のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ハロウィン

2007-10-29 | 音楽
折しもハロウィンでございますからね。
LORDIの Would you love a monstermanでもご覧下さいませ。
歌詞はこちら

冒頭、向かって左側のカボチャランタンは口が変な形にくり抜かれておりますが
あれはおそらくAMENさん(ギター)のクチビルのめくれぐあいを再現したものと思われます。

いやあそれにしても、AWAちゃん、可愛いですねえ。
「アワ」じゃあございませんよ。アヴァちゃん、でございます。
人食い鬼みたいな顔したキーボードの女の子です。
こんな格好してこんなことしてらっしゃいますが、所作が楚々としていらっして、とっても可愛いんでございますよ。

来日ライブでは2度目のアンコールに答えて、まずAWAちゃんが一人だけ出て来て、
代表曲Hard Rock Hallelujahの前奏を弾いたんでございますがね
その時に観客の歓声が小さいと「なによう...」と言いたげにプイと後ろを向いてしまうんでございます。
もう、可愛いったらございません。
ちなみに御本人はホラー映画はお嫌いなんだそうで笑。
Hard Rock Hallelujahの歌詞はこちら

こんなポーズもよろしうございますね。
Mr.Lordiもそうですが、恐ろしげな風貌と、「素」の出る動作や礼儀正しい受け答えのギャップがたまりません。

Lordi-Devil is a loserのPVもハロウィンがらみでございます。
歌詞はこちら
こちらは2ndアルバム当時のメンバーでございますから
キーボードはAWAちゃんではなくENARYさん、
ベースはOXさんではなくCARMAさんでございます。
衣装は少々異なりますが、他の3人は今のメンバーと一緒でございます。

最後にAWAちゃんの投げキッスを貴方に。
ユーロヴィジョン2006の優勝者アンコールの模様でございます。

いや、もうね、みんな可愛い。

『葛飾北斎展』

2007-10-22 | 展覧会
小平次!
小兵次!
念願の小兵次に会うことができました。
中田小平次じゃございませんよ。
こはだ小平次でございます。

ひひひ...


と いうわけで『葛飾北斎展』へ行ってまいりました。
(それにしてもリンク先↑のやる気のなさったらどうでしょう)
天才ほくさいさんのおそるべきデッサン力とデザインセンス、そしてユーモアを堪能してまいりましたとも。
小平次さんは連作『百物語』のうちの一枚でございまして、本展にはこの他二点(これこれ)が展示されておりました。

骨ばかりの両手で蚊帳を押し下げ
沼のような暗闇から、ぬたりと顔を出す小平次。
その恨みがましい視線の先には、妻のおつかと、その情夫で小平次を殺した太九郎(左九郎)がいるはずでございます。
のろが「ラジオ名人寄席」で聞いた怪談「生きている小平次」では、
たしかおつかと太九郎が夫婦で、情夫が小平次だったと思いますが
まあとにかく、三角関係のすえ小平次が殺されるんでございます。
ところが、殺されたはずの小平次が、二人につきまとうんでございますね。
頭を切られ、喉を切られ、沼に沈められてもなお。殺しても、殺してもなお、生きている。
コワイですねえ。
コワイですねえ。

ほくさいさんが描いた小平次はもうすっかり死んで怨霊と化しておいでのようですが
すっかり骨ばかりの姿になりきらず、肉色を残している所が恐ろしうございますね。
画面手前にはずるずると長く引き延ばされて揺らめく炎。
骨ばかりの頭にも、赤黒い炎がまとわりついております。
風の吹かない、じっとりと淀んだ空気と、小平次の恨みの深さを思わせる造形ではございませんか。

しかし恐ろしいばかりの絵かというとそうでもございませんで
むしろ「提灯お岩」同様、ユーモラスな雰囲気もございます。
小平次はにんまり笑っている表情にも見えますし
ポーズもおずおずとしていて、なんだか可愛らしうございます。
こへいじ。
こへいじ。
こへいじ。
ほーら、だんだん可愛く思えて来たでしょう。

とまあ、ひととおり小平次語りをさせていただきましたが
本展の目玉はやはり肉筆画でございましょう。

完成作品もよろしうございますが、画稿も興味深く拝見いたしました。
こう、ナマ、と申しますか、直、と申しますか、完成された作品、特に浮世絵よりもはるかに直接な感じがして
ちょっとどきどきいたしますね。
このを描いた一本の筆の、反対側の端にはほくさいさんの手があったか、と思うと感激もひとしおでございました。

肉筆画は浮世絵と違っていわば一点ものでございますから、そういつでも見られるもんじゃございません。
会期は長くはございませんが、この機会にぜひお運びんなることをお薦めいたします。

えっ
遠くて行けない?
そうですか。そりゃあ残念でございましたねえ...
ひひひ...

『ロートレック展』

2007-10-20 | 展覧会
勤務先に放火して1フロア全焼させる夢を見たんでございますが
まあそれはそれとして。

『ロートレック展』へ、ようやく行ってまいりました。

会場に入るとすぐ、山高帽を被って、ステッキを持って、あの小さなロートレックが迎えてくれます。

「やあ」


おなじみのポスター作品や油絵、素描、リトグラフなどなど、けっこうな点数でございました。
また19世紀末のパリ風俗、特にロートレックが入り浸った歓楽の世界にスポットをあてた写真や映像もあり、
これまた興味深いものでございました。
ロートレックの作品でしか見たことのなかったアリスティド・ブリュアン、彼の写真もございましたし
彼の歌声まで耳にすることができたのは、まったく望外のことでございました。




なにげない線で、ものの形、量感や動きをみごとに捉えるロートレックの腕前は
とりわけ、早描きの線が生き生きとしたリトグラフ作品において顕著でございました。
中でも印象深かったのは『「シルペリック」でボレロのステップを踏むランデール』でございます。
客席に向って見栄を切るような、一瞬のポーズ。
カスタネットを鳴らす両手の躍動感が、素早く繊細なタッチで捉えられております。
下半身はほとんど描かれておらず、そのことが下からの強い光(フットライトというのでしょうか)を表現しております。
半身しか描かれていないにもかかわらず、体全体の動きが感じられるのは
画家の卓越したデッサン力ゆえでございましょう。
シンプルな画面なだけに、ひかれた線一本一本の的確さが際立っております。
素描の名手ロートレックの面目躍如たる作品ではございませんか。

一緒に展示されている写真で見るかぎり、ランデール嬢は鼻筋の通った美人なんでございますが
例によってロートレックは、あんまりきれいな相貌には描いておりません。
イヴェット・ギルベールを描いた作品も10点ほど展示されておりましたが
いわゆる「きれいな」顔かたちをしているものは一つもございませんでした。
彼女が「どうかこんなに醜く描かないで」と苦情を言ったというのもむべなるかなでございます。

ロートレックはしかし、こうした歌手や女優たちの顔を
ことさらに醜く描こうとしたわけではあるまいと、ワタクシ思うのですよ。
もちろん、風刺の精神で、自他ともに認める美人である彼女らの姿をを戯画的に描いたという面もありましょうが
それ以上に、客向けの、よそ行きの、美しく取り澄ました彼女らの仮面がふとズレた瞬間、即ち
一般的な「美女」ではなく、イヴェット・ギルベール、あるいはジャヌ・アヴリル、
あるいはラ・グリュという人間特有の皺が、目元に、口元に刻まれた瞬間を捉えることが
画家の主眼としたものだったのではないかと、思ったりするんでございますよ。
とりすました顔をまさに仮面のように描き込んだ作品もございますけれど。

舞台上の女優や歓楽にいそしむブルジョワたちが、化粧や衣装やソフトな微笑みの下におし隠しているものといったら
うぬぼれ、倦怠、軽蔑、はたまた悲哀や疲れといった、
社交の場では(少なくともおおっぴらには)見せてはならないものでございますから
「仮面の下にある表情」を描こうと思ったら、いきおいそうした醜いものを描きこまざるを得なかったのではございませんか。

仮面ではなく、個人的で人間的なものを捉えようとした画家のまなざしは
モデルとなった人物の地位、身分にかかわらず、ひとしく対象に注がれております。
人気女優であろうと、ダンサーであろうと、ブルジョワの紳士であろうと、黒人の道化師であろうと、娼婦であろうと。

展覧会の後半には、娼婦を描いた作品だけを集めたセクションがございます。
売り上げ的には失敗だったという版画集『彼女たち』をはじめ、
油彩や素描のどれもが本展の中でも圧巻の素晴らしさでございます。
のろがぜひとも見たかった一点も、この中にございました。


『赤毛の女(身づくろい)』 Copyright:Photo RMN/Herve Lewandowski

両足を投げ出し、やせっぽちの白い背中をこちらに向けた女。
赤毛を一つにまとめて、乱雑な部屋の床にじかに座っております。
顔はまったく見えませんが、ほっそりとした身体から見るに、まだ少女と言ってもいい年齢かもしれません。
青を基調とした画面の中で、際立ってあざやかな彼女の赤毛は
言葉を呑み込んだまま固く引き結んだ唇のように、他と交わることを拒んだ、何か決然とした雰囲気さえ放っております。
放心しているのか、考え事をしているのか?
後ろ姿を眺める私達には、前に回ってその表情を確かめることはできません。
彼女の視野に入って行くことは許されないのです、少なくとも、今は。

客に媚び、気を引き、いい気分にさせるのが彼女の商売。
身づくろいの時間はほんのつかの間の、プライベートなひとときでございます。
ほどなく彼女は立ち上がり、身体を洗い、化粧をし、身支度を完璧にととのえて
口もとにはすました微笑みを、目元には適度な媚びを浮かべて、こちらを振り向いてくれることでしょう。
その時にはもはや、今私達が彼女の後ろ姿に見いだしている孤独感も、他者の侵入を拒む厳しい美しさも
商売用の仮面の下に、すっかり影をひそめていることでございましょう。

仮面を被る前の娼婦、ある意味無防備でありながらも近寄りがたいその姿を
ロートレックはごく繊細な色彩で描いております。
そこには、彼女の境遇への単なる同情だけではなく、また冷徹な観察眼だけでもなく、
深く、静かな共感と敬意がこめられているように思われます。
赤毛という、世間的にあまり「よいもの」と見なされない身体的特徴を備えた娼婦たちを
ロートレックは好んで描いたといいます。
ロートレック自身、子供の頃の怪我のせいで両足の成長が止まり、身体的にハンディを抱えていました。
自らを嘲笑い、友人たちの間でしばしば道化のように振る舞った画家は
陽気な仮面をつけて人の気を引くことの甘美さと苦々しさ、
そして独りになって仮面を外した時のむなしさと寂寞を、他者の中にも敏感に嗅ぎあて、
それを描かずにはいられなかったのではないでしょうか。

そういう意味で、ふてぶてしい笑みを浮かべる歌手も、疲れ切った顔の娼婦も
一面、みな彼の自画像であったのでございましょう。



ところで
会場内では誰はばかることなく携帯電話で通話なるおじさまがいらっしたり
着信音をじゃかじゃか鳴らす方もおいででしたけれども
別段注意は受けておりませんでした。
もはや携帯電話は、美術館内においてすら使っていいものになっちゃったんでございましょうか。
これも時勢の流れってやつでございましょうか。
美術館側が認めている以上、ワタクシが「通話はマナー違反だ」と目くじら立ててもせんないことではございますが
通話中のおじさまに、ひとつだけお聞きしたいことがございました。
貴方が再三おっしゃっていた
「ロートレックス」ってのは、一体何でございましょうか?

クモが

2007-10-18 | Weblog
クモがね
マウスのポインタを狩りに来るんでございますよ。



かわいいですね。
画面上にはスクロールバーやらカーソルやら、動くものがいろいろございますが
ポインタにだけ反応するというのは、やはり他のものと違って生物的な動きをしているからでございましょうか。
大きさも、補食するのに丁度いいくらいなのかもしれません。

こちらから近づいて行ったらどういう反応をするかしらんと思い
正面から うりうり とポインタをにじり寄らせて見ました所、
じりじり と後ずさりなさいました。獲物としては予想外の動きだったんでございましょうね。



こんな感じでしばらくクモと戯れておりましたけれども
だんだん不毛なことにエネルギーを使わせるのが可哀想になってきました。
しかしこちらが構わなくても、あちらさんの方ではポインタ狩りを止めてくれないんでございます。
やるべき作業があるのでPCを消すわけにもいかず、あちらさんが画面上を這うに任せておりましたら
1時間ほど経ってようやく諦めてくれました。
PCから去って行く彼もしくは彼女の背中を見やりつつ
その胸中の徒労感を想像して若干心痛んだ秋の夕暮れでございました。

ノミ話16

2007-10-13 | KLAUS NOMI
ああ
本来ならば『ノミ・ソング』鑑賞記念日である10/11にこの記事をUPしたかったのでございますが
仕事ができたり内臓が痛んだりしたおかげでかないませんでした。無念でございます。
しかし、この数日の間に、もともと記事にしようとしていたものの他に
新たなノミ情報 ↓ を入手できました。いや、怪我の功名とはこのことでございますね。

Klaus Nomi ZABAKDAZ

まだ記事内容をきちんと読んでおりませんが、
おそらくYoutubeにノミのレア画像を多数投稿しておられる方(あるいは、方々)がお作りんなったサイトではないかと。
熟読の上、みなさまにご報告すべきことがあればまた後日語らせていただきます。

以上は緊急ノミ速報でございました。

では、通常のノミ話、即ち10/11にUP予定だったものを以下に語らせていただきたく。

以前、アメリカの大人向けアニメ『Venture Brothers』にクラウス・ノミが出演したという話をさせていただきました。
その続報でございます。

あの時は、番組をダウンロードする為には米国の住所が必要と知って
大地も裂けよとばかりに地団駄を踏んだのろではございましたが
その後もしつこくノミリサーチを続けておりました所
ほっほっほ
ついに番組をフルで見る事ができたんでございます。
ところが喜んだのもつかの間、この数日のうちに、フルでは見られなくなってしまいました。
それでもヤツが登場している場面が部分的ながら ↓ 公開されておりますので、ぜひともご紹介いたしたく。

[adult swim] | Adult Swim Video

(あらすじは当のろや2006年11月1日の記事をご参照ください)
直接はリンクできないようでございますので
まずはVIDEO SEARCH 欄に”Venture”と入力して検索してくださいまし。
シーンごとにタイトルを振られたサムネイル画面がずらっと表示されます。
ヤツの姿が見られますのは”Sweet Girl"と"Dracula Versus Yoda"というシーンでございます。
サムネイル画面に戻りたい場合はツールバーの”戻る”ボタンではなく、画面内の"BACK TO BROWSE VIDEO"をクリックしてくださいまし。

タバコに変えられてしまったボウイを見下ろして
「 Ding Dong! The Queen Bitch Is Dead!」と言う時の立ち姿が、実によろしうございますね。
もちろんこのセリフは、ノミの2ndアルバムSimpleManに収録されております「Ding Dong (The Witch Is Dead)」と
ボウイの「Queen Bitch」のパロディーでございますね。
このシーンの直前にイギーが、これまた自身の曲「I Wanna Be My Dog」のパロディーで
ボウイに向って「Be My Dog!」と言っておりますから、犬つながりのセリフでもあるわけでございますね。
そういえば「ジョジョの奇妙な冒険」第三部ではイギーって名前の犬が登場していましたっけ。(うわ、懐かしい)

この他にも、おそらくボウイファンやイギーファンならば一目でパロディとわかる身振りやセリフがあったことと存じますが
とりあえずワタクシは、アニメ版クラウス・ノミの姿を拝めただけで大満足でございます。


↑蝶ネクタイが無いのは、武器として使ってしまった為。

やれ「眉毛が違う」だの「爪が黒くない」だのと文句をつけましたけれども
実際に動く姿を見てみますと、気取った手振りやおちょぼ口にした表情など
意外に細かい所を丁寧に再現してくだすっておりまして、のろはちょいと感動してしまいました。



声もずっとソプラノで喋るのかと思いきや、普通に会話する部分は普段のノミっぽい声にしてくだすって
おうおうお(感涙)

残念ながらリンク先の動画には含まれておりませんが、ワタクシはとりわけ
イギーと一緒にぐふぐふ笑っている所と、
イギーにタバコを勧められて「ノドに悪いから」と断る所がとりわけ好きでございますねえ。


イギー&ノミ、仲良さそうでございます。

もっとも現実には、ノミから見ればイギーは雲の上の人で
親交らしいものは全然なかったようでございますがね。

今回ご紹介したAdultSwimのサイトでございますが、日々更新されているようでございますので
ボウイ&イギー&ノミの共演も、ほどなく見られなくなってしまうかもしれません。
さあ、今すぐチェックを!

『北欧モダン』展

2007-10-09 | 展覧会
『北欧モダン デザイン&クラフト 』京都市美術館 へ行ってまいりました。

いや、たいへん面白うございましたねえ。
京都市美術館で実用的な家具調度の展示というのは、なかなかに異例の企画でございます。
いったいあの空間に、モダンデザインの椅子や食器がどんなぐあいで並べられるのかしらん?と
いぶかりながらも大いに期待しておりました。
で、実際行ってみましたらこれがまあ、あつらえたように似合っておりました。
解説パネルや展示台なども、いつにもましてデザイン性に富んでおり
美術館、キュレーターの意気込みが伝わって来る展示でございました。
会場内の様子は↑のリンク先で見られます。やたらと大きい画像ではございますが。

展示品は椅子、食器、花器が多うございましたが、その他にも
おもちゃ、ポスター、文具、オーディオ機器、照明、トーベ・ヤンソンの原画からレバーハンドルにいたるまで
いろいろなものを見ることができます。
そのどれもが(北欧デザインについて語る際に必ず使われる言葉ではございますが)
シンプルでやさしく、実に温かみのあるデザインなんでございます。
とりわけ椅子たちのデザインは、人体を包み込むようなフォルムでありつつも、のびのびと外界へ広がって行き
内へと向うベクトルと外へと向うベクトルが不思議なバランスを保っているようで、印象深いものでございました。



こうして実際の「もの」を目の前にしますと、解説パネルの
「モダン・デザインの究極的な使命は”便利さ・清潔感=豊かさ”の観点で
 あらゆる人々の生活を改善することだったのに対し、
 北欧モダンは”優しさ・安らぎ=豊かさ”の観点がその底流にある」
という主旨の一文が、いっそうの説得力を持って響きます。

ひとつ困ったのは、展示品に触りたくなってしまうという事。
椅子にせよ食器にせよ、その素材感が、曲線が、量感が「触ってください、さあさあ」と呼びかけて来るんでございますよ。
最後のコーナーで、黒クマのようなかたちの椅子にお目にかかった時なんぞは
監視員さんの足下に身を投げ出して懇願しとうございましたとも。
どうかお願いです、ちょっとでいいからナデナデさせてくださいまし、と。

のろはあんまり物欲が強い方ではない(と思う)のでございますが
本展ではむやみに「これ欲しいなあ」と心中でつぶやいておりました。
だもんですから、ショップで散財してしまうやも、と危ぶみましたが、幸いそうはなりませんでした。
グッズのほとんどがTシャツで、あとはムーミンものがちらほら、というぐらいのものでございましたから。
スナフキンのフローティングペンには正直、心魅かれましたけれども
「スナフキングッズを所持するのはスナフキンの精神に反している」という日頃の信条を思い出し、踏みとどまりました。

ともあれ。
普段はあまり美術館に行かないという方にも楽しめる内容でございましたし
京都市美術館に行きつけの方には、いつもと違う顔が見られていっそう楽しめることでしょう。
会期は今月の21日まで。
ぜひともお運びくださいませ。


『院展』

2007-10-01 | Weblog
再興第92回 院展へ行ってまいりました。

のろが院展に参りますのはおおむね、宮北千織さん村岡貴美男さん、そして村上裕二さんの作品にお会いする為でございます。

お三方それぞれに独創的な画風で、それぞれにのろの心を打つのでございますが
今回は村上裕二さんの作品をご紹介させていただきたく。

風景画や、人物を大きめに配した作品もお描きんなる方ですが
ワタクシはとりわけ、複数の人物が描きこまれたものが好きでございますねえ。

「眠」
「桜桜」(上から二番目)

本展で見られる作品 「それは子象の「朝」と「花」の物語」 も、群像作品でございます。
ほとんどが金と黒で構成されている画面の所々に、かき落としや上からの彩色であざやかな色が施され、
華やいだ雰囲気と幻想性をかもしだしております。
画面にひしめく大勢の人物。大人、子供、若者、老人。
顔立ちも定かではないその一人一人が、不思議と、それぞれの個性を、くせを、来歴を、持っているように見えるのでございます。

この作品をじっと見ておりましたら、子供の頃にプリズムで遊んだことを思い出しました。
光を虹色に分解するアレ、光学カメラの中に入っているアレでございます。
角度を変え、部屋のあちこちに持って歩いては、虹色の光が壁やら天井やらにあたるのを飽くことなく眺めたものでございます。
氏の作品はまあ、あちこちに持って歩くわけにはまいりませんけれども
寄っては一人一人の人物を見、離れては全体を眺め、
色彩にうっとりし、シルエットに見ほれ、描かれている物語と描かれていない物語を想像し、飽くことがございません。

描かれているのは、おそらく架空の街。
なんとなくアジア的な雰囲気ではございます。
お祭りの日なのか、サーカスが来ているのか、俯瞰の構図で描かれた広場には人がひしめいております。
あちこちに明かりのともる、華やかな祭りの夜といった所でしょうか。
おおむね金で色どられた画布の中央上部には
テント屋根を戴いた円筒形の建物が黒々とシルエットを見せ、画面を引き締めております。
建物の中はよく見えませんが、大きな飯店のようです。
きっと中では人々が大いに飲み、食べ、店員さんがてんてこ舞いでテーブルの間を飛び回っていることでしょう。

よく見ると、屋根の上にもいくつかの人影が。
建物の熱気からちょっと逃れて、夜風で酔いをさましているのでありましょうか。
それとも、人ごみを上から眺めてやろうとよじ上って来たワルガキどもでございましょうか。
あるいは、ほの暗い中に憩っている恋人たちかもしれません。

テント屋根の両脇から画面手前にかけては
両側の建物から押されるようにして狭い路地が通っており、人々が楽しげに往来しております。
その人群れに沿って視線を下ろしていくと画面左手の手前にも、どうやら飲食店が構えられているのが見受けられます。
はり出した板張りの屋根の下には丸テーブルが並んでおります。
ほとんどのテーブルの上にはまだ、逆さにされた椅子がそれぞれ数脚、乗っかっております。
宵が深まってこれから本格的に開店営業といった雰囲気。
開店を待ちきれずに、早くもテーブルについているお客さんの姿もちらほら見受けられます。

画面右手には急ごしらえのやぐらが立ち、ここにも大勢の人々が集まっております。
出し物の準備をしているのか、あるいは出し物を待っている見物客か.
周りには大きな紙風船のようなもので遊ぶ人たち、壁に寄りかかって立ち食いする子供たち、
あれ見てよ、と画面の中央を指差す親子。

その視線の先、人ごみが途切れて小さなスペースが空いているその中央に
赤い衣装を着けた二頭の象が寄り添いあっております。
一頭はまだほんの子供、もう一頭はだいぶ大きいようです。
かたわらには、飼い主あるいは世話係らしい人物が一人。背格好からすると青年でしょうか。
数人が象たちに近よって、珍しそうに眺めたり、撫でたりしております。

大勢の人物像がひしめく画面で、目鼻立ちや顔の表情がはっきりと描かれているのは
実はこの、中央で子象を撫でている人物たった一人なんでございますが
さきにも申しましたように、その他大勢の人物一人一人が、自身の来歴/物語を持っているようであり
また画面全体からは、祭りの宵、出店を廻ってぶらつく人々の、日常から少し離れた高揚感が伝わってまいります。

そうした、個々の人物が抱えている無数の小さな物語と
絵全体が構成している、より大きな物語が相まって
プリズムが作る虹のように、汲めども尽きない魅力をとなっているのでございました。