のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

ドスト話

2006-01-29 | 
昨日(1/28)の続きなのですが
ドストエフスキーはお好き?

去年、斉藤 孝 氏が『過剰な人』という本を上梓されました。
ドストエフスキー作品を、その登場人物に即して熱く語った、非常に愉快な本です。

過剰な人。 なんと適切な表現でありましょうか。

以下は巷の一読者たるのろの感想に過ぎませんので、
まあその程度のことと心得てお読みくださいませ。


ドストさんの作品において、
男はみな何かに取り付かれたように行動し
熱にうかされたように喋りまくります。
一人の人物が数ページに渡って喋り続けるなんてざらです。
(文庫本の数ページではございませんよ、ハードカバー上製本(テキスト2段組み)の 数ページ です。)
女はといえばおおむね聖女か狂女です。
あと若干の俗物と。
まともな人?
おりませんよ、そんなつまらないもの。

ドストさん、未読の方はぜひ一度手に取っていただきたいのです。
宗教的・哲学的側面から語られることが多うございますから、
小難しい観念的な作品という印象をお持ちの方もおいででしょうが
のろがお勧めいたしますのは、何よりもまず 面白い からです。
読まずに死ぬのは損でございますよ。

面白い小説を読んで、その上に
世界への肯定や 
神の不在や 
破壊性や 
衝動や 
悪や 
愛 
などなどについて考えることができるとしたら
これはお得な話ではございませんか?

『罪と罰』『カラマーゾフ』がダメだったという方は、『白痴』をお試しくださいませ。
この作品は冒頭から入り込みやすく、観念的な議論や独白が少ないので読みやすいかと思われます。
そして何と申しましても、この作品には
文学史上に輝くスーパーヒロイン、ナスターシャ・フィリッポヴナが いるからでございます。

おお 破壊の女神、ナスターシャ・フィリッポヴナ。
恐ろしいほどの美貌と 女王のような度胸と気位の持ち主。
そうでありながら、彼女は
自分のことを紙くずほども大事に思っていないのです。

彼女は、自らが放つ強烈な磁場のただ中で
自らを 破壊し
彼女を愛する者を 破壊し
彼女が愛する人をも 破壊します。

彼女は 自分を決定的に傷つけ、痛めつけた世界を 激しく憎みながらも
自らの「傷」と離れることができません。

女王のように振る舞いながらも 「自分は汚れきった存在である」という観念から
逃れることができません。

女王のように振る舞うことで 世界に対抗し
それによって自らのバランスを保っていたのです。

しかし
彼女の前に、そのあまりの純粋さゆえに「白痴」と称される公爵ムイシュキンが現れ
彼女の全てを肯定すると言った時---------

おおっとここまで
これが前半のクライマックスでございます。

面白いので、未読の方はぜひ読んでみてくださいまし。


などと申して 『白痴」をお勧めいたしましたけれども
のろが一番好きなのは『悪霊』なのですよ、キリーロフ君。