のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『サヴァイヴィング ライフ』

2011-10-27 | 映画
存在するものは全て消滅の途上にあるという事実と、その一方でひとたび存在したものは何をもってしても取り消し得ないという事実、それらはなかなか面白いことではないかと思う今日この頃。

それはさておき

ヤン・シュヴァンクマイエルの新作『サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生-』を観てまいりました。

映画『サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生-』予告編


今年で御年77歳を数えるシュヴァンクマイエルでございますが、あの神経を紙ヤスリで逆撫でするような映像感覚は健在でございます。このあたり、方向性は異なるものの、デジタル技術を多様するようになってから画面ばかりでなく作品全体の手触りがさらっと薄味なものになってしまった感のあるテリー・ギリアムにはちと見習っていただきたい所。(そうはいってもワタクシ『ブラザーズ・グリム』は好きですけどね)
シュヴァンクマイエルの作品はとりわけ恐怖やショックを売りにしているわけでもないのに、安心して見ていられないという点ではホラー映画以上のものがございますね。短編の特集上映で観た『フローラ』なぞほんの30秒足らずの作品だというのに、展開されるイメージの強烈さに打ちのめされて、次の作品が始まっても全く集中できなかったものでございます。

『サヴァイヴィング ライフ』でもニワトリ頭の裸婦やペニスのついたテディベアなど、グロテスクで猥雑でありつつも妙に乾いたイメージは相変わらず。しかし振り返ればストーリーそれ自体には不合理な所がほとんどなく、むしろ最後に全てのピースがぴちっと嵌まるミステリーといった趣きすらあり、『オテサーネク』以上に普通に楽しめる映画となっておりました。
しかも冒頭にシュヴァンクマイエル本人が登場して「これは精神分析コメディです。何故なら、精神科医が出て来るから」と大真面目な顔でのたまうように、本作は喜劇でもあります。シュヴァンクマイエルの言葉は「でも、あんまり笑えません。作ってる間も笑えなかった」と続くのでございますが、半ば実写、半ば切り絵アニメーションと化したアーティスト本人が仏頂面でこんなこと言ってる時点で笑ってしまいました。

精神分析コメディというふざけた命名はしかし、実際正鵠を射たものであると申せましょう。ストーリーは主人公であるしがないサラリーマン、エフジェンが夜な夜な見る(一見)支離滅裂な夢を軸に、その夢に対する精神分析的解釈、そしてその夢と解釈とがエフジェンの現実の生活にもたらす大小の悲喜劇とをからめつつ進んでまいります。
夢の世界よりもむしろ現実世界の描写の方が悪夢じみていたり、シチュエーションとしては笑いどころなのに描き方がエグすぎて笑いが引きつってしまうようなイメージを持って来るあたり、実にもってシュヴァンクマイエルでございます。

もちろん冒頭の前口上どうりに精神科医もご登場。診察室の壁にいともわざとらしく掲げられているフロイトとユングの肖像写真が、目の前で展開することの成り行き、即ちエフジェンと精神科医とのやりとりに対していちいち反応するのが、ワタクシにはものすごくツボでございました。
初めは彼らの「弟子」たる精神科医の応答を見守りつつ、仲良く拍手したりうなずいたりしていたのが、エディプス・コンプレックスの話が出て来た辺りから意見の相違が表面化し始め、リビドー云々にフロイトが拍手喝采してもユングはムスッとしたまま、逆にアニマや元型の話になるとユング大喜びでフロイトはおかんむり、しまいには額縁を超えた殴り合いに発展したすえに共倒れという期待どうりの展開笑。

ひとつ物足りないと感じたことは、エフジェンの夢に現れる諸々の現象、即ちストーリーの本筋を構成する魅惑と謎の全てが、心理学的解釈の範疇にきちんと収まりすぎるという点でございます。『ジャバウォッキー』での黒猫のように、パズル完成と思いきや最後に何もかもぶちこわす存在があっても良かったと思うのですが。

ジャバウォッキー 1971


しかしまあ、「きちんと収まりすぎ」ということ自体、フロイトとユングの甚だベタなケンカ同様に、シュヴァンクマイエル流の皮肉なのかもしれません。彼が創造性の源泉として重視する無意識の世界を、学問という名のメスで腑分けしようとする、精神分析や心理学といった理知的なものへの。
分析のおかげをもって夢に現れる全ての謎は解明されたものの、それによって主人公エフジェンに残されたのは、家庭的・社会的生活が崩壊した現実と、もはや「謎の美女との逢瀬」という甘美な様相を剥がされた夢の世界とのみなのですから。





ウォルシンガム本新刊

2011-10-20 | 
届きました。



改装ウォルシンガム本3でもちらっとご紹介した、The Queen's Agent: Francis Walsingham at the Court of Elizabeth I でございます。
表紙カバーのタイトル部分は赤銅色のメタリック印刷およびエンボス加工が施されております。



裏表紙には賭けトランプに興じる貴人たちの図と、スペイン無敵艦隊の航路を記した海図、そしてエリザベスの署名入りの文書2点があしらわれております。折り返し部分の説明書きによるとこの文書、一枚は北部諸侯の反乱に加担したノーフォーク公トマス・ハワードに対する死刑執行令状(当ブログでの記事はこちら)であり、もう一枚は例の、エリザベスが散々渋って先延ばしにしたのちにウォルシンガムへのシビアな皮肉を吐きつつ署名した、メアリ・スチュアートの死刑執行令状-----メアリのみならず、哀れなデイヴィソン君の運命をも決した例のアレ(当ブログでの記事はこちらこちら)-----ということでございます。後者の令状にはもちろん、ロンドン塔近くの自宅でこれを受け取ったウォルシンガム本人の指紋がついているに違いございません。きゃっ。

さておき。
英Amazonのレヴューでは☆3と低めになっておりますが、これは「ウォルシンガムが主人公の小説かと思って買ったのに、やたら細かい歴史的事実ばっかり書かれてるし、学問的すぎて全然おもんなかった」といういささかお門違いな文句を垂れているレヴュアーが☆1をつけているからでございます。
ワタクシはもとより小説を買ったつもりはございませんし、やたら細かい歴史的事実こそまさに知りたい所でございますので、大いに楽しめるものと期待しております。この所用事が立て込んでいる上に購読紙が溜まりまくっておりますので、せっかく届いたのにしばらくは読めそうにないのが悔しい所。

カバーをはずすとこんなデザイン。


うーむ、なかなか渋い。
中ごろにあるカラー図版には、ケンブリッジ・キングスカレッジの正面図や、ロンドン郊外の別荘バーン・エルムスとおぼしき屋敷の絵など、今まで目にしたことのない資料も含まれております。紙質はまあまあといった所。文字の大きさも余白もちょうど読みやすいくらいのあんばいで、巻末にはきっちりと索引がついております。

ただ一点、どうしても苦言を呈したいことがございます。
例によって、造本のことでございます。
ハードカバーかつ丸背という立派な外観にもかかわらず、これが無線綴じ(糸綴じをせず、接着剤で背をくっつけただけの製本)なのでございます。しかも日本のハードカバーではよく見かけるアジロ綴じ(無線綴じの一種だが折丁ごとにまとめられており、開きがいい)ではなく、ペラものをホットメルトでバシーッと接着しただけの、要するに文庫本や新書やペーパーバックと何ら変わらないつくりなのでございます。



しかも、紙が横目。
これは本当に腹が立ちます。
本というのはテキストが判読できればそれでいいというものではないのですよ。綴じ方、製本方法、素材、字体から表紙デザインまで全てひっくるめて、その時代の精神を反映するものなのです。なりは立派なのに中身は早くて安上がりな上に壊れやすい製本で済ませるってどんな時代精神だ怒。後世に対して恥ずかしいことではございませんか。国王の身の安全のために病身を押し私財を投げ打って働いた人物の伝記がこんなことでいいのかイギリス怒。

といっても、かの国は産業革命のおかげをもって、世界に先駆けて粗悪本の大量生産ということをやりはじめたお国ではありますから、製本に対する無頓着さという点では伝統があると言えるかもしれません。
ウォルシンガム本人も「テキストが判読できればそれでいい」てなことをあっさり言いそうな御人ではありますしね。いや、何となく。


ジョブズ氏死去

2011-10-06 | 忌日
ええ?!
死去?!?!

米アップル:ジョブズ会長死去 56歳 8月にCEO退任 - 毎日jp(毎日新聞)

ヘッドラインを二度三度と読み返してああ「目を疑う」とはこのことか、と妙に納得したのち、どうやらデマではないということがじわじわ滲みて来て呆然といたしました。

ワタクシはいわゆるアップル信者というわけではございません。ipadやiphoneはおろかipodすら持っておりません(他社のものを使っているというわけではなく、そもそもこうした機器を持っていない)。
しかしパソコンの使い方をはじめて習ったときからずっとMacユーザーで通して今に至ります。初めて買ったパソコンもiMacのスノーでございました。
即ち、↓これ。
imacさんさようなら - のろや

実を申せば、このiMacさんが拙宅に届いたときに入っていた白い段ボール箱が、ワタクシはいまだに捨てられずにおります。大きいので畳んでおりますけどね。箱の4面にあのころっと可愛らしい姿がプリントされており、ふと目にするとなにかこう、亡き友の遺影を見るような心地がするわけでございます。

そんなわけでわりと長年のMacユーザーであるにもかかわらず、いまだにあんまり使いこなせていないというのは目の前のMac miniさんにも故ジョブズ氏にも申し訳ないかぎりではあります。どっちみち使いこなせないなら、何故世に広く普及しているWindowsにしてしまわないのかと申しますと、まず「何となく」な動かし方でもそこそこ使えてしまうユーザーフレンドリーさがありがたいから、そしてやっぱり、デザインがいいからでございます。
ドナルド・ジャッドがパソコンを作ったらこうなったという感じの、白とシルバーを基調としたミニマルな外観は、ど真ん中にのろごのみでございまして、先代のiMacさんにしても今のMac miniさんにしても、電子機器がさして好きでもないワタクシをして「これとならば一緒に暮らしたい」と思わしめるような魅力的な姿をしております。

いわゆるコントロールフリークとも称されるジョブズ氏、製品の機能のみならずデザインにも徹底的にこだわったということはつとに聞こえておりました。コンピュータのくせにうっとりと眺めたくなるデザインをまとったmacさんとその周辺機器を世に送り出してくれた功績も、氏に帰せられる所が大きいのかもしれません。

ipodやipadの恩恵を受けてもいなければパソコン業界に詳しくもないワタクシには、この訃報を聞いても、ひとつの時代が終ったと感じるほどの大きな感慨はございません。
しかし今目の前に鎮座している白い小箱、下は3℃から上は35℃まで激しい温度差のある拙宅において、文句も言わずつぶれもせず日夜働いてくれているグッドデザインな相棒氏をつくづくと眺めやりますと、ジョブっさんありがとう、という言葉が自然と胸中に沸き上がって来たのでございました。

というわけで
数々の素敵な製品で、世界を前よりも少し楽しい場所にしてくれて
ありがとう、スティーブ・ジョブズ。

アップル

『ジパング展』

2011-10-03 | 展覧会
忙しいのが一段落したので、高島屋で開催中の『ジパング展』へ行ってまいりました。

ZIPANGU / ジパング展 official website

玉石混合の感はございましたが、思ったよりも楽しめました。
思ったよりも、とは、そもそもの期待があまり高くなかったからということもございます。東京ではたいそう好評を博したというこの展覧会に、何故期待度低めで臨んだかと申しますと、本展公式サイトのトップページに表示される幾つかの作品を見た時、ああなるほど、いかにも「日本の現代美術」っぽいや、と何だかしらけた気分になってしまったからでございます。

と申しますのも-----ワタクシはその道の専門家でも何でもない一介の美術好きですから、単なる印象で申すのですが-----、ひとり奈良美智や村上隆のみならず、日本の若手アーティストの作品には、インスタレーションはまあ別として、「古典のパロディ」「アニメ・漫画的造形」「キモかわ、コワかわ、グロかわ」、そしてモチーフとしての「少女」の氾濫傾向があるように思われるわけでございます。そしてワタクシの目にはこうした傾向があまりよいものとしては映らず、かつ本展公式サイトのトップに現れる作品というのが、まさにそうした流れの真ん中を行くものと見えたからでございます。
上記の傾向を全否定するつもりはございませんが、もはや石を投げればキモかわに当たり犬が歩けば少女につまづくとでも申しましょうか、とにかく「またこれか」感が否めない所まで来ているというのが率直な印象でございます。

本展に足を運んでよかったことは、そうした傾向の中にあってもなおパンチ力のある作品が生み出される余地はあると分かった点でございました。
してみると上に挙げたような傾向そのものよりも、その安易な適用ぶりこそが嫌なのかもしれないなあとも思った次第。