◎長崎街道レトロコースまち歩き ◎その6~直方市新町界隈
1720年(享保5年)、54歳での第4代黒田長清の死により、直方藩は福岡藩に合併され、
約100年にわたる支藩としての歴史を閉じ、家臣も移動しています。
これにより、直方の町が寂れる恐れが生じた。そこで、町の振興策として、町年寄りの庄野仁右衛門は
それまで長崎街道の本道が遠賀川の東側対岸を通っていたのを、町中に移動させることを藩に申し出し
「岩鼻」の岩山開削などの難工事を行い、町中引き入れに尽力しました。
そして、1736年(元文元年)以降も、引き続き直方の町は、長崎街道の町として栄えるのです。
直方藩があった頃と現在の直方の状況を重ね合わせてみました。
こうして見ると、江戸の時代に、あのシーボルトや伊能忠敬、大名行列、将軍献上用の象さんなどが
南から尾崎口~新町~殿町~古町~遠賀川の渡し場へと、直方の町を歩いた光景を思い浮かべて、
タイムスリップすることができます。 (^_^)/~
1
直方が城下町で会った頃の、町人の居住地区と武家屋敷の境界は、現在の新町2丁目
付近にあり、境界は東西方向の水路(濠)になっていたとのことです。
2
3
次に長崎街道の館をイメージ出来る待合ホームがあり、平成13年に設置された新しい駅である
『平成ちくほう鉄道の「南直方御殿口駅」』に行ってみます。
4
5
「南直方御殿口駅」のホームです。奥は直方駅方面です。左手に御館山の「直方市体育館」が
見えます。
6
新町の長崎街道に沿って歩くと、今でも居住されていて、古い歴史を感じさせる格式のある建築物が
見られます。
まず、「うだつ」のある家~「山本邸」です。明治2年(1869年)建築とのことです。
「うだつ」は、隣家との境にあり、本来は防火壁の役目をするのであるが、「うだつ設置」には財力が
必要であり、このことから転じて「ぱっとしない=うだつが上がらない」になった、ようです。
7
8
次いで、「御会所跡(催事や集会)」の、香原邸です。文久3年(1863年)建築とのことです。
軒先の鬼瓦は、上野焼とのことで、厳粛な格式を保っています。
9-1
上野焼の鬼瓦です。
9-2
香原邸の右手郵便ポストのところに「直方藩 御会所」の白文字が見えます。
10
「旧日若酒造」~銘酒「日若」です。現在は操業していませんが、外観の造りや赤煉瓦がレトロな
雰囲気を醸し出しています。
11
お酒の好きな私は、念の為、この銘柄のお酒がないか、前にある歴史のありそうな酒屋さんを
覗いてみましたが、残念ながら、有りませんでした。
「旧日若酒造」は、酒造りを30年以上前に休業しているようです。(^u^)
12
13
1720年(享保5年)、54歳での第4代黒田長清の死により、直方藩は福岡藩に合併され、
約100年にわたる支藩としての歴史を閉じ、家臣も移動しています。
これにより、直方の町が寂れる恐れが生じた。そこで、町の振興策として、町年寄りの庄野仁右衛門は
それまで長崎街道の本道が遠賀川の東側対岸を通っていたのを、町中に移動させることを藩に申し出し
「岩鼻」の岩山開削などの難工事を行い、町中引き入れに尽力しました。
そして、1736年(元文元年)以降も、引き続き直方の町は、長崎街道の町として栄えるのです。
直方藩があった頃と現在の直方の状況を重ね合わせてみました。
こうして見ると、江戸の時代に、あのシーボルトや伊能忠敬、大名行列、将軍献上用の象さんなどが
南から尾崎口~新町~殿町~古町~遠賀川の渡し場へと、直方の町を歩いた光景を思い浮かべて、
タイムスリップすることができます。 (^_^)/~
1
直方が城下町で会った頃の、町人の居住地区と武家屋敷の境界は、現在の新町2丁目
付近にあり、境界は東西方向の水路(濠)になっていたとのことです。
2
3
次に長崎街道の館をイメージ出来る待合ホームがあり、平成13年に設置された新しい駅である
『平成ちくほう鉄道の「南直方御殿口駅」』に行ってみます。
4
5
「南直方御殿口駅」のホームです。奥は直方駅方面です。左手に御館山の「直方市体育館」が
見えます。
6
新町の長崎街道に沿って歩くと、今でも居住されていて、古い歴史を感じさせる格式のある建築物が
見られます。
まず、「うだつ」のある家~「山本邸」です。明治2年(1869年)建築とのことです。
「うだつ」は、隣家との境にあり、本来は防火壁の役目をするのであるが、「うだつ設置」には財力が
必要であり、このことから転じて「ぱっとしない=うだつが上がらない」になった、ようです。
7
8
次いで、「御会所跡(催事や集会)」の、香原邸です。文久3年(1863年)建築とのことです。
軒先の鬼瓦は、上野焼とのことで、厳粛な格式を保っています。
9-1
上野焼の鬼瓦です。
9-2
香原邸の右手郵便ポストのところに「直方藩 御会所」の白文字が見えます。
10
「旧日若酒造」~銘酒「日若」です。現在は操業していませんが、外観の造りや赤煉瓦がレトロな
雰囲気を醸し出しています。
11
お酒の好きな私は、念の為、この銘柄のお酒がないか、前にある歴史のありそうな酒屋さんを
覗いてみましたが、残念ながら、有りませんでした。
「旧日若酒造」は、酒造りを30年以上前に休業しているようです。(^u^)
12
13
こんばんは♪
実は長崎街道について覗いてみようと、南小の記事よりも、こちらの記事に最初に辿り着いていました。
書かれている通りに思い浮かべると、一気にタイムスリップできますね~p(^-^)q
「南直方御殿口駅」は趣のある駅ですよね。
駅の側にお寺があるのをお気付きになられたと思います。
昔、お寺の隣にお菓子の「因間」の工場があり、前を通ると美味しそうな香りが漂っていました。
いんまアイスクリームもありましたね。
「山本邸」に「香原邸」よく存じています(^-^)/
新町界隈は古い建物が殆どですが、どちらも長い歴史があるのですね。
建てられた年は初めて知りました!
画像の酒屋さんも築100年以上だそうです。
カウンターで、今では珍しい「角打ち」が楽しめるそうですよ。
父にこちらのブログを見せてあげたかったです。きっと、泣いて喜んだ事でしょう。
有難うございます。
「南直方御殿口駅」の近くの「善勝寺」は、良く知っていますが、
「因間」の工場があったのですね。いんまアイスクリームは、懐かしいですね。
新町界隈の街並みは、江戸時代にさかのぼる歴史や文化の重みがありますね。
また、直方日若踊り(福岡県指定無形文化財)も伝承されていますね。
★直方日若踊りのこと★ 2013年06月02日
https://blog.goo.ne.jp/nonbiri-arukuyama/e/c074640787461fb81203cb9f75132f4c
酒屋さんでの角打ちは、私も父の遺伝子を受け継いで、北九州での勤務時代には、
帰宅途中にあちこちの酒屋での「角打ち文化」を楽しみました。
コロナ禍以降は、自粛していますが、また、行けるように心待ち状態です。(^^)/
こんにちは♪
善勝寺をよくご存知だったのですね(^-^)
実家の菩提寺で、先祖代々お世話になっています。
お菓子の「因間」ですが、長い間「森田あられ」だと思い込んでいました。
それを知ったのは今年なんです。
「もち吉の製造部門のルーツは新町にあり」なんて、脳裏に植え付けていました(^^;)))
新町界隈は、貸本屋さん・薬屋さん・酒屋さん・八百屋さん・床屋さん・文具店・鉄工所・お米屋さん・魚屋さん・桶屋さん・塩屋さん・肉屋さん・飴屋さん等々…
自営業のお宅が多かったです。
随分と寂しくなりました。
私はお酒は少ししか飲めないのですが、その場の雰囲気は好きです。
また「角打ち文化」を楽しめる日が来るといいですね。
多種多様な商店やそして鉄工所など・・・
かっての在りし日の賑わいが、偲ばれますね。
私が、直方2中に入学した際には、南小学校出身者の数や
文化的センスある町の雰囲気には、田舎小学校育ちの私は、
圧倒された次第です。