のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

フェアリーテイル祭り3

2008-09-24 | 映画
9/22の続きでございます。

・3匹の子豚(ビリー・クリスタル/ジェフ・ゴールドブラム 監督:ハワード・ストーム)

B・クリスタルが演じるのはアーティスト志望の三男豚。
ファッションも含めてとても可愛らしいんでございますが、本作の見ものは何たってジェフ・”ハエ男”・ゴールドブラムの狼でございます。
顔の真ん中に長い鼻づらをくっつけて、お尻にぞろりとご立派な尻尾をぶら下げてのご登場。
しかしなんとまあ、これが意外にカッコイイのですよ。



ふさふさのロングコートを羽織り、サックスのBGMを従え、葉巻をくゆらせながら
「ドアを開けろ。さもないと、プーと吹いて、フーと吹いて・・・・・・吹き飛ばすぞ」
うひゃあ、渋い。アホだけど渋い。
かなりのアホでその上恐妻家というダメ狼の役でございましたが、ハエ男ファンなら必見の作品と申せましょう。
ベタでアホすぎる言動が実に素敵でございました。
「お前などゴミだ」と言って蹴散らしているのは本当にゴミですし。
「そこをどけ・・・どけと言うんだ。お前、耳が無いのか?」と凄んでみせる相手は道ばたの木だったりしてね。そりゃあ無いでしょうよ耳は。

アーティストな三男豚が頑丈さと美観にこだわってレンガの家を建てるのに対して、拝金主義でケチの長男豚は安上がりなワラで、プレイボーイの次男はナンパした女の子豚を連れ込むために、とにかく手っ取り早く木の枝で家を建てるというのも面白うございました。


・ラップンゼル(シェリー・デュヴァル/ジーナ・ローランズ 監督:ギルバート・ケイツ)

ラプンツェルのことでございます。
ジーナ・ローランズ演じる魔女はとてもよかったんでございますが、それ以外にはあまり見るべきものはございませんでした。
「友達」として与えられた鸚鵡のせいで王子様のことがバレてしまう、というのは上手いと思いましたけれど。


・赤ずきんちゃん(マルコム・マクダウエル/メアリー・スティーンバージェン 監督:グレーム・クリフォード)

マルコム・マクダウエルがもう ノ リ ノ リ でございまして。
「三匹の子豚」のジェフ狼は長身で手足がすらりと長く、まがりなりにもビッグ・バッド・ウルフの体裁を保っておりましたけれども、マルコム狼は元妻演じる赤ずきんちゃんとさして背丈も変わらず、空腹だったとはいえお婆さんにさえ撃退されてしまうヘタレぶりでございます。
のちに赤ずきんちゃんから、お婆さんが病気と聞いて「じゃあ少しは弱ってるだろうね」と喜ぶ始末。



この作品の魅力はとにかくマルコム狼につきます。
「あのババァ、さては胆石持ちだったのか」とぼやくオチもナイスでございます。


・えんどう豆とお姫様(ライザ・ミネリ/トム・コンティ 監督:トニー・ビル)

王子様役のトム・コンティ、どっかで見た顔だなァと思っておりましたら、『戦場のメリークリスマス』のローレンス中佐じゃあございませんか。
おお、 めりぃ・くりーすます、みすたあ・ろーれんす!

それはさておき。
完成度の高い作品でございました。
他の話と同じく、セットはごくチープなんでございますが、きちんと作られた映画を一本見たような心地になりました。
原作はごく短いお話でございますから、50分もどうやってもたせるのかと思いきや、間延び感もなく、余計なネタもなく、伏線もきっちり張られておりまして、なかなかに見事な出来でございます。

嵐の夜にずぶ濡れで転がり込んで来たやんちゃなお姫様と、彼女にしぶしぶ宿を貸した頼りない王子がしだいに惹かれあっていくさまが、王子の親友の道化師や魅力的とは言いがたいお妃候補たちなど、原作にはないキャラクターをうまく活用して描かれております。
ライザ・ミネリ演じるお姫様がとってもチャーミングでございましてね。
黒いドレスのよく似合う、サバサバとしていながらも包容力のある女性で、王子があんなボケナスじゃなかったらすぐにでも結婚を申し込んだ所でございましょう。
もっとも王子もボケナス一辺倒なわけではないことが、さりげなく描かれておりまして、これもたいへんよろしうございました。
ラブコメ嫌いなのろではございますが、最後は何となく幸せな気分になりましたとも。


・ジャックと豆の木(エリオット・グールド/デニス・クリストファー 監督:ラモント・ジョンソン)

ジャックが牛を「魔法の豆」と交換して帰って母親に叱られるシーンを見て、ギリアムの『ブラザーズ・グリム』の冒頭を思い出し、ちと切なくなってしまいました。
『ブラザーズ~』では、夢見がちなジェイコブ少年がこれをやったせいで、病気の妹が死んでしまうのですよ。病院へ行くお金が工面できなくて。
で、そのことをずっとトラウマとして抱えたまま、ジェイコブ(弟)とウィルヘルム(兄)のグリム兄弟は大人になって・・・というお話。
ちなみに『ブラザーズ~』は世間的には評価が低いようでございますが、ワタクシは大好きでございます。
いいじゃございませんか、ギリアム節。おとぎ話の勝利。
ジョナサン・プライスもナイス悪役でございましたし、ピーター・ストーメアもとってもよかった。
エンドクレジットまで彼とは気付かなかったけれども。(なんたること)

閑話休題、ジャックと豆の木でございますね。
これはもともとのお話にけっこう忠実に作られておりまして、その分ぶっ飛んだ遊び要素があまりございませんでした。
まあ、こう思ったのはのろがここに至るまでにロビン蛙やマルコム狼のぶっ飛びぶりに慣れてしまったせいかもしれませんが。
ただ学芸会からそのまま引っぱって来たようなかぶり物の牛は、たいへんのろごのみでございましたね。
リアルに作ろうという努力がほとんど見えない所がかえって清々しい。



以上、全体として、軽めなノリと監督&俳優の遊び心が実に楽しい作品群でございました。
逆に言えば、冗談を控えめにして「いい話」として仕立てようと試みた作品は、あまりいい出来ではなかったように思います。
今週の土曜日から上映される他の4作品もできれば観に行きたいと思っておりますので、何よりもティム・バートンやクリストファー・リーがどれだけぶっ飛んでくれているかに期待を寄せている次第でございます。



フェアリーテイル祭り2

2008-09-22 | 映画
行ってまいりました、オールナイト。
昨日は『脱力が予想される」などと失礼なことを言ってしまいましたが、どうしてどうして、たいそう面白うございました。
それぞれのお話の感想をざっと申し上げますと。

・美女と野獣(クラウス・キンスキー/スーザン・サランドン 監督ロジェ・ヴァディム

美女の尻に敷かれる野獣が印象的でございました。笑
スーザン・サランドンのいじわるな姉役になんとアンジェリカ・ヒューストンが。
料理をしている姿が魔女に見えましたが、とにかく「無駄に豪華な俳優陣」といううたい文句には納得した次第。
キンスキーはですね、やっぱり下手に特殊メイクするより素顔の方がだんぜん恐いです、ええ。



野獣の時はともかく、王子様キンスキーは案の定、ものっ  すごく変でございました。
奴にスカイブルーを基調とした王子様コスプレをさせようなんて、一体誰が思いついたんだか。
本人もよくゴネなかったなあ。いや、ゴネたのかもしれませんが。
せめてもう少しキンスキーに似合うような衣装にできなかったものか。
奴にどんな衣装が似合うのかって。そりゃあ、鎧とか、開襟シャツとか、カウボーイハットとか...ううむ、駄目か。
ワタクシとしてはキンスキーの台詞回しが聞けただけでも満足でございますが、作品の出来はいまひとつであったと思います。
後述の「ラップンゼル」にもあてはまることですが、セットや特殊効果がチープなだけに、シリアスなドラマをやろうとすると、そのシリアスさが浮きまくってしまうんでございます。

・三匹の熊(キャロル・キング/テイタム・オニール 監督:ギルバート・ケイツ)

ベタな小ネタ満載で面白うございました。
当時19歳のテイタム・オニールに7歳くらいの少女を演じさせるのはさすがに無理があるものの、これもネタの一環として見るべし。

・カエルの王子様(ロビン・ウィリアムズ/テリー・ガー 監督:エリック・アイドル)

いやー面白かった。上映していたのは深夜2時頃でございますが、眠気を感じている暇など全くございませんでした。
さすがにモンティ・パイソンなみの毒っ気はございませんが、子供向けともとうてい思えません。
王女様が「何人もの王子をふってきた私がカエルとヤルですって?!」なんて台詞をお吐きになりますので。
ナレーションオチになってしまったのだけはいささか残念でしたが、めでたしめでたしの部分はあんまり茶化しがいがなかったのかもしれません。
ロビン・ウィリアムスはやっぱりスゴイですね。
全身タイツに表情が全く動かないかぶりものといういでたちだったんでございますが、声と見ぶりの表情がそりゃもう豊かで。
あんなスタンダップ・コメディの極意を心得たカエルなら、王女様がいかに嫌がってみせようとも、たちまち皆の人気者になってしまうのも無理はないというもの。
なにせ「何をやっても大ウケだったのです」笑



次回に続きます。

フェアリーテイル祭り

2008-09-20 | 映画
これからみなみ会館のオールナイト上映、フェアリーテイル祭り オールナイトへ行ってまいります。
上映作品はリンク先↑のとおり。
画像から見ても、何となーく脱力が予想されるプログラムではあります。

のろがなんたって楽しみなのはクラウス・キンスキー&スーザン・サランドンの『美女と野獣』でございます。
野獣の時はまあノーメイクでもいけるとして、王子様に戻ってからもキンスキーが演るんでしょうか?
ううむ、何と悪人面の王子様だろう。

それについで楽しみなのがマルコム・マクダウェルの『赤ずきんちゃん』。

マルコム・マクダウェルの狼ですぜ、狼。
狩人にお腹をかっさばかれる間抜けな狼ですぜ。



ハラショー。

それからエリック・アイドル監督、ロビン・ウィリアムス主演の『カエルの王子様』も気になる所でございます。『バロン』に先立つこと7年でございますが、この2人はもともと親交があったのですね。

おお、そろそろ出なくては。
では。

『ボローニャ国際絵本原画展』

2008-09-19 | 展覧会
2008 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展へ行ってまいりました。

全部ではございませんが、こちらで入選作を見ることができます。

去年ほど印象深い作品はございませんでしたが、心に残ったものをいくつかご紹介させていただきたく。

絵そのものよりも発想が非常にのろごのみだったのが、トービアス・ヴィーラントの「ソーセージ日記」。
主人公はソーセージでございます。
一枚目はゆりかごの中でおしゃぶりをくわえているみどりごのソーセージ
といっても、口もなければ目鼻も手足もなくただひたすらにソーセージなのですが。
二枚目では少し成長して、タキシードの父(ソーセージ)とロングドレスの母(ソーセージ)によりそって記念写真におさまっている、セーラー服姿の幼いソーセージ
その後学校に入学したり、仲良しの女の子(てっぺんにリボンをつけたソーセージ)とクロケットをして遊んだり、遊び仲間たちと一緒に探検にでかけたりしてらっしゃいました。
この遊び仲間たちも、もちろんみんなソーセージでございます。
ひょろ長くて眼鏡をかけたソーセージ、ズドンと太くて、ひょうきんな帽子をかぶったソーセージ、ハンチングをはすにかぶって、口(とおぼしき所)に草をくわえているちびのソーセージ、紅一点の女の子ソーセージ
ハカセ風、腹ぺこキャラ、反抗児、紅一点、それにちょっといいとこ育ちの主人公。いかにも児童文学に出て来そうなメンツでございます。
ただ一点、みんなソーセージであるということを除いて。
これらがみなモノトーンの生真面目な調子で描かれているのが素晴らしい。
何たって、馬鹿馬鹿しいことを生真面目にやるというのが一番面白いんでございます。

それにしても今回はドイツの入選作が多うございました。
わけても大胆な構成になみなみならぬセンスを感じさせる Meike Andresen の太陽の谷、鉛筆のみで描かれた繊細かつ確かな線が非常に美しかったアンゲラ・グレークナーの作品、きっぱりした色彩とユーモアが楽しいフランツィスカ・ローレンツの大きすぎ、小さすぎなどが印象深うございました。

またシックな色使いの中、謎めいた人物が浮遊するガブリエル・パチェコ,単純なフォルムと執拗な描法で不思議な世界をつくっているエンリカ・カセンティーニもよろしうございましたし、タン・ケビというフランスの若い作家の作品は、現実(白黒)と想像(カラー)をひとつの画面の中に共存させ、たいへんおしゃれで心躍るものでございました。

全体を通して思ったのは、例年の傾向ではございますけれども、やはりCG作品が多いなあということ。
数えてはおりませんが、半分以上はCGを使った作品であったかと思われます。

CGもひとつのまっとうな描画ツールとして認めるべきなのでございましょうが、ワタクシは手描き風の作品がCGと分かると、なんだか騙されたような気分になってしまいます。
「CGでーす!」と叫んでいるような、あからさまなCG使いは嫌いじゃないんでございますけれどね。
手段がCGであろうと、手描きやコラージュやシルクスクリーンであろうと、出来た作品の良し悪しは結局作者のセンスにかかっている、ということは承知しております。
むしろCGはできることの幅が広すぎるくらい広いだけに、何をやって何をやらないかということの見極めが難しいということもありましょう。
いくらでも修正できますから、完成度を高めようと思ったら使わなければ損と言えるかもしれません。
それでも(そして見かけ上はその違いが分からなくとも)ワタクシはCGを経ずに作られた作品の方に、より大きなリスペクトを感じるのでございますよ。
頭が古いのかもしれませんが。



『ぼくの伯父さん』

2008-09-14 | 映画
駅ビルシネマ・フランス映画祭でジャック・タチの『ぼくの伯父さん』と『ぼくの伯父さんの休暇』を観てまいりました。

『ぼくの伯父さん』の方は10年ほど前にTVで観ておりましたので今回はパスしようかとも思いましたが、やはり行ってよかった。


ああ、ユロ伯父さん。
飄々としたトラブルメーカー。
呑気で無邪気でとんでもなく間が悪い、稀代の「KY」。
ほとんど何も喋らないけれど、楽しいことが大好きなユロ氏はまるで子供のようでございます。
自分では普通に振る舞っているつもりなのに、驚異的な間の悪さと「常識」から3歩ほど隔たった発想によって周りの世界を機能不全に陥られせてしまう。
その飄逸なキャラクターは、タチが尊敬するバスター・キートンのキャラにどこか通じるものがございます。
ポーカーフェイスで善良なところも似ておりますね。
もちろんキートンのような超絶アクションは全然ございませんけれども、代わりに風刺のスパイスがぴりりときいております。




ユロ氏の乗り物がまた、いかしてるんでございます。
『ぼくの伯父さん』ではエンジン付き自転車(あえてこう呼ばせていただきます)、『休暇』では今にも分解しそうなポンコツ車。
そのポンコツぶりたるや、コロンボ刑事の愛車さえこれと並べば新品に見えようというぐらいなシロモノございます。
これらが周りのゴージャスな車と対象的で、お金持ちではないけれども幸せな、我が道を行くユロ氏を象徴しております。

ユロ氏はいたって幸せそうなんでございますが、会社社長でリッチな生活を送る義弟はユロ氏を全く理解できません。
定職にも就かず、結婚もせず、下町の古いアパートでのほほんと暮らしているユロ氏は、モダンな家で暮らし、ピカピカの車を乗り回す社長にとっては与太者にしか見えない。
海辺のリゾートにやって来た、良識ぶった人々の目にもまた、ポンコツ車をガタピシバンバン言わせて走るユロ氏の姿は、はた迷惑な変人として映ります。
でも当のユロ氏は、義弟の渋面にもプチブルジョワたちの白い目にも全然気付かない態で、飄々と日々の生活を楽しみます。
犬とたわむれ、カナリヤをさえずらせ、ご近所さんたちと一杯やり、甥っ子と手をつないで遊びに行くんでございます。

そんなユロ氏のマイペースっぷりにあきれ顔の人々、即ち常識的な小市民たちもまたユロ氏に負けず劣らず、いや実はそれ以上に、滑稽なんでございます。
モダンでカッコイイ義弟の家はその一方で、殺風景で見栄っ張りな感じがいたしますし、どこか間が抜けております。
それと同様に、ホームパーティで社交辞令合戦に終始する義弟とその友人たちや、リゾートに来てまで株価の上下ばかり気にしている紳士、深刻ぶった顔でラジオニュースに耳を傾け、せっかくの仮装パーティには参加しようともしない人々は、いかにもいっぱしの大人という顔をしておりますが、何だか間が抜けており、滑稽でございます。
まあ、変な海賊の仮装をしてパーティに繰り出すユロ氏も、間が抜けていて滑稽で、その上子供っぽいんでございますが、こちらはとっても素敵でございます。
何故ならユロ氏はカッコつけたり、見栄を張ったり、良識ぶったりすることなく、素直かつシンプルに人生を楽しんでいるからでございます。

そんなユロ氏を見ていると不思議と「人生、何があっても大丈夫」という気がしてまいります。
不器用でも、お金が無くても、なんとかなる。
生きるのって楽しいことなんだから。
ひたすら無口なユロ伯父さんは、無言の内にそう語ってくれているのじゃないかしらん。
10年前ののろは、気付かなかったけれども。






911のあと

2008-09-11 | Weblog
弱者の振る舞いを真似しようとは誰も思わないけれども、強者の振る舞いは、いわば規(のり)として提示されます。
それが家庭レベルであれ、企業レベルであれ、国家規模のことであれ。
だから強者は自身の行動についてなみなみならぬ責任を意識しなければならないんでございます。
その属する世界全体の倫理に対して、責任を負っているのだということを肝に命じていなければならないんでございます。

アメリカはタリバンやアルカイダよりもずっと強者であったのに、「やられたらやり返せ」という4000年前から何の進歩もない規範を提示してしまいました。
闘い、というカッコよさげな言葉を隠れ蓑にして、「暴力は有効な手段である。最も大きい暴力を振るう者こそが事態をコントロールするのである」と、世界に向けて、堂々と宣言してしまいました。
かくて世界一の強者からお墨付きを貰ったその規範は、イラクで、アフガンで、アフリカで、世界各地で、相も変わらず遂行されております。



何でこんなことになったんだろう。

報復はヤメロという声は、国の内にも外にも、確かにあったのに。
どうして止められなかったのか、どうしたら止められたのか。
私達みんなが考えなきゃいけない。
一握りの賢い人や知識のある人、力のある人たちだけじゃなく、私達みんなが考えなくちゃいけない。
いつも忘れがちだけれども。


ところで
演説の中で「EVEL」やら「FREEDOM」という言葉をやたらと使った指導者はもうすぐ退任なさいますけれども、後釜はどうなるんでございましょうね。
ABCニュースのアンケートによると、現時点でマケイン氏の支持率がオバマ氏の支持率を2%ほど上回っているとのこと。
また共和党になるのかしらん。
嫌だなあ。
共和党の副大統領候補ペイリン氏の素性を知ってからはますますその思いが強くなりました。
と申しますのも、彼女が天地創造説(世界は聖書に記されているように、神(もちろんキリスト教の)の意志によって創造されたのだとする説)を学校で教えるべきだと主張した知事であり、(石油採掘の障害になる)ホッキョクグマの絶滅危惧種指定に反対し(ちなみに旦那さんは石油関連企業の管理職)、アラスカの野生生物保護区での石油採掘を押し進めようとしてきた人物であり、銃規制に反対するかの全米ライフル協会の会員であり、同性カップルの結婚を認めないゴリゴリのキリスト教保守派であることが分かってきたからでございます。
あの大国を、こういう人が引っぱってほしくはないなあと、ワタクシは思わずにいられません。



『KAZARI 日本美の情熱』展

2008-09-07 | 展覧会
いやあ古九谷のナンジャコリャ感はいつ見てもいいもんでございます。

どこで見たかと申しますと
『KAZARI 日本美の情熱』展にてでございます。

テーマがやや漠然としておりますが、その分展示品の幅が広くて面白うございました。
また解説ヘッドホンを使わない派のワタクシには、展示品のほとんどにパネルでの解説がついているのもありがたかった。
モノが「飾り」でございますからただ見るだけでも充分楽しめますが、文化的・時代的背景を考えあわせるといっそう面白いもんでございます。

例えば最初に展示されている縄文土器。
かなり照明を落としたケースの中に、柔らかなスポットライトを浴びて鎮座しております。
教科書でもおなじみの火焔型土器も顔を並べております。
あのぐわんぐわんと波うつ過剰な装飾から、ワタクシはてっきり祭祀用のものと思い込んでおりましたが、解説によると、煮炊きなどの実用に供されていたとのこと。
使うにはいかにも邪魔そうに見えるあの飾りではございますが、そこには何らかの実用的(呪術的)効果への期待も込められていたのかもしれません。

縄文土器から目を転じると、すぐ近くに鎌倉時代の舍利容器がございまして、こちらは先史時代の火焔よりもぐっと洗練された炎の造形を見せております。
高さは30センチ弱といった所でございましょうか、凝った作りの塔の上に中をくり抜いた水晶球が安置され、玉の周りを細密に加工された火焔の装飾が取り囲んでおります。
炎を模した装飾という点では同じでも、縄文人が煮炊き用の器に施したそれと、鎌倉の密教信者が水晶玉の周りに施したそれとでは、形以上に意味合いにおいて大きな違いがございましょう。
ある装飾にどんな効果が期待されているのかは時代によっても文化によっても異なるものでございましょうから、その変遷を見るのも一興。
してみると「日本美の情熱」と銘打った本展ではございますが、比較対象として外国のものもあるといっそうよかったなァと思った次第。
まあ、それはそれで展示品のセレクトが難しすぎるかもしれませんね。幅広くなりすぎて。

土器に仏具に屏風に能装束にアクセサリーといろいろある中でとりわけのろごのみだったのは、くだんの古九谷とこれ↓でございました。


色絵五艘船文独楽型大鉢

三角旗をなびかす帆船やオランダ商人といった西洋風のモチーフと、和風な文様や描法があいまって面白うございます。
金泥で彩られ華麗な装飾性を誇る一方、寸詰まりにデフォルメされた船や人の造形はなんとも童話的で可愛らしく、心なごましむるものがございます。

面白いというよりちょっと可笑しかったのが黒漆塗兎耳形兜
その名の通り、ピンと立った兎の耳をかたどった兜でございます。
これだけ見るとなんだか可愛らしうございますが、このうさぎ耳の下にどんな猛者の顔があったのかと思うと可笑しくてなりません。
もっともこの兜、江戸時代のものということでございますので、実際の戦場で使われたことはなかったんでございましょうね。

展覧会全体を通してつくづくと思いましたのは、「飾り」と言っても単純に目を楽しませるだけではなく、そこには必ずと言っていいほど、何らかの「意味」が込められている、ということ。
してみると今も昔も、私達はひたすら「意味」に取り囲まれて生きているわけでございます。
だからこそ、「意味」も「道理」もなみするナンセンスで不条理なものに対して、時には名状し難い恐怖を、時には痛快な爽快感を覚えるのであろうなあと思った次第でございます。

その点で、本展の最後に展示されている平田一式飾は実に爽快でございました。
平田一式飾(ひらたいっしきかざり)とは、出雲市の平田八幡宮祭に合わせて作られる大きな飾り物でございますが、特別に作られたパーツではなく、普段から身の回りにある日用品を組み合わせて作るんでございます。
本展で見られますのは、自転車の部品で作られた巨大な海老と、陶器の壷や食器で作られたスサノオの大蛇退治シーンでございます。

自転車の部品で海老。
ううむ、このナンセンスは実に爽快でございます。
そして素材と被造物の間に何の脈絡もないだけにいっそう、見立てによる造形の見事さが光っております。
ハンドルのグリップをぎっしり並べて海老の尾の裏側が表現され、スサノオの胸元に輝く勾玉はナスの箸置きであることが判明した時はほとんど感動ものでございました。

とにもかくにも色々なものがございますので、行っておいて損はない展覧会と申せましょう。
レポートが遅くなっていまいましたが、会期末9/15まで、お時間のある方はぜひお運びんなることをお勧めいたします。


実況中継3

2008-09-05 | Weblog
相変わらず水道が使えませんので、汲み置きの水をちびちび使い、洗面台で頭を洗う日々でございます。
そのうち地球の水資源が枯渇して、人類みんながこういう生活をしなきゃならなくなるのかもしれんなあ、と思ったりいたします。
まあ、一握りの大金持ちを除いた人類みんな、でございましょうがね。

幸いなことに今日、業者さんから連絡がございました。
月曜日には工事をしに来てくださるとのこと。
この不自由ともあと数日でおさらばでございます。

不自由。不自由か。
いや、ルワンダやアフガンやグルジアの難民キャンプで暮らしている人たちのことを思えば、このくらいのことは不自由のうちには入りませんですよ、ほんとの話。
UNHCRによるとグルジアでは避難民への人道支援のため、今後半年間で1600万米ドル(およそ17億3千万円)を必要とするとのこと。

グルジア(南オセチア紛争) | ヨーロッパ地域 | UNHCRの援助活動 | 日本UNHCR協会
(↑左側の「今すぐご寄付」から募金できます)


エラい人たちがお前の方が悪いんだと指差しあっている影で、たった数日間の戦闘で何もかも失った人々がテント生活をしているんでございます。
いつまたもとの暮らしに戻れるのか、いったい戻ることができるのかも全く分からないままにでございますよ。
その不安、鬱屈、そしてやり場のない憤りはいかばかりでございましょうか。

エラい人たちはきっと「大局」とやらをを見てらっしゃるんでございましょう。
「大局的に見て」自国の利益となることのために、ドンパチなさるんでございましょう。
しかしワタクシは「大局」よりも、その影で踏みつけられ、大切なものやごく普通の生活や愛する人をいきなり奪われた人たちのことの方がずっと気になりますよ。
ええ、なにぶんバカで短視眼なものでしてね。