のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ノミ話 7

2006-03-31 | KLAUS NOMI
*WARNING 警告*

はい、毎度おなじみ ノミ話 でございますからね。
おそらくは皆様のお役に立つような情報は何一つ記されていない ということを
あらかじめ申し上げておきます。
貴方がクラウス・ノミのファンなら別ではございますが。
違いますでしょう。
違いまさあね。
ちぇっ!

時折、この世にノミ好きの人なんて存在していないんじゃなかろうかと
常からのネガティブ思考に輪をかけて 暗い気分になることはございますが
いやあどうしてなかなか、世の中捨てたもんじゃございませんね。

いえ ね。
忙しさに一段落ついたということもあって、以前から買おうか買うまいか迷っていた
洋盤『ノミ・ソング』DVD にとうとう手を出したのでございます。
日本版とどう違うかといえば、洋盤は特典映像が 断 然 多いのでございます。
洋盤 即ちリージョン1でございますから、
当然「日本国内用のDVDプレイヤーでは再生できません」という但し書きがついております。
いやそれでも、今は無理でもいつか見られる機会が来るかもしれないし
DVDプレイヤーではなくPCなら見られるかもしれないし(根拠ゼロ)
いつでも手に入る超メジャー作品では 決 し て ないし
手に入るうちに、入手しておかねば!
と思い立って 某熱帯系通販サイトで注文し、届いたのが昨日のこと。

奇しくも、のろが初めてノミ氏のCDを購入してからちょうど半年の日ではございませんか。
くだらないことをよく覚えてるって。ほっといてくださいまし。

何はともあれ、いやまずはジャケットを裏から表からしみじみと堪能してその後に
うちの有能同居人Mac miniさんのつつましやかな口元へ
盤をそっと送り込んだのでございますよ。

そうしましたら おお! DVDプレイヤーソフトが立ち上がり
とどこおりなく美しくPALM PICTURESのロゴが 画面にあらわれたではございませんか!!
ああ!神様ありがとう!信じてないけど!!

それに続くメニュー画面がまた、卒倒を誘うばかりに素晴らしかったのでございます。
チラシやパンフにも使われていた、ノミがおもちゃの銃をかまえている写真というのがあるんでございますがね、
即ち↓こういうやつですが



Total Eclipse のライヴ版イントロの流れる中、
この写真のノミが 画面上を てけてけ と歩き回るんでございますよ!
時折、銃を発砲しつつ。
いやもう!その可愛らしいことといったら!
のろは 後ろざまにばったり倒れてそのまま死ぬるかと思いました。

このメインメニューのみならず、細かなメニュー画面にも、コンテンツにも
作り手の遊び心 と、めいっぱいの愛情 が感じられて
のろは本当に嬉しくなってしまいました。
比べてみると国内版の方はあまりにも手を抜きすぎでございますが
まあ今はそんなことも申しますまい。 とにかく 非常に嬉しいのですよ。
ダメモトで買ってみたけれど、よかったよかった。
特典映像のインタヴューがまた・・・・・

と もう
このDVDの話題だけで4月のブログを埋めたいくらいの気分なのでございますが
そんなことはいたしません。さすがに。

ああすっかり 幸福感の押し売りをしてしまったようでございますね。
もしも今後一週間ばかり
ここに新しい記事が何も投稿されておりませなんだら
のろは あまりの幸福に耐えきれず消滅したもの と思ってくださりませ。




などと書いても
ここまで読む人いるのかなあ。

読んだ貴方はそうとう危篤な方だ。
そんな変なお人は
きっと上のイラストの元写真も見たいと思うにちがいない。
ほら、これですよ。
Klaus with Ray Gun - tribe.net

可愛いでしょう。

『ブロークバック・マウンテン』

2006-03-30 | 映画
「シャツを山に忘れて来た。」


いやあ・・・・・
何がせつないって 旦那、

鼻血 が せつないんでございますよ。

あの、鼻血のついたシャツが・・・・・・



何ですと。
何のことやら分からぬと。
そんな貴方は さあすぐ立って
『ブロークバック・マウンテン』
を観ておいでなさい。さあさあ!
京都にお住まいの方はこちらへ。↓ 「上映予定」の項でタイムテーブルが見られます。
京都シネマ|上映作品

詳しい鑑賞レポートは後日またいたします。

魂の深い所で触れ合った、触れ合ってしまった
孤独な2人の お話でございます。


DILBERT

2006-03-24 | 
本日はDilbertをご紹介。
「本」のカテゴリに入れるのもどうかとは思いましたが、コミックのカテゴリを作る予定はないので、とりあえず。

Dilbert Comic Strip Archive - Dilbert.com - The Official Dilbert Website by Scott Adams - Dilbert, Dogbert and Coworkers!

Dilbert、ご存知の方も多かろうと存じます。
世界65ヶ国25の言語2000紙で連載されているという、アメリカ発の日刊3コマ漫画です。
主人公は冴えないコンピュータエンジニアのDilbert。
周りを固めるのは
仕事のことを全く分かっていないボスや、
ひたすらサボることだけを考えている同僚、
IQは高いけどアホな研修生(←のろはこいつが大好きです)、
邪悪な人事部長のCatbert()、
Dilbertの飼い犬であり、世界征服を企むビジネスコンサルタントであるDogbertなど。
ちなみに公式サイトの解説によるとDogbertは「遺伝学的には犬だが、決して「人間の友」ではない」という輩です。

彼らが繰り広げる、はなはだけだるい会社生活は、シニカルに ユーモラスに かつ
「身近にあるある、こんなこと!」「身近にいるいる、こんな奴!」
と思わず膝を打つリアリティを滲ませて描かれ、
世界中のビジネスマンから笑いと共感をもって迎えられているのでございます。

のろが購読しております英和新聞「週刊ST」には対訳つきでDilbertが掲載されておりまして
始めはその乾いたユーモアがどうもピンと来なかったのろではございましたが
今ではすっかり病付きでございます。
どういうユーモアかと申しますと、こういうものです。訳文は「週刊ST」に準じます。
(全部載せると著作権に抵触するやもしれませんので、2コマ目はセリフのみにてお届けします。
著作権については若干調べはしたものの、作品を 非営利目的 で引用する場合に、
どういうケースが著作権侵害にあたるのか、またあたらないのか、いまいち判然としません)

向かって左がDilbert、真ん中がBoss(部長 と訳しています)、右が研修生のAsok君。



部長「この『事後分析』プロジェクトは、一人ひとりが失敗の要因を正直に認めてこそ、効果が上がるんだ」


2コマ目

研修生(真顔で)
「リーダーである部長のとんでもない愚行のおかげで
僕たちの本来の能力が抑圧され、やる気と集中力が失せたんです」




部長「『正直に』というのは、ここにいない誰かを責めろという意味だ」
研修生「ほら!部長、またやってるじゃないですか!」

Copyright:2005 United Feature Syndicate,Inc

はい、こんな感じでございます。

また
確か去年のことでしたか、公式サイトで「”Dilbert”に出て来そうなネタ大賞」というようなものを募集しておりまして
みごと大賞に輝いたのは次のようなネタでございました。

全社員に通達:明日から、IDカード非所持者は当社ビル内への立ち入りが禁じられる。
カード作成のための写真撮影は、来週の水曜日に行う。
カードは、2週間後に支給される。



・・・・・
先にカード作っとけぇ!!!

って話でございますね。

うーむ
どうも最近 
このコミックが 非 常 ~ に 身 近 に感じられるのでございますよ。
ええ。

ジョン・メリック いわく

2006-03-22 | Weblog
「 人は 理解できないものを 恐れます。 」

かの「エレファント・マン」、ジョン・メリック青年は
映画の中でこう語りました。



正確な場面は思い出せないのですが
醜悪な姿をした彼に対する人々のふるまい----嘲笑や好奇の視線----を、彼自身はどう思うか
について述べた言葉であったと記憶しております。

これが本当にメリック青年の言った言葉なのか、それとも脚本家の創造したセリフなのか
のろは存じません。
しかしこの言葉は、映画鑑賞当時10代であった のろの心に
他のどのセリフよりも深く刻みこまれ
その後もことあるごとに思い出されるのでございます。
とりわけ 今日のような日には。


本日は 日本人で初めてのエイズ患者が認定された日です。
1985年のことです。
初の症例が米国で報告されてから4年、当時なお、エイズは謎の死病で
HIV感染者への差別はすさまじいものだったそうでございます。
米国では感染者の通学拒否、雇用制限、生命保険からの締め出しが横行し
ハリウッドでは女優がキスシーンを拒否したり
感染が疑われる俳優のブラックリストが作られるなど、赤狩りさながらの狂騒を呈しました。
日本ではこの年、同性愛者からの献血は拒否するよう、厚生省から通達が出されました。

のろが最大限敬愛するクラウス・ノミ氏がエイズで亡くなったのは
これに先立つこと2年 1983年のことでございました。
この当時は「家族間の日常的な接触による感染の可能性」が医学会においても考えられておりました。
巷では「ゲイの癌」と呼ばれ
葬儀屋は感染者の遺体の処理を拒否しました。

多くの友人たちは感染を恐れて、ノミに触れることはおろか
入院後に見舞いに行くこともありませんでした。
見舞いに行ったわずかな友人の一人、ジョーイ・アリアスの証言によりますと
面会人はビニールの防護服を着用せねばならず、患者の身体に触れることは禁じられ、
面会後は手を洗うよう求められた ということでございます。

医学上、当時としてはやむを得ぬ処置だったのでありましょう。
しかし、決して孤独を好む人ではなかったノミが
誰にも看取られぬ孤独な死を迎えねばならなかった その責は
医学上の配慮よりもむしろ、社会に蔓延していた、得体の知れぬ病への恐れにあると申せましょう。


当時 のろは小学生でございました。
「エイズ」という単語は「わけのわからないビョーキ」を指す言葉に過ぎず
教室では子供たちばかりでなく先生までが、この病名を揶揄のための言葉として使っておりました。
「このエイズ!」という呼びかけが「このアホ!」くらいの意味合いの
軽い罵倒として 使われておりました。
のろ自身、使っておりました。


理解できないもの を
自分/自分たち から切り離し、恐怖の あるいは嘲笑の 対象とすることは
実にもって簡単なことで、わたくしたちはそうすることに
すっかり慣れきっております。
反対に
理解できないもの を
理解しようと努めること、あるいは 理解できずとも せめて
是認し、真面目な存在として受け入れること は
ものすごく面倒くさいのでございます。
自分を含めた世界を ぐるっと見るにつけ、自分/世界がこの慣習にどっぷりと浸っていることに思い至り
そこから抜け出すのはほとんど不可能なことのようにも思われるのでございます。

いや それでも
こうではない、別の存在の仕方があるはずだ
たとえ面倒くさくても、理解と是認の方向へ歩んで行くこと
その方向を、せめて指向することは できるはずだ するべきであるはずだ
と 思われるのでございます。

とりわけ 今日のような日には。


AIDS SCANDAL
HTML Text

『山猫』

2006-03-17 | 映画
本日は
サルディニア王ヴィットリオ・エマヌエレ2世がイタリア王国成立を宣言した日
なのだそうです。
また
巨匠ルキノ・ヴィスコンティの命日です。

共通点は『山猫』です。
統一戦争に揺れるイタリアを舞台に、没落してゆく貴族社会の最後のきらめきを描いたこの作品。

お屋敷、衣装、家具調度の絢爛さは申すまでもなく、
押し寄せる時代の波をそれぞれの仕方で受け止める登場人物たちの感情の機微、
貴族社会の、そして自らの人生の斜陽を自覚する
主人公サリーナ公爵(バート・ランカスター)の孤独とプライド、
台頭するブルジョアジー(=拝金主義)への皮肉な視線、
若さと野心で全身輝いているような、公爵の甥タンクレディ(アラン・ドロン)と
新興ブルジョアの娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)の美しさ。
どこを取っても見るに値する187分でございます。

しかしまあ
一番の見どころといったら
美しきカルディナーレ嬢の下品な高笑いと、アラン・ドロンの黒眼帯でございましょう。





アラン・ドロンつながりで申せば
本日は『太陽がいっぱい』のルネ・クレマン監督の命日でもあります。
「彼は一度でも愛してると言ったかい?・・・」
かーーーーっ
悪っ。

言い訳か説明か

2006-03-12 | Weblog


い、いや そのう ここの所忙しくて・・・


今年の初め この一年のモットーに
「弱音吐いても言い訳ゃするな」を掲げたにもかかわらず
弥生三月 すでにして言い訳がましいのろ。
イカン、本当にイカンよ。

しかしあれです、つまりその
言い訳および申し開き状況説明の境い目というのは、どこにあるんでございましょうね。

のろの体験談ではございませんが、こんな話があります。

小学生の時、先生に「なんで遅刻したんだ!」と怒られれたので
遅刻した理由を説明したら「言い訳するな!」とさらに怒られたという。

お読みくださっているアナタ
もしも貴方が関西人ならここでひとつ
この先生に厳しくツッコミを入れてやってください。
ハイ、どーせい言うねん!

もしも貴方がドイツ人なら
この教師の言葉の理不尽さを100文字以内で理路整然と説明してください。

もしも貴方がフランス人なら
エスプリのきいたキツい一言で、この教師に応酬してください。




「どうして学校の先生になりたいの?」
「子供たちをいじめるためよ」
---------------『地下鉄のザジ』レーモン・クノー

ゆず茶消費法

2006-03-08 | Weblog
めづらしく 食べ物の話をいたしますよ。

のろは甘い飲み物を好みません。
ところが去年、唐突に ゆず茶 をひと瓶 もらってしまいました。

見た目も味もマーマレードのような食品でございますから
ここはひとつ
パンに塗って食べてみよう
と トライしてみるも、うーむと唸るほどの甘さに変わりはなく
封は切ってしまったし、ハテどうしたものかと思案いたしました。

そこでフと
オレンジピールとチョコレートの相性が良いのなら
ゆずとココアも似た者同士、うまく行かぬこともあるまい と思い立ち
無糖ココア粉を買って来て、ゆず茶の瓶に バサバサと投入し
神妙にかつ容赦なく ぐちゃぐちゃと徹底的に混濁せしめた上で
再びパンに塗って食べてみたのでございます。

そうしましたら これがまあ
なかなか悪くない味なんでございますよ。ビタースウィートってやつでございますね。

まあしかし
のろの味覚ときたら、トリュフとしいたけの区別もつかぬであろうというシロモノでございますから
単に「甘みが減って食べやすくなった」というだけのことやもしれません。

そろそろ気候も暖かくなって参りまして
ホットドリンクの出番が少なくなって来る折でございます。

ゆず茶もココアも余っているというそこの貴方、
ゆず茶ココアペースト。
勇気と興味がおありでしたら、一度お試しあれ。

ザムザ君

2006-03-06 | 
おりしも 啓蟄でございますから
虫になった男の話でもいたしましょう。

初めて『変身』を読んだときには、全くガキンチョでございましたから
ただただ「な ん ちゅう 暗い話じゃ」と 思ったものでございました。
しかし
のろもそこそこ歳をとり、自分が存在していることを
アタリマエと思って享受することができなくなって参りまして
またスティーヴン・バーコフ↓や
   berkoff hot news archive 2003
   Steven Berkoff sales page
   Steven Berkoff sales page

ロバート・クラム↓に
Amazon.co.jp%uFF1AR. Crumb?'s Kafka: %u6D0B%u66F8



カフカ作品はブラックコメディーである ということを教えられたのちは
この作品を、自らに引き寄せて、いたって楽しく読むことができるようになっております。

のろは全くのところ
虫男ザムザ君にそっくりでございます。
我が友ザムザ君。笑

もちろん彼は、真面目で 家族思いの 心優しい男ですから
その点では、のろとはちっ とも似てやしませんけれどもね。

しかしのろが思いますに
ザムザ君がどんなに真面目でいいヤツであろうと
彼は、自分が何の役にも立たぬ醜い虫であると判明した時点で
この世を(あるいは家族のもとを)去るべきだったのでございますよ。
彼の妹が言うように、「人間があんな生き物と一緒に暮らせるわけがない」のは明白でございますからね。
家族は、彼の存在をしかたなしに我慢してやり
彼自身もそのこと(我慢してもらっている存在であること)を分かっていたにもかかわらず
その状況に甘えて、どこへも行けず 死にもせず ただ存在し続けたのです。

あわれなザムザ君!
彼の悲劇は、 ある日突然、虫になってた ということではなく
家族が、巨大な虫になった彼を 生理的に嫌悪した(これは人間として全く当然の反応) ということでもなく
自分自身に手を下すことができなかった ということでございますよ。

いなくなった方がいい、ということが分かっているくせに
いなくなることができない、ザムザ君。
あまつさえ------これはもはや喜劇でございますが-------自分がまだ、何かの役に立てる、と思っている!

結局のところ、彼は状況をまずい方向へと向かわせる という役にしか、立たないのでございますがね。
何か しよう というのが、そもそも間違いです。
いない方がいい存在なのですから。

Alas!
愚かなザムザ君!
君は 存在を みんなに 我慢してもらっている だけなのに。
我慢してもらっている という状況に 甘えているんだ。
愚かなザムザ君!
実にまったくのろそっくりだね。
大笑い。

『エルンスト・バルラハ展』3

2006-03-03 | 展覧会
3/1の続きでございます。
ドローイング、木版画、石版画、陶器にレリーフと、いろいろな媒体の作品が展示されておりますが
何と申しましても、目玉は木彫作品でございましょう。
のろはとりわけ、 手 の表現に、たいへん心惹かれました。

ドイツ、木彫、といったらリーメンシュナイダー↓が思い浮かぶのですが
%u30EA%u30FC%u30E1%u30F3%u30B7%u30E5%u30CA%u30A4%u30C0%u30FC%u7D00%u884C%u3000%u301C%u4E2D%u4E16%u30C9%u30A4%u30C4%u306E%u5F6B%u523B%u5BB6%u30C6%u30A3%u30EB%u30DE%u30F3%u30FB%u30EA%u30FC%u30E1%u30F3%u30B7%u30E5%u30CA%u30A4%u30C0%u30FC%u306E%u4F5C%u54C1%u306B%u51FA%u4F1A%u3046%u65C5%u301C
この方の作った 手 は、生身の人間が石化ならぬ木化したかのような生々しさと同時に、
生身の人間には保ち得ぬ聖性を持って、見る者の心に迫って参ります.

バルラハの造形は単純化を旨としており、その 手 も決して造形的に「生々しい」ものではございませんが
深い感情のこもった、実に生き生きとした手でございます。
思わず両の手で握りしめたくなるような
握りしめたならきっと、木肌の下に温かな血の流れを感じるのではないかと思わせるような
手の表現なのでございます。

人物の身体はみな、ミニマルな皺の刻まれた長衣に包まれています。
「復讐者」という作品では
衣は人物の感情に呼応して、力強く鋭い線を描き
衣それ自体が 復讐者の太刀のようです。



しかしほとんどの作品においては
衣は、人物の身体をしっかりとくるみ込んでいます。
あたかも、苦しみを 憧れを 感情を 押し包むかのように。

そこから突き出た 手 には。
万感の思いが込められています。

天を仰ぎ、憧れる 手 
案ずる 手 
求める 手
ギターの弦を押さえる指先。
果物の皮を剥こうと、ナイフを握る 手
休息する 手
恐怖する 手
決断する 手
闘う 手
守る 手

その 手 の
温かさ よるべなさ 
懊悩の深さ 憧れの強さ 祈りの静謐さは

見る者の心を強く惹き付けずにはおりません。

今回の展覧会は、地元欧州でもなかなか無いほどの規模とのこと。
行かねば損、でございますよ。

『エルンスト・バルラハ展』2

2006-03-01 | 展覧会
2/24の続きでございます。

去年の末、姫路市立美術館で『ケーテ・コルヴィッツ展』を鑑賞しました。
コルヴィッツ女史は、バルラハと同時代の、ドイツの芸術家です。
戦争 貧困 死 といった主題を、木版やブロンズで重厚に表現した作家の展覧会は
最初から最後まで、そうした「重たい」作品で構成されておりました。
同時代の作家ということで、のろはバルラハ展にも同様の「重たさ」を予想しておりました。
それ故、彼の作品の持つバラエティーや
軽やかな側面は、意外なものでございました。

*コルヴィッツ展、「重たい」といっても、決して悪い意味で申したのではございません。
 それどころか、これは 本 当 に素晴らしい展覧会でございました。
 いくつかの作品の前では、涙がぼろっぼろと滝のごとく流れて止まらなかったのでございます。
 大雪の日で来館者はほとんどおらず、寂とした展示室には、のろがズビズビとハナをすする音ばかりが
 盛大に響き渡っておりました。うーむ 監視の方はさぞご不快だったことでしょう。

閑話休題、バルラハです。

前半のセクションには、ドローイングや、雑誌の表紙を飾ったイラストレーションや、陶芸作品が展示されております。
20代後半、パリ滞在時代のドローイングは、とにかく出会ったものを手当たり次第描いた という雰囲気です。
釣りに興じる男たちや洗濯婦を描く視線は温かく
着飾った人々を描く視線は少々いじわるです。

神話や妖精をモチーフとした、あるいはファンタジックな、あるいはグロテスクな作品もございました。
このあたりを見ていますと、後年、この作家が、貧しい人や孤独な人の姿を
簡素にして力強い造形で表現することになろうとは想像もつきません。

ところでここに展示されていた陶製の壷(バルラハの作品)にも
以前『オランダ正月』の記事でご紹介した髭徳利のように、人面がつけられていたのでございますよ。
何故に器に人面をつけるのでしょうか、ドイツ。
しかも↓こんな顔を。


気になりますので、調べておきます。
判明したらまたご報告いたします。

バルラハ展レポートはまだ続きますが、本日はとりあえずこれにて。