のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ターミネーター ジェニシス』

2015-07-17 | 映画
えーと

退屈はしませんでした。
アクションシーンは出来が良かったと思います。(ただし目新しさはない)
面白い映像もそこそこありました。(まあ2つ以上はあったような気がする)
所々に挟まるユーモアもまあよかった。(”笑顔”シーンは多すぎて食傷)
しかし全体的には「まあそうならざるを得ないよね…もう5作目だもんね…」という展開がずうっと続いて、そのわりにはシリーズとしてはやっちゃいけない事や言っちゃいけないことをサラッとやったり言ったりしているような気がして、頭の片隅で常にツッコミを入れながら鑑賞する羽目に。要するにあんまりワクワクはいたしませんでした。
普通のタイムトラベルSF映画として見たなら、少々の無茶には目をつぶって楽しめたかもしれません。でもこれ、『ターミネーター』なんですよね。確かに「新起動」する話ではあり、それ自体には成功しているかもしれませんが、もはや『ターミネーター』という看板は巨大すぎかつ重たすぎて、どうあがこうとも長引くほどに沈んで行く運命にあるのではないかということを改めて思わしめる作品となっておりました。

さて。
1作目のファンの方からすれば邪道ということになりましょうが、ワタクシは『T2』至上主義者でございます。
より正確に言えば、T-1000至上主義者でございます。
本作を観に行ったのだって、9割がたT-1000を見たかったがためでございす。以前の記事で申上げた通りに。

T-1000ばなし - のろや

そんなワタクシが尋常ならざるT-1000好きとしてのものすごく偏った視点から本作についての不満を述べさせていただきますと。

以下、完全ネタバレでございます。









T-1000になんて仕打ちをしやがるんだばっかやろう!

いえ、イ・ビョンホンはよかったですよ、とってもよかった。本家ロバート・パトリックにも引けを取らない、たいへん結構なT-1000でした。と言いますか、そうなり得た。
ネット上では「T-1000がアジア系である必然性がない」という妙なご意見も見かけましたが、それを言うなら白人である必然性だってないでしょうに。重要なのはT-1000らしさが引きがれていることであって、そのためには俳優がアングロサクソンかアジア系かアフリカ系かといったことは無関係です。
本作のT-1000は不気味さも狡猾さも相変らず、のみならず自らの機体の一部を小道具として扱うことを覚えたなんて!これなら怖さもしぶとさも倍増しですようふっ。

…と思ったのに。
何であんなにアッサリとやられておしまいになるんですか!!
死に方それ自体はよかったと思いますよ。あの盛大な苦しみかたも、ズダボロになってもなお追いかけて来る執念深さも。
しかしそこに至るまでの過程があまりにも短すぎます。いくらサラ・コナー側があらかじめ罠をしかけて待ってたんだって、『T2』であんなにも、あんなにも苦戦したT-1000が一直線にトラップにはまり込んでジ・エンドって、そりゃないでしょう。こんなにも、こんなにもアッサリと片付けられたんじゃ、溶鉱炉に沈んでいったT-800も浮ばれませんですよ。

ええ、わかっております。新型ターミネーターT-3000を華々しく登場させるため、T-1000にはサッサとご退場いただきたかったんでしょう。
でもね、T-3000のマシーンとしての機能って、単にT-1000の焼き直しじゃございませんか?空を飛べるわけでなし、殺人ビームが出るわけでなし、溶鉱炉に落ちたら普通に溶けそうですし、硫酸かけても普通に溶けそうですし、むしろ磁場に弱くなってる分だけダウングレードしてるんじゃありませんこと?

しかも生粋のロボットではないので、喋りも立ち居振る舞いも普通の人間すぎて全然怖くありません。その一方でお茶目さではT-1000には遥かに及ばない。いいことなしじゃございませんか。
悪役とお茶目さの関係については以前の記事で述べた通りでございます。

『スター・トレック イントゥ・ダークネス』および悪役ばなし - のろや

何より、ジョン・コナーをあんなことにしてはイカンでしょう。ジョン・コナー=人類の最後の希望、というブランドを永久に穢してしまったではございませんか。今後もシリーズとして続くからには、これからも《スカイネット/ターミネーター/機械》VS《サラ&ジョン・コナー/人類》という対立の大枠自体は維持されるのでしょう。でも、どんなにサラが奮戦したとしても、また未来世界の人類がどんなに頑張って勝利を収めたとしても、最終的にはジョンがああなっちゃうかもしれないんですぜ。

いやいや待って、最終的にスカイネットが生き残ってジョンをマシーン化することができるなら、そもそも過去に刺客を送り込む必要だってないんじゃございませんか?!するってえと1作目や2作目で文字通り身を粉にして頑張ったT-800やT-1000の努力も完全に無意味だったということに。 まあどっちみち失敗しましたけどさ。
これでは今後のシリーズのみならず、過去の作品までギロチンにかけてしまったも同然ではございませんか。こういう批判をかわすためにも別の時間軸なるものを持ち出したのかもしれませんけれども、別の時間軸とかパラレルワールドって、このシリーズでは少なくともおおっぴらには言っちゃいけないことのような気が。

もういいかげん「新しくてすごい敵」のネタが尽きてしまったというのは分かります。そこで観客の予想を裏切るアクロバットとしてジョンをターミネーター化したのでしょう。しかしここで裏切っているのは観客の予想というより期待でございます。シリーズ物においてかつての敵が今回は味方に!という展開はアリでも、その逆をやって成功した例というものをワタクシは寡聞にして知りません。
ジョンが完全にマシーン化してしまったのではなく、わずかなりとも人間の心が残っていて葛藤するとか、それを見てサラ達も攻撃をためらってしまうとか、そんなのならまだしもよかったのにと思います。その方がジョンの再人間化というこれからの展開が望めましたし。

でもそういう気配はいっさいなしで、救世主という一大ブランドを「怖くない上に磁場に弱い劣化T-1000」におとしめただけでございました。こんなことをするくらいなら、怖くて不気味でなおかつお茶目な上にちょっぴり進化した本作のT-1000をもっと活躍させていただきたかった。そもそもT-1000の使い方にはもっと開拓の余地があると思いますよ。
ああそれなのに「新しくてすごい敵」にこだわったばかりに、中途半端な悪役が幅を利かせ、過去の遺産までないがしろにして。嘆かわしい。

挙げ句の果ては液体金属の大安売りですよ。
2017年のサイバーダイン社が、あとはCPUを装備するだけの液体金属をあんなにたっぷり保有しているのは、もちろんスカイネットの知を供えたジョン・コナーが未来からやって来たせいではありましょう、でもちょっと待って、いくら未来の知識や技術を投入されたとしたって、人類は機械よりも遥かに非効率的な作業者です。その人類が2017年時点でああも潤沢に液体金属を作ることができるなら、2029年の機械世界の支配者であるスカイネットには当然それと同じかそれ以上のものを作れるはずでしょう。それなのに、何故人類との闘いにただの頑丈ロボ(失礼)であるT-800を使ってるんですか?
T-1000が20体もあれば、ジョン・コナーがいようがいまいが楽勝で人類滅亡できるでしょうに。液体窒素と溶鉱炉のセットなんてそうそうそこらに転がってるもんじゃないんですから。どうしてもジョンを消したいなら、過去にT-1000を5体くらい送り込んでおけば、サラがどんなにタフだって生き延びられはしますまい。

何が言いたいかというと、「とんでもなくものすごい技術」であったはずのものをホイホイ使うなってことです。過去作品との整合性という問題があるのはもちろん、この液体金属の件なんて、ひとつの作品の中での整合性もおかしくなっているではございませんか。1984年にタイムマシンがあるのもげんなりしましたけれども、ここは話の都合上目をつぶったとしても、液体金属の安売りはちょっと許せません。

そうそうそれと、T-800からT-1000へのアップグレード。あれもいただけません。
液体金属ターミネーターってのは、冷徹非常な殺人マシーンだからこそいいんじゃございませんか。
そしてT-800は無骨でタフな旧型だからこそいいんじゃございませんか。
なんかもう、色々とガッカリなのです。

そんなわけでワタクシはこの作品を、ワタクシの中ではなかったことにしてしまいたいのです。『ジュラシック・パーク』の2や3のように。
しかしなかったことにしてしまうには、T-1000が素敵すぎるのです。フロントガラスの割れ目からにゅり~んと出て来て足から再生!とか、壊されたT-800に自分の断片をひとたらしして再起動!とか(ラストの伏線だったのはかえって残念)、立去ったかと思ったら壁越しにグサー、とか、そりゃもうホレボレですよ。欲を言えば、『T2』ラストのサラ擬態を再現したついでに「ちっちっち」も再現して欲しかったですね。そして「ああ、ちっちっちはT-1000の標準装備なのか」とほんのり笑わせてほしかった。

新シリーズ起動というからには、数年後にはまた新作『ターミネーターうんたら』が世に出ることになることになるのでしょう。本作の出来映えを見てしまうともはや次回作には何の期待もできません。それでもT-1000がちょっとでも出て来るなら、やっぱりいそいそと観に行ってしまいそう。こういう類のファンが、この遥か昔に倒れた巨人のようなシリーズをだらだらと延命させているような気もするけれど。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

2015-07-12 | 映画
いやはや、サイコーに面白かったのですよ。
何がいいって、臆面もなく世紀末ヒャッハーな所が実にいいではございませんか。

色々すごい改造車!
ひたすら無口な主人公!
地平線の果てまでうち続く荒野!
支配者と被支配者の絶望的な格差!
凶悪を絵に描いたようなヴィジュアルの悪党ども!
地獄のような砂嵐!それに飲み込まれて粉微塵に砕け散る人や車!
火器とチェーンとスキンヘッド!そして火を吹くダブルネックギター!ぎゅわわ~~ん!

でもって登場人物が揃いも揃ってまんべんなく熱い!
タフガイが熱い!
ヘタレ男だって熱い!
女たちも熱い!婆さんも熱い!
敵のザコどもまでが、思わず応援したくなる程に熱い!
生まれつき眼球がないっぽいギター弾きだの、ヴェルディのレクイエム背負って2丁マシンガン打ちまくるイカレ野郎だの、敵ながら死んじまうのが惜しいほどのはじけっぷり。


↓は本作の魅力が3分に凝縮されたミュージックビデオ。どのトレーラーよりもよくできていて、何度でも見てしまいます。

MAN WITH A MISSION×Zebrahead 『Out of Control (MAD MAX: FURY ROAD Ver.)』


話の筋はいたってシンプルで、要するに行って帰って来るだけなのです。しかし見ごたえあるアクションとメリハリのある展開、殺伐としているのに奇妙に美しい画面、そして濃いいキャラクターたちのおかげで1秒たりとも飽きることがありませんでした。むしろ筋立てが簡素であるがゆえに、過剰なまでにヒャッハー要素てんこ盛りであるにも関わらず、全体としてはとても引き締まった印象の作品でございます。

もののデザインも、砦や車といった大物から装身具などの小物まで、いちいち説得力があって結構でしたし、本筋とはあまり関わらないような細部の演出もよろしかった。とりわけグッと来たのは、オアシス村の生き残りである婆さまの1人が、大事な植物の種をナップザックや単なる箱ではなく手提げバッグに入れて持ち歩いているという細やかな設定。まあ女性が普段使いにするようなハンドバッグよりはかなり大きな代物ではありましたが、手許でそっと口を開く手提げバッグの形態は、あのマッチョ&マッドな世界においては思いがけなくフェミニンな小物に見えました。それはかつてのオアシス村やもっと少し生きやすかった時代を象徴するかのようでもあり、婆さまの女性としての矜持を示すささやかな砦のようでもあったのでした。

そうそう、女たち。
とても意外だったのが、女性の描かれ方でございます。実質的な主人公はマックスというよりも片腕の女戦士フュリオサでしたし、他の女性たちも単なるお飾りではなく、しっかりとストーリーを支えかつ廻しておりました。タンクの蔭で水浴びする薄着の女性たちが登場した時は「あー、守られ要員か」と思いましたし、実際初めのうちはあんまり役に立たなさそうに見えましたけれども、話が進むに連れて彼女たちも本格的に闘いはじめるんでございますね。それが例えば大勢の敵の一人をフライパンで殴ってやっつけた、という程度のものではなく、彼女らと、途中から仲間に加わる婆さまたちがいなかったら、マックスもフュリオサも生き残れなかったであろうという程の実際的な活躍でございます。無駄なお色気ショットもなし。またイモータン・ジョーの砦で”搾乳”されていた女性たちがラストで果した役割も、象徴的でよろしうございました。

そうはいっても『マッド・マックス』なので、ほぼ最初から最後までバイオレンスバイオレンスヤッホーヤッホーで突き進むわけですが、目を背けたくなるような描写はございませんでした。間口の広いエンタメ映画における暴力描写の作法をわきまえてらっしゃると申しましょうか。そういう点では、軽いノリとは裏腹に残酷な描写が多かった『キック・アス』などよりも、よっぽど安心して観られる作品でございます。昔のシリーズはもっと描写がエグかったような気がするのですが、どうでしたかしら。3作とも観たわりにはあんまりよく覚えていないのですが。

さて、作品の世界観を体現するようなタフガイでありシリーズそのものを象徴する主人公であるマックスは、外からやって来てコミュニティに救いをもたらしたのち去って行く、という西部劇的なヒーローの役割を演じます。実質上の主人公であるフュリオサは、その強い目的意識によって物語を牽引し、様々な苦難を乗り越えたのちに目的を遂げるという英雄物語的な人物を演じます。象徴的主人公であるマックスと実質的主人公フュリオサが共にタフで寡黙で英雄的で感情の起伏を容易には表現しないのに対し、主要登場人物の中で唯一よく喋るハイテンションヘタレ男のニュークスは、そのヘタレっぷりと純朴さゆえに最も共感し易いキャラクターであり、それゆえにその行く末はとりわけ胸に迫るものがございました。

独裁者イモータン・ジョーを崇拝し、自らの華々しい死と栄光の来世のことしか頭になかったニュークス。些末な道化であり狂言回しであった彼が挫折と立ち直りを経て妄信を捨て、最終的には他者の幸福を願って英雄的な行動を取るに至った流れは一種の成長譚であり、その点ではマックスやフュリオサ以上に、立派に主人公していた奴だったのでございます。おバカさとイノセンスと一抹の悲哀を体現して愛すべきキャラクターに仕上げたニコラス・ホルトの演技もまた、危機にあってもデキる男のオーラ漂うトム・ハーディや飽くまでも凛としたシャーリーズ・セロン(欲を言えば二の腕にもうちょっと筋肉つけてほしかった)に引けを取らない名演であったと申せましょう。個人的に好きなシーンは序盤でマックスに一瞬協力して、マックスの拳銃に弾をこめる所。
ちなみにコミック版ではニュークスのオリジンが語られているようですが、これ見ると名前の発音は「ナックス」が正しいようです。

Mad Max Fury Road - Origin of Nux


そんなわけで大満足の作品だったわけでございますよ。
これもやっぱり3部作くらいになるんでしょうかしら。
1作目がこんなにも素晴らしいと、続編はもう下降線を辿るより仕方がないのではないかと心配になってしまいますけれども、心配しつつも首を長くして待ちたいと思います。