスーザン(トップの絵)

TVシリーズの方では髪をくくっておりますが、これはおそらく映画版のように細やかに髪の毛を動かすのが、技術的にとっても大変なことだからではないかと。

カリフォルニアに住むごくごく普通の女の子(girl、と自称しているのでそれに準じます)だったのですが、結婚式の朝、教会のあずまやでうっとりしていた彼女を、こともあろうに隕石が直撃。スーザンは隕石に含まれていた物質・クアントニアムのせいで巨大化し、身長50フィート=約15メートルの怪力巨大乙女と化してしまいます。軍によって捕獲されたのちはモンスターとして「ジャイノミカ」の名を与えられ、一生外へは出られないという「エリア五十いくつ(後述)」に収容され、嘆きの日々を送っておりましたが、ある日突然現れたエイリアンの巨大ロボを撃退せよとの指令を受け…

というわけで、映画版では主役のスーザン。TVシリーズでは必ずしも主役というわけではありませんが、”チーム・モンスター”のリーダーという位置づけでございます。また、シリーズの第一話ですったもんだがあったおかげで、身体の大きさを普通サイズからジャイノミカサイズまで、自由に変えられるようになりました。
子供の頃はいわゆる「先生のお気に入り」タイプだったというだけあって、全キャラの中で最も良識がございます。そのため、TV版では他のキャラクターの暴走を止めたり、トラブルの解決策を見つけるといった役割を果たすことが多いのでございました。

そのあくまでgood girlたらんとする性格ゆえか、映画では婚約者であるデレクの自分勝手な振る舞いに傷つきながらも、不満を押し殺してしまうという場面もございました。また巨大化した後も「デレクがきっと何とかしてくれる」と甘い考えを抱いたり、ばかでかいロボットを前にして最初から諦めモードになってしまったり(まあこれは無理もないことですが)と、決してヒロイックなことはなく、本当にごくごく普通の女の子でございます。
そのスーザンが映画の終盤に重大な決断をするわけでございますが、これまたヒロイックな悲壮感というよりも、プライドやら怒りやら決心やら舐めんなよ感やら色んなものがごちゃまぜになったいわく言い難いものものが渦巻いておりまして、実によろしうございます。「やっちまえー」というより「うわあ…やったあ...」という感じでございます。
そうして色々あったおかげでございましょう、TV版の方では、自分自身にも仲間にも健全な信頼を抱いている、チームリーダーにふさわしいキャラクターとなっております。

モンスターとしての名前はジャイノミカなのですが、こう呼ぶのはモンガー元帥(後述)くらいなもので、たいていはスーザンと呼ばれます。モンスター仲間のミッシング・リンク(後述)は「スーズ」と呼んだりします。お父さんからは「スージーQ」と呼ばれています。

1958年の映画『Attack of the 50 Foot Woman(妖怪巨大女)』のパロディとして考案されたスーザン、誰でも好感の持てる申し分の無い主人公だと思うのですが、Wikiaによると、オリジナルの脚本では脇役だったとのこと。主人公は多くの有名モンスターたちを捕まえて来たモンスター狩りの名人で、スーザンは主人公のセクシーな彼女、要するにお色気要員だったようです。そんな話にならなくて本当に良かった。上の方にリンクを張りましたTV版のスーザンもWikiaのページでございまして、下の方に画像ギャラリーがございます。その上から5列目・右端の絵が、オリジナルのキャラデザなのだそうで。
...こんなんにならなくて本当に良かった。

声を演じているのは映画版ではリース・ウィザースプーン、TVではリキ・リンドホーム(主にドラマに出演している方のようです)。どちらもたいへん可愛い声でよろしい。


次回に続きます。