のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

imacさんさようなら

2008-05-26 | Weblog
どのみちぼくらみんな滅んでゆくのに何のためにいるんだろう。
何のためであれ、いなくなるまでは居なくっちゃいけないんだ。
「命は生きる定めなの」ってアントニアが言ってた。
「いかなる物も自己の及ぶかぎり自己の存在に固執しようと努める」ってスピノザも言ってた。

それはさておき

このごろ動悸の乱れや心臓の痛みや恐怖や絶望感や罪悪感といったものを以前ほどには伴わずに電話をかけることができるようになりましたので、回収業者さんに電話をかけまして、ここ数年単なるお部屋のインテリアと化していた97年型imacさんに、やっとお別れを告げたのでございます。



ああ、さようなら。君のことを愛していたよ。
夏は高温多湿に耐え、冬はコーヒーの襲撃に耐えて、よく頑張ってくれたなあ。
さよなら。さよなら。



今使っている二代目macさんはこのひと。



とてもよい子です。
小さな身体でよく頑張ってくれております。
キーボードのデザインもたまりません。
ビバmac。

ザッハトルテ

2008-05-20 | 音楽
ザッハトルテの”月例お食事ライブ”へ行ってまいりました。




以前にもご紹介したと思いますがザッハトルテ、チェロ・ヨース毛(ケ)さん、ギター・ウエッコさん、アコーディオン・都丸智栄さんから成るアコースティックトリオでございます。

”月例お食事ライブ”はザッハトルテが喫茶店さらさ西陣で催してらっしゃるカンパ制ライブでございます。
のろが彼らのライブを見るのはこれで4度目でございましたが、”月例~”は今回が初めてでございました。
ステージがあるわけでなし、音響装置があるわけでなし、喫茶店の一角に陣取って演奏なさるんですよ。

メジャーデビューアルバム『おやつは3ユーロまで』の発売に伴って、ツアーやラジオへの出演などなど、なにかとお忙しいご様子のお三方。
多忙なスケジュールの中でも、前々から続けてらっしゃる小規模ライブをスキップせずにちゃんとやってくださるとは、嬉しいことでございますね。

新アルバム所収の『キンメギンメ』で威勢よくはじまったライブ。
どう見てもタネも仕掛けもある手品や、普通に喋っているのにつっこまれてしまうウエッコさんトーク、楽器にまつわる個人的エピソードと共にスタンダード曲の一節も(本当に一節ですが)聴かせていただける、一粒で二度おいしい楽器紹介などを挟みつつ、時にはノリノリで時にはしっとりと、約3時間の楽しいひとときでございました。
シメはサプライズ企画でございまして、3日後に控えたウエッコさんのお誕生日を祝して似顔絵ケーキを前に皆でハピバースデーツーユーーを合唱。プレゼントは白米5キロ。ううむナイス企画でございます。

以前NHK-FMの「世界の快適音楽セレクション」という番組で、ゴンチチさんらがザッハトルテを紹介して「若い人がこういうことをしてくれるのは嬉しい」とおっしゃっておりましたが、実際、お三方ともずいぶんお若いんでございます。
これからもずんずん活躍して行かれることでございましょう。そう願っております。

余談でございますが、さきにも申しましたようにのろは以前にも彼らのライブに行ったことはございます。
が、小心者ゆえいつも一番後ろの一番はじっこ席からしか聴いたことがございませんでした。
今回はしかし、お誘いくだすった同僚女史のおかげさまでかなり近くの席に座ることができましてね。
振動としての音や演奏の熱気がより繊細に、ダイレクトに伝わってまいりまして、よろしうございました。





『愉快なクリム』展

2008-05-18 | 展覧会
更新が甚だ滞っておりまして、まことに申し訳ございません。
メモ帳を紛失したり何だりしておりましたもので。
このごろよくものをなくしたり落としたりするなあ。
そのうちうっかり自分をどこかに置き忘れるんじゃないかしらん。
もちろんその方がいいんですが。

さておき
高麗美術館: 開館20周年記念特別展「愉快なクリム-朝鮮民画」へ行ってまいりました。

いや、これは愉快でございましたねえ。
小さい美術館でございますので、展示品も30点ほどと少なめではございましたが。

作者不詳の民画を集めた展示でございます。
民画でございますから、熟達した職業画家が描いたものではございませんで、素朴で稚拙、ぶっちゃけて申せばへたっぴいなんでございますが、見る者をうまさで説得してやろうという意図が全然ない、その感じが大変いいんでございますよ。
「漫画日本昔話」に出てきそうなとぼけた表情の龍や、色あざやかで幾何学的なかたちの岩山などなど、あるものには愚直なまでの丁寧さが、またあるものにはおおらかな遊び心が宿っております。

特に3枚展示されていた『鵲虎図』のうちの↓この1枚が、大変よろしうございました。



虎の「そんな無茶な」と言いたくなるような造形が何とも言えません。
顔なんかもう最高でございますね。そして座っているというよりは宙に浮いている。
アランジアロンゾが描いたみたいなカササギもいい。
こんなにも豪快な造形でありながらも虎の毛の表現は丁寧でございまして、子供の絵のような実直な魅力がございます。
生涯かけて子供の絵に近づこうとしつつ、その”うまさ”をぬぐい去るということはやっぱりできなかったピカソがこれを見たら、舌打ちのひとつもしたかもしれませんね。アッサリ描きやがってよう、と。

また漢字と絵を組み合わせた「文字図」も面白いものでございました。
ひとつの漢字の中に、その字義にまつわる物語を描き込む、なんてのは表意文字ならではの複合的表現でございますね。

美術館を出ると文官も剣を履いた武人もふっくりと微笑んでおりまして、何やら柔らかい気持ちになった5月の午後でございました。


キートン帽

2008-05-08 | 映画
自慢じゃございませんが小学校から高校を通じて、家庭科の課題をまともに提出できたことは一度もございません。
まともに、どころか、提出まで漕ぎ着けたこと自体が稀であったと記憶しております。
そんなのろではございますが、唐突に思い立ってキートン帽を作ってみました。



ミシンがございませんので、オール手縫いでございます。
何故こういう誰の役にも何の役にも立たないことにだけ情熱を注いでしまうのか、自分でも不思議でございます。

裏はもちろんストライプで。


キートン帽。
バスター・キートンのトレードマークである、あの、ぺちゃんこのポークパイ・ハットでございます。
街路を爆走する時も、西武の荒野を行く時も、小作りな頭の上にちょこんと乗っかっているあの帽子。
海に落とされる時も、列車から放り出される時も、天国への階段を駆け上る時も手放さないあの帽子でございます。

もっとも、ロイドには眼鏡が、チャップリンにはチョビ髭が必須(『ライムライト』は別として)という感があるのに対し、キートン帽は必須というわけではございません。
彼の一番のトレードマークはメイクや衣装ではなく、そう、あの、もの悲しげな”ストーン・フェイス”だからでございます。
決して笑いもしなければ泣き叫びもしないあの生真面目な顔があるかぎり、毛皮をまとった原始人を演じていようと、大金持ちのお坊ちゃんを演じていようと、そこにいるのは100%、ぼくらのキートン、なのでございます。

そんなわけでキートンはキートン帽にこだわわず、シルクハットやら、ハンチングやら、官帽やら、劇中でいろんな帽子をかぶっております。
それらがまた、よく似合うんですね。
ギャグの小道具としてもしばしば帽子を活用しております。『キートンの蒸気船』では、キートン帽というもの自体をギャグにしております。

洒落たベレー帽をかぶって、長年会わずにいた父親の前に現れたキートン。
ちっぽけな蒸気船の船長である無骨な父親は、息子のチャラチャラした恰好が気に食わない。
で、帽子屋に連れて行かれたキートンは店員にさまざまな帽子をとっかえひっかえかぶせられる間、大人しく突っ立っているんでございますが、キートン帽をかぶせられた時だけ猛烈な勢いで拒絶するんでございます。「こんなダサい帽子を勧めるなんて!」と言いたげに、目をひんむいて。
ほんの2、3秒の瞬間ギャグなんでございますがね、キートンの必死な顔と電光石火で帽子をむしりとる動きがもう最高で、ほんとに、爆笑ものでございました。



実物のキートン帽はグレーのフェルト地に黒のリボンでございます。そもそもは市販のソフト帽子のてっぺんを潰し、つばをぺたんこに伸ばしたもので、キートン自らあの形に加工したものなんだそうでございます。

のろ製キートン帽はちょっと潰しすぎたようで、外でかぶったらすぐに風で飛ばされてしまいそうです。
まあ、もとより外でかぶるつもりは全然なかったんでございますがね。
これを頭にのせて歩いているだけで、犬や警官が追っかけてきそうでございますもの。