のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ウフィツィ美術館 自画像コレクション』展1

2011-01-31 | 展覧会
もし超能力があったら何に使います?
ワタクシは冬の夜に首まで布団にくるまったままで蛍光灯の紐を引っぱることに使います。

それはさておき

国立国際美術館で開催中のウフィツィ美術館 自画像コレクション 巨匠たちの「秘めた素顔」1664-2010 へ行ってまいりました。

やっぱり同一のテーマの作品を集めた展覧会というのは、独特の面白さがございますね。しかも本展で見られる作品は全て自画像というやや特殊なジャンルのものでございます。画風や服装、背景から時代の変遷を見るもよし、表情やポーズや小道具から、画家が自分自身をどう見ているか/どう見られたいと思っているかを読み取るもよし、その絵を描いた時の画家の心境に思いを馳せるもよし。様々な角度から楽しめる展覧会でございます。

17世紀から現代まで約70点におよぶ展示作品は、年代順に並べられております。第一室でさっそくお目にかかれるのは、宗教画さえ思わせる荘重な精神性をたたえたレンブラント50歳代の自画像。



描かれたのは1655年頃とのこと。画家がユダヤ人街に住居兼アトリエを構えていたころでございますね。スピノザが異端のかどで破門されてユダヤ人街を出たのは1656年7月のことでございますから、かの「有徳の無神論者」もこの絵が描かれていた時にはレンブラントのご近所さんのいちユダヤ人青年で、まだ弟と一緒に家業の貿易商を切り盛りしていた時かもしれません。あるいは、レンブラントが鏡を見やりながら画布に筆を下ろしていたまさにその時に、近所のシナゴーグではあの恐ろしい破門状が読み上げられていたのかもしれません。おお、そう思うだけでも、何かこう、わくわくとするではございませんか。
ちなみに1655年当時のオランダ国内状勢についてはこちら↓を。(記事内のリンク先は残念ながらもう別なものになっております)
ルーヴル美術館展1 - のろや

もっとも作品そのものはのろの勝手なわくわく感とは全く関わりなく、むしろ重々しく沈鬱な雰囲気を漂わせております。それもそのはず、この自画像が描かれた頃のレンブラントは浪費癖や私生活のごたごたのすえ、破産と財産差し押さえを目前にしておりました。

絵の中のレンブラントは眉間に深い皺を刻み、皮肉な笑みを浮かべるように唇の端をひき結び、眼差しは暗くうち沈みながらもしっかりとこちらを見つめております。もはや老年にさしかかった巨匠の顔に浮かんだ複雑な表情を見ますと、かつて妻サスキアと自分自身をモデルに描いた居酒屋の放蕩息子20代の自画像の自信に満ちた明るさを思い起こし、30年あまりの間に画家が経験した諸々の苦渋を思わずにはいられないのでございました。

次回に続きます。


エジプトのこと

2011-01-30 | Weblog
やる気がないことをやる気がないことの言い訳にするとそりゃもうたちまちスパイラル。

それはさておき
Avaazメールのご紹介すらおろそかになっている今日この頃ではありますが
エジプトのこと。

ぬくぬく安全な場所にいてエールだけ送るなんて卑怯だとも思う一方、
「支持を表明する」という行為は見かけよりも大事なことだとも思うのですよ。
そして少なくとも、ワタクシのような無気力の怠け者にもできるわずかなことでもあるのです。

以下、メール本文(訳責のろ 転載自由)

Dear friends,

何万人もの勇気あるエジプト人たちは今、重大な選択に直面しています。この数日間に、当局に拘束されたり死傷した人々は何千人にも上ります。しかし平和的な抗議活動を粘り強く続ければ、何十年にも渡った独裁体制を覆すこともできるでしょう。

ムバラク大統領への抗議者たちは国際的な結束を呼びかけていますが、このような状況下において人々の結束が持つ力を知っている独裁政権は、インターネットや携帯電話網を遮断し、エジプト国民を世界からも、自国民同士からも切り離そうとしています。

今の所、衛星と無線による通信機能はまだ機能しています。これらを通じてエジプトの人々に、私たちが彼らとともにあること、そして私たちの国の政府にも、彼らを支持するよう求めていくということを伝えましょう。事態は重大な局面にあります。一刻も無駄にはできません。下のリンク先から、結束のメッセージへの署名にご参加ください。

Avaaz - STAND WITH THE PEOPLE OF EGYPT

(のろ注:参加のしかた、メッセージの和訳などは当記事の*****以下をご覧下さい)

人々の力が中東を動かし始めています。チュニジアの20年以上に渡る独裁政権は、数日間の平和的な抗議によって崩壊しました。抗議活動は今やエジプト、イエメン、ヨルダンなど隣国をはじめ、さらに遠くまで広がっています。これはアラブ世界の「ベルリンの壁崩壊」となりうるでしょうか。エジプトでの独裁体制が終わりを迎えれば、民主主義の波がこの地域全体に押し寄せるかもしれません。

独裁者ムバラクはデモを弾圧しようとやっきになっていますが、勇気と強い決意に基づく抗議は止むことなく続いています。

権力者によってではなく、人々によって歴史が刻まれる瞬間というものがあります。今がその時です。エジプトの一般市民による活動は、彼らの国だけでなく、地域全体、そして世界全体に影響を及ぼすでしょう。彼らへの支持を表明し、エールを贈りましょう。

ムバラクの親族はすでに出国しましたが、大統領は昨夜、市街地に軍隊を出動させ、「無秩序」に対してはわずかな容赦もしない、という不吉な宣言をしています。いずれにせよ、これからの数日間で新たな歴史が刻まれることになります。この瞬間を、人々の結束の前では独裁が続くことはないということを、世界中のあらゆる独裁者に対して示す機会としようではありませんか。

With hope and admiration for the Egyptian people,
Ricken, Rewan, Ben, Graziela, Alice, Kien and the rest of the Avaaz team


*****

以下の声明と集まった署名数がエジプト国内でも受信できるラジオや衛星テレビで放送されます。
↓声明の和訳(リンク先右側のSIGN THE STATEMENT以下の文)↓

我々はエジプトの市民を支持し、その自由と基本的人権の要求、政府による弾圧とインターネット遮断の停止、および速やかで民主的な政治改革への要請を支持します。我々の国の政府には、エジプトの市民を結束して支持するよう求めます。

以上

↓署名のしかた↓

以前にも参加したことのある人は、声明文のすぐ下のEmail欄にメールアドレスを入れてピンクのSENDボタンをクリック。
初めてのかたは
Name:お名前
Email:メールアドレス
Country:国籍(選択)
Postcode:郵便番号
を入力の上,右側のSEND:送信ボタン をクリックすると参加できます。

リンク先画面右下に出ておりますピンク色のバーと数字が、現在署名に参加している人数です。のろがこの記事を書いている時点で、6万9573人が参加しています。

入力したアドレスにはご署名ありがとうメールが届きます。
その後も署名を呼びかけるメールが随時届きます。
それはちょっと...という方は、送られて来たメール本文の一番下にある go here to unsubscribe.(青字)という所をクリックして、移動先の空欄にメールアドレスを入力→SENDをクリックすれば登録は抹消されます。




1月24日

2011-01-24 | KLAUS NOMI
今年のNHKニューイヤーオペラコンサートでは「あなたの声に我が心は開く」を聞くことができました。
黒豆とかまぼこでボトル598円のワインを飲みながらうすぼんやりと番組を見ていたのろではございましたが、この曲が来た時には思わずTVの前に正座いたしましたとも。
しかしあれでござますね、やっぱり最後は轟音とピコピコ電子音の入り交じったフェードアウトで締めくくられないと何かもの足りませんね。
何のこっちゃとお思いの方はこちらをご覧下さい。

Klaus Nomi on TV Party


というわけで

本日は
クラウス・ノミの誕生日でございます。

話はまたちと遡りますが、去年の年末美術館「えき」京都で、生誕100年を迎えたキューピーちゃんの歴史と展開を辿る展覧会誕生100年 ローズオニール キューピー展 というものが開催されておりました。今ではマヨネーズとご当地グッズの販促が専門職みたいなキューピーちゃんの様々な側面を見ることができまして、なかなか面白い展示でございました。
ピエロやカウボーイ、水兵さんなどいろんな衣装を着たキューピー人形も展示されておりまして、アクリルケースの中にずらりと並んだ面々を眺めながら、ワタクシは思ったわけです。
ここには何としてもノミキューピーがいるべきであると。
つまり、こういうのが。



まあ、実物のかわいらしさには到底かないませんけどね。

そも、ヤツほどキャラクター化しやすい人もいないではございませんか。スリー・ポイント・ヘアに黒いクチビル、そして巨大なボウタイさえあれば、いや、ボウタイすら必須ではなく、あのヘアスタイルとクチビルさえあれば、それだけでもうまごうかたなきノミの出来上がりでございます。ちょうど長いもみあげとびらびら付きのジャンプスーツさえ備えていれば、それが猫であろうと熊であろうと亀であろうと「エルヴィス・プレスリーの真似をしている◯◯」になってしまうように。
しかも「レトロ風味のSF」というしっかりしたコンセプトが基本にあるので、そのベースの上でいろいろ展開することが可能でございます。そう、オペラにロックにテクノポップにマレーネ・ディートリッヒの持ち歌と、ジャンルも曲調もあんなにもバラバラな曲を収めたアルバムに統一感を待たせることができたのは、「遠い星からやって来た小さな宇宙人NOMI」というコンセプトと、それを演じきるヤツの存在があってこそでございましょう。

やはり映画『ノミ・ソング』でマン・パリッシュらが語っているように、メジャーデビュー以降、そうしたもともとのコンセプトを顧みない売り出し方をされたというのはまことに残念なことでございます。アングラ時代のライブ映像に見られるようなレトロSF路線で展開することができていたら、今も昔もアーティストとしてもっと真面目に評価されたのではないかしらん。

ところで先日劇場にて往年のフランス映画『地下鉄のザジ』を鑑賞したのでございますが、ノミが生前、他のどの国よりもフランスにおいて高く評価されたということに、この映画を見ていて何となく納得がいきました。画面いっぱいに繰り広げられる、わざとのわざとらしさと申しましょうか、型にのっとりつつそれを極端に誇張して崩す、という大真面目なおふざけ精神は、ノミ的スピリットに大いに通じる所があると思われるからでございます。

でも案外、本人に聞いてみたら「アーティストとして見られようとゲテモノとして見られようと、楽しんでもらえるならそれでいいよ」と言ったかもしれませんね。例のはにかんだ笑顔を見せながら。

そんなわけで
お誕生日おめでとう、クラウス・ノミ。




ところで本当は↑のようなキューピーを、実際に作りたかったのですよ。しかしノーマルなキューピー人形をどこで入手したものかわからぬままに今日を迎えてしまいました。キューピーノミを作りたい作りたいと思っていたら、夢にまでキューピー人形が出てまいりました。
いや、出て来てほしいのはそっちじゃなくて。



『ロビン・フッド』

2011-01-16 | 映画
去年の年末のことですからもう2週間より前になりますけれども、リドリー・スコット監督の『ロビン・フッド』を観てまいりました。

関連記事は↓こちら。
リチャード一世忌 - のろや

あまり期待していなかったせいかもしれませんが、なかなか面白かったですよ。どうしてもラッセル・クロウがかっこいいと思えないワタクシでも最後まで楽しく鑑賞させていただきました。
あまり期待していない作品を何故わざわざ観にいったかというと、もちろんソーターさんもといマーク・ストロングが出ているからなのでございますが、その話はまた後で。

重鎮から若手まで俳優陣の演技はみな素晴らしく、絵づくりはさすがにきれいでございます。衣装もセットも見事なもので、背景などにはCGを使っている所もあったのでしょうけれども、つくりもの感は全くございませんでした。冒頭の戦闘シーンは噂通りの迫力。とりわけ兵士たちに向かってぶっとい矢が雨あられと降り注ぐ様は、音響効果もあいまって、ちょっとおっかないような臨場感がございましたよ。ちなみにソーターさんはインタヴューで「もちろん撮影に使った矢には矢じりがついていないんだけど、それでも当たったらものすごく痛かったよ笑」とおっしゃってました。ああ、特に貴方は頭にガードがないから。

というわけで、決して面白くないわけではなかったのです。
絵を見ているだけでも退屈はいたしませんでした。

がしかし
全体的にお話のチグハグ感が拭えなかったのはなぜかしらん。いまいちのめりこめないというか。

悪役loverの視点から申しますと
まず何といってもワルモノ側の描き方が薄口すぎました。
疲弊した民衆から無理矢理税金を搾り取ったり、農村を略奪した上に無辜の民を納屋につめこんで火をつけたり、報償目当てに祖国と幼なじみを裏切って国家存亡の危機を招くののどこが薄口だとおっしゃいますか。
そこです、問題は。
ひとつひとつを見れば立派な悪徳なんでございますが、これらのワルモノ行為の主催者が、重税はジョン王、略奪はフランス兵、裏切りはサー・ゴドフリー(←マーク・ストロング)と、それぞれ別の人たちなわけでございますよ。悪役フラグが3本も立っているせいで、主人公に対抗する悪の存在がぼやけてしまい、それに伴ってストーリーの焦点もいささかぼやけてしまっているような気がいたします。

上に挙げたメイン悪徳行為3点の全部にからんでいるのはゴドフリーですから、一応彼が全ての黒幕ではあります。しかしそれにしてはアホ王ジョンが中途半端に目立ちすぎるのですよ。役者さんはうまかったんですけどね。彼に悪としての存在感がありすぎるために、このアホ王対策が何よりも重大な問題になってしまい、フランス軍による英国侵略という重大事件がすっかり霞んでしまうのですよ。おかげでクライマックスであるはずの仏軍との攻防は「最大の山場」という差し迫った緊張感を欠き、さんざん前フリがあるにもかかわらず、唐突な印象が否めません。マリアン&森チルドレン参戦の唐突さは言わずもがなですが。

いっそジョン王をもっとへろへろなアホにして、何もかもゴドフリーにそそのかされてやったということにしたらよかったんじゃないでしょうか。ゴドフリーは映画のラストで死んでしまうわけですが、そそのかす佞臣さえいれば、ロビンフッド伝説に繋がる悪王V.S.義賊の構図は崩れないわけですし。
いや、そもそもゴドフリーもフランス軍侵攻もなしにして、アホ王だけを悪役に据えた方がお話がシンプルでよかったのではないかと。何ですか、そんなにソーターさんを使いたかったんですか、カントク。いや、お気持ちはわかりますとも。『ワールド・オブ・ライズ』のハニ役でそれは素晴らしい仕事をしてくだすったソーターさんですものね。

さておき
チグハグ感のことに戻りますけれども、国の存亡の危機ですとか、国王の悪政に苦しめられる庶民といったシリアスな描写に対して、ロビンがマリアンの「夫」として仲間や領民と一緒にあれやこれやする描写はほのぼのしすぎていて、見ていて膝カックンをくらったような気分になりました。ああいう軽い明るい演出をするなら、いっそ政治的な挿話はばっさり捨ててスカッと爽快冒険活劇にしてくれればよかったのに。それなら色々ととんとん拍子すぎるロビンの”出世”ぶりや最後の唐突なマリアン参戦も「こういう映画だから」と納得して楽しめたことでございましょう。

主人公をはじめキャラクターの掘り下げが今ひとつなのも残念な所。ロビンははあれよあれよとカリスマ化してしまうし、リチャード兄ちゃんを嫌っていたはずのダメ王ジョンは対仏戦でいきなり「兄も自ら戦場で闘った!」などと言って参戦してしまうし。ゴドフリーはなにしろ出番が少なすぎて描写が足りません。おかげで黒幕のはずなのにいまいち存在感が薄く、単なる狂言回しのような位置に留まってしまっております。

↓の台詞などはたいへんよかったんでございますけどね。


そうそう、サー・ゴドフリーなのですよ。海外のレヴューで「マーク・ストロングの無駄遣い」と書かれていたのはこういうことだったのですね。

とにかく役回りの重要性に比べて出番が少なすぎ、ゴドフリーという重要人物の背景が全く描かれておりません。マーク・ストロングは善とも悪とも言い切れない複雑なキャラクターや、悪党だけれどもどこか憎めないコミカルな悪人を演じるのがたいへんうまいかたでございます。『ワールド・オブ・ライズ』での仕事ぶりから、監督自身もそれをよく知っているはず。それなのに、そのソーターさんが演じる悪役を充分生かせていないというのは痛恨の極みでございます。
『シャーロック・ホームズ』のブラックウッド卿も一面的なキャラクターだったじゃないかって。
あれはああいう映画だからいいんです。しかし本作のような歴史絵巻で、マーク・ストロングに深みを欠く人物を演じさせるのは甚だ勿体ない。

まあしかし
ソーターさんにくるぶしまで届く黒マントを着せてくれたというだけでも、ワタクシはこの映画に感謝せねばなりますまい。ふてぶてしい態度で指輪を見せびらかすシーンやら、エクソシスト爺ちゃんを精神的にいたぶったすえに刺し殺すシーンなどはとってもよろしうございましたしね。

あれ、不満の方が遥かに多くなってしまった。
重ねて申しますが、面白くなかったというわけではないんでございますよ。

ただツッコミ所がとても多かったというだけで。



今年の年賀状

2011-01-07 | Weblog
うう
やる気ない

年々歳々人生への情熱が失われてきているような気がいたします。
そんなものもとからなかったじゃないかと言われればまったくその通りでありまして、『魔の山』のセテムブリーニ氏がここにいたならば片手でひらひらと頭上を払うような身振りをしながら、無為に費されていく人生をいともぴちぴちとした美しい言葉で嘆いた上で、うだうだしてないで人類の進歩発展に貢献できるよう今すぐ行動しなっさーい と激を飛ばしてくれたことでございましょう。
しかし残念ながらワタクシはスイスのサナトリウムに入って7年を過ごすにはお金が不足しており、病気も不足しており、従って優雅な身振りで叱咤激励してくれるセテムブリーニさんにもこと欠いているのでございました。人生に対する消極性という点ではワタクシも主人公のカストルプ君にひけを取らないんだがなあ。

それはそうと今年の年賀状でございます。



ゴム版一色刷り手彩色にて製作。
当初は黒ウサギが歯を磨いているデザインで考えておりました。ただそうすると黒ウサギが歯磨きの広告に乗せられて少しでも白ウサギに近づこうと努力しているような印象もなくもがなであり、それはずいぶん嫌でしたので、そもそもの主役を白ウサギに変更いたしました。絵的にはやっぱり、中央に黒があった方が画面が引き締まってよかったでしょうね。

毎年こんな手間かけてこんな意味不明な年賀状作ってもいったい誰が喜ぶんかなと思いながらも毎年こんなことになってしまうのは何故なのか。受け取って嬉しいのは製作に手間のかかった年賀状よりも、真心のこもったひと言が書き添えられた年賀状の方に決まっております。しかしその「真心のこもったひと言」というものがどう頭をひねっても出て来ず、かつ社交辞令的な当たり障りのないひと言を書き添えるのはどうしても嫌なワタクシとしては、結局手間のかけようで誤摩化すより仕方がないのでございました。

さて年末から読みはじめた『魔の山』はようやくあと約4分の1を残す所までたどり着きました。カストルプ君の暮らすサナトリウムにはショーシャ夫人がペーペルコルン氏と連れ立って戻ってまいりました。ここから先はまたカストルプ青年のマダム・ショーシャ恋慕に付き合わされるか思うと、レントゲン写真に映し出された肺の影の如く、一抹の憂鬱がワタクシの胸中をかすめるのではございました。
でもセテムブリーニさんの行く末が気になるからがんばって最後まで読もうっと。


ベイダー卿 in ウィーン

2011-01-01 | 音楽
あけると何がどうおめでたいんでしょうか。

それはさておき
今年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートはフランツ・ウェルザー=メストさんの指揮でございました。
去年シェーンブルン宮殿にダース・ベイダーを出現させたかたでございますね。

"The Imperial March" by the Vienna Philharmonic Orchestra


うーむ、ものすごい名曲に聴こえる。いや実際名曲なんでしょうけれども、天下のウィーンフィルの演奏となると有り難さ4割増しでございます。
ニューイヤーコンサートでもこれをやってくれたら、ワタクシ大拍手だったんですけどね。もちろん最後のちゃんばらも含めて。

こちらはスター・ウォーズのメインテーマ。

Star Wars Main Theme - Vienna Philharmonic Orchestra


新年コンサートではやんちゃな所が全然ございませんで、そつなく品のいい演奏でございました。品が良すぎてもの足りない感じがなくもなかったり。