のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ヒトラー最期の12日間』

2006-04-30 | 映画
のろの愛聴していたラジオ番組、Barakan Beat が本日で終了してしまいました。
はなはだ傷心でございます。

さておき。

本日は
第三帝国総統アドルフ・ヒトラーが前日に結婚したエヴァ・ブラウンと共に自殺した日でございます。
というわけで
映画『ヒトラー最期の12日間』をご紹介いたします。

紹介といっても、詳しくストーリーを申し上げる必要はございますまい。
1942年にヒトラーの個人秘書として雇われたトラウドゥル・ユンゲ嬢の手記をもとに
ヒトラーおよび「第三帝国」の最期の日々を綴った作品でございます。

首都ベルリンでの市街戦、SSによる一般市民の処刑、市民兵として死んで行く子供たち。
ここで描かれているのは、戦争の むごさ というよりも 愚かしさ です。
「理想」という題目のもとに、戦争という異常事態へまで突き進んでしまう愚かしさ。
その異常事態の中で、自らの倫理観や判断力を見失ってしまう弱さ。
この弱さ、愚かしさはしかし、時代や状況のみに帰せられるものではございません。
この映画の中にある愚かしさはまぎれもなく 私 た ち、人 間 の 愚かしさでございます。

イスラエルのプレスはこの作品を、「ヒトラーを美化している」と批判しました。
本作のパンフレットに寄稿している映画評論家も
「これではヒトラーが怪物ではなく人間に見えてしまう、困ったことだ」というような文章を書いておられます。

しかしのろは ヒトラーという人物はこのように描かれるべきである と思います。
「怪物」ではなく、あくまで「ただの人間」として。
しかも、魅力的な側面も併せ持った・愚かな・哀れな・弱い・
つまり、私たちと何ら変わることのない、一人の人間として。
そうでなければ、 歴史 というものの意味が無くなってしまうと思うのでございます。
(いたって当たり前のことしか申し上げられないのですが、)
ホロコーストやファシズム旋風や独裁政治を
「怪物」が起こした、一過性の特殊な出来事として扱ってはならないからでございます。
「歴史の中で一時的に出現した、おかしな人々の起こした事件」という視点ではなく、
私たち、即ち人間という存在が、いかに愚かなことを行いうるか、行ってしまうのか、という視点から、過去を眺めねばなりません。
そうしてこそ、二度と同じ過ちを繰りかえさぬよう、自らに立ち返って考えることができますし
それこそが 歴史 の持つ最も重要な役割であるからでございます。

本作が採用しているのはこの視点であり
ヒトラーも、その周辺の人々ーーー崩壊の日まで付き従った幹部たちーーーも
人格や信念や感情を持った 普通の人間 として描かれています。

監督オリヴァー・ヒルシュビーゲルは、前作の『ES』(エス)で
ごく普通の市民が、状況によって短期間のうちにサディスティックな「怪物」へと変貌していく様を描きました。
これも、恐ろしいことに実話がもとになっている作品でございます。

どちらも、
映画の中の「彼ら」の話ではなく、生きている「私たち(=全ての人間」の話として
受け止めるべき作品でございます。






『ロープ』

2006-04-27 | 映画
本日は
ローブの日 でございます。
何故ロープの日なのか と申しますと
4月 27日。  
4  2 7。  
よい つ な。
良い綱・・・

本当ですってば!!

と いうわけで、本日は巨匠ヒッチコックの作品『ロープ』(1948年 80分)をご紹介いたしましょう。

大学を出たばかりの青年、フィリップとブランドン。
映画の冒頭、いきなり
2人は、同級生のデヴィッドを絞め殺します。
完全犯罪を遂行することによって、自分たちの優等性を証明するために。
「優れた者が劣った者を殺すことは肯定される」というラスコーリニコフ思想の2人は
さらなるスリルと優越感を味わうために
殺人を犯したその部屋に客を招き、死体を隠したままのチェストを
テーブル代わりに使って、パーティーを開くのでございます。
招かれた客の中にはデヴィッドの父や恋人、そして大学の恩師であったカデル教授(ジェームズ・ステュアート)の姿も。
死体を囲んでのパーティー。
果たして彼らの「完全犯罪」は
誰にも気付かれることなく完結するのでありましょうか?・・・・・

この映画の一番の特色は、80分間ワンカットであるということでございます。
舞台は最初から最後まで、殺人現場であるアパートの一室。
劇中の時間と現実の時間を同一にしたいわゆるリアルタイム・ドラマの形式。
鑑賞者は、あたかも自分がパーティーに同席しているかのような感覚を持つことができます。
あるいはマジックミラーを通して室内を見ているような、覗き見的な感覚を。

さて、そこで
行われた犯罪と死体の隠し場所を知っているのは
ブランドンとフィリップ、そして 鑑賞者 のみ。
鑑賞者は、あたかも共犯者のような立場に置かれるのでございます。
ブランドンがわざわざ挑発的なことをする度にハラハラし、
会話がチェストや凶器であるロープのことに及ぶと
ああ、今にも死体が見つかる、と気をもみます。
決して 椅子の背にビタッと貼付けになるような緊迫感 ではございませんが、
全編ワンカットの面白みも手伝って、最後まで目が離せません。

最初から最後まで、見る者に緊張感を強いる作品というと
最近では『CUBE』や『SAW』を思い出しますが
ストーリーも描写も凄惨でございますね。時代の反映、でございましょうか。


ロープの日 といえば
バロネス・オルツィのシリーズ小説『隅の老人』もご紹介したい所でございますが
別の機会に譲ることといたします。
そうですねえ、敬老の日にでも。



『フンデルトヴァッサー展』

2006-04-26 | 展覧会
『フンデルトヴァッサー展』へ行って参りました。(京都国立近代美術館 ~5/21)



人と自然:ある芸術家の理想と挑戦 フンデルトヴァッサー展 京都国立近代美術館
Kunst Haus Wien /entrance

フンデルトヴァッサー Hundertwasser、舞洲工場(大阪・此花区のゴミ処理場)の設計者としてご存知の方もいらっしゃるでしょう。
本展にはこの舞洲工場をはじめ、彼が設計した建物や建築空間のジオラマが設置されております。
これが素晴らしい!
こんな建築物が現実に存在する、と知るだけでも、貴方の人生が楽しくなること請け合いでございます。

屋上には樹木が茂り、屋根の稜線はうねうねと波うち、緑なす丘陵の所々から、窓が顔を覗かせ
カラフルな塔の上には、金のタマネギ屋根がすまして輝いております。

エコロジストとしても知られるフンデルトヴァッサー。
緑地や植生を取り込んだーーーあるいは、緑地や植生の中に溶け込んだーーー有機的な形態の建築物は
近代的合理主義が生み出した直線的・画一的な建築へのアンチテーゼであり、代替案でもあります。

あたかも蟻塚のごとく、生態系の一部になることを欲する建築。
なおかつ、そのビビッドな色彩は、自然に 埋没 することは拒み
人間という(比較的)創造的な生物(と、仮に呼んでおきます)の生活空間であることを主張しています。

本展の中核をなしているのは平面作品です。
ことに、詩的でプリミティヴな味わいのある木版画が多く展示されております。
幻視を思わせるこれらの作品の中、アクセントのように置かれた建築模型は
フンデルトヴァッサーの、現実と取り組んだ活動するエコロジストとしての側面を伝えてくれます。

全作品を通じて感じられたことは
氏が 有機的な全体性 を重視しておられたということです。
氏の描く画面の中では、人体も、風景も、建物も
ひとしくドットや縞模様、渦巻き模様で飾られ、互いに浸透し合っています。
氏の多様する「渦巻き模様」は、永遠に繰り返す 生と死、生成と消滅 の象徴です。
樹の中にも、水の中にも、人の中にも、自動車の中にも、ひとしく存在する
生成と消滅の法則。
独立して存在し得るものなどありはしない、全ては連関している、というメッセージにも思われます。

展示後半にある版画作品集『雨の日に見てごらん』には、メタリックな箔押しが多用されております。
マットな木版の画面の中で、きらきらと輝く箔。
見る角度や光のコンディションによって異なった輝きを見せる、箔と言う技法を用いたのも
一定ではないもの、変化し続けるものを表現するためでありましょうか。

屋上にグリーンを頂いた建物を氏が初めて発表した当時は
実用的ではない、と 見向きもされなかったとのことです。
今や「屋上緑化」という言葉は決して特殊な言葉でも、非現実的な言葉でもありません。
時代が追いついた、とはこのことでございますね。

舞洲工場については「税金の無駄遣いでは」というご意見もあるらしいのですが
これについてはのろがゴタクを申すより、こちらをご覧頂いた方がよろしうございましょう。
↓目次のトップ項です。
フンデルトヴァッサー

ノミ話8

2006-04-23 | KLAUS NOMI
ちと 職権乱用してみました。

いえ ね。
京都で開催されるイベント、楽町楽家のポスターを描かせていただいたのです。
街に人々がくり出している様子を洛中洛外図風に、というご依頼で
ご覧のように、画面のあちこちに人をこちゃこちゃと描きました。




おやっ
よく見るとその中に

ノーメイクのクラウス・ノミが・・・



えっ。 
ノーメイクじゃ、フツーにハゲたおっちゃんにしか見えないって。
ええ。それは仕方がございません。
だって、実際そうなんですから。ほらっ。

Matt & Andrej Koymasky - Famous GLTB - Klaus Nomi

それに、フルメイクのクラウス・ノミに京都の町並みを闊歩させるわけにもいかないではございませんか。
のろにも良識ってものがございます。少しですが。
もし街でポスターを見かけたら、ノミ探してみてください 笑。

これまたわずかな自制心を働かせて
ノミ話はなるたけ月に一回以内に留めようと思っておりますので
(ノミ話以外の記事にもやたらと名前が出てまいりますが・・)
次の話題もここでまとめてご紹介いたします。

googleでノミ話をあさっていると(馬鹿)、こんな記事を見つけました。

Six Meat Buffet Klaus Nomi Picks the 2005 Bloggies

ブロガーがクラウス・ノミの幽霊にインタヴューしております。
ブロガー、即ちブログをやっている人、でございますね。話題は2005年のブログ大賞について。
なぜこのブロガーがこの話題にノミを引っ張り出して来たのかは不明ですが・・・ま、好きなんでしょうね。
ノミ、横柄かつ意地悪でございます。笑いました。

ブロガー「クラウス、その冗談、おもんないですよ」
ノミ「笑え!笑うんだ、ブロガー、今すぐ!でなきゃもう帰る」

まあ
知人たちの証言によると、実際のノミ氏は基本的にシャイ&Sweet な奴だったようですから
こういう話し方はしなかったと思いますが笑。

「あの世つまんなくってさ」とか言っております。
じゃあ 
帰ってきなよ。


『アメリカ』展

2006-04-20 | 展覧会
『アメリカーーーホイットニー美術館コレクションに見るアメリカの素顔』に行って参りました。兵庫県立美術館にて5/14まで開催中。

兵庫県立美術館-「芸術の館」-【展覧会】

アメリカの素顔なんぞ見たかないよ と 思ったものの、本展の広告塔である
リキテンスタインの『窓辺の少女』、あのいかにも様式化された、わざとらしいアメリカンガ~ルの笑顔に心惹かれて。

ホイットニー美術館、創設者は資産家で彫刻家でもあったガートルード・ホイットニー。
収集していたアメリカ美術のコレクションをメトロポリタン美術館に寄贈しようとした所、
アメリカ美術を馬鹿にしていたメトは「そんなもんいりません」と断りました。
メトの対応に憤慨した彼女の「いいわ、それなら自分で美術館を作ってやる」という決意から、この美術館が創設されたのだとか。
えらいなあ、ガーティ!

作品数は多くはございませんが、そのぶんゆったりじっくり鑑賞できました。お客さんが少なかったせいもございますが・・。
各展示室の、全体の眺めを楽しみつつ、個々の作品を鑑賞することをお勧めいたします。
立体作品が床に落とす影、広がり包み込むような表情で迎えてくれるマーク・ロスコ、
グレーの壁の間から顔を覗かせるビビッドなフランク・ステラ。
天井は高く光は柔らかく、磨かれた床の映り込みも美しい、大変心地よい空間でございます。
作品の意味や意義はとりあえず横に置いて、まずは視覚を楽しませましょう。

セクション2と3の間の休憩室ではNHK『世界美術館紀行』の、ホイットニー美術館の回が上映されております。
ああ!お懐かしい、石澤アナ。イタリア美術の特集番組で、勢いにまかせてカンツォーネを歌っていた貴方の姿を
のろは生涯忘れますまい。忘れてほしかろうけど。
この休憩室の壁面にはホイットニー美術館関連の年表が掲示されております。
アメリカの文化・社会についての年表も併記されており
「ほー、この美術イベントはこの時代にあったのか・・・」と、のろは驚くやら感心するやらでございました。
MOMA(Museum Of Modern Art:ニューヨーク近代美術館)が開館したのは1929年、大恐慌の発生した年である、とか。
してみるとMOMAも、御年87歳を迎えるわけでございますね。

ホッパーからキース・ヘリングまで、20世紀アメリカ美術といえば、美術好きでなくとも思い浮かぶようなBig Nameがそろっております。
土着性を重視した作品などもございましたが
軽薄さやわざとらしさを逆手に取った作品がとりわけ面白うございました。
例えばウェイン・ティーボー(WAYNE THIEBAUD)の『パイ・カウンター』

(↓トリミングされている上に、実物の質感も色彩も大幅に失われておりますが、ご参考までに)
Pie Counter, 1963 by Wayne Thiebaud at FulcrumGallery.com

図録には「アメリカの共同の欲望が・・・・よく示されている」と解説されております。
しかし ことは「アメリカの欲望」というのみに留まるものではございません。
グローバリゼーション(=アメリカナイゼーション)が浸透した社会において
この作品に示されている「欲望」は、とりもなおさず「私たちの欲望」なのです。

白い背景、明るいベージュの清潔感あふれるテーブル。
その上に、おいしそうなパイが ひたすら 並んでいます。
画家はパイ生地やクリームの質感にも気を配ったというだけに、本当においしそうです。
ちょっとひとかじりしてもいいですか、と手をのばしたくなるほど、おいしそうです。
どのパイも 一様に おいしそう です。
そう、どのパイも、全く同じおいしさ なのでありましょう。
そして、この絵の中のパイがすっかり売り切れても
明日また、これと全く同じ格好の 全く同じようにおいしそうな 実際、全く同じ味のパイが
カウンターに並ぶことでしょう。

それを当たり前と思っている私たち。
むしろ、それを 望んでいる 私たち。
共同の、欲望。

悲壮感や深刻な表情を帯びること無く、
あくまでも楽しそうな表情で「でも、それって、本当に、いいものなの?」と、見る者に問いかける
そんな印象の作品でございました。 

のろ的に めっけもん だったのは、キース・ヘリングによる『祭壇衝立』でございます。
Keith Haring side altar screen on Flickr - Photo Sharing!

彼は決してのろの好きなアーティストではございません。
と申しますのも、彼の作品の陽気さに、のろはどうも馴染めないからです。
しかしこの作品は、むしろその陽気さゆえに、心に染み入りました。

向かって左翼には「アラララ~」と堕ちて行く天使たち。
右翼には「いやっほ~う!」と天に昇って行く魂たち。
中央には、「うんうん、みんなオッケーよ」と、全ての人々に手を差し伸べる神(らしきもの 笑)。

After the fall, We'll be born,born,born again!
崩壊の後で 僕らはみんな 生まれ変われるはずさ!

ヘリングは自身のエイズ感染を知ってから、宗教的な題材の作品を手がけるようになったということです。
この祭壇衝立も、そうした作品の一点です。

エイズ撲滅などの社会活動にも貢献し、1990年、31歳で没したキース・ヘリング。

僕は大丈夫、みんな大丈夫、ちゃんと救われるから・・・

彼の陽気で楽天的なメッセージは
展示の最後に飾られている本作から溢れ出て
スキップしながら
あたりを跳ね回っておりました。




『京都美術地誌案内』2

2006-04-18 | 展覧会
4/17の続きでございます。

「既存の美術概念に挑戦した」と申しますと
いわゆる アヴァンギャルドな作品 ばかりのような印象をお持ちかもしれませんが
そんなことはございません。「私ゃフツーに綺麗なものが好きだよ」という方も、ぜひお運びいただきたい。
少なくとも、第一室は絹に顔料彩色、という伝統的な手法で描かれた日本画が多いので
いきなり意味不明な物体に出くわすということはございません。
しかし菱田春草(『黒き猫』の人)が見たらひっくり返りそうな猫の絵あり、
絹にコンテ という珍しい組み合わせの作品ありで、新しい表現を求めたアーティスト達の気概が感じられます。

以前から知っていた作品でも、反アカデミズムという視点から見ると、なにやら新鮮な輝きがございます。

例えば第1室唯一の陶芸作品である『蘭花花瓶』
高さ32センチ、直径10センチ足らずの小品です。 
ゆるやかなカーブを描いてなまめくBODYに、きゅうっ と引き締まった首。 
青磁の肌には、燃え落ちるように流れる群青色の蘭の花が描かれております。

初めてこの作品にまみえた時、和服をまとったファム・ファタルのような怖い色気に、のろは魅了されたものですが
その時は、これが「因習的様式の否定」というコンセプトのもとに制作されたものとは存じませんでした。
今回改めて、そういう視点から眺めてみますと
この美人はいっそう キリッ とした、挑戦的な艶を発しているように感じられたのでございます。

前回も申しましたように、時代を追うかたちでの展示構成となっておりますから
後半に行くに従って、素材や表現手法は広がりを見せております。

例えば第5セクション「画廊の時代ーーー「美術」という概念や制度と戦う作家たち」に展示されている
『DARK BOX 1999』
この作品の素材は、 と  です。
本当ですよ。ほら。




残念なことに、これがどんな作品かを言葉で説明しても、ちっとも面白くないのでございます。
ぜひともこの物体を目の当たりにして、「こんなのアリ?」と呆れて、あるいはウームと考えて、いただきたい。

最後に
個人的な好みで申しますが
京都市美術館のコレクション展にはほぼ欠かさず足を運んでおりますのろ、
今回の展はとりわけ充実した、満足度の高いものでございました。

『京都美術地誌案内』

2006-04-18 | 展覧会
ここ2ヶ月ばかり行かずにおりましたら、京都市美術館、ちょっ  と変わっておりました。
結論から申しますと、ちょっ  と 良くなりました。
具体的にどう変わったのかと申しますと、

1:腰掛けが変わった
展示室内の腰掛け、以前は布貼りの椅子だったものが、こういうものになっておりました。



若干低すぎるようにも思いますが、ま、趣があってようございました。

2:解説パネルが変わった(部分)
保護のため、作品をケースの中に展示していることがございますね。
以前はこんな場合、作品情報を記したパネルは、作品の右下のガラスぎわに設置されておりました。
これが、作品情報を印刷した半透明のシールをガラスに貼る、という形式に変わっておりました。



鑑賞の邪魔にはちっともなりませんし、視線を上下移動させずに済むので、目がつかれません。
これは大変ようございました。

3:トイレが変わった(1F)
第二展示室と第三展示室の間にある方です。大展示室の奥のトイレはチェックしておりません。
個室が一つ増えた上、きれいになりました。ただし、寒いのは相変わらずでございます。

で、行って参りました展覧会はコレクション展第一期 京都美術地誌案内(5/21まで)でございます。



今年度のスタートを飾るコレクション展。
取り上げておりますのは、京都を拠点として
画壇のアカデミズム や 既存の美術概念 に挑戦したアーティスト達の作品でございます。

各セクションには、マークの付いたおおまかな市内地図が掲示されており、
彼らが京都市内のどこを拠点としていたのかが、具体的に分かるようになっております。
セクションは時代ごとに分けられております。
第一室、第一回官展(官設展覧会の総称)の開催された明治時代から、第五室の現代まで。

時代が進むに従って、用いている素材や表現手法の幅が広がり、
自由度 というかトンガリ具合 が増しているようにも見えます。
しかし、全体として自由度が増しているということは、かえってその中で
新しい表現や独自な表現を生み出しづらくなっている、ということでもあろうかと。
何でもアリな現代の方が、逆説的ながら「自由な表現」をすることが難しくなっているのかもしれない、と思いました。
何もかも出尽くしてしまって、どんなものであれ、どこかにカテゴライズされてしまう。
新しい表現なんて、果たして可能なのだろうか?

映画『ポロック』で、エド・ハリス演じるジャクソン・ポロックが
「ピカソの馬鹿野郎、何もかもやっちまいやがった・・・」と、酔いにまかせて嘆いていたのを思い出します。

いや、今はこうで昔はこう、と単純に比べることなどできませんね。
昔は昔で、既存の美術概念というものが強固にあり
それを打破するために、とんがったアーティストたちは、大きなエネルギーを要したのでしょうから。

それぞれの時代において、なんとか この殻を、この壁を、打ち破ろう としてもがき、走った、アーティストたちの足跡。

本展のコピー、いつも京都はあつかった。

なるほど確かに・・・と 納得した展覧会でございました。


もう少し続きます。

改装エチカ

2006-04-15 | 
『エチカ』(岩波文庫)を改装しました。
上下巻に分かれていたものを一冊にして、訳注は最後にまとめました。
おもて表紙にレンズを埋め込みました。(ええ、ベタではございますが・・・)
背表紙はアクリル板。





見返しのマーブルは墨運堂のマーブリングセットで作りました。








11月、大阪での展覧会に出品する予定でございます。

展覧会の日程 および文庫本の改装方法についてはこちらをご覧下さい。

NPO法人 書物の歴史と保存修復に関する研究会

啄木忌

2006-04-13 | 
誰が見ても われをなつかしくなるごとき 長き手紙を書きたき夕(ゆうべ)


本日は 石川啄木の命日です。

というわけで、10年ほど前に購入した『新編 啄木歌集』(岩波文庫)を久しぶりにひも解きました。
特に気に入った首(しゅ)にはマル印なんぞがつけてあり
しおり代わりに挟んでいた、ギャラリーのフライヤーが出て来たり。
ああのろよ、あの頃君は若かった 
いやいやむしろガキだった 
いやいやそれなら今もだろ と ページを繰りつつ、ひとりツッコミのひととき。

その中で、のろには珍しく、何事かを書き込んでいる箇所がございました。
オヤと思って見ますと

よく笑う若き男の 死にたらば すこしはこの世のさびしくもなれ

という一首の下に、鉛筆でこうひと言

いいね。 

・・・のろよ、昔も今もうらぶれておるな。
いいさ。鬱屈街道まっしぐら~。
♪ 回り道 分かれ道 どの道オイラは地獄行き ♪
(『テアトル蟻地獄』 By ガレージシャンソンショー)

さておき。
丁度この本を購入した頃 即ち10年ほど前に描いた啄坊の似顔絵が、これでございます。



うむ。似ておりませんね。

当時は「写真の容貌よりも、作品から受ける印象を重視スルノダ。げっそりヘロヘロの幽霊顔に描くノダ」
などと思っておりましたが

似顔絵というものは そう、 似ててナンボ でございます。

で、本日描きましたのはこれ。まし と言えるていどにはましになったと思うのですが。
 




何かひとつ 不思議を示し 人みなのおどろくひまに 消えむと思ふ

1912年、肺結核で死去。享年27歳。
いわゆる「夭折の天才」でございます。
文庫本の表紙には「歌壇に新風を吹き込んだ・・・永遠の青春の賛歌」 とあります。
これを読んだとき、正直、のろは思いました。
この人の作品、「青春」と呼ぶにはあまりにも 生 活 苦 にまみれていないか?
しかしこれは、作品の題材と、その表現しているものとを混同した見方でございました。
生活苦にまみれながらも、あたかも思春期のような
瑞々しい感性や、傷つきやすさ、やりきれなさ、自己嫌悪と背中合わせの自負心、といったものを
失わずにいたからこそ、このような作品を作り得たのでありましょう。

さりげなく言ひし言葉は さりげなく君も聴きつらむ それだけのこと

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ

人がみな 同じ方角に向いて行く。 それを横よりみている心。


比較的明るめの作品をご紹介しました。
のろ好みの作品を並べますと、ものっすごく暗くなりますので・・・。


ちなみに本年は啄坊の生誕120周年にあたります。
この機会に、引っ張り出して来た歌集を
しばらく机上に置いておくことに決めたのろでございました。

その男・榎忠

2006-04-10 | 展覧会
たいへん遅まきながら、KPOキリンプラザ大阪の

『その男・榎忠』展 へ行って参りました。

榎忠、エノチュウ とは何者か というと、
半刈りにしてハンガリーに行った 人物です。
半刈り とはどういう状態か というと、こういう状態です。



copyright:Tyu Enoki  photo:Manabu Takahashi


CGではございませんよ。
しかも、頭部だけではなく、 全 身 半 刈 り なのでございます。
当時ハンガリーは共産圏な上、パスポートの写真と実物の顔が違う ということで
ものすごく警戒されたんだそうでございます。(そりゃあね)

氏はこの半刈り状態で4年間過ごされたということですが、さらにすごいことには
その間に、何と左右を入れ替えたのでございます。
つまり、今まで延ばしていた側の体毛をすっかり剃り落とし、今まで剃っていた側の体毛を延ばしていったのです。
この4年の間、(それ以前/以降と同様に)普通に会社勤めのサラリーマン生活を続けていたというのですから、いよいよもって素晴らしい。

展覧会場では、氏の足跡をつづった映像作品『その男・榎忠』が上映されており
その中でエノチュウ氏御本人が、半刈り当時、道行く人たちや会社の顧客がいかに反応したかを 振り返っておられました。
関西弁で、トツトツと。
「大人はもう、見ないふり。子供は たーっと駆け寄って来て、”おっちゃん、カツラずれてんでー”って言うたりね」

のろは 榎忠氏については、この 半刈りハンガリープロジェクト しか知りませなんだ。
故に今回、氏のメジャーデビュー作から最新作までまとめて接することができたのは、大変有意義なことでございました。

氏が半刈り以外にどんなすごいことをなさってきたかと申しますと、
まあ目にしていただいた方がようございますね、↓こういうことでございます。

榎忠作品集

ううーむ カッコイイですね。
親ごさんは 非 常 に 心配していらしたそうですが。(そりゃあね)

氏の作品のほとんどは、そのままの形では残しておけないものです。
大きすぎる、広すぎる、期間限定である、氏の 身体の変容 が作品である、等の理由で。
いきおい、今回展示されているものは、作品そのものではなく作品の写真や映像、あるいは
かつて作品を構成していたものの断片といったものたちです。
(ひたすら地面を掘り続けるというプロジェクト『大地の皮膚を剥ぐ』の際に出て来た化石 なんてものもございました。これもまた美しかった)
まさに体をはったパフォーマンスや、「もの」だけでなく展示する「場」からしてトータルに構成された、作品の数々。
写真や映像の記録として見るだけでも、そのインパクトは強烈で
見る者の心を刺激します。
大概のものごとには参加資格を持たぬような心地で生きているのろですら
「ああ、ぜひとも、この場に居合わせたかったものだ!」と じりじり思ったのでございます。

どの作品も、シャレのめしているようでありながら
生半可なシャレ心ではとうていなし得ない徹底性を発しております。
その上、冗談めいた衣装にくるまれているものの
実は社会的な重いテーマや時事問題を扱っているのでございます。

かくも強烈にユニークな活動をなさるアーティストにーーーその真剣さ、几帳面さ、そして情熱にーーーのろは憧れと敬意を抱かずにはいられません。
こういう方の作品やパフォーマンスに接すると 
生きることに カツが入ります。
「のろよ、漫然と生きていてはイカンよ。いま・ここで・君に・できることを、せにゃならんよ」と
言われているような気がするんでございますよ。
(「のろや」御常連の皆様にはすっ かり耳タコの名前でございましょうが、飽きもせずまた言いますよ、はい、 クラウス・ノミ 氏も、のろにとってはこの系譜のアーティストなのでございます)

生きることにカツを入れたい方、または単にメヅラシイものが見たい という方にも
ぜひお運びいただきたい展覧会でございました。

と 申しましても、会期が4月16日までなんでございます。
レポート遅すぎでございます。申し訳ございません。のろ自身が行けなかったものですから・・・(言い訳)
2006年5月9日(火)~5月13日(土)に、氏の作品集出版記念展が催され
今回展示されなかった作品も発表されるとのことですので
「こんなギリギリに言われたって行けねーよバカヤロー!」とお怒りの方はこちらへどうぞ。
会場はノマル・プロジェクトスペース キューブ&ロフト(大阪)でございます。

『ブロークバック・マウンテン』3

2006-04-08 | 映画
4/7の続きでございます。

ジャックとイニスの関係について考えておりましたら
全く別の映画のセリフを ふと思い出しました。

「幸福は人に分けてあげてもいいけど 苦痛は2人だけのものなの」

『上海異人娼館~チャイナ・ドール』(監督・脚本:寺山修司)の主人公O嬢が、心の中でつぶやくセリフです。
いやあ あの映画は   エロかった。
K・キンスキーの詰め襟服がまた ちっ とも似合わなくて・・・・・という話はひとまず置いといて。

何故このセリフが思い浮かんだかと申しますと
イニスとジャックが互いに対して寄せる愛情 と、彼らが各々の妻に対して抱く愛情 との差異は
相手と苦痛をシェアできるか否かという点にあるように、のろには思えたからでございます。

イニスもジャックも、妻を愛していないわけではないのです。
しかし、彼女たちは良きパートナーではあっても 孤独という執拗な痛み を分け合える相手ではなかった。

イニスの妻アルマは、田舎暮らしをやめて街に住みたいと願い
牧場育ちのイニスに、いとも簡単にこう言います。
子供の頃、近所に遊び相手もいなくて、寂しかったでしょう。私たちの子供に、同じ思いはさせたくないでしょう・・・・・
しかし、早くに両親を亡くしたイニスが孤独なのは、「牧場という場所で育ったから」ではありません。
田舎なのでご近所さんが少ない、という寂しさと、
両親を亡くし、育ててくれた兄の結婚後は家にも居づらくなってしまった、というイニスの寂しさとは
同列に語り得るものではありません。

一方ジャックは、ロデオ乗りで日銭を稼ぐ生活をしていた時にラリーンと出会い、リッチ&ハイソな彼女と結婚します。
ブルジョアであるラリーンの父は、あからさまな態度でジャックを軽蔑し、時には侮辱しますが
ラリーンは、そんな父の態度を殊更とがめはしません。

彼女たちは、決して悪妻なのではありません。
ただ 孤独という苦痛 を理解し合い分かち合う相手では、なかったのです。

孤独 というのはいたって個人的なものでございますから
通常、他人にさらけ出すこともなければ、共感を求める機会もありはしません。
その上、互いの孤独を心底から汲み取ることのできるーーー苦痛を分かち合えるーーー、そんな相手と出会えるのは、なおいっそう稀なこと。
かくも稀な出会いを果たした その相手が、たまたま同性であったとて
何故、まるで 罪を犯した人 のように、人目を忍んで会わねばならないのか?
2人の関係をひた隠しにしようとするイニスに ジャックがぶつける苛立ちは
むしろ保守的で不寛容な社会全体への、やり場の無い怒りでありましょう。

本作は
同性愛を描いているという理由から、米ユタ州、中国、アラブ首長国連邦、そして中米バハマにおいて
上映禁止の措置がとられています。

前回の記事で
「時代も場所も」2人の関係を許さなかった、と申しましたけれども
残念ながら、主人公の2人が苦しめられた、いわれなき不寛容は
時代や場所に帰せられるものではないようでございます。








『ブロークバック・マウンテン』2

2006-04-07 | 映画
3/30の続きでございます。

「カウボーイ同士の同性愛を描いた」というフレーズで紹介されることの多い本作。
しかしこの映画をご覧になった方は、この文句に何か納得ゆかぬ思いを抱かれるのではないでしょうか。
「カウボーイ」「同性愛」というシチュエーションは、 困難な愛 を表現するための舞台装置にすぎません。
描かれているのは、「愛し合っているのに許されない、許されないけれども愛さずにいられない」
という、古典的にして普遍的なテーマです。

*以下、若干のストーリー紹介と私見を述べさせていただきます。ネタバレにならぬよう心がけてはおりますが、先入観無しで観に行かれたい方は、お読みにならない方がよろしうございましょう。*


イニス・デルマーとジャック・ツイスト。
20歳の2人は、山で羊の放牧をする季節労働者として雇われ
緑したたるブロークバック・マウンテンの山麓で、ひと夏を過ごします。
我慢強く、ひたすら寡黙で、愛想のかけらも無いイニス。
不平をたれ、軽口を叩き、へたくそなハーモニカを吹き鳴らす、子供っぽいジャック。
全く正反対に見える2人はしかし、共に心の内に 深い孤独 を抱えていました。
孤独な2人は次第に心を通わせ、愛し合うようになります。それから20年に渡ってーーーいや、永遠にーーー変わることのない愛で。

そう、20年に渡るお話なのです。
その間に彼らの生活も変わり、周りの人たちとの関係もまた変わって行きます。
それぞれ結婚して家庭を持ち、生活や事業に追われ、つまるところ、仕事と家庭に縛られて行く2人。
以前のように身軽ではいられず、かといって(ああ よくある悲劇ではございませんか、)孤独感や疎外感から逃れられもしない。

2人は、まだ自由だった頃に過ごした、あのブロークバック・マウンテンの峰々に 想いを馳せます。
そして唯一、心底から孤独を分かち合えた人、一夏きりの友であり恋人であった互いの存在を 想います。

ブロークバック・マウンテン。
きつい仕事、ボロいテント、ケチで横柄な雇い主。食事といえば、カンヅメの豆ばかり。
それでも。
何の気兼ねもなく、子供のようにふざけあい、たき火のそばでウイスキーを回し飲みしながら、胸の内を語り合えた日々。
厳しくも美しいあの峰々は、2人の 楽園 だったのです。

それぞれ家庭を持ってからも、2人は「失われた楽園」を求めて逢瀬を重ねますが
人目を忍んで会わねばならないことに、ジャックは苛立ちをつのらせます。
「俺たちにはブロークバック・マウンテンの思い出しか無いじゃないか!」

現実的なイニスは(少年時代のトラウマも手伝って)2人の関係をひた隠しにして生きるしかない、と考えます。
夢見がちなジャックは、イニスと2人で牧場を持ち、一緒に暮らすことを切望します。

非日常の楽園、青春の残滓、ブロークバック・マウンテン。
隠れ処のようなこの山だけではなく、現実の世界/社会の中で2人が一緒にいられる場所が、ジャックは欲しかったのでしょう。
しかし、時代も、場所も、ジャックの切実な願いを、そしてイニスの押し殺した想いを、認めはしなかったのです。

はい、これ以上語ったら 浜村淳 でございます。

どうも主人公の2人のことばかり語ってしまいましたが
他の登場人物や人間関係の描き方も、大変説得力がありました。
セリフはかなり少ないにもかかわらず、登場人物たちの微妙な感情は、見る側に明確に伝わって参ります。
全体としては決して「暗い・重い」という印象ではなく、むしろ非常に美しく
所々微笑ましく、ユーモラスでさえありながらも、見ごたえのある作品となっておりますのは
演出の妙でもあり、監督の職人技でもあり、また俳優陣の素晴らしい演技ゆえ でもありましょう。
主演の2人はまあー 本当に大変だった ということでございますが。

長くなりましたので、一旦切ります。続きはまた明日。





また 腕っぷし強そうなんですよ、ヒース・レジャー(イニス)が。
山中の乗馬姿がやけにサマになっているなあと思ったら、実際かなりのアウトドア派で乗馬も好きなのだそうです。
殴られたら痛いだろうなあ。