のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ドイツ写真の現在3

2006-01-13 | 展覧会
1/11の続きでございます。

Loretta Lux ロレッタ・ラックス でございます。

キーワードは「いかにも」です。
いかにもありそうな、とか いかにもそれらしい、の「いかにも」です。

「いかにも」とは、送り手(作る人)と受け手(見る人)の間にある、暗黙の了解事項です。
「いかにも」とは、「受け手の意表をつく」とか「受け手の世界観をゆさぶる」という無礼なことを決してしない、
心地よい記号の集積です。

げにも、この世は「いかにも」な像に満ちあふれております。
CM、広告、TVドラマは「いかにも」の大博覧会です。
「いかにも」には作り物めいた嘘くささが伴いますが、その嘘くささも、相当に、かつほとんど無意識的に、
許容されあるいは見過ごされています。

技術的な面で言うなら、昨今のCG技術の発達が、「いかにも」なものを作り出すことに一役買っています。
(去年、豊岡でコウノトリの放鳥が行われたあと、「宵の満月を背景に羽ばたくコウノトリ」という「いかにも」な写真が新聞に掲載され、後でそれがCGによる合成写真だと発覚した、という事件がありましたね。)

Loretta Luxの作品では
可愛らしい子供たちが「いかにも」ないでたちで、「いかにも」なポーズで、「いかにも」な背景に収まっています。
でも、なにかがです。 
実は彼女の作品は、別々に撮影したモデルと背景を、CGで合成した上、細部や色彩を丹念に修正して作られたものなのです。

フレームの中の「いかにも」な子供たちは、天使のように美しく、かつ、見過ごせないほどの嘘くささを帯びています。
この美しさと嘘くささは、表層の、つまり絵的な 美と うそ性 のみに留まるものではなく、
「純粋無垢な子供時代」という観念の、心地よさと嘘くささを表しています。

無垢なる子供、透き通ったまなざし、自分もかつてはこうであった・・・
あたかも失われた楽園のように、「純粋無垢な子供時代」という観念は
甘美で清らかなイメージに満ちています。
しかし実際の所、その観念はあくまでもファンタジーです。
「完全なる善」や「楽園」など、そもそも存在しないのと同様に。

分ちがたく結びついた 美 と 嘘。
これを表現するにあたって、CGという技術の うそ性 を逆手に取って活用するとは見事です。

展示作品はあまり多くなかったのですが、
幸い売店で彼女の作品集を購入できました。