のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ダリ展』1

2007-03-31 | 展覧会
ダリ展 ー創造する多面体ー サントリーミュージアム天保山 へ行ってまいりました。

いやもう、よくこれだけ色んなことをしたなと。
興味を引かれるものは何でも貪欲に取り込み、才能が発揮できることになら何であれ携わったという感がございます。
絵画は言うにおよばず、著述、インスタレーション、舞台デザイン、ファッションデザイン、家具デザイン、広告、ロゴデザイン、挿絵。また本展では取り上げられておりませんでしたが、映画にも関わっておりますね。
『アンダルシアの犬』、会場で上映してくれていったらなおよかったのに。
と、つぶやいてみますのろは、例の 目玉斬り が恐ろしくていまだに本作を見られないのでございますが。

ダリの作品、特に絵画は、図版ではよく親しんでいるものの、ワタクシ実物を見たことがほとんどございませんでした。
実際に目の当たりにしてみますと、例のごつごつした海岸風景や溶けかけた肉体というか肉塊は
白昼夢という言葉ではちと穏やかすぎる、神経を逆撫でするような強烈な印象で迫ってまいりました。

はじめに申しましたように、ダリの表現媒体はめっぽう多岐にわたっておりますが
その全てに通底する要素として、諧謔、パロディの視点があるように思いました。
そしてその視線は、芸術における古典的な手法や、モチーフや、古典的名作そのものばかりでなく
現実にあるあらゆるものに対して向けられていたのではないかと。

またダリといえば生涯にわたって「偉大な天才」を演じ続けたパフォーマーだったわけでございますが
そんな自分自身をパロディの対象としているような作品もございました。
ダリ自身が顔を出している作品はもちろん、当人の姿が出ていないもの、
例えば『催淫作用のあるディナージャケット』と題された作品などにおいても。



この展示ケースがまたナイスでございます。

シャツ、ネクタイ、ブラジャーを身につけた上から着用するのが本式らしいこのジャケット
全面にいっぱいくっついておりますのはショットグラスでございます。
このグラスの中に、催淫作用があるというリキュールを満たして着用するべきものなのだとか。
馬鹿馬鹿しいまでに非実用的なこの服に、ダリ自身による、実用のための説明が付されているんでございます。
曰く 着用する者は(リキュールがこぼれないように)非常にゆっくり進む強力な装置で移動せねばならない 云々。

この大真面目な、いかにも大仰な馬鹿馬鹿しさは
「偉大な天才を演じている男」=自分自身 への諧謔に寄与するものであろうと、のろには思われるのですよ。



次回はちとミュージアムショップばなしを。

『アール・デコ・ジュエリーの世界』展

2007-03-25 | 展覧会
おおっと ゲーテ忌を過ぎてしまったではございませんか。
当方、ゲーテ忌の日付を間違えていたようでございます。
せっかくメフィストフェレスがいかにナイスな奴かということを
独断と偏見と情熱をこめてひとくさり語らせていただこうと企画しておりましたのに。
無念。このネタは来年のゲーテ忌にまわすことにいたします。
来年まで当のろやが存続していればの話ではございますが。

ところでメフィストフェレスといえば、『ファウスト』第一部、
登場間もない頃に酒場で歌う有名な風刺歌がございますね。
王様が蚤を寵愛して云々、という。そう、通称 蚤 の 歌 
ノ ミ の う た ・・・・・・ああ、いい響きでございますねえ。・・・

さておき。
『アール・デコ・ジュエリーの世界』展 京都国立近代美術館 へ行ってまいりました。
カルティエの売れっ子デザイナーだったシャルル・ジャコーのジュエリーデザイン画を中心に
実物のジュエリーやドレス、そして当事のファッション紙を飾ったイラストレーションなどで構成されております。

ジュエリーデザイン画は本来の目的からすれば、まだ見ぬ完成品のための構想/下絵に過ぎないものでございますが
他のグラフィックアートとはまた異なる、独特の端正な美しさがございますね。
デザイナーの頭の中にあるイメージをできるかぎり明快に現そうとするシャープな線や
石ひとつの場所もゆるがせにしない、緻密で几帳面な描き方は
3次元のものとして制作されることを想定しているためでもありましょうし
実際にそれを作るのがデザイナー本人ではなく職人さんであるためでもありましょう。
完成品のジュエリーももちろん素晴らしいものでございますが
デザイン画単独でも、美術品として鑑賞する価値が充分ありありでございます。

本展で中心的に紹介されておりますジャコーは、デザイン画を描くにあたって、デザインそのもののみならず
紙の裏側から描いたり、絵具を盛り上げたりと、宝石のきらめきを表現することにも心を砕いたのだそうでございます。
抽象的なかたちと、花や鳥や果物といった具体的なかたちの双方を自在に駆使したそのデザインもさることながら
描き手の愛情すら感じられるような、繊細な宝石の描写もまた魅力的でございました。
翡翠など、玉(ぎょく)系の貴石の、白濁した柔らかな輝きや
エメラルドやルビーなどの深みのある澄んだ輝き、ダイヤモンドの硬質で鋭い輝きが見事に再現されておりました。

デザイン画についで多く展示されておりましたファッションイラストは
ジャポニズム込みな雰囲気がいかにもアールデコでございますが
服だけでなく家具調度、全体の色彩へのこだわり、物語性を感じさせる場面設定などは
今のファッションフォトに通じる血脈でございますね。

全体的に あー眼福 眼福 な展覧会でございました。

また4Fのギャラリーでは 特集展示「現代ジュエリーの諸相―metaphor in mobility」が催されておりまして
こちらもたいへん面白うございましたねえ。と申しますか、のろ的にはこちらの方が好みでございました。
「ジュエリー」という呼び方でくくるのはいかがなものかとは思いましたけれどもね。
ジュエリー、あるいはアクセサリーというよりも、
身につけるものという性質を利用したアート作品といった趣きでございます。
アントネッラ・ピエモンテーゼの「TEAR COLLECTOR」(涙集め機)なんて、よろしうございますねえ。
即ち ↓ こういうのですが。




最後に。
なにゆえ、かのおじさんやおばさんたちは
「現代美術はわけがわからん!」と大声で宣言しながら館内をお歩きになるんでございましょうか。
わかろうというおつもりも楽しもうというおつもりも無いのなら、ただ黙って通り過ぎればよいではございませんか。
作品をちらっと横目で見て、「あーわからん、わからん、やっぱり現代美術は」と
不必要に大きな声でのたまいながら闊歩なさるのは
本当に、やめていただきたいものでございます。

最後にと申しましたが
愚痴で話をしめるのはちと後味が悪うございますね。

お口直しに、 ルドンのメフィストフェレス でもご覧くださいませ。

こんなにうつくしくてよいのでしょうか。
よいのです。


はれるーやー

2007-03-15 | 音楽
ああっと
まだ生きておりますよ。
大エルミタージュ展@京都も
ダリ展@サントリーミュージアム天保山も
始まってしまったというのに
新しい記事がなくて申し訳ございません。
何やかやと重なりまして、ゲーテ忌あたりまでちと忙しいのでございます。
しかし記事ができしだい、善き人のためのソナタ(←音が出ます)および
アール・デコ・ジュエリーの世界展のレポートをUPしたいと思っておりますので
どうかお待ちくださいませ。

それまでの間、どうぞ LORDI でもご覧下さい。

YouTube - LORDI HARD ROCK HALLELUJAH LIVE FROM EUROVISION SEMI FINALS

↑ 去年*ユーロビジョン・コンテストで優勝したときのもの。史上最高得点だったのだそうで。
↓ その時の優勝者アンコール

YouTube - Lordi - Eurovision 2006 Winners Encore

BBC NEWS | In Pictures | In pictures: Eurovision 2006

わははは。嬉しそうですね。

*ユーロビジョン:欧州各国代表の新人ミュージシャンたちによる歌唱コンテスト。その模様はライブ中継され、視聴者の電話投票によって優勝者が決まる。

YoutubeでPVがけっこう見られます。
怖すぎて笑けます。

ちなみに、コスチュームは手作りらしいです。
ちなみに、この4月に初来日なさいます。(東京 名古屋 大阪)

『夢の美術館 大阪コレクションズ』2

2007-03-11 | 展覧会
3/8の続きでございます。


ずんずん進んでまいりますと、やがて至るスペースでは
一方の壁面にダリやキリコやマグリットといったシュルレアリスムのひとびとが
現実と奇妙に交わるありえない光景を展開する一方、
向かいの壁では、セガンティーニやモランディが目の前にあるものものを実直に黙々と描いていおります。
セガンティーニの描くアルプスの山なみは、陽光まぶしく、牛はのどかに草をはみ
あくまで清澄で健康的でございます。
本展に展示されておりますのは『水飲み場の牛』という作品ですが
大原美術館所蔵の『アルプスの真昼』が有名でございますね。

うーむ
この屈託のない明るさ、
作者が『悪い母』を描いた画家と同一人物とは思えないほどです。(拡大図)

ええ、のろはもちろん『悪い母』路線の方が好きでございますけれども。

モランディについては以前の記事で少々語らせていただきましたので
今回は割愛してずんずん先へ進みます。

次にございます展示スペースは
ジョゼフ・コーネルの秘密の小部屋でございます。
言葉を持たぬ詩のごとく
きらきらしくもつつましく
謎に満ちたコラージュや、ノスタルジックなものもののつまった箱が並んでおります。
おお、もしものろが稲垣足穂であったなら
作品のひとつひとつに散文詩を捧げたであろうに。

やや照明の落ちたコーネルさんの展示スペースを出ますと
「おいおいおい俺どうするよ!!」という顔つきで
ジャコメッティの『鼻』が迎えてくれます。
これより先は、キャンバスは切り裂かれるしマリリンはずらずら並ぶし
肖像画はひっくり返るしフェルトは壁から垂れ下がるし
ほんにまあー どうしませう といった趣の戦後美術でございます。
もはや「oo派」という、既存の芸術概念の範囲内における流派ではなく
芸術そのものの新たな概念をつくってしまおうと取り組む方々の作品が並んでおります。
うふふふ楽しいですよ。

のろといたしましては、滋賀県立美術館ばりに
大好きなモーリス・ルイスドナルド・ジャッドと一同にお目にかかれたのが、たいそう嬉しうございました。
しかもルイス作品の前にはしっかり長椅子が。
そう、モーリス・ルイスの作品は、30分くらいはその前に腰をおちつけて
じーーーっと温泉につかるように、ゆったりじっくり頭からっぽ状態で堪能するのが
タダシイ鑑賞方法であろうかと存じます。

ジャッドのプログレッションは滋賀県美にも所蔵されておりますが
素材が若干異なるようでございます。滋賀の方は、上部がたしかアルミ製で
表面は写り込みの少ないマットな状態でございましたが
本展では真鍮製で、つるつるぴかぴかでございます。
向いの壁面に掛かっているマリリンが、うまいぐあいにずらっと写り込んでおります。
滋賀県美の収蔵品の方がよりストイックといいましょうか、取り付くシマもない感じがして好きではございますが
これはこれで面白うございました。


パレットがキャンバスに塗り込められたり
既製品のプリント布地がキャンバスになったり
プラスチックのサイコロで覆いつくされたでっかいオブジェが出て来たり
とまあてんやわんやでやったもん勝ち的な様相を呈してもいる現代美術ではございますが
最後には何もかもまとめてポーンと蹴っ飛ばすかのような
バリー・フラナガンの『ボウラー』が本展を軽やかに締めくくっていたのでございました。

ところで
企画展出口のミュージアムショップ(というかウォーホルグッズ売り場でした)、たいそうな品揃えでございましたが
一階にある通常のミュージアムショップには、ここで扱っている企画展グッズは置いてございませんので
買い物するやもしれないという方は、お財布をロッカーに入れずに持って行かれることをおすすめいたします。



「夢の美術館 大阪コレクションズ」1

2007-03-08 | 展覧会
夢の美術館 大阪コレクションズ」国立国際美術館 へ行ってまいりました。



前半はセザンヌから未来派、シュルレアリスムなどへ至る戦前の美術
後半は戦後のいわゆる現代美術が展示されており、量的には半々といったところでございます。



チラシには前半の展示作品ばかりがフィーチャーされております。
うがった見方をしますれば、これは
モディリアーニやクレーやマグリットを撒き餌にして
やって来たひとびとにフォンタナフォートリエステラなどなどを
否が応でも見せちまえヒッヒッヒ、というナイスな企画でございますね。
うがちすぎ。

さておき。
「ミニマル、さもなくば過剰」なものに心魅かれがちなワタクシとしては
前半においてとりわけ印象深かった作品は、ブランクーシの眠れるミューズでございました。
一見、 尖りぎみの卵型オブジェ なんでございますが
接近して見ますと最小限にまで抑えられた凹凸で、眠る女神の目鼻だちが表現されております。
風雨に削られた古代の大理石像、あるいは
長い年月、川底で洗われた小石のようなやさしい凹凸、
あるか無いかわからぬほどうっすらと刻まれた目蓋や鼻すじは、
鑑賞者をして無限の美しさを想像せしめるではございませんか。
サモトラケのニケやミロのヴィーナスが、失われた頭部や腕に
無限の美を宿しているごとくに。

次回に続きます。

『1920年代の画家たち』展2

2007-03-04 | 展覧会
3/1の続きでございます。

キスリングが5点もございました。
人物画が2点と、静物画が3点。

静物がよろしうございましたねえ。
とりわけ『魚の静物』が印象的でございました。
バロック絵画のような黒々とした陰影の中に、色とりどりの魚が映えており
鮮やかな色彩と強い黒の対比が見事でございます。
横倒しになった籠と、そこから無造作にこぼれ出る魚という
なんてことのない卑近なモチーフでありながら、なにやら神秘的な雰囲気を発しておりました。

キスリングのちと華麗すぎるほどに華麗な色彩から
ふと視線を外して横を向きますと
突き当たりにはヴラマンクの『冬の村道』が。
ヴラマンクお得意の、寂寞とした雪景色。
比較的大きめの作品ということもあり、
道路が画面の奥に向ってまっすぐ伸びていく、奥行き感重視の構図ということもあって
離れた場所からも見られる位置に展示してくれたのでしょう。
ナイス配置でございます。

独特のスピード感ある荒い筆致で、細部はばっさりと省略されているのでございますが
細部を書き込まぬことによってかえって、人の眼に映る風景としてのリアルさが醸し出され
冬の冷たい空気が画面から しんしんと 観る者に迫ってまいります。
ざくざくとした雪が積もり、わだちとなっている街路には
そのまま歩み入って行けそうな現実感がございます。


一度はキュビズムに接近したものの、そのあまりに理知的な傾向に反発して
独自の表現を模索したヴラマンク。
画面上の構成や、現実にあるモチーフを幾何学的なかたちに還元するといった知的な側面を重視したキュビズムに対し
ヴラマンクは、眼前の対象から受ける 感覚的なもの を把握し
再現することに心を注いだ、ということでございましょうか。



どうも最近脳神経がキュビズム的に分割されかつ再統合されぬままに放置状態でありますのろ。
文章をひねり出すことが甚だ困難となっております。
よって本展についてはこれにて。
読みづらい&唐突終わりにて申し訳ございません。

『1920年代の画家たち』展

2007-03-01 | 展覧会
ヘミングウェイが愛した街 1920年代の巴里の画家たち展 美術館「えき」KYOTO へ行ってまいりました。



タイトルに堂々と名前が出ているわりには
ヘミングウェイ関連の展示は、全体からするとほんの少しでございました。
のろはヘミングウェイファンではないので、ちっとも構やいたしませんでしたが
遺品や生原稿を期待して行かれるかたには、ちと肩すかしかもしれません。

メインの展示はと申しますと
1920年代当時、パリを拠点に活動していた主要な画家たちをけっこうまんべんなく取り上げ、
かつ、ほとんどは1人の画家につき数点の作品を展示しておりますので、なかなかにボリュームがございました。
美術館「えき」、いつもながら、決して広くはないスペースにがんばって展示してらっしゃいます。

ワタクシごとになりますが
ドンゲンのポドリ・ダッソン侯爵夫人に再会できたのは、思いがけぬ喜びでございました。
郷里の美術館でこの絵に出会ったのはもう15年ほど以前のこと、
のろの美術館通い暦もまだ浅かりし日でございました。
ドンゲンの作品を図版ですら見たことがなかったのろ、その大胆な色使いにすっかり眼を奪われ
「人肌にこんなぎらぎらの緑色を使っているのに、何故キモチワルイ絵にならないのだらうか」
と、ちと失礼な感想を抱いたものでございます。

時を隔てて本展で、この作品と対面して
心に残りましたのは、ぎらりとしたその色彩よりも
絵の中の夫人が発する、あまりにもはかなげな雰囲気でございました。
むき出しの膝がしらも、椅子の肘掛けに添えられた細い指先も
優雅な微笑みや「侯爵夫人」という大仰な肩書きとは釣り合わぬほどに、はかなげではございませんか。
ドンゲンの人物画において特徴的な、黒目がちの大きなひとみは
焦点が定まっているのやらいないのやら、こちらを見ているのやらいないのやら
判然としない視線を投げかけ、ただただうっとりと微笑んでおります。

実際のダッソン侯爵夫人がいかなる人物であったのかは分かりませんが
画家の眼が捉え、画布の上に表現したのは
夫人の似姿というよりも、彼女の上に見いだされたもろくはかない生命の輝きであったろうかと
のろには思われたのでございます。


次回にちょっとだけ続きます。