のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ブルーノ・ムナーリ展

2008-06-29 | 展覧会
ブルーノ・ムナーリ展へ行ってまいりました。

うまいぐあいに梅雨の晴れ間、北寄りの気持ちのいい風が吹いておりましたので自転車で。京都太秦から滋賀県は瀬田の美術館まで、片道2時間をきるのが目標でございます。今回は2時間5分で到着。うむ、だんだん肉薄してまいりました。

滋賀県立近代美術館は時々、企画展示室へと向う廊下を使って粋な展示をしてくださいます。
進むにつれわくわくと期待感が高まる、いい企画かと存じます。学芸員さんの熱意も伝わって参ります。
今回は、ダンボール製の大きなオブジェがポンポンと立ち並んでおりました。

高さ150センチはあろうかという巨大な本を直角に開いて立てたものをご想像くださいませ。
ページの片面には洞窟壁画が線画で黒々と描かれております。もう片面、展示室へと向う側は、中央がほら穴のようないびつな形に大きくくり抜かれ、向こうが見通せるようになっております。
ムナーリの絵本をもとに作られたというこのオブジェ、まさにムナーリの本に触れた時に私達が抱く感覚を3次元に起こしたものと申せましょう。その感覚とは即ち、ページを通り抜けて次の世界へと進んで行くわくわく感でございます。

段ボールのやさしい色合い、、シンプルな造形、くり抜かれた断面の見せる面白さ。きっちり構築されている感じがまた心地ようございます。
子供だったら穴を次々くぐり抜けて遊ぶのではないかしらん。
まあのろもやりましたが。
そしてこの廊下において漂っていた、きっちりしていて、シンプルで、やさしくユーモラスな雰囲気は、本展の全体を通じて感じられたものでもございました。

工業デザイン、レコードジャケット、オブジェからおもちゃまで、まさに「あの手この手」で表現活動を繰り広げたムナーリ。
中でも本展のメインは本を媒体とした作品でございました。
「媒体とした」と申しましたのは、それらの作品の多くが「文字や絵による情報の伝達手段」という一般的な本の概念を、軽々と跳び越えてしまっているからでございます。
例えば『読めない本』シリーズや『本の前の本』。
テキストは一切無く、色紙やトレーシングペーパー、更にはフェルトやプラスチックや木を素材にしたこれらの作品は、飽くまでも視覚と触覚に訴えてまいります。
ここにおいて本は「情報伝達の手段」という役割から解放され、「触る&めくる&見る」という一連の行為を誘発する道具として活用されております。
この道具を使ってムナーリが私達に教えてくれるのは「働きかける」ということの楽しさでございます。

また絵本を開けば、てらいのないシンプルな造形と明確で心地よい色彩がまず目に飛び込んでまいります。
ストーリーはごく単純なものでございますが、フリップをどんどんめくって新しい絵を発見していくのがなにしろ面白く、繰り返し読んで/見てしまいます。

ムナーリは絵本やおもちゃの制作に当たり、子供の想像力を刺激するものを作ろうと心がけたといいます。
本展を見ますと、ムナーリ自身がおっそろしく創造的な「子供」であり、その柔らかな発想と好奇心でさまざまな分野に働きかけ、喜びとともに素晴らしい作品を生み出していったことが分かります。

子供はナンセンスなものが好きでございますね。
ムナーリも素晴らしいナンセンス感覚(変な言葉ですが)の持ち主だったようでございます。
『ナンセンスの機械』という本では「蝶の羽ばたきを利用した扇風機」やら「怠けものの犬の尾をふらせる機械」などなどの突飛な「機械」が考案されております。そのあまりな無茶さ・無駄さには嬉しくなってしまいます。

あの手、この手。
ムナーリの多彩な活動は、彼の創造的なコドモ心とユーモア精神、そして鋭い社会意識と美的感覚が、その手を縦横無尽に振るった鮮やかな軌跡だったのでございました。






『蔵書票グラフィティ』

2008-06-22 | 展覧会
誕生日を祝うことができるのは、自分が生きているのはいいことだって思える人だけでございます。

それはさておき

美大コンプレックスののろではございますが
精華大学情報館にて開催中の『蔵書票グラフィティ』へ行ってまいりました。

図書館内のスペースを利用した展示でございますので、点数はそんなに多くはございません。
しかし蔵書票を取り扱った書籍や雑誌のバックナンバーが自由に手に取れるかたちで展示されておりますし、ごく簡単なアンケートに記入すれば本展のパンフレット↓もいただけます。入場無料にしてはなかなかに力が入った展示ではございませんか。




蔵書票が市民層でも広く流行した近代のものを集めた展示ということで、いきおい、アール・ヌーヴォー、アール・デコ、そしてユーゲントシュティール風のデザインが多うございました。のろ大満足。
蔵書票はいわば個人の趣味の世界でございますから、必ずしも美術の時代的な流れに対応しているとはいえないもののようでございますが、中にはあまりにも時代を直接的に反映していて ギョ とするものもございました。

1934年(だったか)の年号の入ったドイツのもので、荒れ狂う波の上にがっしりとした帆船が浮かんでいるというデザイン。
その大きな帆には、誇らしげにナチスの鍵十字が描かれておりました。
この蔵書票の持ち主がいかなる人物であったのかは分かりません。しかし立派な蔵書票を作って本に貼付けるくらいでございますから、愛書家であり、教養人でもあったのでございましょう。
そして彼(たぶん)には当時のナチスが、まさしくインフレや不況や、ベルサイユ条約でドイツをコケにした列強国という荒波を蹴散らして進む、頼もしい船のように思われたのでございましょう。

どうも暗い話になってしまいましたが、持ち主に思いを廻らすのも蔵書票を見る楽しみのひとつでございます。
蔵書票を見るとき、自然とその持ち主にも思いが至ります。
それは蔵書票というものが、単に本の持ち主を示す名札というだけではなく、しばしば蔵書家の美的趣味の表明または自己確認であること、しかも、おおっぴらに人目にさらされる類のものではなく、本の見返しという若干立ち入った場所に位置しているものだからでございます。
また展示の解説パネルの言葉を借りるならば、「本の所有宣言である蔵書票は、蔵書家の本に対する愛の宣言でもある」からでございます。
要するに、個人的で人間臭いのでございます。

人の数だけ個性はあるもの。本展で見られる「書物愛の宣言」もさまざまでございまして、「なんでこんな図案を」と思うようなものや、やたらと大きいもの、これはなんの意味なのかと首を傾げたくなる寓意的なものなどなど、バラエティに富んでいてたいへん面白うございました。
また、限られた空間の中でいかに洒脱なデザインをやってのけるか、という制作者の発想と腕前も、見どころのひとつでございますね。

展示は蔵書票だけを額に入れたものと、本に貼られた状態のままのものがございましてね。本そのもののデザインもまた、興味深いものでございました。
マーブル模様を施した布の見返しや、豪奢な金装飾で縁取られたチリ*。1922年に本の街フランクフルト出版された小泉八雲の『IZUMO』は分離派っぽいアール・デコな装丁で、そりゃもうめちゃくちゃカッコようございました。

*ハードカバーの本は、表紙が本体(テキストの部分)よりもひとまわり大きく作られておりますので、表紙のエッジから本体までの間に3ミリほどの幅がございますね。その部分のことを「チリ」と申します。

それから面白かったのが、あらかじめ蔵書票が印刷されている本でございます。
蔵書票は本の所有者がいわば名札として貼付けるものでございますから、あらかじめ印刷されているのはもちろんおかしいんでございます。
これは明治時代の日本において、和装本から洋装本へと移行して行く中で、西洋の書籍デザインに近づけようという意図で生まれたものなんだそうでございます。
所有者のイニシャルが入るべきところに本の著者のイニシャルが入っていたりして、本来の用途からは完全にズレてしまっておりますが、デザイン的にはとてもいいんでございます。
本来の意味・用途をきちんと理解せずに取り入れてしまうのは軽はずみなこととも申せましょう。
しかしこういう「いいものはもらってしまえ精神」があったからこそ、日本の文化というものが今あるように築かれてきたのではございましょう。そう思うとなかなかどうして、示唆に富む文化的事例ではございませんか。

精華大学、地図で見ますと山の中のような印象でございますが、校舎のすぐ前に叡山電車の駅がございまして、意外と交通の便はよさそうでございます。のろは例によって自転車で参りましたが、空気がきれいでたいへん気持ちがよろしうございましたよ。図書館もきれいでございましたし、ピクニック気分でお出かけんなることをお勧めいたします。




ちなみにのろの蔵書票はこれ。



モチーフは近世の製本職人でございます。
数年前にゴム版で作ったものですが、今の所一冊にしか貼っておりません。
久しぶりに見たら職人の膝から上がやたらと長いことに気がつきました。ああへたくそめ。



収穫

2008-06-20 | Weblog
豆苗ってやつがございますでしょう。
4月の終わり頃にあれを買いましてね。
食べた残りを水耕栽培してみたんでございます。

そうしたらどんどん伸びまして



花が咲き



ついには先日きぬさやが実りました。



収穫しておいしくいただくのが礼儀と思い、卵とじにしていただきました。



いえ、それだけなんですが。



『アンカー展』

2008-06-16 | 展覧会
このところすっかり出不精になっておりましたが、やっとこさアンカー展へ行ってまいりました。

全て現実の風景や人物のスケッチにもとづいた写実作品であると同時に、アンカーにとっての「かくあれかし」という理想的風景でもあるように思われました。
そしてアンカーが理想的な美を見出した対象とは、着飾った貴婦人でもなければドラマチックな神話の一場面でもなく、故郷の村であたりまえな生活を営む人々の姿だったのでございます。

いとも牧歌的な風景の中、いとも平和に暮らす、純朴そうな人々。
とりわけ、子供たちのなにげない仕草を描いた作品の中には、画家の特別なまなざしが感じられます。
それは幼い者をあたたかく見守る慈しみのまなざしであると同時に、尊いものを見るようなあこがれのまなざしでございます。

たとえばこれ。

「少女と二匹の猫」

子猫と少女というありがちなモチーフでありながら、アンカーが施した繊細な陰影とスナップ写真のような自然さは、本作を忘れ難い一枚としております。

愛情と好奇心に満ちた表情で一心に子猫を見つめる少女。
人間の赤ん坊をあやすように片手で子猫の前足を持ち、もう片方の手のひらを上に向けて小さな後ろ足を優しく支えています。
顔と手の繊細な表情からは、とても大事なものを抱えているんだ、という意識と、いろいろいじってみたい、という子供らしい好奇心とがにじみ出ております。

解説によると、アンカーは教育に深い関心を寄せていたということでございます。
彼が支持した自由や自発性を重視する近代的な教育理念---よく遊び、よく学べ---は、作品にも色濃く反映しております。


「学校の遠足」

子供たちのいでたちや表情は個性を持って描かれており、たいへん生き生きとしております。
この小さな画像では御覧いただけないのが残念でございますが、子供たちのさまざまな表情がね、ほんとに、いいんでございますよ。
暮らし向きのいい家のお嬢ちゃんもいれば、靴もはかず、だぶだぶのシャツとズボンをたくし上げた子もおります。
やんちゃ者、内気な子、おてんば、ボーッとした子、どっしり構えた子、仲良し組。
一人一人のおしゃべりが聞こえて来そうではございませんか。
画家自身の「世界は美しい。世界はOKだ。世界よ、かくあれかし」という声も。
その声は穏やかな喜びと肯定感に満たされており、ひねくれたのろの心も何となく説得されてしまうんでございます。

アンカーの世界に対する肯定感は、静物画や肖像画にも表れております。
静物画は4点しかございませんでしたが、これがもう、ほんっ とに素晴らしいものでございました。
ただそこにあるものをひたすら正確に描写する、画家の誠実な手とまなざしは実に感動的でございます。
ワタクシ静物画でこんなにも心打たれたのはモランディ以来でございました。
また前半に展示されている人物画とは異なり説明的・情景的な要素が少ない分、技量の高さが率直に表れているように思われます。
静謐な構図、シャープな描写、そして質感の描き分けもすごいんでございます。
パリパリしたパンの皮。ほくっと剥けたじゃがいもの皮。
折り目のついた厚手のテーブルクロス。所々に軽いへこみのある、年季の入ったコーヒーポットなどなど。
何より、ガラス器の見事なことといったら!



デカンタのきゅうっと細った首、テーブルクロスに映る影。さらにそのクロスの白さを反映するデカンタの底部!
静物画があんまりにも素晴らしいので、アンカーには不本意なことではございましょうが、のろは「この人、静物ばっかり描いてくれてもよかったのに」と思ったほどでございます。

展示の最後には画家が幼くして死んだ息子の姿を描いた作品もございました。
子供好きだったに違いない画家にとって、年端もいかない息子の死はどんなにか辛いことであったことでございましょう。
眼を閉じ、花束を手にして横たわる、土色の顔をした幼子の肖像を見、そのかたわらに画家が「いとしい、いとしいルーディ」と書き入れているのを見ますと、例によってのろの涙腺はゆるゆるとして参ったのでございました。


アンカー展の会場を出たのろはしかし、感傷にひたる暇もあらばこそ、自転車をすっとばして10分程でみなみ会館に飛び込み、大スクリーンでの見納めとて、もういっぺん『ノーカントリー』を鑑賞したのでございました。
3回目。ほっといてくださいまし。好きなんです。
神の慈愛に包まれたかのようなアンカーの世界から、無垢で無慈悲な神がサイレンサー付きショットガンで人を殺しまくる世界へと移動したすえ、劇場を出た時には「それでも世界っていいもんだ」なんてことを考えておりました。
それがアンカーの毒消し作用によるものか、コーエン兄弟の厳粛な映像美によるものかといえば、まあ後者でございましょう。
アンカーはその作品において「世界はこの上なく優しく、OKで、しかも美しい」と言い、コーエン兄弟はその作品において「世界はこの上なく無慈悲で、残酷で、しかも美しい」と言っております。
おそらくはどちらも真実なのでございましょう。ただのろは何となくコーエンズの言いぶんの方に親しみを感じるんでございます。





13金

2008-06-13 | 映画
13日の金曜日は久しぶりでございますね。

そういえばかのジェイソンさんは近年とうとう宇宙まで進出なさったという話を風の噂に聞きましたが、今後はどうなさるんでしょうね。
いよいよ『エイリアン V.S プレデター V.S ジェイソン 』でしょうか。いっそのこと『エイリアン V.S プレデター V.S ジェイソンそしてフレディ 』で四つ巴の戦いをくりひろげていただきたいもんでございます。そこにヴァネッサ・パラディが乱入し、ジャック・ニコルソン大統領も手斧を振るって応戦し、ジョン・トラボルタが厚底靴でプレデターどもを蹴散らしてくだすったらなおよろしい。
うっかり地球に落ちて来て捕虜になったデヴィッド・ボウイは鬼軍曹ジョージ・タケイによって生き埋めにされ、トミー・リー・ジョーンズがコーヒー片手に「最近の宇宙人は理解できん」とぼやき、研究のためにひそかにエイリアンを培養していたランス・ヘンリクセンの野望はデコの広さでライバル関係にあったNASAのエド・ハリス管制官によって打ち砕かれるものの、彼もまた嫉妬に狂った宇宙のトラック野郎デニス・ホッパーに撃ち殺されるという展開だったらいっそうよろしい。
最終的にはエイリアンに喰われて半身サイボーグになったチャールズ・ダンス博士のはからいで、シガニー・ウィーバー率いる『ギャラクシー・クエスト』の面々が勝利を収めてしまう、という話だったら劇場で1800円払ってもようございます。


ううむ
今回は『アンカー展』レポートをするつもりだったのですが、すっかり話が妙な方向へ行ってしまいました。
アンカー展ばなしはまた次回ということで・・・。




むしのひ

2008-06-04 | 
6む 4し ってなわけで
本日は「虫の日」なんだそうでございます。

虫といえばザムザ君ですね。
ザムザ君の話をいたしましょうか。折しも昨日はカフカの命日でございましたしね。

虫になってしまったのはザムザ君の責任ではございません。
生まれてしまったのが私の責任ではないように。
しかしその後のことは、どうしたってザムザ君が悪いのでございます。
自分が何の役にも立たない醜悪な虫けらであること、周りの人々にとっては存在しているだけでもひたすら迷惑な無駄飯食いであるということを、しっかりと自覚するべきだったのでございます。
そして自分が虫けらであることに気付いたからには、すみやかに餓死するなり、妹の言うように「どこかへ行く」なりするべきだったのでございます。
ものを食べて生きながらえたり、あまつさえ自分の権利を主張したりなぞ、するべきではなかったのでございます。

それなのにザムザ君ときたら、自分が虫であることを分かっているくせに、のうのうとこの世に居座り続ける!
まだ自分は何かの役に立つことができるとでも思っているみたいに!

ああ何と滑稽なんでしょう。
誰にも望まれていないのに無意味な断食を続ける断食芸人のように。
残酷で時代遅れな上にうまく作動しない処刑機械と、その性能をさも得意そうに説明する士官のように。
呼ばれたかどうかも定かではないのにやって来て、お上から承認を得ようと悪戦苦闘する測量士のように。
絶望的に滑稽ではございませんか。

もっとも、はたから見る分には滑稽でございますが、彼の周りにいる人々からすれば迷惑千万なことでございます。
彼はおとなしく、いや自ら進んで、早々にこの世を去ってしかるべきだったのでございます。
ああそれなのに、愛する妹から宣告を受けるまで、彼はこの世という橋の欄干にぶら下がり続けるのでございます。
この態度こそ彼のどうしようもない可笑しさと醜悪さの根本でございます。
虫に変身したこと自体はたいした問題ではなく、むしろ「自分はいないほうがいい」という自覚を欠いたままにうだうだとこの世に留まり続けるという態度が問題なのでございます。
『判決』のゲオルクはごく素直に死へと向ってダッシュいたしましたし、『審判』のヨーゼフ・Kや『城』の測量士Kは存在していることの正当性を主張してまがりなりにも闘いました。ところがザムザ君ときたら、すぐさまいなくなるわけでもなく、かといって闘うわけでもなく、日ごとにぼやけていく視界で灰色の世界を眺めながら綿々と存在し続けている。
ああやれやれ、ザムザ君!
滑稽で醜悪なザムザ君。
まるでのろのようだね。


夏の初めのノミ話

2008-06-02 | KLAUS NOMI
女神イアトクは「お前は何も恐れてはいけないし、何ものも尊いものとして崇める必要はない。お前が近づいてはいけない場所は何処にもないのだよ」と彼に訓戒を与えた。その訓戒には道化も従うのをこととし、彼らはどんな聖なる場所にもずかずかと足を踏み入れるのをためらうことはない。『道化の民俗学』 山口昌男著 筑摩書房 1985 p.302

僕はあらゆるものに対して、完全なアウトサイダーとしてアプローチする。だからこそたくさんのルールを壊すことができたんだ。ポップスやロック界にはルールなんてないと思われてるけど、実際にはクラシック界と同じくらい保守的なんだ。・・・僕には恐いものなんて何もないよ。それにしても、ルールなんて一体誰が作ってるの? クラウス・ノミ

さあのろ、テンションを高く保つのだ。
なぜなら今日はノミ話だからさ。

昨年の秋頃から、Youtubeにクラウス・ノミのパフォーマンス映像やらインタヴュー映像やらがばんばんUPされてきております。*1

うひゃあ!ノーメイクのノミの男前なことといったら!!
その眼さ!
その手さ!
寸詰まりな指の、妙に脆そうなその手に、おお、できることなら触れてみたかったさ!
取って喰いたいくらいでございますよ!!
こんな映像が今までいったい何処に隠れていたんでしょう?
貴重な映像をシェアしてくださるかたがたに、感謝の念を雨あられと降り注ぎたく存じます。

それにしてもこれらのビデオを見て分かるのは、映画『ノミ・ソング』で使われている映像が、時間的にも内容的にもかなりトリミングされたものであったということでございます。
のろはこのドキュメンタリーによって初めてノミのことを知りましたし、これを作ってくだすったことについて、ホーン監督には大いに感謝しております。
けれどもジョーイ・アリアスの証言を欠いていること*2や、クリスチャン・ホフマンのこちらでの口ぶりなど*3を考えあわせると、功罪ともに大きい作品なのかもしれません。
功のほうが大きいとは思いますがね。

*1 ここでご紹介したものの他にも,Youtubeにはお宝映像が多数UPされております。御覧になりたいかたは並び替え順を”追加日”に指定して"klaus nomi”で検索してみてくださいまし。

*2 アリアスが初めからインタヴューを拒否したのか、それとも何らかの事情によって映画には彼の証言が使われなかったのかは不明です。ワタクシは、アリアスもインタヴューに応じたものの、出来上がった作品を見て「自分の証言は全て削除してほしい」とホーン監督に通達した、という監督自身の話をネット上のどこかで読んだように記憶しております。が、今回いろいろ検索してもその記事を見つけられませんでした。あるいはワタクシの読み違いだったかもしれません。いずれにしても、インタヴュー以外の点では、アリアスは大いに協力してくれたそうです。

*3 ホフマン曰く、ノミと活動を共にし、彼のために歌を書くのがどんなに楽しかったかということや、友人の誕生日パーティーでノミがケーキを焼いたこと等々の証言が出来上がった映画ではばっさりカットされ、自分が金銭的なことで愚痴を言っている部分ばかりが大きく採用されたことにショックを受け、半年ほどそのショックから立ち直れなかった、とのこと。
またインタビュアーは、映画から受けた印象として、ノミは成功するにつれてそれまで一緒にショーをやってきた友人たちを切り捨てたようだったが、そこんとこ実際はどうだったの、と「切り捨てられた友人」の1人であるホフマンに尋ねています。(映画からは確かにそのような印象を受けます)
これに対してホフマンは、ノミ自身が友人たちに対して策略や残酷な仕打ちをしかけたとは思えないが、彼は成功したいとひどく焦っていたし、レコード会社がそこにつけこんだのだろう、という意見を述べています。会社がノミに対して「君をスターにしてあげよう。でもこの人たちと一緒じゃ無理だよ」とプレッシャーをかけたのだろう、と。またレコード会社は文字通りノミを搾取して死ぬまで働かせた、と怒りをあらわにしています。「連中はクラウスの具合が悪くなっても、ツアーを続けるよう彼に勧めた。何の病気なのかも分からなかったっていうのに。というのも連中は、こんな病身じゃあ次のツアーはやれないかも、と思ったからさ。で、彼から最後の一滴までミルクを搾り取ろうとしたんだ」
なお、こちらの情報はコメント欄にてhx2様より教えていただきました。情報ありがとうございました。


話をヤツのパフォーマンスに戻しますと。
つくづく感嘆させられることは、周りの世界からの、みごとなまでの浮きっぷりでございます。
「空気が読めない」どころの騒ぎじゃございません。そもそもヤツの周りと世界のそれ以外の部分とでは、空気の成分からして全然違うんじゃないでしょうか。
そう思うほどに、ヤツは全世界からぽつねんと浮いております。
その浮きっぷりを見るにつけ、しきりと頭に浮かぶのは『身体・表現主義 ~ゲルマニックな身体のリアル。』の中の、ノミについて触れたこの一文でございます。

彼はロック・オペラという新しい風を吹き込んだが、邪推かもしれないが、それはロックとオペラの橋渡しなのではなく、ロックにもオペラにも居場所を見つけられなかったがための到達点だったのではないだろうか。類を見ない姿恰好に、その疎外感を感じるのは穿ちすぎだろうか。(p.99)

これを読んだとき、おおおおおワタクシもそう思いますとも、とのろは1人コーフンしたもんでございます。
そしてYoutubeを通じて、埋もれていたヤツのパフォーマンス映像に触れられる昨今、ますますこの一文が正鵠を射ているように感じられるのでございます。



1970年代、NYへやって来た当時のノミは要するに、需要なんか全然ないカウンターテナーを志す、ロック好きで菓子づくりが得意なゲイで、英語をろくすっぽ話せない異邦人(alien)でございました。
オペラ、ロック、男性、女性といった既存の枠組みのいずれにも心地よく納まることができず、どの領域でもどこかアブノーマルな存在であったノミは、だから自分専用の「納まりどころ」を作ろうとしたのではないでしょうか。
そう考えると、ノミがあの奇妙キテレツでわざとらしさ満点の恰好でパフォーマンスをしたことに、単に彼(と彼の友人たち)の趣味以上の必然性が見えてまいります。当人たちがそれを意識していたかは別としても。

仰々しく硬直した動き、仮面じみた無表情、そしてひと昔以上前の近未来像を思わせる、奇妙な衣装。
その姿はチープなSF映画のロボットか宇宙人のようでございます。ポイントは、「本物の」ロボットや宇宙人のようには全然見えず、あくまでも「チープなSF映画の」それである、という点でございます。あたかも顔面に「嘘 で す」と書いて語られる嘘のように、わざとらしくて明白な虚構。
人々が火星人襲来のニュースを信じた時代は既に遠く過ぎ去り、アシモの登場まではまだずいぶん間がある70-80年代、人型ロボットや宇宙人は完全にフィクションの世界の住民でございます。
逆に言えば、フィクションであることが明白な空間ならば、そこは彼らの正当な領土であり、彼らが堂々と存在できる場所ってえことでございます。
嘘ロボット/嘘宇宙人であるノミの嘘くささ、フィクション性が強調されれば、それだけ彼自身の正当な領土を確保されることになります。そうして確立されたノミワールドは、ノミがノーマルな世界の中のアブノーマルな因子であることを止め、堂々と、安んじて存在していられる場所でございます。
(とはいえこれはあくまでもステージ上の限定的な世界でございます。ノミの友人のガブリエル・ラ・ファーリが言うように彼が「ノミワールドの住民」というパーソナリティを日常の世界まで敷衍しようと試みたとすれば、しんどいことになるのはそれこそ明白でございますし、悲劇的なことでもあったのでございます)

また、かの白塗りの顔やスリー・ポイント・ヘアやタイツ姿は道化師を連想させます。
道化もまた日常性や常識とは相容れない存在でございます。彼らは非日常の世界に属する、あるいは日常と非日常を繋ぐ存在でございます。これまた逆に言うならば、日常性や常識から逸脱した姿や行動は、道化と言う衣装をまとうことによって、この世界での居場所を確保できるというこってございます。
さらに道化(道化的な神や精霊も含めて)とは両性具有的な存在であり、象徴的にさまざまな二面性を担っております。
混沌と秩序、静と動、善と悪、賢と愚、などなど。道化においては本来は対立する二つのものが一者の中に共存しているのでございます。
相反する二つの世界の要素を併せ持ちつつ、どちらの世界にも属さない道化は、その特質によって常識的な世界に風穴を明け、新しい物を生み出す手助けをします。

きまりきった、自明の記憶によって埋まっている王国に、非日常の世界を唐突にその覆いを取ってつきつけることを、道化は考える。
『影の現象学』 河合隼雄著 講談社 1987 p.203

これはまさしく、ヤツがパフォーマンスにおいて行い、インタヴューにおいて語っていたことではございませんか。
宇宙人、ロボット、あるいは道化を思わせるあのいでたちと、とんでもなくチープで嘘くさくてわざとらしいパフォーマンスは、採るべくして採られた表現方法だったのでございます。
もちろんものごとは全て起きるべくして必然的に起きているのではございますが、問題は、自分もその一端を担っている所の必然性を、どれだけ自分の方に引き寄せて活用できるかでございます。
ノミは少なくともアートという側面においては、与えられた条件から成る必然性を自分の味方につけることに、成功していたように見受けられます。だからこそヤツのパフォーマンスは、今もって人の心を惹き付ける、一種の普遍性を持っているのでございましょう。

えっ
そりゃ単なる深読みだって。
ええ、そうかもしれませんて。
でもね、「実際の所どうなの?」って、当の本人に尋ねるわけにはいかないんでございますもの。
多少深読みするくらいのことは、許していただかなくっちゃいけません。