のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

鷹の爪

2007-12-31 | 映画
毎日なんでこんなに寝るんだろうと思うぐらい寝ております
ああ もったいない もったいない 
人生の時間がもったいないよう

それはさておき

放っておくと両の眉毛が連結を志向するのろ。
新年を迎えるにあたって
おろしたてのカミソリで眉間を剃っておりましたら
皮膚まで削ってしまい、立派な傷跡ができてしまいました。

月形半平太とお呼びください。
つきさまあめが。
はるさめじゃぬれてゆこう。



それはさておき



もはや今年も終わりでございます。
年忘れの笑いに秘密結社 鷹の爪でも御覧ください。

のろは昨日劇場版 秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE ~総統は二度死ぬ~を観て来たところでございます。
いやー笑いました。
そして、意外といい話でした。
「わざとらしさ」とか「いかにもな悪役」とか「ベタな台詞」って
大事だと思うんでございますよ。いや、ほんとの話。

制作者のFROGMANという人物、監督・脚本・編集・キャラクターデザイン・作画・声優を
ほとんど一人でこなしていらっしゃるのだとか。
ものすごい才能ではないでしょうか。
尊敬いたします。

TVで放送していた時には全然存じ上げませんでしたが
今回映画を観てすっかりはまってしまったのろ。
今宵はYoutubeで鷹の爪団の活躍(あるいは悲哀)を見て笑いながら年を越すのもいいかなと思っております。
それまで起きていられればの話ではございますが。

それでは皆様、良いお年をお迎え下さいませ。

イマジンオールザピーポー

2007-12-25 | Weblog
11月24日に買ったバラ



ひと月たってもこんなにきれいでございます。



窓の向こう、ちょうどバラの枝の間に
お寺の屋根が見えますでしょう。
切手業界ではけっこう顔の知られた弥勒菩薩さんのお住まいでございます。
あすこで弥勒さんは、微笑をうかべ、頬に指をあてて
57億年後にこの世に現れてオールザピープルを救済することを
日夜イマジンしていらっしゃいます。



はるか未来に救済が約束されているとすれば
今、苦しんで存在するのは一体何のためなんでございましょう。

はるか未来にも救済が行われないとすれば
今、苦しんで存在するのは一体何のためなんでございましょう。

結局「意味などありはしない」というのが一番納得のいく答えのように思われるのですよ。


57億年後に救済されるのが全人類であるならば
その中にはイワン・カラマーゾフじみた人物だっているはずでございます。
彼はきっとこう言うでしょう。
「あんたはすべての人を救済する力があるのに、なぜ今まで何もしなかったんだ?
57億年もの間、貧しい人たちや小さな子どもたちの苦しみを、どうして放っておいたんだ?」

こう問われたら弥勒さんは何てお答えになるんでございましょう。
なぜ心弱くあさましい人間というものに、自由という恐ろしい重荷を担わせたのか?と
大審問官に詰問されたイエスのように、ただ黙っていらっしゃるんでございましょうか。

いえ、宗教を否定するつもりはございません。
宗教は耐え難い現実をなんとか耐えうるものにするための
とても有効で強力なファンタジーでございますから。
(ファンタジーという言葉を悪くお受け取りにならないでくださいまし。
ワタクシはファンタジーを、時間的にも空間的にもごく限られたものである人間の生を
豊かで深いものにするために必要な、すばらしいツールだと思っております)


しかし歴史を振り返り、今の世界を見渡して
さまざまな偏見、差別、暴力、搾取が宗教の名のもとに正当化され
正義顔の宗教者たちが、それらを促進してきた/しているのを見ると

宗教っていったい益と害とどっちが多いかなあ!?と
憤りをこめて叫びたくなるのでございます。

そういえば本日はジーザスさんのお誕生日ってことになっておりますね。
あまり詳しいことは存じませんけれども
大工の息子のジーザスさんは、きっとすごくいい人で
とても自由な心を持った、尊敬に値する人物だったのだろうと思います。

そのジーザスさんが、今ふいと現れて
キリスト教原理主義者たちの言ってることややってることをご覧になったら
さぞかし、げんなりなさることでございましょう。

でもね、オールザピープルが平和で幸せであることを
たくさんの人がイマジンして
そんな世界が実現するように自分ができることをがんばったら
いつかジーザスさんがげんなりしなくてもいい世の中になるかもしれませんよ。

そうやってがんばってたら
弥勒さんだってちょっとは腰を上げて
手助けしてくれるかもしれませんよ。


本日は微妙にルー大柴化しているのろでございました。



あはは

2007-12-24 | KLAUS NOMI
あははは

あははははは

あはははははははははははははははははははは

ああっ 
待ってください。
行かないでくださいまし。
ご説明いたしますから。

つまりですね
本日、仕事が終わって帰宅いたしましたところ
のろ宅の郵便受けに、入っていたのでございますよ、これが。



そう、これが。




あはは

あははははは

あはははははははははははははははははははは


折しも
本日は満月でございますよ。
お寒うございますから
寒満月と言ってよろしうございましょう。

寒満月でございますので
職場の近くのパン屋さんMutsu mutsuで、いちじくパンを買って帰ったのでございますよ。

寒満月といちじくの間に何の関係があるかと申しますと
ひとえにクラウス・ノミの Three Wishes
”Ripe figs hit the ground. The moon is cold"「熟れたいちじくが地面に落ちる。月は冷たい...」という歌詞があるという一点でございます。


ノミつながりでもあり、「クリスマスイヴ」とやらでもある、ということで
近所のスーパーで安物ドイツワインリープフラウミルヒ(聖母の乳)を買って帰宅したんでございます。
そうしたら
あたかもクリスマスプレゼントであるかのように
郵便受けにノミのCDが。
これが笑わずにいられますかってんです。

あはは

あははははは

あはははははははははははははははははははははははははは!




晩ご飯とノミ。

あー

いつにも増して支離滅裂になっておりますことをお許しくださいませ。
もう、何と申し上げてよいやら。


いやっほぅ!

以上、本日はとりあえずご報告まで。



キ印

2007-12-20 | Weblog
おそらく皆様にあまり期待されてはいない、しかし一応当のろやのメインであります所の「展覧会レポート」が
ここしばらくお留守になっておりますのは、そもそも展覧会に行っていないからでございます。

いえ、行きたいんでございますがね。
ひとえに、すいた美術館へ行きたいがために平日にお休みをいただいておりますのろ。
のっぴきならぬ事情がある時以外は、世間様の休日には美術館に足を踏み入れないことにしております。
ところがここ最近、休日が土日祝と重なることが多かったものでございますから
美術館から遠ざかっているという次第でございます。

それでも先日ようやく『インカ・マヤ・アステカ展』に行って参りました。
もはや会期末でございますので、詳しいレポートはいたしませんが
造形の面白さもさることながら、いろいろ紹介されておりました文化的な事柄が、大変興味深うございました。
美的な面で申しますならば、日本の埴輪のような静かなおもざしの人物像が、のろにはとりわけ魅力的に思われました。



ところで
なにしろ南米の密林文化がテーマでございますから
会場を廻っている間しきりに、『アギーレ・神の怒り』『フィツカラルド 』の数々の場面が思い出されました。
で、このニ作品をとっても観たくなってしまったのでございますが
残念ながらのろが持っている「ヘルツォークVS.キンスキーもの」は 『コブラ・ヴェルデ 』のビデオだけでございます。
「アギーレかフィッツカラルド買うどー」と意気込んでお店に行ったものの、これしか置いてなかったんでございます。
またヘルツォーク熱/キンスキー熱が高まったこの機会に『キンスキー、我が最愛の敵』もあわせて、DVDで揃えてやろうかしらん と思いつつ
とりあえずYoutubeでキンスキー画像をあさってみましたら、まあ、出て来るわ出て来るわ。
やっぱりみんなキンスキーが好きなんだね。

↓『フィッツカラルド』の撮影現場で大騒ぎのキンスキー
YouTube - Kinski - Fitzcarraldo fight

↓上と同じ映像に『ドラゴンへの道』のテーマをかぶせたのがこれ。
YouTube - Klaus Kinski Enter The Dragon

ぎゃははははは!
いやー、絶妙の組み合わせ。すばらしいセンスでございます。

↓あろうことかキンスキーのミュージッククリップを作った危篤なお方も。
YouTube - Kinski Song

この他に、『コブラ・ヴェルデ』の撮影現場で共演者に恐れられるキンスキーの画像があったはずでございますが
今回は見つけられませんでした。無念。

と いうわけで
インカ・マヤ・アステカ展にことよせたキンスキー話でございました。
いや、リンクだらけで「話」は全然しておりませんね。人これを怠慢と呼ぶ。うう。

キンスキーについての記事はこちらも御参照ください。
のろや 怪優忌

これも引用だらけでたいしたことは申しておりませんが...


『アメリカv.sジョン・レノン』その3

2007-12-15 | 映画
原題にならって『アメリカv.sジョン・レノン』とばかり言っておりましたが
正式な邦題は『PEACE BED』だったんでございますね。

それはさておき
12/12の続きでございます。

先にも申しましたが
この映画ではひとりジョン・レノンという人物の行動だけでなく、
60~70年代という「時代」がリアリティを持って描き出されております。
「革命の時代」を文章でしか知らないワタクシにとっては、この点が大変興味深うございました。
体制派・反体制派双方の、いわば第一線で活動していた人々の証言や
ニュース、コンサートの映像、ラジオの放送、新聞などなどから
時代の雰囲気や動静が背景として浮かび上り
その前で展開される一人の(いや、むしろ一組の)人間の行動に
しっかりとした社会的、歴史的文脈を読み取ることができます。

それゆえこの作品は、直接的にはアメリカ政府と闘うはめになったいち個人の姿をモチーフとしておりますが
単に伝記映画/音楽映画としての機能を果たしているのみならず
同時に、権力の座にある人々が何を恐れ、その恐れの対象をどんな手段で排除しようとするかの証言でもあり、
自分を包囲するさまざまな問題に対してどんな態度をとりうるか、というひとつの可能性を示したエンパワメント・メッセージにもなっているのでございます。

「闘う羽目になった」と申しましたのは、ジョン・レノンの方では別にアメリカ政府に喧嘩をふっかけたつもりはなく、
「闘い」は社会活動の中で付随的におきてしまったもの、という印象を受けたからでございます。

体制への反抗、社会的不正への疑問や不満があり「これ、おかしいんじゃないの?」と叫びたい人が沢山いた。
そういう人たちの先頭に立って、片手にはギターを抱え、片手には白いハンカチを振って
「黙っちゃいけない、黙る必要なんかないんだ」と言いながら歩いたのが”ジョン&ヨーコ”というアイコンだった。

先頭を歩いたから、ものすごく叩かれた。
それでも歩くのをやめなかったから、闘わざるをえなくなった。
2人が歩き続けられたのは、もちろん彼ら自身の強靭さも大いにございましょうし
「時代」および「名声」というサポートがあったからでもございましょう。

しかし「時代と名声」という後押しがある一方、まさにその「時代と名声」ゆえの無理解もございました。
今では、ミュージシャンの政治的発言をバカにしたりはいたしませんが、30年前は違ったようでございます。
インタビュー映像からありありと分かることでございますが
記者たちはジョン&ヨーコの発言やパフォーマンスを頭からバカにしております。
これはワタクシ、本などで読んである程度知っていたことではございますが
あ れ ほ ど にあからさまだとは思いませんでした。

何故そこで笑うのか?と思うような箇所で、記者たちの間から笑いが巻き起こったりいたします。
「僕らのことを記事にするなら、必ず一緒にPEACEの文字を掲載してくれ」と言うことの、
いったいどこが馬鹿げているというのでございましょうか?

「黒人も白人も、みんな袋をかぶって出勤すれば、偏見や差別はなくなる。
 人を見た目じゃなく、中身で判断せざるをえなくなるから」
これはいったい、笑うべき発言でございましょうか?

全くもってWhat's So Funny 'Bout Peace Love And Understanding?でございますよ。
平和、愛、そして相互理解の、いったい何が可笑しいっていうんだ?
(歌詞はこちら。いみじくも今朝のピーター・バラカンさんのラジオ番組で、この曲がかかっておりました。
身体的には何も問題ないようで、静かなる反骨精神も健在であり、ひとまずは安心いたしました。
とはいえ、胸中は不安でいらっしゃることと想像いたします。
今後二度とこのような事件がおこらないことを祈るばかりでございます)

閑話休題。
そんな中での彼らの活動を見ていてウ~~ムすごいと思ったのは
・笑われても、叩かれても、脅されても、叫ぶのをやめなかったこと。
・あくまでもアートの力で、世界/社会を変えようとしたこと。
  つまり暴力的手段でもなく、威勢のいい言葉で人心を焚き付けるのでもなく、
  1人1人の心に自発的な変革を起すことによって、世界/社会全体の変革を促したということ。
そして
・常に真摯さとユーモアを忘れなかったということ。
はなからバカにした態度の記者たちの質問にも非常に真剣に、かつ、
どこか飄々としたユーモアを持って答えております。しかも即答で。
ものすごく真剣で、ユーモラス。強靭な魂と鋭い知性。
『Yes オノ・ヨーコ展』で彼女の作品に触れた時にも感じたことでございます。
心が離れていた時があったにしても、やはり彼らは根っこのところで、共通するものを持っていらしたのでございましょう。

まともではない社会の中で、まともなことを叫ぶ。笑われても、叩かれても、叫び続ける。

もちろん、容易にできる生き方ではございません。
しかしあのように生きた人がいる、という事実が
自分の無力さばかりを観想してしまいがちな私達に
「黙るな!」という叱咤と勇気をくれるのでございます。



『アメリカv.sジョン・レノン』その2

2007-12-12 | 映画
福田康夫総理大臣に「どうしてイラクに自衛隊を派遣しなきゃならないんですか」と尋ねたのに
のらりくらりとかわしてばかりで、ちっとも質問に答えてくれないので
腹が立ってゲンコでぶん殴った

と いう夢を見ました。

夢とはいえ暴力はいかんな、のろ。

つい手が出てしまってスンマセンと福田首相に頭を下げ
ああ、イカンなあ、スナフキンだったらたとえ腹を立てたとしても、こんなふうに
人をどついたりはしないだろうなあ...と思いながら目覚めた初冬の朝でございました。




それはさておき
12/8の続きでございます。

*以下、ジョン・レノン氏のことを「ジョン」とも「レノン」とも呼ばずいちいち「ジョン・レノン」と表記する冗長さをお許しください。彼を「ジョン」と呼ぶのは、同時代に生きた人たちや根っからのビートルズファンたちの特権のような気がして、ワタクシには何だか気が引けるのでございます。かといって「レノン」や「レノンさん」と呼ぶのもまた、どうも批評家めいていて嫌なのでございます。


パンフに載っていた監督の言葉に即して言うならば映画『アメリカv.sジョン・レノン』は
一人の(超有名)アーティストが「戦争は嫌だ、平和がいいよ」と世界に向って叫んだ、
そしたら何が起きたのか?ということの顛末でございます。

何が起きたのか?
マスコミはバカにし、若者たちは共鳴した。アメリカ政府は慌てた。
ベトナム戦争を進行中の米政府にとっては、若者には髪を伸ばしたり、ベッドでゴロゴロしたり
”Give Peace a Chance”を歌ったりせずに、黙って戦争に行ってほしかったからでございます。
慌てた政府はアーティストを黙らせようとした。アーティストは黙らなかった。
で、「アメリカv.sジョン・レノン」てなことになってしまった。

つくづく思ったことは、「黙らない」ということ---いいことはいいと言い、間違ってることは間違ってるということ---
は、ものっ すごく大変だ、ということ。
けれども、やっぱり黙ってはイカン、ということ。
黙ってしまったら、広報力や権力のある人たちの言うことに、従わざるをえなくなるからでございます。
彼らの言うことが正しかろうが、間違っていようが。
で、そういう力を持った人たちというのは、たとえ戦争になったとしても
自分は銃を持って戦場に行くことなど絶対にない人たちでございますね。

映画の中で、ニクソン政権下の要人が当時を振り返って、こんなことをおっしゃっておりました。

「夜、ホワイトハウスの外で反戦集会の参加者たちが歩いていた。手に手にロウソクを持って。
 私はそのうちの一人の手を引っぱって、持っているロウソクで自分の葉巻に火をつけて、言った。
 ”これで君も、何かの役には立ったというわけだ” その程度のことだと思っていた」

ベトナム戦争の最中、即ち、密林で毎日、自国の青年や現地の人たちが命を失い、
手足を吹き飛ばされているそのさなかにして、この認識でございます。

確かこの証言をなさったのと同じ人であったと思いますが
当時の認識として、こうもおっしゃっておりました。
(ジョン・レノンには)アメリカで儲けさせてやっているのに、この国を批判するとはケシカラン。
ロンドンかリバプールにでも引っ込んでおればいいものを。

こう思っていたのはひとりこのかただけではなかったようで
ジョン・レノンに対して、国外退去命令が出されました。ほとんど言いがかりのような理由で。
実際は理由などどうでもよく、ラヴだのピースだの言ううるさいのはこの国から出て行け、ということだったのでございます。
このあたり、9.11直後の情勢とよく似ております。
平和を訴えるというシンプルで当たり前のことが「非国民的」な行為とみなされたのでございます。
そして、おエライ人たちが「愛国心」というなんとなくカッコよさげな言葉をダシにして戦争をしたがるのは
昔も今も(そして洋の東西も問わず)変わらないようでございます。



ちと長くなりそうでございますので、次回へ続きます。


『アメリカv.sジョン・レノン』

2007-12-08 | 映画
この記事を書くためにネットに接続いたしましたら
Yahooのニュース欄に「ピーター・バラカンさん襲われる」の見出しがあり
心臓を掴まれたような心地がいたしました。
幸い、「のどや目に軽い痛み」という程度で大事には至らなかったようでございます。
ああ、よかった。
それにしても、何ということ。



本日は
ジョン・レノンの命日でございます。

去年の12月8日に『The U.S. vs. John Lennon』のサントラを購入いたしました。
それから一年たった本日、ようやく映画が日本でも公開されましたので、さっそく行ってまいりました。
邦題は『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』

↑オフィシャルサイトのトップにある”WishTree”に、貴方もぜひ願い事を書き込んでくださいまし。
数年前に滋賀県立美術館で開催された『Yes オノ・ヨーコ展』にあったもの(こちらは実物の木)と同様に
祈り/願い事 を宣言し、形に表すことで、その実現への足がかりとするプロジェクトかと存じます。
どうぞ貴方の真摯な願いをお書き入れ下さいまし。
たとえ微小なことに見えようとも、望む世界を在らしめる/表現する、ということを実行しようではございませんか。

『The U.S. vs. John Lennon』
このタイトルを見て正直、「ジョン・レノンを”たったひとりで権力に対抗した英雄”としてまつりあげる作品ではなかろうか」
と、鑑賞前は若干怪しんでおりました。

実際に観てみると、別にそういうものではございませんで
むしろドライと申しましょうか、適当な距離感が感じられました。
「主役」はもちろんジョン・レノンではございますが、当時活躍していたジャーナリストや活動家、政府側の人間などなど
沢山の人たちがそれぞれ自分の立場から、「ジョン・レノンとその周辺」を語ることによって
ひとり彼のみではなくあの時代そのものを、多角的に描き出しているからでございましょう。

ベトナム戦争があり、反戦運動があり、諸々の社会的不正があり、それに対するカウンター・カルチャーがあった。
その反戦/カウンターカルチャーという流れの中のひときわ目立つフィギュアとして、”ジョン&ヨーコ”がいた、という文脈が
かの時代の空気を全く吸っていないワタクシにもよくわかりました。


とりあえず本日はこれにて。


モ忌

2007-12-05 | 忌日
寒くて布団から出られません。

それはさておき

本日は
モーツァルトの命日でございます。

モーツァルトの死といってまず思い浮かびますのは
映画『アマデウス』のラストでございます。

レクイエムのスコアを口述しながら息絶えるモーツァルト
冷たい雨に打たれながら、墓地へと走る霊柩馬車
名も無い一市民として、共同墓穴に放り込まれた死体の上には
なおざりにかぶせられた灰がいつまでも白く煙って・・・・・

あんなどしゃぶりの中なのになぜあの灰は乾いているんだとつっこんではいけません。

場面変わって、語り部であるかつての宮廷音楽家サリエリが
聞き手である若い神父のもとを去ろうとしております。
永遠を勝ち得たモーツァルトの音楽が流れる中、
自分の作曲した音楽と共に、時の波間にもくずのように消え行くであろう老サリエリが進みます。
そして私達に手をさしのべ、あの台詞を言うのでございます。

「全ての凡庸なる者たちよ。君たちを許そう。私こそは凡庸なる者のチャンピオンだ」

ワタクシがこの作品を初めて観たのは10代のはじめの頃でございました。
その後もディレクターズ・カットを含めて5回ほど鑑賞しておりますが
歳ふるごとに、このサリエリの台詞が
我が身に親しく感じられるようになってきております。




ちなみに
実際は、サリエリは時の波間にもまれて消えて行ったわけではございませんで
作曲活動をやめた後も教師として後進の育成につとめたということでございます。
その徒弟の中にはベートーヴェン、シューベルト、リストなどが名を連ねております。
また、映画の中のサリエリは、神に生涯の「純潔」を誓っておりますが
(そしてディレクターズ・カット版では、この誓いに対する神のあからさまな回答が用意されておりますが)
実際には結婚して子供もいらっしたようでございます。
甘いもの好きだったというのは本当らしいです。

一方のモーツァルト。
人物像については想像の域を出ませんけれども
冗談好きで浪費家であったというのは定説のようでございます。
晩年は借金漬けだったことも本当。
病死ではなく殺されたのではないかという説は、当時からささやかれておりました。
妻コンスタンツェによる毒殺説もございます)

ただ、亡くなったのは12/5の午前1:00前ごろということでざいますから
映画のように朝の光を浴びながら昇天、ってのは無理でございますね。

もしもアントニオ・サリエリご本人がこの映画をご覧になったら
「何ちゅう冤罪」と憤慨なさるんじゃないかと思いますが
モーツァルトがご覧になったなら、いったいどんな反応をなさるこってございましょうね。

WORLD AIDS DAY

2007-12-01 | Weblog
「寝ているクラウス・ノミを起こさないように、そっと部屋を掃除する」
という
ものごっつう幸せな夢を見てしまいました。



きゃっ

ちなみに「私だけいつまでたっても仕事が終わらない」という夢との抱き合わせ上映でございました。
ああ ふたつよいこと さて無いものよ。

それはさておき
本日は「世界エイズデー」でございます。

以前ご紹介したNGO、 World Vision Japanが、のろ宅に定期的に活動報告の冊子を送ってきてくださいます。
必要事項が印刷済みの募金振込用紙(もちろん募金は強制ではございません)も同封されておりますので
ものぐさなのろには至極ありがたいことでございます。

夏期特別募金(HIV/エイズ対策募金)の活動報告を読みますと
いわゆる開発途上国におけるHIV感染の蔓延や
今なお、患者への誤解/無理解が根強く存在するという現状に、胸が痛くなります。

アフリカ中東部の国マラウイでは
15歳から49歳までの国民の、およそ7人に1人がHIVに感染していると推計されているとのこと。
最貧国のため国をあげての対策をとることもできず、情報にアクセスすることの難しさも手伝って
予防についての知識が行き渡らず、エイズが蔓延しているとのことでございます。
それにより、国民の平均寿命は38歳、子供のおよそ3人に1人が両親もしくは片親を亡くしているという現状ということでございます。
ノミの享年は39歳でしたっけ...あまりに短命だったヤツの年齢が、国の平均寿命だなんて。ああ。

「エイズにかかるのは神の罰だ」という意識がはびこっていることから
自分が感染しているか否か、知るための検査を受けに行くことすら、はばかられる状況だということでございます。

またインドのカタナカ州ベラリー郡では、少女が僧侶と性的関係を持たされ、その後娼婦になる風習があり
このことがHIV感染増加の一因となっているとのこと。

しかし
活動報告によりますと、当NGOの活動により、マラウイでは無料かつ匿名で相談できるHIV検査相談所の開設準備が進んでおり
ベラリー郡では売春を強いられてきた女性たちへの教育活動、組織化や技術指導が実施されているとのことでございます。


以前にも申し上げたことではございますが
募金というものは、した場合も、しなかった場合も、罪悪感というか、後ろめたさが伴うものではございます。
それでも「しなかった罪悪感」よりも「した罪悪感」を選びたいと、ワタクシは思います。

悲惨な現状を目にしたとき
最悪なのは、見て見ぬふりをすること。
そして、その目撃者がどんなに胸を痛めたとしても
「胸を痛める」だけで何も行動しないのであれば
結局それは「見て見ぬふり」と同じことだからでございます。