のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ラースと、その彼女』

2009-01-29 | 映画
寝ている間にピッキングで部屋に侵入されて本だけごっそり盗まれる
という夢を見ました。
寝覚め最悪でございます。

それはさておき

ようやく『ラースと、その彼女』を観てまいりました。
いやあ、大変いい映画でございました。
前評判がよかったのでそこそこ期待しておりましたが、のろの期待を上回る良作でございました。

ストーリーは↑公式サイトを御覧いただくとして。

ラースと人形のビアンカをめぐる、田舎町のもろもろ。
語り口はユーモラスでございますが、「変な奴 V.S.まともな人」という型通りの、皮肉を含んだユーモアではございません。むしろ、まともな大人を自認する人々も、端から見ればちょっとおかしな嗜癖や子供っぽさを大なり小なり皆持っている、ということがやんわりと語られ、あくまでも優しい視点で描かれております。

やんわりとしているだけに、共感のしどころ、感じどころは見る人によって様々かと存じます。
のろが感じ入ったのは、ラースとビアンカを受け入れる、町の人々の優しさでございます。



もちろんラースが人形に恋したことは、小さな田舎町にとってちょっとどころではない事件でございます。日曜日には皆が教会に集まるような町で、車椅子に乗せられて公然と出歩くセックスドールというとんでもないシロモノが、人々の間にとまどいを引き起こさなかったわけではございません。ビアンカはコミュニティにとって、いわば大きな異物でございました。
しかし町の人々は、異物にそれっと飛びかかって排除したり、ラースをしゃにむに「矯正」しようとしたり、まともではないからと言って村八分にしたりといった頑迷で排他的なあり方はとらず、あえて彼女を受容することを選ぶのでございます。その受容の過程で人々も、ラース自身も、今まで目をそむけて来た様々な感情と向き合うことになります。そして本当に大切なものは何かということに気付いたり、確認したりしていくのでございます。

弟が狂ったと頭を抱えるラースの兄に「何であれ、彼女がやって来たことには理由があるのですよ」と諭す医師。
「たかが人形、大したことじゃないわ。...あんたとこの妹なんて猫に服を着せてるじゃないの!」と言い放つおばちゃん。
ビアンカを教会に入れる入れないで揉めた時、「イエスならどうしただろうか?」と皆に問いかける牧師さん。
こうした知性と度量と優しさでもってビアンカを受容することで、時々ちょっとぶつかりあいながらも前に歩き出す町の人々、そしてラース。

終盤に語られる「彼女(ビアンカ)は私達みんなに素晴らしい贈り物をくれました。私達が思ってもみなかった仕方で」という牧師さんの言葉は、この作品に一貫して流れている知性と優しさとユーモアを凝縮したようなセリフでございます。
「優しい」と申しますとちと柔弱なイメージになってしまいますが、本作はその一貫した優しさの中に、むしろ確固とした気骨を感じる作品でございました。たくましい優しさ、とでも申しましょうか。口調は穏やかかつユーモラスでありながら、その中に、様々な固定観念や偏見に対するカウンターパンチを含んでいるのでございます。

また共感しどころと言えば、ラースの「身体に触られると、痛い。熱いものに触ったときみたいに反射的に身を引いてしまう」という言葉に、触られることが非常に苦手なのろは大いに共感いたしました。ラースは身体的にも精神的にも、人と「触れ合う」ことをとても恐れております。ラースがその恐れを克服していく過程が本作の一番の主題であると申せましょうが、彼の抱いている恐れを描くにあたっての適度な距離感もまた、よろしいものでございました。
べったりとくっついてしまうのではなく、異常なものとして突き放してしまうのでもなく。まさしく町の人々がとった「寄り添う」という態度にも似た絶妙な距離感でございます。観ているこちらも町の人々と一緒に、ラースという内気な青年を見守っているような心地になりました。

北欧映画のような淡々とした雰囲気の漂う本作、意外にもれっきとしたアメリカ映画でございます。またウィキペディアによれば監督のクレイグ・ギレスピーはオーストラリア生まれで、19歳のときアメリカに渡ったとのこと。いやはや、イメージで決めつけてはいけませんね。ともあれ、9.11以降、国際社会で傲慢さや自国中心主義ばかりが目につくようになってしまったアメリカという国で、このような作品が生まれたのは、何かこう、心が明るくなるようなことでございます。




1月24日

2009-01-24 | KLAUS NOMI
*1/29 なぜか前半部分が消えてしまいましたので、再度UPいたします。少々初めとは文面が違うかもしれません、あしからず*



日食を2日後に控えて 本日は クラウス・ノミの誕生日でございます。 ええ、もう。せっかくの日食でございますよ! 2日くらい早めてくれたってよさそうなもんですのに、お天道様も不粋でございます。

さておき。 ノミがこの世にやって来て、今年で65年でございます。
ううむ、のろよりずいぶん年上なんだなあ。当たり前だけど。
ヤツの年齢は39で止まっておりますが、それにしたってだいぶ年上でございますし、残っている映像の中のノミも、たいがいは今ののろよりも年かさか、せいぜい同じぐらいでございます。ところが妙なことに、約3年と4ヶ月前に映画『ノミ・ソング』でヤツの存在を知って以来、のろは一度もそのように感じたことがなのでございます。むしろヤツはのろよりもずっと若い人のような気がしているのでございます。

そう感じるのは、ヤツのぶっとんだ歌やパフォーマンスから受ける「ものすごく真剣な悪ふざけ」とでも形容したい印象ゆえか。
あるいはクリスチャン・ホフマンが言う「ママの服でドレスアップするみたいな」ちょっと子供じみた狂騒をはらむ、時代が要請した演出術をヤツが体現しているからか。
それとも、ヤツが見せるはにかんだ子供のような笑顔ゆえか。



ちょうど去年のノミバースデーでご紹介したページではジョーイ・アリアスがこう語っておりますね。
私達は親友でした。彼はすごく楽しくて、セクシーでスマートな人でした。それに子供みたいな好奇心で何でも取り入れました。私より10歳も年上だったんですけどね。

また、当のろやで何度かご紹介しております『ノミ・ソング』英語版トレーラー
には、子供の声でナレーションが入っております。学芸会の口上のようなつたなくて生真面目な口調は、昔のSF映画や70-80年代のディスコの画像に奇妙なほどマッチしております。

誰しも、実年齢とは関係のない「子供性」のようなものを、心の内に持っているものでございます。
「子供性」という言葉で何が言いたいかと申しますと、
既成の価値や意味といったものから逸脱した発想や、とても真剣な遊び。
何もそこまでと思うほどのやんちゃ。
面白そうなものはとにかくやってみる好奇心。
そして、どこにも属していないボーダーレスな感じ、などでございます。
そういった「子供性」から出て来るのは、まあ、その性質からして、とんでもないアイディアだったりするわけでございます。例えば、テクノとロックとオペラ---しかもカウンターテナー---とバウハウスとレトロなSF映画と時々マレーネ・ディートリッヒを融合させてみようか、とか。

そういうとんでもないアイディアを、とんでもなく生真面目に実現することで、あのノミのステージができあがったのではないかしらん。だからこそ「いい大人がバカバカしいことをして」と思う人もいれば、のろのようにすっかり魅了されてしまう人もいるのではないかしらん。
もちろん「子供性」というひとつの言葉だけでノミのパフォーマンスを説明するつもりは、毛頭ございません。
ただ、思うのでございますよ。
もしもヤツが1983年8月6日にどっかへ行ってしまわないで、今もこのへんにいたとしたら、齢65を数えたとしても、やっぱりこういう際立った子供心を持ち続けていたのではないかしらん、と。

いずれにしても、本日はヤツのハッピーバスデーでございます。
ノミ、今年もイースト・ヴィレッジやフランスやドイツだけでなく、世界のいろんな所で、君のファンたちが今日を祝うことだろうよ。ロシアでも、中国でも、日本でも。そういう時代になったんだ。君には間に合わなかったけれど。



誕生日おめでとう、クラウス・ノミ。



午前2時半の対話

2009-01-19 | Weblog
---おお、のろよ。毎夜11時には床に入っていたいお前が、こんな時間まで作業を続けねばならないのは、
〆切が目前に迫っているのに『ミツバチのささやき』を観に行ったりしたからなのだよ。わかっているのかね。
きっとこういうことになるぞと、私は再三警告したではないか。

---わかっております、理性の神様。わかっております。
でも、とても観たかったんです。

---そうかあ。じゃあ、しょうがないな。





のろの理性はいつも弱腰でございます。

さてもガザのこと

2009-01-14 | Weblog
「イスラエルがここまでやるのは国際社会が共謀し、黙認するからです。停戦を破ったのはハマスではない。イスラエルは2ヶ月前から攻撃を始め、パレスチナの反撃を待ちかまえていた。たまりかねて反撃すると停戦を破ったと言う。ガザは世界一の人口密集地です。1キロ平米に4千人以上が住んでいる。こんな所に1-2トン級の爆弾を落とすことは、無実の一般市民を殺すつもりだということです。リブニ外相は「パレスチナ人はハマスやガザから離れろ」と言うが、いったいどこへ行けというのです?2年間に渡り海も空も陸も完全に封鎖しておきながら」

「ワルシャワゲットーやゲルニカなど過去の虐殺事件を振り返って「防ぐチャンスはあったのに黙認することで協力した」などと分析する暇があったら、今すぐ行動しましょう」


アメリカの非営利独立系ニュース番組Democracy now!より、パレスチナの独立系議員ムスタファ・バルグーティ氏とアメリカ在住の中東問題コメンテーター、アリ・アブニマー氏の言葉です。
日本語字幕付きのものがこちら↓で見られます。

2008.12.29-1 | DemocracyNow! Japan

「3時間停戦」を受けて、負傷者をパレスチナの外に搬送する活動が始まっているようでございます。
UNHCRを通じて、(ひとまず)救出された人々を支援することができます。
以下、日本UNHCR協会からのメール転載

***************

【現場からの報告】
・パレスチナ・ガザ地区関連の支援活動
----------------------------------------------------

アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は、今も続く
パレスチナ・ガザ地区での紛争において、戦乱を逃れる人々が
他国に安全を求める普遍的権利を尊重するなど、人道的原則を
厳守するよう求めています。

UNHCRは、エジプト領内に逃れたパレスチナ人に治療が
必要な場合に備え、エジプト赤新月社に緊急支援物資を提供し、
緊急支援チームや設備を動員できるよう、準備を整えています。
▼詳細はこちらから
国連難民高等弁務官、ガザ地区の紛争に関して、人道的原則を厳守するよう求める

※1950年の「UNHCR事務所規定」と1951年の
「国連難民条約」は共に、他の国連組織及び機関から
「保護もしくは援助を現在受けている者」を対象から除外しています。
国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)がパレスチナ難民への
援助機関として設立されているため、パレスチナ人はUNRWAの
事業地域を離れた場合のみ、UNHCRの任務と1951年国連難民条約の
対象となります。

例えば、UNHCRはイラク・シリア国境のキャンプやバグダットで、
パレスチナ難民への支援を行っています。
▼詳細はこちらから
UNHCR - Urgent appeal for resettlement of ex-Iraq Palestinians英語)

このパレスチナ・ガザ地区の紛争で犠牲となっている
人々を支えるために、皆様の迅速なご支援をお願いいたします!

■下記サイトから、
「中東・北アフリカ地域」をご指定ください。
ご寄附について | ご寄附について | 日本UNHCR協会

***************

国連は何もできないじゃないかって?
だから何かできるように、少しでも後押しせにゃならないんじゃございませんか。
UNHCRは政治的・軍事的な影響力はございませんけれども、実質的な支援とともに「世界はひどい目にあっている人々に対して、決して無関心ではない」というメッセージを発することはできます。難民に対する人道支援というのは(特に今回の場合)甚だ後追い的なことではございますが、せめて、せめてできることだけでもしなければ。

とか申しておきながら、いつも情報が遅くて申し訳ございません。
前にご紹介したAvaazのほかにも、世界的な署名を呼びかけている人々がいらっしゃいます。よくよく読んでみるとイスラエル寄りのサイトだったり、発信元が怪しげだったりということもございますが、こちら↓はきちんとした署名活動のようでございますので、遅まきながらご紹介いたします。

ラムゼイ・クラーク、ガザの即時停戦を求める国際署名開始




クリスティ忌

2009-01-12 | 忌日
本日は
アガサ・クリスティの忌日でございます。

のろは10代の折に『そして誰もいなくなった』『アクロイド殺し』『ABC殺人事件』『オリエント急行殺人事件』『ビッグ4』およびその他のポワロものをいくつか読んだのでございますが、とりわけクリスティファンになることもなく今に至っております。
思うにのろの頭は、上記の代表作に見られる反則技的なトリックを是とするには固すぎたのでございましょう。『アクロイド~』『オリエント~』などは,ラストでどちらかといえば腹が立ったということを告白せねばなりません。
また、のろはなんたってホームズ御大が好きでございましたから、ポワロ氏が御大を小馬鹿にするような発言をお吐きんなるたびに憤慨していたものでございます。

と言ってポワロさんが嫌いというわけでは決してございません。NHKで放送されていたドラマ「名探偵ポアロ』は欠かさず見ておりましたし。『シャーロック・ホームズの冒険』のように録画して何度も見たりはいたしませんでしたけどね、そこはそれ、愛情の差と言うもの。
ただ、ポワロさんがマントルピースの上のものを整頓するのやら、運転手のハンドルの持ち方にケチをつけるのやら、そういった細かいシーンは覚えておりますくせに、話の内容やトリックを全く覚えておりませんでね。どうもミステリードラマを楽しむというよりも、ただただデヴィッド・スーシェ氏のみごとなポワロっぷりに惹かれて見ていたというフシがあるような気がいたします。
スーシェ氏のポワロさんは風貌だけでなく、気取っているくせにどこかコミカルな物腰、ちょこちょことした歩き方などまさしくイメージぴったりでございまして、本当に小説の中から現実の世界へとトコトコ歩いて出て来たようでございましたっけ。



ちょっと鼻につく言動のあるポワロさんのこと、下手をするとずいぶん嫌味な人物になりかねません。実際、1974年の映画『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニー演じるポワロさんなどはちと嫌味が強うございまして、ワタクシはあんまり好きではございません。翻ってスーシェ氏のポワロさんはと申しますと実に愛嬌がございまして、神経質さや気取り屋な所までも魅力のひとつという感じがいたします。「原作ファンからも愛されるポワロ像」という評も大いにうなずけるではございませんか。

スーシェ氏といえば京都では近日公開の映画『バンク・ジョブ]にご出演とのことでございますね。
有名スターが出ていないせいかあまり大々的に宣伝されてはいないようでございますが、『世界最速のインディアン』のロジャー・ドナルドソン監督がメガホンをとった作品ということで、のろはけっこう期待しているんでございます。

と、どうも話がだんだんアガサ・クリスティから離れて行ってしまいました。
思い入れがないとこんなもんでございます。



再びガザのこと

2009-01-10 | Weblog
ううむ、もたもたしている間にどんどん情報が古くなってしまう。

ともあれ。

嘆かわしいことと喜ばしいことが起きております。
嘆かわしいこととは、もちろん皆様ご承知とは存じますが、国連の停戦要求にもかかわらずイスラエルが今もってガザへの攻撃を続け、アメリカの現政権はそれを止めに入る気が全く無いらしいこと。これについては市民活動団体Avaazが新聞広告によるキャンペーンを計画しております。キャンペーンへの呼びかけメールの内容を以下にご紹介いたします。

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以下、Avaazからのメール転載(一部&和訳)

外交官らが議論をしている間にも、ガザでの流血の惨事はエスカレートしています。死者は今や700人以上を数えています。そのほぼ半数は一般市民であり、子供の犠牲者も100人以上に上っています。イスラエルの戦車や戦闘機や砲撃手らが人口の密集した都心部に対して砲撃を行っているため、何千人もの人々が負傷しています。150万の市民は恐怖にさらされ、監獄のように孤立したこの地域から、逃げることもできずにいます。境界線が封鎖されているのです。ハマスもまたイスラエルへの攻撃を続け、ロケット弾によってイスラエル市民5人が殺害されました。

この状況は、変えられます。イスラエルの外務大臣ですら、国際的な強いプレッシャーがあれば停戦せざるをえなくなると認めています。そのためにこそ私達は30万強の署名を集め、請願書を国連、EU、そしてアラブ連合へと届けたのです。しかし国連の舞台で、ブッシュ米大統領は恥知らずにも、重要な国際社会の決議を妨げ、その代わりにイスラエルによる抑圧的なガザ封鎖を正当化する、偏向した代替案をねじ込もうとしたのです。ガザ封鎖こそ、ハマスがイスラエルへのロケット弾攻撃の理由としていることなのに。首脳たちが行き詰まって、有効性の無い声明を出している間にも、暴力はいっそう激化しています。

もう、たくさんです。私達は連邦議会関連のニュースを扱っているRoll Call紙やワシントン・ポストといったアメリカの政治的な有力紙で、広告キャンペーンを行います。ワシントン・ポストの広告料金は3万2千ドルなので、私達のうち千人がそれぞれ32ドル拠出するだけで費用がまかなえますし、それより多くの金額が寄せられれば、この取り組みをもっと広げることができます。アメリカのメディアが、今回の危機的事態にまつわる非常に際立った議論や基本的な事実関係を報道せずにいるのは全く不可解なことです。下のリンク先から広告を御覧下さい。そしてアメリカでの議論の場に平和を求める声を、充分な大きさで届けるために、ご寄付をお願いします。

GAZA ADS: ACT NOW TO STOP THE VIOLENCE

のろ注:↑リンク先の文章は上記のメールとほぼ同じ内容です。各紙に掲載される広告は画面右側に表示されています。クリックすると全文が見られます。
以下、広告の和訳



ブッシュ大統領、オバマ次期大統領、中東和平に導くのはどちらの道ですか?武力による強制か、両陣営の対話か?-----ガザに住む150万人の市民への封鎖措置を続けることや、停戦へ向けた対話からのハマスの締め出しは、更なる暴力を招く結果になるだけです。アメリカへの国際的な評価や中東の安定、そしてイスラエル-パレスチナ双方の市民の安全は、以下の条項を含む、ガザでの公正で恒久的な停戦を達成できるか否かにかかっています。
・国際社会の監視下において、パレスチナからのロケット弾攻撃とイスラエルによる空爆および侵攻を完全停止する。
・ハマスによる攻撃の主な動機となっているガザ地区の封鎖を解除し、燃料、食料、医薬品の流通および通商がとどこおりなく行われるようにする。
・武器の流入を防ぎながら安全に封鎖を解除するための、ガザ境界線と検問所における国際監視団の活動。
先週、世界各国の27万438人の市民が、国連安保理、エウ、アラブ連合、そしてアメリカ合衆国に向けられた以下の請願書に署名しました。

国連安保理、EU、アラブ連合およびアメリカ合衆国政府への請願
我々は、皆様がイスラエル-ガザ双方の市民を守るためただちにガザ地域での全面的な停戦への呼びかけを行うこと、そして高まる人道危機への懸念を表明することを求めます。流血を止め、交通を安全に再開し、2009年の平和構築へ向けて確実な進展をもたらすことができるのは、国際社会による揺るぎない監督と活動だけなのです。



以下、リンク先和訳の続き(寄付の手順)

1 Enter your details
First Nameにお名前、 Last Nameに名字、
Emailにはメールアドレス、 Cityにはお住まいの市町村、
Province/stateには都道府県、 Postcodeには郵便番号、 CountryでJapanを選択

2  Choose currency and amount
Currencyで(円で支払う場合)Yenを選択、金額の部分にチェックを入れる
その他の金額で寄付したい場合は、下のOther(Numbers only)に半角数字のみ入力

3 Enter your credit card details
Typeでカード会社を選択、Card Numberでカード番号を入力、
Verification Numberでカード裏面に印刷されている番号の下三桁を入力
Expiration Dateでカードの有効期限を選択して、その下のDONATEボタンを一度クリック。
もしかすると別ウインドウが開いて「Avaazに送金されますけどOK?」と聞いて来るかもしれません。
いいよと思うかたはOKを、やっぱやめようというかたはキャンセルをぽちっと。

以下、送信後に移動するページの和訳

ご寄付ありがとうございます。
ガザ停戦に向けたキャンペーンにご寄付いただきありがとうございます。あなたの貢献のおかげで、世界的な抗議の声をさらに高めることができます。ワシントン・ポスト等のメディアから、全ての攻撃や人道危機を止めるべく活動するべき立場にある要人たちに声を届け、公正で恒久的な停戦への流れを促進します。Avaazは独立した非営利組織であり、国家からも企業からも財政的援助を受けていませんので、あなたのご寄付は私達の活動にとってたいへん重要な支えです。改めて、あなたのしてくださったこと全てに感謝します。ありがとうございました。


----------


さて、
冒頭に「喜ばしいこと」も起きていると申しました。
これは何かと申しますと、イスラエル国内で、今回のガザ侵攻に対して大規模な抗議デモが行われたということでございます。
テルアビブで行われたデモには、何と1万人ものイスラエル市民が参加したとのことでございます。

以下はイダヒロユキ氏のブログからの転載でございます。

******* 転送・転載歓迎 **********

Saturday 03/01/09
MASSIVE DEMONSTRATION AGAINST THE WAR

2009年1月3日(土)

テルアビブで大規模反戦デモ

エフド・バラク〔国防大臣〕が軍隊にガザに対する残虐な地上攻撃を命令していたその頃、テルアビブでは、イスラエル全土から駆けつけた、戦争に反対する一万人あまりの人々が行進して、一大デモを行った。
テルアビブの主要道路のひとつであるイブン・グヴィロル通りの4車線はデモの人々で埋め尽くされた。参加者は、ラビン広場からシネマテックまでずっと歌を歌い、旗を振りながら行進した。

「選挙戦は子どもたちの死体の上でするものじゃない!」参加者はヘブライ語で韻を踏みながら叫んだ。
「孤児や未亡人を選挙宣伝に使うな!」「オルメルト、リヴニ、バラクーー戦争はゲームじゃない!」
「全閣僚が戦争犯罪者だ!」「バラク、バラク、心配するなーーハーグ〔国際刑事裁判所〕で会おう!」
「もうたくさんだーーハマースと話し合え!」

プラカードに書かれているのも、同様の文言だった。バラクの選挙スローガンをもじったものもあった:「バラクに愛想がないのは、殺人者ゆえ!」(バラクのスローガンの原文は「バラクに愛想がないのは、指導者ゆえ!」
こんなのもある:「2009年、選挙のための戦争にNOを!」、「6-議席-戦争!」
これは、戦争初日の世論調査で、バラク率いる労働党が6議席獲得の見込みと発表されたことを指している。

デモは警察との衝突のあとで始まった。警察は、右翼の暴徒がデモ隊を攻撃するのを抑えることができないからと言って、デモを禁じるか、少なくとも制約しようとしたのだった。なかでも警察は、デモの組織人たちに、参加者がパレスチナの旗を掲げるのを禁じるよう求めた。組織人たちは高等裁判所に請願、裁判所は、パレスチナの旗を合法と判断し、警察にデモ隊を暴徒から守るよう命じた。

デモの実施は、グシュ・シャロームと、平和のための女性連合、壁に反対するアナーキスト、ハダシュ、オルターナティヴ情報センター、ニュー・プロファイルなど20団体が決定した。メレツとピースナウは公式には参加していないが、多くのメンバーがデモに現れた。〔イスラエル〕北部から約1000人のアラブ系市民が20台のバスを連ねて到着した。彼らは、サクニーンで行われたアラブ系国民主体の一大デモを終えてその足でやって来たのだった。

組織人たち自身にとっても、これだけの規模の参加者があったことは
驚きだった。「第二次レバノン戦争開始の1週間後、私たちが反戦デモ
の動員に成功したのは1000人だけだった。今日、1万人もの人々が
参加したという事実は、今回の戦争に対して、はるかに強い反対がある
ということの証だ。もしバラクが自分の計画を続けるなら、世論は数日で
全面的に戦争反対に転じるかもしれない。」

グシュ・シャロームの巨大な旗にはヘブライ語とアラビア語と英語で
次のように書かれていた:「殺人を止めろ!封鎖を止めろ!占領を止め
ろ!」参加者たちは、封鎖の解除と即時停戦のスローガンを訴えた。

この抗議行動の日、極右は力ずくでデモを粉砕するために動員をかけた。
警察は暴動の阻止に極力、努め、ラビン広場からシネマテックまでの1マイ
ルの行進は比較的平穏に運んだ。しかし、参加者が警察との合意に基づき解
散し始めたとき、暴徒の一大群集が彼らを攻撃し始めたのだった。
警察は、それまで両陣営を近づけさせないようにしていたのだが、その場か
ら姿を消した。暴徒たちはこのあと、デモ隊の最後尾の参加者たちを取り囲
み、嫌がらせをし、小突き回した挙句、最後のデモ参加者たちの何人かが
シネマテックに逃げ込むと、これを包囲した。彼らは建物の内部に押し入ろ
うとし、デモ参加者を「片付けてやる」と脅したが、最後の瞬間、何人かの
警官が到着し、入り口を守った。暴徒たちは長いこと、その場を立ち去らな
かった。

このような状況で、行進の最後に予定されていた市民集会を開くことがで
きなかった。スピーチもなされなかった。以下は、ウリ・アヴネリがグ
シュ・シャロームを代表してするはずだったスピーチの翻訳である。



彼らは私たちのことを裏切り者だという。
彼らは私たちのことをイスラエルの破壊者だという。
彼らは私たちのことを犯罪者だという。

だが、私たちこそ彼らに言おう:
犯罪者とは、
この犯罪的かつ無益な戦争を始めた者たちだと。

無益な戦争、
なぜならカッサーム〔ロケット〕を止めることは可能だったから、
ガザの150万の住民たちに対する封鎖を政府がやめさえすれば。

犯罪的な戦争、
なぜなら、なによりもまず、これは公然にして恥知らずにも
エフド・バラクとツィピ・リヴニの選挙戦の一部だから。

私は告発する、エフド・バラクを。
彼はイスラエル国防軍の兵士たちを利用したのだ、
国会の議席数をふやすために。

私は告発する、ツィピ・リヴニを。
彼女は双方が殺戮しあうことを支持したのだ、
自分が首相になるために。

私は告発する、エフド・オルメルトを。
彼は自分の腐敗と汚職を糊塗しようとしたのだ、
破滅的な戦争を利用して。

私は彼らに要求する
この法廷から、
ここにいる勇気と分別に満ちた聴衆を代表して:
戦争をすぐにやめろ!
私たちの兵士たちや市民たちの血を無益に流させるな!
ガザの住民たちの血を流させるな!
地上部隊の侵攻がもたらすのは
さらなる悲惨
相互の殺戮
そして、さらにおぞましい戦争犯罪!
この戦争が終わったら、
いかなる将軍も、逮捕されるという恐怖と無縁に、
ヨーロッパの土を踏むことはできない。

ほかに道はないのだと、 私たちは言われているが、
それは嘘だ!!!
停戦は可能なのだ、今ですら、
そう、まさにこの瞬間にも、
殺人的な封鎖を解除することに同意して、
ガザの人々が尊厳をもって生きることを認め、
ハマースと対話するならば。

聞いてほしい、南部の人々、
スデロット、アシュドッド、 ビールシェバの人々よ、

私たちにもあなたがたの苦しみは分かるー
あなたがたとともに暮らしてはいないけれど、
私たちにはよく分かる。
だが、私たちは、
この戦争があなたがたの状況を変えはしないということもまた、
分かっている。

政治家たちはあなたがたを利用しているのだ、
政治家たちは、あなたがたおぶさって、戦争を指揮しているのだ、
あなたがたも分かっているはずだ!

私は要求する、オルメルト、バラク、リヴニに:
兵士たちをガザに送るな!
お前たち3人みな、戦争犯罪人として告発されるだろう!
お前たち3人みな、この代価を支払うだろう!

今、お前たちに敬礼しているイスラエルの大衆は
明日、お前たちを罰するだろう。
第二次レバノン戦争で起こったことが、
今度もまた起こるのだ。

そしてここに立っているみなさん、
女たちも男たちも、
若者も老人も、
ユダヤ人もアラブ人も、
この身の毛のよだず戦争に
最初の日から、
最初の瞬間から、
孤立し毒づかれながら、
抗議していたあなたたちこそが、本当の英雄だ!
誇りに思ってください、 心から誇りに。
あなたがたは、ヒステリーと無知の嵐の只中に
立っているのだから、
その風に吹き飛ばされることなく!
家のなかだけでなく、ここ、街頭においても、
正気を失うことなく!
世界じゅうの何百万という人々があなたがたに敬意を表しています。
あなたがた一人ひとりに。
一人の人間として、一人のイスラエル人として、一人の平和を求める者として、
私は今日、ここにいることを誇りに思います。

原文はこちら;
Gush Shalom - Israeli Peace Bloc
*************


『日展』2

2009-01-08 | 展覧会
間にいろいろ挟まりましたが、12/27の続きでございます。
前に申しました「未来の化石」のほか、日本画で印象深かった作品をいくつか述べさせていただきます。

原千紗さんの『洗濯機』(↓こちらで見ることができます、色彩は随分くすんでしまておりますが)
日展(日本美術展覧会) - 主な作品

大きな画面いっぱいに、繊細な、しかしねばつくような弾力性のある白い泡が渦巻き、その間に色とりどりの洗濯物、ハンカチやシャツや靴下が躍っております。日常生活の一コマを切り取ったにしても、情緒や物語性をいっさい排除したその切り取り方は実に新鮮で、すがすがしい感じがいたしました。そこには生活に疲れた人物もいなければ、家事に勤しむ母親も、洗濯機をのぞき込むいとけない子供の姿もございません。ただひたすら、ぐるぐる回る泡と洗濯物があるだけ。
ただそれだけ。しかし泡や洗濯物の躍動感と明るい色彩が、なんとも喜ばしい。そして洗濯槽からふわりと外へ漂い出た泡や色彩は、「洗濯」という全く日常に属しているはずの光景を、不思議に幻想的なものにしているのでございました。

泡と言えば福田浩之さんの『日々のあわ』も印象的でございました。(↑リンク先で見られます)
これまた「ただそれだけ感」とでも申しましょうか、どうも語彙が貧困で申し訳ないんでございますが。

竹内浩一さんの作品が見られたのも嬉しうございました。(↑リンク先で見られます)
竹内浩一さんの描く動物たちは体温や肌の湿り気まで伝わって来そうなほどに写実的でございますが、もちろん単にリアルというだけではとうてい足りない魅力がございます。羊や象、シマウマや猿、そして今回のライオン、彼らはみな、恐いような尊いような無垢の表情をその全身に浮かべております。その表情は意識に浸食された人間という生物にはもはや伺い知れない楽園-----無垢で残酷な楽園-----の住民である、という彼らのステイタスを見る者に想起させるのでございました。

それから村山春菜さんの『流動するかたち』という作品が大変よろしうございました。高い所から駅のホームを見下ろした図なんでございますが、一見抽象画かと見まごう画風、ぐいぐいとひかれた力強い線、がたがたと振動し、刻一刻と流動していくような「かたち」の表現など、際立ってユニークでございました。

彫刻部門では非常にのろごのみな作品がございました。
片山康之さん『すべての夜に』(↓こちらで見られます)
日展(日本美術展覧会) - 主な作品

月のように青ざめた男が、何かにもたれるようにして立っております。
頭を少し垂れ、膝を少し曲げ、前屈みになった身体はゆるいS字を描いております。ゆったりと曲線を描く胴体は、力なく垂れ下がる両腕、くるぶしで途切れている足と相まって、マニエリスム絵画のような浮遊感を宿しております。目を閉じ唇をこころもち開いたその顔には、喜びとも悲しみともつかない微妙な表情が浮かんでおります。瞑想しているのか、苦しみに耐えているのか、あるいはただ耳をすましているのか。腰から突き出ている木の枝や背中に走っているひび割れといった生(き)の部分の動的な痛々しさと、顔や手の静的で繊細な表情とがともに印象深い作品でございました。


まあそんなわけで
今回の日展、のろ的にはけっこう収穫のあるものでございました。

『修理屋(フィクサー)』

2009-01-03 | 
あけました。
おめでたいのかどうか、のろにはわかりません。
「よろしく」という言葉は嫌いなので申しません。

こんなことだから生きるのが面倒くさいんだろうなあ。




「キートンの西部成金」の一場面より。
ご覧になりたいかたはyoutubeにて、キーワード buster keaton go west で検索してくださいまし。ありがたいことに、全編UPされております。
日本では何故かDVDになってもいないマイナーな作品でございますが、たいへんキートンらしい一本ではないかと存じます。
即ち作る側はひたすら笑いのみを目指しているスラップスティック喜劇でありながらも、奇妙に詩情と哀愁が漂う点において。
決して意図的に演出されたものではない詩情と哀愁、ここがポイント。


年末にお仕事が舞い込んだため、今年のお正月も18きっぷ遠足はしないことにいたしました。ひとえにのろの力量のなさと「集中して、やるべきことをちゃっちゃと済ます」ということができない散漫な性質ゆえ。ああまったく。
ともあれ、移動中に読もうと思っていた本は自宅で消化することとなりました。
よって今年の初読書はバーナード・マラムード(マラマッド)の『修理屋』(1969 早川書房)でございます。

「必然」はスピノザを自由にし、ヤーコフを監獄に閉じこめた。スピノザは思索を通じて宇宙に達したが、ヤーコフの貧弱な思考は監房の中に封じ込められていた。
おれはスピノザと比較できるような人間ではないではないか。
彼は以前学んだ生物学を想い出そうとつとめ、頭に想い浮かべられるかぎりの歴史について考えてみた。神は歴史の中に姿を現わし、歴史を自分の目的に利用したと言われているが、そうとすると、神は人間に対して何の憐れみも持っていなかったわけだ。
p.259

革命前、ニコライ二世統治下のロシア。
レンガ工場のほど近くで、身体をめった刺しにされた子供の遺体が発見されます。
工場で監督として働く主人公ヤーコフはユダヤ人であるというだけの理由から、無実の罪で逮捕され、起訴すらされないまま、いつ果てるとも知れない屈辱的な監獄生活を強いられます。(なんともグアンタナモでございますね)*注
獄吏らによって加えられる激しい暴力と辱め、彼を是が非でも殺人犯に仕立て上げようとする官吏の不正や偽証、宗教熱に浸りきったキリスト教聖職者による弾劾と「悔悛」の勧め、保身を計った囚人仲間による厚顔無恥な裏切りなどなどによって、ヤーコフは何度も絶望の淵に叩き込まれます。
何度も、と申しましても、ある絶望的状況から這い上がるたびに再び、ということではなく、ある絶望的状況から、さらに一層ひどい絶望へと蹴落とされるのでございます。
映画『パピヨン』を彷彿とさせる劣悪な監獄生活の中で、ヤーコフに加えられる不当な精神的・肉体的暴力はまことに卑劣かつ残酷でございます。しかもそうした暴力は、正義を自認する検事や聖職者、そしてよき市民を自認する反ユダヤ主義者たちによってなされるのでございます。小説とはいえ、新年早々はらわたの煮えくり返る思いで読まねばなりませんでした。

しかし。
自身もユダヤ人である作者がこの作品の中で訴えているのは「ユダヤ人は偏見の中でかくもひどい目にあってきた」という狭い範囲での抗議のみではございません。それは原爆、冷戦、赤狩り、ケネディ暗殺、そして大戦後も各地で勃発する戦争と市民の犠牲といった、あとがきの言葉を借りるなら「ヒューマニズムを圧殺しようとしている現代の不合理な社会現象」への抗議であり、描かれているのは20世紀初頭のロシアにおける人種差別という限定された問題のみならず、自由と正義をめぐって人間はどういう態度を取りうるのか、という問題でございます。

今後一年-----どうなるやらわかりませんけれども-----、もし生きるとすれば、のろはこの作品のことをしばしば考えつつ生き、生活することになりましょう。

「...だから、今は生命の心配なしに眠るがいい。なんとか監獄を出られたら、自由の目的はひとのために自由を創り出すことにあるのだということを忘れないように」p.402

ああ、ビビコフさん。
だけどあなたは。



*注この設定は1913年に実際にロシアで起きた「ベイリス事件」を下敷きにしております。13歳の少年が何者かに殺害され、レンガ職人であったユダヤ人メンデル・ベイリスが「儀式殺人」の疑いで逮捕されたのでございます。「ユダヤ人は過ぎ越しの祭の際、キリスト教徒の血で練ったパンを食べる」という迷信に基づくでっちあげ逮捕でございました。ベイリスは2年間の拘束の後無罪を勝ち取りました。
この迷信にもとづく不当な弾圧の例は他にもあり、ベイリス事件の約十年前には、やはり儀式殺人のかどで無実のユダヤ人青年ヒルスナーが逮捕され、死刑を宣告されております。彼は当時大学教授でのちにチェコスロヴァキア初代大統領となるトマーシュ・マサリクの活動により、その後再審が認められ減刑、恩赦されました。