私の直方の風景

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「若松高塔山あじさい祭り」JRウオーキング参加~その3

2011年07月20日 22時46分29秒 | 旅行
「若松高塔山あじさい祭り」JRウオーキング参加~その3です。

折尾駅から本城駅、二島駅、奥洞海駅、藤ノ木駅・・・を通過し、川のように狭い洞海湾を
右手にそして、皿倉山を見ながら、終点若松駅に到着です。

1.若松駅周辺地図です。


2.若松駅構内、あじさい祭りの乗客が降ります。右手に「JRウオーキング」旗がはためいています。


3.若松駅構内改札口の状況です。奥の方に「JRウオーキング」の文字が見えます。


4.若松駅構内、鉢植えのあじさいがずらりと並べられ、歓迎してくれます。


5.若松駅構内、乗降のホームです。現在は、純粋な旅客駅で、
日平均乗車人員は1,300人程度とのことです。


6.「JRウオーキング」の案内掲示板です。このあと若松駅前でJRの係の方へ受付を済ませ、
ルート図を入手します。また、出発にあたり、ウオーキング体操の指導もあり、希望者は任意参加して
本当に、至れり付くせりで安心出来ます。



7-1 7-2 ルート図、案内図です。




8.いよいよ、「JRウオーキング」出発です。
若松駅正面と背後は、目指す高塔山です。「若松駅」の看板の真上が高塔山展望台になります。



9.若松駅舎横のあじさいの植え込みと、駅構内が見えます。背後は高塔山です。
こういうシーンを見ますと、これからの気持ちが高揚します。


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さて、特筆すべきは、今は往時の面影はないものの、かつて若松駅は筑豊の石炭輸送の
一大拠点でもあったことです。
若松駅は、筑豊興業鉄道により1891年(明治24年)に、当初から石炭の積み出しを
主な目的として開設された、ということです。
駅周辺で、これら石炭拠点の往時の姿の一端を眺めてみました。

1.火野葦平資料館内の川ひらたについて
若松市民会館の中に常設され、火野葦平ゆかりの品々が紹介されています。
復元した書斎のほか、原稿、書簡、日記、従軍手帳など遺品が多数展示
されています。
館内には、川ひらた船も展示してあります。川ひらた船(五平太船)は明治時代に筑豊の
石炭輸送の動脈として、多い年には 年間10数万隻が洞海湾・若松港を目指して堀川を
行き来した、ということです。



2.3 かって石炭輸送で大活躍したセム1石炭車が若松駅のそばに展示されています。
石炭車(せきたんしゃ)とは、石炭輸送(運炭)のための専用貨車で、積み下ろしホッパー型に
なっています。




4.5.6 久岐の浜広場の蒸気機関車「クンロク」
同じく、石炭輸送の花型であった、SL9600型蒸気機関車が、旧若松機関区跡地に
展示されています。地球を70周分も走行した、との事です。





7.「若松駅操車場跡地」の碑文です。





8.9 「若松駅操車場跡地」の説明文です。
若松駅と若松港の設備は並行して拡張が行われ、石炭桟橋から石炭を積み出した。
構内は広大で多数の石炭車が常時出入りしていた。
最盛期の1940年(昭和15年)には年間830万トンの積み出しを行い、
一時第二次世界大戦のために衰えるが戦後も再び同じくらいの貨物取り扱いをして、
ほぼ常時日本で一番貨物取り扱いの多い駅であった。
昭和29年には、東西延長約3km(現在の久岐の浜ニュータウン~藤ノ木近くまで)までもあった。
しかし昭和30年代後半から始まったエネルギー革命の進展により、石炭の取り扱いは急速に
減少していき、1982年(昭和57年)11月には貨物輸送が廃止されるに至った。
翌1983年(昭和58年)4月から構内の整理が開始され、旧駅舎が取り壊されて立て直され、
現在に至っている。
→⇒「若松駅操車場跡地」は、現在の「久岐の浜ニュータウン」となっており、往時の姿は
今では残っていません。