閑話休題~多賀神社参道の袴線橋(転車台転用)のこと
私自身が生まれ育った直方の知識も浅い中、直方再発見くらいの軽い気持ちで
直方市内をウロウロしていますが、多賀神社や長崎街道のあたりを歩いている際に、
石炭記念館/多賀神社への跨線橋に旧国鉄機関区の転車台が使われていることを知りました。
今迄何度も見ていたはずなのに、認識出来ていなかったのは、自分ながら呆れますが、
遅まきながら分かって良かったです。
この転車台がどこの転車台を転用したのか定かではありませんが、私の高校生時代に
通学の際、御館橋からいつも見ていた、機関区の転車台や蒸気機関車を思い起こさせ
大変懐かしくそして嬉しく思い出されます。
1蒸気機関車の機関庫や転車台のある風景~旧国鉄直方駅→⇒今は電車区です。
これは、直方駅新駅舎開業時のお知らせポスターです。私が通勤時に黒崎駅構内にも貼って
ありました。このポスターは、最近取り壊された、旧直方駅構内に掲示されていたものです。
また、開業式典でダイジェスト版チラシが配られました。
ポスターは、私のお気に入りでしたので、以下、切り取って掲載しました。
(→⇒参照 2011-05-03 !! 直方駅舎が変わりました !! その6~4月29日新駅舎開業)
写真の左端が、機関庫や転車台です。

直方文化連盟発行の写真集「直方物語」にも、これらの懐かしい画像が掲載されています。

2 多賀神社第一参道から見た、袴線橋(転車台転用)
平成筑豊鉄道の400型(平筑初期カラー号)ディーゼル車が走ります。
右奥は「直方市石炭記念館」です。

3 「直方市石炭記念館」/「多賀神社」への参道です。跨線橋は、
まさしく転車台が転用されています。
その下を、平成筑豊鉄道のクラッシックなチョコレート色の500型(へいちく浪漫号)
ディーゼル車が走ります。

3-2

4 袴線橋(転車台転用)です。下に見えるのは、「直方市石炭記念館」です。

5 「直方市石炭記念館」です。看板の所に鎮座するSLは、大正14年から昭和51年まで
貝島大之浦炭坑で52年間働き続けたという、SLファンには嬉しい
「コペル32号蒸気機関車」です。

私自身が生まれ育った直方の知識も浅い中、直方再発見くらいの軽い気持ちで
直方市内をウロウロしていますが、多賀神社や長崎街道のあたりを歩いている際に、
石炭記念館/多賀神社への跨線橋に旧国鉄機関区の転車台が使われていることを知りました。
今迄何度も見ていたはずなのに、認識出来ていなかったのは、自分ながら呆れますが、
遅まきながら分かって良かったです。
この転車台がどこの転車台を転用したのか定かではありませんが、私の高校生時代に
通学の際、御館橋からいつも見ていた、機関区の転車台や蒸気機関車を思い起こさせ
大変懐かしくそして嬉しく思い出されます。
1蒸気機関車の機関庫や転車台のある風景~旧国鉄直方駅→⇒今は電車区です。
これは、直方駅新駅舎開業時のお知らせポスターです。私が通勤時に黒崎駅構内にも貼って
ありました。このポスターは、最近取り壊された、旧直方駅構内に掲示されていたものです。
また、開業式典でダイジェスト版チラシが配られました。
ポスターは、私のお気に入りでしたので、以下、切り取って掲載しました。
(→⇒参照 2011-05-03 !! 直方駅舎が変わりました !! その6~4月29日新駅舎開業)
写真の左端が、機関庫や転車台です。

直方文化連盟発行の写真集「直方物語」にも、これらの懐かしい画像が掲載されています。

2 多賀神社第一参道から見た、袴線橋(転車台転用)
平成筑豊鉄道の400型(平筑初期カラー号)ディーゼル車が走ります。
右奥は「直方市石炭記念館」です。

3 「直方市石炭記念館」/「多賀神社」への参道です。跨線橋は、
まさしく転車台が転用されています。
その下を、平成筑豊鉄道のクラッシックなチョコレート色の500型(へいちく浪漫号)
ディーゼル車が走ります。

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4 袴線橋(転車台転用)です。下に見えるのは、「直方市石炭記念館」です。

5 「直方市石炭記念館」です。看板の所に鎮座するSLは、大正14年から昭和51年まで
貝島大之浦炭坑で52年間働き続けたという、SLファンには嬉しい
「コペル32号蒸気機関車」です。

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